ガリアの首都リュティスの東端に位置する、王家の人間が住まうヴェルサルテイル。
その中心、現ガリア王ジョゼフ一世の為政するグラン・トロワから離れたところにある小宮殿プチ・トロワ。
薄桃色が特徴的なその宮殿の、春のうららかなる陽射しを浴びる中庭。
ガリア王国の王女にして、ガリア国内の裏の仕事を一手に引き受ける機密の騎士団――北花壇騎士団の団長たるわたしは、そこにいた。
その理由は、騎士団の一員であるシャルロット――通称七号、別名ガーゴイル、人を人でないかのような見方しかできないあの忌まわしき感情欠落者、いや欠陥品と言うべき操り人形、そのくせ魔法だけはちょっとでき――いや、ただ運がいいだけで、死ねば楽になれるというのにしぶとく任務から生き残って帰ってくるゾンビのごとき……まあいいや。
とにもかくにも、わたしは今、この中庭でサモン・サーヴァントを行おうとしていた。
今頃は留学先である小国トリステインの魔法学院で、同じく使い魔召喚の儀式に参加しているであろう“アレ”に対抗してのことだ。
わたしは中庭の中央に歩み寄り、杖を取り出した。
呪文は昨夜のうちに必死になって暗記した。魔法のことで努力したのはいつぶりだろう?
遠い昔に「才能がない」と見る目なしの生意気な愚臣たちに陰で囁かれて以来、面倒で練習をやめてしまったのは……いや、どうでもいいことね。
大事なのは今よ、今。
過去のことをあーだこーだ言っても変わりはしない。そんな些細なことよりも、この“召喚”が重要だ。
トリステイン魔法学院では生徒が二年生になると、彼らは全員使い魔を召喚することになる。それを思い出したのは先日の昼間、気弱そうな侍女をいびり飽き、ふと宙を仰いだ時だった。
そういえばあのガーゴイル、どんな使い魔を召喚するのかしら?
↓
どうせチンケで小汚い野禽、いやそれどころか本人にお似合いなゴミ同然の羽虫ね!
↓
わたしがアイツよりうんと素晴らしい使い魔を召喚して、嘲笑ってやろう!
要約するとそんな感じ。
本当は優秀な才能が秘められているわたしなら、あのクソ生意気で悪運の強い人形娘よりも優れた使い魔を召喚できるに決まっている。
サモン・サーヴァントは何が使い魔として来るか選べないけど……ま、もしちゃちいのが来たらその場で“始末”してしまえばいいのよ。使い魔が死ねば、また新しい使い魔を召喚できるんだから。
わたしは杖を構える。深呼吸。精神を落ち着かせ、ゆっくりと呪文を紡いだ。
「我が名はイザベラ・ド・ガリア――」
朗々と、声高に――全てはあのガーゴイルを惨めな思いにさせるためにッ!
さあ、来なッ! 幻獣のなかでも最高位――“竜”! それがわたしに相応しい使い魔だッ!
紛うことなきホンモノを見せつけて、わたしが有能なメイジだって思い知らせてやるッ!
――わたしのための、“力”よッ!
そして――次の瞬間、強烈な風圧にわたしは吹き飛ばされた。無様に地面を滑り、草が服に纏わりつく。おまけに手がひりひりと痛んだ。擦り傷ができてしまったらしい。
だけど、そんなことはどうでも良かった!
自然と歓喜に震える。これだけ派手な登場なんだから、きっととんでもない大物に違いない!
わたしは顔を上げて、いまだ砂塵が朦々とするなか、使い魔を確認しようとした。
……ああん?
顔をしかめる。すでにそよ風が煙を晴らしはじめているのに、シルエット一つ見えなかった。
竜は? アレを見下してやるための幻獣は? わたしの使い魔は?
訳がわからず、わたしは呆然とした。上下を確かめるが、やはり“生物”の影は一つもない。そんなバカな……!
「だれか! さっさと来なさいッ」
わたしの怒鳴り声に、数人の侍女が駆けつける。傷を確認しようとする侍女の手を払い、自分でもひどく冷たく感じる声で問うた。
「答えなさい……わたしの使い魔はどこかしら?」
ひっ、と皆が皆、不愉快な声を上げる。その様子に苛立ちが募る。
まったく、これだッ! わたしが何か言うたびにこいつらは戦々恐々とする。
“お遊び”のときにはこういう様を眺めるのは滑稽だけど、なんでもないときにされるのはウザったいったらありゃしない!
わたしは静かな怒気を湛えて近くの侍女を睨みつけた。ちゃんと答えなかったら……どうなるかわかるわよねぇ?
こちらの意を察したのか、侍女はぶるぶると震える手で一点を指差した。だけど、そこに“生き物”はいない。
わたしは侍女の首根っこを優しく掴んで、今度はほほえみを見せながら言った。
「ねえ、正直に言ってくれない? ――わたしが召喚した使い魔は、何かしら?」
いよいよ顔を真っ青にした侍女は、やはり指先の方向を変えずに震える声を絞り出した。
「あ、あの、……剣です」
わたしは邪魔な侍女を突き飛ばすと、召喚を行った地点へ歩み寄った。すぐに辿り着き、憤怒を目に宿して「ソレ」を見下ろす。
どういう材質を使っているのか、その剣身は炎のような赤橙色。こういうのに疎いわたしでも、刃の鋭さでこれは相当なものであるとわかる。
確かに、見紛うことなく、希望を打ち砕くように、それは剣だった。
わたしは唐突にそれを踏みつけた。一回で収まるはずがない。何度も、何度もだ!
出てきたのは意のものではなかった。というか、生物ですらない。ふざけんじゃないわよ!
足蹴にした剣を拾い上げる。火のメイジに命じて溶かしてやるためだ。あとは地中にでも埋めてしまえばいい。
それから再召喚を――
「な……ッ」
だけど剣を握った瞬間、わたしは言い知れぬ感覚を得て絶句した。
なんなのよ、これは。
奇妙を通り越して、明らかに異常だ。
王女という好きなことができる身分のため、これまでさまざまなマジックアイテムを見たり使ったりしてきたけど、こんなものはまるで記憶になかった。
わたしはぐっと柄を握った。女には――いや、大の男でさえ出せぬような力。そんな力で、わたしは今、柄を握っている。
震える。歓喜か、戦慄か。思わずくつくつと笑いを漏らしてしまう。
最低最悪のものを召喚したと思っていた……だけど違った! 剣なんてメイジには不要? とんでもない!
こいつには強大な力が秘められている。歴戦の傭兵がこの剣を持てば、たとえスクウェアクラスのメイジでさえ敵うかどうか。
そして有能なメイジがこの剣を持てば……?
「――この者に祝福を与え、我の使い魔となせ」
コントラクト・サーヴァント。召喚した使い魔と契約するスペル。
剣の魔力に惹きつけられるようにして、わたしはその剣の柄に口付けをしていた。……直後、あんな足蹴にするんじゃなかったと少し後悔。
そして使い魔のルーンが刻まれ……ない?
無生物相手に契約したらどうなるかなんて前例がないからわからないけど、こうして反応がないと不安が湧いてくる。
――直後、強烈な感覚がわたしの頭を襲った。
ぐるぐると目眩がする。頭が痛い。これは、なに?
視界が歪む。膝をつく。地に伏す。
脳裏に一瞬、影が浮かんだ。あなたは、だれ……?
「…………ヴォル、テール……」
わたしは意識を失った。