[20]小さな王(前編)
「あり得ないわ」
眼前に立つ金髪少年に対して、ルイズは告げた。
「若返りの薬とかいう、胡散臭い道具のことは、まあいいわ。アンタが一般常識を無視して何かしでかすのはいつものことだしね。
けどね、あの金ぴか暴君の子供時代が、こんな可愛げがある子だなんて絶対にあり得ない。進化の秘法とか、神様に脳でも改造されたんじゃないの」
「あやや。ひどい言われようだなぁ。ま、振り返ってみると、自業自得な所が多すぎるので、あんまり反論も出来ないですけどね」
アハハ、と気楽に笑って、少年は言葉を返す。
そう、この金髪の少年こそ、かの英雄王の幼年時代の姿。
若返りの秘薬にて変身したお子様たちのカリスマ、子ギルである。
「まあ、お姉さんはボクのことはあまり気にしなくてもよいですよ。今回のボクは基本、傍観者の立場でいますから。一応壇上には上がるけど、主演には立ち会わない、みたいな」
「?よく分からないけど、とりあえず私の任務の邪魔はしないってことね」
「ええ。どんな行動指針でも文句は言いません。お姉さんは自分の考えで、御勤めを頑張ってください。
ところで、お姉さん。早速ながら聞いておきますけど、今後の事について何か行動指針は立っているんですか?」
尋ねられて、ルイズはグッと言葉を濁した。
現在のルイズは、完全なる無一文状態。
おまけに潜入任務だというのに、その潜入する場所の目処さえ立っていない状態だ。
行動を起こそうにも、その最初の一歩からして、すでに足場を見失っている有様である。
「はぁ・・・、仕方無いなぁ。まぁ、前座の段階からいきなりモタついているのもどうかと思いますし、少しだけ手助けしてあげます」
「え?」
「お姉さんはここで待っていてください。とりあえずボクが、最初の道筋くらいは探してきてあげますから」
そう言い残して、この場を去っていくギルガメッシュ。
残されたルイズは、広場の噴水などを眺めながらギルガメッシュが戻るのを待った。
それから一刻ほどが過ぎたころだろうか、ギルガメッシュが戻ってきた。
異様に妖しげな格好をした、大男を引き連れて。
「こんばんは。あなたがルイズちゃんね」
女のような言葉使いではあるが、間違いなく目の前にいるのは男である。
黒髪はオイルで撫でつけられ、露出度の高い服装の胸元からはモジャモジャの胸毛が溢れだしている。
鼻の下と見事に割れた顎には小粋な髭を生やし、たらこのような唇には口紅まで塗ってある。
鍛え抜かれた筋肉と、全身から漂わせる強い香水の香りが何ともミスマッチだった。
「はじめまして。わたくしの名前はスカロン。この近くで『魅惑の妖精』亭っていう宿を営んでいるの」
「は、はぁ、そうなの・・・。ところで、あなたは何をしに・・・?」
尋ねてみるが、聞いていないのかスカロンは答えない。
しばらく待っていると、唐突にスカロンは広場の真ん中で泣き始めた。
「辛かったでしょうね・・・。でも、もう大丈夫よ。このわたくしが、羽を折られた哀れな妖精ちゃんを助けてあげるわ」
乙女のようにほろほろと涙を流して、スカロンは懐から出したハンカチを噛み締める。
腰がクネクネと蠢いていて、はっきり言ってかなり気持ち悪い。
「あの、一体なにが・・・」
「言わないで。・・・分かっているわ」
何が分かっているのだろう。
少なくとも、自分は何も分かっていない。
「苦労したのね・・・。分かる、分かるわ。若いのに、そんなに疲れた顔をして。これまでの苦労する姿が目に浮かんでくるようだわ。何だか馬糞みたいな臭いもするし」
「いや、もうそのネタはいいわよ」
「でも、安心して。このわたくしが、あなた達を暖かく迎え入れてあげるわ」
どうもこっちの話は聞いてもらえないらしい。
勝手に話を進められていき、流されるままに付いて行かされる。
「ありがとうございます、スカロンさん」
その道中では、ギルガメッシュはスカロンに感涙を顕わとした眼差しを向けていた。
「こんなボク達に、こんなにも優しくしてくれる人がいたなんて・・・。ああ、僕やお姉さんの世界から、慈悲は失われていなかったんですね」
「いいのよぉぉぉ、ギルちゃん。あなた達はもう、何も苦労することはないの。ぜんぶ、このミ・マドモワゼルにお任せなさい」
「スカロンさん・・・。ボク、あなたに会えてよかった」
感動した面持ちのギルガメッシュに、クネクネと猫なで声で答えるスカロン。
何やら意志疎通の出来ている二人に完全に置いて行かれる形で、ルイズはその後に続いて行った。
「どうして潜入場所がよりによってこんな下賤な酒場なのよっ!!」
あてがわれた二階の空き室の真ん中で、ルイズが叫ぶ。
対面にはベッドに腰かけるギルガメッシュの姿があった。
『魅惑の妖精』亭。
二階以降は宿泊客に提供される宿屋で、一階では居酒屋を営み、そちらこそを本業としている。
また店員はほぼすべて女の子だけで構成されており、それぞれが派手な衣装に身を包んでいる。
酒の質はともかく、可愛い女の子が給仕をしてくれるというので、なかなかに繁盛している様子だった。
女の子はただ給仕をしているというだけで、何もいかがわしい行為をしているわけではない。
しかし、名門貴族の娘として淑女の教育を受けてきたルイズには、十分に下賤な店に映ったようだ。
「こ、この私が、おそれおおくもラ・ヴァリエール公爵家の三女であるこの私が、平民相手に媚を売って酌までしろっていうの!?店長も変態だし、アンタ絶対悪意でこの店選んだでしょっ!!」
「ひどいなぁ。僕は純粋にお姉さんのためを思って選択したんですよ」
怒り心頭のルイズにも動じず、小さな英雄王は余裕の態度で受け流す。
「酒は惰性への誘いです。陶酔した人間は警戒を鈍らせ、心の禁固を緩ませます。民の本音を聞くのなら、酒盛りの席は絶好の場でしょう。スカロンさんが変態なのは事実ですが、別に悪人というわけじゃない。信頼できる人間だと思いますよ」
「ゔっ・・・」
反論できず、ルイズは口ごもる。
確かに情報収集という点において、酒場というのは打って付けだ。
スカロンの事も格好の不気味さはともかく、悪い人間には見えなかった。
「屈辱は臣下の宿命ですよ。それをグッと堪えて、尽くしてみせてこそ忠節の臣と言える。お姉さんも、ここは聞き分けましょうよ」
「わ、わかってるわよ」
そう言われては、文句など言える筈がない。
アンリエッタの臣下として仕える事を誓ったのは、他ならぬ自分自身なのだから。
「ところで、アンタ一体どんな事情を説明したの?挨拶の時、みんなこっち見て涙ぐんでたわよ」
先ほど店員の女の子達の前で挨拶を行った時のことを、ルイズは思い出す。
こちらを見る誰もが、とても同情的な眼差しを向けていた事を覚えている。
それもハンパな同情の仕方ではなく、こちらの方がむしろ気押されたほどだ。
「大したことじゃありません。真実と虚言を交えた、ちょっとした空想ですよ。虚言を隠すには、真実を織り交ぜた中に潜ませるのが一番有効ですから。まるっきり嘘ってわけでもないので、割と筋も立てられますし」
随分と軽い様子で言ってくる。
皆の反応を思い返すと、とてもそんな軽いものだとは思えなかったが。
「さて、ボクがしてあげるのはここまでですよ。これ以上の事は、ボクは一切協力するつもりはありません。明日からの事は、お姉さんにお任せします」
「分かってるわよ。この任務は、私が陛下から受けた任務なんだから」
ルイズとギルガメッシュは、この店で働いて下宿させてもらうことで話がついている。
今日の所はこれまでの道中の疲れを労う意味で休みとされていたが、明日からは本格的に労働に参加することになっていた。
「見てなさいよ。私は女王陛下専属の女官。見事に陛下から与えられた任務をやり遂げてみせるわ」
しかし、現実はそう甘くは無かった。
名門の公爵家、その三女として性根の先端まで貴族として育てられてきたルイズ。
そこで培われてきた自尊心が、平民相手に頭を垂れることを許さない。
例え任務のためと分かっていても、どうしても屈辱と激情が先行してしまうのだ。
おまけに、ほとんど女の子を目当てにやってくる客達は、下品な男ばかり。
品性の欠片も感じられない下郎共を相手に、ルイズの実に細い堪忍袋の緒はあっさり切れた。
「じゃ、ワインは口うつしで飲ませてもらおうか。それで酒こぼした件はチャラにしてやるよ」
その客には、ルイズは口に含んだワインを吹きかけてやった。
「おいおい、この店じゃあ、こんなちんちくりんのガキまで働かせてるのかよ」
その客には、壜ごと酒を飲んでいただいた。
「ききききみって、かかかかわいいねぇ。ななななかなか、そそるよぉ。おおおお金ならあげるから、どどどどう、今夜?」
その客には、必殺の右ストレートを炸裂させた。
そんなこんなで、給仕としてのルイズの愛想は最悪であった。
「ちょっと、ルイズちゃん」
さすがに見咎められて、スカロンに呼び出された。
「困るわよぉ~、あんなにお客様を怒らせたら。ルイズちゃんも他のみんなみたいに、要領よく立ち回らなきゃ」
怒られて、ルイズはスカロンと共に店の隅っこで他の店員の女の子達の様子を見学する。
他の女の子たちは、なるほど、さすがに慣れているだけあって巧みであった。
ニコニコと愛想良い微笑みを常に浮かべ、なにをされても怒らない。
スイスイと上手に会話をすすめ、男たちを褒め、そして触ろうとする手を優しく掴んで触らせない。
そんなつれない態度の女の子達に、男は気を引こうとチップを奮発するのである。
(あんなこと、できるわけないじゃない)
自分がああしている姿を想像して、恥辱からルイズは唇を歪めた。
「ホラ、ギルちゃんの方を御覧なさい。あんなに上手くやっているわ」
「え?」
きょとんとして、ルイズはスカロンの指す方を向く。
スカロンの指す先には、確かに幼年体のギルガメッシュがいた。
あんな子供の姿の、しかも男であるギルガメッシュまで、給仕の仕事をしている。
てっきり裏方に回って、皿でも洗っているのかと思っていたのだが。
「なんだ、この小僧は。こんな子供に給仕をやらせるとは、ふざけているのか」
酒を運んできたギルガメッシュに、さすがに客も怒りだす。
実際はともかくとして、見た目幼年にしか見えないギルガメッシュを使うなど、ふざけているとしか思われないだろう。
「す、すいません、お客さん。ボクが店長に、無理を言って働かせてもらっているばっかりに・・・」
しかし、そこからがやはりギルガメッシュの常人とは違うところ。
涙ぐんで潤んだ瞳、小さい身体の弱々しい仕草が、客の良心をピンポイント爆撃する。
その姿に、怒り心頭だった客は「ゔっ・・・」と良心の呵責に苛まれ、怒りを納めた。
「な、なにか事情でもあるのかね・・・?」
口調も穏やかにして、貴族らしい風貌の男はギルガメッシュへと尋ねる。
思惑通りに相手の方から尋ねさせることに成功し、ギルガメッシュは内心でほくそ笑む。
こういった相手の心情につけこむ話は、自ら語り出すより相手に尋ねさせる方が遥かに効果は高い。
こちらから切り出す話は、当初の相手の関心が薄く、話の中に引き込むのはなかなか難しいのだ。
反面、相手の方から尋ねられた話は、始めから相手の興味を掴んでおり、そこから話の中に引き込んでいくのは容易である。
そんな内心の思惑は露ほども面に出さず、涙ながらにギルガメッシュは語り出した。
「はい。実はボクは、さる由緒高き貴族の元で―――」
それより語られるのは、聞くも涙、語るも涙の、一人の少年を主役とした物語。
少年が辿ってきた苦難の日々、その中で出会う人々との触れ合い、そして別れ。
流転する運命は少年のか細き身を容赦なく呑み込み翻弄し、しかし少年は挫けず歩み続ける。
少年の語る己が生き様、その勇気ある姿には感動を覚えずにはいられない。
まさしくそれは、シェイクスピアも脱帽の健気で瑞々しい感動の物語だった。
言うまでもないが、すべてギルガメッシュのでっち上げ嘘八百である。
「くぅお・・・っ!!そうか、そんな事が・・・」
話に聞き入っていた貴族の男が、ボロボロと涙をこぼす。
いや、彼だけではない。
いつの間にかギルガメッシュを中心に囲むようになっていた他の客や店員達も、同じように感涙の涙を流していた。
「そうかぁ、わけぇの。苦労したんだなぁ」
「大変だったんだねぇ、ギルちゃん・・・」
「それに比べて、俺達は一体何をやってるんだ・・・」
所々からギルガメッシュに対する同情の声が上がる。
この場に居る誰もが、彼の語る生き様に涙し、心を震わせているのだ。
幼年の身となってなお衰える事の無い半神半人の魔性のカリスマ。
これほどまでに人心を引きこんだ状況は、単に物語の完成度だけで成し得るものではない。
重要なのはその語り部、他者を惹きつけて止まないギルガメッシュの仕草のひとつひとつ、その魅力である。
まさしくこの場は、ギルガメッシュ唯一人の主演舞台。
彼の語る物語は聞く者にとっての真実となり、彼の漏らす悲嘆はあらゆる者の悲哀を誘う。
この瞬間、この場を支配している者は、間違いなくギルガメッシュであった。
「・・・君の事情はよーく分かった。これは心ばかりの、私からの手向けだ」
そう言って貴族の男は、金貨の入った袋をギルガメッシュへと差し出す。
その量は、明らかに通常のチップの相場を遥かに越えていた。
「俺からも受け取ってくれ」
「なら、これは俺からの気持ちだ」
「私からも、どうか受け取ってくれたまえ」
一人のチップを皮きりに、他の客達も次々に金貨のチップを差し出していく。
気が付けば、ギルガメッシュの前にはちょっとした金貨の山が出来あがっていた。
「そんな・・・、けど、ボクは・・・」
チップの山を前にして、しかしギルガメッシュはなかなかそれを受け取ろうとはしない。
戸惑ったように視線を泳がせ、言葉を濁している。
その様子に、他の者達は怪訝そうな視線を向けた。
「人に親切にされるのって、慣れてないから・・・」
そして全員の視線が注目した所を見計らい、最後に締めの一言。
俯きながらのその仕草がまた、薄幸の美少年の雰囲気を醸し出し、皆の良心を絡め取る。
気が付けば、チップの山は二つになっていた。
「あ゛―・・・」
その様子を、ルイズは店の隅からただ呆然と眺めていた。
もはや言葉さえない。
口からの出任せも、あそこまでいけばいっそ清々しくある。
というか、これはどう見ても給仕がチップを受け取る場面だとは思えない。
ほとんど詐欺ではないだろうか。
皆からの厚意に、ギルガメッシュはパァと嬉しそうに微笑んで見せている。
その微笑みはまるで天使のようで―――それ故に、真実を知る者としては絶対に信用できない笑顔であった。
とはいえ、真実を知らない者には、それはまさしく魔性の微笑み。
疑いなど微塵と見せず、その笑顔に心酔して、皆で彼の事をもてはやす。
この場の流れは、完全にギルガメッシュが掌握していた。
と、その時、ギルガメッシュとルイズの視線が、ふと合った。
誰にも顔が見えない角度、その位置を計算し、ギルガメッシュはほんの一瞬だけ小悪魔的な笑みを浮かべ―――
「ゲット」
一言、そう言った。
「素晴らしいわ、ギルちゃん。さあ、ルイズちゃんもギルちゃんみたいに―――」
「出来るかぁぁぁっ!!」
結局、この日は散々だった。
あの後もルイズの態度は改善されることはなく、トラブルを起こしまくった。
すぐキレるわ、注文は取らないわ、ケンカはするわで、客を怒らせること十数人。
はっきり言って、店にとって迷惑以外の何物でもない。
「お姉さん、しっかりしましょうよ~」
同室する部屋のベッドに腰掛け、気楽に格好を崩したギルガメッシュが言った。
「だって、しょうがないじゃない」
対面で椅子に座るルイズは、憮然とした面持ちで答える。
「私だって、何とか愛想よくしようとしたわよ。けど、アイツらの下品な物言いを聞いてると、つい口が勝手に動いちゃうんだもの」
「口を聞かないようにしてみたらどうですか?笑顔だけ浮かべて、後はあまりしゃべらないようにして」
「試してみたけど、そしたら口の代わりに足が出てたわ」
「じゃあ、足も封じてみたら?」
「それもやってみたけど、次は手が動いてたわ」
「・・・それも動かさないようにしたら?」
「・・・酌が出来なくなったわ」
困ったように肩を竦め、ギルガメッシュはハァと溜め息をひとつ。
「なんかもう、本当に手の施しようがないですねー。ほとんど末期症状です」
「う、うるさいわねっ!!そういうアンタこそどうなのよ。確か昨日は協力する気はないとは言ってなかった?」
「そうですが、まあボクもやるからには、店の利益に少しは貢献しようかと思いまして」
店の中心にチップの山を築き上げた少年は、実に気楽な調子でそう言ってくる。
何事もやるからには大きく済ませなければ気が済まないのは、やはり彼がギルガメッシュである由縁であるのだろう。
「・・・これでも、私だって頑張ったんだから」
そんなギルガメッシュの功績に押されながら、俯き気味にルイズは言う。
確かに、ルイズはルイズなりに努力をしていた。
常時ならば、自分に付き従うのが当然である平民相手の給仕。
心が破裂しそうな屈辱にも耐えて、それでも女王陛下のためと思い、何とか打ち解けられるよう努力したのである。
しかし、それでもやはりこれが限界だった。
公爵家の三女として、これまでの人生のすべてを貴族として生きてきたルイズ。
人の上に立ち、従者を従わせて、忠義を尽くす王家のために力を尽くしていく。
そんな気高く誇り高い在り方こそが、ルイズの目指すべきものであり、本当の貴族の姿だ。
だが、今の自分の姿は、そんな理想の姿からは程遠い。
「そう何度もフォローはできませんよ。今日のことだって、ボクの上げた利益で何とかお茶を濁せましたけど、そう長くは続きません」
「・・・もういいわよ」
投げ遣りな口調でそう言って、ルイズはギルガメッシュの座る方とは別のベッドに向かう。
そしてそのまま、身体を投げ出してベッドの上に横になった。
ひどく、疲れていた。
身体が、ではなく、精神的なものが。
つい昨日の、女王陛下の女官として認められた時のことを思い出す。
あの時は、ただ自分が他人から認められたことが嬉しくて、ひたすらに舞いあがっていた。
向けられた期待に応えられるよう、これからの事を思い奮起し、そして輝かしい未来に希望を持っていた。
だが、この体たらくは何なのか。
女王より受け取った活動費は、つまらない賭博のせいで失い、与えられた任務も満足にこなせない。
そしてその失敗を、よりにもよって使い魔にフォローを入れられている始末。
使い魔とは、元来メイジにとってのパートナーであり、忠実なる従者だ。
使い魔を使役するのはメイジであり、その能力を十二分に引き出してやることこそ、メイジの務め。
互いに互いを助け合い、高め合ってこそ、真のパートナーと言える。
確かに、ギルガメッシュの事は通常の使い魔の計りに入れて考えるべきではないのかもしれない。
だがそれでも、今の状態はひどく滑稽に思える。
これではまるっきり、使い魔に子守りをされているようではないか。
「・・・ハァ」
情けない思いを、溜め息を共に吐き出そうとする。
気が付けば、ギルガメッシュの姿が部屋の中から消えていた。
探しに行こうか、と一瞬考えたが、自分がギルガメッシュの心配などおこがましいと思い、やめた。
(大人でも子供でも、結局アイツは何でも一人でどうにかしちゃう奴なのよね)
それに比べて、自分は何なのか。
再び自分のことが情けなく思えてくる。
ベッドの中で、ルイズはアンリエッタより手渡された、女王の女官であることを証明する許可証を取り出す。
ギルガメッシュにより二つに裂かれたそれには、真ん中にくっきりと縫い目が走っている。
その滑稽な姿が、今の自分にはよく似合っているように思えて、ルイズは思わず苦笑した。
その時、ドアが開く音がして、何者かが部屋に入ってくる。
振り向くと、ギルガメッシュが戻ってきていた。
「お姉さん。食事ですよ」
ギルガメッシュの手には、食事の乗ったお盆があった。
パンが二切れに、質素な野菜のシチュー。
貴族としてルイズが食べてきた食事とは比べようもないほどに貧しい食事だった。
「スカロンさんが作ってくれていました。お姉さん、さっき食事取って無かったでしょ。ダメですよ、ちゃんと食べないと」
「・・・いらない」
空腹は感じていたが、何かを食べる気分ではなかった。
そっぽを向いて、ルイズは布団に包まる。
「もう、そんなことじゃあ身体を壊してしまいますよ。栄養はキチンと取っておかないと」
「いらないったら、いらない」
諭すように言ってくるギルガメッシュに、ルイズはムキになって拒絶する。
自分のためだとしても、彼の哀れんだ態度に、余計に反発を覚えてしまう。
それが理不尽な感情だとは理解していたが、それでもルイズにはどうしようもなかった。
「・・・まぁ、お姉さんの気持ちも分かるんですけどね」
「・・・え?」
ギルガメッシュの口調が変わる。
それまでの上の目線から諭すのではなく、ただ淡々とした口調で、ルイズに言葉を投げかける。
「お姉さんは貴族、他人の上に立つ種類の人間だ。その在り方が身体の隅々まで染みついて、今の状況に適応できないでいる。お姉さんにとっては仕事というのは他人を使って行うものであり、自分の手で行うものじゃない。特に、名誉などとは程遠い雑務などはね。違いますか?」
確かに、その通りだった。
ルイズの出身は公爵家、トリステイン有数の権威を誇るラ・ヴァリエール公爵の三女である。
従者を使いまわすことは、それこそフォークとスプーンの扱いほどにも慣れていたし、貴族が平民の上に立つ存在であることも教育を受けて自覚をしている。
雑事など、自分の手で行おうと思ったことすらない。
「それがルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの人生だ。その生き方が、貴族と平民の二つを格差する。理屈ではなく、魂そのものが。貴族として上に立ち、その下にある平民を使う事に慣れ過ぎている。もはや習慣と言ってもいいでしょう。そしてそこには迷いがない。
ああ、それは決して悪いことじゃない。人の上に立つ者として、それは必要な技能だ。他人に対する平等意識があると、命の取捨選択が出来なくなる。結果、いざという時に判断を曇らせ、あげく全てを台無しにしますから。自他の区別を明暗にできない人間に、支配者たる資格はありません」
前記した通り、ルイズのこれまでの十六年の人生は、貴族としての人生だった。
貴族とは平民の上に立つ存在、そしてその平民を導いていくべき者達。
貴族が平民を使役するのは当然のことであり、そこに疑問を指し込んだことはない。
だがらこそ、今の状態がルイズには過大な歪みとなってのしかかってくる。
これまで使役する側だった人間に、いきなり使役される立場になったのだ。
そう簡単に適応など、出来る筈がない。
「けれど、それだけでは上に立つ人間として三流です。上に立つ者は、自分の視野の他に、みんなと同じ視野も持ってなくちゃいけません。そうでなくては、支配者はその部分に大きな隙を残すことになる。
人生とは、経験の積み重ねです。人が真に自らのものとして刻みこめるのは、自らが経験した事のみ。知識だけでは、実感として乏しいですから。
初めから上で在った者、下等の人間であった経験のない者は、その方面に対して無防備です。結果、時折大きな間違いを犯してしまう。下の者の視野を持たない人間に、本当の意味で人を使いこなすことはできません」
「・・・つまり、私が平民のように振る舞うことが、私にとっての利点になるっていうの?」
「そう考えれば、耐え忍ぶのも苦ではないでしょう。経験が実感を生み、あなたという存在を強固とするんですから」
そう言われれば、確かにそうかもしれない。
今日のことだって、これまでの自分ならば少しも省みなかったであろうこと。
給仕の立場となった視野など、それこそ思い巡らす機会も無かっただろう。
しかし、その経験が自分のためになると言われても、正直あまり実感が沸かない。
どうして自分が、という気持ちがどうしても先行してしまう。
経験が力になるのは分かるが、必要のない経験などいくら溜めても仕方無いようにも思える。
自分が平民のように振る舞えるようになったとして、それで一体何が変わるというのか。
「共感しろと言うんじゃない。ただ理解だけはしておくべきだ。要は折り合いをつけろ、という事です。肥大し過ぎた誇りは、単なる傲慢しか呼ばない。自らに引いた境界を超えない限り、ある程度の自粛は必要だと思います。
必要のない屈辱ならば、多少の無理を通すのはいいでしょう。阿るばかりを繰り返していては、それが在り方として染みついてしまう。それは最も避けたいことだ。ですが、必要のある屈辱ならば、それを甘んじて受け入れるのも覚悟の内です」
ギルガメッシュの言葉は、正鵠を射ている。
ルイズが上手くいかないのは、結局のところ屈辱の感情が原因である。
平民や、遥かに身分の低い貴族に対し媚を売る自分。
そんな自分の姿が、ルイズにはどうしても許せないのだ。
だが、そのままではいけないということも、やはり分かっている。
忠義を重んじるならば、この程度の屈辱などどうという事はないはず。
それなのに上手くいかないのは、やはり自分の覚悟が足りないからなのか。
「そんなに思い悩むことではありませんよ。屈辱などお姉さんにとって、すでに乗り越えてきたものじゃあないですか」
「え?」
「貴族なのに魔法が使えないという恥。『ゼロ』という名の汚名。それはもう、あなたが過ぎてきた道だ。それを思えば、今さらこの程度の屈辱、なんということはないでしょう」
ルイズはハッとした。
屈辱の日々というのなら、確かについ最近までの自分がそうだったのだ。
魔法が使えず、皆から『ゼロ』と嘲笑される日々。
親からは失望され、使用人たちにすら同情の対象となる。
その日々の屈辱に比べれば、この程度のものはどうということもない。
しかし、ルイズはその日々より解放された。
屈辱は栄光に変わり、女王陛下に認められて、これからの未来に希望を懐いていた矢先だった。
その懐いていた期待との落差が、ルイズの心を常時以上に揺さぶったのだ。
「なんだかんだ言っても、お姉さんは努力というものを知っています。数日どころではない、何年もの苦渋に耐えてきた経験は、お姉さんに確かな何かを与えている。それがある限り、お姉さんは大丈夫ですよ」
その保証は、嬉しかった。
他人に自分の何かを認めてもらうということは、それだけで大きな励みになる。
ルイズはこの優しげな少年に、素直に感謝の念を懐いた。
「その・・・ありがとう。いろいろと、気を使ってくれて」
青年体相手では決して言えないだろう謝辞を、ルイズは口にする。
感謝を受け取り、ギルガメッシュは好意的な笑顔を浮かべて―――
「せっかくの契約の縁です。お姉さんには、大成してもらいたいですからね。・・・傍観者の立場からすれば」
最後の一言だけが、ひどく冷たく響いた。
この少年がギルガメッシュと名乗って現れた時、正直ルイズには信じられなかった。
目の前にある少年と、自分の知る傲岸不遜の使い魔の姿は、あまりに隔たっている。
確固たる証拠を見せられた後でも、実感は出来ていなかった。
だが今の瞬間、目の前の少年とギルガメッシュの姿が重なった。
その感覚に、ルイズは直感的に悟る。
青年と少年、同一の人物とは思えないほどに正反対な、二人のギルガメッシュ。
その正逆なはずの二人は、しかし君臨する地点において全くの共通であると。
ギルガメッシュと共に在る事で、時折感じる存在の隔たり。
自分は彼を対等に見ているようで、その実、遥か高みより見下されているという感覚。
存在の違いを実感させるその感覚を、今のたった一言に確かに感じたのだ。
自分を見るギルガメッシュの視点は、まさしく神の視野が如き遥かな俯瞰。
自分という存在の足掻きを、彼はそこでただ見詰めている。
例え時に力を貸してくれようと、ギルガメッシュの本質はただ眺めるだけの傍観者にすぎないのだ。
その事実を、ルイズは今はっきりと実感した。
「というわけで。さあ、マスター」
打って変わって、明るい口調でギルガメッシュは言ってくる。
その急激な変化に、ルイズは少々混乱した。
「食事は最も基本的な、身体の資本ですよ。資本の貯えがないものに、大成はあり得ません」
そう言って差し出してきたのは、お盆の上に乗せられた質素な食事。
やや雰囲気に流される形で、ルイズはそれを受け取った。
用意された食事は、彼女が口にしてきた貴族の食卓には遠く及ばなかったが、労働の疲労と空腹感が食事の味を引き立てていた。
「そうそう。塞ぎ込んでいても、大した意味はありません。お姉さんは行動の中で答えを見つけるタイプですからね。ちょっとくらい愚かな方が、お姉さんにはちょうどいい」
満足そうに、ギルガメッシュはウンウンと頷く。
ルイズが立ち直った事に対する満足か、それとも自分の思惑通りに進んだことか。
恐らくは、後者だろう。
なんだかんだ言っても、今回も結局は彼に上手く乗せられたということなのか。
「まあ、一応お礼は言っておくわ。ありがと」
「いえいえ」
「けどね―――」
しかしやられてばかりなのは癪なので、一応の反撃はしておくことにする。
「さっきの話、アンタにだけは言われたくなかったわ」」
その一言に、ギルガメッシュは困ったように動揺を顕わとした。
「ううっ、いや、ボクの場合は、理解はしてるんですけど、理解したことを片っ端から失念しているというか、まったく顧みないというか、とにかくそんな感じで。
ああ、どうしてあんなオトナになっちゃったのかなぁー。未来が分かっていて、それを変えられないって鬱だなぁー」
オロオロと言葉を選ぶギルガメッシュ。
その姿は。まるで親に叱られて言い訳の言葉を並べる子供のよう。
そんな歳相応の少年の姿に、ルイズはクスリと笑みをこぼした。