ずぞっずぞぞぞぞっと一気呵成に蕎麦を啜る妙なガイジン。
啜る。そう、啜っているのだ。見事なまでに音を立て灰色の麺が喉奥深く消えて行く。
基本こいつらは、この啜るという行為が苦手な筈だ。相当修練したんだろうな、と呆気に取られつつ藤原は店主に目配せ。
おやっさん何こいつ?それに応え、さあ?と肩をすくめる年配の店主。
やがてずずずずずずうと汁を一滴残さず飲み干し、謎のガイジンがひと言。
「オヤジサン、これ旨すぎマス。蕎麦としてはエクセレンツ!ですが立喰蕎麦としてはイタダケマセン!
これ手打ちでスネ?いけません袋麺でなけレバ。あのチープさが──」
と、なにやら薀蓄を語り始めるガイジン。
「──つまりあのモッサモサ感がキモなのでス。あと出汁もパーフェクト過ぎ」
「おやっさん、天蕎麦。ネギ多めで」
藤原の言葉にはいよー、いつものねー、と応え、カウンターの奥で蕎麦玉を湯に放る店主。
しかし横では謎のガイジンが信じられないような物を見る目つきで藤原を見る。
「あんだよ?文句あんのかよ」
「具など中年女の厚化粧でス。ワタシ、カケは具無しで喰いまス。それが立喰いの心意気でス」
ほほう言うねぇ、と天麩羅を揚げながら、こいつ解ってるじゃねえか、と深くうなずく店主。
「なら玉子入れんなよ」
そりゃそうだ、と手を叩く店主。
「オウ、ノォウ!タメイゴゥ!それはワタシのオンリープロティン」
「なら他の食えよ」
「これが貴重なタンパク源でス!」
「だったら天蕎麦とかコロッケ食えよ!」
「あなた何にも解ってマセン!」
「おめえの何もかもが解んねえよ!」
はいよーお待ちー、と出汁の香る天蕎麦が藤原の前に置かれる。
相変わらず旨そうだなあと小銭を渡し、おっちゃん天ぷら揚げたてあんがとねー、と礼を述べた後、ガイジンに負けじと一気呵成に麺を啜りこむ。
その仕草を見たガイジン、半眼となり斜に構え、店主にひと言。
「オヤジサンおかわり。つきみ──そばで」
何か意味ありげな台詞だが藤原さくっと無視。半分ほど食べ終えたころ月見も完成。
そのまま一気呵成に電工石火の勢いでずぞずぞ啜るガイジン。五月蝿い程の爆音が駅の中響き出す。
「ごっそうさん」
「ごちグフッそうブフォさまでゲホゥアッ」
ゲフッ──嗚呼、良い月ダ。
昼間にも関わらずトンチンカンな台詞吐きつつ、無理してかっこんだせいでむせた挙句、
鼻から蕎麦を垂らすガイジンが親指を立てるも藤原やっぱ無視。
「ハジメマシテ、ワタシSEMネームを月見のベアと申しマス」
暑苦しいほどの笑顔。しかたなくフジワラ返します。
「何だよエス・イー・エムって」
「オウ!SEMご存知ないのでスカ!嘆かわしい限りでス!
SEMと言えばスタンディング・イート・マスターの略でス!つまりタチグイシ!立喰いのプロを指すワードでス!」
「知るかバカー!」
「オウ本当にご存知ないのですカ!ならばアナタに教えて差し上げまショウ!立喰師とハ──あの決定的な敗戦から数十年。占領統治下の混迷からようやく抜け出し国際社会への復帰のために強行された経済政策は失業者と凶悪犯罪の増加そしてセクトと呼ばれる過激派集団の形成を促し本来それらに対応するはずの自治体警察の能力を超えた武装闘争が深刻な社会問題と化す中で生まれた影の存在それが立喰師。食文化の闇に炎でその名を刻んだ異端の英雄たち。しかし歴史は彼らに重要かつ最終的な役割を与える事となった──の事でス!」
「長えよ!オシイってんじゃねえよ!途中から語尾まともになってんじゃねえよ!」
あーもういいわ。だるそうに首を振る藤原が眼前のガイジンをひと睨み。
「オウそんな怖い顔しないでクダサイ──フジワラさン」
自分の名を呼ぶその男にさして驚く素振りも見せず、藤原は指をくいくいと動かし待合室へと彼を誘う。
楕円のカーブを描くベンチに腰を降ろし、しばし沈黙する二人。そして。
「で?何しに来たんだおめえ。チャカチャカとひとの周り嗅ぎ回りやがって」
なあ?元SASさんよお、と眼前の男を睨む藤原。
「観光でス」
「ふざけんな」
「実は偵察でス」
「えらく素直だなオイ」
実はどっちも兼ねてなんでスけどネ、と大げさに肩をすくめるガイジン。
「ハジメマシテ。ベア・グリーズと申しまス。月見のベアと」
「うるせえよ、魔道旅団」
藤原の言葉を聞き、ベアの眉がくいっと上がった。
狼の娘・滅日の銃
第九話 - 敵か!? 味方か? 月見のベア -
「なるほど。ご存知でしたカ」
魔道旅団。それは公式には存在しない。
ヴォクスホール魔道第五機動師団、通称機動団〈青〉の中に在ると噂される非公式の対外工作機関である。
主目的は国外での諜報活動及び謀殺。国内よりの志願は一切受け付けず、もっぱら国外からスカウトされた人材で構成される組織らしい。
使い捨ての外人部隊と揶揄する者もいるが、機密性の高さから忠誠度は高いと推察される。
王国の裏が魔道師団ならば、旅団は影と言うべきか。
「流石稀有なル、より強きものですネ」
そうでしょうドリフター?とベアが囁く。ワタシにとってアナタは眩し過ぎマスと。
「ドリフだか全員集合だが知らねえが、そんなん勝手におめえらが呼ぶだけだ」
ドリフター。漂泊者。はぐれもの。それは魔道──ラインよりはぐれたという意味を持つ。
「いえいえ、アナタは別格でスよ」
「阿呆か。ただヤルしか能の無ェ奴捕まえて何言ってんだか」
ラインとはネペンテスだと誰かが言う。蜜を出し獲物を誘い蓋をして溶かし食い尽くす肉食植物のようだと。
ラインの力を享受せし者は、やがてライン無しでは生きられぬという業を背負う。
破壊に治癒に転送。絶大なるこの力を知れば離れる事など出来はしない。蜜にして劇薬。ラインとは力の源泉であると同時に罠でもあるのだ。
獲物たちは罠に嵌った事を気付いても、誰もが逃げ出す意志を示さない。クラインの壷に似た袋の中で誰も彼もが溶けていく。
抗う事など出来はしない。ラインに恭順し共生を選ぶか、もしくは、決して近寄らず傍観に徹するか。
しかし中には鋭利な爪を葉脈に突き立て、その牙で袋ごと食い千切ろうとするものも居る。
ドリフター。ラインの力を得ずとも力を持つ者達。
発現する個体数は絶対的に少ないが、一騎当千の魔道師団を以ってしても駆逐出来ぬ存在。
ヴォクスホールがラインを享受する者達の象徴であるならば、ドリフターとは、それと対峙出来得る者達の総称でもある。
「女王がご執心されるのも解りまス」
「はあ?おめえ何言ってんだ。知らねえよそんなビッチ」
「とぼけてはイケマセン。二十年前アナタに贈られたギフトこそ女王直々に」
「黙れ」
あいつをギフトと呼ぶな。鋼の如き藤原の眼光がベアを射抜く。
「失礼しまシタ。ですがその件でハー・マジェスティの言葉を預かっております。
それをアナタにお渡しせねばなりませン。ワタシは勅使、メッセンジャーでもありまスから」
フジワラサン、アナタへの言伝ですよ、とベアは微笑む。
「──言ってみろ」
「アナタをヴォクスホールにお招きしたいと女王は申しておりまス」
「お断りだ。んなおっかねえトコ行けるかよ。帰ってこれねえじゃねえか」
いいえ。微笑むベアが首を振る。
「あなたにVの号を授けたいと申しておりまス」
予想だにしなかったその言葉に藤原が目を剥く。
V──それは魔道師団軍団長の証にして女王執行権すら併せ持つ。
つまり女王アメリア・ヴォクスホールと同等の地位を与えるという事だ。しかしそれは──ありえない。
「──聞いてもいいか?」
「──何でスカ?」
「──おめえんトコの女王な、馬鹿だろう」
「──正直反論出来ないのが悔しいでス」
本来それは、唯一の女王アメリア・ヴォクスホールが王国と帝国という二重国家を統べるべく創設したものだ。
しかしその号は女王が勅命を下す際、一時的に自身の名をアメリア・V・ヴォクスホールに改め魔道師団を動かす時に用いたもの。
それを別けるなどありえない。ましてや敵対者である筈のドリフターに渡すなど言語道断。十中八九、嘘。十二分にして、罠。
自分はそこまで見くびられているのだろうかと藤原は思うが、もう一つの可能性を思い付く。
自分がもしそれを受ければどうなるのか。女王は何を得るのか。
ベアの言葉を思い出す──〈ギフト〉〈その件で〉
ギフトがトランクより生まれし者を指すのなら狙いは真美だろう。
だが違うと藤原は思う。今更回収しても何の役にも立ちはしない。
それが目的なら当の昔にやっている。例えベソ美がそうだとしても勝手に消えればいい事だ。
馬鹿だからそれに気付かないだけかもしれない馬鹿だし。それはいいとして。
しかし、それよりも奴等にとって更に稀有なるものがある。
ドリフターとギフトのハイブリッド。奇跡の存在、それは即ち。
「おまえ達の狙いは──真澄か」
ぎりっと藤原の奥歯が軋む。
自分が動けばあの娘も付いて来る。女王は、あの娘を狙っているのだ。
「そうでもアリ、そうでもナイ、としか言い様がありまセン」
あのお方の御考えは、我らが思う以上に深く暗く、底さえ見えぬのでス、とベアは言う。
「どっちだっていい。お断りだ。くそくらえ、とでも返しとけ」
ですよネエ、とベアは肩をすくめて力無く笑う。その答えは最初から解っていたとでもいう素振りで。
彼の姿を見て藤原が感じるのは皮肉でも嘲笑でもない。忠誠を誓うはずの女王に対してもどこか一歩引いたようなベアの態度。
だから怒りが沸かないのかも知れない。敵対者であるにも関わらず妙なシンパシーまで感じてしまう。
まるで同僚同士、仕事をサボって愚痴でも言い合っているかのような親近感すら覚える。妙な奴だな、と藤原は思う。
「確かに伝えましたヨ。これでワークは二割終わりました。残りの三割は秘密でス」
「足しても五割じゃねえか。あと半分は何だ?監視か?」
「あなた馬鹿でスカ!」
お前は何を言ってるんだ、とばかりにベアが叫ぶ。
「立喰道を極める事に決まってるではないでスカ!」
「仕事じゃねえだろ!」
「人生の仕事でス!」
「おまえやっぱバカだバーカ!」
「馬鹿で結構!私は一向に構わんッ!連隊を引退したのもこれこそが生涯を捧げるにふさわしい人生の仕事だと確信したからだ!嗚呼素晴らしき立喰美学!薀蓄、説教、話術、奇行など様々な手段を用いて店員を圧倒し金銭を払わず風の如く消える爽快感!容赦なきゴトで店主を叩き伏せる快感!この美学、否、哲学!だが連隊を辞め私は愕然とした。無いのだ。故郷には立喰蕎麦店が無かったのだ!フィッシュアンドチップスやハギスはアレでアレだから!しかし途方にくれていた私に女王は手を差し伸べて下さった。かの地に必ずや立喰蕎麦店を作ると!ああ素晴らしきハー・マジェスティ!その為ならば私は馬鹿になるッ!」
「お前最初から馬鹿だよ!つか何でその話になると語尾変わんだよ!」
「あやまりなサイ!タチグイの神様にあやまりなサイッ!」
「いねえよそんな奴!」
あ、おかーさん、きのうのカイジンがいるよ!
しっ!係わり合いになるんじゃありません!
見ろよおいアイツ昨日の変態だぞ!よし逃がすな今度こそ生け捕りにしろ!ざわざわ──と急に騒然となる駅の中。
「オウいけませン!フジワラさん今日の所はこの辺でアディオス!」
風のように駅構内を駆けて行くベア。
追え!地の果てまでも奴を追うんだ!と彼を追いかける駅員や警官その他の皆様。彼らの後姿を見ながら藤原は思う。
なんというすがすがしいバカなのだろうかと。
■
目を閉じれば浮かぶ、あいつの顔。
──ねえダーリン、アタシを殺したい?
五年ぶりに再会した時、少女は一匹の雌になっていた。
──ねえダーリン、アンタ殺していい?
雌が笑う、雄も笑う。
そして二匹は殺し合う。
獣同士の共食いが始まる──しかし。
「──あれ?お父さん!どうしたの?」
その声で我に返る藤原。目の前には可愛い娘。
「いやなに、通りがかってよ。いやあ偶然だなあ偶然」
「ふーん」
ま、そういう事にしておきましょう。
ニヤニヤと含み笑いを浮かべながら、真澄は父の腕に絡みつく。
ちょおまっ何やってんの校門前で、などと藤原慌てるも、別にいいじゃない親子なんだし、などと何処吹く風で笑う真澄。
いや普通逆じゃねコレ?と藤原冷や汗かきながらも実はお父さんちょっと嬉しい。そのまま帰路につく二人。
「通りがかりですかお父様。郊外の山中にある学校の前を偶然ですかお父様」
真澄の通う私立青陵女子高校は、かなめ市郊外の山、その中腹にある。
ちなみに学校までの道は一本道。校門前で行き止まり。つまり通りがかりなどという言い訳は通用しない。
「うるせえなあキャトられたんだよ、リトルなグレイっぽい奴に、気が付いたら校門で」
「はいはい。でも嬉しい。とっても嬉しい。迎えに来てくれるなんて」
ふふっと笑う真澄の笑顔に藤原の顔もほころぶ。だが。
なだらかな下り坂、森の中を歩きながら藤原の空いた手が腰溜め、上着の下の得物に触れる。
娘に悟られぬよう警戒を怠らず、周囲へと気を配る。観察者──あの視線は感じない。
ベア・グリーズ。彼は清々しい程の馬鹿だが異常なほど存在感が希薄だった。あの感覚は真美の持つスキルに近い。
流石は魔道旅団の斥候、一筋縄ではいかねえな、と藤原は気を引き締める。
──真澄の事は心配せずとも良い。
あれは繭子の真意なのだろう。常世の君が直々に発した言葉。ならば真澄に害が及ぶ事はない。
しかし頼る事は出来ない、否、気を許してはいけない。
最近つい忘れがちになりそうだが、あれはヴォクスホールより恐ろしい存在なのだ。それを忘れてはいけない。
とどのつまり、この子を守るのは自分なのだ。笑顔の下で決意を新たにする藤原。その時。
「ねえ、お父さん。聞いていい?」
ふと立ち止まり、真澄が絡めた腕を離す。
「なんで私を捨てたの?」
不意に放たれた言葉。五年間一度も聞かれなかった問い。
いつかは聞かれると思っていた。けれどそのいつかとは、いつも唐突にやって来る。そういうものだ。
娘の問いかけに藤原は顔を伏す。それは骨身に染みて解っていた筈だ。うろたえるな、そして偽るなと自分に言い聞かす。
意を決して顔を向ければ真澄の顔には怒りも悲しみも見えず、ただ透明な瞳が目の前の自分を映していた。
混じり気の無いその瞳に顔を背けそうになる。しかし堪える。やがて。
「俺は馬鹿だった。今以上に馬鹿だった。それだけだ」
彼女は何も言わない。
さわさわと夕暮れの風が木々を揺らし葉を落し、やがて真澄の髪を巻き上げる。
シャンプーの香りが藤原の鼻先をかすめる。その中に微かに混じるおんなの匂い。
それは、あいつの匂いに似ていた。
「訳は言わない。だから言い訳はしない。事実だからな」
「後悔してる?」
「──ああ」
そして娘は、再び父の腕に自分の腕を絡める。
「ふーん。まあいいわ。と、いう事はね」
ぎゅっ。絡めた腕に力がこもる。
「フジワラスタイル継続という事です」
「待てコラ何言ってんだコラそれとこれとは話が」
「私の復讐はまだまだ続きますわよ?お父様」
だって甘さが足りないみたいなんだもん、と真澄が嬉しそうに笑う。
やられた、と藤原は思った。
■
女心と秋の空とは良く言いますが。
「なあ真美よお、女ゴコロって奴ぁ」
難しいモンだよなぁ、と屋上で寝転がるというか寝転がした真美に向けて声を掛ける藤原。
見上げれば高い高い青空。本当に秋の空は高い。ぽっかり浮かんだ雲に向けて手を伸ばす。けれど高すぎて到底届きそうに無い。
あたりまえか、と藤原が足元に目を向ければ、ゼイゼイ、ハァンハァンとうめきともあえぎともつかぬ吐息で虫の息な馬鹿ひとり。
「師匠ォ──最近手加減ないッス!」
息を何とか整えながら抗議する真美。
「知るか。こっちも余裕ねえんだよバカ」
実際今日もやばかった。
この馬鹿は相変わらずの馬鹿ではあるが、この五年で更に磨きがかかった。
何も考えず縦横無尽に飛び掛り、一気呵成に間を詰め、次から次に連撃を繰り出す。
未だ姉ほどには至ってはいないとはいえ、既に本局では、専従班に組み込まれ第一線に投入され頭角を現しているとかいないとか。
弟子の成長につい頬が緩みがちではあるが、おかげで手加減など出来なくなった。しかし、むしろ有り難いと藤原は思っている。
そうでなくてはと。これは弟子への稽古であると共に自身の鍛錬になる。
最盛期とは行かぬが、未だ実戦レベルを保っていられるのも真美のおかげかも知れないと。
でもそんな事は言えない。なぜならば。
「え!師匠余裕無いんスか!え?なになにマミたんたらそんなに」
「うっせえバカ」
ほらこれだ。こいつ馬鹿だから直ぐ調子に乗りやがる。まだまだだと思わせなければ。
ここで止まる訳にはいかないのだ。こいつの為に、何よりも自分の為に。それは即ち、あの娘を守り抜く為に。
最期の瞬間まで現役でいなければならないのだ。
「っていうかぁ、女ゴコロとかナニ艶っぽい話してんスか師匠」
「いや、あのな、一週間前からよお」
「ふむふむ」
「フジワラスタイルが再発してセカンドシーズン突入」
「なん、でスと」
オニ!鬼畜!ロリ包丁!と叫ぶ真美。気がつけば当に息切れも消えている。
相変わらずこいつ回復早ぇよなあ、やっぱ馬鹿すげえ!とフジワラ師匠いたく感服。
「いやまあ、ちょっとしたトラップに引っかかっちまってよぉ」
などと師匠、弟子に人生相談。一週間前、娘を迎えに言った時の出来事をかいつまんで話す。
「なんで真澄ちゃんと離れたんスか?」
「いろいろあったんだよ、いろいろ」
「あの子守る為に身を引いたんスね」
「おめえな、変なドラマの見過ぎ」
「あの子の盾になるために離れるしかなかったんスね」
「そんなんじゃねえよ、意気地無しのクソ野郎だっただけだ」
噛み締めるように藤原は言う。
あいつの言った通りだ。あの子が可愛い、それは昔も今も変わらない。だがあの頃の俺はどこかに未練があったのだろう。
置き去りにされたような寂しさを感じてはいなかったか。未だ獣でいたいとどこかで願ってはいなかったか。
あの女はそれに気付いたのだ。だから俺が、そうなる前に身を引いたのだ。あいつ──真来は。
「おめえ。いいか、真澄に絶対ェ余計な事言うなよ」
「あい」
しかし馬鹿はやはり馬鹿。これっぽっちも聞いてはいなかった。
■
「ねえお父様聞いて良いですか?」
「なんだね娘、何でも聞きたまえ」
「何故毎回毎回予告無しにこの女を連れてくるのですか?」
「予告無しにズバッと参上!リリカルバカ!マミたんだったのダー!」
台所からビシッビシッと鞭の如き音が聞こえて来る。
五年前に比べ格段に進歩したマスミパエリヤット的蹴りが藤原の腿裏やっちゃってるっぽい。
うわすんげえ痛そう、と他人事な真美。
「お前も懲りませぬね」
「ひいッ!」
突如隣に現れた黒髪の童女に叫ぶ真美。
「今日も美味しかったですよ真澄。それではおやすみ良い夜を」
相変わらずガチガチに身を固める馬鹿。いい加減慣れろよと師匠から良く言われるがこればかりは無理。
しかし五年前に比べ進歩したのは繭子を前にしても気絶しなくなった所か。
そうこうしている内に幾分すっきりした娘と、脱皮し損ねたセミのような顔をしたお父さんが戻ってきた。
「仕方ないから泊めてあげるわ。けどアンタの飯無いから!あ、マユコさんおやすみー」
やれやれ随分と嫌われたもんだわ、と苦笑する真美。
──ごめんねマスミちゃん。アタシ、師匠やっぱ好きだわ。
一年前、真澄の入学式の日。彼女の耳元で囁いた言葉。
けれどたいして動ずる事も無く真澄はただひと言──そう、やっぱりね──と返すだけだった。
その時に何があった訳でもない。あの狼の目で睨まれた訳でもない。
けれどあの日以来、彼女は真美の事をマミさんとは呼ばなくなった。
あの女、この女、アンタ。女心の解らぬにぶちん師匠には、他人行儀が消えた身近な姉妹のように映ったのかもしれない。
けれど違うと真美は思う。この子はもう自分を許さない。敵と認識したのだ。
上等、と真美は笑う。戦争開始だ愛しい娘。あの男を取り合う血みどろの闘いを始めよう。
だが私は欲深い。アタシはあんた達を手に入れる。愛しい家族を。
「──お父さん?どうしたの?」
真澄の声に我に返れば、繭子の去った玄関先、ドアの向こうを睨む藤原。
彼の目線に視線を合わせ、次の瞬間その意味に気付く真美。
「──師匠」
「──おう」
何もない。否、何も無い何かが来ている、と真美は感じる。
自分と同じ、存在を消しきるスキルを持つ何かが。
「真澄、ちと用事思い出したんでコンビニ行って来る。ついでに買ってくるもんあるか?」
「え?いや別にないけど──すぐ戻ってきてね」
おう、と娘の頭を撫で真美に目で合図する。真澄を頼む──了解、と彼女はうなずく。
「あ、師匠!ならノリ弁とアイス頼んまス!はいコレ。アタシの財布ッス」
藤原に渡した財布、その下に隠されたゴー・ナナの予備弾装。
やがてドアは閉じられ男が消えた。玄関に残されたのは娘と女。
「さて、真澄ちゃん。せっかくなんで」
腹割って話そうか、と真美は微笑んだ。
■
街灯の光届かぬ電信柱の上、ぼうと立つ影ひとつ。
十六夜の月光が彼の横顔を照らす。
「──嗚呼、良い月ダ」
「何やってんだおめえ」
その声に足元を見れば、電信柱の下で自分を見上げる藤原の姿が。
「いえ、レジェンドオブSEMと呼ばれるツキミノギンジの口上をデスネ」
「あーめんどくせえ。いいから早く降りて来い」
やれやれと肩をすくめ、ふわりと月夜に舞い上がるベアの姿。
「ちなみにこの口上の前に──つきみ、そばで。これでパーフェクツ!」
「うるせえよ!」
音も無く藤原の眼前に着地したベアは相変わらずこんな調子で。
「一週間ぶりのごぶさたでしタ」
「ご無沙汰も何も、二度とてめえには会いたくなかったがな」
「オウ、つれませんねェ」
「で?何の用だ?変な呼び出し方しやがって」
「実はでスネ。もっとゆっくりしたかったのでスガ、少々仕事を早めねばならなくなりまシテ」
だらり、とベアの両手が垂れ下がる。
「へえ、そうかよ」
彼の仕草に呼応するかのように、両脇からゴー・ナナとフクロナガサを引き抜く藤原。
「フジワラサン。試させていただきマス」
ベアが纏う黒いコート、左右の袖口から姿を現す二対の〈得物〉。
それは銃剣の如き姿をしていた。握り部分の柄と、柄の先を迂回しL字形に伸びる艶消しの黒き刃先。
ベアの手が柄を握り締めた瞬間、先端に空けられた穴に光が灯る。
「アナタのガンソード・アーツ、ワタシのバイヨネット・バレル、どちらが上か」
にいぃ、と彼の口元が吊上がる。同時に柄の光が眩い光芒となって溢れ出す。
「魔道第五機動師団、コード・ブルー、副団長ベア・グリーズ──推シテ参ル」
刃と刃、光芒と火薬が交差する。
■狼の娘・滅日の銃
■第九話/敵か!? 味方か? 月見のベア■了
■次回■第十話「ギフト」