俺と鬼と賽の河原と。生生世世
「ただいまかえりましたー」
「おう、お帰り由美」
居間でごろごろと転がっていると、不意に扉が開き、学校から由美が帰ってきた。
そんな由美の方を見ると、不意に由美は肩を震わせる。
「どした?」
挙動不審な彼女に、俺は聞いてみるが、彼女は首を横に振った。
「な、なんでもないですお父様」
ぶんぶんと振られる首に俺は違和感を覚えるが、しかし追及も憚られ、ついぞ口に出すことはなく。
「お、お父様……」
「なんだ?」
「な、なんでもないですっ!」
ぱたぱたと、由美は二階へ上って行ってしまった。
「どうしたんだ? 一体」
俺の呟いた言葉に答えるものはなく、音は虚空に空しく消える。
はたして、一体何だったのだろうか。
その疑問に回答を出したのは、一枚の紙きれだった。
ゴミ箱の中にあった、気になる文字列。
「んあ? 参観日の案内? こいつはまたお約束な……」
「前さん、明日俺仕事休むわ」
「なんで?」
「参観日」
「絶対行きなさい」
其の三十 俺と月見草。
しかし、父兄としてこの学校に来るのは俺としては珍しい限りだな。
ついこないだできたばかりの新しい校舎に俺が脚を運ぶのは、いつも職員としてだ。
相も変わらず、人手は足りる様子を見せることはなく、いまだに俺は一般常識と体育を受け持っている。
入学者は増える、しかし、職員はあまりにも増えなさすぎた。
そもそも求められる水準が高すぎるのだ。
なんて言うと俺のような教養のない人間が職員をしていることに違和感を覚えるかもしれないが、そういうことではない。
この学校の求める基準はひとつ。
腕っ節だ。
はたして、生前体育教師の免許を持っていた人間がいたとして、だ。
彼らの常識で言う幻想生物たちが放つ亜音速のボールを彼らは受け止められるだろうか。
果ては乱闘にでもなったら。
……アルマゲドンである。
と、そんなこんなの事情を抱え、ある程度危険な生徒間の揉め事にも対応できるというわけで職員をやってる俺だが。
現実逃避しても現実は変わらない。
現実が変わらないから逃避するのである。
有体にいえば、顔から火が出そうである、と。
ありがちな作文発表題、「尊敬する人」。
その中で、『私のお父様』、その言葉が俺をじわじわと蝕んでいた。
「私のお父様は――」
鈴のような声音で、我が娘が俺について話している。
いるのだが、「ははぁ、あなたの話ですか」と聞かれたならば、俺は首を横に振り、「いえ、人違いです」と答えるだろう。
他人から見た自分はいかほどに恥ずかしいのか。理解させられた。特に下から見上げた類のものは、だ。
下から見た目線の話はどうしても美化される。というか美化八割だ。うん。
否定も肯定もできぬこの辛さよ。
「普段はいい加減になりがちだけど、大事なところでは一生懸命なお父様を、尊敬してます……、っ!?」
と、そんな時、ちらりと横目で背後を見た由美と、不意に目が合った。
一瞬驚いた後、由美の顔が赤く染まり、動揺した音を立てて、彼女は席に着く。
そして、由美は恥ずかしげに俯いてしまった。その耳まで真っ赤である。
そんな由美を見つめる俺も心中顔真っ赤なわけだが。
そうして、俺の授業参観は終了した。
「お……、お父様、来てたんですか……?」
照れの見られる顔の赤さで、由美は俺のもとにやってきた。
「来たとも」
内心恥ずかしかったがなっ、という言葉は押し隠し、俺は言う。
そして、意地悪く笑った。
「来たら悪いかね」
すると、ふるふると由美は首を横に振る。
「そうじゃなくて……、その」
授業参観の終わった学校の廊下は、いささか込んでいて、俺は由美の手を引いて外へと向かった。
「……恥ずかしい、です」
そいつはお互い様だな。
「来ないほうがよかったか?」
素直に、俺は聞いた。
その方が良かった気はする。お互いの精神衛生的に。
だが、今一度由美は首を横に振る。
「でも、嬉しいです……」
それは来た甲斐があるというものだ。
俺は人知れずにやりと笑みを湛えて呟く。
「それは良かった」
そして、階段を下りて、玄関へ。
靴を履き替え外に出る。
「いい天気だな」
呟いた言葉は青空に消えた。
些か寒い季節になっているが、秋晴れというやつだ。
雲ひとつない青空が広がっていて、今宵はいい星が見えそうだ。
「ところで、お父様。お仕事は……」
不意に、由美が問う。
言えば由美が気にしてしまうのは分かっていたが、どうごまかせようか。
俺は正直に語る。
「休んできた」
「……ごめんなさい」
やっぱりか。
申し訳なさそうに俯く由美に、俺は気付かれないよう溜息を漏らす。
「つまらんことを気にしすぎだ」
「でも、やっぱり。私……、ずるいです」
「なんで」
「もしかしたら見つかっちゃうかもしれないところに、プリント、捨てました」
言い出せないが、気付いてほしい、そんな心境だったのだろうか。
健気、とも言えず、涙ぐましい、でもないそんな筆舌に尽くしがたい由美の態度に、胸は熱くなるやもしれんが不快感は全くない。あり得ない。
「なら、正々堂々来いよ」
「え?」
「駄目ならちゃんとお断りするから言えばいい」
そう、言えばいいのだ。春奈みたいに何でもかんでもとりあえず言ってみればいい。と考えて、春奈の名は出さずに言葉にした。玲衣子の言葉を借りるなら、マナー違反らしいから。
ただ、まあ、遠慮する理由もあるまいに。
「……できるだけ、頑張ります」
「まあ、それでいいさ」
俺の言葉を聞いた後、握りこぶしを作ってうなずいた少女に、俺は苦笑を一つ。
そして、なんとなくに呟いた。
「ゆっくり待ってるよ。暇だけは、持て余してる」
「……お父様は、私にはちょっとだけ眩しいです」
由美の呟きは、帰る親子の雑音に遮られ、よく聞こえなかった。
そんな昼の一幕は終わり。
特に変わったこともなく夜は訪れる。
……ま、何にせよ、昔に比べりゃ成長してるよ。
「お父様、なにしてるんですか?」
「月見酒」
夜の屋根の上。些か寒いがそれはそれで風情がある、と昇ったそこに俺は座っていて。
声は屋根の下から響いた。
「月……、見えませんけど」
「だが、それがいい」
放った言葉は七割方、負け惜しみである。
女心と秋の空、とはよく言ったもので、月を覆い隠した雲は意地悪く光り、そこにあった。
些か寒いのも、月が出ていないのも、正直に言えば空しいものがある。
しかしながら、昇ってしまった以上すごすごと戻るのは癪で、気に食わない。
よって残された意地と根性。
この二つで酒を飲むのだ。
追加でハッタリとお付けして。
「見えない月に思いを馳せる。浪漫があっていいことじゃないか?」
「……本当ですか?」
可愛らしく、小首を傾げられてしまった。
ふはは、年端もいかぬ少女から見ても強がりだってか。そうかい。
「まあ、それでも星は見えるさ」
そう言って、俺は天を指差した。
雲の隙間から、星達は輝きを洩らす。
屋根の下に、由美の姿は見えなくなった。
しかし、声は届く。彼女は縁側にいるのだろう。
「お父様は、お星様を見るのが好きなんですか?」
下から聞こえる質問に、俺は苦笑して返した。
「どうだか」
「どういうことですか……?」
「その心を、酒が飲めりゃなんだっていい、っていうのさ」
くく、と喉を鳴らして、今度は俺が問う。
「由美は好きか?」
下から届いた声は、ちょいとばかし意外なもの。
「私は、お星様を見上げるより。お父様を見上げるほうが好きです」
俺は、狐につままれたような顔をしていたのだろう。
まあ、何にせよ、そんな心境だった。
「変わった奴だな。俺なんて見てても、つまらん面があるだけだ」
努めて、ぶっきらぼうに言う俺に、由美はくすくすと笑う。
「だが、それがいい。ってお父様が言いました」
「言ったやもしれん」
否定も肯定もできやしねー。
それだけ言って俺が黙ると、しばらくして不意に由美が声を上げた。
「月見草が咲いてますね」
うちの庭はよくわからないものがたくさんある。
なんで植えてあるのかわからない、夜にしか咲かない黄色の花も、そのひとつ。
「お月さまは、この花を見てるんでしょうか」
「なんでだ?」
「だって、お月さまのために咲いてるみたいで……」
「むう、だが、厳しいやもしれんな。特に、こう曇ってちゃ」
俺の、夢のない意見に、由美は残念そうな声を上げる。
「そう、ですね」
そして、思い直したように続けた。
「でも、いいのかも。たとえ見てくれなくても、それでも何かのために咲き続けられるなら」
何かを確認するかのように呟かれた言葉。
少し寂しげな言葉である。
屋根の下の表情は見えない。が、やはり寂しげな顔をしているのだろうか。
なんとなく、そんな顔はさせたくはない。
そんなことを思っていると、ふと俺は、少し変なことを思い出した。
「そういえば知ってるか? 実は月見草って白いらしい」
「そうなんですか?」
「たった一晩しか咲かない儚い花だよ」
そう、富士山に似合うのは待宵草。
月見草は白くて儚い。
まさに一夜の月のために咲く花だ。
「その日、お月さまが出てなかったら……。少し、可哀そうです……」
由美は言った。
優しい言葉だ。
ただ、やっぱり悲しげな顔はさせたくなかったから、俺は言った。
「だが、そんな花が咲く一晩が月のためだってんなら」
俺は懐から羽団扇を取り出す。
そして、その羽団扇を。
月へと向けた。
「きっと月だって応えるさ――」
こんなことしたらまた閻魔に怒られそうだな。
が、まあ。そのくらいは丸めこむか。最悪夕飯をちらつかせれば大丈夫だ。
これでもかと丸い姿を見せつける月には、そのくらいの価値はあった。
「――やっぱり、お父様を見上げるのが大好きです」
下から聞こえてきた声は、なんとなく艶っぽくて。
育ったらきっとなかなかの美人になるのだろう。
そして結婚して家庭を築く、か。
なんとなく、嬉しくもあり。
なんとなく、寂しかったりも。
―――
由美と一緒に編です。
薬師の親父っぷりが異常。
そして、本日ハードディスクケースを買ってきまして、ついに完全復活です。
修理前のデータもこれで使用可能に。
そんなこんなで、つい三、四日前に天狗奇譚も更新してみたりして調子が上がってるような別に気のせいなような。
返信
奇々怪々様
お医者さんごっこ。常人には至れない危うい領域でございます。さすがの薬師もたじたじに。
ちなみに、一夫多妻は黙認、というか正確な意味での婚姻はなく、家族登録があるだけなので、登録してしまえば、後の関係はそこの家庭次第です。
家族登録自体は数に制限があるわけでもないので、全員と家族登録して関係は妻ですと本人たちが認めれば何の問題もなく。
そして、最近もう、一通り前キャラロリ化しても罰は当たらないのじゃないかと思ってきたり思わなかったり。
SEVEN様
臭い飯は嫌だが愛妻弁当は何個でも行ける。そういうことなんでしょう。爆発すればいいのに。
まあ、確かに年下から言われるお兄ちゃんだからこそ、いいのではあるまいかというお話はごもっとも。
年上からだと、悪い意味でぞくりときます。中身が平常通りの憐子さんなのが問題ですねわかります。
そして、十二人も憐子さんがいたら、確実に薬師の胃に穴が開きますね。だが、それがいい。胃潰瘍くらい発症しても罰は当たらないと思います。
春都様
そう、あの憐子さんがミニマムサイズでお膝の上なんです。なんだか夢いっぱいなんです。
千以上年下の子にちょっと羨ましさを覚えてしまったりもするようなのです。その結果縮むという離れ業を発動。
しかし揺るがない薬師。やはり一度爆発して来たほうがいいのではあるまいかと思います。
もしくは一回憐子さんと結婚してみれば少しは変わるんじゃないですかね。変わらない可能性があるのが恐ろしいですが。
通りすがり六世様
お医者さんごっこ。今にして思えば随分ハードルの高い遊びです。なんとなく聴診器にあこがれはありましたが持ってるわけもなく。
憐子さんは、結局なんだかんだと我慢をしないから乙女まっしぐらなんでしょうね。やりたいことは全部試すと。
そして、薬師的には、結婚も恋人もたぶんその気はないんじゃないですかね。そもそも、性欲がないなら現状で満足ですよねー……。
まあ、しかし最後はやはり誰かが暴発することでしょう。きっと薬師なら朝起きたら憐子さんと結婚してたくらいはやってのけます。
志之司 琳様
もうなんど逮捕すれすれまで行ったことか。でもやっぱり獄中でもフラグ立てる件には同意です。最悪誰もいなくても獄中のベッドの精にフラグ立てそうです。
そして、春奈はすでになし崩しで突破しそうな勢いです。薬師にへいへいと言わせればもう勝ったも同然です。
憐子さんも憐子さんで、ふと思いついたようにロリに。もうどうしようもない。ある意味大勝利ですが。やっぱり薬師にへいへいと言わせたもん勝ちです。
結局、お医者さんごっこが広まったら、確実にエロ方面に診察されようとする人々がいるんでしょうね。その点憐子さんは今回は逆でしたが。
最後に。
月見草よりも月見蕎麦が食べたいです。