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No.21792の一覧
[0] 狼の娘・滅日の銃 【エピローグ】【完結】[なじらね](2010/12/26 22:48)
[1] 第二話/マスミ・ツンデレ・ステレオタイプ[なじらね](2010/09/10 22:02)
[2] 第三話/馬鹿が舞い降りた[なじらね](2010/09/11 22:10)
[3] 第四話/馬鹿がおうちにやって来た[なじらね](2010/09/12 22:01)
[4] 第五話/かなめ!ふしぎ![なじらね](2010/09/15 22:05)
[5] 第六話/時には昔の話をしようか[なじらね](2010/09/18 22:10)
[6] 第七話/ハー・マジェスティ[なじらね](2010/09/21 22:01)
[7] 第八話/マスミ・セブンティーン[なじらね](2010/09/24 22:05)
[8] 第九話/敵か!? 味方か? 月見のベア[なじらね](2010/09/29 22:02)
[9] 第十話/ギフト[なじらね](2010/10/04 22:03)
[10] 第十一話/ジェヴォーダンの獣[なじらね](2010/10/11 22:46)
[11] 第十ニ話/おとうさんだいすき[なじらね](2010/10/22 22:00)
[12] 第十三話/嵐の前の日[なじらね](2010/11/03 04:02)
[13] 第十四話/暴風域(前編)[なじらね](2010/11/11 22:37)
[14] 第十四話/暴風域(後編)[なじらね](2010/11/21 22:07)
[15] 第十五話/黒と黒、獣と狗[なじらね](2010/12/04 02:26)
[16] 第十六話/そして、滅日の銃[なじらね](2010/12/10 22:50)
[17] 最終話/ゆえに、狼の娘[なじらね](2010/12/19 21:42)
[18] エピローグ/一睡の夢、されど醒めぬ嘘[なじらね](2010/12/27 01:13)
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[21792] 第十四話/暴風域(前編)
Name: なじらね◆6317f7b0 ID:d0758d98 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/11/11 22:37




お前に見せたいものがあります。
いつものように夕刻、藤原宅に現れた繭子は真澄にそう告げた。
昨晩言われた通りに夕飯の準備はしていない。確か予定を空けておくようにと彼女は言った。
どのみち父は今日も遅いのだろう。故に問題は無いが、これから繭子は一体何をしようというのか。
家族同然の付き合いを始めてより五年、こんな事は初めてだ。期待と不安が真澄の鼓動を早める。

「えっと、あの、お出かけするの?」

少々唖然とする娘に彼女は囁く。

「目を瞑りなさい、真澄」

繭子に言われるがまま、真澄は目を閉じる。
目蓋を閉じても薄い皮膚の向こうから透けてみえる居間の明かり。]
しかし突如それが消える。何も通さぬ暗闇。次に気付くのは頬に触れる空気。冷たい。暖かい居間の空気ではない。
ここはどこだ。一体何が。

「目を開けて良い」

恐る恐る真澄が瞳を開ければ漆黒。何も見えない。

「繭子さん、一体何が」
「真澄、覚えておりますか?五年前、粟川が言った事を」
「粟川──市長さん?」

そのとき、暗闇の中、足元からぼう、と淡い光が浮かび上がる。

「これ──町の──模型?」

真澄は思い出す。
五年前、訪れた郷土資料館のオープニングセレモニー、その時出会った市長に招かれ、父と二人で見た地下の光景を。
あれは確か──要市縮尺模型図。

「今宵は満月。お前には見せておきます」

記憶を辿り見上げれば、あの月見窓が開いていた。
真澄の脳裏に父の傍らで聞いた市長の話が蘇る。あの日は確か満月の一日前だった。
何故満月の夜は窓を開いてはいけないのかと問う父に彼は答えた。
これ以上のものを見てしまうからと。その窓が今、開かれている。

「御覧なさい、真澄」

繭子に促され、真澄は模型図に視線を落す。
あの日見た不思議な景色。月の光を反射して現れた夜の町。
窓から漏れる灯り、織り成す光のペイシェントはあの文字を浮かび上がらせる。
noli ・me ・tangere、ノリ・メ・タンゲレ。確か意味は──我に触れるな。
ここまでは想い出せた。ここまではあの日と同じだ。しかし。

「そん──な」

そして真澄は息を呑む。ありえない光景を目に映し。






狼の娘・滅日の銃
第十四話 - 暴風域(前編) -






六年前、私は仮面を剥がされた。
初対面の後、連れ出された先は地下の教練場だった。
重い防音扉、厚いコンクリートに覆われた壁面。他に誰も居ない、広い密室に二人きり。心が高揚する。
その気持ちなど解らぬかのように不意に彼は向き直り、私の足元に一挺の拳銃と小刀、自分の得物を投げ捨てた。
彼は何も言わない。しかし目が拾えと言っている。なるほど、私を試すつもりか。さて、どうする。

果たしてこの男は気付いているのだろうか。私とアルファは同位体であると。

姉のスキルを全て受け継いでいると。それもこの男、藤原信也の最盛期に互角だった彼女、藤原真来の力を。
あれから十数年。彼は老い、身体能力も衰えた筈だ。なのに目の前の男は私を少々舐めている。生まれたての赤子であると。
笑止。私は兵器だ。封を解かれたその瞬間から最大限の力を発揮出来るよう創られたものだ。つまりこの男は私に敵う訳などないのだ。さて。
無論ここで全てをさらけ出す気など毛頭無い。しかし舐められたままというのも少々癪だ。仕方ない。相手をしてやろう。
適当にあしらい、彼に気付かれぬよう負けてやろう。
そして私は軽く溜息を吐き、足元に落された得物を拾い上げようと手を伸ばす。その瞬間。

「か、はッ──」

彼の爪先が私の鳩尾を鋭く抉った。

「てめえ、舐めてんじゃねえぞ」

激痛に軋む脇腹を抱えうずくまる私を見下ろし、彼は冷たく吐き捨てる。
視線を浴びた背筋が泡立つ。なんという圧力、なんという殺意。違う、彼は私を舐めてなどいない。殺す気だ。

「──立て」

即座に意識を切り替え神経系を調節、アドレナリンを増加。消える痛み。
私は立ち上がり、足で銃と小刀を蹴り払う。からからと音を立て部屋の隅に消えて行く二つの得物。こんなものは要らない。
いいだろう。やってやる。そして彼を睨む。視線の先、男は動かない。構える素振りすら見せない。
ただ両目から冷たい眼光を放ち私を見る。そうだ見るがいい。ならば見せてやる。
お前に屠られた五体のアルファの怨嗟、お前に狂った一体のアルファの愛憎。我等が本当はどれほどのものか、身を以って思い知れ。
そして私は──跳ぶ。ヒトの追えぬ高度で、ヒトになど捕らえられぬ速度で。直上より直下の獲物目掛け凶器と化した拳を振り下ろす。
直後何かが砕ける音がした。しかしそれは骨の砕く音でも肉を裂く音でもなく、見れば男の足元、コンクリートの床が抉られていた。
ただそれだけだった。獲物が消えた。信じ難い事実を理解したその時。

「がッ!」

背中を襲う激痛。位置は心臓の裏側。
痛みに耐え身を翻せば彼の突き出した肘が見えた。

「おいコラ。てめえはそんなモンか」

彼は言う、この程度かと。
その意味を理解し脳裏が沸き立つ。私を蔑むな、誇り高き獣の血より生まれし我らを侮辱するな。
再び彼を睨む。剥き出しの歯、隙間から漏れる唸り声。

「ふん。いい顔すんじゃねえか」

即座に飛び退き間合いを取るも男はまたも動かず、ただ私の姿を目で追うのみ。
いいだろう、やってやる。殺す、お前を殺す。そして意識を研ぎ澄ます。高ぶる心が波を打つかの如くに鎮まる。
消えろ、と私は念じる。不意に男の眼が細まる。よし、それでいい。この男は私を見失った。

いま私は、男の視点と感覚より自分の存在を消し切ったのだ。

この能力は姉も持っていた。けれど彼女は遂にこれを使わなかった。
彼と踊る事だけを楽しむが為にその力を捨て全てを身体能力に当てた。私は違う。全てを使う。
このスキル、イレイザーは相手のシナプスにラインの力を放射させ、一時的に全感覚器を狂わせ、
相手に自身の存在をロストさせる事が出来る。ドリフターといえど人間、この技より逃れる事は出来ない。
これはいまや私にしか出来ぬ技。ラインと直結した我等レムナント・ドールズ、最後生き残りである私にしか無いスキル。
老いたドリフターよ後悔しろ。お前は私を本気にさせた。
そのまま私は男の前に立つ。彼の視線は相変わらず動かない。未だ消えた私を探るべく全神経を集中しているのだろう。
甘い。それでは私は探せない。さあ、終わりだ。私は腕に力を篭める。
ぎりぎりとバネのように力を絞り、指先を揃え鋭利な手刀と化し、男の喉下目掛け振り下ろす。
皮膚に触れる刹那、私は確信する──取った。この男の命を取った。

「──っ」

しかし次の瞬間、私は驚愕のあまり目を剥いた。
何故ならこの指先は彼の喉を裂くどころか皮一枚さえも触れる事が出来なかったからだ。
ありえない。何故私の腕を掴めるのか。

「お前、馬鹿だろう」

彼は静かに告げる。こんな事はありえない。
混乱する私の意識。直後ゴキリと鈍い音。手首が外された音。走る激痛。
外した手首を掴んだまま男は身を翻す。勢い良くひねり上げられた腕。ガコンと嫌な音を立て外される肩。
重なる激痛に声が出ない。固まる身体。そのまま足を払われ腕を決められたまま冷たい床に倒れ伏す。
視界を覆う灰色のコンクリートと男の足。その爪先が突如消えたかと思えば腹部に激痛。
一発、二発、三発。使い物にならなくなった私の右腕をなおも離さず容赦なく腹を蹴る。不意に腕が離される。直後強烈な四発目。
勢い良く蹴り上げられた体が一瞬宙を舞い空気の抜けたボールのようにどさり、と再び床に落ちた。

「どうしたキルマシーン。てめえは張子の人形か」

冷淡に男は吐き捨てる。その程度の児戯は見飽きたと。
見れば彼は、私と対峙したその場所より一歩も動いてはいなかった。
迂闊──今更ながら思い知る。老いた?最盛期を当に過ぎた?見誤っていた。
彼は熟成したのだ。数十年の月日は多少体を衰えさせたとはいえそれを補って余りある経験を彼に与えた。
相対的に見ればこの男は、未だ成長を続けている。彼はあの時より数段──強い。激痛と屈辱に耐えながらも私は想う。
真来と名づけられた最後のアルファがもし、今の彼と再び相まみえたのなら、果たして私と同じように──。

「おめえは到底、あいつには及ばねえ」

私の心を見透かしたかのように彼は言う。
「あいつは──真来は、体一つで挑んできた。だからこそ互角にやれた。だからこそ俺達は踊れた。
 なのにおめえは、小手先の技に頼りやがって──馬鹿が」

くやしい。まるで歯が立たない。くやしい、くやしい。じわり、と視界が歪む。

「あ……ああ……あああ」

涙。私は泣いている。
それを理解した時、何かが弾けた。

「あああああああああああああアアアアアアアアああアアアアァァーーーーッ!」

声にならない雄叫びを上げ私は男に飛び掛る。頭を振り上げ口を開け、彼の腕に喰らいつく。
突き立てた歯が皮を裂き、白いシャツに滲む血。けれど彼は抗わず、私の耳元で囁いた。

「よし──いい子だ。それでいい」

そして彼は私を抱き締め、開いたもう片方の腕を静かに私の首に絡め、優しく──落した。
再び意識を戻した時、私は泣いていた。生まれたての赤子のように泣き喚いていた。
その時、ぽんぽんと頭を撫でる感触。見上げれば私を抱き彼が笑う。そしてまた泣く。彼の胸にしがみ付き泣きじゃくる。
なんという無様な自分。けれど泣き止もうとは思わなかった。ずっとこの男の胸で泣いていたかった。
私は知った。感情を吐き出す事がこんなにも気持ち良いとは。涙が心地良いとは。
この日、私は自分の弱さを自覚した。それは屈辱ではい。私は弱い、しかしまだ強くなれる。
強くなり、この気持ちを教えてくれた彼に報いるのだ。洗脳?懐柔?インプリィンティング?言いたい奴は言えば良い。
人形の仮面を捨てた私はもう何も怖くない。ああ私は狂ってしまったのだ。姉と同じように。この愛しい男に。
そして今日、私は彼に刃を放つ。

「──ッ」

月明かりの下、彼の前髪がなびく。避けられた刃先。
しかし私は見る──引いた。彼は一歩引いた。遂に私は彼を動かした。嬉しい、嬉しくて堪らない。

どうスか師匠?あたし強くなったでしょう?

ねえアタシをもっと見て下さいよ師匠。馬鹿なアタシを、あの子の戒めを解いてしまった愚かなアタシを。
だから今日、また仮面を被りました。二度と被らないと誓った仮面を。だってしょうがないじゃないスか。
もうアタシに出来る事はこれくらいしかないんです。ごめんなさい師匠。
あたし──馬鹿だから。


 
真澄は言葉が出ない。それほど信じられぬ光景だった。
眼下に広がる夜の町を目に映し、いま自分は夢を見ているのかとさえ感じる。
夜の町、それは決して比喩ではない。ミニチュアだった筈のそれが、ざわざわと揺れている。
窓辺から放たれる灯りは月光の反射ではなく、本当に家屋から漏れているのだ。
耳を澄ませばことんことんと聞きなれた音。毎日乗る路面電車の音だ。目を凝らせば模型図の路面電車が動いている。
しかもこれは五年前見た百年前の型では無く、いま通勤に使っているのと同じ車輌だ。
見れば小さな窓に人影が見える。乗客が居る。いや電車だけではない。商店の軒先に、駅前に、歩道に、多くの人が集い、動いている。
しかも見慣れたスーパーも、コンビニさえある。路面を電車と並走するものは馬車ではなく車だ。
遂に確信する。違う、これは百年前の町ではない、今の町だ。

「──映像?」

真澄は何とか自分の理解が及ぶように、今見ている光景に仮説を立てる。
これは特殊な機器で再生された映像で、聞こえる電車の音も人びとのざわめきも立体音響というやつで、
たぶん自分が今目にしているのは高精度なホログラム──。

「──違う」

そんな訳が無い。だって匂いがする。
家々から立ち上る夕餉の匂い、道路を走る車の匂い、町を流れる川の匂い、夜の町が織り成す匂い。
真澄の五感が仮説を否定する。これは本物だと。

「怖いですか?真澄」

傍らから聞こえる繭子の声に、真澄は小さく首を振る。
異様な光景、けれど恐怖は感じない。小さな芥子粒にも満たぬ人々の横顔が何故かはっきりと見える。
知らない顔、どこか遠い異国の人々、なのに懐かしい。そして彼らは皆、楽しそうに笑っていた。
自然と真澄の顔もほころぶ。だから何も怖くない。

「お前が見ているものはもうひとつの町なのですよ」

その言葉で思い出す。
あの時、自分は市長に聞いた。ホールの隅に置かれた立て看板の文字──要市縮尺模型図。
なぜ漢字なのかと、何故ひらがな表記のかなめ市ではないのかと。

「そうです、これが要市です」

思いに応えるかのように繭子は囁く。

「正確には要市原型図と申した方が良いでしょう」
「原型図?」
「そうです。お前が住む上の町、かなめのベースとして作られたものです」

人の住まう場所が町というなら、これもまた町なのですよ。
全ては百年前に終わり、始まったものです。
言いながら繭子は、真澄の傍らに寄り添い、そして告げる。

「真澄。これから話す事を理解出来ぬとも良い」

お前には聞いて欲しいのです──優しく囁く繭子に、真澄はこくりと頷いた。

「あの者達は、かつてボックスホールより消えた民達です」

ボックスホール──ヴォクスホール?
真澄にも聞き覚えのあるその名前。確か、かなめ市と姉妹都市協定を結んでいる国の名だ。

「リバーサル・シフト。後の者がそう名付けた事象で、犠牲となった者たちなのです」

遠き日、ホールに呑み込まれラインに消えた者たちの意識を、長い時を掛け拾い集め、ここに集わせたのだと繭子は言う。
その意味は真澄には解らない。けれど、解らぬながらもそれは大きな災厄だったのだろうと真澄は思う。
いま眼下に拡がる夜の街に暮らすであろう人々の数を見れば、それが犠牲者の数であるのなら、想像に難くない。

「本来あの地は、誰もが住まう場所ではなかったのです。
 ですが、ほんのしばしの間、わたしが眠りについている最中、力持つもの達が惹かれるように集い、住み着いてしまいました」

力持つ故に利用され、そして迫害され。だからこそ彼らは安寧を求めた。
そこが禁忌の地であろうとも、ここならば誰にも邪魔されず静かに、ただのヒトとして生きて行ける。
力の消える場所、力を吸い取る場所。だが彼らは、その本当の意味に気付けなかった。
そこは力が落ちていく場所であると言う事に。力が常に降り注ぐ場所であるという事実を。
彼らが元々持っていた力は消えたのではない。より巨大な力の流れに呑み込まれてしまったのだ。
巨大な奔流──ラインの直射。
力持たぬものであったなら耐えられぬものではない、しかし力持つもの達には耐性があった。
ゆえにその変化は緩慢であり、気付くものは皆無だった。

「わたしが彼の地に赴いたとき、既に二つの新たなるキャストが芽吹いておりました」

片やラインの力を取り込み順応したもの──ソリッドライナー。
片や耐性を強めあくまでも力に抗うもの──ドリフター。

「ラインを挟み生まれた二極の派閥は、表面上は共存しておりましたが、
 それぞれが持つ特性上、近い将来お互いを潰し合うのは必至でした。
 全てはキャスト達に御せぬほどの強き力が発端、ならばと一計を案じ、ラインの流量を抑える事にしたのです」

王国の伝承によれば、その日、異能狩りの命を受けた周辺諸国の軍勢が禁忌の地に大挙して押し寄せ、王都を包囲したとある。
王国存亡の時、現われたる黒髪の魔女コクーンが巨大な大穴〈ホール〉を出現させ、大軍を跡形も無く消し去ったと。

「軍勢を招いたのはわたしです。あの者たちに見せつける必要がありました。
 この地がどういう地であるのかを。誰もが犯してはならぬものが確かに存在すると」

この地を侵すなかれ、この地に触れる無かれ、ノリ・メ・タンゲレ、汝触れるなかれ。これは御言葉である。
凛と告げるコクーンの姿に誰もが畏怖を禁じえなかった。果たして軍勢は何処へ消えたのか。王国の伝承には記されていない。
それも当然の事、この時にはまだ王国などは存在しなかったからだ。つまり〈ホール〉出現後に王国は生まれた。
これら伝承は王国創立後、後付けの話として再構築されたのだ。では一体軍勢は何処へ消えたのか。
真実は拍子抜けするほど単純だった。気が付けば兵達は各々の国に、出立前そのままで戻されていた。
何の事は無い、彼らはコクーンの言葉を君主達に伝える為のメッセンジャーにされたのだ。
以来しばらく、外からこの地を侵す者は消えた。

「〈ホール〉というバイパスを施す事によりラインは流量を弱めました。
 その後わたしは民を集め、ラインに順応したもの達にはその制御法を教え、
 力に抗うもの達には、この地に縛られず離れるよう諭しました。お互いを別つ事で後々の禍根を取り除くために」

実際それは上手く行った。地を離れる者たちは喜んだという。
彼らは元々好んでこの場所に住んでいたのではない。だが彼らは他の地にも移れるという自由を与えられた。
その後、彼らは名の通り漂泊者、ドリフターとして方々に散らばり血を残した。
一方でラインに順応したソリッドライナー達はその地に残り、ラインを制御する術、魔道技術をコクーンより学び、
禁忌の地を彼らだけの楽園として守り抜く術を得た。しかし。

「わたしがあの地に居る間は平穏でした。ですが長居は出来ませんでした。何故ならラインはわたしと共に在るからです。
 わたしの居る場所が源泉となるからです。いつまでも流れを逆にしておく事は出来ません。
 元は力の落ちる所として定められた場所ですからね」

この地──カナメが源泉として定められたように、と繭子は言う。
〈ホール〉とは落ちる力を制御するために新たに創られたもの。湧き出る源泉の流量は落ちる場所の比ではない。
ひと時ならば耐えられよう、けれど猶予は決して長くは無い。程なくして飽和を迎え、最後には吹き飛ぶ。
あの地だけでなく──何もかもが。

「ゆえにわたしは、一人の娘を選び、管理権を委譲し彼の地を離れました」

娘の名はアメリア。瞳に虚無を宿した少女。コクーン去りし後、彼女は女王となった。
王国はここより始まる。だがその時点で歴史には未だ魔道帝国の名は出ない。
コクーンと共にラインは流れを変え、ホールは噴出から吸入にその特性を反転する。
しかしその時点では何の異変も起きなかった。緩やかに完了したリバーサル・シフト、これが真相である。
では何故、王国臣民の約半数を巻き込んだ大災厄が起きたのか──それは。

「しかし、過ぎたる力に魅入られ、溺れ、狂い、他の地を侵そうとするもの達が現れました」

それは迫害され続けた積年の憎悪がそうさせたのかも知れない。その流れはやがて王国全土に湧き上がる。
復讐するは我にあり、我等は既に弱くない、力を以って蹂躙する。虐げられた恨み思い知れ。
女王アメリア・ヴォクスホールはそれを敢えて放置したという。
やがて臣民の半数がその意を抱き、王国の中枢である〈ホール〉を手中に収めようと殺到したその時。

「あの娘──アメリアは、わたしのいいつけを忠実に守りました」

しかしゆめゆめ驕るなかれ。私はいつも見ているぞ──女王は知っていた。コクーンが残した言葉、その意味を理解していた。
その行為を行う哀れな者達の末路を、湧き上がる無数の黒い手に引きずり込まれて行く様を、微笑みながら眺めていた。
自ら手を下さず、完膚無きまでに粛清を遂行したのだ。そして、その日から彼女は恐怖の代名詞となり、魔道帝国が誕生する。

「あの娘は力に魅入られたのではありません。わたしに狂ってしまったのです」

わたしが遂にやらなかった事を、行ってしまったのです。
語る繭子の口調は静かで、相変わらず抑揚も無く、後悔も悔恨も見えなかった。
それが真澄には辛かった。無表情の人形顔が、泣きじゃくる童女に重なったからだ。

「繭子さんは、悪くないよ」

傍らに立つ彼女の小さな手を取り、そっと握る。

「この人たちは自業自得じゃない。だから、何も悪くない」

不思議な夜の町と、集う人々の姿を瞳に映し真澄はつぶやく。

「いいえ。全てはラインという力に狂った故に起きたこと。
 いまこの町に住まうこの者たちの顔、安寧に笑うこの顔こそが、彼らの真の姿なのです」
「本当に人が良すぎるよ、繭子さんは。優しすぎるよ」

真澄の手の中で、きゅっと握り返す小さな手。

「優しいのはお前です真澄。わたしを──ヒトと呼んでくれるのですね」

その言葉に真澄の表情が曇る。小さく唇を噛み、そして。

「私は──優しくなんか、ない」

ずるくて嘘つきで、獰猛。それが本当の私。
小さくつぶやいた後、何かに耐えるようにうつむき、再び唇を噛む真澄。
その姿に繭子は何も言わない。ただ手を繋ぎ、沈黙する。そして。

「繭子さん、何で私にこれを見せてくれたの?」

ただの御礼じゃないんでしょう?うつむいたまま問う娘に、繭子の口が開く。

「気付いておりますか?真澄」
「何を?」
「お前は今、わたしと自然に会話をしているという事に」
「何もおかしくは」
「わたしは先程、理解出来ぬとも良いと申しました。ただ聞いているだけで良いと。
 ですがお前は、わたしの話、その意味を察し、答えてくれました。これがどういう事か解りますか?」

繭子の言葉に息を呑む。そうだ、何故私はこんな荒唐無稽な話を受け入れているのだと。
家の居間から突如ここに現れた時でさえ、たいして驚きもせず──何故。

「お前はわたしを人が良い、つまりヒトと呼びましたね。この話を聞いてもなお」

ぞるり。真澄の胸で何かが蠢く。得体の知れない、何か黒いものが。

「お前はわたくしの話を、理解してしまったのでしょう?」

要市原型図、彼の地、ライン、ソリッドライナー、ドリフター、ホール、リバーサル・シフト。
本来ならば意味不明なこれらの言葉を理解している自分に気付き、愕然とする真澄。

「お前はわたしをヒトと呼びました。それはお前がわたしを、自分と同じものだと感じたからです。
 ならば問います。わたしがヒトでないのなら、どうなりますか?」

ぞるり、ぞるり。蠢く何かが、得体の知れない黒いものが真澄の心を静かに揺らす。

「真澄。お前に残酷な事実を伝えねばなりません」

やがて繭子は静かに告げる。

「お前はわたしの──直系なのです」


 
この体に流れる血が、穢れた狗の血だと知ったのは十四の夏。

「お兄ちゃん、おかえり」

妹は笑っている。玄関先から家の奥、居間に通じる廊下の片隅。薄い影に隠れてもその口元は確かに笑っていた。
病弱で、小さくて、いつも俺の背中に隠れていた一つ下の内気な妹が、満面に笑みを湛え、頬を朱に染めてけらけらと笑っている。
なんだお前、今日は調子いいな。玄関から声を掛けるも妹は、廊下の片隅、影に隠れうん、うんとただ笑うだけ。
おいどうした?異変を感じ玄関に靴を脱ぎ捨て、影に隠れる妹に近付こうとするも、あはは、と笑いながら俺の手をすり抜け家の奥へと駆けて行く彼女。
それを追い居間へ入ると突如鼻先をかすめる異臭。濃厚な鉄錆の匂い。
吐き気をこらえ顔を上げれば、窓から注ぐ午後の陽光に照らされ、妹の姿が露わになる。
笑っている。顔を赤く染め笑っている。その赤は、血。

「だって、しょうがないじゃない」

彼女は笑う。いつもおどおどしていた妹はもういない。
楽しそうに笑うその顔に飛び散った血飛沫は、妹のものではなかった。それは、返り血だった。

「弱いんだもん、このひと」

床に倒れ伏す男は、親父だった。引き裂かれたその骸だった。

──いいか信也、敵を作るな。

これが親父の口癖だった。
早くに母を亡くし、男手一つで俺と妹を育ててくれた父。彼は温和で優しく、めったに怒る事の無い男だった。
けれど俺は知っていた。親父がとてつもなく強い事を。
絡んできたチンピラを笑いながら叩き伏せ、懇々と説教を垂らし、事が済めば水に流し共に酒を酌み交わす。
その姿はどこか滑稽でもあったが、そんな父が好きだった。
一つ下の妹と一緒に、頼もしい父の背中をいつも見ていた。

──喧嘩をしてもいい。憎まれてもいい。相手に敵と思われてもいい、だがな。

考えればおかしな話だ。敵を作るなとは普通、皆と仲良くしろという意味だろう。
けれど親父は、相手が自分を敵とする分にはいいと言った。それでは敵を作ったも同じではないか。

──お前は相手を敵と思うな。いいか、これだけは肝に銘じておくんだ。

汝の敵を愛せよ、とでも言うのだろうか。その疑問に彼は苦笑しながらこう言った。
大切なのはお前自身の認識なんだ、今に解る──それは父が息子に授けた、精神論や処世術のようなものだと軽く感じていた。
だが、そんな生易しいものでは無かった。

「お前──何を」

その父が今、血溜りの中で息絶えている。

「飽きちゃったの」

父の骸を、笑いながら見下ろす妹。

「何がだよ!お前一体どうしたんだ!」
「弱いフリをするのが」

そっか、お兄ちゃん知らないんだよね。
血溜りの中で微笑むその顔に、あのか弱き妹の姿は微塵も無かった。
幼さ残す筈の横顔に、俺はおんなを感じた。いや、そんな艶かしいものではない。雌だ、雌のけものがそこに居た。

「父さん私には教えてくれたの。自分達には狗の血が流れているって。凶悪で凶暴な狂犬の血が。
 戦いを求め強きものを屠るべく仕込まれた血が。強い力に抗う血が。漂泊者の血が」

このひと言っていたわ。私とお兄ちゃん──私達はそれが特別濃いんだって。
このひと悔やんでいたわ。何故自分はこの血を残してしまったんだろうって。
淡々と言葉を吐き捨てる妹を前に、俺はただ立ち尽くす。
こいつは一体何を言ってるんだ。思春期特有の変な妄想に取り付かれたのか。

「お前病気なんだよ、だから」

そうだ、こいつは病気だ。狂ってしまったのだ──だから。
けれど、笑う口元とは対照的に彼女の目はただ冷たく、そこに狂気は、欠片すら見えなかった。

「違うわ。このひと、ずっと私に暗示をかけていたのよ。お前は身体が弱いんだって。
 この血のせいだって。血の濃さに耐えられないんだって──おかしいよね」

私はとうに気付いていたのに。だから待ったの、このひとを倒せるくらいの力が溜まるまで。
その言葉で気付く。こいつはさっきから、親父の事を一度も父さん、とは呼んでいない。

「いいかげんにしろ!」

耐え切れず俺は叫ぶ。さっきから何馬鹿な事言ってるんだと。
狗の血?そんな妄想大概にしろと。だったら何で俺はまともなんだと。いい加減にしろこの野郎。

「お兄ちゃん一度も病気したこと、ないよね?」
「おう!健康優良不良少年なんだよ俺ァ!」
「お兄ちゃん喧嘩に負けたことないよね?」
「だから俺は!」
「不思議に思わなかった?なんでいつも余裕なんだろうって」

妹は微笑む。それはお兄ちゃんに見合う相手がいなかった、それだけなのよと。

「お兄ちゃん、ずっとこのひとから言われてたでしょ?敵を作るなって」

それはね、身を守る為じゃないの。相手を守る為の言葉なの。
身を固める俺の心を見透かすように妹は囁く。

「だってお兄ちゃん、そうなったら殺しちゃうもん」

私は身体、あなたは心。それが、このひとが私達に施した調教。
同じ狗の分際で私達に首輪をつけようとした。だから殺したの。てんで弱かったわ。本当に、馬鹿。

「全然抵抗しないんだもの、このひと。私のなすがまま。無様ね」

抵抗しなかった?あの親父が?
あの優しくて強い男が?為す術もなくこいつに殺られた?

「ちが、う」

ああ、こいつは気付いていない。
その意味を、何故抵抗しなかったのかを。

──信也、敵を作るな。

その時だ。親父の言葉、その真意を理解したのは。
俺に何度もその言葉を言いながら、自分自身を縛り付けていたのだ。
俺達に対する暗示じゃない、自分自身を調教していたのだ。それだけこの男は強かったのだ。
だからこそ妹の手にかかり、為すがままにされてしまったのだ。
つまり親父は、最強の敵である自らの血に勝てたのだ。それを、こいつは。

「お兄ちゃんなら、少しは楽しませてくれるかな?」

妹の目が変わる。凍てついた視線が一点、熱を帯び蕩けた眼に。

「ねえお兄ちゃん強いんでしょ?私を楽しませてよ」

口元から熱い吐息を漏らしながら、にじりよる彼女を前に俺はただ立ち尽くす。

「もう抑え切れないの、ねえお願い、わたしと──」
「──黙れ」

何かが弾けた。すまねえ親父。俺は──駄目だ。

「オヤジはなぁ、おめえを敵にすら見ちゃいなかったんだ」

そうだ。親父はこいつに暗示なんかかけちゃいなかった。ただ事実を言っただけだ。
俺達の中で、こいつが一番弱い。だから血に耐えられないと言ったのだ。
お前は身体が弱い。そして俺は心が。だからこそ親父は、それをお前は──取り違えた。

「──マキ」

真来。それが妹の名前。その瞬間、俺を見る眼が変わる。嘲笑から、恐怖へと。
体が熱い。胸の芯から燃え上がる。もう何も考えられない。もう駄目だ。親父、ごめん。

「お前は俺の──敵だ」

そこで俺の記憶が途切れる。
気が付けば何も無い、白い部屋の中に居た。
だが記憶こそ無かったが、その後一体何が起きたのかは理解出来た。俺は、あいつを。

「おめえが源也さんの息子か」

現れたその男は開口一番、俺を糞虫と吐き捨て、胸倉を掴み殴り、髪を掴み引き摺り起し殴り、倒れ伏した俺の腹を何度も何度も蹴った。
血反吐を吐いてもなお止めようとはしなかった。だが俺は、為すがままに殴られ蹴られ続けた。なぜならば。

「あのひとの想いを台無しにしやがって!てめえはッ!」

その青年は、俺を殴りながら泣き、泣きながら蹴っていた。
あのヒトはおめえらが好きだったんだ、好きで好きでたまらなかったんだ、それをオメエは──その言葉が体の芯に染みていく。
熱い火照りは当に無い。ただ、ひたすらに醒めていく。

「──俺と来い。その血の使い方、教えてやる」

拳を俺の血に染め、折れた指の激痛に耐えながらその男は最後に呟く。
彼の名は室戸。親父の元部下だったらしい。その頃には、もう俺の体の芯はとうに冷え切っていた。
その冷たさは二度と火が灯る事はないだろうとさえ思えた。もういい、好きにしてくれ、何だってやってやる。
許されるなんざ思っちゃいない。誰もが忘れても俺だけは忘れない。俺は──。

「──ちぃッ!」

気が付けば月明かりの下、迫る刃先を無意識に避ける俺が居た。
くそ忌々しいこの身体がまた反応した。まったく困ったもんだ。

「何笑ってんのよ!」

ああすまねえ真美。今気付いたんだけどよ、おめえ似てるんだわ。真来にも、マキにも。
だからさ、頼むわ。そんな泣きそうな顔で笑わないでくれ。頼むよ。

もう俺に、殺させないでくれ。






















■狼の娘・滅日の銃
■第十四話/暴風域(前編)/了

■次回■第十四話「暴風域(後編)」


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