座るタイミングの掴めぬまま立ち話状態になって、二~三十分位だろうか。
あのバリアの内側にあったであろう砂浜の一部が丸ごと俺の周囲に散乱していた。
どうやらあのバリアっぽい何かは転送範囲を決める為のマーカーだったのではないかと思いながら、目の前にいるお方との当たり障りの無い会話をし続ける。
「……なるほど。そちらは今、多種多様の妖怪が増え続けている、と。アヤカシ系の生物の調査は難航していたから、教えてくれて嬉しいわ」
「色んな奴が居て飽きる暇が無いですね。ついこの前までは鬼と一緒に居たんですよ。あいつら、やれ酒は飲むわ飯は食うわで、ホントもう給仕やってる身としてはてんてこ舞いでした」
「鬼……。一部の島国で見られる、頭に角の生えた固有の妖怪の名称……だったかしら。ちょっと前に資料で見たのだけれど……。そう……。九十九さんは、色々な出会いを経験しているのね」
「良かれ悪かれってのが入りますけどね。まぁ、何度か死にそうな目には会いましたが、こうして無事でいる今としては良い経験ですよ」
目の前には、『あらあら』と、そう言って口元に手を当てて優しく笑う女性、八意永琳。
東方世界において最も長く生きてきたであろう候補その一な人物。その年齢、最低億単位。
穢れた地上を捨て、月の都市―――建国を支えた賢人。
月の頭脳、月の賢人、月のetc,etc……。呼ばれる二つ名は数知れず。
失礼だけれど、もう面倒なので“月の母”とかでも良いんじゃいかと思ってしまう。
そして、容姿も同人本などの絵柄で感じてはいたのだが、超を三個くらいつけてもお釣りの来る美人。
絶妙ともいえる造形とすっきりとした全体のラインに、女性らしさの象徴が目に毒。上下共にもう一サイズ上の衣類を着て下さいと言ってみたくなる。―――絶対言いませんけどね。役得役得。
ただ、受ける印象は妖艶、ではない。
着ているもののせいなのだろうか、研究者、科学者といった、知性が服着て存在しているといった印象だ。知的美人万歳。
諏訪子さんと比べるのはあれだが、神奈子さんとは別方面の美がそこには佇んでいて、もう一緒の空間にいるだけでも満足ですって思えてくる。
敵意を向けて見なければ、神奈子さんにもときめいていたと思うのだが、生憎と出会い方が不味かったので、第一印象が払拭されるまではそれ系の目線で見る事は無いだろう。
俺がここへ来た直後、えーりん……八意さんは、警戒心よりも好奇心を優先させたかと思えるほどに質問をマシンガンのように繰り出して来た。
種族は、出身は、何をしに来たのか、何をして過ごしていたのか、住んでいた場所の状況は、等々。
こっち側の情報……知識に飢えている感じがする。
それも“知りたい”の類ではなく“暇つぶし見つけた”的な。
ただ、いい加減そっちの情報を教えて欲しいんだ。
会話するにしても、名前を呼べないんじゃあ、しっくり来ないのですよ。
「あの……教えて欲しい事があるんですが……」
「あら、何かしら」
……何かしらって。
自己紹介とか場所の説明とか俺の処遇とか色々あると思うのですが………。
「色々あるんですが……まずは名前を教えて頂ければ」
「……ごめんなさい。久々に楽しかったものだから、つい」
自分の失態を恥じる様に、片手で顔の下を覆うように隠しながら、謝罪を口にした。
こんな美人に頬染めさせるたぁ、俺の地獄行きは確定やもしれん。その時は宜しくお願いします、えーき様&こまっちゃん。
―――東方キャラって美人多すぎだよなぁ……最高です。
「私の名前は八意永琳。“ここでは”様々な研究を行っているわ」
「さっきも言いましたが、九十九です。苗字とかはありません。宜しくお願いします、八意さん」
何に対して宜しくなのかが自分でもよく分かって無いが、テンプレ挨拶なんて、そんなものだと思う。
『えーりん!』とか腕を振りつつ言ってみたい衝動に駆られるが、そこは本人を目の前にしているので自重。
東方キャラ全般に言える事だが、いつもは下の名前で認識しているだけに、いざ苗字で相手を呼んでみると心の何処かに違和感が残る。
諏訪子さんや神奈子さんの時のように、いつか下の名前で呼ぶ仲になれたら良いなぁ、なんて思いながら、新たに目指す野望を一つ増やしておこうか。
……しかし、うっかり自分の本名を名乗ってしまったのを、まさか後悔するとは思ってもみなかった。
というのも八意さんに出会った瞬間に、あのタイミングで亀と遭遇した浦島おじさんとを吟味した結果、本当はおじさんが今ココに居る筈なのでは、という結論に達したからだ。
もしかしたら、自分が浦島太郎と名乗って日本童話を破綻させずに済んだかもしれないのだけれど、今となっては悔やむばかりである。
浦島太郎。
日本の御伽噺の中で、5本の指に入るであろう程の有名な作品。
事の顛末から主な登場人物の名前まで、知らない人など日本には居ないとさえ言い切れるほど知名度のある物語。
ただこの世界では、助けた(拉致られた)亀に連れられてきたのが竜宮城などではなく、恐らく月の都―――蓬莱の国? であるという事。
乙姫様というのはこの八意永琳その人なのではないかという事。
……あれ、東方では綿月豊姫ってキャラが瑞江浦嶋子……だったか? 浦島太郎の元になった人物を匿って云々、といった流れだったような。
ぬぬぬ? 瑞江浦嶋子が既存の人物で浦島太郎が想像キャラで、でも俺はさっきまで浦島太郎というおじさんと一緒に歩いていて、豊姫が乙姫の筈で……。
ダメだ。
考えれば考えるほど泥沼に嵌っていく気がしてならない。
これの考案はもっと落ちついてからにしよう。
その後、八意さんから俺が聞きたかった事を大まかに尋ねた。
真っ先に聞きたかった、あのメカ亀は、何でも地球探索用の端末なのだとか。
他にも鳥や犬といった生物に擬態している物もあるそうで、定期的に地上の情報を仕入れておくのだ、と説明してくれた。
で、万が一壊れた時には、痕跡を残さない為に緊急帰還装置が付属しているのだが、それが発動してしまったのだという。
ただこの機械、妖怪とは相性が悪いらしく、近づくだけで大抵の妖怪は姿を消してしまうのだとか。
調査が難航する訳だぁね。
「過去例を見ないほど急に、天候が変わってしまったの。それなりの自然環境の変化には充分に耐えられる性能はあったのだけれど、許容量を超えた落雷が降り注いできてしまって……」
妖怪の仕業かしら? と、疑問に思いながら対策を練ってるかのように、八意さんは考え込む。
―――こりゃあ早めに謝罪した方が良いのだろうか、それ俺ですって。
……もう少し親密になったらにしておこう(汗
そんなやり取りをしながら、その他諸々な会話に移っていく。
ただ、場所や名称を暈かして言われるのかと思いきや、どれもこれもが恐らく正式な名前である単語が飛び出してくる。
間違っても、竜宮城やら、乙姫やら、海の底。なんてものは、これっぽちも出てきちゃいない。
そもそも俺が地上の人間で、未だ月の文明とは程遠い生活を送っていることなど、微塵も考慮していない話し方だ。
月面都市とか研究室とか、初めて聞く人が居たのなら、ポカンと口をあけてしまう事は必須。
全くの無知で通すのか、その手の単語は知っているものとするか、どう振舞ったら良いのか悩んでしまう。
……というか、ココは月の国。
言語体系が違った筈なのだが、どうして会話出来ているのだろうか。
『八意さんは私の国の言葉が分かるのですが』ってさり気無く聞いてみたのだが、彼女は『この部屋に念波で意思疎通が出来る機能が備わっている』と解説してくれた。
何と、マジ便利だそれ。
異国語を勉強中の人々(主に受験生)にゃあ、百万払ったって欲しい機能かもしれん。
MTGにもそれらしいカード無いかなぁ。あったら国外行きまくりで俺もパーフェクトリンガルになれそうなのに。
―――あったな。それっぽいカード。機会があったら使ってみよう。
「……それで、さっきから気にあっているのだけれど、良いかしら?」
また考えすぎてしまった。
夢中になると周りに気が向かないとは……。八意さんの事を言えないな、こりゃ。
「あ、はい。何ですか?」
「その、あなたの上に浮いている円盤は、何?」
……ぉぅぃぇ。元気そうですね、【ダークスティール】さん(汗
思わず隠すように引き寄せた冷たい金属を抱きしめながら、『やっぱり触り心地は金属なんだな』とか思いつつ。
そういえば、あの時からずっと出ていたんだよなぁ。
これで、巻き込まれ型一般人で通す線はボツになった。
俺の頭上を漂うに浮いていた為に、自身からは全く視界に入らなかったので、それを展開していた事すら忘れていましたよ。
けれど第三者から見れば丸分かりで、むしろ矢継ぎ早に質問攻めをしていたあの状況を考えてみれば、今まで突っ込みを入れなかった彼女は俺を気遣ってくれているのだろうか。
……分からん。分からんが、とりあえず今の発言で身の振り方はある程度決まってしまった。
能力を隠してサッサと地上に返してもらうのも手だと思ったのだが、確か彼女は、ココを知ってしまった瑞江浦嶋子が地上に戻りたいと言った際、『処断なさい』と命令をしたという、冷徹な面を覗かせていた。
その時は、豊姫が規制緩和を申し出て軽減はされたのだが、大切にしているもの以外に対して、無慈悲とも言える判断を下せる人物なのだ。
これで全く興味の沸かない存在だったのなら、同じ判断をする可能性が……。
それに原作とは違い、今回は豊姫の口添えが期待出来ない状況。
もう危険度がレットゾーンに突入していても、不思議じゃない。
ちょっと滞在時間が長くなりそうだが、ここは興味を引く事で、目の前の死亡フラグを回避せねば。
と、いう事で。
「これは……特殊な金属で出来たもので、こっちの方じゃ、絶対に破壊されないって評価がついている代物です」
MTG界では絶対に壊れてないとされている金属、【ダークスティール】。
世が世ならオリハルコンとかダマスカスとかミスリルとか、その手の伝説級金属の名称で通りそうなものだが、同じMTG界ではこれを食ってしまう生物もいるというのだから、何処まで破壊不可を信用して良いものか、悩むところである。
「へぇ、それはまた凄いわね。―――ちょっと試して良いかしら?」
「……ご期待に沿えるかどうか(センセー 目ガ コワイ デスヨー)」
ゾクリ、と背筋に氷柱が差し込まれたかのような感覚が走る。
目線から、興味の対象から実験体へと目線が変わったのが肌で分かってしまった。
突如、八意さんは目の前の空間に手を伸ばす。
そのまま右から左へ手を動かすと、今まで何も無かった空間に光で出来たディスプレイ―――だと思う―――が出現した。
今までアナログ以前の世界に居た身としては、現代どころか超未来―――SFな場所に来てしまった故に、懐かしさよりも未知の技術に対する興味が沸き上がって来る。
そのままキーボードよろしく、ポチポチとタッチパネルを操作するのかと思いきや、ディスプレイに片手を置き、そのままの状態で動きが止まった。
―――ここはタイピングなんて作業は必要無い場所のようだ。
あのパネルに手を置き思案するだけで、それが機械に入力されていくのだろう。
自分の常識が既にローテクになってしまっている事実に、若干の寂しさを感じるものの、身近な時代の変化を感じた代物―――テープがメタルテープに、CDに、MDに、MP3やHDへと移行していった場面を思い出しながら、彼女の作業を黙って見続けていた。
何かの作業に没頭している八意さんを見続けて、しばしの時間が過ぎた。
しばらくすると、何処からともなく電子音のような音が定期的に響く。
目覚ましや携帯の着信音のようなメロディに、何かを知らせる音なのではと思っていると、彼女は、ふいと顔を見上げ、目尻が垂れ下がり、残念そうな表情を浮かべた。
「……もう、良いところなのに……。ご免なさい、用事あったのを忘れていたわ。戻ってきてから続きをしたいのだけれど、構わないかしら?」
「あ、はい、分かりました。どれくらい掛かりそうですか?」
「多分半日は戻って来れないから……そうね。休めそうな部屋へ案内するわ」
『着いて来て』、と踵を返し、真っ白な部屋に突如と開いた黒の出口へと進む。
通る廊下は照明のような物が無く、けれど全体が眩し過ぎず暗過ぎず、適度な光量が保たれている。
だからだろうか。
窓と思われるものは一切無く、歩く道一面は全て壁。
味気ない事この上ないのだが、それも僅かな時間で終了する。
部屋の入り口と思われる窪み。それが音も無く開き、その中へ八意さんは入っていった。
プシュー、とかニュイーンとかすら音がしないというのは、SF映画を見てきた者としては少し物足りないな、と思いながら入室する。
これといった特徴の無い―――良く言うと小奇麗な、悪く言うとプライベートが守られている独房、といった印象だろうか。
「申し訳ないのだけれど、私が戻るまで、この部屋に居てもらう事になるわ。予定外の来客だったから、色々とやる事が出来ちゃって、しばらく掛かるかも」
「お手数おかけます。……あの、俺はいつ元の場所に帰れるのですか? あまり長居するのは避けたいのですが」
「それも含めて、の、色々とやる事があるのよ。戻ってくるだけならあの探索用擬態だけで可能なのだけれど、送るとなると、それなりの設備が必要なの」
どうもこちらを元の場所へと返してくれるような口振りなので、これで死亡フラグは回避したと判断しながら、心の中で、安堵のため息を漏らす。
思ったよりも優しげな彼女の対応に警戒心を緩めて、大人しく待つ事に決めた。
一応、何かあっても動揺しないように心構えだけはちゃんとしておこう。
これからの事についても考えないといけないし、一応繋がっている感覚はあるが、置いてきた勇丸の事も気になる。
「分かりました。じゃあ、少し休ませてもらいますね」
「ごめんなさいね。退屈だとは思うけれど、少し我慢してね」
了解の意を伝え、退出していく八意さんを見送った。
―――第一印象は超美人。
続いて連想されたのが、気遣いの出来る大人の女性という印象。
今まで周りには居なかったタイプなだけに、表面上は普通に受け答え出来ていたと思うが、内心は心臓バクバク状態だ。
白い部屋とは少し色の違う、若干灰色がかった白いベットにどかりと腰を落とす。
良かった、ベッドはベッドのままっぽい、という感想は一瞬にして置き去りにして『超ふかふか!』という思いが心から溢れてきていた。
今までずっと薄い煎餅布団だっただけに、ベッドというものが凄く新鮮に感じられ、それによって転生前での生活を思い出し、結構ノスタルジックな気分になってしまった。
金属製っぽい壁に、ふかふかのベッド。
ガラス―――ではないんだろうが、無色半透明の素材で出来ている、二人掛け用のテーブル。
奥に見える扉と思わしい窪みは、厠か浴室への出入り口だろうか。
生憎と窓の類は一切無いが、下手なビジネスホテルより豪華な作りの部屋だ。
(浜辺での散歩の後は、こういった部屋か専用の食堂での朝食コースだけど……)
さらっと思っていた事が現実になり、けれどこんな現実ならば遠慮しておきたかった、と苦笑を浮かべる。
さて、八意さんは、半日は帰って来れない、と言っていた。
月の頭脳なんて呼ばれていたのだから、きっと色々と忙しいのだろう、と考えてみるものの、これで『あの者は処分すべきです』とか他の人に進言しに行ってたのだとしたら、どうしよう。
もしくは逆に、周りからそういった方面の進言をされたのなら……。
理に適っていれば、彼女は迷わず判断を下す筈だ。
(となると、やばいな……。何よりまずは、脱出用のカードを考えておかないと)
逃げるカード―――今いる場所から移動するものは色々とあるのだが、月から地球までの長距離を移動させてくれるとは限らないのだ。
それに、名前そのまま【脱出】というカードがあるにはあるのだが、これは残念な事に5マナも消費してしまう為、3マナ出力制限の掛かっている現状では実行不可。
何とかして思いついておかなければ、最悪、ここでエンディングを迎えなければならない。
勿論、悪い意味で。
(勇丸も置いてきちゃったし……繋がりを感じるから、無事ではいるんだろうけど、念話が届かないのは困っちゃったなぁ)
けれど、別の見方をすれば、勇丸も、俺との繋がりを認識しているのだ。
残念な事に言葉は話せないが、頼りになる相棒の事だ。
俺が無事なのを周りに伝えてくれているだろう。
(戻るまでの辛抱だからなぁ、勇丸。それまではそっちで……ちょっと時間を……ふぁ……)
頭上に浮いたままの【ダークスティール】を眺めていると、久々のふかふかな寝心地のせいか、急激に睡魔に襲われる。
体内時計では朝方なのだか、こちらはきっと夜なのだと思う事にして、夜なら寝ないとね! って訳で掛け布団を捲り、その中に入る。
やっべ超ふかふかマジこれやっべぇよホントふかふか2年ぶり位かどうせすぐ起きるだろうしその時に色々考えれば良いやふかふかだぁふかふか柔らか~Zzz……。
長く生きていると、様々な出来事が起こるもの。
思い起こせばきりが無いけれど、ここ最近はとんとその手の話には疎くなった。
けれどその更新も今日で終わる。
白。
初めの印象はそれだ。
滑る様な白い外套を羽織り、同じく白のシャツを身に着けた男。
地上では、このような服装が主流になりつつあるのだろうか。
前に調べた時は、植物や動物の皮で作られた単純な作りものものだけだったが……。時代の移ろいは早いものである。
帰還させた探査機達の情報を整理してからだが、今行っている研究を修正しなければならないだろう。
「永琳が忍び笑いなんて珍しいわね。何か良いことでもあった?」
鈴を鳴らしたような声。
華奢という言葉の言葉が良く似合う―――立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。そんな、とある地上の言葉がピッタリだろう。
私ほど体にメリハリがある訳ではないが、黄金比とも呼べる絶妙さを体言しているこの子は、月の姫。
蓬莱山 輝夜。
それが、私の教え子のうちの一人。
「ええ、先日から地上へ向かわせていた探索機を回収したのだけれど、うち一体に面白いものがついてきてね」
「定期的に地上を調べているっていう、例のあれよね。……それで、それはどんなものかしら? 鉱石? それとも何かの化石? 大概のものなら既に、そうなる前の段階で、見ているでしょうに」
「どれも外れ。―――正解は、人間よ」
「……永琳ったら、長年に渡る心労が祟って、とうとうネクロフィリアに目覚めちゃったのね。共感は出来ないけれど、否定はしないわ。人それぞれですものね。……あ、でも私にそれを求めないでね。流石にそっちの趣味へは、まだ早いと思うの」
「違うわよ。ちゃんと“生きている”状態ですもの。質疑の応答も、呼吸も瞳孔も、その他諸々体の不具合全部異常な箇所はなし。正真正銘、健康な人間よ」
「……あの転送装置を経由してここまでこれる時点で、ただの人間なのか怪しいところよ。ちゃんと調べたの?」
「それはこれから。あまりに普通過ぎて、地上のスパイなんじゃないかって疑うのも馬鹿らしくなってしまうわ」
―――月の民は、昔、地上に住んでいた。
けれど時が経つにつれ“穢れ”が蔓延。
それから逃れるべく生まれ育ったそこを捨て、月へと移住した。
以後、再び穢れの脅威に晒されぬよう、鉄壁とも呼べる体制で事に当たっている。
その一つが、浄化。
地上から持ち込まれるものには全て穢れが付着しており、それを除去する手段として特殊な光を照射し、対象にぶつける。
けれどそれはあまりに強すぎて、過去生物でこの光線を浴びた中で生きている者は居ない。
―――いや、居なかった。
探査機の帰ってきたあの部屋には、帰還した瞬間、穢れを払う為に特殊な光を照射する機能が備わっている。
作動しなかった訳ではない。
だから……生きた状態で月側の土を踏むのは不可能だった筈なのだ。
それを、あの男は何事も無かったかのように存在していた。
まるで、自分が何故ココにいるのか分からない、といった様子の彼―――九十九は、何処にでも居るような、少し間の抜けた男性だった。
何か主張がある訳でも、強い意思を持っているようでもなく、ただ普通に生きてきたかのような。
そのような人間が、何故、あらゆる穢れを払う光を受けても無事だったのか。
興味が尽きない。
いっそ、今この場を放り出して、彼の元へと駆けつけたい位に。
どのような条件が彼を存命させているのか……体中を開いてでも調べてみようかしら。
「あなたは素晴らしい師だけれど、たまに自分の考えに没頭し過ぎて、周りを蚊帳の外にするのはやめてほしいわ」
「あら、ごめんなさい。最近、これといった刺激が無かったものだから、つい」
「……何よ、私達の相手だけじゃ不満だって言うの?」
「手の掛からなくなるよう教育する事が目的ですもの。こういった流れは当然だわ。それに、綿月達に比べれば、未だに手の掛かる子は、あなただけよ? 輝夜。あの子達はもう、政治や軍部でその手腕を発揮しているわ」
「あの子達が、がんばり過ぎなだけよ。……永琳。あの子達が、あなたを見る目って、よく観察したことある?」
「あるわよ。真剣に私の教えを取り込んでくれている様で、師としては嬉しい限りね」
「……時折、依姫が、熱の入った目線を向けているのだけれど」
「勉強熱心で嬉しいわ。あなたも、それ位にきちんと物事に取り組んでくれるのなら良いんですけどね」
やれやれ、とでも言いたげに首を竦めながら、輝夜は手元の植物を手折って、工芸を再開した。
何よ、熱心なのは良い事なのよ? あなたにもそれが分かってくれる日が来ると良いのだれど。
「もうこの関係は百年、二百年じゃないのよ? 今更そうそう変わるものでもないわ」
「……流石に長く付き合っているだけあると、私の考えも分かるのね。だったらこの気持ちに答えてみよう、なんて思わない?」
全然。
そう、輝夜は私の気持ちをバッサリと切り捨てる。
今に始まった事ではないけれど、この中途半端な無気力さは、どうにかならないものだろうか。
―――私の教え子は、現在三人。
一人は綿月豊姫。
温和な性格なれど、確固たる意思があり、それの範囲内で可能な限り―――楽をする子。
一人は綿月依姫。
真面目で誠実な正確で、私の教えを誰より熱心に学んでいる子。
最後の一人が、この蓬莱山輝夜。
心技体、どの方面でも優秀な成果を出すものの、飽きたものに対しては極端に興味が無くなる、継続力が問題な子。
ゆくゆくはこの子に仕えるのだけれど、この、飽きたらすぐに物事を投げ出す癖は、いずれ矯正しなければならないだろう。
今ではここでの全てに興味を失ってしまい、穢れてしまった地上に、その興味の対象を移している始末。
これで『その人間を見てみたいわ』なんて言い出した日には、どう静止したものか。
「そうだ。永琳、その人間と私を、会わせて頂戴」
「……今、あなたがそう言い出したら、何と言って止めようか、悩んでいた所なのだけれど」
「じゃあ、諦めなさい。別に取って食おうって訳じゃないわ。未知の経験を積む事で、新しい発見や発想が生まれるのは、良くある事よ?」
「はいはい、暇を潰したいのが丸分かりよ。―――分かった。会わせてあげるけど、今すぐはダメよ? 彼の事を調べ終わってから、なら構わないわ」
「へぇ、彼……か。男なのね。どう? 格好良かった?」
「……あまり印象に残る程の個性は無いわね。衣類は白が目立っていたけれど、造形は不出来でもなければ出来が良い、と言い切れる程でもない。背丈が多少高い位かしら」
「なぁんだ。永琳にも、とうとう異性として隣に立つ人が出来たのかと思ったわ」
「見た目で興味を惹かれはしなかったけれど、中身は面白そうよ? 彼、何でも“絶対に壊れない”っていう円盤を中に浮かせていたのだもの。地上でそんな物質は無かった筈だから、人間の能力持ちなのかもしれないわね」
「……その能力って、安直だけど、『絶対に壊れない能力』かしら。永琳、彼ってその能力で自分を守ったんじゃないの? で、その円盤とやらも破壊不可能に出来るとか」
「ありうるわね。……―――ダメ、もう我慢出来ないわ。今日は早めに切り上げる事にします。今取り組んでいる課題を終わらせれば、後は好きにして良いわよ。上には自習という事で通しておくから」
「ちょっ……幾ら何でも、唐突で、しかも投げやり過ぎじゃない!?」
そんな声を背に受けながら、私は踵を返す。
足早に退出する様子に不満の声を上げる輝夜だったが、今の私はその程度では止まらない。
数百年ぶりに出会った、興味の尽きない観察対象―――もとい、実験体―――ではなく、生贄―――……ん?
……おほん。
兎も角、長年に渡る倦怠感を、一風してくれそうなモノが見つかったのだ。
ゆっくりと時間をかけて楽しむのも良いが、少し位は好奇心に身を任せて、前のめりになっても、問題ないだろう。
何せ、“絶対に壊れない”かもしれないのだ。
それが精神面でなのか肉体面でなのかを調べると共に……両方であったのなら、どんなに心躍る出会いになる事か。
今日が、輝夜の教鞭を取る仕事だけだったのは幸いだ。
これが綿月達ではなくて良かった。
もし彼女達なら、真面目に話を聞いてくれる分、途中で投げ出すといった、誠実さに欠ける真似は出来ない。
そうして私は、いつも訪れている、蓬莱山の大屋敷を抜け出した。
日頃の行いが良いお陰で、すれ違うこの家の人々は、いつもより早めに切り上げる事に対しても、一切追求は無い。
逆に、『お疲れ様です』『今後とも宜しくお願い致します』などと言われ、少し良心が痛む。
けれど、課題は既に今日教える分は与えてきたのだし、問題は無い。
自分の中で、そう判断を下した。
弾む心を抑え切れず、足早に帰路へ向かう。
久々の感情の高ぶりに、はて、この思いは何年ぶりだったかと考えを僅かに巡らせる。
地上から脱出する為の計画を練った時? 月の都の建国を助力した時? それとも綿月達や輝夜と出会った時だろうか。
何にせよ、数百年ぶりの機会だ。
出来うるだけこの気持ちを継続出来るよう、私は全ての英知を以って、人生の暇つぶし―――この命題とも言える難題に、取り組むとしよう。