第一話『憑依?転生?世界移動?そんなんあるはずねーだろよ
――そう思っていた時期が、私にもありましたorz』
オーケイ、落ち着こう。
俺は今、ベッドの中にいる。
全身包帯に巻かれて、点滴に繋がれて、妙に大きな――多分病院の――ベッドに。
それはいい、心当たりはないが、事故なんかのショックで記憶が混乱するのは、案外良くある事だと効く。
俺は、グルグル巻きのミイラ男にされた体を、極力動かさないようにして部屋の中を見渡した。
だからそれはいい、それはいいんだが……何で、その、部屋の中に見える文字がみんなハンター文字なんだ?
俺は、部屋に掛かっていたカレンダーの表示に二・三度目を瞬かせてから思わず身を起こして頭を抱えてしまった。
……点滴のチューブが邪魔で、結局抱えられなかったけどな。
後、ここまでの処置がなされているのに、体が殆ど痛まないのが逆に凄く怖かった。
それと、なんですか、この腕に纏わり付いて揺らめく、湯気みたいなのは?
もしかしてあれですか? オーラ、オラオラですか?
気が付いたらハンター世界で、起きたら念能力者って、一体どんな夢小説よ――等と、自称ちょいオタの俺はひとしきり混乱すると、ハァと大きく息を吐いた。
……よりによってハンター世界ですか?
俺、アレ嫌いなんだけどな。
面白い事は認めるけど、なんつーか、性に合わない。
どーせハードな世界に行くんだったら、ハンター世界よりかビィトの世界に行きたかったし、念能力よりか才牙のデザインで悩みたかったんだが、まあ、今そんな愚痴考えてても仕方ない。
……まずは、自分の記憶を辿ってみよう。
もしかしたら、このトンデモな状況に陥った理由が思い出せるかもしれん。
俺の名は……名は……榊晴信。
なんだろう、ちょっと違和感があるんだが、まあ、間違いはないよな。
俺は榊晴信、今年度卒業の大学四年。
卒論や就職活動も滞りなく終了し、最後のモラトリアムを満喫中――なんだが、そんなに家が裕福でもなければ、就活の都合でバイトもやめてた俺には卒業旅行に出るような貯えもなく、就職先の関係で卒業後も居座る事になった主に学生向けの格安アパートで自堕落な日々を送っていた……少なくとも、俺の記憶ではそのはずだ。
親しい友人はまだ色々と抱えているし、後輩達は今、試験期間の真っ最中。
恋人もなく、学外の友人にも乏しい俺は、忙しかった時分に買って封も明けてなかったゲームなんぞを適当摘みながら、自堕落な半引き篭もり生活を満喫していたのだ。
それで……どうしたんだったか?
ああ、朝に珍しくダチから電話があったんだ。
俺もどうにか決まりそうだから、そしたら遊びに行こうぜ…ってな。
それで、ああ、そう言えばそこでハンター×ハンターの話題が出たんだった。
確か、H×Hの一時的な連載再開で、最近またH×HのSSが増えてるって奴が言って来て、俺はあんなんのSS書く奴の気が知れんと応えて、そしたら奴は、ハンター文字そらで読める奴が何言ってんだって……なんだか、思い出したら腹が立ってきた。
なんか、気が付いたら自然に覚えちまってたんだから仕方ねーだろよ――まあ、そんなことはどうでもいいとして、奴が息抜きに読んでるとか言う最近連載が始まったH×HのSSを幾つか紹介されて、内容もお前好みだと思うぜって言われて、まあ、時間もあるし読んでみるかと思ったのが間違いだったんだ、うん。
きっとそうだ、みんなアイツが悪いんだ。
いいよな、どうせここにはアイツはいないし、帰れるかどうかも怪しいし……。
それで俺は、その幾つかに目を通して、それで……その大半が体験系、ハンター世界に現実世界からキャラが迷い込むタイプの話だって事にげんなりして、今の社会は腐ってるとか、俺も考えなくもないけど、でもこの世界の方があんな世界よりずっといいと思って、頭が痛い。
そうだ、頭痛が……頭痛がしてきて、その先は、その先、なんだっけ?
思い出せない。
後は気付いたら、ここにいた、か……湯気のような何かが纏わり付く腕で、自分の頭を押さえながら、俺はそう結論付けた。
ハンターSS読んでたら頭が痛くなって、気付いたらここにいた?
つーかさ、どんなダメ夢小説でも、もうちょっとはマシな説明がなくね?
俺はそんな事を思いながら、その身を起こした。
どうやら、見た目ほど傷ついていないらしく、先ほど同様、体は殆ど痛まない。
そして見渡すと、俺が居るのは、どうやらかなり大きな病室だった。
今は昼らしく、白いカーテン越しに窓から差し込む日差しのせいか、なんだか酷く真っ白な印象がある。
個人用の部屋らしく、結構大きめの部屋の真ん中に、同じく大きな、白いパイプベッドが一つ。
その傍らには変な機械やら点滴台やらが置いてあって、俺の腕にチューブやらなにやらで繋がっていた。
後は、コードで繋がれたナースコールが一つ。
それらの全てが奇妙に大造りで、ああ、ハンター世界って、西欧人サイズなんだなぁとか、そんな間抜けな事を俺は思った。
日本人の描いたマンガだから、日本的なサイズかと思っていたけど、けどまぁ、あんな人間の規格外が多数存在する世界だしなぁ……。
そんな事を考えながら、俺は状況把握の為にもナースコールのボタンを押そうとして……俺は、ベッドの背凭れに張られたネームプレートを見つけた。
ハンター文字、見慣れた母さんの字で、俺の名前が記してある。
『スルト・マクシェイ』
……つうことは、ここはうちの病室か。
考えてみれば当たり前か、この辺りはウチ以外に病院無いし。
しかし、母さんは相変わらず几帳面だな。
ウチの病室なんだから、態々俺の名前まで書く事ないのにさぁ……そこまで考えて、俺は始めて違和感に気付いた。
スルト・マクシェイ――確かに俺の名だ。
それが記された字も、見慣れた母のもの――そうだ、そのどちらにもちょっと違和感があるけど、間違いない。
けど、ここはH×H世界で、俺は、榊晴信。
母さんは、H×Hなんか読んだ事もないだろうし、そんな人がハンター文字なんか書けるはずがない。
……Be Cool、Be Cool。
まずは落ち着こう、素数でも数えるんだ。
俺は、榊晴信だ。
大学四年生、もうすぐ卒業して、就職見込み。
俺は、スルト・マクシェイだ。
十二歳、もうすぐ卒業して、ザパン市にある学校の寮に入る。
……ザパン市、あー、あれだ、めしどころ、ごはん。
本編の序盤の舞台じゃん。
そう言えば、よく考えたらここもそうだよな。
ここはノグ村、ヌメーレ湿原やビスカ森林公園に近い辺境の村だ。
いや、近いって言っても、百キロ近く離れてるけどさ。
近くに、そう言う危ない場所があることで判るとは思うけど、この辺りは半径数十キロに医者が父さん一人と言う本物の辺境で、付け加えるなら結構な危険地帯……って、コレもしかして憑依モノ?
しかも、都合よく憑依した人間の知識を手に入れちゃう形の?
その上、起きて一時間もしないウチに憑依対象の記憶手に入れちまうなんて、随分足が早くね?
アレ、けど、スルトも晴信も、同じ俺、だよな?
俺がスルトの中にはいったのか、俺が晴信を引き込んだのか?
今の人格は、確かに晴信のが強い、そんな感じはするけど、晴信の記憶に、こっちにきてしまうような切っ掛けは全くない。
逆に、スルトは今包帯だらけで……そういや、俺どうして怪我したんだっけ?
俺は、俺は、ダメだ、わかんね。
そう言えば俺、今まではオーラなんて見えなかったよなぁ。
つーか、その存在すら知らなかったしさ。
ええと、俺は、スルトは、ノグ村唯一……いや、この地方唯一といっていい、マトモな医者の息子だ。
いや、各村にも薬草師とか骨接ぎの人とか、癒し手みたいな人はいるんだけどさ、こう、ちゃんとした資格を持った医者は、ウチの父さんだけ。
ウチの父さんは、辺境向けに広範な知識を持つ立派な医師で、この地方の名士といっていい、結構な金持ちだ。
いや、まあ、金持ちってもそんなではなくて、貧しいのは貧しいんだけどさ、地域全体が貧乏だから。
でも、この地域では、かなり金持ちな方。
個人でネット設備持ってるのは、ウチ以外何軒も無いっつード田舎だからさ、ここは。
それで、だから、俺は、孤独だったんだ。
ウチの父さんは、自ら望んで何でもできるしなんにもできない辺境向けの医者になって、この貧乏な地方にやってきた人格者で、この周辺では凄く尊敬されている。
それに、なんと言うか、この辺り貧乏だから、他の地方に進学できるほど金持ってる人も少なくて、だからその父親の息子である俺には、外の学校に進学してこの病院を継ぐ事が期待されていて……俺は、それを期待する大人達に凄い持ち上げられてきた。
で、子供はと言えば……まぁ、わかるだろ?
こんなところでも、一応テレビの電波は届く。
それを見て大抵の子供はこの村を出る事を望むけど、でも、金銭的にも教育的にも、この地方は貧しすぎる。
それにここはド田舎だから、産まれる前から血縁地縁に雁字搦めで、本当にそんなことができるのはほんの一握りだった。
そんな子供達に、外の世界に出るのが確定している、金持の息子を見せたらどうなると思う?
まぁ、直接いじめられる事は無かったよ。
父さんは、この地方では、その、ある種の生き神様だったから。
でも、会う人は無視するか嫌な顔をするか媚びるかで、俺自身を見てくれる人はいなかった。
まぁ、まだ小学生の『スルト』がずっとそんな事を思ってたわけじゃあない。
当然コレは、今の『榊晴信』の論評なんだが……でも、性質の悪い事に、俺は頭がよくて明敏な餓鬼でさ、そんな周囲の期待も、拒絶も、ちゃんと理解できていたわけでないけど、肌では感じ取っていた。
だからずっと、外に出たい、それだけをと考えていたんだ。
それで俺は、嫌って言うほど勉強して――幸いウチにはネット設備があったから、それを使って調べ物もできれば、中央の家庭教師の授業も受けられる――兎に角中学は、行ける範囲でできるだけ遠い、寮のある学校の、できれば特待を取りたいと、俺はそう頑張って、この度めでたく、ザパン市の名門校、ルスタハイスクールの付属中学に合格したんだ。
俺は、そんな自分自分の過去を思い返して、口元に笑みを浮かべた。
あの頃は若かったなぁ……なんだかそんな思いが湧き上がるのは、榊晴信としての生活が余りに楽し過ぎて、それでスルトが満足してしまったからだろうか?
そんな風に思って、俺はそんな自分にちょっとだけ驚いた。
俺は、榊晴信だ。
スルトよりも、晴信の人格のほうが強い。
だから目覚めたとき初めて思い返した名前は、榊晴信だった。
だが、その記憶の方はと言えば、スルト・マクシェイの方が奥にある。
なんと言えばいいのだろう。
スルトと言う人格を土台に、晴信と言う人格が構築されたような。
或いは、スルトと言う人間が記憶を失って、その間に榊晴信としての経験を積んだような。
そう感じた俺の、体が瘧の様に震えた。
トリッパー? 体験モノ? どちらが?
スルト・マクシェイが、榊晴信を体験していたのか?
榊晴信が、スルト・マクシェイを体験しているのか?
きっかけとして強い動因はこちらにある。
理由として、強い存在はこちらにある。
榊晴信の人格が強いから、俺は晴信がスルトを体験しているのだとばかり思っていたが、実態は逆なのではないか?
そう言えば俺は、話としては面白いと思いながらもH×Hが嫌いで、そのくせハンター文字は普通に読み書きできていた。
背筋が冷える。
俺は、何故H×Hを毛嫌いしていた。
判らない、肌が合わないとしか、言いようがない。
では、何故肌が合わなかった?
スルト・マクシェイとしての自分を、思い出すからではないのか?
……遠くに行きたい。
誰も俺を知らない様な、誰もが真白な俺と、付き合ってくれるような。
それくらいに遠くへ、行きたい。
それがスルト・マクシェイの心の奥底からの願いだった。
いや、正確にはスルトの心の奥の願いを、晴信が言語化したもの、か……。
ここ数年、俺は、スルトは、それだけを念じて日々を積み重ねていた。
そんな俺が死に瀕して、念能力に目覚めて、それで、その状況を制約として、願ったら?
何しろ、スルトは天才なのだ。
師もなく、恐らくは意識も混濁していただろう状況下で精孔を開いて、纏を成功させるくらいには……。
ならば、できてしまえるのではないだろうか、それが?
いや、それを言うならそもそも、榊晴信としての人生は、現実なのか?
念能力で、スルトが晴信を体験していたとする。
全く異なる世界の人間に憑依する事と、仮想世界を構築してその中で遊ぶ事と、どちらが簡単だろう?
普通は、後者。
誰もがそう答えると思う。
確かに今の俺は、スルトの知らない知識も持っているけど、それが正しい知識であるとは限らない。
それに例えば、念能力者の中にはネオンの様な未来予測能力を持つものもいた。
ならば、周囲の情報を収集して、説得力のある夢を創るくらい、出来てしまうのではないか?
……Be Cool、Be Cool。
オーケィ、まずは落ち着こう、素数でも数えるんだ。
ここでぐだぐだ悩んでいても仕方ない。
まずは、落ち着いて、今出来る事を考えよう。
そうだな、取りあえずは、榊晴信の情報の正確性と、スルト・マクシェイの現状の確認か……。
幸いウチには常時接続OKなネット端末もあるし――そうだな、ベッドを離れる許可が降りたら、心源流拳法とネテロ会長、それから、グリードアイランドについてでも調べてみるか。
どれもハンターや念がらみだが、心源流は普通に弟子を取っているようだし、その最高師範であるネテロ会長はハンター協会の顔、グリードアイランドも表面的な情報であれば、ゲームマニアのサイトで見つかりそうだ。
値段も、ハンター専用というその内容も、どちらもマニアの目を引くだろうしな。
……俺は、表面だけをどうにか取り繕うと、傍らにあったナースコールのボタンを押した。
・
・
・
・
……それから暫くの事は思い出したくない。
なんつうか、父さんとは違って、ウチの母さんはノグ村の出身なのよ。
ついでに言うと、ウチの父さんが辺境向けの医者になった理由も母さんらしいんだけどさ。
んで、メンタリティ的に他の村の人に近いから、ナースコールで俺が起きた事を知って、もう泣くやら喚くやら……。
勿論、親として俺の事を心配してるってのもあるんだけどさ、周りとの地縁血縁のつながりとか、その期待とかに共感できるってのがあるから、もう喜びの余りに自分が倒れんじゃないかと思う位、騒いでたね。
しかも、その騒ぎを聞きつけたのか、近所の人たちがわんさと押し寄せてくるし……。
それに気付いた父さんが、途中から面会謝絶してくれたからまあ助かったけど、ウチには見舞いの品がごっちゃり。
大半が、この辺りで採れる俺の好物なんだけどさ、ウチは家族三人だから、こんなに食いきれねぇよ。
で、そんな騒ぎの中でも、ウチの父さんは父さんだった。
一通りの処置が終わってて緊急に処置する必要が無いってんで、一般の患者やら何やらを優先して、俺の診察は後回し。
面会謝絶になる前に押しかけた村長のおっさんは、そんなんより俺の処置を優先すりゃいいのにっていってたけど、俺的には父さんの行動のほうが嬉しいし、それに、だったらアンタも押しかけてくんなよとか思う。
そんなこんなんで、俺が目覚めたのはまだ朝方だったんだが、父さんが俺の診察をしたのは三時過ぎになった。
いや、本来なら夕方過ぎて夜になったと思うんだけど、村長のおっさんが回状出したらしいんだよね。
俺が目ー覚ましたから、緊急の人間以外は病院行くなって……。
で、父さんに俺の状況を尋ねると、詳細はわからないが崖から落ちたらしく、昨朝早くに山の中で発見されたのだそうだ。
途中、崖から生えた木に何度かぶつかりって落下速度が落ちた事と、高い木の梢に巧く引っ掛かって、それがクッションになってくれた事で、どうにか命を繋いだらしくて、発見時には全身切り傷だらけ、骨折箇所も複数の、まさに襤褸雑巾だったらしい。
……まあ、念で治癒能力が強化されてたのか、起きた時には大半治っちまってたけどな。
例外は、背中にあった切傷一つで、それ以外の傷は、もう殆ど癒着しているそうだ。
骨折ももう繋がり始めていて、激しい運動さえしなければ、出歩いても問題は無いとの事……。
で、その例外である背中の傷なんだが、父さんの話によると、これだけは刃物による創傷であるらしい。
そんなに大きな傷ではないのにこれだけ治ってないし、俺も痛みを全く訴えないから、刃に何か塗ってあったんじゃないか?…と、父さんは心配していたけれど、俺も一昨日の晩床についてから、今朝目が覚めるまでの記憶を持っていない。
ただ、当然と言うか、切傷が治らない理由についての、心当たりはあった。
それは勿論、念――念能力者か、或いは、念の篭もった器物で切られたのか?
もし、その洗礼で俺の精孔が開いたのだとしたら、状況は幾分すっきりする。
攻撃による念の洗礼、傷の痛みと精孔の開いた驚きに俺は崖下に転落、その事実に安心した攻撃者はその場を立ち去った。
尤も、他の傷が消えているのにその傷だけが未だに残っている時点で、相手の念能力の影響がまだ残っている可能性が高いわけで、そうすると、俺の現状がそいつの念の影響である可能性も出てくる。
記憶を扱う特質系能力者には、既にパクノダと言う前例があるし、俺がその事件の周辺の記憶を都合よく失っている事を考えると、ねぇ。
そこまで行かなくても、対象を、記憶が封じられた状態で自分の構築した夢に落とし込む念能力者とかは、普通にいそうだ。
……しかし、そうすると、この背中の傷は怖いな。
これが消えた時には、榊晴信としての俺の記憶も丸ごと失せる可能性がある。
とりあえず、水見式で自分の念能力の系統を調べて……背中の傷は、どうしよう。
傷を維持するのは……まあ、「天上不知唯我独損(ハコワレ)」の例もあるし、他人やその念にオーラを提供する能力は一応製作可能だろう。
尤も、念の内容を把握出来ない状態でそれをするのは非常に無謀だから、取りあえずは考えない事にする。
それで俺の精神が消えるのなら、まあそれだけのこと……とまでは言えないが、あせって考えるほどの事ではなかった。
少なくともこの傷は、まだ暫くは消えそうにはないし、生い立ち等から考えても、スルトの念がトリップの原因である可能性はかなり高い。
だけど、もし仮にこの背中の傷が原因だったとして念能力の分析をする念能力って、作れるものだろうか?
可能性があるなら……具現化系か? 操作系もいけそうだ。
しかし、なにがどう転ぶにしても、師匠は欲しいなぁ。
できれば、ある程度他の念能力者との間にコネクションを持っている。
この出来事の発端が、俺に対する他の念能力者の攻撃である可能性がある以上、念と武術の鍛錬は急務だ。
さらに場合によっては、俺の現状をどうにかする為の発も、早急に収めなければならない。
父さんは、自分と会話しながら考え込んでいる俺を、暫くじっと見ていたけど、結局は何も問わなかった。
「特に処置する必要は無いようだから、もう、部屋に戻っても構わないぞ。
外出するのも構わないが、お前が崖から落ちた状況がはっきりするまでは、極力控えた方がいいだろう」
最後にそう言い残し、部屋を出ようとした父さんの背を、追って俺も部屋を出る。
自分も余所者で、崇拝に近い情を受ける現状を余り嬉しく思っていない父さんは、この村で唯一の俺の理解者といっていい。
勿論父さんも、俺が自分の後を継ぐことを望んではいるのだけれど、自身も親の期待を裏切ってこの地にやってきた前科持ちだけに、その希望を息子に押し付けるつもりも無いようだった。
父さんは恐らく、ノグ村周辺でスルトが医者にならないことを受け入れてくれるただ一人の人間で、だから俺は、虚心無くこの立派過ぎる父親を、尊敬している。
そんな父さんに何も言わず全てを隠している事が心苦しくて、けれど、オーラを見た感じ念能力者ではなさそうな父にこんな現状を話す事もできず……俺は、暫く無言でその背を追うと、医院と自宅の境目のところで短く、
「ありがとう、ごめん、父さん」
と言った。
父さんは足を止め、こっちを見たようだったけど、俺は足を速めて自分の部屋へと走り去る。
そして、部屋に鍵をかけ端末を立ち上げると、その前に座った。
端末につながれたマウスと、ハンター文字が記された、使い慣れたキーボードへと手を延ばす。
『心源流 ネテロ』
そして、機械検索で最初に調べたワードは、実に数十万件もHitした。
ハンター試験審査委員会委員長ともなれば、このくらいはHitして当たり前と言う事だろうか?
特に今年は、本編の四年前である1996年――ネテロじいさんがハンター協会の会長に就任する年――だったから、ハンター協会会長選挙の関連ニュースが山と転がっていた。
四年前と言えば、確かクルタ族襲撃も同じ年だったなと『クルタ族 ルクソ地方』を調べてみるが、こちらはまだ起きていないらしく、少数民族であることと、緋の眼に関する記事とが散見されただけである。
クラピカには悪いが、俺が介入したところでクルタ族襲撃が防げるわけも無い。
ここは涙を呑んで、榊晴信の記憶の検証用に使うべきだろう――と、話が逸れたな、次は、心源流拳法を単体で検索してみる。
今度はHit数、十数万件。
ネテロ効果の水増し分をさっぴくと、大体空手の四大流派と同じ位の知名度になるだろうか?
真っ先にHitした公式HPを覗くと、規模もそれらと同じくらいらしく、地味に世界展開していて大規模な大会も開催していた。
ページ内検索機能があったので、試しにザパン市と入れてみると、なんと支部道場一件あり。
ラッキーと言うかなんと言うか、取り合えず師匠の当て一件ゲットなんだが、地方都市の支部道場に念能力者が常駐しているものだろうか?
あーけど、ハンター試験の会場になってる上に、あんな地下道まであるザパン市だ。
ハンター協会との繋がりも強い街なんだろうし、もしかしたら念能力者が常駐しているかもわからんな。
それに、普通、昇段昇級審査の時は、本部とか地区総括の人が審査に来るから、その中に能力者がいる可能性は高いと見た。
なにしろ、念の素養があるズシを、師範代のウイングさんがマンツーマンで指導してたくらいだからなぁ。
けど、まあ、今はそんな皮算用をしている程の余裕も無いし、この件は俺がザパン市に引っ越してから、だな。
俺は、幾つかのページをブックマークに残すと、次いで、グリードアイランドを検索。
九年前のゲームだけに流石に数は少なく、五千件弱がHit。
だが、その大半がバッテラ氏絡みの情報で、残りの少数がゲームの好事家による伝聞の記事――こちらから特に役立つ情報は入手できなかったが、榊晴信としての記憶の信憑性の多少の補強にはなった。
うーん、現状ではこんなもんかなぁ……。
俺は、他に調べる事も思いつかなかったので、端末の電源を落として立ち上がった。
何かあったら困るので、部屋の真ん中辺りまで移動、周囲を見回して、壊れたら困るものが近くにないか、それを確認する。
一通り、試すべき事は試したのでもうぶっ倒れても問題ない。
だから次はお待ちかね……でもないけど、念の修練を試す番だ。
いやね、本当は一足飛びに水見式を試したいんだが、あれは、『練』が使えないと意味が無いからなぁ。
ゴンやキルアみたいな天才中の天才でも、最初は極僅かな変化しか現れなかったわけだし……まあ、状況的に考えて、俺も念に関してはそれなり以上の天才なのだろうけど、それでも数週間から数ヶ月程度の訓練を前提に考えた方がいいだろう。
幸い、纏についてはもう『眠っても維持できる』状態っぽいので――いや、目が覚めた時に纏してたし――修行のアクセントに毎朝水見式を試しつつ、満足いく結果が出るまでは集中的に『練』の訓練をしよう。
確か練は、力を全身の細胞から集めて体内に溜め、それを一気に外に出すイメージとか言ってたな……。
俺は、まずは何か判り易いイメージを…と考え、取り合えず腹式呼吸で試してみる事にした。
まあ、俺の場合、教えてくれたのが空手やってる奴だったから、腹式呼吸というよりは『息吹』なんだがな。
鼻から吸う、口から吐き出す、腹筋を締めて止める。
腹式呼吸を行うと、鳩尾の辺りに熱が溜まる――それを強く意識しながら、俺は暫く息吹を繰り返した。
まあ、ぶっちゃけこれは、念と言うより調息と息吹のごった煮なんだが、そう的外れなもの行動ではなかったらしい。
なんつーか、昔、悪友達と遊びで気功の真似事をした経験が、こんな所で役立つとはねぇ……。
俺がそう苦笑するのとほぼ同時、丹田に集う力が、緩やかに旋転し円環を描き始めた。
そのイメージは、互いの尾を追う二つ巴、或いは、己が尾を追う無限蛇(ウーロボロス)。
気功――小周天からの連想か、或いは、ヨーガのマニプーラチャクラか?
マニプーラは火のチャクラ、象徴色は黄色、輝く黄、太陽、太陽の円環、黄金の指輪――父と母の、結婚指輪。
妙な運行を始めたオーラの姿に、俺の頭の中を、そんな奇妙な連想が流れる。
そして……
『一つの指輪は全てを統べ
一つの指輪は全てを見つけ
一つの指輪は全てを捕らえて
暗闇の中に繋ぎとめる』
次いでその連想は、そんな言葉を綴った。
それは、数年前映画化もされた、余りに有名な小説の一節―― 一人の半神が創った指輪の、余りに強大な力を伝える、伝承
……エンディングが改定されていたのと、トム・ボンバディルが削除されていた事を除けば、アレはいい映画だった。
流れる連想の中、俺は、現実逃避気味にそんな事を思う。
ずくりと、背中にあると言う傷が痛んだ。
今までにただの一度も痛んだ事は無かったと言うのに。
俺は、胸を押さえる。
心臓……西欧では魂の御蔵とされる場所の裏側、愛と調和を司ると言うアナーハタチャクラの辺りに、その切り傷はあった。
傷自体は背骨で止まっており、それほど大きなものではない。
だが、全身を覆う傷が全て繋がった後も、それはぱっくりと口を開け続けていた。
それが痛む。
体の中で暴れまわる、黄金の円環に呼応するように――或いは、気付きかけた何かに、か?
そんな中、丹田で回る黄金は、輝きと速さを増して荒れ狂い、その勢いに俺は思わず蹲った。
『やめてくれ、俺は――じゃないんだ!』
そして耐えかね、俺は意味もわからずそう叫ぶ。
いや、叫んだと思った。
だが、蹲り、心臓を押さえる俺の口から漏れたのは、ひゅうひゅうと言うかすれた、吐息……。
「……なん、だよ、これ……練の修行でこんなになるなんて、聞いた事無いぞ」
グルグルグルグルグルグル廻る、掛け金が壊れたように、止まらない。
ああ、吐き出さなければ持たない。
何を? 何が? 何故?
判らない、けど、これを吐き出さなければ、もたない。
何がどうなっているのかも判らずに、俺はただ、夢中でそれを吐き出した。
俺の内で暴走する、黄金の円環。
練の成功とか、もうそんな事を考えている余裕は無い。
失敗でもいい、兎に角それを追い出さねば……。
その意思に沿うように、それは自らの尾を追う事を止めた。
一つの塊として動いていたそれは、維持している何かが失せたかのように形を失って散り散りとなり……しかし、ただ、その身に宿った回転の力は残っていたようで、細切れになったかけらは、宿る遠心の力に飛ばされるまま、体の外へと飛び出す。
「で、きた?」
……そして、明かに失敗だろうと考えていた練は、余りにあっさりと、成功していた。
纏の中に、充溢するオーラ。
僅かに黄味を帯びたような――そんな圧力が纏の薄膜の中を埋め尽くしている。
「……なんだったんだ、今のは?」
俺は、蹲ったままそう呟いた。
練で搾り出されたオーラのお陰か体調は既に回復し、じくじくと痛んでいた背の傷も、もう何も感じなくなっていたが、今はまだ、とても立ち上がる気には到底なれない。
俺は、床の真ん中に寝転ぶと、ハァと大きく息を吐く。
なんだったんだろう、アレは――或いは、アレが背中の傷の念の効果か?
纏の中、次第に薄れていくオーラを眺めながら、俺はそんなことを考えた。
練が成功した事は、まぁいい。
『練ったオーラを纏で留めるタイミングが少し難しかった』
思えば、練を習得したゴンとキルアが最初に言ったのは、こんな言葉だった。
つまり、初めから異様な高レベルで纏を成立させていた俺は、力技で練を成功させられる能力があった――多分、そう言うことなのだろう。
何よりも外に出る事を望んでいたスルトが、裏腹に縛る能力に長けるとは皮肉なものだが、現実とは得てしてそんなものなのかもしれない。
そして晴信も、その力に縛られているのかもしれない、か……。
俺は、もう一度大きく息を吐くと、それていた思考を一旦そこで切った。
問題はあの奇妙な連想と、その影響で制御を失ったオーラ、そして、その時に痛んだ背中の傷だ。
今はもう痛みも無い。
寝転んでいる背の感触からして、血が出ているとか言う事も無いようだった。
だが、なんなのだろうあの痛みは……。
あの時、頭の中に浮かんだ言葉を集約すれば、『黄金の指輪』の一言だろう。
指輪、結びつけるもの。
スルトにとって尤も印象深いソレは、両親の結婚指輪だ。
シンプルで、飾り気無く、ただ互いの名が記された金の指輪。
数年前、片割れが盗まれる事で大騒動になったその一対の指輪は、いわば、俺をこの地に縛り付けるものの象徴だった。
「……影横たわる、モルドールの地に、か……」
別にここがそうだと思ってるわけじゃ――いや、そうだな、自分に言いつくろってもしかたないか。
今の『晴信+スルト』にとってはそうでもないけど、やっぱりこの地は、『スルト』にとって、『黒の国』だったのだろう。
影横たわる、不毛の地――そう、それがこの緑豊かな地であっても、父の影で、父のコピーとして扱われていたスルトにとっては、そう、だったのだ。
そして、ファフニールが竜となったように、スメアゴルが哀れなゴクリとなったように、両親を繋ぐ黄金の指輪は、スルトと言う存在を歪んだ形に繋ぎとめる。
だから、生い立ちや性格などの影響を強く受ける念の修行の最中に、それを思い出すのはそうおかしい事でもない…かな?
だが、背中の傷は何故痛んだのだろう?
……疲れが取れたら、もう一度『練』を試してみよう。
オーラが薄れるにつれ、全身に沈殿する疲れを実感しながら、俺はそんな事を思った。
正直、知る事が怖くもあるが、アレを放って置いても居られない。
「……俺がなりたいのは、トム・ボンバディル、なんだがなぁ」
そして、またしても、暗合だ。
繋がれていた『スルト』がなりたがりそうなもの――トム・ボンバディル。
指輪物語において、最も謎めいた存在。
彼自身にしか――かの一つの指輪ですら――支配できない、他の全世界を支配したサウロンにすら抗し得る、ただ一人の人。
晴信は、感性が近いからスルトに呼ばれたのか、或いは、元々晴信がスルトだったのか?
……昨日、まる一日寝ていたと言うのに、なんだか酷く、眠い。
俺は、ベッドに登る手間を惜しんで毛布の端を引っ張ると、それを抱えるように、眠りに落ちた。