炎の中から甦ったその男を前に〈C・E〉の心がざわめく。
「立てよ」
男は告げる、闘争の再開を。
その時、体を支配していた震えが嘘の様に止まり、コクーンの呪縛より解かれ体の自由を取り戻した黒き異形が、バネ仕掛けの人形の如く飛び起きる。
「延長戦だ、くそったれ」
そして〈C・E〉は理解する。あの老いた狼は消えたのだと。
若々しいその体躯、胸まで伸びた長髪を舞い上がる炎の中でたなびかせ、口元の野卑た笑みを隠そうともせず再び異形の前に立つその姿。
右腕に握られた鉛色に輝く銃。巨大なバレルに刻まれた紋章。喰らい合う毒蛇と毒蛙。銘をメキシカン、滅日の銃。
「今度こそ、満足させてやる」
彼の右腕が静かに動き、銃口が立ち上がる。
ガキン。艶やかな金属音と共に立ち上がる撃鉄。何かを察し〈C・E〉が反射的に飛び退く──何だ、お前は一体何になった。
間合いを取り、異形は肩口より再び黒い手の群体を出現させる。あれを喰え。発せられた主の命と共に獲物目掛け殺到する従僕達、しかし。
ドン。
地を震わす轟音と共に銃口が火を放ち、黒き群体が一瞬で消し飛ぶ。
千切れた欠片が火の粉を散らしながら宙を舞い、地に落ちる前に燃え尽きる様を見て、〈C・E〉は己に巣食う残る全ての従僕に号令を発する。
全解放、出でよ。その時、黒き肢体がぞわりと蠢き、数え切れぬ程の黒い手の大群が湧き〈C・E〉の体を包み込み巨大な球体と化し主を護る、しかし。
ドン、ドン。
二発の轟砲。放たれた火弾が球体に触れた途端、爆ぜる。
四散する手の破片は業々と炎に包まれ、焼け落ちる蛇の如く身をよじらせ燃え尽きた。焼け跡には黒い衣を一瞬で剥ぎとられた黒き異形が立ち尽くす。
生まれ変わった男、何もかもを灰燼と帰すかの如き炎を吐く銃。それらを前に〈C・E〉は戸惑う。
何だこの感情は。先程感じた恐れとは全く違うこの感覚は。
永きに渡り喰らい血肉とした同胞すら一瞬で全て失った、あとはこの身ひとつ、眼前には自分を撃ち滅ぼすであろう圧倒的な存在。
なのに心の底より湧き上がるこの感情は何だ。この興奮は何だ──興奮?我は今、興奮しているというのか。
「何笑ってんだよ、てめえ」
男の声で彼女は気付く。笑っている?そうか、我は今、笑っているのか。
ぶち、ぶちぶち。〈C・E〉の目蓋を縫い付けていた糸がほどける。
見開いた赤い眼に映る男。その顔が笑っている。
なんだ、貴様も笑っているではないか。このひとでなしめ。
「楽しそうだなあ、おい」
自分に向け放たれたその言葉で、遂に彼女は確信する。そうだ、そうだとも、その通りだとも。
ぶち、ぶちぶちぶち。三日月の如く吊上がる口元に縫いつけられていた糸が千切れる。はぁっ。開いた口から漏れる熱い吐息。
そうだとも、お前と同じだ。楽しい、楽しくて堪らない。嬉しいのだ。お前と闘える事が嬉しくて堪らない。
あの忌々しい女王より貴様の姿を見せられた時、我はたかが前菜如きと思っていた。こうなるとは露ほども感じていなかった。
だが、今はどうだ。ここまで我を楽しませてくれる者が他に居ようか。コクーンなどもう知らぬ。
目の前に最上の獲物が居るではないか。最高の脅威が居るではないか
お前でいい、否、お前がいい。我はお前が──欲しい。
「やろうぜ。今度は最期まで」
その声に応え、〈C・E〉の黒き殻から無数に突き出る鋭利な刺が、剣先の如く切先を伸ばす。その姿、まさに針鼠。
そして独楽(こま)のように回転を始める体。それは徐々に速度を高め、焼け落ちた瓦礫を切り刻ながら男に迫る。
眼前の獲物目掛け突進する黒い独楽。
ドン。
再び轟砲。巨大な炎が〈C・E〉を襲う。焔獄の中でバキバキと音を立て折れていく剣。
一瞬回転は緩むも瞬時に再生、折れた先から新たな剣先が次々に生まれ、再び速度を上げ迫り来る殺戮の独楽。
しかし男は動ぜず、今度は両手で銃を握り頭上に掲げる。
「いいねえ、そうこなくっちゃ」
ドン──空に向け放たれた砲火が、燃える町にたちこめる火と煙を吹き飛ばす。
雲が消え再び現れた夜空。天頂に月。丸い光。頭上に掲げた銃が満月と交差する。
「俺ぁ、必殺技とか叫ぶ世代でな」
掲げられた滅日の銃。鉛色の銃身を照らす月光。
「んじゃ見せてやらあ!必ず殺すと書いて、必殺!」
そして、銃の射手エル・レイが叫ぶ。
「メキシカン!」
その時、鉛色の銃身に刻まれた喰らい合う毒蛙と毒蛇の紋章が輝き、互いを喰らう口を離し蛇と蛙は二つに分かれる。
そして彼は二本の腕を一気に解き、右に左に振り下ろす。
「カーニバル!」
振り下ろした右手には黒の銃、バレルに毒蛇テルシオペロの紋章。
振り下ろした左手には銀の銃、バレルに毒蛙デンドロバテスの紋章。
「セニサス、ラス、セニサス」
灰は灰に。
眼を閉じエル・レイは静かに告げる。鎮魂の詞を唱えるように。
「ポルヴォ、アル、ポルヴォ」
塵は塵に。
そして男は眼を開ける。静かに上がる彼の両腕。黒鋼と白銀の銃が立ち上がる。
「焼き尽くせ、灰燼に帰せ」
獲物を定める二挺の銃。射線の先、今まさに肉迫せんとする殺戮の黒き独楽。
カキンカキンと同時に上がる二つの撃鉄。トリガーを引く左右の指。
「終わらせろ、滅日の銃」
ドンドドンドンドンドドドンドン──獲物目掛け砲火を放つ二対のバレル。
無数の銃弾が〈C・E〉に放たれる。降り注ぐ弾雨の中次々と折れていく剣先。
散らばる破片、燃える体、圧倒的な破壊の炎に弾かれもんどりうって倒れこむ。
だが彼女は立ち上がる。折れた剣先をまた生やし炎の雨に身を晒す。
生えては折れ生えては折れ、しかし降り注ぐ弾雨の中で再生のいとまも与えられず、やがて刺は尽き、体を護る最後の砦、黒き殻すら削られて行く。
しかし彼女は倒れない。身を削らせながらも一歩また一歩と足を動かす。
指を無くしても肩を貫かれても腕を落されても胸と腹に無数の穴を空けられても彼女は歩みを止めない。
まだ足がある。足があればあの男の前に立てる。まだ片目が残っている。男の顔を真近で観れる。そして残るこの口で男の喉元に喰らいつけ。
徐々に形を失いつつもその唇は笑っていた。
彼女は悦びに打ち震え、そして想う。
思えばただ獲物を求めて喰らう日々だった。
絶えず飢えに苦しみ恐怖を求め彷徨う歳月、それはただ生きる為だ。
しかし捕らえられ、変貌させられ憎悪という感情さえ植えられた。
だが今はどうだ?楽しい!愉しくて仕方ない!
この男と戦うのがこの男に一糸報いるのがこの男に片腕を吹き飛ばされこの男に腹を撃ち抜かれるのが楽しくて仕方ない。
そして愛しい。この時が愛しい。愛しくて堪らない。永遠に終わらねばいいのに。この男が愛しい。永遠に戦っていたい。
この身に全て穴が開き塵の一つとなろうとも、この愛しい男から離れたく──
「アディオス──」
〈C・E〉の想いはそこで途切れた。
銃声が止み──どさり。彼の足元に倒れ伏す。
「──アスタ・ルエゴ」
さようなら、またいつか。
彼の言葉は、彼女の心に遠く響いた。
狼の娘・滅日の銃
これで終わる、全て終わる。
骸の如き姿に成り果てた〈C・E〉を見下ろし彼は想う。
けれど何の感慨も沸かぬのは、自分が既にひとでなしと成り果てたからだろうか。
だが、まあいい。これで幕引き、カーニバルは終わった。手の中には再び鉛色に戻った一挺の銃。
残弾一発、最後の命。放てばこの身も燃え尽きる。それでジ・エンド。腐った黒狗の血もこれで終わる。
これであの子は獲物を失う。これであの子を縛る血の鎖は解ける。
すまない真澄。俺は最期までお前の──親父で居たい。
「あの子を──頼む」
傍らに現れた黒髪の童女に彼は告げる。
常世繭子は何も言わない。ただ能面の如く顔を固め彼の顔を見ていた。責めるでもなく、なだめるでもなく、ただ観ていた。
そして男は足元へと視線を移す。四肢を失い、体中を撃ち抜かれ倒れ伏す芋虫のようなかつての異形。
喉からひゅうひゅうと末期の息を吐く彼女に銃口を向け、男は引金に指を掛ける。
「──ッ」
引金が動かない。あれほど軽かったものが石のように固い。驚き振り返れば。
「わたしでは、ありませぬ」
繭子が静かに返す。
「どういう事だ、俺の命を奪うんじゃねえのか」
「命を使います、ですががいつ、お前の命をと言いましたか?」
「てめえっ!騙し──」
言い終える間もなく男の身体が固まる。
「くっ!がッ!」
そして気付く。手に握るメキシカンがこの身の自由を封じているのだと。
「騙してなどおりませぬ。全ては願いどおりに」
「誰の──だッ」
聞くのです、と固まる藤原の前で抑揚無く語る繭子。
お前はエル・レイになりました。お前は弾丸になりました。
弾丸とは撃鉄を落し雷管を砕き火薬に発火し打ち出されるものです。
お前は弾(アモ)です、しかし火薬(パウダー)ではありません。火薬こそが命です。それはお前の命ではありません。
メキシカンはお前をエル・レイにしました。ですがお前をパウダーに選んだのではありません。
「選んだのは、この娘です」
すう、と繭子の足元から伸びる影より現れたもの。
「この娘は自らメキシカンを選び、そして滅日の銃に選ばれたのです」
今だけは見たくなかったその顔。
「お父さん、ごめんね」
現れた娘は微笑んでいた。微笑みながら涙を流していた。
最終話 - ゆえに、狼の娘 -
「ます──み」
「私がね、繭子さんにお願いしたんだよ?」
「おま、え、なに、をッ」
微笑む娘が右手を挙げる。
男は見た。彼女の人差し指が、まるで引金を引くかのように曲がっていく様を。
止めろ真澄、お前は何を──カキン。彼の意思に反し撃鉄が上がり、そして落ちる。
銃口から漏れる小さな炎。最後の一発が放たれると同時に彼女の纏う服が燃え上がる。
「真澄ッ!」
やがて服は焼け落ち、ぼう、とアセチレンランプのような淡い炎が彼女の裸身を包み込む。
青白い炎に包まれたその姿は美しく、妖艶でもあった。遠き日に別れた女のように。
そして彼女は〈C・E〉の傍らに寄り、腰を降ろす。
「あなたもお父さんが好きなのね。解るわ。愛してしまったんでしょう?」
たったあれだけ、刹那のひと時。ううん、それで充分だものね、と娘は笑う。
「私もね、そうだったの」
そして娘は、ひゅうひゅうと末期の息を吐き横たわる、黒い人形の顔に手を添えた。
「出来る事ならお父さんなんて呼びたくなかった。でもお父さんの傍に居たかった。だから我慢したの。
自分を偽って妥協したの。欲望を押し殺して耐えたの。でも駄目。もうだめ」
ぼう、と娘を包むその炎が徐々に勢いを増していく。
そして彼女は身を固めたまま動かない男に向け、最期の言葉をつむぐ。
「お父さん、好きよ」
男は想う──ああ、俺も好きだ。
「でもね、この好きはお父さんの好きとは違うの」
男は想う──ああ、解っている。あの時知ってしまったんだ。
「お父さん、好きよ」
お前が見せたあの眼。
「もう一度言うね、大好きよ」
あれは、おとこを見る眼だった。
「お父さん、いえ、信也」
そしてあれは、俺が獲物を狩る眼だ。
お前は狼の娘だ、そして、まごう事無く俺の娘だ。
だからその先を言わないでくれ、頼む、嘘だと言ってくれ、頼む、出来るのなら永遠の嘘をついてくれ。
これは全て間違いだと、たちの悪い冗談だと、ただの気の迷いだったと嘘をついてくれ。
頼む、なあ頼むよ真澄、なあ、お願いだ真──しかし、娘は遂に口にする。
「愛してる、だから──逃がさない」
次の瞬間。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
娘が突如、黒い人形の喉下に喰らいつく。人形の口から初めて放つ声──絶叫。
「ギャッ!ギャッ!ギャッ!」
初めて吐いたその声は甲高く、気狂った少女の如き声だった。
口元から嬌声に似た絶叫を吐きながら人形は身をよじり娘を離そうとするが、小さいはずのその口が喰らいついて離さない。
「真澄ッ!」
未だ動かぬ体、けれど男は力を振り絞りその娘の名を叫ぶ。
「お前!何をッ!」
ぶちぶちぶちっ、と喉の肉を食い千切り、咥えた肉片を吐き捨て娘が叫ぶ。
「あんたなんかに!あんたなんかに!お父さんは!渡さないッ!」
身を包む青き炎の中で狂ったように叫ぶ娘。
そして再び人形の喉に喰らいつこうとした時、不意に人形が身を起こし、彼女の肩口に喰らいつく。
「ぎっ!」
苦痛に歪む娘の顔。
「真澄ッ!やめろ!ますみ!」
しかし男の声は届かない。返礼とばかりに娘も人形の肩に歯を立てる。
「やめろ、やめてくれお前なにを!動け!離せよこの体を離せおい繭子お前も!」
「黙って見ているのです藤原」
お互いの肩口に喰らいついたまま離そうともしない娘と人形。
噴き出す血潮が顔を濡らす。ぎりぎりと互いに歯と牙を食い込ませ一歩だに退こうとしない、だがその刹那。
「はじまりますよ」
ごう、と娘の体を包む炎が勢い良く燃え上がる。
身をよじり重なる二つの影、娘と人形、そのシルエットはまるで、身を絡め肩に顔を埋め抱き合う二人の少女に見えた。
「あの娘は望んでおりました」
「うるせえ!この戒めを解け!早く!はやく真澄をッ!」
「お前と血の繋がりを絶ち、お前のおんなになることを」
「繭子ッ!てめえ!何を!なにを言っている離せ!メキシカン離せッ!」
「そして滅日の銃と取引したのです、藤原」
血と炎の饗宴を、無機質な瞳に映す黒髪の魔女。
「メキシカンは望んでおりました。己の射手を。一度きりのエル・レイなどもう要らぬと。一発で終わる弾丸などもう要らぬと。
メキシカンは欲しておりました。射手としてのエル・レイを。自分では何も出来ぬ身、共に化物を打ち倒し永劫に続ける者が欲しいと」
語り部のようにとつとつと繭子は言葉を紡ぐ──ゆえにアモとパウダーを分けたのです、と。
「この黒きものはその欠片一片に至るまでラインよりの供給を受けております。それが途切れる事はないのです。
メキシカンでなら倒せます、あれは塵は塵に、灰は灰に帰す事の出来る唯一のものです。ですが藤原、そうしてはいけないのです」
倒してはいけないのです、取り込むためには。と繭子は告げる。
「見なさい藤原。狼の娘はお前を手に入れる為に黒きものを喰います。黒きものはお前と再び戦う為に狼の娘を喰います。
求めるものは同じ。魂の姉妹なのです。この姉妹はお互いを喰らい合い、そして一つになるのです」
あの娘は黒きものを喰らう事でお前に連なる血を洗い流し、黒き血を注ぎ込む。
お前とは他人になる為に、娘ではなく一人のおんなになるために。おんなとなりお前に愛され思う存分抱かれる為に。
そして娘を選んだメキシカンはその血を享受します。ライン尽きぬ限り果てぬ力を。それはつまり──語る繭子の口元に、薄く浮かび上がる微笑。
「ああ、遂に滅日の銃は手に入れたのです。最高の射手と、無限に供給される銃弾を」
そして、炎が止む。
「ます──」
焼け跡に佇むひとつの影。狼の娘も、黒い人形も消え失せ、目を閉じたま立つ一人の少女。
「──み?」
それは、娘の姿をしていた。
細い手足も小振りな胸も、輪郭も鼻も唇も。それはあの娘そのままだった。
けれどその長い髪は、ざわざわと、まるで生き物のように妖しくうねり、その色は、やけに黒かった。
「──ッ!」
そして、少女は瞳を開ける。耐え切れず男は眼を閉じる。
しかし目蓋の裏に焼きついたその瞳は、あの狼の眼、そのものだった。
「シ……ン……ヤ」
未だ身を固め目を閉じる男に寄り、細い指が彼の頬をなぞる。
はぁっ、と熱い吐息が首筋にかかり、やがて湿った舌が這う。ぴちゃぴちゃと男の首筋を伝う唾液の筋。
そして、耳元で囁く少女の声が男の身体に染みていく。
シンヤ、ああシンヤ。愛しい愛しいわたしのおとこ。
シンヤ?ああ、お前はシンヤと言うのね。恋しい恋しい我の御敵。
お前はもう逃げられない。お前をもう離さない。
お前はわたしに仕え我と戦い愛し殺し抱き紡ぎあうの。永遠に久遠にとこしえに。
わたしはもう逃がさない。我はもう離さない。ああシンヤ。愛しい恋しい我らのシンヤ。ねえ教えてわたしはだあれ?
「黒き娘よ、汝には柊の名を与えます」
もう藤原ではありませんよ。と繭子が囁く。
「改めてここに住まうことを許します。この男と共に」
「ご高配感謝します、柊真澄として謹んでお受けします、常世の君」
「真澄!何を言ってるんだ!繭子!お前一体何を──」
きいぃ──その時、何処からか鉄の軋む音が男の耳に届く。
彼は直感する、門が開いたのだと。町に存在する唯一の空家、柊の屋敷、その門が開いたのだと。
そして彼は理解する。遂に自分はこの町の住人になってしまったのだと。あの仮住まいの小さな家──楽園には、二度と戻れぬのだと。
「控えなさい、わたしのしもべ」
かつて父であったその男の口に手を当て、冷厳に告げる娘。
「お前は既にメキシカンの従者。メキシカンの所有者はこのわたし。藤原信也、お前は射手。
つまりお前はわたしの従僕、銃の使用者にしてわたしの使用人なのです」
主従の宣告をした後、パチン、と指を鳴らす主。
その瞬間、男の戒めは解かれ、どさり、と片膝を地に付ける従僕。
「この娘は答えを出したのです」
繭子は告げる。どんなものであれ、それは答えなのです。なのにお前は、と。
この娘はお前に狂おうとも最後まであきらめず答えを探しました。お前と共に居る為に、お前と共に存在し続ける為に。
辿り付いた答えがどれほど残酷であろうとも、それを選んだ。
なのにお前は、あきらめた。体の良い嘘に浸り、心地良い偽りの矜持に身を委ねてしまった。
それが一番簡単だからでしょう?それが最も自分を傷付けぬからでしょう?つまりお前は──
「黙れ──だまれッ!」
男は立ち上がり掴みかかろうとするも、繭子の指が額に触れただけで彼は止まる。
「お前は、逃げたのですよ」
「よくも!てめえよくもッ!」
「逃げられぬ永劫なる時間の中で、お前も答えを探しなさい」
「くそったれえッ!」
「では、終わらせる?」
耳元で囁く黒き娘の声に、男は眼を剥く。
「お前に、唯一の自由を与えます」
そのまま彼女は従僕となった男の手を取る。
彼が握る銃、その銃口を己の額に当て、その瞳に焦燥する男の顔と銃身を映し、微笑み絶やさぬまま優しく告げる。
「さあ撃ちなさい従僕、撃って終わりになさい藤原信也。お前にそれが出来るなら」
あの子の匂いを放ち、あの子の顔で微笑むもの。
震える指が引き金に触れる。しかし力が入らない。
やがて男は銃を下げ、肩を落す──出来るわけ、ないだろう、と。
「これにて今宵の宴は終了」
一声発し、ぱん、と繭子が手を叩けば、周りでくすぶる火が消え去り、廃墟と化した街の影がゆらりと揺れ、瞬く間に瓦礫が崩れ去る。
しかし廃墟の影は、主が消えたにも関わらず未だ残りゆらゆらと揺れている。だがその形が徐々に姿を変えて行く。
まるでフィルムを巻き戻すかの如く崩れる前へと姿を戻す影。次いでごうん、と大きな音が直下より響く。
ごうん、ごうん。地下で町の原型図が稼動を始める。そして影の中より次々と浮上する建物。
ごぉん。一際大きな振動と共に音が消える。気が付けば煌々と夜空を照らす満月。青い月光に照らされて、静かな町が眠る。
まるで何事も無かったかのように。まるで舞台を廻し、書割を取り変えたかのように。
「世はすべて、事も無し」
大家の声は男には届かない。夜の町を瞳に映し彼が思うはただひとつ。
朝は来るのだろうか、それだけだった。
■狼の娘・滅日の銃
■最終話/ゆえに、狼の娘/了
■次回■エピローグ「一睡の夢、されど醒めぬ嘘」
※追記
・今回で最終話というのは間違いありません。
・ですが完結とは言っていない詐欺。
・残る伏線消化しきって次回完結。
・だってしょうがないじゃない。