[13]王と挑戦者
鍾乳洞内に作られた港の中、そこに停泊している『イーグル』号と『マリー・ガラント』号には、女子供を中心とした非戦闘員が続々と乗船を始めていた。
どちらの船も、戦場となるニューカッスル城より脱出する人々を乗せるものである。
彼ら残された王党派の民達は、国と運命を共にせず、生きて後世にアルビオンの生き様を伝える役目を背負ったのだ。
二つの船には、滅びゆく母国を思う民達の嘆きに溢れている。
そしてその一方の『イーグル』号の甲板の上には、周りの様子など歯牙にもかけないギルガメッシュの姿があった。
「なあ、旦那。本当に娘っ子を置いてきちまってよかったのかい?」
虚空より柄を出し、デルフリンガーが尋ねてくる。
ニューカッスル城の礼拝堂では今頃、ルイズがワルドと婚儀を上げている最中だ。
「別に我が引きとめる事でもなかろう」
「いや、まあそうかもしれねぇけど。でもほっぽといてさっさと帰っちまうのは、ちと冷た過ぎると俺は思うぜ」
剣のくせに、随分と親身になってデルフリンガーは話す。
6000年という月日を生きているせいか、このインテリジェンスソードは変に人の情緒に対して敏感な所がある。
所詮は人殺しの道具でしかない剣に、そんな感傷は余計でしかないだろうに、つくづく変わり者の剣だ。
「そりゃあ、旦那の独尊っぷりはよ~く分かってっけどよ。けど娘っ子だって、これまで一緒にやってきた仲だろうに。別れの言葉がひとつもないってのは、いくらなんでも寂し過ぎやしねぇか?」
「奴が我の期待に及ばぬ器であるのなら、そんな者に賜すべき言葉など、我は持ち合わせておらぬ。ここで我を失望させるなら、奴も所詮はここまでだったというだけの話だ」
「あーもう、これだよ・・・」
やれやれといった様子で、デルフリンガーはカチカチと溜め息らしきものをついた。
それからもこのおしゃべりな剣は、なおもしつこくグチグチと、何度も文句を呟いてくる。
いい加減それをうるさく感じたギルガメッシュは、カタカタと口らしき部分が動くその柄を強引に蔵の中へと押し込めた。
「いいからちと黙っておれ。今がいい所なのだ」
静かになった所で、ギルガメッシュは再び左目の視界に映る光景に意識を戻した。
ニューカッスル城内に建てられた礼拝堂。
始祖ブリミルの像が厳かに置かれたそこでは、ウェールズが新郎新婦の登場を待ちわびている。
この場に居るのは、この婚儀の仲人であるウェールズ一人のみ。
アルビオンに居残った他の臣下達は、すでに戦の準備を始めている。
ウェールズもまた、この式が終わり次第戦支度を始めるつもりでいた。
扉が開き、ルイズとワルドが現れた。
この事態ではさすがにドレスまでは用意できなかったが、現れたルイズはアルビオン王家の新婦の冠とマントを身に纏っている。
元々の素材も良く、着飾ったルイズはいつもに増した可憐さを引き出していたが、その外見の雰囲気とは対照的に顔には意志の熱が無い。
正直な所、今のルイズには自分が何をしているのか明確には理解できていなかった。
望んで死に向かうウェールズの事、その死をなんとも思っていないギルガメッシュの事。
未だ幼く未熟なルイズの心は、死を軽視する彼らの行為に、ひどくショックを受けていた。
そんな中でワルドは唯一、ルイズに対して親身となってくれた人物だった。
理解できない思想により霧に覆われたルイズの心は、たった一人優しかったワルドに依存し、彼に支えてもらうことで安定を保っていた。
そんな精神状態では、ワルドの言葉の流されるままに婚儀の場へと足を運んでしまった事も無理からぬだろう。
「では、式を始める」
ワルドとルイズ、並び立った新郎と新婦の二人に、ウェールズが声を発する。
その言葉をワルドは整然と、ルイズはどこか上の空で聞いていた。
「新郎、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名において、この者を敬い、愛し、そして妻とすることを誓いますか?」
「誓います」
重々しく頷いて、ワルドは杖を握った左手を胸の前においた。
「新婦、ラ・ヴァリエール公爵三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」
ワルドの誓いを聞きとどけ、ウェールズは次にルイズの方へと視線を移した。
未だ上の空の様子のルイズに、朗々と誓いのための詔を読み上げる。
「汝は新郎ジャン・ジャック・ワルドを夫とし、この者を愛し、伴侶としていかなる時も支え続けることを誓いますか?」
その問かけを受けた時、初めてルイズは自分が結婚しようとしている事に気が付いた。
ぼやけていた頭を必死に覚醒させ、ルイズは自分が迎えようとしている結婚について考え出す。
相手のワルドは婚約者の関係であり、魔法衛士隊隊長という名誉ある役職につく人物だ。
人柄も良く、自分の身を案じてくれて、幼い頃からの憧れの男性でもある。
そんなワルドとの結婚は、普通に考えれば決して悪い話ではないはずなのだ。
だが、何かが引っかかっている。
「新婦?」
いつまでたっても答えを返さない新婦に、ウェールズは不信気に声をかける。
悩もうにも、すでに婚儀は始まっているのだ。
考えがまとまらない自分の現状も、周囲の者にとっては与り知らぬ事に過ぎない。
自分がどうしたいのか答えを知りたくても、考える時間もなく、答えてくれる人もいないのだ。
「緊張しているのかい?ごめんよ。随分と急な婚儀にしてしまった、僕のせいだ」
隣からワルドが優しげに声をかけてくる。
頼もしさに溢れるその声の響きに、ルイズは揺らめいていた心を落ち着かせ掛けた。
心の安定と共に、ひとつの思いがルイズの中に持ち上がってくる。
それをもたらしてくれたワルドにならば、この身を委ねても良いのではないか。
未だ曖昧なルイズの心は、感じた引っかかりさえ忘れて、その思いの方へと傾きかける。
「だが心配しなくていい。こんなものは所詮、通過儀礼のようなものだからね。行って何かが変わるという訳ではなく、行為そのものに意味がある。だから君は、僕に任せて、ただ楽になって返事をしていくだけでいいんだ」
穏やかに諭すようにワルドは言ってくる。
ルイズの従順を誘発するべく言っただろうワルドの言葉は、しかし全く別の思いを彼女に生じさせていた。
僕に任せて、その言葉が霞のかかったルイズの思考を覚まさせる。
この結婚に対してどうしても踏ん切りのつかなかった理由。
それはこれらの事柄における決定権のすべてが、他人の手によるものだったからだ。
自分がこの婚儀の場へとやってきたのはワルドの導きによってであり、自らの意思で決めたことではない。
結婚という人生においても重要な事柄において、自分がどこにも存在していない。
だからこそ、この儀礼に対して乗り気にはなれなかったのだ。
無論この世には、愛など無い相手との納得のいかぬ強制された婚儀など、いくらでもあるだろう。
だがそこにも、その婚儀に対して悩み苦しみ、自分なりの答えを出す本人の意思が存在する。
婚約者だから、幼い頃の憧れだったから、そんな理由だけで流されるのは単なる依存に過ぎない。
ウェールズの選択は、ルイズの心を深く傷つけた。
悲しい出来事にルイズの精神は近くにいた者への依存の選択を取ったが、こんなものは断じて愛ではない。
そんな思いで神聖なるブリミルへの誓いを口にするなど、この儀式そのものに対する侮辱だろう。
「さて、落ち着いたかな、新婦。では繰り返そう。汝は始祖ブリミルの名においてこの者を敬い、愛し、伴侶として支え続けることを誓いますか?」
頃合いを見て、ウェールズが再び詔を読み上げる。
その言葉に、ルイズは自分の意思で決定した答えを返した。
「・・できません」
「新婦?」
「申し訳ございません。このような手間を取らせておいて、お二方には大変失礼をいたすと存じますが、わたくしはこの結婚を承服することはできません」
突然の事態にウェールズは困ったように首をかしげ、ワルドは困惑の表情を浮かべた。
「ルイズ、それは、僕との結婚が嫌だということかい?」
「ごめんなさい、ワルド。あなたの事は決して嫌いじゃないの。でも、こんな中途半端な思いのままで、人生の伴侶を決めるような事は出来ないわ」
そう、中途半端な思いで自らの道を決定することなど、今のルイズにはできない。
かつての彼女ならいざ知らず、今の彼女の隣には、誰よりも唯我独尊に自分の道を歩み続ける男が存在しているのだから。
傲慢で我がままで、異界よりの来訪者であるにも関わらずハルケギニアの法に対して何の遠慮も見せない、自身の使い魔ギルガメッシュ。
その振る舞いの数々にルイズは常日頃から頭を悩ませているが、同時に彼女は自分でも無意識の内に、彼の在り様に対して羨望も感じていた。
ルイズも公爵家の娘として様々な人間を見てきたが、ギルガメッシュほど自分というものを貫き続ける者はいなかった。
その在り方は、常人には決して真似できないものだろう。
人は誰だって、他人の目を常に気にしている。
正体の掴めぬ他人の思いに振り回されて、人はいつしか自身の在り様を見失っていく。
それこそが人という種が共通で抱える弱さなのだろう。
だがギルガメッシュは、その弱さを克服している。
常人には決して為し得ない弱さからの脱却を成し遂げたギルガメッシュの姿に、人々は魅せられるのだ。
傲慢不遜な振る舞いに反発しつつも、裏ではそう在れるギルガメッシュに憧れを懐く。
自分たちでは到底為し得ないであろう在り様だからこそ、それは人々の焦がれる夢となりえるのだ。
そんなギルガメッシュの姿を、召喚の日から最も近くで見続けたルイズが、その影響を受けていないはずがない。
本人に問いかければ恐らく否定するだろうが、ルイズもまたギルガメッシュに憧れを懐いていた。
その羨望の念が、ルイズにただの従順な人形となることを許さなかった。
「本当に、ごめんなさい。ワルド。私、あなたとは結婚できない」
ルイズの答えに、ワルドは落胆したように顔を落とす。
その肩に、ウェールズが慰めのために手を置いた。
「子爵。誠に残念だが、新婦が望まぬ式をこれ以上続けるわけにはいかぬ。ここは潔く・・・」
「ええ。分かっております」
ウェールズの言葉に、ワルドはあっさりと引き下がった。
「残念だよ、ルイズ。どうやら僕は、君の気持ちを手に入れることは出来なかったようだ」
「ごめんなさい。あなたの事は、子供の頃からの憧れだったわ。でも・・・」
「いや、いいんだよ。それならば仕方ない。目的の一つは諦めるとするさ」
「目的?」
不意にワルドの口から出た奇妙な言葉に、ルイズは首をかしげる。
ワルドは先ほどの落胆から顔を伏したまま、言葉を続けた。
「この旅における僕の目的は三つあってね。一つはルイズ、君を手に入れる事だ。しかし、これは果たせないようだな」
「ワルド?何を言って―――」
「そして二つ目は」
言うが早いか、ワルドは伏していた顔を上げると同時に、腰にさしていた杖を引き抜く。
そのまま風のように素早く身を翻させ、青白い光を放ちだした杖で、ウェールズの胸を貫いた。
「がっ・・・!」
魔法によって鋭敏な刃へと変じた杖は、過たずウェールズの心臓の中心を突き破っていた。
明確な殺意の元に繰り出された、長年の修練によって完成する正確無比の刺突である。
まさしく二つ名の『閃光』の如き早業に、ウェールズは悲鳴をあげることすら敵わず、自分が招き入れてしまった不忠者の姿を目に焼きつけながら、力無く崩れ落ちた。
「・・・あなたの命ですよ、ウェールズ皇太子どの」
もはや答えぬ亡骸に向けて、ワルドは嘲りを含めた口調で言葉を投げかけた。
「ウェールズ様っ!?ワルド!!あなた何を―――」
「言っただろう。ウェールズ皇太子の命こそ、僕の目的の二つ目なのさ。さて、ルイズ。君のことはあきらめるけど、代わりに三つ目の目的であるアンリエッタの手紙を渡してもらおうか」
その言葉で、ルイズはすべてを理解した。
ウェールズの命と、アンリエッタの手紙。
これら二つを欲しがる組織は、現在のところは一つしかない。
この男こそが、示唆されていたアルビオンの貴族派との内通者。
すなわち、裏切り者であったのだ。
「どうして!?トリステイン貴族で、魔法衛士隊隊長にまでなったあなたがどうしてこんな事を・・・っ!?」
「理由を問われても、月日と、数奇な運命の巡り合わせ、としか言えないな。まあ、今はどうでも良い事だ」
杖を手にし、ワルドはゆっくりとルイズの方へと歩み寄って来る。
とっさにルイズは杖を構えようとしたが、即座に繰り出されてきた烈風によってどこかに弾き飛ばされてしまった。
「さあ、ルイズ。君のポケットの中にある手紙を、渡してもらおうか」
「昔はこんなんじゃなかったわ。私が知っているあなたは、優しくて、誇り高い人だった。決してこんな卑劣な真似をするような人じゃなかったわ!!」
「それは所詮過去の話。今を生きる僕には何の関わりもないな」
ルイズの糾弾にも平然と言葉を返してくる。
その言葉の冷たさで、ルイズは実感した。
ここまでのアルビオンまでの旅路で、自分が見ていたワルドの顔は過去の彼の顔だった。
今まさに自分に向けている、同じ人物のものとは思えない蜥蜴じみた冷淡な顔こそが、今のワルドの素顔なのだと。
「最後に念のため確認しておこう。ルイズ、改めて“俺”のものにならないか?トリステインなどという小さな視野に捉われず、共に世界を手に入れよう」
優しげな表情をその顔に浮かべながら、ワルドは手を差し伸べてくる。
だがその表情が虚偽によって塗り固められている事は、もはやルイズの目にも明白であった。
「御断りよっ!!あなた、私の事なんてちっとも愛してないじゃない。あなたが欲しいのは私じゃなくて、あなたの想像の中の私の力だけ。そんなものが結婚の理由だなんて、これほどの侮辱はないわっ!!」
はっきりと、ルイズは拒絶の言葉を返す。
それが自分の命運を決定する答えだと理解しながら、しかし魂を屈する事を是とする選択を、ルイズは選ばなかった。
ルイズの答えに、ワルドが浮かべていた優しさを消し、再び爬虫類の如き淡白な顔へと戻った。
「そうか。残念だな。君に秘められた力は、是非とも欲しくあったのだが」
言葉の割には執着の薄い声音で、ワルドは告げる。
そして次に彼の口が紡ぎ出した呪文の言葉により、その周囲の大気で放電現象が起き始める。
『ライトニング・クラウド』
たかが少女如きを殺すには十分すぎる威力を有した、風系統の強力な呪文。
あの呪文が解き放たれれば、ルイズの身体は単なる消し炭へと変ずるだろう。
杖を無くした―――あったところで大差はないかもしれないが―――ルイズには、迫る稲妻の洗礼に対抗する術がない。
明確なる殺意をこちらに示すワルドには、何の逆襲も出来ずにただ殺されるだけだろう。
彼女に出来ることと言えば、向かってくる殺人者に対して、怯えを見せずに決然とした反抗の意志を示し続ける事くらいだ。
そんなルイズの強い意志の籠った視線を受け、ワルドは感心したように言葉を漏らした。
「・・本当に強くなったね、ルイズ。あの頃の船の中に隠れて泣いていた君からは想像もつかないよ」
「あなたは弱くなったけどね、ワルド。祖国への忠誠を忘れるなんて、貴族として恥ずべき惰弱よ」
「口も達者になった。本当に、この手で摘み取らねばならないのが惜しいよ」
辛辣なルイズの言葉にも肩を竦める程度で応え、ワルドは呪文を解き放つべく杖を振り上げる。
己の死を目前としながらも、ルイズは最後まで恐怖よりも先に反抗の意志を示そうと、衰えぬ眼光を以て睨み続けた。
杖が降ろされ、雷刃が迸る。
ついに下された死の雷に、その眼光を以て反抗を見せ続けたルイズもとうとう目を固く閉じた。
術者の命に従い、ワルドの周囲の電撃が今まさに撃ち放たれようとした、その瞬間。
「むっ!?」
「きゃっ!!」
飛来してきた一条の閃光が、響き渡る轟音と衝撃と共に、ルイズとワルドの間に突き刺さる。
その衝撃にワルドが呪文を取り止め後退し、ルイズも身を庇うように腰を落とした。
やがて視界が回復し、閃光が飛来してきた方をルイズは仰ぎ見る。
そこにあったのは、ブリミル像の上に位置するステンドグラスを破壊して陣取り、朝日の陽光をバックにして悠然と腕を組んで佇む黄金の男の姿。
彼女自身が呼び出した使い魔、英雄王ギルガメッシュがそこにいた。
「ギルガメッシュ!?」
あまりに唐突なギルガメッシュの登場に、ルイズはすっとんきょうな声を上げる。
その声に応じたのか、ギルガメッシュはステンドグラスよりルイズの元まで降り立った。
「おう、ルイズよ。随分と無様にやられておるようだな」
「っ!?う、うるさいわねっ!!それより、どうしてアンタがここに居るの?アンタ確か、一足先にアルビオンを出たんじゃなかったの?」
「我も途中まではそのつもりであったがな。我の期待を裏切るような輩ならば、そのまま捨て置いていたであろう。
フフン。良かったなぁ、ルイズ。お前にはまだ、我が関心を示す価値があるようだぞ」
愉快気に笑みを浮かべて、ギルガメッシュはとぼけた口調で言ってみせた。
「あえて言うのなら、倒すには至らずともせめて一噛みくらいはいけるかとも思っていたが。為す術無く追い詰められるだけというのは減点だが、まあ及第点といった所か」
「そんな事より、なんでここの事が分かったのよ!?それに妙に事情に詳しいみたいだし・・・」
「感覚の同調。使い魔となった者が術者との間で繋ぐこの能力は、お前とて知っていよう」
ルイズはハッとした。
メイジが召喚した使い魔には、契約の元に様々な能力が与えられる。
それらの能力の中でも代表的なのが、術者の目となり耳となる視覚聴覚などの同調能力である。
その能力の事は無論、ルイズもよく知っていた。
魔法の不出来の分だけ学問に力を入れている彼女には、『サモン・サーヴァント』の知識など常識として備わっている。
だが召喚した使い魔があまりに使い魔らしからぬ者だったため、今まですっかり失念していたのだ。
「この能力によって、お前の見た光景はそのまま我の視界にも映し出される。先ほどまでの経緯もお前の目から承知済みだ」
「そう・・・。あれ?でも、私の方は全然映らないわよ」
「当然であろう。お前からのパスは、我が終始切断しているからな」
その言葉の意図する事に気が付き、ルイズはポカンとした表情を浮かべた。
「・・・それってつまり、アンタには私の視界が一方的に見えるけど、私にはアンタの視界が全っ然見れないってこと?」
「そういうことだな」
しばしの間呆けた表情を浮かべていたルイズは、唐突に癇癪の声を上げた。
「それじゃ関係がまるっきり逆じゃないっ!!ご主人様のプライベートを何だと思ってるのよっ!!」
杖が無いので拳で直接叩こうとするが、ギルガメッシュに頭を押さえ付けられてあっさりと止められてしまう。
153サントと 182サントという体格差の前では抵抗も無意味で、ルイズはただパタパタと手を振りまわすだけに終始する。
その様子をギルガメッシュは慰み物として愉快そうに眺めていた。
「さて、と。遊戯はこれくらいとして、そろそろ奴にも構ってやらねばな」
愉快気だったギルガメッシュの顔に、やがて殺意を垣間見せる獰猛な笑みが浮かび上がる。
ルイズと馬鹿をしながらも、一時たりとて意識を離さなかったその男に、ギルガメッシュは向き直った。
「やはり身中の虫は貴様だったか、ワルド。道中でのいらぬちょっかいは、すべて貴様の差し金ということだな」
「ほう。気づいておりましたか?」
「確証は無かったが。しかし状況的には貴様しかいなかったからな。まあ、気に掛けるくらいはしていた」
平然とギルガメッシュは嘯いて見せる。
その発言を聞き咎めたのは、ワルドではなくルイズだった。
「ちょっと待ちなさいよっ!!気が付いていたなら、どうして話さなかったのよ!?」
「何を言う。我の言葉に耳を傾けまいとしていたのはお前の方ではないか。あの時のお前に、何を言った所で聞く耳があったとは思えんがな」
言い返されて、ルイズは言葉に詰まる。
アルビオンでの道中、ギルガメッシュの存在を無視しようとしていたのは、他でもないルイズ本人だった。
あの心理状態では仮にギルガメッシュがワルドの懐疑を示唆していたとしても、関心を向けようとせずに素通りしていただろう。
「けど、だったらウェールズ王子に言っておけば、こんな事には・・・」
「奴に助言する理由など、我にはない」
ギルガメッシュは床に冷たく転がるウェールズの骸へと目を向けながら、冷淡な口調で告げた。
あまりに冷然としたその態度にルイズは再び反発しかけるが、続けられたギルガメッシュの言葉がそれを遮る
「そもそも奴の死の結末はすでに決定されていた。その結果が、ちと早まったというだけであろう。どの道死ぬ運命にあるのならば、この結末にどれほどの違いがある?」
あまりに冷めきった口調のギルガメッシュに、ルイズは反論を押し込んだ。
関心が一切ないこの様子では、何を言った所で聞く耳は持たないだろう。
ならば自分の言葉は、単に邪魔となるだけだ。
敵がすでに目の前に存在している状況で、そんなことで足を引っ張るような真似はしたくない。
それを自覚して、ルイズは押し黙った。
「それで、ギルガメッシュ殿。ウェールズの事を気に掛けないとおっしゃるなら、この場に現れた意図を教えていただきたい。ルイズの事は、私の好きにして良いとのことでしたが」
「言葉を間違えるな。我は貴様に手懐けられたならば、と言ったのだ。意志も通せぬ人形風情ならば見る価値など無いが、これにはまだ見所がある。
ならばこれは我の所有物だ。我が所有する財に手を出すならば、そのような不届き者にはしかるべき罰を与えねばなるまい」
「なるほど。そういう事ですか」
苦笑して、ワルドは答える。
ルイズの殺害を邪魔されたというのに、彼の様子に不快の色はない。
むしろ先ほどよりも全身には覇気に溢れ、高揚がひしひしと表れていた。
「この場で私を殺すと?」
「そういうこと、だな」
浮かべた笑みは変わらぬままに、瞳には壮絶な殺意を宿してギルガメッシュは答える。
彼はワルドに対して好感とも取れる評価を下していたが、だからといって懐く殺意が薄れることはない。
むしろ英雄王の好奇とは、対象を蹂躙して滅ぼし尽くす殺戮の意思と並列して向けられるものなのだ。
英雄王の目に留まったが最後、その者の人生は結末の破滅に至るまで堪能され、王の玩具としての一生を強いられる。
はるか俯瞰より見下ろされ、その眼下に在る雑種共は終局の形まで王の意思に左右されるが運命だ。
そしてその死の決定は、何の情けも容赦もなく振り下ろすが英雄王の常である。
「理解できました。ですが、だからといって黙ってやられる訳にもいきますまい」
ギルガメッシュの殺意の元に曝されながら、それでもワルドは臆することなく平然と嘯いて見せる。
更に反抗の意志を示すように、スクウェアメイジの中でなお莫大な魔力をその身から立ち昇らせた。
誰もが屈して膝を折る英雄王の眼光を向けられながら、なおも闘志を失わぬワルドの姿には改めて感心する。
やはり目を掛けただけの価値はあったなと思うと同時に、この覇気ある者に痛みを与え、その顔が苦悶に歪む様を是非見てみたいとサディズムな精神の一面が囁きだす。
対立しながら同居する二つの思惑を心中で弄びながら、ギルガメッシュは急速にその精神を戦場のそれへと変貌させていった。
「お前は手を出すなよ、ルイズ。この男とは、我が遊んでやる」
猛々しく言い放って外野を下がらせながら、ギルガメッシュはその身を金色の光に包む。
神秘を纏いし黄金の鎧に身を包み、ギルガメッシュは久々のまともな闘争に心躍らせながら、戦場への一歩を踏み出した。
始祖ブリミルを祭りし礼拝堂で、正面から対峙する二人。
二人の距離間は至近というには離れ、かといって遠いというほどの距離でもない。
両者の力量を以てすれば、僅かな踏み込みで容易くゼロと出来る距離だ。
だが、だからこそ最初の踏み込みがそのまま勝敗に左右する要因となりえる。
そんな微妙な距離間を保たれ、対峙する両者の動きは静止の中にあった。
「どうした?いつまで呆けたように立ち尽くしている?」
―――否。前述の論法は、片方にのみ適用されるものであったらしい。
傲岸不遜の王にいたっては、挑みかかる敵に対してはただ悠然と佇んで待ち構えるのが基本の構えであるようだ。
「貴様の事だ。この我と対峙するため策の一つでも弄しておるのだろう。もったいぶらずにさっさと出したらどうだ?」
あくまで闘争を遊戯と見立てるギルガメッシュの物言いに、ワルドは苦笑する。
仮にも命を懸けた戦いの場で不謹慎とも思えるが、その感情を否定する気にはワルドにはなれなかった。
彼とてこの戦いには、死の恐怖より先に昂る高揚が先行しているのだから。
「それでは、遠慮なく―――!!」
宣戦と共に、ギルガメッシュの背後で一つの気配が立ち上る。
それまで何も無かった空間に気配は突如として現れ、鋭利な殺意を示しながら敵へと迫る。
今まで全く認識していなかった存在の出現に、ギルガメッシュは眉を釣り上げた。
(こんなものか・・・?)
だが突然の第三者の乱入に際しても、ギルガメッシュの心に動揺はなく、浮かんだのは失望であった。
伏兵による奇襲、その程度の単調な策ならばすでに考慮の内に入っている。
確かにここに至るまでその存在を隠し通した事は、見事と言えなくもない。
しかしこんな浅慮如きでこの英雄王を打倒できると考えたならば、そのような愚昧は評価を改めなければならないだろう。
気配に反応し、即座にその方向へと十の宝具を展開する。
予測された奇襲など、もはや奇襲足り得ない。
宝具の矛先はもれなく新たな伏兵を捉え、号礼ひとつでその身を突き穿つだろう。
思ったよりも容易すぎる展開に落胆しつつも、ギルガメッシュは宝具を射出せんと手を上げる。
だがその瞬間、また違う方向より新たな気配が現れた。
「っ!?」
思わぬ奇襲の連続に、表情が僅かに動く。
新たに出現した気配もまた、即座に鋭い殺気を伴った魔法を放ってきた。
繰り出されてくる攻撃は前後どちらも申し分なく速く、威力も悪くない。
向ける相手が常人ならば、最初の奇襲のみで間違いなく必殺を期する一撃となりえたはずだ。
だが今その矛先に立つのは、常人ではなく英雄の名を冠する者。
この程度の不意打ち如きでその存在が揺らぐならば、英雄を名乗る資格はない。
ギルガメッシュは展開した十の宝具の内半数の五の宝具を、新たに現れた気配の方へと向ける。
わざわざ狙いを確認するまでもない。
射手として英雄王が放つ矢は、そのすべてが必殺の破壊力を備えた宝具の魔弾。
破壊するのは敵のみならず、放たれた空間すべてにまで及ぶ。
魔弾の爆撃が降り注いだ後には、敵対者は片鱗も残さず灰塵と帰するだけだ。
そうして必殺の備えを整えた後、また更に二つの殺気が出現した時には、さすがのギルガメッシュも驚いた。
「何っ!?」
新たに向けられる二つの殺気。
繰り出される攻撃は初めの二つと同等に速く鋭い。
連続されて為された計四つもの奇襲には、英雄の感覚でも対応しきれるかは判断が付きかねた。
刹那の思考の後、ギルガメッシュは反撃と中断し、防御へと意識を移す。
無理に反撃に転ずれば余計な隙が生じ、相手に致命の一撃を入れる機会を与えかねない。
熱く見えてはいても常に思考の片隅には存在する冷徹な側面が、今はあえて賭けに出る状況ではないと判断したのだ。
一時守りに徹すると決め、ギルガメッシュは再び思考を張り巡らせる。
防御というものは、基本として攻撃よりもはるかに難しい。
防御の側に立つ者は敵からの攻撃を先読みして、その矛先に守りの一手を講じなければならない。
常に先手を取れる攻撃側と、後手に回らざる得ない防御側とでは、利がどちらにあるかは明白だ。
そうした感覚の不利を補うのが、盾や鎧といった防具である。
そしてその攻撃が意識や感覚で捉えられない不意の一打であるならば、それを捌く事は不可能なのだ。
真に認識の外から繰り出された一撃であるのなら、そこに読みが介在する余地はなく、ただ相手の攻撃を甘んじて受けるより他は無い。
その先で生き延びる機会があるとすれば、それは単なる運に過ぎない。
不意を討たれた側は、ただ相手の不手際を期待するより他の対処がないのだ。
だがギルガメッシュは、運任せなどという惰弱な期待に身を任せはしなかった。
敵の攻撃がこちらに届くまでの刹那の時間の中、ギルガメッシュは脳内で高速の思考を展開する。
感覚が敵の存在を掴みきれぬならば、論理を以て敵の存在を掌握するのみだ。
自分の身体は、この神秘を纏いし黄金の鎧によって守られている。
神代の武具より選りすぐったこの鎧の防御を抜く事は、スクウェアの呪文でも恐らく出来まい。
となれば敵の狙いとして考えられるのは、唯一鎧に覆われていない頭部だ。
鎧そのものの防御力は絶対でも、ギルガメッシュ本人の身体はそれほどでもない。
せいぜいが常人に比べて、多少のダメージを軽減する程度だ。
向けられている魔法の質を考えれば、自分に致命傷を与えることも十分に可能だろう。
その事実を考察材料として、ギルガメッシュは敵の攻撃を積み上げる論理によって予測する。
あらゆる条件、可能性を検分し、敵が繰り出してくる攻撃方法の推論を並べあげる。
そこから更に経験と勘も織り交ぜて、最終的に敵が選んだであろう攻撃方法を解答した。
それは時間にすれば一秒にも満たない瞬間の閃き。
弾き出された考察結果より、ギルガメッシュは纏う鎧によって防御の構えを取る。
僅かな時間差を伴って打ち放たれる、本命とフェイントの両方が混ぜられた四つの魔法の矛先。
奔る魔法が風を切り、黄金の装甲がそれらの刃を霧散させる。
秒後の結果、それら四撃の奇襲を、ギルガメッシュは最初の立ち位置から一歩も動くことなく捌き切った。
だが不意からの四撃は、ギルガメッシュに傷こそ付けないものの、その動きに一瞬の無防備な時間を作り出す。
その瞬間、まさしく絶妙なタイミングを見計らって、正面に向かい合っていたワルドが居合いのように杖を突きだした。
青白く輝く杖の矛先より、煌めく閃光が走った。
戦う両者の間に、一時の静寂が流れる。
互いの立ち位置はそのままに、間に広がる距離も変わっていない。
ギルガメッシュを襲った四体の伏兵も再び姿を消し、隅から見守るルイズを除けば、この空間にいるのは彼ら二人のみだ。
数秒の間に行われた両者の交錯の後、二人の状況に変化はない。
唯一変わったのは、二人の立ち振る舞いだ。
ワルドは杖を突きだした体勢のままで止まり、微動だにしない。
鷹のような鋭い瞳に油断の色は無く、まっすぐと正面のギルガメッシュを見据えている。
そしてギルガメッシュは、揺るがぬ不動を湛えていた直立の姿勢より、半歩の後退を見せていた。
その首筋に付いた一筋の切り口より、血が線を引いて流れる。
ギルガメッシュは自らの首筋へと手を触れ、流れ落ちたその血をすくい取った。
手に付いたその血を、じっくりと検分するように眺める。
「・・・やるではないか」
手に付いた自らの流血を舐めとり、愉快げな笑みを浮かべてギルガメッシュはワルドへと向き直った。
「同時空における擬似的な同質存在の再現。多重次元屈折現象の真似事とは、なかなかに業が深いな」
ギルガメッシュの言葉に、ワルドは改めて感嘆を面にする。
あの一瞬の交錯の中でも観察を怠らず、なおかつその性質を見抜くとは、つくづく容量が知れない男だ。
ギルガメッシュを襲った伏兵の正体は、『風』のスクウェアスペル『偏在』によって作られた分身体である。
分身といっても幻ではなく、それらすべてが確かな実体とワルドと同等の能力を有した戦士達だ。
本体を合わせれば計五人のワルドと、ギルガメッシュは一度に戦っていたという事になる。
そしてこの魔法こそが、『風』の系統を最強と言わしめる所以でもある。
『風』には、『火』の系統のようにすべてを焼き払う破壊の力は無い。
『水』のような癒しの能力も、『土』のような圧倒的質量も、『風』には備わっていない。
しかしながら『風』には、他の追随を許さぬ疾さがある。
一対一の戦闘において、過度の破壊力など本来必要ない。
それよりも最小限の力で、いかに手早く片付けるかが重要なのだ。
いかに威力の伴った魔法でも、発動の前に高速の一撃で術者を無力化されてしまえば何の意味もない。
更には『偏在』という複数の味方を即興で作り上げられる呪文など、『風』の魔法とはどこまでも戦闘に有利に働くよう作り上げられている。
『風』の矛先こそが最も敵を効率よく、迅速に葬り去ることが出来る。
『風』の系統とはすなわち、最も戦闘に特化した戦士の系統であるのだ。
「だがこれほどの術式、僅か一瞬で構築出来ようはずもない。我がこの場に現われてより、貴様に詠唱の機会を与えた覚えもない。それに、分身共の気配を我より隠し果せてきた件もある」
ワルドがギルガメッシュに対抗する策として用意した魔法は、大きく分けて三つある。
ひとつは『偏在』。
大気の偏りによって映し出された術者の像を、魔法によって擬似的に現実の存在へと昇華させる高等魔法。
対ギルガメッシュを想定した戦いで、これは肝とも言うべき魔法だ。
さらに二つ目の肝と言える魔法は、奇襲を成功させるために不可欠な、己の存在を覆い隠す術である。
『風』のエキスパートたる彼が気配を消せば、空気と同質となることも可能だ。
だがそれだけでは、この黄金の男を騙し果せることは出来ないだろう。
故に仕掛けるならば、更なる隠蔽が必要となる。
ワルドは周囲の空気に干渉し、光の屈折率を変化させ、音の振動を偽装した。
結果、ワルドの身体は色を映さず透過し、心臓の鼓動に至るまでのすべての音を消却された。
温度以外のあらゆる情報を大気の中に覆い隠し、ワルドという存在の世界と繋がる接点はすべて抹消されたのだ。
『風』系統の気配遮断魔法『インビジブル』。
他の魔法の使用不能や、自身の動きそのものへの制限などデメリットも多々あるが、闇討ちを仕掛けるには絶対的なアドバンテージを有する魔法。
この魔法こそ、ワルドが用いた二つ目の術である。
残るはギルガメッシュに対して放った攻撃魔法だが、それと『インビジブル』はともかく、『偏在』については容易く行使できる魔法ではない。
ワルドの詠唱が並の術者に比べ相当に高速化されていることを引き合いにしても、最上級のスクウェアスペルにはそれなりの呪文が必要となる。
少なくとも、無詠唱に近いほどの短時間で完成するような簡潔な魔法では断じてあり得ない。
にもかかわらず四人もの『偏在』を配置し、唐突に現れたはずのギルガメッシュに対して奇襲を敢行出来たことは、道理に合わない。
「・・・我がこの場に来るものと読んでいたのか?」
行き着いた道理を通す結論を、ギルガメッシュは口にする。
その解答を肯定するように、ワルドは苦笑してみせた。
「確証があったわけではありません。ですが、予感はしていました。
―――あなたとは、この場を以て命を賭した闘争に至るものと」
予感に従い、ワルドはギルガメッシュとの決戦に備えた布石の配置を行った。
呪文の詠唱もあらかじめ完成させておき、『偏在』の分身も事前の内に潜ませておく。
奇襲を仕掛けた四体の分身達は、ギルガメッシュが現れてから作り出されたのではなく、ウェールズが来る以前より用意されたものであったのだ。
仮に『偏在』を用いて五体の自分による同時攻撃を仕掛けたとしても、この男を打倒することは敵うまい。
たかが五人程度の捕捉など、彼の湯水の如き宝具群にかかればいかにも容易い。
その程度の数の不利など鼻で笑い、圧倒的火力を以て蹂躙されるのが関の山だ。
だがそれが同時攻撃ではなく、同時奇襲ならばどうか。
それも一斉にではなく、判断の撹乱を誘発するために僅かな時間差をつけて、相手が捕捉から攻撃に至る合間を縫うように連続で。
多方向からの連続奇襲攻撃、それがワルドが編み出した策だった。
その策の通りにいけば、今の交錯で仕留められなかったのは完全に失敗だった。
奇襲を仕掛けるならば、初手を以て決着をつけるのが原則である。
例えどれほど優れた奇襲でも、一度目にされてしまえばその成功率は格段に下がる。
もう一度今の攻撃を行ったとしても、果たして通じるかどうか判断に付きかねた。
「分からんな。そこまでの洞察が行き届くならば、何故わざわざ我との戦いを避けようとしなかった?貴様にとって、この戦いが何になる?」
感じていた疑問を、ギルガメッシュは尋ねる。
ここまで用意周到に準備をするということは、ワルドにはギルガメッシュと戦いたがる強い動機が必要となる。
だがワルドがギルガメッシュと戦う事で、利益となることなど一つもない。
ギルガメッシュは表立って『レコン・キスタ』と対立しているわけではなく、あえて倒そうとする理由もない。
今後脅威になり得る可能性はあるかもしれないが、だからといってワルドが一人で命をかける事もない。
元より彼が『レコン・キスタ』に身を投じたのは、忠誠などの清潔さとは無縁の動機だ。
「・・・益など、無い。私がこの戦いの果てに、何かを得ることなど求めてはいない」
「益を求めぬ?欲望がないと抜かすのか?」
「違いますよ。私は―――この戦いそのものを求めていたのですっ!!」
叫びと共にワルドの周囲の大気が震え、礼拝堂内に突風が吹き荒れる。
それはワルドの呪文によるものではなく、彼の猛り震える精神の激情が引き起こした“暴発”だ。
「あなたの強さ、威光、その振る舞いのすべて、それが私をどうしようもなく引き付けて狂わせる。それ以外のすべてが、どうでもよく思えるほどに。
そして気が付いた。あなたこそが―――私にとっての理想であったのだと」
抑えきれぬ興奮に促され、ワルドは己の胸の内を吐露した。
かつての時間、今はもう取り戻せない過去。
その過ぎ去った時の中には、純粋な心のままに、貴族の誇りと正義を信じられた時期がワルドにもあった。
自分もまた貴族として国に仕え、そのために身命を捧げる事に何の疑問も懐かなかった頃が。
あの頃のワルドの精神は幼くも充実し、日々の幸福と将来への期待に充ち溢れていた。
だがその純朴さは、たったひとつの出来事によってあっけなく瓦解した。
自分に己の力の無力さを思い知らせた、あの“事件”。
あの日の出来事が、幼かったワルドの精神に、強さの無意味さと存在の脆さを教えてくれた。
植え付けられた失意の念はワルドの心より純粋という名の幼さを排除し、無力を忌諱する渇望の決意を植え付けた。
それよりワルドの人生は、力を求める探究道へと変貌する。
絶対の力、揺るがぬ強さを求めて、渇望が示すままの人生を駆け抜けた。
より強い力を求め、身体と魔法を鍛え続けた。
より高い権力を求め、出世栄達のために躍進し続けた。
駆け抜けるその生き様に迷いの入り込む余地はなく、過程の中に置いて行かれた自由と安らぎには目もくれない。
駆け抜けたその結果、彼はトリステインでも指折りのメイジとなり、貴族の男子ならば誰もが望む魔法衛士隊隊長という地位に辿り着いた。
それは他の常人ならば、誰もが望むであろう輝かしい栄誉。
僅か26歳という若さでその栄誉を手に入れたワルドの姿は、栄光のロードを突き進む祝福されたものに見えただろう。
だが外見の栄光とは裏腹に、ワルドの胸中に貼り付く渇望は一切の満足を懐くことはなかった。
並ぶ者のいない魔法の冴えだの、誰もが憧れる地位だの、そんな見てくれだけの力では自分は満たされない。
自分が渇望して止まないのは、魔法や権力などといった即物的な力とは異質な、もっと根本的な所で揺るがぬ強さなのだ。
何事にも動じず、何者にも侵されない不動の強さこそが、自分が求める力である。
衆愚の価値観が定めた力など、本当の強さであるはずがないのだ。
その力を求めて、ワルドは更に躍進した。
国境を越えて結束する貴族連合『レコン・キスタ』、そして彼らが唱える統一という題目の元の聖地奪還の理想。
始祖が降臨したと言い伝えられる聖地ならば、あるいは自分が探し求める力が見つかるかもしれない。
そうと考えれば、祖国を裏切りその旗本に身を投じる事にも何の躊躇いもなかった。
元より忠義や誇りといった類の気高さは、ワルドに何一つもたらしはしなかったのだから。
それから後も、ワルドの渇望のための躍進は続いた。
『レコン・キスタ』の同志となり、トリステインに対して忠誠の顔を繕う中で、聖地奪還の理想のために活動してきた。
より強い力を求め、幼い頃より人とは違う魔法に力の片鱗を感じ取っていたルイズを手に入れようとした。
すべては、この胸の内にある渇きを満たすために。
だがその躍進の道の途中で、ワルドは出会ったのだ。
「あなたを一目見たとき、私は魂の震えを感じた。望んでいた力、求めてきた姿が、形を為してここにいる。だからこそ私は―――俺はっ!!」
英雄王ギルガメッシュ。
彼こそはまさしく、絶対無二の強さを湛えた力の体現者。
自分がずっと追い求めてきた、孤高にして不動たる在り様だ。
誰よりその姿を求め続けた自分が、その在り様を見間違う事などあり得るはずもない。
そう、ワルドにとってギルガメッシュは、まさに“自分がこう在りたい理想の姿”そのものであったのだ。
「あなたに挑む!!あなたを超える!!その理想の頂に辿り着いたその時こそ、俺は求めていたものを手に入れられる気がするんだっ!!」
自らの理想の具現に対し、敬意を払うことに何の躊躇いも無かった。
面識や地位など関係なく、自然とその存在を仰ぎ見ていた。
そして同時に、それら尊敬の念とは別に、心中にはもう一つの熱き願いが生まれ出でていた。
この男に挑みたい。
ようやく見つけた理想の頂に、自らのあらゆる力、存在のすべてを費やしてでも挑戦したい。
そうしてこそ自分は初めて、望んでいた強さが手に入るに違いない。
他人の目から見れば何の意味もないように思えるギルガメッシュとの戦い。
理解できないのも無理はない。
この心の動きは通常の利害の論理などは当てはまらぬ域、個人の有する根源衝動とも言うべきものだ。。
この身が英雄王との闘争を求めるのは、ひとえに自分がジャン・ジャック・ワルドであるが故に。
他者と蹴落とし礼節をかなぐり捨てて、なお高みを目指し続けてきた彼の魂のカタチが、ただ後塵を拝すのみでなく、その地点に追いつく事を求めるのだ。
「勝負だっ!!ギルガメッシュ!!」
レイピア状の杖を構え、ワルドが駆ける。
突き出される杖には幾重もの風が絡み付き、空気の渦が鋭利な切っ先を為している。
先ほどウェールズの心臓を貫いた呪文、『エア・ニードル』である。
それに呼応して、不可視の大気に隠れていた四体のワルドも一斉に姿を現す。
同様に手にする杖に『エア・ニードル』の刃を纏わせながら。
この敵を相手に、余計な魔法は必要ない。
トライアングルクラスの呪文すら意に介さないあの鎧の防御を抜く手段は無いし、そんな詠唱の時間を与えてくれる相手でもないだろう。
ならば用意する魔法は最初から一つのみ、たった一撃のみを構えて唯一の守りの穴を狙い撃つ。
杖に刃の効果をもたらす『エア・ニードル』には複雑な詠唱は必要ない。
自分のレベルを以てすれば、無詠唱で瞬時に構築することも可能だ。
そうして杖を中心に集めた魔法の渦を、極限まで収束して一条と矢を為し撃ち放つ。
『エア・スピアー』―――先ほどギルガメッシュを襲った、『エア・ニードル』の発展型の魔法である。
効果範囲こそ絞られるものの、一点に集約された破壊力は上位魔法にも匹敵する。
研ぎ澄まされた風の矛は、必ずや黄金の王の首をも刎ね落とすだろう。
あとはタイミングのみ。
必殺を期して用意した五撃をいかに織り交ぜて相手に届かせるか、それだけが問題だ。
一秒が一時間にも感じる沸騰した頭の中で思考しながら、ワルドは少しでも不意の効果を上げるべく、一歩また一歩とギルガメッシュへと近づいていく。
(ああ、そうか―――)
己が理想へと近づく中、唐突にワルドの脳裏に閃きがあった。
このアルビオンでの自分の目的は、ルイズを手に入れ、ウェールズを殺し、アンリエッタの手紙を手に入れる事。
それらの達成のために行動し、そして現在それらの目的はほぼ完遂されようとしている。
だがアルビオンまでの道中で、目的の優先順位がいつの間にか切り替わっていた。
本来ならば必要ないはずだった自分の工作の数々も、四つ目の最上の目的のためだったとすれば説明がつく。
盗賊を嗾けたのは、“王の財宝”の威力や発射速度などの性能を測るため。
ラ・ロシェールでの手合せは、ギルガメッシュ本人の身体能力を測るため。
桟橋での戦闘は、纏う鎧の魔法に対する防御効果を測るため。
当時はさしたる自覚もなく行った妨害の数々も、すべてがこの時のギルガメッシュとの戦闘を期しての備えであったとすれば得心がいく。
自覚の無い無意識の内に、自分はギルガメッシュとの対決を望んでいた。
ワルドにとってこのアルビオンまでの旅路は、英雄王と競い争うために存在したのだ。
「はあぁぁぁぁっ!!」
息吹と共に、ワルドが更に踏み込む。
同じ攻撃が二度も通じるほど、ギルガメッシュは甘い相手ではない。
だが繰り出される五撃の疾風突きは、先の攻撃に比べてなお疾い。
ハルケギニアの魔法とは、精神の強さに由来する。
魔力は気力であり、気力は感情であり、感情は心の震えによって高まり踊る。
ならばこそ、理想の姿を見定めた今のワルドは、生涯において最強だ。
駆け巡る魔力は身体を活性させ、吹き荒れる『風』の魔法は、ワルドを一陣の烈風へと変じさせる。
ワルドの概算では、ギルガメッシュがこの攻撃に対して後の憂いなく対応できるのは三体まで。
その三撃の内でギルガメッシュの攻撃が、五体の中より本体を撃ち抜く確率は3/5。
それはつまり、どれほどの奇策を弄し、楽観も加えて大きく見積もったとしても、ワルドの勝機がギルガメッシュを上回る事はないということだ。
だが、構わない。
長く求めた理想を見定めたならば、それに命を賭して挑む事に何の躊躇いがあるだろう。
例え1%でも勝ちの道があるのなら、挑戦する以外にワルドは我が身の処方を知らない。
これまで自分が駆け抜け、積み上げてきた人生のすべてが、今この時のためだけに在る。
この相手は、自分という人間の全存在を懸けてでも挑むに足る最強の難関だ。
その関門を乗り越えた先でこそ、自分は望みにきっと届く。
もはやワルドの頭には、この場所に近付いているであろう『レコン・キスタ』の軍勢や、目指していた聖地の事も、一片の考慮にも入っていなかった。
幼い頃から目を付けていたルイズの力も、期待を託した聖地の奪還も、今はすべてがどうでもいい。
自分が目指して、追い求め続けてきたものは、すでに目の前にあるのだから。
さあ、届け。
求めた理想まで、後数歩の距離。
タイミングは良し、今こそまさしく、この『閃光』の風の真価を見せる時。
自分が持つあらゆる力を駆使して放たれる魔法は、必ずや絶対の王にも届くはずだ。
まさしく乾坤一擲の思いを込めて、ワルドは手にする風を纏いし己が杖を突きだす。
杖先より収束された風の矛が、ギルガメッシュへと向けて放たれようとし―――
「なぁっ!?」
その動きのすべてが、突如として静止した。
「見事、と言っておこう。貴様は我の期待通り、なかなかに我を楽しませた」
ギルガメッシュの目前まで迫ったはずのワルドは、虚空より伸びた無数の鎖にて捕縛されていた。
まるで空間そのものが拘束されたかのように、突き出した杖や指先に至るすべての行動が全身に巻き付く鎖によって封じられる。
その束縛は正面より迫っていた一体に限らず、他四体にも及んでいた。
エルキドゥ
天の鎖―――英雄王が蔵に貯蔵される秘中の秘。
かつて神が遣わせし天の牡牛さえも捕らえた対神の縛鎖。
その鎖の縛りに捕らわれた者は、例え神であっても抜け出す事は敵わない。
「我という理想の頂の高さを知りつつも、なおも挑みかかる賢しき気概。その愚かしくも魅せる在り様、我は高く買おう。褒美に、我が秘宝の威容を拝ませてやる」
天の鎖が軋みを上げる。
捕える縛鎖が、ワルドの身体をギリギリと締め上げ、あらぬ方向へと捻じ曲げていく。
神の魔獣さえ捕らえた拘束力は、人間如きの肉体ならば静止させるだけに留まらず、その全身を引き千切った。
空中で血肉をぶちまけ、四体の『偏在』のワルドが消滅する。
「はあっ!はぁ、はぁ、はぁ・・・」
鎖の呪縛より何とか逃げ延びた―――逃してもらっただけかもしれないが―――本体のワルドが、息を切らして必死に跳び退く。
優雅とは言えぬ無様を曝しながら何とか体勢を整え、ワルドはギルガメッシュへと視線を戻す。
その視線を、ギルガメッシュは喜色の笑みと、背にする空間に無数に浮かぶ何十もの宝具によって迎え入れた。
「だがワルドよ。心得ていたか?―――理想とは、届かぬが故に理想なのだ」
王の号令と共に、光輝く宝具の群れがワルドへと殺到する。
英雄王の元でのみ実現可能なその光景に、どこか夢見心地でワルドは夜空に降り落ちる流星群の美しさを連想した。
ギルガメッシュの宝具による爆撃が、ニューカッスル城中を震撼させる。
鳴り響く爆音は耳を打ち、ブリミル像などの装飾品の類は粉砕されて塵と消える。
物陰より戦いの末を見守っていたルイズは、必死に柱にしがみ付きながらその衝撃に耐えた。
やがて衝撃が治まり、固く閉じていた目を恐る恐る開ける。
その視界の先では、礼拝堂の半分近くのが消滅し、ポッカリと晴天を仰ぐ大穴が空いていた。
そこにワルドの姿は影も形も無かった。
「た、倒したの?」
柱の陰から顔を出し、やや躊躇しながらルイズは尋ねた。
「いや、逃げられた。爆撃によって破壊された堂の穴より、僅かな間隙をついて逃走をはかったらしい。さすがにしぶといな」
「な、何落ち着いて話してるのよ!?早く追わないと」
落ち着き払うギルガメッシュの言葉に、慌ててルイズは言う。
だがそれを聞いても、ギルガメッシュは冷静な姿勢を崩さない。
「うろたえるな。逃がしたといっても、あの様では苦痛の時間が長引くだけであろうよ。運よく誰かに拾われたとしても、並みの者では治癒できまい」
そこまで言った所で、ギルガメッシュはふと笑みを浮かべた。
「だが、そうだな。この苦境より奴が生き延び、再び我の前に姿を現すとするなら、それは奴にもまだ天運があるということ。ふむ、その時はまた相手をしてやるか」
愉快気に話すギルガメッシュに、ルイズはどう対応したものか困惑気味の顔を見せる。
だがそこに、爆発音や人の怒号や断末魔など、戦場の音が遠くより響いて聞こえてきた。
「貴族派っ!もうここまで!?」
ハッとして、ルイズが叫びを上げる。
本来であればルイズとワルドの婚儀の後に、ウェールズもまた指揮官として戦場へと舞い戻るはずであった。
だが予想外のワルドの裏切りにより、ウェールズは死亡。
指揮官を欠いたままで戦わざる得なかった王党軍は、予想以上に早く貴族派の突破を許してしまったのである。
まさしく絶体絶命の状況に、ルイズに焦燥が走る。
ウェールズから聞いた話では、貴族派の軍勢の総数は五万。
個人の力でどうにか出来る数ではない。
『イーグル』号も『マリー・ガラント』号も、すでに出港した後。
いや、仮に残っていたとしても、ここまで敵軍が接近した状態では、船を出しても的になるだけだろう。
退路は断たれ、まさしく打つ手無しの状況だ。
そう思って慌てふためくルイズであったが、隣のギルガメッシュはそんな様子などどこ吹く風というふうに冷静だった。
「な、何でアンタはそんなに落ち着いてるのよ?敵は五万なのよ、五万」
妙なギルガメッシュの落ち着きぶりに、ルイズが震える声で問いかける。
ギルガメッシュの強大さは理解しているつもりだが、さすがに五万の敵を一人で相手にできるとは思えない。
彼とて絶体絶命の状況は変わらないはずなのに、どうしてここまで取り乱さずにいられるのだろう。
「・・・やれやれ。雑種の軍如き、この我がわざわざ手を煩わす理由もないのだが、降りかかる火の粉は払わねばならんか」
仕方無いといった様子で肩を竦めて、ギルガメッシュは自らの宝物庫へと手を伸ばした。
やがてギルガメッシュの手が蔵の中より一振りの“剣”を掴み、ゆっくりと現世へと抜き出していく。
その存在が放つ圧力に、思わずルイズは瞠目した。
「ッ!!?」
いまだその姿の大半は蔵の中。
見えるのは僅かに剣の柄と思しき部分のみだが、それだけでもその存在の圧倒的さは十分に伝わってくる。
これまで見てきた至高の宝具達も、所詮はギルガメッシュにとって湯水のように溢れる他の大勢に過ぎなかったのだと、ルイズは直感的に理解した。
ギルガメッシュの強大さを理解している?
何という甚だしい勘違い。
自分はまるで、ギルガメッシュの力のほどを理解出来てはいなかった。
ギルガメッシュの超越者たる力の真価は、今まさに抜き放たれようとしているたった一振りの“剣”にこそあるのだ。
「許せよ、『エア』。お前とてこのような役回りは不本意であろうが・・・」
ぼやきつつも、ギルガメッシュは己が愛剣の招来を止めようとはしない。
ゆっくりとせり出してくる剣からは高密度の魔力の波動が迸し、大気そのものを揺らしている。
その威圧、あたかも“世界を切り裂く”が如き迫力で、傍から見守るルイズを圧倒し続けた。
そしてついに、その威光の姿が面を上げんとした時―――
ぼこっ
響いた音は、ギルガメッシュの秘剣のものでは断じてない。
音を追って、ルイズは足元の地面の方へと目を向ける。
ギルガメッシュの爆撃によって床石が割れ、剥き出しとなったその地面からは、茶色の生き物が顔を出していた。
「こ、こいつはギーシュの―――むぐっ!」
言いかけた所で、顔を出した茶色の巨大モグラがルイズへと飛び付く。
ルイズと同じくらいの全長の巨体には対抗できるはずもなく、そのままルイズは押し倒された。
全身をまさぐってくるモグラにルイズが悲鳴を上げていると、モグラが出てきた穴よりギーシュがひょっこっと顔を出した。
「コラコラ、ヴェルダンデ。君は一体どこまで掘り進むんだね・・・って、陛下!!それにルイズも!!」
土塗れのギーシュが、佇むギルガメッシュとルイズの姿に気づいて、驚いた様子で声を上げる。
だが驚いたのはルイズの方だった。
「ギーシュ!!何でアンタがここにいるのよ!?」
身体に張り付くヴェルダンデを何とか引き剥がしながら、ルイズが問いただす。
「いやなに、あの後に現れた『土くれ』のフーケとの一戦にも勝利した僕達は、寝る間も惜しんで陛下達の後を追いかけたのさ。なにせこの任務には、姫殿下の名誉がかかっているのだからね」
「ここは雲の上なのよ。どうやってここまで・・・」
そう言いかけたその時、ギーシュの傍らからキュルケが顔を出した。
「タバサのシルフィードよ」
「キュルケ!」
「アルビオンに着いたはいいが、何せ勝手が分からぬ異国だからね。でも、ヴェルダンデがいきなり穴を掘り始めた。後を追っていったら、ここに出たってわけさ」
そこまで言ってからギーシュは、ヴェルダンデがしきりに鼻を押し付けている、ルイズの指の『水のルビー』に気が付いて補足した。
「なるほど。前に嗅いだ『水のルビー』の臭いを辿って、ここまで掘って来たのか。僕の可愛いヴェルダンデは、とびっきりの宝石が大好きだからね。ラ・ロシェールにだって、穴を掘り進めてやって来たくらいさ」
鼻高々にギーシュは己が使い魔を称賛する。
だが今回ばかりはギーシュの気持ちも分からないわけではない。
『水のルビー』の臭いというのがどれほど気に入ったかは知らないが、大陸に穴を空けてまで臭いの元までやって来るとは、どんな嗅覚の良さなのか。
実はかなり優秀な使い魔なのかもしれない、身体に張り付くヴェルダンデを引き剥がしながら、ルイズは思った。
「雑談は後にしろ。今はこの辛気臭い場所よりさっさと立ち去るぞ」
と、弾みかけていたルイズらの会話は、ギルガメッシュの言葉によって遮られる。
その手にはすでに、先ほど見せかけた“剣”の姿は無かった。
自分に直接敵意を向けているわけではなく、わざわざ相手にする必要もないならば、自分が手を煩わす理由はない。
それがギルガメッシュの判断だった。
ヴェルダンデによって空けられた穴を通って、一行はこの場を後にする。
ギルガメッシュが降り、自分の番が来た所でルイズはふと気が付いて、穴に背を向けて礼拝堂に引き返す。
早足での歩みでまっすぐと、ルイズは事切れたウェールズの亡骸の元へと駆け寄った。
「ウェールズ皇太子・・・」
物言わぬ亡骸を眺めつつ、ルイズはポツリとその名を呟く。
昨夜の話で、この王子は言っていた。
自分は明日、真っ先に死ぬつもりだよ、と。
結果は、まさしく彼の言ったとおりに、ウェールズは真っ先に死んだ。
だがこれで、彼は満足だったのだろうか。
ギルガメッシュは言った。
彼の死という結末は、すでに決定されていた事だと。
結末が同じならば、そこにさしたる違いなどありはしないのだと。
今ならばルイズにもその言葉の意味が何となく分かった。
ワルドという裏切り者の手にかかり、ウェールズは死んだ。
だがここでもしワルドが殺していなくても、どの道ウェールズは敵兵の手にかかって命を落としていただろう。
ワルドに殺されてようと、敵兵に殺されようと、今日この場で命を落とす結果に何の変りもない。
ならばこの二つに、どれほどの違いがある?
戦場での死は名誉だというが、死んでは肝心の本人が名誉を感じる事も出来ないというのに。
「死んじゃったら、何にもならないじゃないの・・・」
あれほど勇敢で凛々しかったウェールズの無様な死に様を見届けながら、ルイズは悟る。
人とは生きている限り、生に向かって歩いて行かなければならないのだ。
死とはやがて、あらゆる者に訪れる結果。
いつ何時襲いかかるか分からない宿命だが、だからこそ命ある者はその結末までの自身の生を精一杯貫かねばならない。
例えどれほどの正義や理由があろうとも、自ら死に向かっていく行為は、生命としての間違いなのだ。
「おーい、ルイズ!!何をしてるんだい、早くしたまえ!!」
急かすように、ギーシュがルイズを呼んだ。
気がつけば、戦闘の喧噪の音は大分近くなっている。
この分では、この場所に敵が突入してくるのも時間の問題だろう。
「すぐに行くわ」
返事を返してから、ルイズはもう一度ウェールズの亡骸に目を向ける。
驚愕に見開かれたままだったウェールズの瞳を、ルイズはそっと閉じさせる。
それから指に嵌まったアルビオン王家の『風のルビー』に気付き、それを指から外して自分のポケットに収めた。
自分はアンリエッタの願いであった、ウェールズの亡命を果たせなかった。
だからせめて、形見となる品が欲しかったのだ。
最期に黙祷を捧げて、ルイズは礼拝堂を後にする。
『レコン・キスタ』の軍勢が突入してきたのは、それよりすぐ後の事であった。