微かな振動と、道を車輪が蹴る音が静かに木霊する馬車の中、カールは新聞を広げていた。
その第一面には、アルビオン王国で起こった王党派の大攻勢――滅亡寸前にまで追いやられた王族が息を吹き返したことが記されていた。
記事の中身はそれをとっかかりにし、トリステインがアルビオンへ軍隊を派遣すること、それに伴いアンリエッタ姫の結婚が延期されることへと話が膨らまされている。
記事を読み進めながら、カールはなんとも居心地の悪さを感じていた。
自分がどんなことをしようともアルビオン王家の滅亡は確実だと思っていたのに、王党派はカールがレコン・キスタへ与えた打撃に追い打ちをかける形で状況を覆してしまった。
カールが直接的に引き起こしたことではないが、これは重大な異世界への干渉行為となるだろう。
バタフライ・エフェクト――使い所は違うだろうが、そんな言葉が脳裏に浮かぶ。
カールという異邦人がハルケギニアにきた時点で、ルイズはミッドチルダ式に触れることとなってしまった。
そしてカールはミッドチルダ式を虚無と誤解され、ワルドに付け狙われてしまった。
ルイズとワルド。たった二人の人間に及ぼした影響のお陰で、今の事態が生まれたと云っても良いだろう。
ルイズにミッドチルダ式を教えなければ、彼女は姫殿下からの密命を受けなかっただろう。
ワルドに虚無と誤解されなければ、レコン・キスタに付け狙われることもなかっただろう。
だが現実としてルイズは姫殿下の密命を受け、ワルドはカールを虚無と誤解し、その果てにアルビオン王家はレコン・キスタと拮抗できるほどにまで力を取り戻した。
本当に馬鹿げた話だ。
蝶の羽ばたきが地球の裏側でハリケーンを起こす、という荒唐無稽っぷりに引けを取らないほどに。
だが馬鹿げたことなのだとしても、自らが起こしてしまったということに変わりはない。
ルイズを守れた。クロムウェルを――首をはねたのはウェールズだが――排除できた。その結果に満足はしているものの、反省はしなければならないだろう。
後悔はない。ただ、今後似たようなことを起こしてしまえば、自分には時空管理局の局員である資格がなくなってしまう。
それは物理的な意味ではなく、倫理観や感情といった部分で。
時空管理局は、そしてそこに所属している魔導師は、決して神様などではない。
如何に優れた技術を有していると云っても、所詮は人間でしかない。
もし一度でも神様じみた振る舞いをして世界を思うがままに操るようなことをしてしまえば、根幹にあるのが悪意でないのだとしても、たくさんの人の人生を歪めてしまう結果になるだろう。
人が他者に行って良いことは、あくまで選択肢を提示すること止まり。そう、カールは信じている。
助けて欲しいと云われれば助けよう。ただそれは、助けて欲しい、という人間の意思があるからこそ取って良い行動ではないだろうか。
だからこそカールはルイズにミッドチルダ式を操る者として次元世界の価値観を強要しようとはしないし、クロムウェルの命を自らの手で奪ったりはしなかった。
無論、それは管理局法があるから、という面もある。
しかし、何故そのルールを守らなければならないのかと考えたとき、今挙げた理屈に行き当たる。
……もっとも、カール自身は管理局法の根底にある思想にただ従えるほど、出来た人間ではないわけだが。
なんだかんだで、結局自分がリンカーコアを傷付けてまで戦った理由の根幹には、この少女を助けたいという欲求があったわけで。
「あ、あの、先生」
「ん?」
呼ばれ、カールは新聞から顔を上げた。
途中から記事を読んではいなかったのだが、ずっと新聞を広げた状態で固まっていたのだ。
畳んだ新聞紙を隣に置いてルイズを見る。
向かい側の席に座った彼女は、ええっと、とバツが悪そうに視線を彷徨わせていた。
馬車の中の雰囲気は、トリスタニアを出てからずっとこんな具合だった。
いや、アルビオンからの帰り道時点で、既にこんな雰囲気になっていたかもしれない。
カールとルイズは決して仲が悪いというわけではないのだが、しかし、授業以外の時に会話を交わしたりする機会は少ない。
そのため、少しの間ならば話していられるものの、ヴァリエール領に向かう道中をずっと喋り通すことはできなかった。
しかし理由はそれだけだろうか。普段よりも、どこかルイズは自分と対面するのに緊張している気がする。
居心地が悪い、というよりは困っているようなルイズに苦笑しながら、カールは彼女の指に通された水のルビーへと視線を向ける。
「水のルビー、しっかり身に着けてるんだ」
「え? あ、はい。
せっかく姫様から頂いたんですし……」
云いながら、ルイズはおずおずと水のルビー、その宝石部分へと指で触れた。
本来ならば王家の者が持つ国宝である水のルビーは、現在ルイズが所有している。
今回の密命を成功させた報酬――ということらしい。そうでなくとも、元々これは旅の経費の代わりとして姫殿下から預けられたものだという。
だがそんなものを売り払うことなどできないと、ルイズは水のルビーを手元に置いたまま密命を終えた。
本来ならばこの国宝を姫殿下に返すべきなのだろうが、密命の報酬として、今度は正式にルイズへと送られたのだ。
「精一杯のご厚意だと思うんです。
密命って形で下された命令だから、きっと資金を表立って動かすことはできなかったのだろうし。
けれど姫様は、自分のポケットマネーでなんとなかる褒美じゃ申し訳ないと思って、これを下さったんだと思います」
「そうだね」
「……先生に褒美がないのは、申し訳ないですけれど。
でもその分、ヴァリエール領についたらもてなしますから!」
「あはは、期待させてもらうよ」
ちなみにカールに対する褒美として、アンリエッタ姫は王家の杖を与えようとしていた。
それを目にしたルイズは全力でそれを阻止し、自分でカールに精一杯のおもてなしを――となった運びである。
「そういえばルイズ」
「はい、なんですか?」
「これからヴァリエール領に向かうわけだけど、ルイズのご家族ってどんな人なんだ?
エレオノールさんは知っているけれど、お父さんにお母さん……それと、お姉さんがもう一人いるんだっけ。
先にどんな人なのか聞いておきたいな」
「はい。
えっとまず、ちい姉様のことを」
「……ちい姉様?」
「す、すみません! カトレア姉様です!」
顔を真っ赤にしながらそう云うと、ルイズは説明を続けた。
「カトレア姉様は、私の大好きな姉なんです。
穏やかで、優しくて、いつも微笑んでる感じ。
動物が好きで、その子たちもちい姉様が優しいのを分かっているのか懐いてて、いつも囲まれてるんです」
云われ、カールは脳裏にカトレアの顔を思い浮かべてみた。
エレオノールとルイズの外見で共通していた部分は、長い髪とウェーブ。そしてブロンドか。
目元もそっくりだったし、もしかしたら柔らかなルイズ、もしくはエレオノールといった感じなのかもしれない。
そんな風に想像していると、不意にルイズは表情を陰らせた。
「けどちい姉様は生まれつきからだが弱くて……それこそ、遠出するのも一苦労なぐらい。
病気がちだから体力をつけることができなくて。
だから、こういった機会がなければ先生とちい姉様が会うことはなかったかもしれません」
「……そっか。
それじゃあヴァリエール領についたら、お姉さんと会って、色々話をしてみようかな。
俺の知ってるルイズと、お姉さんの知ってるルイズでどんな風に違いがあるのか、とか」
「それは止めて……!」
どうやら本当に嫌らしく、慌てた風にルイズはカールを静止させるように両手を突き出した。
一気に話題を変えられたからか、ルイズから蔭りが抜ける。
彼女がそれに気付いたのかどうかは分からないが、こほん、と小さく咳払いをすると、先を続けた。
「ええっと、そしてお父様とお母様ですけど……」
そこまで云って、ルイズは頭を抱えた。
「どうした?」
「……あまり考えないようにしていたんですけど、やっぱり今回の密命の件、お父様とお母様に説明しないといけませんよね?」
「勿論。ルイズもそれを分かっているだろう?」
「分かっていますけどー……」
駄々を捏ねる……というよりは、どこか甘えているような。
普段のルイズなら自分の行いに対する叱責も何もかもを甘んじて受けていたような気がするも、今はどこか違う。
もしかしたら、任務を無事終わらせられたことと、実家に帰ることが相まって普段と調子が違うのかもしれない。
無論、カールがルイズの心情を把握することはできないが、そんな風に推察した。
ちなみにアンリエッタ姫には既に許可を得ている。
王家の尻ぬぐいとも云える今回の件だが、公爵家の人間ともなれば無意味に王家の汚点を言い触らすこともないだろう、という信頼の下に。
しかし、
「絶対、お父様は怒ると思います。
危ないことをした私に、ってのもありますけど、姫様にも。
姫様だって反省をしているだろうけど、それを誰かに責められるのとそうでないのとでは、大きく違いますから。
公爵家の人間としてそうする義務がある、って」
「……立派な人なんだな」
「はい。自慢の父です。同じ貴族として尊敬できます。
……そんなお父様だから、絶対に今回のことを有耶無耶にはしない。
勿論、事情を考えて大事にはしないでしょうけれど」
ルイズが貴族としての父を語る一方で、エレオノールからルイズを魔法学院に入れた本当の理由を聞いていたカールは、おそらく、と推測する。
姫殿下に苦言を呈するのは公爵という立場もあるだろうが、もう二度と今回のようなことをルイズにさせたくないという、父親としての面もあるのだろう、と。
エレオノールの話からはルイズの父親を断片的にしか知ることはできないが、その断片情報ですら、ルイズに対する愛情を察することができた。
そして――
「そして、お母様は……」
母親を口に出すと、再びルイズは頭を抱えた。
「ああ……絶対に何もないまま終わるなんてこと有り得ないわ。
実力以上のことをしようとするんじゃないってあれほど口を酸っぱくして云われたのに……。
でもでも、今回のことは国の存亡に関わる問題だったから……」
「る、ルイズ?」
ガタガタと震えだしたルイズの肩を揺すると、彼女はハッと正気に戻った。
「どうした?」
「ええっと、その……お母様は、厳しい人で」
「うん」
「今回の密命が仕方ないものとはいえ、それはそれとして、自分の分を越えたことをしようとしたことに対して、絶対に怒ると思います……」
「いや、俺はどんな人なのか聞こうと思っただけで」
「ああ、どうしよう……!
今から言い訳……ううん、言い訳なんて云ったら余計に酷いことになる!」
「落ち着けってルイズ!」
若干涙目にすらなっているルイズを肩を揺すって強引に落ち着かせると、カールは息を吐いた。
考え込ませると大変なことになるのは今のを見て分かったので、話を逸らすべきだろう。
「ともかく、良い親御さんじゃないか。
お父さんは勿論だし、お母さんだって、実力以上のことをしようとしてルイズが危険に晒されるのを嫌っていて、そう云ったんだろうしね。
大丈夫。今回のことにはれっきとした理由があったんだし、ルイズは無事に帰ってくることができたんだ。
確かに怒られるかもしれないけど、酷いことは云われないさ。
俺たちが任務を成功させたことで、レコン・キスタとトリステインの戦争は回避できた。
まだ会ったことはないけど、聞いた話から、その事実から目を瞑って一方的に非難するような人たちじゃないって思うよ」
「……はい。ありがとうございます」
ようやく落ち着いたルイズは、溜息を吐きながら乱れた髪の毛を直した。
そして視線を上げると、その、と口を開く。
「そ、そういえば、先生。
体はもう大丈夫ですか?」
唐突に変わった話題に、カールは微かに首を傾げた。
気になった風に聞かれたのは確かだが、まるで、話題を探してたった今思い付いたような――
が、深く考えず、そっと、カールは自らの胸元に手を置く。
体の内にあるリンカーコア。カールがアルビオンへの旅路の途中から感じ始めた激痛の原因は、それにあった。
ハルケギニアではまだ解明されていないだろうが、世界には魔力素という目に見えない物質が大気に満ちている。
リンカーコアを持つ人間、生物はそれらを呼吸と共に体内へと取り込み、リンカーコアで魔力素を魔力に変換する。
が、魔力素は酸素などと同じく、適正濃度を超えれば人間に牙を剥く毒のような側面を持っているのだ。
通常濃度の±15%が適正値。しかしこのハルケギニアは、おそらく+17%といったところだろう。もしそれ以上に高いのならば、カールが召還された瞬間に違和感を覚えたはずだった。
だが実際には、異常を感じるまで気付かないほど微妙な濃度の違いがあり、知らぬままカールは魔法を使い続けてしまった。
ルイズに魔法を教えるぐらいならば、まだ平気だったのかもしれない。
しかしラ・ローシュに向かうまでの長時間飛行、レコン・キスタとの戦闘を経て、カールは大量の魔力を消費してしまった。
その結果、リンカーコアは減った魔力を補填しようと魔力素を一気に取り込み、適正値を超えた濃度の魔力素に耐えきれず軋み始めたのだ。
今は魔力が回復しきっているので痛みはない。しかし、また魔力を消費し、肉体がそれを回復しようとすれば、再び激痛に襲われるだろう。
それを防ぐ手段は現状、ガンダールヴの効果によって肉体を頑強にするしかない。
が、大量に魔力を消費すればルーンの補助効果を痛みが上回り、レコン・キスタと戦った時のような激痛に苛まれることとなるだろう。
クロムウェルが倒れたことで、もう二度と大規模な戦闘をすることはないと思うが――嫌な話だ、とカールは溜息を吐く。
この世界においてカールが平民以上貴族以下の立場の人間として生きていられるのは、偏に魔法を使えるからである。
それを失ってしまえば、出来ることが一気に減る。そしてその中には、ミッドチルダへの帰還、それの遅延も含まれているだろう。
魔法が使えなくなるまでに、帰らなければならない――残りのタイムリミットがどれほどかは分からないが、急がなければならない。
……ハンデを負ってしまったことに反省はあるが、しかし、後悔はなかった。
あの局面で戦うことを渋ってしまえば、ルイズがどうなるか分からなかった。
そして戦った果てにルイズを助けることができたという結果があるのならば、体の異常も受け入れるべきことだだろうから。
「……ああ、大丈夫だよ。
けど疲れが抜けてないから、ルイズの実家でゆっくりさせてもうらうさ」
「はい」
そこで一度、会話が止まる。
するとルイズはソワソワした様子で窓の外へと視線を投げた。
なんだか挙動不審だ、と思いながら、カールはミッドチルダへの帰還と、ルイズのことを頭に浮かべる。
ミッドチルダへの帰還方法を探すのは現状の最優先事項だ。体のこともあるが、何よりもカールは自分の無事を友人たちに伝えたい。
リミットが科せられたせいだろうか。今までよりもずっと強くそれを感じてしまう。
だから――折角ヴァリエール領まで遠出したのだ。
魔法学院では入手することのできなかった情報などを帰り道に探すのも良いかもしれない。
ルイズには申し訳なく思う。だが一度はミッドチルダに戻り体を癒さなければ、彼女の授業を十全に行うことはできない。
そして、ミッドチルダに戻れなければ、いつかはルイズに魔法を教えることができなくなってしまう。
座学だって、カールが魔法を使えなくなれば今よりもずっと教えづらくなるだろう。
中途半端だけはいけない。彼女を立派な魔導師にしたいということもあるが、同時に、不完全な力の使い所に迷ってしまうかも知れないという不安があるのだ。
ルイズのことを信頼していないわけではない。虚無を付け狙うクロムウェルももういないのだし。
だが、ルイズという一人の人間にしっかりとした力と、それを操る心を育てたい、という願いがカールにはある。
だからルイズにミッドチルダ式を教える――教師としての責任を、投げ出すことだけはできなかった。
だがそれは決してカール本人の性格というわけではなく、ルイズだからこそ――という部分が半分を占めているかもしれない。
「あ、あの、先生」
「ん?」
「先生が大変な戦いを潜り抜けたことは分かってます。
だから、その、しばらくの間、授業は座学だけで良いです。
先生は回復に努めてください」
「……授業はお休み、とは云わないんだ」
「あ……」
「はは、冗談だよ」
そんな風に茶化して云うと、ルイズはジト目でカールを見て、頬を膨らませた。
「先生のたまに意地悪なこと云う所、あんまり好きじゃありません」
「悪かったって。
それに、疲れてるのは俺だけじゃなくて、ルイズも一緒だろ?
しばらくはゆっくり休もう、って思っていたからさ。
無論、ルイズが勉強熱心なのは嬉しいよ」
「むぅ」
「疲れてるだろ?」
「……一日ゆっくり休めば大丈夫です」
そう云うルイズだが、やはり彼女にも気怠げな部分がある。
今は馬車に乗っているため気にならないが、トリスタニアで歩いていた時は目に見えて疲れているようだった。
長旅に加えて、やはり初の実戦――それも風のスクウェアを相手に戦ったことは大きな疲労となり残っているのだろう。
などと考えていると、くぅ、と可愛らしい音が鳴った。
腹の虫。それはカールのものではなく、ルイズのもので、彼女は今までよりも顔を真っ赤にして俯いてしまう。
「……アルビオンから急いで帰ってきたから、ゆっくりご飯を食べる時間もなかったし。
取り敢えず、お腹いっぱいになりたいな」
「うう……」
月のトライアングル
ヴァリエール公爵領に入り、更に半日かけて屋敷にたどり着くと、カールはまず眉根を寄せた。
屋敷と聞いていたため立派な豪邸を想像していたが、実際に見てみると、それは屋敷などではなく城だった。
そう、城。お城。実家を目にして、今更だがルイズが貴族のお姫様であることを再認識した気分だった。
朝に出発し、公爵領に入ったのは昼過ぎ。
到着すればもう夕食時になっており、挨拶もそこそこにカールたちは城の中へと執事に案内された。
通された先は広間であり、中心には長いテーブルが鎮座している。
並んでいる料理は魔法学院の食事よりも豪奢であり、テーブルマナーという一言がカールの脳裏に踊る。
夕食と云うよりは晩餐会という方が正しいかもしれないこの状況。
一応マナーも魔法学院で最低限のものは身に着けたが、ルイズの両親――公爵の前で失礼にならないかどうかと聞かれると、自信がなかった。
既に席の上座にはルイズの父親、隣には母親、そして歳の順なのかエレオノール、カトレア、そしてその隣が空席。おそらくルイズの席なのだろう。
カールは公爵の対面に位置する場所に座るよう、予め執事から伝えられていた。
ふと視線に気付き、カールは居心地の悪さを覚える。視線の主はエレオノールであり、おそらく、なんの相談もなしにアルビオンへ旅立ったことに云いたいことがあるのだろう。
もっとも、彼女はカールたちがアルビオンに旅立ったことを知らない。、唐突にカールたちの姿が消えたと思っているはずだった。
なんの連絡もなしに行方を眩ませば、それは怪しまれても仕方がないというものだ。
カールはエレオノールに小さく頭を下げつつ、視線を移す。
彼女の隣にいる女性は、ルイズの云っていたもう一人の姉か。
桃色のブロンドはルイズと同じだが、身に纏う雰囲気や、今も浮かべられている穏やかな微笑みが、ルイズの云ったように柔らかな印象を与えてくれた。
確かにルイズやエレオノールとそっくりだ――が、一人だけ三姉妹の中で抜きん出てる。おっぱい的なあれが。
が、ガン見するのは失礼すぎるのですぐに視線を引き剥がした。
「よく帰ったな、ルイズ。
まだ夏期休暇というわけでもないのに帰ってくると聞いて驚いたが、こうして家族全員が揃えて良かった。
さあ、座りなさい。
カール・メルセデス。君もだ」
「はい、お父様」
ルイズに続いて頷くと、カールはゆっくり椅子に腰を下ろした。
こうして公爵と対面してみれば、なるほど、立場相応の風格があるように思える。
値踏みするようなことを云うのは失礼かもしれないが、この人がルイズに貴族の在り方を教えたのか――などと、カールは思った。
『先生』
『ん?』
不意に念話が届き、カールは眉根を寄せた。
『アルビオンに向かったことは、夕食が一段落してからにしましょう。
騙すようで悪いと思いますけど、最初からお父様やお母様を不機嫌にはしたくないんです。
機嫌一つで聞く耳を持たなくなるほどお父様もお母様も頑固じゃないけれど、それでもしっかり理解してもらいたいから』
『分かった』
そこから晩餐会が始まる。
主賓はやはりルイズであるのか、公爵が主に話を振るのはルイズだった。
魔法が使えるようになったことを祝福して、ルイズは照れくさそうに、同時に気まずそうに頷く。
やはりルイズも、両親を前にして自分の覚えている魔法が外道ということを再認識したのかもしれない。
無論、一時たりともルイズがそれを忘れたことはないだろうが。今はそれを身に染みて理解しているのかもしれなかった。
カールに対しても時折、言葉が向けられる。
だが答えづらい話を振られると、こっそりとエレオノールが助け船を出しくれて言葉に詰まるようなことはなかった。
てっきり嫌われているものだと思っていたが、違ったのか。
デザートを平らげ、紅茶が運ばれてくると、ルイズが視線を向けてきた。
同時に、彼女は指に通したままだった水のルビーをテーブルの上に置く。
カールは頷くと、息を吐いて公爵を真っ直ぐに見据えた。
「ヴァリエール公爵。
一つ、耳に入れて頂きたいお話があります」
「何かな?」
やはりルイズが帰ってきたこと、そして魔法を使えるようになったことを喜んでいるのだろう。
微笑みを浮かべながら、公爵はカールへと視線を向けた。
「……ミス・エレオノールが学院に訪れてからこの公爵領に辿り着くまでのことを。
申し訳ありませんが、人払いをお願いできませんか?」
「……一体なんの話をするつもりだ。
まずはそれを――」
「お父様。これを」
まず話の内容を、と公爵が問おうとすると、ルイズは席を立ち公爵へと水のルビーを手渡した。
公爵は手渡された指輪を訝しげに見るが、それが水のルビーと気付いた瞬間目の色を変え、控えていた執事とメイドを部屋の外へ出す。
そしてルイズに席へ戻るよう云うと、先ほどとは一転し、鋭い眼光をカールへと向けた。
そしてカールは公爵へ密命の説明を開始する。
ウェールズ王子へとアンリエッタ姫が手紙を送ったこと。
その奪還を魔法学院を訪れた姫殿下がルイズを通してカールに命じ、ワルドを含めた三人でアルビオンに向かったこと。
水のルビーはその報酬として与えられたものである。
それを聞いた公爵は苦虫をかみ潰した顔で目を閉じると、ルイズに視線を向けた。
「……ルイズ。お前が水のルビーを持っている以上、今のことが作り話とは思わん。
だが、本当のことなのか? お前の口から聞きたい」
「……本当のことです、お父様。
私は姫様の依頼を受けアルビオンに向かい、手紙を奪還してトリステインへと戻ってきました」
ルイズがそう口にした瞬間、エレオノールは突き刺さるような視線をカールへと。
公爵夫人は顔色を変えないままカップを持ち上げ、カトレアは困ってしまったという風に眉尻を下げていた。
ダン、とテーブルを叩き、エレオノールは腰を浮かせる。
「おちび! 自分たちのこなした任務が、どれほど危険だったのか分かっているの!?
それにカール! あなたはルイズの教師でしょう! ルイズを無事に守ったことは評価してあげる。
けど、そもそもそんな無茶苦茶な任務をどうして受けたの!?」
「待って、お姉様! この密命は私が受けたの! カールは私に求められて力を貸してくれただけよ!」
「だとしたって――!」
「黙りなさい、エレオノール。
今はお父様とルイズたちが話をしているのですよ」
言い争いを始めた二人に対し、まるで水を浴びせかけるように公爵夫人が口を開いた。
ルイズとエレオノールは渋々椅子へと座り直し、それを見た公爵は深々と溜息を吐く。
「……ルイズ。自分のしたことがどれほど危険な旅だったのか、お前なら理解しているはずだ。
まだまだ幼いとは思うが、同時に、私はお前を馬鹿ではないと考えているよ。
そんなお前が、何故身の丈に合っていない任務を受けたんだ?」
公爵から向けられた言葉に一度だけ瞼を伏せるも、すぐにルイズは顔を上げた。
そして真っ直ぐに公爵へ視線を注ぎながら、彼女は迷いなく言い切る。
「……トリステイン貴族として、逃げることはできなかったからです。
お父様なら分かるはず。姫様が私に密命を頼んできた時、既に王党派と貴族派の争いは一刻の猶予もない状況でした。
そこで私が断ってしまえば、手紙の回収が間に合うかどうかは怪しくなる。
勿論、お父様やお姉様が云うように身の丈にあっていないのは分かっていましたし、実際にアルビオンへ赴き、それを痛感しました。
それでも貴族として、国の危機を無視することはできなかったんです」
「……貴族として?」
「はい。貴族として。
私たち貴族は、守るべきもののために戦うべきと教えてくれたのはお父様じゃありませんか。
そして私は、レコン・キスタに国土を蹂躙されるのを防ぐために姫様の密命を受けました。
……心配をかけたのは、分かっています。
けれどお父様、理解してもらえませんか?
私は貴族として、メイジとして、国の危機を手に負えないからと放置することはできなかったんです」
「……それは」
ルイズの言葉を聞き、公爵は口を噤んでしまった。
カールは知っている。ルイズの口にする貴族像が、父や母の影響を大きく受けているということを。
そしてもしここでルイズの言葉を叩き潰してしまえば、それは自分たちの説く貴族像を否定してしまうことになってしまう――そう、公爵は分かっているのだろう。
だからこそ公爵は何も云えないのかもしれない。
例えルイズが愛娘であるのだとしても、同時に彼女はトリステインの貴族であるのだから。
そして貴族である以上、避けてはならない使命があると分かっているのだ。
そんな公爵の姿は、悲しげですらあった。
「ルイズ」
すると、公爵の隣で黙って話を聞いていた公爵夫人――カリーヌが口を開く。
彼女はこの場の誰とも違い、感情の色を見せないままルイズへと目を向けた。
「あなたは貴族として立派なことをしたと思います。
それは称賛されるべきことでしょう。
けれど、この場で誓いなさい。
もう二度と今回のような危険なことをしないと」
……譲歩、だろうか。
カリーヌが口にした言葉を聴き、カールはそんな風に思った。
密命を受けたルイズを認める一方で、もう二度と今回のようなことをするなという。
貴族として立派なことをした。けれど親としてそれを推奨したくはない、といったところか。
……もしこの話をしているのが血の繋がりのない他人同士ならば、ルイズの行いは全面的に肯定されることかもしれない。
しかしルイズと対面しているのは、彼女の家族である。
そして家族だからこそルイズの身を案じて、全面的にルイズの背中を押すことができないだろう。
カリーヌの言葉に、しかしルイズは緩く頭を振る。
「いいえ、お母様。
私は貴族として間違ったことをしていません。
確かに今回の件は自分の分を越えていました。云われなくとも、今後は出過ぎた真似を控えるつもりでした。
しかし今回のような余裕のない状況で、再び私に命令が下ったのなら、躊躇はしません」
「ルイズ!」
窘めるようにエレオノールが声を上げる。
同時にカールも目を細め、ルイズに視線を向けた。
……ルイズにそういった覚悟があるのは知っていた。
しかし今の言葉を真に受けるなら、まるで破ること前提で話をしているような……。
いや、違う。厳密には、そう。約束を破りたいのではなく、ミッド式を会得したいから――そして自分にとっての力は、ミッド式だけだから。
だからもし選択を迫られたときは、その力を与えた自分との信頼を捨てなければならない。
そんな風に決め付けてしまっているのではと、カールには思えた。
どうにもルイズらしくはない言動のように思えてしまう。普段のルイズならば、約束を破ること前提で授業を受けることなど絶対に良しとしないはずだ。
だというのに――どこか普段のルイズと食い違いがあるような気がする。
しかしカールは言葉を挟まず、じっとルイズを見詰める。
彼女は微かに怯えながらも毅然とした態度を崩さず、テーブルへと視線を向ける。
「……豪奢な料理も、お城に住んでいられるのも。今まで豊かな暮らしを続けて今の私があるのは。
すべて、貴族の責務を果たしているからです。
私は、ただ権利の上で胡座をかくような人間になりたくない。そんなものは貴族じゃない。
例えそれでも良いと思う人がいるんだとしても、私はそんな貴族になりたくない。
私自身が、そんな自分を許せないから」
そこまで云って、ルイズは両親へと顔を向けた。
「……お父様、お母様。
私は二人を尊敬してます。だからこそ、教えてくれた貴族の在り方をねじ曲げたくない」
どうか分かって、とルイズは縋るように視線を向け続ける。
カリーヌはそれを真っ向から受け止め、公爵は苦々しく口を閉ざした。
……そして結局、決着はつかなかった。
また後日、話の続きをしようということになり、晩餐会は重い雰囲気のまま終了した。
晩餐会のあと久々にゆっくり風呂に入ると、ルイズは久々に袖を通した部屋着姿で廊下を歩いていた。
彼女の脳裏には、家族とのやりとりがずっと渦を巻いている。
どうして分かってくれないの――とは思っていない。
ルイズの言葉、行動を理解している一方で、家族だからこそルイズの言葉を認められないのだとルイズも分かっている。
ルイズは自分が家族に愛されていると理解している。それはただ傲慢というわけではなく、温かく育ててくれた家族の愛情に気付いているという意味でだ。
そんな家族だからこそ――家族にとって自分はいつまで経っても"小さなルイズ"だからこそ、ルイズの言葉を認めてくれないのだろう。
エレオノールがああも怒ったのも、母がルイズを認めつつ二度と同じようなことをするなと云ったのも、すべてはルイズを危険に晒したくないから。
その気遣いを嬉しく思うと同時に、もどかしさを覚える。
別にルイズは英雄になりたいわけじゃない。そんなものはどうでも良い。
ただ、自分の信じる貴族になりたいだけなのだ。
ルイズは家族のことが大好きだ。
ゼロでしかなかった自分を見捨てずに育ててくれて、だからこそ自分はカールと出会えた。
手にしたミッドチルダ式は確かに使って良いものではない。けれど貴族として、その力はしっかり身に着けなくてはならない。
そして今回の密命のようなことが再びあれば、自分は――カールとの約束も、信頼も、運が悪ければ命すら投げ出して、その責務を果たさなければならない。
……それは絶対に嫌だけど。それでも、全部を失いたくないなんてのはただの駄々だとルイズは分かっている。
今回はただひたすらに運が良かった。まだまだ未熟な自分にカールが力を貸してくれたからこそ、何も失わずに済んだ。
けれど、いつまでも同じことが続くわけではない。
そしてカールが側にいない時、自分は決断をしなければならない。
いつか訪れるかもしれない時を、ルイズは心根があやふやなまま迎えたくはなかった。
――そんな風に考えているが、ルイズの思考には一つの欠落があった。
考えないようにしているというよりは、自分自身でも気付いていない穴がある。
カールが晩餐会で気付いたように、ルイズはいざその時がきたら、約束を破ること前提でものを考えている。
しかし、実際は違う。ルイズはミッドチルダ式に固執しているわけではない。
その微妙な差違は、そう――ルイズは別に、ミッドチルダ式に固執しているのではないのだ。
彼女が固執しているのは、ミッドチルダ式ではなく、ミッドチルダ式を教えてくれるカールの方。
自分は彼に魔法を教えてもらっている。彼は自分に魔法を教えてくれる。その時間は楽しくて、決して失いたくない。他のことに興味はない。
だから自分にとっての力とは、ミッドチルダ式しかない。だから――と。
ルイズという少女に甘えがあるというのならば、おそらく、これが最大の甘えなのかもしれない。
だが、ルイズがそれに気付くことはない。今はまだ。
歩き続けていると、ようやくルイズは目的地にたどり着いた。
ドアをノックすれば、部屋の中からは穏やかな声が返ってくる。
失礼します、と扉を開けば、まず最初に感じたのは鳥が羽ばたく音だった。
見れば、カトレアは鳥かごの中にいる小鳥へと餌をやっているところだった。
それだけではない。彼女の足下には犬や猫が集まっており、部屋の奥には暇そうにした虎が寝転がって部屋の中を睥睨している。
ベッドにはしゅるしゅると蛇が巻き付いており、どこの動物園だといった有様だが、これがカトレアの部屋では当たり前の光景だった。
「ルイズ、いらっしゃい。
ちょっと待っててね」
「うん、ちい姉様」
ルイズは部屋を見渡して、椅子を探す。
見付けたソファーの上には猫が丸まっていた。
ごめんなさいね、と持ち上げて腰を下ろすと、ルイズは膝の上に猫を下ろす。
が、居心地が悪かったのか猫はすぐに床に降りてしまうと、ベッドの上に駆け上がり、再び丸まった。
相変わらず気まぐれ、と思うものの、猫を始めとした気まぐれな動物にも好かれているカトレアはなんなのだろう。
ただ穏やかだから、と言い切るのは些か強引すぎる気もする。ひょっとしたらカールの云う希少技能の一つでも持っているのかもしれない。
鳥や犬は躾でどうにかなる気もするが……蛇や虎は何か違うし。
餌やりが終わったのか、カトレアは手を拭くとルイズの隣に座り、にっこり微笑んだ。
「なんだか遅れちゃったけれど……お帰りなさい、ルイズ。
無事に帰ってきてくれて嬉しいわ」
「ありがとう。ただいま、ちい姉様」
「うん」
微笑みを浮かべながら、カトレアは手にしたブラシをルイズの髪に通し始める。
ゆっくりと髪を梳かれながら、昔は毎日のようにしてもらっていたっけ……と思い出した。
「少し、髪の毛が荒れてるわね」
「……アルビオンで戦ったから、きっとそのせいだと思う。
旅の途中は、落ち着いてお風呂に入ることもできなかったの」
「そう……」
繊細な手つきでカトレアはルイズの髪を梳き続ける。
しばらくの間無言で、その作業は続けられた。
ふと気付けば、部屋にいる動物たちがどこか心配そうにルイズたちへと目を向けている。
それに対してルイズが居心地の悪さを感じることはなく、むしろ、なんでそんな風に見られるのかと疑問に思ってしまった。
「ねぇ、ルイズ」
「何?」
「お父様とお母様、それにエレオノール姉様はね。
ルイズのことを、心配しているのよ。それだけは分かってあげて」
「……分かってる。
けど、私は私が信じる貴族でいたい。
存在している責務から目を逸らすことはできないわ」
「そうね。
ルイズの云う貴族の在り方は、とても素晴らしいものだと思うわ」
困った風に笑いながら、カトレアはルイズを肯定するような言葉を口にする。
しかし、けど、と髪を梳きながら彼女は先を続けた。
「ねぇルイズ。あなたの姿勢はとても素晴らしいものだけどね。
でも、なんだか私には、考え方をガチガチに固めて、自分自身を縛っている風に見えてしまうのよ。
……それはひょっとしたら、私がルイズの云う貴族の在り方から大きく外れているからかもしれないけれど」
「そんな! だって、ちい姉様は仕方ないじゃない!」
ルイズが声を上げると、再びカトレアは困った風に笑う。
「そうね。体のことはどうにもならない。
だからルイズの云うような貴族の在り方を、私には真似ることはできない」
「だって、それは――」
「そう、仕方ないの。私は体が弱いから、責任を果たすことがどうしてもできない。
……でもね、ルイズ。それはあなたもなのよ?」
「え?」
「あなたの云う貴族は、確かに立派で……けれどそれは、人を率いて領地を持つ男の人が目指すべきものだと思うの。
勿論、ルイズが性別なんて関係ないって思っているのは知っている。
けれどルイズ。どうか、自分が女の子ってことを忘れないで」
「……女らしくしていろってこと?」
やや声のトーンを落としながら、ルイズは問い返した。
怒声を上げなかったのは相手がカトレアだからだ。
もしこれが魔法学院の同級生相手なら、大声で言い返していたとルイズは思う。
しかしカトレアは、違うのよ、と頭を振った。
「ルイズは自分が貴族であるって決め付けてしまっているけれど、外から見たら、あなたはそれ以前に一人の女の子として目に映るし、そう扱うわ。
お父様とお母様が公爵家の人間として、というより、一人の娘として扱っているように。私たちが妹として扱っているように。
そういった人たちの気持ちを振り切ってしまっていては、いつか孤独になってしまうと思うのよ。
私、ルイズが孤独になってしまうのは寂しいわ。
……一人は、寂しいものよ」
寂しい。その言葉に、ルイズは何も言い返せなかった。
カトレアだからこその言葉だったのだろう、今のは。
「私はね、ルイズ。病弱で、一人じゃ生きていけない人間なの。
だから自分を大事に扱ってくれている人たちが、どれだけ掛け替えのない存在なのか分かるのよ。
……ね? お願い、ルイズ。
理想を追うのは良いの。でも、追い続けて、何もかもを振り切ったりなんてしないで」
「それは――」
カトレアの言葉にどう返答して良いのか、ルイズにはさっぱり分からなかった。
貴族というものは、どこかしら寂しいもの。そんなオスマンの言葉が、今も脳裏に残っている。
その言葉はきっと真理だ。ルイズの目指す貴族を追求すれば、きっと周りには誰も残らなくなってしまう。
慕われはするかもしれない。けれど、肩を並べてくれる人はきっと誰もいなくなる。
誰かに背を向け守るということは、前に敵しか存在しないということだから。
それが寂しいものだということは、ルイズにも分かった。
そして、家族がルイズをそんな境遇に追い込みたくないというのも理解できて――
「……うん」
おずおずと、ルイズは頷いた。
自分の理屈を曲げるわけではなく、家族の気持ちを汲むという意味で。
そんなルイズにカトレアはにっこり微笑むと、ぎゅっとルイズを抱き締めた。
「耳を貸してくれてありがとう、ルイズ。
本当にあなたが無事に帰ってきてくれて良かったわ」
「……別に私、何もしてないようなものだもの。
カールに守られてばっかりだったわ」
そう口に出し、ルイズは僅かに落ち込んだ。
そうだ。自分は守ってもらってばかりだった。
父と母に啖呵を切ったのは良いものの、結局自分は姫殿下の依頼を受けるという決断をしたのみで、戦いはカールに任せっきりだったから。
確かにワルドの偏在は倒したのかもしれないが、それはあくまで尻ぬぐいのようなもので――
……やめよう。
そこまで考え、ルイズは思考を打ち切った。
これは何度も考えたことで、答えはカールから与えて貰った。反省して、次に生かす。
だったら自分がするべきことは自虐なんかじゃないだろうから。
暗い思考を振り払い、そうだ、とルイズは頭を上げた。
「聞いて、ちい姉様」
「あら、何かしら?」
「私に魔法を教えてくれているカールは、すごいメイジなのよ」
「そうなの?」
「ええ!」
ずっと誰かに云いたかったことを、ルイズはカトレアに伝えようと決めた。
それはカールのことだ。ルイズにミッドチルダ式を教えてくれたこともそうだが、その感謝と同時に、ルイズは自分の先生を誰かに誇りたかった。
風のスクウェアということで魔法学院でも相応の敬意を払われているものの、カールの凄まじさはそんなものじゃない。
けれど――カール自身が口を酸っぱくして云っているように、ミッドチルダ式という外道の法は、決して誰かに喋って良いものではなかった。
そのため、カールがどれだけ素晴らしいメイジかを語ったところで、それを証明することはできない。誰も分かってくれない。
誰もメイジとして、カールを理解してくれないのだ。
けれどこの姉なら、きっとカールのすごさを理解してくれる。
カールの理解者になってくれるかもしれない。
彼が立派な人――それこそルイズに魔法を教えてくれて、レコン・キスタを前に一歩も退かずルイズを守ってくれた心の強い人物だということを、誰かに知って欲しかった。
今までは自分だけが分かっていれば良いと思っていたが、今のルイズはそれ以上を望む。
誰かに、カールが自分の教師であることを誇りたかったから。
「先生はすごいのよ。
魔法学院からラ・ローシュまで、フライで飛んで、船を使わずにアルビオンに行って。
それに私たちがレコン・キスタに包囲された時、一人で守りに徹してくれて、敵を撤退させるのに成功したの。
先生がいなかったら、きっとこの密命は失敗していたわ」
「あら、すごいのね」
あらまぁと笑いながら相槌を打ったカトレアに、ルイズは唇を少し尖らせた。
普段から姉はこの調子だと分かっているものの、もっと驚いてくれても良いだろうに。
「晩餐会の時に、カールさんにルイズを守ってくれたお礼を直接云いたかったのだけれど、あの雰囲気じゃ云えなかったし……。
でも、うん。死ぬかもしれない任務に力を貸してくれて、しっかりルイズを守ってくれるなんて、良い先生ね」
「……ちい姉様。
私が云えた義理じゃないけど、それは良い先生の分をかなり越えていると思うの」
「あら、そう?」
「そうよ。
普通、先生ってだけで生徒のために命を張るなんてこと――」
有り得ない、と云おうとして、ルイズは言葉に詰まってしまった。
ならばどうしてカールは自分に力を貸してくれたのだろう。
アルビオンに向かうことが命の危険に晒されるということは、自分以上に彼はよく分かっているはずだった。
なのに彼は、どうして力を貸してくれたのだろう。
「それにしても、ルイズが誰かをそんなに誇らしげに云うだなんて。
ルイズは本当にカール先生のことが大好きなのね」
「勿論よ」
誇らしげに胸を張り、ルイズはカトレアの言葉に即答した。
そう。ルイズにとってカールはかけがえのない、大事な人だから。
「あらあら」
頬に手を当てながら、カトレアは楽しげに笑う。
が、ルイズはそんな姉の様子を目にして自分が口にした言葉の意味に気付くと、真っ赤になりながら頭をぶんぶんと振った。
「って、ちょっと待って! そういう意味じゃないの!」
「そうなの?」
「そうなの!」
ルイズが大声を上げると、部屋にいた動物たちはすごすごと物陰に隠れてしまった。
ついつい脊髄反射で言い返してしまったものの、別にルイズにとってカールは――まぁ、確かに大切な人ではあった。
好きかどうかと云われれば大好きだけれど、それはあくまで先生で、カトレアが口にしたニュアンスなんかじゃない……はず。
「……本当にそんなんじゃないんだから」
拗ねたようにそっぽを向きながら、ルイズは小さく呟いた。
けれど、とも考える。好き。もし――もし、だ。今さっき分からないと思ったカールが自分に力を貸してくれた理由が、そういうことだったら、と。
恥ずかしいことのこの上ないので口にすることはできないが、そう、カールは自分のことが好きだからレコン・キスタと戦ってくれた……と考えたら。
頭に血が上るのを自覚して、ルイズは俯いてしまう。
分かってる。そんなんじゃない。カールは良い先生だ。
常識的に考えて誰かのために命を投げ出す人間が稀なのだとしても、カールの場合は違うのかもしれない。
だからつまり、そういうことで――そんな風に無理矢理納得しようとすると、もやもやとした感情が胸に生まれた。
そのよく分からない感情から目を逸らす――ルイズ自身は気付いていない――意味も込めて、"そういう目"でカールを見てみる。
頼り甲斐はあるし、しっかりと自分の面倒を見てくれていることには感謝している。
いつか彼に認めて欲しいと思っていて、そのために頑張ろうと思えば胸が熱くなる。
……その熱の種類が、ルイズにはまだ分からなかったが。
「ねぇルイズ?」
「何?」
「あなたの先生って、どんな人なの?
なんだか興味が湧いてきちゃった」
「どんな人って、カールは優しくて、強くて……」
そこまで口にして、ルイズは続く言葉を見付けることができなかった。
カール・メルセデスがどんな人物なのか。それを改めて考えると、ルイズには何も分からなかったのだ。
彼と知り合ったのは、ほんの一ヶ月と少し前。馬車の中で会話を続けることができなかったように、彼がどんな人なのかルイズはさっぱり分からなかった。
……サモン・サーヴァントで呼び出した、年上の青年。先生。ミッドチルダ式の使い手。真面目な人。優しい。スクウェア・クラスなんて括りじゃ収められないメイジ。
ルイズが知っているのは、そんな記号的な面ばかりだった。カール・メルセデスがどんな人なのか、さっぱり知らない。
ふと、ルイズは思い出す。ラ・ローシュの宿で彼が口にした寝言を。
上がった名前は友達のものなのだろうか。家族のものなのだろうか。それとも――
「……よく、分からない」
「そうなの?」
「……うん。私、先生のこと何も知らない。
今まではそれで良いって思っていたの。私とカールは、生徒と教師だから。
お互いがお互いの役目を真摯に果たせばって思っていたけれど……」
「ルイズは、カール先生のことを知りたくなっちゃったのね?」
云われ、ルイズは躊躇いながらも小さく頷いた。
……別にカールはそんなんじゃない、と心の中で呟きながらも、自分が気にしているのはつまりそういうこと。
けれどやっぱり、カールをそういう風に自分が見ているのかも今はまだ曖昧で、彼のことを知りたい、ということだけが残ってしまうのだった。
ルイズがカトレアと話をしている同時刻、公爵家の一室にはカールと、残るヴァリエール家の面々が集まっていた。
カールは渇いた喉を、テーブルに置いてあった紅茶で潤す。
会話が始まった頃にはまだ湯気を立てていた紅茶は、すっかり冷え切っていた。
カールの言葉を聴き、公爵は疲れ果てたように溜息を吐く。
今の話と、晩餐会の時に行われた密命のことが重なって、疲れてしまったのかもしれない。
無理もないだろう、とカールは思う。
彼が公爵夫妻に行った話とは、エレオノールに行ったミッドチルダ式魔法についてのことだった。
やはりエレオノールと同じように、何故そんな魔法を、と公爵は激昂したが、話を最後まで聞いてからと夫人に諭され、そうしてたった今、カールは話を終えていた。
エレオノールは一度聞いた話だからか、バツが悪そうに視線を彷徨わせるばかりだ。
ミッドチルダ式のことに加えて、この三人にはワルドの裏切りと、カールとルイズが虚無と勘違いされたことも伝えてある。
クロムウェルは捕まり、首をはねられたため当面の安全は保証されたものの、また今回のことが起きないとは限らない。
なんともデリケートな問題だからか、誰も口を開こうとはしなかった。
「……ようやく、納得したよ」
「え?」
ふと、公爵が重々しく口を開いた。
彼は疲れたように溜息を吐きながら、じっとカールに視線を注ぐ。
「ルイズが貴族の在り方に意識を向けていたのはずっと前からだが、今まであの子に欠けていた力を手にしたことで、ただ心に誇りを秘めているだけでは駄目だと思ったのだろう。
ルイズ風に云うならば、そう……力を手にしたのならば、それを行使する義務があるのだ、とな」
その言葉に対し、カールは頷いた。
ルイズの立派な貴族でありたいという姿勢は尊いと思うし、そんな彼女の願いを潰えさせたくはないと思う。
しかしミッドチルダ式という力を与えたせいで貴族の責務をまっとうしようと思ったことは事実であり、密命を受けたことにも関係しているのだろう。
「……申し訳ありませんでした」
「……いや、良い。
君が力を与えたことは事実だが、立派な貴族になれと言い続けたのは私たちだ。
もし君が力を与えても、私たちが貴族の在り方を説かなければルイズは危険なことをしなかったかもしれない。逆もまた然りだ。
ならばこれは、運命の歯車が嫌な風に噛み合っただけなのだろう」
そう云う公爵の口調は、酷く苦々しげだった。
彼自身は言葉の通りに考えているのかもしれないが、やはり感情の面では納得できないのかもしれない。
「……てっきり僕は、ルイズがアルビオンへ向かう理由の一つを作ったことを責められると思っていました。
寛大な処置に感謝します」
「……良い。複雑だが、君に罪はない。
密命という性質上、トリステインからアルビオンへの使者は向かっていないことになっているだろうしな。
そんな君を罰することなどできん。罪が存在しないのだから。
それに君は、ルイズに魔法を教えた責任として、あの子を守り抜きこうして私たちの元へ届けてくれた。
責任を果たしたものに対して礼を逸するのは、貴族のすることではないよ」
「ありがとうございます」
頭を下げながら、ああやっぱりこの人はルイズの親だ、とカールは微笑ましく思った。
勿論、それを表情に出すことはなかったが。
「メルセデス先生。
あなたはルイズをどうするおつもりですか?」
次に口を開いたのは公爵夫人だった。
彼女は鋭い眼光を向けながら、じっとカールの返答を待っている。
「……引き続き、自衛手段を教え込もうと思っています。
今のままでも充分、と云えるかもしれませんが、アルビオンではスクウェア・クラスのメイジに付け狙われました。
それをルイズ一人で排除できたのは、運の要素が大きい。
もし次に同じ状況になっても彼女が潜り抜けることができるよう、しっかり鍛えます」
「なるほど」
意外なことに、公爵夫人はそれっきり口を開くことがなかった。
馬車でのルイズの怯えっぷりを覚えていたからこそ小さな違和感を覚えるものの、そんな質問ができるわけもない。
「さて、それにしてもそもそもの元凶に対してはどうしてくれるか」
「へ?」
元凶。なんとも物々しい言葉に、カールは首を傾げてしまった。
しかし公爵はカールの様子に頓着せず、まるで独り言のように先を続ける。
「一国の王女がロクに家臣を頼りもせず、まるで悪戯を隠す子供のように友人を頼るなど……。
あの方には王族の自覚はないのか。終いには報酬として水のルビーを……王家の証をルイズの手に渡すとは。
今回のことは絶対に許さん。何を云われても水のルビーは返却せんぞ。ヴァリエール家の家宝として永久に保管してくれる。
鶏の骨めが……こういう時に働かないとはいよいよもって耄碌したか」
「あなた。それは八つ当たりというものです。
確かに姫殿下の行いには私も首を傾げるところがありますが、結果として国は守られました。
であれば、ご慧眼をお持ちだったということなのでしょう。
……まぁ私としても、今回のことを無視するつもりはありませんが」
わぁい不敬罪のオンパレードだー、と、遠い目をするカールとエレオノール。
しかし、こんな風に王家の行動に疑問を感じ、苦言を呈することができる貴族がいるからこそトリステインは上手く回ることができているのかもしれない。
そんなことをカールは思った。
完全に日が暮れた道を、一人進む影があった。
それはローブを纏った男である。長身痩躯の体は決して痩せすぎているわけではなく、程よくついた筋肉がローブの下に隠されている。
彼は夜風に髪を踊らせながら、淡々と足を動かし続けていた。
男が歩んでいるのはゲルマニアの街道である。その道はガリアから真っ直ぐ続いていた。
ふと、男は唐突に足を止める。
そして何もない宙へ視線を投げると、ふむ、と頷いた。
「ふむ、なるほど。
ミッドチルダからの使者は、この先で止まったのだな。
わざわざすまない。感謝する」
誰もいない空間へと声を放った男に対し、周りにいた人々は白い目を向けた。
ママー、あの人誰と話してるのー? 駄目! 見ちゃいけません!
などと声が上がるも、男――ビダーシャルは気にすることなく止めた歩みを再開した。
彼が聞いた声、そして返事をした相手とは風の精霊である。
エルフは系統魔法とは違い、自然界に存在する精霊の声を聞き、力を借りて、魔法を行使する。
彼が行ったことは未契約の精霊に助力を乞い、彼の探す人物がどこにいるのかを聞いたものだった。
意味は違うが、風の便りと云ったところかもしれない。
現在、ビダーシャルは風と水の精霊の力を借り、系統魔法で云えばフェイスチェンジの効果で尖った耳を人間のそれへと変えていた。
だからこそ人の目がある表通りを歩くことができるのだ。
「……ああ、分かっている。
なんとしてもミッドチルダの使者から助力を得て、シャイターンの門を封印する。
それこそが我らに科せられた使命であり、成すべきことだからな。
すべては、古き盟約の下に」
ぶつぶつと独り言を口にするビダーシャルに、今度こそ街道を進む人々は一気に距離を取った。
端から見たらとてもお近づきにはなりたくない雰囲気を持つ彼だが、本人はいたって本気である。
そしてまた、彼が口にすることはどれもが事実。
ミッドチルダ式の使い手に、一秒でも早くこれを届けなくては――
ビダーシャルは首に下げた宝玉をそっと撫でると、足早に街道を進んだ。