ヴォクスホール王国。
正式名称ハー・マジェスティ・オブ・ヴォクスホール・キングダム。
その名の通りハー・マジェスティ、つまり女王が統治する国家である。
一般にはあまり知名度の無いヨーロッパの小国ではある。
しかし王位を女系が継いだ場合、王朝が刷新されるという考えが一般的な為に無視されがちだが、
血脈の古さという点ではヨーロッパに於いて最源流に近い王家であるとも言える。
主産業は観光と農業。立憲君主制国家ではあるが統治者が君主大権を保持しているという点ではリヒテンシュタインに近い。
だが一般に知名度は低いと言っても、かなめ市では別だ。
何故ならこのヴォクスホールとかなめ市は姉妹都市協定を結んでおり、比較的交流が盛んであるからだ。
しかし小国とは言え相手は国家、かなめ市は地方の一自治区に過ぎない。果たしてこれは成立しうるのか。
などと言っても実際成立しているのだからしょうがない。
実際かなめ市とは共通項が多い。一つ面積、共にほぼ160平方キロメートル。一つ人口、共に3万人弱。
一つ立地、山に囲まれたかなめ市と山間地に位置する内陸国ヴォクスホールは共に海に面していない。
他には景観が牧歌的でどことなく似ていたり、街中に市電が走ってたり、飯が結構旨かったり、
財政的にそんなに恵まれてないにも関わらず意外となんとかなってたり、
などなど、これではお互いにシンパシーを感じてしまっても仕方ない、のかもしれない。
「こちらでしたか」
彼女が探す主(あるじ)はテラスで一人、陽光の下、ひと時のティータイムに興じていた。
「探しましたよ、女王」
言いながらも彼女は主の横顔にしばし見蕩れる。
きめ細やかな白い肌。皺一つ見えぬ目尻。午後の日差しが柔らかなその髪に注がれる。
透き通るようなプラチナブロンド。しかし主は彼女の言葉に答える素振りすら見せず遠方の山々をただ眺める。
再び問い掛けようとするも、ふとテーブルの上に視線が移る。その机上に置かれたもの。
ティーカップ。ポット。砂糖入れ。チェス盤と駒、そして一際目に付いたのが便箋。
封切られ置かれたカードの文字──かなめ市郷土資料館・開館五周年記念式典ご案内。
なるほど、東か。彼女は納得する。
敬愛する偉大なる主が今眺めているであろう東の山々。きっと主はその向こう、遥か彼方の地を見ているのだろうと。
やがて彼女の主──女王、アメリア・ヴォクスホールは言葉を漏らす。
「おうどんたべたい」
「──母様!? 」
その素っ頓狂な言葉につい素に戻ってしまった彼女──エレン・ヴォクスホール第一姫。
「あらエレン?ごめんなさいね、わたしったら」
オウドンって何?って何!? と心の中湧き上がる疑問を押し止め、なんとか取り繕うエレン。
「おうどんと言うのはね、ニホンのパスタみたいなもので」
「お願いですから心の内を読まないで下さいませ母様」
ほわほわと笑うアメリアをエレンは母と呼ぶ。
しかし、端から見れば姉にしか見えぬその姿。女王はエレンが生まれた時より何も変わらない。
それ以前に老いという概念さえ寄せ付けぬその美貌。
エレンの母にして女王、アメリア・ヴォクスホールはこうも呼ばれる──常若の君と。
「行かれるのですか?カナメに」
「行きたいのは山々だけれども」
無理ね。と残念そうに溜息をつくアメリア。
「それが常世の君──コクーンとの盟約だもの」
他の地は侵さず──そうでしょ?女王の言葉に頷くエレン。
古来より侵略そして紛争が絶えないこの地、にも関わらず数多の大国に蹂躙されず併合すら許さず
頑なに独立とその血脈を守り抜いてきた奇跡の小国、ヴォクスホール。しかし。
蹂躙?併合?とんでもない!
誰が好んで自国よりも遥かに強大な力を持つ国家に手など出すものか。
その気になれば周辺の国々など一夜で灰燼に帰す事も可能、それだけの力をこの国は持っている。
小国などはで無い、大国なのだ。世界中の魔を統べる魔道大国、それがヴォクスホールの真なる姿。
忌々しくも強大無比な魔道師団を有する絶対君主国家。
ハー・マジェスティ・オブ・ヴォクスホール・キングダム、それは、こうも呼ばれている。
マジェスティック・インペリアル・オブ・ヴォクスホール──魔道帝国ヴォクスホール、と。
「それで?わたしを探していたようだけど」
「恐れながら、実施要綱に御目通し願えればと」
エレンの差し出した冊子。その表紙に書かれた文字──Re-Build of " Ex - Inferis "
「あらあら、もうこんな所まで。仕事が速いわね、エレン」
女王は凛と佇む我が娘を見て目を細める。
「ラインの正常化は王国の悲願でございますから」
しかし、細めた瞳から漏れる眼光は、冷たい鋼のようだった。
狼の娘・滅日の銃
第七話 - ハー・マジェスティ -
魔道──それは魔法とは異なる。
本来、人の御せぬ巨大な力、これを魔と定義する。
それは流れであり巨大なシステムの如く循環する。
磁力線が南と北の二極を結ぶように、この力の循環は西と東を結ぶ一つのラインを形成する。
西のヴォクスホール東のカナメ。魔道とはこのラインを示す言葉である。
元々このラインは西から発し東へ落ちるという流れであった。
故にヴォクスホールは魔道の源流地としてこの力を取り入れ利用する魔道技術が隆盛を極め、魔道帝国として世界を席巻する。
歴史の宵闇から薄明を渡り君臨する夜の帝国として。
その中枢はライン制御の要石(キー・ストーン)、魔道の心臓──エクス・インフェリス。
心臓の名が示す通りエクス・インフェリスとは、ラインが絶え間なく流れるべく設置された制御器である。
何故このような物が必要なのか、それはラインの特性に起因している。
魔道、つまりラインに流れる力の流量は本来一定ではない。時にたおやかに、時に絶え、そして時に激流の如く押し流す。
そのままでは人が御する事が難しい暴れ川なのだ。
そこでラインの源泉であるホールと呼ばれる場所にエクス・インフェリスを設置し、
流量を制御する事で力を効率的かつ安定して供給する事が初めて可能となる。
ポンプにして循環器にして制御器であるエクス・インフェリスは文字通りヴォクスホールの心臓であった。
一方、ラインの落つる地カナメは力が呑まれ消え行く場所として禁忌の地とされ、長きに渡り人が寄る事を許さず、歴史からも抹殺され続けた。
「全てはあの日から、ですものね」
「はい。女王」
それがある日を境に反転する。
東から西へ、カナメからヴォクスホールへ。後にリバーサル・シフトと名付けられた逆転現象。
主たる原因はエクス・インフェリスの消失、それにより制御を失ったラインが暴走を起こし氾濫、結果、逆転現象を引き起こす。
これによる被害は甚大で王国臣民の半数がホールに呑み込まれ犠牲に──と王国公式文書には記されている。
消失の原因は不明。だが時を同じくして王国より消えた者がいた。
名をコクーン。誰よりも魔道を熟知し黒髪の魔女と恐れられ、当時王国でエクス・インフェリスの制御を取り仕切っていた審神者。
審神者──サニワとは祭祀において神託を受け、神意を解釈して伝える者を指す。
遠くカナメの地より来訪し魔道の存在をこの地に伝え、その扱い方を王国に教授したとされる伝説の客人。
コクーンの名は彼女がカナメで用いた名、繭(コクーン)に由来する。彼女が王国にもたらした恩恵は計り知れない。
しかし公式文書とは別に存在する帝国機密調査文書にはこうも記されている。
曰く、魔道の心臓は、コクーンにより奪われた可能性が強い──と。
しかし、皮肉にもこのリバーサル・シフトは損害を補って余りある恩恵を王国に与える事となる。
原因は不明だがリバーサル・シフト以降、エクス・インフェリスを失ったにも関わらずラインは突如その性質を変え、
制御を行う以前よりも遥かに安定化を遂げ、以来今日に至るまでその力をヴォクスホールに注ぎ込んでいる。
「何故コクーンはあのような事を致したのでしょうか」
「警告──なのかもしれないわね」
魔道の帝国よ、借り物の力で驕(おご)る事なかれ。
黒髪の魔女コクーンは、この言葉を伝える為に魔道の心臓をヴォクスホールより奪い、遠きかなめの地に隠し、
故意にリバーサル・シフトを引き起こしたのではないか。アメリアはそう言っているのろう、とエレンは理解する。
遥か昔、ヴォクスホールはどこにでもある一小国に過ぎなかった。
常に周辺よりの脅威に晒され続け、強国からは子羊のねぐらと揶揄され、いつ地図より消え去ったとしてもおかしくは無かった。
そこに現れたのがコクーンだ。童女の姿を纏い艶やかな長い黒髪をなびかせて王国に舞い降りた御使いの如きその姿。
自分を旅人だと言い、また審神者であるとも告げた彼女を王国は暖かく迎え入れ交流を結ぶ。
だが或る日、突如隣国が国境を越え侵攻を始める。為す術も無く王都を包囲されヴォクスホールは落日を迎えると思われた。
しかしその時、取り囲む大軍の前に黒髪の魔女が現れ、彼女は告げる。
──この地を侵すなかれ、この地に触れる無かれ、これは御言葉である。
ノリ・メ・タンゲレ──汝触れるなかれ。
この言葉を放った瞬間、突如大軍の足元に地獄へと続くかのような大穴が現れ、一瞬でその全てを飲み込む。
そして彼女はまるで何事も無かったかのように振り返り、にこやかに微笑み、その童女のような愛らしい口で、唖然とする王国の民にこう告げた。
──わたしはおなかがすきました。今日のごはんは何ですか?
それが或る日に起きた出来事であり、王国の終わりにして、魔道帝国の始まりとなる。
以来子羊のねぐらは狼の巣へと変貌し、誰もこの地を侵す事は無くなった。
コクーンの手により生み出された大穴──ホールに据えられた魔道の心臓、エクス・インフェリスを中枢として発展する数々の魔道技術。
だがそれを用い。かつて隣国が行ったように他の地を侵す事は決して無かった。それが黒き魔女との盟約だったからだ。
しかし他の地を侵さぬ代わりに、その勢力は近隣のみならず遠方に至るまで及ぶ事となる。
やがてその力を恐れ、また渇望する大国の度重なる侵攻を受けるも、強力無比なる魔道師団によって都度駆逐され、
完膚無きまでに打ちのめし、屈服させるその姿勢は世界の隅々まで浸透する。
地は侵さず、しかして君臨する。君臨すれど統治せず、されど魔道を支配する。その姿は今日に至るまで揺ぎ無い、しかし。
「驕り──確かに」
所詮それは借り物の力。ラインの威をかさに着た傲慢な行為に過ぎない。
故に彼女は警告する。お前達の心臓は我が手にある。夢々忘れるなかれ、驕るなかれ、と。
「でもね、エレン」
薄く朱に染まる唇を微かに歪ませ、アメリアは娘に告げる。
「あの存在の御言葉はね、全てを鵜呑みにしてはいけないの。解る?エレン」
その口ぶりはどこか楽しそうでもあった。
■
このままで果たしてよいのでしょうか。
かつてエレンは母にして女王であるアメリア・ヴォクスホールにそう問い掛けた。
未だ帝国は仮初とは言え繁栄を謳歌している。
リバーサル・シフト以降、確かにラインは驚くべき安定を遂げた。故に誰もがあの一件を無き事にしようとしていた。
しかし見過ごせない点が二つあった。それはつまり、ラインがいつ何時かつてのような姿に戻るとも知れない、という事実。
それにも増して危惧されるのはラインの源流がカナメに移ってしまった事だ。
もし帝国に仇名す者によってこの地が抑えられたとしたら。それは魔道帝国の崩壊を意味する。
捨て置きなさい、とアメリアは答える。
幸いにしてあの消失が当事者以外に漏れた形跡は無い。
故に今までのようにコクーンの気に触れぬよう、したたかにやり過ごすのがこの繁栄を止めぬ最良の手段。
しかし、魔道の心臓奪還の為、魔道師団総力をもってカナメに攻め込み、コクーンに挑むとしたらどうなるのか。
負けはせぬだろう、だが到底勝てはしないだろう。良くて相打ち。
例え膨大な犠牲を払い取り返せたとしても、疲弊し切った我らに対し、
勝機とばかり未だ覇権を狙う者達より攻勢を受ければ、あえなく帝国は落ちる。
それは帝国のみならずラインの絶大な力を得るために数多くの血が流れる切っ掛けに為りかねない。
王国と帝国と世界の安寧の為には、あの黒髪の魔女が沈黙を守る限りこのままが良いのです、きっとコクーンも同じ想いでしょう、と。
エレンもその想いは良く理解していた。故に彼女は母に一つの進言を行う。
女王、いまひとつ手段がございます、それは──エクス・インフェリスのリビルド(再生)。
「もう準備起動まで行けそうなのね」
冊子に目を通しながら、対面に座る娘に問うアメリア。
「当時と違い制御プログラムも組み込んでおりますので、近日中に稼動は出来るかと」
そう、それは良かったわね、と女王は微笑む。
「魔道と科学の融合、楽しみねエレン」
「私は指揮を執り行ったに過ぎません。寝食を忘れ取り組んでくれた者達のおかげです」
ヴォクスホール王国継承権第一位、エレナ・ヴォクスホールの脳裏に浮かぶ者達の顔。彼らは皆、エレンを慕っていた。
王国と帝国、何よりも臣民を愛する姫君だからこそ、老若男女を問わず彼女に尽き従う忠実な臣下だった。
だからこそ彼女は、そのような彼らを心底愛していた。
「そうね。成功の暁には労をねぎらい、存分に礼を与えねば」
愛しそうにアメリアが娘の頬を撫でる。柔らかい母の手に、心地良さそうに目を細めるエレン。
しかしその光景は、二人を知らぬ者達から見れば仲の良い姉妹にしか見えない。
「ねえエレン。あなたはいくつになったのかしら」
「十七でございます、母様」
「そう。ならばそろそろ考えてくれないかしら?」
王位を継ぐ事を。母の言葉に笑みを消し身を固める娘。
「──お戯れが過ぎます。女王」
継承権とは形式だけのものですから、と女王に告げるエレン。
「私は女王の執務代行者として作られたのですから」
その言葉を受け、寂しげな素振りを見せる母にエレンの胸が痛む。
しかしこればかりは仕方がないのだと思い直す。取り違えてはいけないと。
自分は女王になる為に生まれたのではない。女王の仕事を行う為に作られたのだ。ハー・マジェスティの為に。何故ならば。
ヴォクスホール王国の長き歴史に刻まれた女王の名はただ一つ──アメリア。
その名は受け継がれたものでは無い。唯一の名だ。
目の前で悠然と佇む女性こそが唯一の女王なのだ。
未だ老いを知らぬ常若の君。魔の中枢に座す唯一の存在。The One。
魔道帝国ヴォクスホール首魁アメリア・ヴォクスホールとは、そういうものなのだ。
「ならばエレン。わたくしの愛しい娘。貴女は──何を望むの?」
「この身朽ち果て消えるまで、女王のお傍に」
「わたしくしに忠実な人形など必要無くってよ?エレン」
その言葉を聞き、エレンは苦笑する。この愛しくも恐ろしいお方は何でもお見通しなのだと。
「もしたった一つだけ我が侭が許されるのならば」
旅がしとう御座います、と娘は微笑む。
「なぁんだ、わたしと同じじゃない。やっぱり娘ね」
ふふっ、と楽しげに笑う母の姿を見てエレンの顔も再びほころぶ。
ヴォクスホール女王はこの地より動く事が出来ない。それがライン管理者として彼女に課せられた使命なのだから。
もし女王が動けば世界は落ちる。血と混乱と殺戮と破滅、その只中に。
だから動かぬのだ、とエレンは信じている。否、そうであって欲しいと彼女は願う。
「いいわエレン。起動成功の暁には貴女の労もねぎらいましょう」
「いいえ女王。叶わぬ望みです。お聞き流し下さいませ」
「いいのよ。わたくしの代わりに世界を見てきて。ね?」
母は微笑む。
「はい。母様の代わりに」
娘も微笑む。
「成功するといいわね」
「ええ。全てはそれからです」
テラスに柔らかな風が吹く。
遠く山の向こうから丘を越え谷を抜け麦畑の稲穂を揺らし、王宮に辿り付いたその風は二人の金髪を揺らす。
午後の静かなテラスで微笑む母と娘。
「ところで母様、気になってはいたのですが」
不意にエレンは、机上に置かれたままの手付かずのチェス盤に目を向けた。
「ああ、これ?ちょっとしたお遊びよ」
盤上の駒は定石に並べられてはいない。中央に黒のクィーン、その周りを白黒問わず取り囲む全ての駒。
これは一体何を意味するのかとしばしエレンは熟考する。しかし。
「ねえエレン。貴女ならどう攻める?」
アメリアの問いにエレンは気付く。
黒のクィーンは──黒髪の魔女、コクーン。
ならば周りを取り囲む駒は──魔道師団。
そして盤は──カナメ。
一見すれば駒に取り囲まれた黒のクィーンは絶体絶命。
どう進めようとも勝ち目などありえない。故にそれは至極簡単な例題にも思えた。
しかし、にこにこと笑うアメリアの表情に含みを感じ、改めて全体を見る。そして。
「母様、これでは攻められません」
言うが早いか盤の両端を掴み、勢い良く折りたたむ。
「こうなっては御仕舞いです、女王」
机上にちらばり倒れ伏す駒達を見て笑うアメリア。
「よくできました」
この答えに辿り付いた者は未だかつて誰も居なかった。それを一目見て解くとは。
この子は今まで創り上げてきた数多くの娘達の中でも抜きん出ている。極上だ。最高かも知れない。
満面の笑みで嬉しそうに頷く女王。その顔の下で彼女は思う──これならば、と。
「それでは失礼致します、女王」
席を立ち一礼し、テラスを去る娘の後ろ姿を微笑み絶やさぬまま見送るアメリア。
「本当に良く出来た子。母は嬉しいですよ」
さわさわと午後の風がテラスを抜ける。窓際のカーテンがゆらゆらと揺れて波打つ。
「あとは、仕上げを残すのみ」
そして再び、娘が持参した冊子を手に取り無機質な瞳で題字を見つめる。
「エクス・インフェリスのリビルド。成功するといいわね、エレン」
その瞬間、女王の手の中で業と燃え上がる冊子。
「まあ、無理なのだけど」
燃え尽きた灰が天空高く舞い上がる。熱風がテラスに渦を巻きカーテンを巻き上げ。
「おまえもそう思うでしょう?──〈C・E〉」
その刹那、カーテンが炎に包まれ燃え落ちる。そして現れる影ひとつ。
シルエットは少女。しかし目と口を糸で縫われ、全身に鋭い刺を生やす黒い殻を纏う人形。
「あの子は出来は良いのだけれど」
人形は何も言わない。縫い合わされた口元は微動すらしない。
「大切な事を忘れているのよね」
黒い手、と女王は囁く。
その言葉に人形の口端が微かに歪む。
──岩が消え現れた大穴からたくさんの黒い手がわき出し、あぜんとする人々を捕まえ次々と穴の中へとひきずりこんで行きます。
──助けて、助けてと泣き叫ぶ声がひびき渡ります。けれど逃げるのに精一杯で助ける事などできません。
──みんなその黒い手から逃げようとわれ先に逃げ出しますが一人また一人と捕まり次から次へと穴の中へと呑み込まれて行くではありませんか。
──その光景はまるで、地獄が現れたかのようでした。
「エレン、身を以って体に刻みなさい。その恐怖を」
それがあの子の仕上げ、と女王は微笑む。
お前が愛する者を失って後、初めてお前は完成するのだ。
お前の願いは叶えよう。旅に出るがいい。片道切符を手にカナメへと送ってやろう。
聞け、我が最高傑作エレン・ヴォクスホール。その答えを出したのならばお前は我と同じだ。
我と等しいお前がコクーンの懐で何を見るのか。我はその時が楽しみでしょうがない。嗚呼待ち遠しいぞ愛しき我。
「──とは言っても安心なさい。あなたが先だから」
こくり、と黒き人形は頷く。それが約束だと言わんばかりに。
「あなたなら満足させられるかしら?コクーンを」
縫い合わされた口元が大きく歪む。吊り上がる口の端々はまるで、三日月のように見えた。
「〈C・E〉──EATERの名に恥じぬ働きを期待しておりますよ」
その為に今まで調教して来たのですからね、と笑う女王。
そして豊満な胸元から一枚の写真を取り出し、そこに映る二人を無機質な瞳に映す。
「この斥候、良い働きをしますね。〈青〉へと引き抜いた甲斐があったというもの」
魔道第五機動師団〈青〉。通称、機動団〈青〉。秘匿名──魔道旅団。
ひと月前、〈青〉に属する手練を一人、かの地に送り込んだ。女王の密名を受けた彼は、与えられた仕事を今の所ほぼ完璧に遂行している。
そうでなくては、と女王は思う。彼もあの者と同じドリフター。相性は良い筈だ。あの者には到底敵わぬだろうが、それは構わぬ。
何故ならその目的は、対峙などでは無いのだから。
「この者の顔を良く頭に刻んでおきなさい」
女王は、その写真を黒き人形に向ける。添えられた細い指が示すのは一人の男。
「シンヤ・フジワラ」
ラインよりはぐれし者ドリフター。
恐らくその中で最強の〈より強きもの〉ですよ、とアメリアは言葉を添える。
かねてよりヴォクスホールが狙い、遂に取り込めなかった者だと。
「コクーンを喰らう前に、まずこの者をお前は喰らわねばなりません。そして」
アメリアの指が静かに動き、止まる。
「〈C・E〉──この娘はね」
彼女が示すもの。男の横にいるもう一人の娘。
「お前の直系ですよ」
女王の指先で、父親と腕を組む十七歳の娘が笑っていた。
■狼の娘・滅日の銃
■第七話/ハー・マジェスティ■了
■次回■第八話「マスミ・セブンティーン」
※おまけェ…
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