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No.21792の一覧
[0] 狼の娘・滅日の銃 【エピローグ】【完結】[なじらね](2010/12/26 22:48)
[1] 第二話/マスミ・ツンデレ・ステレオタイプ[なじらね](2010/09/10 22:02)
[2] 第三話/馬鹿が舞い降りた[なじらね](2010/09/11 22:10)
[3] 第四話/馬鹿がおうちにやって来た[なじらね](2010/09/12 22:01)
[4] 第五話/かなめ!ふしぎ![なじらね](2010/09/15 22:05)
[5] 第六話/時には昔の話をしようか[なじらね](2010/09/18 22:10)
[6] 第七話/ハー・マジェスティ[なじらね](2010/09/21 22:01)
[7] 第八話/マスミ・セブンティーン[なじらね](2010/09/24 22:05)
[8] 第九話/敵か!? 味方か? 月見のベア[なじらね](2010/09/29 22:02)
[9] 第十話/ギフト[なじらね](2010/10/04 22:03)
[10] 第十一話/ジェヴォーダンの獣[なじらね](2010/10/11 22:46)
[11] 第十ニ話/おとうさんだいすき[なじらね](2010/10/22 22:00)
[12] 第十三話/嵐の前の日[なじらね](2010/11/03 04:02)
[13] 第十四話/暴風域(前編)[なじらね](2010/11/11 22:37)
[14] 第十四話/暴風域(後編)[なじらね](2010/11/21 22:07)
[15] 第十五話/黒と黒、獣と狗[なじらね](2010/12/04 02:26)
[16] 第十六話/そして、滅日の銃[なじらね](2010/12/10 22:50)
[17] 最終話/ゆえに、狼の娘[なじらね](2010/12/19 21:42)
[18] エピローグ/一睡の夢、されど醒めぬ嘘[なじらね](2010/12/27 01:13)
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[21792] 第十四話/暴風域(後編)
Name: なじらね◆6317f7b0 ID:d0758d98 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/11/21 22:07





お前は人ではない、わたしと同じものだ。
繭子より告げられた言葉は真澄の心を大きく揺さぶる。
けれど──それなのに、ああ、まただ。驚きは一瞬、なのにすぐ醒めてしまう。
母の時もそうだった、悲しみも衝撃もすぐに醒め、どこか他人事になり、自分を含めた世界を少し離れた場所から俯瞰しているようで。
これは逃避というものなのだろうかと真澄は思う。だが違う。本当に視点が離れているのだ。
ここに立っているという感覚はある。ホールの冷たい空気を肌で感じる。けれど視点だけが違う。
広いホールの天井から、隣に立つ繭子と、一面を覆う夜の町と、そして自分の姿さえ──その時、隣の繭子が〈こちら〉に目を向けた。

「真澄。その視点は、わたしと同じなのですよ」

まるでカメラが切り替わるかのように自分の眼に視点が戻る。
その時、天井を見上げていた繭子が首を下ろし、再び自分に向き直る様を見て真澄は改めて実感する。
このひとは知っている、私の全てが見えているのだと。

「繭子さんも、こんな風に?」

真澄の問いかけには応えず、彼女の手にその小さな手が添えられる。

「これがわたしの見ているもの」

繭子の手を伝い真澄の脳裏に注がれるビジョン。それは想像を絶していた。
最初はそこに自分が映っていた。その視点が徐々に引いて行く。ホールの天井から見下ろす二人と夜の町。
さらに引く。天井を抜け郷土資料館を含めた町の全景。
なおも引く。町を囲む山々すら小さくなり山向こうの町その向こうの町そして遠く水平線の彼方さえ見える。
まだ引く。平らな線だった水平線が徐々に丸みを帯びそれは遂に星と解るほどの高さまで──そして。

「これが、世界という名の舞台」

足元から徐々に昇る巨大な金色の柱。それは光の柱だった。
立ち昇る柱はやがて星の重力に沿うように緩やかに曲がり、放物線を描きながら視界の果て、遠き場所に落ちていく。
目を凝らし見れば、その光の柱は身を削りながら拡散し、降り注ぐ光の粒子は星全体を包み込む。真澄にはその光の粒が雨に見えた。
傷ついた地に降り注ぐ豊穣の雨。ハーベスト・レイン。この光の雨は地を癒し苗を育み、星を包み優しく守る。
これがラインの正体なのだろうか。その時また視点が引く。すると、今まで見えなかったものが見えてくる。
星の中に小さな星が埋まっている。それは丸くて黒い石。金色の光はそこから発しぐるりと円を描いてまた戻る。
その姿はさながら、金の指輪にあつらえた黒い宝玉。見れば黒い玉の上に一つ小さな光が見える。
あれはきっと要市だろうと真澄は思う。あの町はこの石の一部を削り創られたのだ。
更に視点を引けば、その指輪を小さな薬指に填めた黒い髪の童女──常世繭子がそこにいた。

「わたしは、この星に嫁いだようなものですからね」

我に返れば、再び模型図の前に立つ自分がいる。
傍らには繭子、しかし左手の薬指にはあの指輪が填められていた。それを愛しげに見つめる彼女の口は、微笑んでいる。

「あの娘、アメリアの管理はこの金色のライン」

小さな薬指できらきらきらと輝くリングを、右手の小指でなぞりながら繭子は囁く。

「ではこの黒い石は何かと申しますと」
「要岩──キー・ストーン」

不意に口から発したその言葉に繭子は頷く。よくできました、とでも言うように。
同時に真澄の脳裏で様々な光景が溢れ出す──それは、いずこかより生まれた。
旅立ち、星の海を渡り、恒星を巡り生命活動領域〈ハピタブルゾーン〉内に着床し、環境を安定させ、進化を促進し、
キャストを生成、そして物語を紡ぎ、管理するもの。

「──大家さん、なんだね。繭子さんは」
「はい、そうですよ」

常世繭子は嘘をつかない。けれどその言葉を理解するには、人は未だ小さ過ぎるのだ。

「お前もその血を引いているのです、真澄」

かつて女王、アメリア・ヴォクスホールは〈ホール〉に仕組まれた防御機構、黒い手を指してこう言った──あれはコクーンの黒髪だと。
その一柱であったジェヴォーダンの獣は女王によって捕獲され精製・調教を経て唯一無二の獣となり〈C・E〉の名を与えられた。
その血を分け与えられ創られた七体のレムナント・ドールズ。その内の一体は最強のドリフターと結ばれ、彼女は母となり、一人の娘が生まれた。
その娘は、獣の血を引き、それはコクーンの直系を意味した。
同時にその娘は、ソリッドライナーとドリフターのハイブリッド、対極の存在が交わり生まれた奇跡の存在でもあった。
つまり娘は、力を享受する事も、力に抗う事も、より強きものを屠る事も、そして世界を俯瞰し掌握する事も出来る。
この世界を形作る理(ことわり)、それら全ての選択権を生まれながらに持つ唯一の存在、それが藤原真澄。

「お前には、馳走の礼をせねばなりませぬ」

この五年、瞬きにすらならぬ時ではございましたが、とても楽しかった、ありがとう。
そう呟く繭子の微笑。その笑みに含まれた寂しさをを真澄は肌で感じていた。

「受け取りなさい、真澄」

そして彼女は、左手を上げその小さな薬指を、あの指輪を真澄へと向ける。
繭子は告げた。世界を受け取れと。





狼の娘・滅日の銃
第十四話 - 暴風域(後編) -





撃ち放ち、切り結ぶ。刃が交差する度に散る火花。
月下の屋上、ごうごうと吹きすさぶ強風の中に時折混じる炸裂音。耳元で破裂する5.7mm弾のソニックブーム。
銃弾を紙一重で避け身を翻せばまた火花。小刀と拳銃、同じ得物。時に威嚇、時に一撃、交互に繰り返される連撃。
男と女、満月の下で二人は踊る。

「どうしたの?どうしたの!避けてばっかり!ねえッ!」

田中真美が挑発する。かつての師匠に、お前はその程度かと言わんばかりに。

「うる、せえ、よッ!」

弟子の成長に内心舌を巻く藤原。その全てを紙一重で避けてはいるが、それが精一杯だった。
速い、速すぎる。もはや眼で追う事など出来はしない。己の感覚を研ぎ澄まし刃と弾が触れる刹那身を交わす。
反撃はもはや防御の手段に成り下がる、それほどまでに速く、強い。

「堕ちたものね鬼包丁!」
「ナマ言ってんじゃねえッ!」

しかも気配が掴めない。消えているのではない、多過ぎるのだ。
前後左右そして直上、その全てから殺気が降る。相手は一人、けれど感じる存在は七つ、どういう事だこれは。

「あははははははははッ!」

そして藤原は遂に気付く。
こいつは存在を消すのでは無く、増やしているのだと。

「くそッ、てめえッ!そういう事かよ!」

エイリアス──感覚分身。真美が持つスキル、イレイザーの反転技。
相手のシナプスにラインの力を放射させ一時的に全感覚器を狂わせる、ここまではイレイザーと同じだ。
しかしそれは、稀有なる血を持つ藤原には通じない。何故なら刃先が触れる瞬間、弾丸が発射される刹那、彼の血が身体を反射させてしまうからだ。
ならば逆はどうか。同じ感覚器を狂わせるなら、対象があたかも複数存在するかのように錯覚させればどうなるのか。
存在を消すのではなく増幅させる、その事によって藤原の身体は過剰に反応し、結果現在のように混乱を来たす。
真美が対フジワラ用に編み出した一つの成果がこれだった。

「お前はもう私に敵わない!お前はもう踊れない!」

四方八方から降り注ぐ刃先と銃弾の雨を、流し受け止め流す藤原のフクロナガサ。しかしその、長さ六尺の刃先が徐々に欠けて行く。
研ぎ直したとはいえベアとの一戦を経て蓄積した金属疲労が、鬼包丁の得物をただの棒に変えていく、そして。

「──くそったれ」

遂にその刃先が折れる。気付けば右手のゴー・ナナもスライドが開き残弾ゼロを示していた。
予備弾装は当に無い。空の銃と、柄だけになったナガサを投げ捨てる藤原。残るはこの身体のみ。
それを認め不意に七つの存在が一つに収束する。エイリアスを消し、藤原の眼前に佇む真美。
息も切らせず悠然と立ち、そして微笑む。勝ち誇ったように口の端を歪め、笑う。

「愛してるわシンヤ。だから殺してあげる。あなたの望み通り」
「望み──だぁ?」
「そうでしょ?あの娘に殺される前に、私が」
「お前に何が解る、俺はあの子になら」
「嘘ばっかり。あの子が怖いんでしょ?だってあの子はあなたを──」
「──黙れ」
「だから!私が!あの子に奪われるくらいなら──アタシがッ!」

何かを言いかけ不意に口をつぐむ真美。その時また、唇を噛む。
その仕草を見逃さず、心の内で藤原は吐き捨てる──馬鹿が。

「どうした?メッキが剥がれて来たぜ、オイ」

不意に笑う藤原。その姿を見て真美は気付く。

「こんなこともあろうかと、ってなぁ」

彼女は見た。男の左手に現れたもう一振りのフクロナガサを。

「──見たな?」

彼は笑う。長年愛用して来た四尺五寸の得物を握り締め。
そんな馬鹿な、予備など一体いつの間に──しかし真美は、動揺を隠し再び微笑む。

「いいわ、終わらせましょう」

言い終わらぬ内にまた、真美の気配が増幅する。展開される七体のエイリアスが藤原を取り囲む。
しかし彼は半眼となりて腹の底から息を吐く。男の血は相変わらず四方八方に気を散らすが、彼はもう焦らない。
真美は理解しているのだろうか、彼が培ってきた経験は、当にその血を抑え込む術を身に付けているという事に。
藤原は思案する。さてどうする。こいつの動きは掴めない。ならば読むしかない。こいつは俺から学んだ、俺の全てを吸収した。
つまり相手は俺自身。俺を殺すなら?どこを撃ちどこを斬りどこを刺す──なんだ、簡単じゃねえか。
その時、七体が一斉に牙を剥く。前後、左右、上下から迫る六つの刃先。
しかし藤原、これを避けず引かず動かず、右脇に片手を下ろし力を込めれば。

「──なッ」

彼の脇腹に突き刺さる直前に制止する真美の刃先。彼女が握るナガサごと右手を掴む藤原の手。
あたかもそれは六年前の再来。逆の手段を講じてもなお、藤原は本体を捉えた。
真美は驚愕のあまり一瞬顔を歪めるも、直ぐに思考を切り換え、左手人差し指に力を込めゴーナナのトリガーを引く。
火を放つ銃口、しかし弾丸は男の頬を僅かにかすめ、虚空に消える。

「もう、通じねえ」

腕を引き寄せ真美の耳元で囁く藤原。
彼は読んだ。六つはフェイク、絞るは一つ。自分自身を狙うなら何処を狙いどう動くか。
その時身体は反応し刃先を避け射線から逸れる、そこを狙う。避けた先、引いた先、その場所目掛け突くのなら──動かなければいいだけだ。

「まだッ──」

まだ終わりじゃない、まだやれる、しかし言い終わる前に真美は気付く。
藤原の右手は、得物ごと自分の右手を掴んでいる。背中に当たる男の胸板。まるで今、後ろから抱き締められているような格好。
ならば彼の左手は?四尺五寸のナガサを握る左手は?抱き締められる?背中から?ではその抱き止めた左手は今どこに──その時、腹部に感触。

「──まだ?」

耳元で囁かれた声は静かだった。静かで優しい声だった。
まるで出来の悪い弟子を哀れむかのように諭す師匠の声だった。
その声が脳裏に染みていく。そして遂に理解する。

「そんなもん、ねえんだよ」

激痛。声が出ない。
見なくても解る、いま何が起きているかなど、この皮膚を貫く冷たい刃の感触で解る。
ずぶり、根元まで差し込まれた。ぶちり、はらわたが裂かれる。熱い、火であぶった鉄棒を挿し込まれ引っ掻き回されたかのような熱。

「くっ……がっ……かはっ」

重厚な四尺五寸の刃先が動き出す。上へ上へ、はらわたを掻き分け胸骨すら凪ぎ払い胸の谷間を切り裂き上へ上へ進むナガサ。
噴き出す血潮、滴る尿、けれど無慈悲なこの男は進む刃を止めはしない。誠心誠意真心込めてこの身体を縦一文字に裂いていく。
ああ痛い、ああ熱い、ああ私は御仕舞いだ。けれど本望。その熱も痛みも心地良い。愛しいこの男に抱かれながら果てるのならば。
だからお願い離さないで。私が逝くまで、その大きな腕で抱き締めて。その広い胸に沈ませて。
ああ、ぼとぼとと血塊と肉が落ちて行く。ああ、刃先はもう喉下まで。ああ、抜ける。顎骨に当たり刃が抜ける。もう駄目、終わり、逝く──

「──ふん」

がくり、と頭を垂らす真美を抱き締めたまま藤原は息を吐く。
意識を無くした彼女を優しく、背中から包み込む。しかし抱き止めた彼の左手は、別段どうという事は無く。

「懲りねえなぁ、おめえ」

返り血?そんなものなど浴びてはいない。何故なら。

「まぁた、引っ掛かりやがって」

藤原は左手に、何も持ってなどいなかったのだから。


 
受け取りなさい、と差し出された繭子の小指、填められた金と黒の指輪を前に真澄は小さく首を振る。
そんなものは要らない、世界など欲しくないと。

「ごめんね」

繭子さん、解っているでしょ?と寂しそうに微笑む真澄。
彼女はもう知っていた。それを手にすればどうなるかを。世界を手に入れる代わりに何を失うのかを。

「お前は選べるのですよ、藤原真澄」

繭子は娘へ静かに諭す。今ならまだ間に合います、これが最後の分岐なのです、と。

「私はもう、選んだんだよ?」

その指輪を手に取れば自分は繭子と等しくなるのだろう。
世界の大きな理(ことわり)を意のままに操り、新たな物語を創る事さえ出来るだろう。
けれどその世界に自分は居ない。キャストを生み出し動かす事は出来ても、キャストと共に物語を紡ぐ事は出来ない。
それがこの存在に課せられたたった一つのルール。決して振りほどく事の出来ない鎖。この存在は自身の物語を創る事だけは出来ない。
故に彼女は傍観する。永劫の孤独の中で、キャスト達が生まれ消え行く様を、その無機質な瞳でただ見つめ──耐えられない。
自分には耐えられる訳が無いと真澄は思う。それだけは絶対に嫌だ、だって。

「私はお父さんが欲しい。それ以外なにも要らない」

それが私の世界だから。世界の中心にはあのひとがいるから。それが全てだから。それが仕組まれたものでも構わない。
私があのひとに固執するのが母から受け継いだ血のせいで、あらかじめ刷り込まれた情動だとしても構わない。
それが私だ。それが私を形作る全てだ。ならばもう抗わない。私はそれを受け入れる。私はあのひとが欲しい。ただそれだけ。

「それが何を意味するのか、お前はまだ解りませぬか、真澄」
「解っているよ。だけどもう私たちは」
「やはりお前は解っておらぬのです」
「父親だから?タブーだから?私が狂っているから?そんなの知らない!」

感極まったかのように真澄は叫ぶ。

「お父さんは約束してくれた!もう何処にもいかないって!私の気持ちに応えてくれたの!」

真澄は叫びながらも、自分が今何を言っているのか、それがどれほど異常な事なのかを理解していた。
けれど口元から溢れ出す言葉の洪水を止める事が出来なかった。

「もう絶対に離さない!心変わりは許さない!約束を破って逃げようとしても私は決して逃がさない!
 どこまでも何処までも追いかけて必ず必ず捕まえる!お父さんの背中も胸も身体も顔も言葉も心も全て私のもの!誰にも渡さない!」

五年間、否、十七年間蓄積されたその想いが堰を切って溢れ出す。
いつしか真澄の口元は狂気に歪み、今まさに笑い出さんばかりに吊上がる、しかし。

「その時、藤原はどうなりますか?」

繭子が放ったその問いは、真澄に残酷な結末を突き付けた。

──お前はいま、どんな眼をしている?

不意に脳裏を過ぎる母の声。
病床で彼女は言った。真澄、私の目を見ろ。この目に映るお前を見ろ。何が映っている?そう、お前自身の眼だ。
解るかい?これが何を意味するのか。

──それが、あたしの眼だったらよかったのにね。

ならば私はお前を手放せたのに。喜んであいつの元へ行かせたのに。
殺し合う?まさか!お前を殺すなんてとんでもない、愛しいお前に喰われるなら母親冥利に尽きるってもんさ。
でもね真澄違うんだ。これだけは覚えておいて。それは私の眼では無い。

──それはね、あいつの眼なんだよ。

そのとき私は、母が何を言っているのか理解出来なかった。いや、考えようともしなかった。
あのひとと同じ眼?あたりまえだ、私はあの男の血を引いているのだ。それがどうした、だからどうした。その程度にしか考えなかった。
それどころか私は、母に対し軽い優越感さえ抱いていた。ああそうかお母さん嫉妬しているんだ。だってあなたは所詮他人。
私はね、血が繋がっているの。生まれながらにあのひとと繋がっているの。決して切れない血の絆で。なあんだお母さん、結局は私が羨ましいのね。
あろうことか私は、あんなに好きだった母をいつしか蔑んでいたのだ。
父を憎む振りをしてあの女を安堵させ、心の底では笑っていたのだ。ざまあみろと。
お前は私からあのひとを奪った。本当に私が憎かったのは──私は、ずっとそう想っていた。いまこの瞬間まで。

「ごめん……お母さん……ごめんなさい」

自分はなんて醜悪で滑稽なのだろう。母はこの醜い本性さえ気付いていたのだ。こんな私さえ受け入れてくれたのだ。
だから最期に警告したのだ。その眼の意味を考えろと。

「私……わたし……お父さんを」

そして真澄は言葉を失う。
その口元は歪ながらカチカチと歯を鳴らし、笑う目尻からぼたぼたと落ちて行く涙。彼女は笑っていた。笑いながら泣いていた。
どさり。力の抜けた膝が床に落ち、前のめりに倒れ伏す間際、差し伸べた繭子の手が彼女を支える。

「そうです。お前は母ではなく、父である藤原の血をより濃く継いでしまったのです」

ドリフター──力に抗うもの。
それは本来、ラインという巨大な力に抗うべく生まれたものだった。
彼らの耐性は異物を排除する白血球のようでもあった。
恐らくはこの星が、キー・ストーンに取り込まれる刹那生み出した最後の抵抗だったのかも知れない。
ヴォクスホールを出て世界に散った彼等は確実に血を残しつつも、それは徐々に薄まり、子孫へ劣性遺伝子となって組み込まれ拡散していく。

しかしその中で唯一、億分の一の確立で発生した突然変異種が居た。

その種だけは度重なる交配においても決して血を薄めず、むしろ蓄積を繰り返し、数を減らしながらも受け継がれ、濃縮されたその血は遂に最強の個体を生み出した。
人の形をした獣、全ての色を溶かし込んだ黒き血を持つ狗──ブラック・ドッグ。最強にして最後の一頭。
それが〈より強きもの〉──藤原信也だった。

「あの血はそこで終わるはずでした。その血を受け止められるものなど、既に」

だが彼の血を受け止め、子を宿した女が居た。彼女は母となり、娘を産んだ。

「お前に流れる血が父より濃ければ良かった。そうであれば、これほどあの男に固執する事はありませんでした。
 何故ならその血は、より強きものとなるべく、自身より強いものを屠る本能が宿っておりましたから」

ブラック・ドッグの血は蓄積される。つまり子供は親よりも濃く、その潜在能力は遥かに親を凌駕する。故に親を屠る事は無い。
だが親となった者は、自身より強き子を倒す事は無かった。それは親子の情や良心以前に、血を残す本能が優先されたのかも知れない。
しかし血の濃縮は遂に臨界を迎え、最後の黒狗、藤原信也を以って血脈は絶える筈だった。
藤原の妹が父を手に掛けたのは、その血が弱かった為に起きた悲劇に他ならない。
彼は他を敵と認識しない限り、その血に宿る本能が目覚める事は無い。故に彼の父は伝えたのだ、敵を作るなと。

「ですが真澄。お前の血は藤原よりも若干薄い──解りますね?」

常世繭子は告げる。
藤原真澄、お前が父に執着するのは本能だ。彼を殺すべき唯一の敵として狙うからだ。お前が彼を想う感情が憎悪ならばまだ救いがあった。
しかしお前は父を愛してしまった。父を求める娘では無く、おとこを求めるおんなとして彼を欲してしまった。
何故そうなってしまったのか。それこそが最大の武器になるからだ。つまり。

「お前の愛は、黒狗を殺す為の毒なのです」

ゆえにお前は彼を愛する。愛ゆえに執着する。喰らうべき獲物として固執する。お前の愛は彼を蝕む。
おとこを求めるお前の愛を受け入れられず、恐れ、けれどお前を娘として愛するばかりに逃れられず、袋小路に追い込まれ自滅する。
お前は彼を殺す。身体ではなく心から。

「い、や──そんなのは嫌ッ!」

繭子の着物、その襟元を掴み真澄は泣き叫ぶ。

「我慢するから!もう二度と過ちは犯さないから!それがお父さんを苦しめるのなら私は!」
「もう無理なのです。あの男は気付いてしまいました」

繭子は言う。あの男は、お前の眼を見てしまったのだと。
お前が感極まって彼の胸に飛び込んだあの日、遂にその意味を知ってしまったのだと。もう楽園の日々には戻れぬのだと。

「ならお願い!私を殺して!お願い繭子さん!ねえっ!」
「出来ませぬ」
「ならいい!お父さんを殺すくらいなら私は!」
「お前が自ら命を絶つのならば、あの男も生きてはおらぬ。お前の世界があの男であるように、あの男の世界もお前。
 固く結びついてしまったお前達の結び目は解けませぬ。同じ血の糸で結ばれる限りは、逃れる事が出来ぬのです」
「それじゃあ……指輪を手にしても」

それは真澄にとって最後の希望だった。
ならばせめて離れよう。指輪を受け取り、世界を傍観する存在となり父の元を離れ、彼を見守り続けよう、もうそれしか道は残されていない。
だがそれは自身の命を消すに等しい。その時彼はどうなるのか──結局、同じ事なのだ。

「ですが、お前だけを残す事が出来ます」
「それだけは絶対に、嫌ッ!」

せめて真澄だけでも──繭子の申し出はしかし、真澄にとって到底受け入れられるものではなかった。
彼を犠牲に自分が残る、それだけは。

「繭子さん……お願い……この血を、なんとかして」

願いながらも絶望する。それは無理なのだろうと。
それがもし可能ならば、繭子は自分の為に世界を譲ろうとはしないだろう。これしか手が無いから、こうしたのだろうと。

「──繭子、さん?」

しかし彼女は、何も言わない。

「──どうしたの?」

出来ませぬ、とも返さない。

「──そっか」

沈黙する彼女を前に真澄は気付く。常世繭子は嘘を言わぬのだと。

「──出来るんだね?」

そして真澄は涙を拭い、頭を上げ繭子の前に向き直る。

「お願い、私なんでもするから」

彼女の前で使ってはならぬその言葉を、承知の上で真澄は言う。

「やはり、こうなりますか」

娘の願いを聞き、常世繭子は目を閉じた。

「五年前、お前たちと出会った時から解ってはいたのです」

抑揚の無い声でとつとつと語るその声が、真澄の胸に染みていく。

「その時は、お前たちにさしたる感慨もありませんでした」

語りながら繭子は、着物の裾に手を入れる。

「むしろ、そうなるべきだとさえ思っておりました」

ガチン。何かを打つ音がする。ガチン、ガチン。まるで割れ鐘のような音。

「ですが、お前たちは──わたしに」

そして繭子は瞳を開ける。しかしそこには何も無く、ただ黒かった。
ふたつのまなこに現れた奈落の穴、それは金の指輪にあつらえた、あの黒い石のようだった。

「真澄、ありがとう。お前たちと共に過ごした時は──とても美味でしたよ」

そして繭子は腕を出す。裾から取り出され、真澄の眼前に差し出される何か。

「取りなさい、狼の娘」

それは錆付いた一挺の銃。

「メキシカン──滅日の銃を」

ガチン。真澄の眼前で、撃鉄が落ちる。


 
「フンッ!」
「アッー!」

定番の気付けで馬鹿が目を醒ます。

「え?あ、腹!もつがでろーんって!あれれ?」
「おめえそれ、五年前と同じリアクションじゃねえか」

真美は慌てて腹をさするも、傷などあろうハズも無く──やられた、と真美は思い知る。

「イメトレのし過ぎだ。巨大カマキリとでも戦ってろ、馬鹿」

藤原は予備のフクロナガサなど持ってはいなかったのだ。
なのに自分は錯覚した。彼の発する強烈な圧力に押され、存在しない四尺五寸の刃を見てしまったのだ。
五年前、初めてこの町に降り立ち、藤原との稽古の最中に体感したあれを、またやってしまったのだ。
ああもう馬鹿、全然進歩しちゃいない。恥ずかしさのあまり顔を伏せる真美。
真っ赤に火照ったその頬を、さわさわと夜風が撫でる。気が付けばあれほど吹いていた強風は既に止み、初冬の冷たい風が前髪を軽く揺らす。
雲を全て吹き飛ばし、昇り切った満月の青白い光が、喧騒の消えた屋上の二人を照らしていた。

「いつから気付いてたんスか?」

ぼそりと呟かれた言葉。顔を伏せ、下唇を噛みながら真美は問う。

「それだソレ、唇」
「──え?」
「それ真来の癖だ。隠し事とか嘘とか、強がったりする時よくやったんだわ」

そんなトコまで真似しやがって、と微笑む藤原。

「最近じゃ真澄もソレやるんだ、やっぱ親子だよなぁ」

その名前を聞き、ずきりと真美の胸が痛む。

「アタシの、せいです」

面の剥がれた女が力無くつぶやく。歯を食いしばり目に大粒の涙を浮かべる真美。

「アタシが余計な事言わなければあの子は」

あの夜から真美は悩み続けた。悔やんでも悔やみ切れない。愚かな自分を殺したかった。
そして決意する、ならばそうしようと。全て私のせいだ、いや、そうでなくてはならない、これしかもう償う術は無いのだ。
これは、あの娘が姉の血を継いでしまった結果で、それを私が解き放った事にしなければならない。そうでなくてはならないのだ。

「ああ、そうだな。お前馬鹿だもんな」

藤原の言葉を聞き、真美は心の内で安堵する。良かった、彼はまだ気付いていないと。
いや、気付かないで欲しい。私が見てしまったあの眼を、この男には見て欲しくない。

「あの子のタガを、ずっと縛り続けて来たものをアタシが」

真美は想う。それならばまだ救いがあったと。事実自分も、先週の夜まではそう思っていた。
あの娘は父という雄に寄る他の雌を決して許さない。
それは私を含む姉達の、稀有なるドリフターを取り込むべく彼に固執するよう仕組まれた血を引いたからで、
だからこそあの娘は、彼を父ではなく男、つがいの雄として求めるようになってしまったのだと。娘ではなく女として狂ってしまったのだと。
そう思っていた。だが気付くべきだったのだ、ならば何故私はあの娘が怖かったのかと。
同じ血を引く最期の同胞を愛しいと思う一方で、何故あれほどまでに恐れてしまったのかと。
気付くべきだったのだ。姉の血を引くのならば彼の血も引いているという事実を、どちらの血が強いのかを。
そしてあの夜、遂に私は知ってしまった。

あれは私達の眼ではない。彼を欲する眼ではない。殺す眼だ。それは彼と同じ眼だ。
だからこそ姉、アルファは耐用年数の倍を生き延びる事が出来た。
あの娘を宿し血を与えた一方で、子宮からあの娘を通じ、稀有なるより強きもの、ブラック・ドックの血、その恩恵を図らずも享受してしまったのだ。
それだけあの黒狗の血は強く、濃い。アルファの体組織に仕組まれた自滅因子、アポトーシスタイマーを狂わせるほどに。
その分あの娘は、彼より受け継いだ濃厚な血を幾分か薄めてしまった。それが全ての元凶だ。
親より弱くなってしまった狼の娘は、生まれ出たその時より彼を殺すために動き出す。
力では到底敵わない。ならばどうする。壊せばいいその心を。あの娘に宿った本能はそれを忠実に実行した。
汝の敵を愛せよ、汝の敵を求めよ、汝の敵を犯せ、汝の敵を殺す為に。
雌として自分を求める愛しい娘に男は苦悶し、鋼の心をすり減らす。
しかし彼はそれでも娘を愛するだろう。愛する故に自滅する道を選ぶだろう。
より強きものは、自らに流れる血という牙に掛かって絶えるのだ。
その時あの娘は初めて気付く。自分の愛が父を殺してしまったという事を、そして彼女は絶望し自ら──。
これが考えうる一つの結末。だがこれは、最悪の結末ではないのだ。

「なあベソ美、だからお前、こんな事したんか?」

藤原の言葉に、真美はまた唇を噛む。

「そうッス!あの娘はもう止まりません。ならいっそ、アタシが」
「もういい」
「アタシです!アタシのせいであの子は!でもアタシ馬鹿だから!師匠を取られたくない!」

叫び真美は立ち上がり、再び得物を手に彼の前に立つ。

「ボロボロになって行く師匠を見たくないんです!そんなのアタシは耐えられない!
 あなたを失うくらいなら、あの子に取られるくらいなら、アタシはッ!」

男に刃を突きつけ真美は叫ぶ。気付かれるな、そう思い込めと自らを奮い立たせるように泣き叫ぶ。
私は、彼に殺されなければならないのだ。本気で挑まねば彼は殺してくれないのだ。
ならば何度でもやってやる、彼が殺してくれるまでこの身体が果てるまで。

真澄、愛しき我が最期の同胞、お前にだけは届いて欲しい。

私は彼を愛し、ゆえに挑み、果てに殺された。
この愚かな行為の結末がせめてあの娘に届いて欲しい。これこそがもう一つの、最悪の結末なのだと。
この結末を迎えぬよう、思い直し再び自身を縛って欲しい。でなければ必ずやお前もこうなるのだ。
これはお前のためでもあり愛しいこの男のためでもある、だから。

「もう──やめとけ、真美」

けれど彼は構えない。諭すように真美に告げる藤原の顔は、穏やかで。

「お前のせいじゃない。あれは俺の罪だ」

まるで、あの市長のような顔だと真美は思う。
何もかも知ってしまった粟川の、達観ではなく、何かを諦めたような眼差し。

「師匠まさか、気付いて」

再び握ったはずの刃が真美の手から抜け落ちる。コンクリートの上、乾いた音が虚しく響く。

「ああ、見ちまった」

お父さん大好き、もう離さない──夕暮れの中この胸に飛び込む真澄の眼を彼は見た。
二度と見たくはなかったあの眼を、彼が犯した罪の証を。

「あの眼な、一度だけ見たことがあるんだ」
父さん、ごめんね。お兄ちゃん、ありがとう──事切れる刹那、呪われた血から解き放たれた彼の妹は、兄の腕の中で言った。
潤む瞳に映るのは自分の顔、そしてあの眼。

「あれは、俺の眼だ」

ああ、この男は気付いてしまったのだ。
その時何が起こるのかを。もう避けようが無い最悪の結末を、遂に知ってしまったのだ。それを思うと真美は言葉が出なかった。

「俺はあの子が愛しい。だからあの子が怖い、恐くてたまらない」

藤原は静かに言葉を吐く。あの子に殺されるのはこれっぽちも怖くないと。
五年前再会した時からその気持ちは揺ぎ無い、本望だとさえ思っていた。しかし。

「親父は強かった。強いからこそ妹に、自分の娘に殺された」

あの男は強いからこそ血に勝てた。けれど俺は、その時──妹を。

「だが俺は強くなんかねえ、弱いんだ。だから恐いんだ、怖くてたまらねえんだ。
 だってよぉそうだろう?俺はその時、何をするか、解るだろう?」

あれは娘だ愛しい子だ、違うあれは敵だお前を殺す敵だ。理性と本能、愛と血、袋小路に追い込まれた黒狗は何をするのか。
自分を追い込むそれは何だ。そうだ、汝の敵を──殺せ。

「けどよ、なんとか間に合ったみてえだぜ」
「──え?」

一体何が、と呆気に取られる真美、その髪を揺らす風が不意に止んだ。

「見ろ、いい月だ」

藤原は確信していた。今日はきっと自分が見る最期の月であると。

「ああ、本当に──いい月だ」

月はラインの力に影響を及ぼす事を彼は知っていた。
郷土資料館地下に秘された月光に反応する模型図がラインと直結し、力落ちる場所ヴォクスホールとも関わりがあるのならば。
粟川が彼に言った通り満月の夜に何かが起きるのであれば。

──フジワラさん、嵐が来ますヨ。この町が吹き飛ぶ程の嵐がネ。

今宵はあの奇妙なメッセンジャー、魔道第五機動師団〈青〉副団長ベア・グリーズが去ってより初めての満月だ。
藤原は月を見上げ静かに深く息を吐く。
嵐よ来い、来るなら来い、解るんだよ、血が騒ぐんだ。ちっぽけな俺なんか足元にも及ばない、何かとてつもないものが来ると。
上等だ、さあ来い、やろうぜ──その時、月が消えた。

「あ……あああ、あ」

空を見上げ真美は言葉にならない声を吐く。
彼女は見た。視界に突如現れたものを。消えた月を中心に広がる巨大な光の紋様を。

「ハーマジェスティ──アポーツシステム!」

それは、女王の転送陣と呼ばれるものだった。
見上げる天蓋一杯に拡がるその紋章は、町の上空全てを覆い、その中心、月の消えた位置から何かがぞるりと顔を出す。
それはまさに月蝕だった。光を遮り現れた何かは、巨大な黒き塊だった。ぞるり、ぞるりと蠢きながら悠然と頭上より降りてくる。
中心に、眼と口を縫い合わされた小さな白い顔。それはまるで物言わぬ人形のようにも見えた。

「かあ……さま」

それは真美に刻まれた血が出した声だった。
女王の獣、かつてジェヴォーダンと呼ばれたもの、レムナント・ドールズの母体。
そして与えられた銘、〈C・E〉──コクーン・イーター。

「──師匠ッ!」

我に返り真美が叫ぶ。あれは駄目だ、あれだけは駄目だ。
嵐だ、大嵐が来た、何もかも吹き飛ばし台無しにする嵐が来た。

「師匠──なんで」

藤原の顔を見て真美の心が凍りつく。
彼は、笑っていた。















■狼の娘・滅日の銃
■第十四話/暴風域(後編)/了

■次回■第十五話「黒と黒、獣と狗」


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