「あーぅー」
キムラは憂鬱であった。
薄暗い自室のベット、その大層くたびれた様子の布団にくるまりながら何度打ったか分からない寝返りをうつ。
サボってしまった……そう、キムラは人生初のサボり、それも転属早々にサボってしまったのであった。
キムラはピュアである。そして、真面目であった。それはもうドがつくほどに。
そんな男だから今の今まで、学校もサボった事もなく皆勤とまでは行かないが休んだ時々にはそれなりの理由があった。勿論、卒業し管理局に入ってからもそうである。新入り歓迎の飲み会で、未成年を理由にお酒を飲まないと言い放った時は、先輩にさえあきれられたものだった。
だから、そういう事態になった時の経験が全くない。たかが一日サボっただけとは考えられないのだ、それこそ世界の終わりの様な顔をキムラはしていた。
何度も、睨めつけるように枕近くの時計を見るもその針はすでに正午過ぎを指している。朝からずっとその調子なのだが、どうも職場に出る気にはならなかった。
彼が職場に出ない理由。それは、先日見たモリ室長のジェノサイドである。まさしく大量殺戮であった。
頭に、彼はただ犯罪者に罰を与えただけなのだ、と言い聞かせるのだがどうもすんなりいかない。
武装隊の隊長はそう命を軽くは扱わなかった。いくら凶悪な指名手配犯だったとしても、いくら自分たちの身が危険にさらされても、彼は最後まで命を助けようとしていた。その様子を身近で眺めて、憧れていたためにさらにモリ室長のしたことがモリには衝撃であった。
別に犯罪者全てを助けたい、なんてことではない。今まで学校で教わってきたこと、そして武装隊で当たり前であったことがいとも簡単に覆されたことにキムラは恐怖したのだ。それとあの強烈なビームを持つモリ自体にも少しばかりの恐怖を覚えたりもしたのだが、まぁそれの影響は微々たるものだろう。
つまるところ彼は不安だったのだ。
と一通りの事を考えて、もんもんとしていたキムラであったが、突然なった玄関のチャイム音に体が飛び上がる。
『ピーンポーン』
いつまでたってもこの音には慣れそうもないとキムラは嘆息する。陸士が住むこのアパートは、この新暦にあって前世紀? とでも首をかしげたくなるほどのオンボロさで有名であった。普通の家ならば標準装備されているはずの対面式インターフォンすら備わってはいない。インターフォンは耳に障る音で来客を告げるだけだ。
(一体、誰が来たんだろう? まさか隊長?)
まだ陸士隊に入ったばかりの頃に色々世話を焼いてもらった事を思い出しながら、キムラは玄関へと急ぐ。
「はい、一体どな……、ひっ!」
隊長か、隊員の先輩方がまた絡みにきたかと思いながら開けるも、目の前には昨日会ったばかりの女性、そして同僚のはずのビアンテがむすっとした顔で仁王立ちしていた。その不機嫌そうなオーラに当てられたキムラは、口から空気の漏れるような声を上げる。
ビアンテは昨日見た制服を少しゆるく着こなし、腕組みこちらを観察するように眺めている。待てども待てども一向に言葉を発しないビアンテに焦れたキムラは恐る恐る声をかけた。
「あ、あの…… おはよう、ございます?」
「こんにちは、が正しいわよ。もう二時だし」
かぶせるようにビアンテが言い放ちキムラがうろたえる。そんな様子を見たビアンテは深く溜息をついた。
「まぁいいわ。ランチはもう食べた? まだなら一緒にどう?」
と言いながらビアンテは何か食べ物が入っているのであろう袋を持ちあげる。
「立って話すのもなんだし、上がらせてもらうわね」
「え、え?」
「大丈夫よ、汚くても気にしないから」
「び、ビアンテさんが気にしなくても僕が気にします!」
堂々と上がり込もうとするビアンテとの間に体を差し込みながら、キムラが悲鳴を上げる。なんやかんやあってそれから数十分後、気まずそうに正座しながら目線をうろうろさせるキムラと、コンビニ弁当を頬張るビアンテの姿があった。キムラはこれまでにないほど気まずい思いをしている目の前で、ビアンテは遅めの昼食をとっている。
ご飯が三分の二ほど減りお茶を飲んで一息ついているビアンテを見て、キムラは意を決して話しかけた。
「……怒らないんですか?」
「? ああ、サボったことね」
「さ、サボった……」
「サボったんじゃないの? 今日?」
「いえ、確かにそうなんですが言葉にすると何だか急に現実的に」
胃をさするキムラに、やわいわねぇと呆れた顔をするビアンテ。その様子をしばらく眺めていたビアンテだが、ふと、何でもないように言葉を漏らした。
「でも、勤務初日は明日じゃなかったっけ?」
「へ?」
鳩が豆鉄砲を食らったような顔をするキムラを、面白そうにビアンテは眺めた。
「ほら、ここ」
どこからともなく出した転属の書類には、確かに今日の日付……、の上に雑に二本線が引かれ、その上には明日の日付が殴り書きされていた。
「い、いやいやいや、これ、明らかに書き直してますよね!? それにこれビアンテさんの字じゃないですか!?」
「そう? もともとそんな感じだったんだけど」
「な訳ありますか! こんなの上に通る訳ないですよ!」
「それが通るのよ。上司が、あの、モリ室長よ」
「……ああ、なるほど。……確かに通しそうであります、がそう言うことじゃなくて!」
「ああもう! ごちゃごちゃうるさいわね! この書類をごり押しすれば、あんたがサボったとかそういう事実は無くなるの! それじゃあ不満!?」
「いや、いやとかじゃなくてですね……」
ビアンテの剣幕に押され気味のキムラ。確かにそれが通ればサボりにはならないが、そんな力技でいいのだろうか?
「じゃあ、いいじゃない! 何、まだ文句あるの?!」
ぎろりと睨めつけられたキムラはフルフルと首を横に振った。
「なら万事解決ね。……ところで、あなたどうして初日からふけようと思ったのよ」
聞く分には真面目な奴と聞いていたのに、と呟くビアンテにキムラはポツリ、ポツリと自分の不安を吐露していった。
「なるほどね…… つまり、温室育ちの坊ちゃんが世間の荒波に揉まれて、怖くなってひきこもったと」
「いや、そんなことは…… いえ、その通りです」
言葉にしてみれば確かにその通り、情けない奴だなぁとキムラは自嘲する。
「それと、モリ室長が怖い、ね」
うーんと考え込むビアンテをキムラは不安そうに見つめる。
数秒して、ビアンテはキムラに向き合い、話し始めた。
「私がモリ室長の所に生贄……、いえ、転属になってから数年がもう経つけど、そうね、確かに今でも室長のアレは怖いわ」
何やら危なそうな単語が聞こえるも、キムラは今までの経験から無視を決め込む。完全に馴染んでいるように見えたビアンテにしても、あのモリという名の訳分からない人物に恐怖を抱いてると知って、キムラは驚きを隠せなかった。
「でも、それは私たちが常に持ってる類の物よ。例えば、そう、明日地震がきたらどうしよう、とかね」
ビアンテは、なるほど天災とはいい例だったわねと自画自賛する。
「天災?」
キムラの疑問に、ええと頷くビアンテ。天災は防ぎようがない物、それを怖がっているばかりじゃいいことなんか一つもない。天災は、備える物。怖がるものじゃないと説くビアンテに、キムラはなんだか自分の心が軽くなっていくのを感じた。
それに……、と最後にビアンテが付け足すように言う。
「あなたには書類仕事を手伝ってもらわないと。うちの室長の働かないことといったらありゃしないわ」
スーと手を伸ばすビアンテ。それは地球では握手、と呼ばれるものであった。
「だから、ね? 私を助けると思って」
満面の笑みを浮かべる美少女に、キムラは顔を赤く染めながら機械のようにコクリコクリと首を上下にふる。
あまりの恥ずかしさに、顔をうつむき耳を真っ赤にしながらキムラはビアンテと握手を交わした。キムラの、本当の意味での”転属”が決まった瞬間だった。
この時、もしキムラが顔を上げていれば、どこぞの新世界の神ばりにほくそ笑んだ笑顔のビアンテが見えただろう。
キムラ・クニオ、ピュアな少年であった。
時間は少し遡る。ビアンテが分室に転属してちょうど一年がたった頃の話である。
「室長ー! またサイン待ちの山が出来てますよ! そろそろ崩れます!」
「ああ、そこに置いといてー」
「だ・か・ら! そうしてるから山ができるぐらい書類が溜まるんでしょ! 室長はサインするだけなんですから、サインぐらいめんどくさがらずにしてくださいよ!」
叫ぶビアンテに耳をふさぐモリ。キーンという高音が鳴りやむの待って、モリはやっと古い地層辺りから化石の様な書類を引っ張り出し、のそりのそりと書類を処理していった。
そして手を止める。キッと鬼の様な顔で睨むビアンテを見て、嫌そうな顔をするモリであったが、ふと思い出したかのように声を上げた。
「ああ、そうそう。この前の宿題、ビアンテ君のデスクの上に置いといたから」
「了解です。……なんで、仕事サボってるのに、勉強は真面目にするんですか……」
ぼやきながらも、ビアンテはデスクに向かいモリの宿題を採点していった。
モリは、管理局ではエリート(であったはず)のビアンテから魔法について講義を受けている。何しろ、最初は文字を習う所から始めたのである。そういった事情を考えれば、もう一年で中学校に当たる部分まで勉強を進めれたのは順調といってもいいだろう。
その要因の一つとして、ビアンテが人に教えることを得意にしていたことがあげられるが、何と言っても本人のやる気が一番の要因であった。教師がいくら有能でも、生徒にやる気がなければどうしようもないのである。
「にしても、こっちの魔法って奴はほんと数学って言うか、プログラムみたいだな」
書類にサインをしながら、モリが彼女に話かける。
「まあ、それはそうですね。魔法、といっても動力が魔力素なだけですから。体系的な物を扱うとなるとどうしても、それっぽくなるんじゃないですか?」
マルチタスクが基本の魔法少女としては、採点しながらおしゃべりなんていうのもお茶の子さいさいである。モリは、その存在を知った時、気違いじみている、との一言で吐き捨てたが。
話題が無くなったのか、沈黙が二人の間に降りる。もう二人っきりの分室に勤めて早一年、二人は沈黙が気まずくないほどには打ち解けていた。
「ん?」
採点をしていたビアンテは見慣れない書類がデスクにあるのを見つけて、手を止めた。内容は召喚状、それも催促に催促を重ねているらしい。それもずいぶん前からだ。どこぞの組織が、とその呼び出されている会議の名前を見て、ビアンテの動きが止まった。
「モ、モリ室長……」
「ん? ないだい、そんな昼間に幽霊見たような声を出して」
サインを続けながら、片手間にモリは尋ねる。
「ん? なんだい? じゃないですよ! こ、これ提督会議じゃないですか!? 召喚状が来てますよ! ああ、もう、なんかすっごい催促してるし!」
見て見ると、再々……催促と、どえらい期間呼ばれ続けていることに気付いたビアンテは顔を青くした。思わず、次の転属先をシュミレーションしてしまったほどである。
「提督会議? ああ、あのババアか」
「ババア!?」
どう考えてもそのババアなるものは提督位を持つ人物を指しているようであった。この一年、規格外な経験を積んできたビアンテであるが、今でも新しい発見、というか問題にぶち当たることがままある。
「差出人の名前、リンディ・ハラオウンだろ?」
「そ、そうですね、そうなってます」
確かに、召喚状にはリンディ・ハラオウンのサインがあった。その前も、その前前も……どうやら、すべての召喚状に彼女の名前があるようである。
リンディ・ハラオウン……その名前に、ビアンテは何故か引っかかりを覚える。
(リンディ・ハラオウン? ハラオウン、ハラオウン……あ!)
もう転生して十数年になり、霞のごとくぼんやりとしてきた原作知識であるからしてビアンテは、彼女がどんな登場人物だったか詳細は覚えていなかった。しかし、思わぬ原作登場人物とめちゃくちゃな室長の接点に、いやな予感しかしない。
冷や汗を流しながらその書類をめくっていくと、あまりのしつこさにビアンテの顔がだんだん気持ち悪そうな顔になっていく。
「室長、なにかあったんですか?」
何もない訳がないだろう、ビアンテはそう思いつつもとりあえず聞いてみることにした。
「うん、昔ね、ちょっといざこざがあってね。まぁ、逆恨み、って訳でもないのかー、あちらさんからしてみれば敵になるのかな」
敵という言葉に、ビアンテは事情が大体想像できてしまった。犯罪者の親族か、何かなのだろう、彼がそういった関係でテロなどで狙われることも多い。最近は少なくなってきたが。
「なんだかあの人、手段が目的化してきてるんだよねー。人は忘れる生きものなのに、ああ、人じゃなかったか」
「人じゃない?」
「ん? ああ、ビアンテ君は関係ないよ。とりあえず、召喚状は捨てといて」
「いいんですか?」
「うん、大丈夫、大丈夫。ビアンテ君も何か嫌がらせされたら言うんだよー、とりあえず消しとくから」
「……何を、どう消すかは聞きません」
いいのだろうか、だめじゃないか? ……まあいっか、室長がいいっていってるんだし。
三秒ほど考えたビアンテは結局、その催促状だけでひと山できそうなそれらを捨てることにした。
なお、二年目程からはもったいないとして、メモ代わりとして分室では便利に使われていくこととなる。