頭上に生い茂る木の葉が空を覆い隠し、隙間を抜けて届く木漏れ日が、眼にも優しく周囲を照らし出す。
チーグルの森までの道中は順調に進み、俺達二人は緑溢れる空間に足を踏み入れた。
「すんげぇ森だな」
「音素の影響もあるんでしょうね。チーグルが住処にするのもわかる気がするわ」
「ああ……なんか街とは違った居心地のよさがあるよなぁ」
目を輝かせて、素直にはしゃぎまくる俺の言葉に、ティアも微笑みながら森を見回す。
物珍しさに周囲をきょろきょろ見回しながら、ひたすら森の奥へ奥へと進んで行く。
すると森の入り口から少し離れたところで、魔物に囲まれたヒラヒラ衣装の子供が目に入る。
「って、おい! あれイオンって奴じゃねぇか!」
魔物は獲物を逃がさぬとばかりに中心に囲い込むと、それぞれの得物を振り上げる。
「危ない……!」
ティアが悲鳴を上げた。俺はとっさに飛び掛かろうとするが、駄目だ。この距離じゃ間に合わねぇ。諦めが脳裏を過───
イオンが虚空に手をかざす。
空間を浸蝕する円陣がイオンを中心に展開された。
耳に心地よい低音とは裏腹に、展開された円陣はその内に秘めた強大なる力を、魔物達に向け解き放つ。
円陣から溢れ出た圧倒的な光の渦に、魔物達はそれこそ一瞬で飲み込まれた。
光が薄れた後には、無傷で地面に膝をつくイオンと、かけらも残さずに魔物達が消え去った事実のみが残された。
とんでもない威力の譜術だったが、それよりも俺は苦しそうに膝をつくイオンが気になって、慌てて側に駆け寄る。
「おい、大丈夫か?」
「だ、大丈夫です。少しダアト式譜術を使いすぎただけで……」
息も荒く答えながら、こちらに顔を向けたイオンが意外そうな面持ちになる。
「あなた方は、確か昨日エンゲーブにいらした……」
「ルークだ」
「ルーク……。古代イスパニア語で聖なる焔の光りという意味ですね。いい名前です」
にこやかに微笑んで来る導師に、教団のトップがこんなに警戒心なくて大丈夫かよ、と場違いな心配がわき起こる。
俺は尚も苦しそうに息をつくイオンの背中を撫でてやりながら、なぜか少し離れた場所で緊張した面持ちで佇むティアに、おまえも名乗れよと視線で促す。
ティアは一歩前に出ると、なぜか敬礼のようなものをしながら、硬い口調で告げた。
「私は神託の盾騎士団モース大詠師旗下情報部第一小隊所属ティア・グランツ響長であります」
「! あなたがヴァンの妹ですか。噂は聞いています。お会いするのは初めてですね」
最初は驚きながらもあくまで自分のペースを崩さず、和やかに答えるイオンを余所に、俺は初めて耳にした単語に仰天した。
「はぁ!? おまえ、教団の一員かよ!? しかも、師匠の妹って……? じゃあ殺すとか殺さないとかって、ありゃいったい、なんだったんだ?」
「殺す……?」
さすがに物騒な言葉がでたことが気になってか、イオンが首を傾げてティアを見やる。
「あ、いえ……。こちらの話です」
慌てて顔の前で両手を振りながら、あくまで事情を話そうとしないティアに、さすがの俺もこれ以上黙って居られなくなって、相手に食ってかかる。
「いや、話を逸らすなよ。なんで同じ教団の人間が、師匠の命を狙うんだ? その上、おまえら家族なんだろ? 妹が兄貴の命を狙うって、いったいどんな状況だよ?」
「それは……」
言葉に詰まるティアを、俺は幾分真剣な思いを瞳に込めて射抜く。
そのまま気まずい沈黙が続こうかというとき、兎ぐらいの大きさの、翼のような耳を持った小動物が俺達に気付いて、みゅうと奇妙な鳴き声を上げながら逃げ出した。
「あれは、チーグルです!」
「……とりあえず話は後だ。追いかけるぞ!」
事情の詮索は後回しだと割り切って、俺は逃げ出したチーグルの後を追いかける。
動き出そうとしないティアとイオンが、小声で囁き合うのがわかった。
だが、詳しい会話の内容までは俺の耳に届かない。
「ヴァンとのこと、僕は追及しない方がいいですか?」
「すみません。私の故郷に関わることです。できることならイオン様や彼を、巻き込みたく……」
「おいおい、見失っちまうぜ?」
ぐだぐだ話し合ってる二人に、俺は呼び掛ける。
「行きましょう!」
「え? あ、はい!」
見かけに似合わぬイオンの行動力に困惑しながら、ティアもまたイオンの後に続いて走り出した。
「やれやれ、おまえらがノロノロしてっから逃げられちまったな」
先程までの気まずい空気を誤魔化すように、軽い口調で肩を竦めて見せる俺に、イオンが心配ないと微笑を浮かべる。
「大丈夫。この先に行けばチーグルの巣があるはずです」
いやに明確な断言に、俺は一瞬呆気にとられながら問いかける。
「なんでそんなこと、知ってんだ?」
「あ、はい……実はエンゲーブの盗難事件が気になってちょっと調べていたんですよ。チーグルは魔物の中でも賢くて大人しい。人間の食べ物を盗むなんておかしいんです」
む、やはりチーグルが食べ物を盗むのは、教団トップからして見ても前代未聞の事態のようだ。
「……ん? だったら目的地は一緒って訳か」
「では、お二人もチーグルのことを調べにいらしたんですか?」
意外そうにイオンが尋ねて来る。まあ普通は意外に思うだろう。ティアはともかく、俺はただの一般人だしな。
「ま、濡れ衣着せられて大人しくできるかってところだな」
イオンから浴びせられる理由を問うような視線に、俺は素知らぬ顔で建前を答えた。
しかし、これからどうしたもんか。
ティアが教団の一員だとわかった今、教団を狙う謎の組織の存在なんてものは、恥ずかしすぎて口にもできない。
わざわざ俺がチーグルを調べに行く理由も薄くなっちまった。
だが、今更なにもせずに帰るのもつまらんし、ほんとどうするかねぇ。
頭をかかえて悩む俺を、イオンが不思議なものでも見るように、目を瞬かせる。
「あー、しかしよ、さっきの様子見てる限り、おまえ危なっかしくてしょうがねぇな」
俺を見つめて来る純粋な視線に耐えかねて、あまり関係無いことを告げた。
しかし、直ぐに自分で言った言葉から、俺はふと思いつく。
「なら、そうだ。おまえも俺達と一緒に行かないか?」
折角森まで来たんだし、イオンについていくのも悪くないよな。
「え、よろしいんですか?」
目を輝かせるイオンを尻目に、ティアが畏れ多いとでも言うかのように憤然と反対する。
「何を言ってるの! イオン様を危険な場所にお連れするなんて!」
わかっちゃいないな、とティアに肩を竦めて見せながら、俺はこの小さい導師を指し示し、わざわざ一緒につれていく理由を告げる。
「だったらこいつ、どうすんだ? 村に送ってったところで、結局また一人でのこのこ森まで来るに決まってるぜ。見た目華奢なくせして、随分と頑固そうだしな」
「……はい、すみません。どうしても気になるのです。チーグルは我が教団の聖獣ですし」
「ほれ見ろ。それにこんな青白い顔で今にもぶっ倒れそうな奴ほっとく訳にもいかねぇだろ?」
イオンを擁護する俺の言葉に、ティアは両手を胸の前で組むと、考え込むように呟く。
「ルークがそこまでイオン様が心配なら……確かに私だけ否定するわけにもいかないわね」
「なっ……!」
まさしく予想だにしなかったティアの反撃に、俺は言葉につまる。
嫌な予感を感じながら、俺はおそるおそるイオンの方を見る。そこには先程以上に瞳をきらきらさせて、両手を顔の前で組みながら、上目づかいに俺の様子を伺うイオンの姿があった。
「あ、ありがとうございます! ルーク殿は優しい方なんですね!」
「だ、誰が優しいんだ! ア、アホなこといってないで大人しく付いてくればいいんだよ!」
「はい!」
俺の乱暴な言葉にも、どこまでも素直に、イオンは元気良く返事する。
うぉっ、駄目だ。なにが駄目かわからないが、ともかくなにかが、やばい気がする。
「あ。あと、あの変な術は使うなよ。おまえ、それでぶっ倒れたんだろ。魔物と戦うのはこっちでやるから」
「守ってくださるんですか。感激です! ルーク殿」
「ちっ、ちげーよ! 足手まといだっつってんだよっ! 大げさに騒ぐなっ! それと俺のことは呼び捨てでいいからなっ! 行くぞ!」
「はい! ルーク!」
俺は動揺の任せるまま、多少錯乱気味に自分でもよくわからないことを吐き捨て、その場から逃げ出すように動き出す。
なんか、自分で墓穴を堀りまくってるような気がしてしょうがないが、たぶん俺の気のせいだよな。うん、気のせいだ。
……気のせいだといいな。
先程の場所からそれほど離れていない位置。さっき見かけたのと同じような、翼のような耳を持つ兎ほどの大きさの小動物が鳴いてる姿が見えた。
「みゅ、みゅみゅみゅぅ、みゅう!」
こうして改めて見ると、なんだか鳴いてる様子がブタに似ている。頭は目が大きくてサルにも似ているな。
……ブタザルって名前の方が通りがよかったんじゃねぇのか?
「あれがブタザ……じゃなくて、チーグルか?」
「ええ。でも、まだ子供みたいですね」
どうやって捕まえてやろうかと俺とイオンが話し合っていると、何故か顔を真っ赤にさせてチーグルを睨んでいたティアが、なんの策も決まらぬうちから、チーグルの方にふらふらと近づいて行くのが見えた。
「みゅぅ!」
突然近づいた人間にびっくりしたのか、チーグルは一声鳴くと、その場から猛然と駆け出した。
「あ、逃げやがった」
「野生の魔物ですからね」
「……」
無表情ながらも、ティアはどこか哀愁ただよう様子でその場に佇む。
どうも声のかけづらさを感じて、俺は当たり障りのない感想をつぶやく。
「しかし、意外に簡単に見つかるもんだな」
「……この辺りは、チーグル族の巣になっているのね」
「彼らが村から食料を盗んだ証拠があればいいんですけれど」
イオンの意見に従い、とりあえず証拠を探すことに決める。
「ま、あんな頭悪そうな魔物なら、そこら中に証拠を落としてるだろうな」
「少し探索してみましょう」
俺達は周囲を気にかけながら、さらに森の奥まった部分へと進んでいく。
小動物とは言ってもそこは野生の獣。捕まえるまでは行かずに進むことしばし。
森の深遠から突き出る、一際巨大な大樹が視界に飛び込んだ。
あまりのデカさに感心しながら眺めていると、根本付近に何やら赤いものが落ちているのが見える。
「ん……ありゃリンゴか?」
「みたいですね。行ってみましょう」
大木の根元に着いた俺達がリンゴを確認すると、そこにはエンゲーブの焼き印が押されていた。
「このリンゴには、エンゲーブの焼き印がついています」
「やっぱりあいつらが犯人かぁ」
結局、なんの陰謀らしい陰謀も見つからなかったことで、俺は自分のテンションが急激に落ち込んでいくのを感じた。
さすがに、いろいろ考えすぎだったか。
更に先へと進んだところで、ティアが大木の方を指して告げる。
「この木の中から獣の気配がするわ……」
「チーグルは木の幹を住み処にしていますから!」
イオンはそう言うや否や、俺達が動くのも待たず、一人で駆け出して行ってしまった。
「導師イオン! 危険です!」
「まったく、イオンはしょうがねぇやつだな……」
そのまま放って置くわけにも行かないだろう。俺達二人もそのままイオンの後を追う。
* * *
大木の虚と思しき部分から、幹の中に入ると、そこら中から俺達の様子を伺うチーグル達の姿があった。
更に奥まった部分に、イオンが身振り手振り交えながら、チーグルに何事か訴えている。
「こら、あんま一人で突っ走るな」
「あ、ルーク」
「いったい何してんだ? 魔物相手に?」
尋ねる俺に、イオンがチーグルから視線は外さぬまま、しっかりとした言葉を返す。
「チーグルは教団の始祖であるユリア・ジュエと契約して力を貸したと聞いています。その際、人語を解する能力も与えられたという話ですが……」
後半は少し自身が無さげではあったが、イオンは諦める様子も見せず、熱心にチーグルと向き合う。
すると、チーグルの中から一際年老いた様子の個体が進み出る。
「……みゅみゅーみゅうみゅう。……ユリア・ジュエの縁者か?」
驚愕に、俺達は一瞬息をのむ。
みゅうみゅう鳴いているだけだったのが一変して、少し嗄れた人間の老人のような声が、そのチーグルの口から漏れたのだ。驚くなって方が無理な話だろう。
「本当に魔物が喋るんだな」
しげしげと無遠慮な視線を飛ばす俺に、老チーグルは深く頷く。
「ユリアとの契約で与えられたリングの力だ。おまえたちはユリアの縁者か?」
その言葉に、イオンが少し緊張した面持ちで、一歩前に出る。
「はい。僕はローレライ教団の導師イオンと申します。あなたはチーグル族の長とお見受けしましたが」
「いかにも」
重々しく頷く老チーグルに、俺はとりあえず容疑を確認することにする。
「エンゲーブで食べ物を盗んだのは、おまえらか?」
「……なるほど。それで我らを退治に来たという訳か」
「ん? 盗んだことは否定しねぇのか?」
犯行を押さえられたにしては、どうもこいつは落ち着きすぎているような気がする。
イオンも不審に思ったのか、ひとまず理由を尋ねることにしたようだ。
「チーグルは草食でしたね。何故人間の食べ物を盗む必要があるのです?」
「……チーグル族を存続させるためだ」
意味がよくわからなかった。草食なら、人間が食うものを盗まずとも、この森ならそこら中に食い物があるだろうに。
「食べ物が足りない訳ではなさそうね。この森には緑がたくさんあるわ」
ますますわけがわからなくなる俺達に、老チーグルはことの次第を語った。
「我らの仲間が北の地で火事を起こしてしまったのだ。その結果、北の一帯を住み処としていた『ライガ』がこの森に移動してきた。我らを餌とするためにな……」
「では村の食料を奪ったのは仲間がライガに食べられないためなんですね」
「……そうだ。定期的に食料を届けぬと、奴らは我らの仲間をさらって喰らう」
「ひどい……」
ティアが顔をしかめてつぶやくが、俺にはいまいちピンと来なかった。
「そうか? 普通縄張り燃やされて追い出されりゃ、頭にも来るだろ。皆殺しにされないだけ、まだそのライガとかいうのも理性的なんじゃねーの?」
対照的な二人の感想に、イオンが事態の複雑さを悟り、深刻そうに頷く。
「確かにそうかも知れませんが、本来の食物連鎖の形とは言えません」
確かにイオンの意見にも一理あるとは思う。だが、俺は教団員じゃないからか、あまりチーグル族だけに感情移入することができそうもない。
まあ、バチカルで一方的に悪者にされて、家を追い出されたワルガキどもを散々見てきたせいもあるんだろうがな。
「ところでルーク。犯人はチーグルと判明したけど、あなたはこの後どうしたいの?」
突然ティアに今後の予定を尋ねられて、俺は言葉につまる。
「どうって……いや、特になんも考えてなかったな。落とし前つけさせようにも、こいつら既に十分ひどい状態みたいだいし……いったいどうしようか?」
「……」
「あは、あははは」
呆れ返って額を抑えるティアに、さすがの俺も乾いた笑い声を上げる。
そもそも今回の盗人騒動になにがしかの裏があるかもしれないと思ったからこそ、わざわざ森まで確かめに来たのだ。
実際になんの裏も無かった場合にどうするかまでは考えちゃいなかった。
こりゃ、ティアに呆れられてもしょうがねぇよな。
「と、ところでよ。イオンはどうしたいんだ?」
話の矛先をずらすために、同じような理由で森に来たイオンに尋ねる。
イオンはなにやら下を向いて考え込んでいたようだが、俺の問い掛けに顔を上げると、きっぱりと答えてみせた。
「ライガと交渉しましょう」
「魔物と……ですか?」
「そのライガってのも喋れるのか?」
戸惑う俺達二人に、イオンが老チーグルに言い聞かせるようにして説明する。
「僕たちでは無理ですが、チーグル族を一人連れていって訳してもらえば大丈夫だと思います」
「……では、通訳のものにわしのソーサラーリングを貸し与えよう。みゅうみゅみゅみゅみゅう~」
「なんだぁ?」
突然みゅうみゅう鳴き出した老チーグルの鳴き声に、一匹のチーグルが俺達の前に進み出る。
「この仔供が北の地で火事を起こした我が同胞だ。これを連れていって欲しい」
長老がソーサラーリングを外して、そのチーグルに渡す。
「ボクはミュウですの。よろしくお願いするですの」
ぱっちりした目を瞬かせて、妙にかわいらしい声で頭を下げる。
だが俺は挨拶にすぐには答えず、ミュウとやらの身につけたソーサラーリングに視線を注ぎ続けた。
なぜ、こいつは、わざわざオムツはいてるような位置に、リングをもって来るかな。
「……なんか、ヒワイというか……ムカツクな、こいつ」
「ごめんなさいですの。ごめんなさいですの」
低い声でぼそりとつぶやいた俺の言葉に、ミュウとやらが何度も何度も頭を下げる。
「……ルーク」
ティアの冷たい視線が俺に突き刺さる。
「うっ……まあ、なんだ。そこまで卑屈になるなよ。たぶん、俺の気のせいだろうよ」
さすがにそこまで謝られるのには気が引けて、俺は強く頭を振って、浮かんだイメージを必死に振り払うのであった。
それと、すぐに謝ったのは別にティアが怖かったからじゃないことだけは言っておく。
いや、本当にな。
* * *
出発してしばらくすると、ライガの住処があるという洞穴が見えてきた。
川を渡るときにミュウがリングの力で炎をはけることがわかったり、イオンが一般人の俺を巻き込んだ報酬変わりとか言って身体能力の向上する響律符、C・コアを渡してきたりもしたが、それ以外にこれといって特別なことは起きていない。
「もっとオドロオドロシイしい場所を想像してたが……意外と住みやすそうだよなぁ」
洞穴の中は思ったよりも薄暗くなかった。どこからか射し込む日の光に照らされて、そこら中に生えたコケや、洞穴を形作ったであろう巨大な木の根子などが、地底の奇妙な光景を演出している。
物珍しそうに周囲を見渡す俺とは対照的に、ティアは緊張感に引き締まった表情でロッドを握りしめている。
「そんなにライガってのは強いのか?」
「ライガは強大な雌を中心とした集団で生きる魔物なのよ。群れの中心となる雌は女王と呼ばれ、その強さは……あまり口にしたくないわね」
「おまえがそこまで言うような相手かよ……」
口には出さないが、俺もかなりの腕前と認めているティアの発言に、思わず唸ってしまう。
さらに奥に進んでいくうちに、開けた空間に出る。天井から射し込む日の光に照らされて、鳥の巣のような藁葺きの上に座す、虎のような異形の存在があった。
「……あれが、女王ね」
俺達の存在に気付いてか、警戒の低い唸り声を上げながら、女王がその巨体を持ち上げる。
「ミュウ。ライガ・クィーンと話をしてください」
「はいですの」
イオンに促されたミュウが、よちよちとその短い足を動かして、遥かに巨大な相手と正面から向き合う。
「みゅう、みゅうみゅうみゅみゅーみゅう……」
みゅうの鳴き声に反応して、ライガ・クィーンが唸りながら苛立たしそうに身を捩る。
「おい。あいつは何て言ってるんだ?」
「卵が孵化するところだから……来るな……と言っているですの」
「卵ぉ!? ライガって卵生なのかよ!」
「ミュウも卵から生まれたですの。魔物は卵から生まれることが多いですの」
魔物の生態に驚愕する俺とは別に、ティアが焦燥感も露に叫ぶ。
「まずいわ! 卵を守るライガは凶暴性を増しているはずよ」
「それにライガの卵が孵れば、生まれた仔たちは食料を求めて街へ大挙するでしょう」
イオンもまた、やや青ざめた表情で言葉を繋ぐ。
「どいうことだ?」
「ライガの仔供は人を好むの。だから街の近くに棲むライガは繁殖期前に狩りつくすのよ」
あまりに壮絶な事実に、俺も状況の最悪さを悟る。
「彼女に、この土地から立ち去るように言ってくれませんか?」
「は、はいですの」
ミュウが再度ライガ・クィーンと向き合って、必死に訴えはじめる。
「みゅ、みゅうう、みゅうみゅう……みゅうぅっ!!」
ライガ・クィーンの凄まじい咆哮に、天井から落石が落ちる。その下に、ミュウが居た。
「って、危ねぇっ!」
ミュウに落石が激突する寸前、俺は剣を構えて落石弾く。
「あ、ありがとうですの!」
「反射的に身体が動いただけだよ。それよりも、あいつはなんて答えた?」
「ボクたちを殺して孵化した仔供の餌にすると言っているですの……」
ライガ・クィーンが再度咆哮を上げる。
『ぐっ……!!』
人間の根源に潜む恐怖が、無理やり引きずり出されるようなあまりに苛烈な一声がその場を圧倒する。
「来るわ。……導師イオン、ミュウと一緒におさがり下さい」
「おいっ……! だがよ、ここで戦ったら卵が……!」
「残酷かもしれないけど、その方が好都合よ」
……いま、こいつはなんて言った?
「卵を残してもし孵化したら、ライガの仔供がエンゲーブを襲って消滅させてしまうでしょうから」
顔色も変えずに言い切るティアに、俺はとっさに怒鳴り返しそうになる。
しかし、状況はそんな段階をとっくの昔に通りすぎていたようだ。
女王の背に突き出た翼のようなものが、眼球を直接貫くような雷光をまとい始める。
「二人とも! ライガ・クィーンが!」
「ちっ! どいつもこいつも、くそヤロウが……!」
ガキがいるところで、殺し合いをするつもりかよ!!
俺の葛藤などものともせず、あまりに唐突に死闘の幕は上がった。
ライガ・クィーンが咆哮を上げ、翼を広げた。稲光を伴う一撃が、頭上から俺とティアの間に降り注ぐ。
「ちっ───っがぁっ!」
直撃は回避した。だが、足元から身体に駆け上る雷撃の余波をくらって、俺は苦悶のうめき声を上げながら一瞬動きを止めた。そんな俺の隙を見逃すはずもなく、女王が俊敏な動作で大地を駆ける。
「させない!」
銀光が走った。しかし放たれたナイフは、寸前で身を捩った女王の鼻先を掠めるにとどまる。だがその瞬間、女王もまた無防備な脇腹を晒す。
「くらえぇっ──崩襲脚!」
空中から放たれた二段蹴りの衝撃に、女王がその場に硬直する。この隙を見逃すかっ!!
「──受けよ雷撃ぃっ!!」
上段からの打ち下ろし、下段からの突き上げるような切り上げ。
そのままの勢いで空中まで飛び上がり、俺は相棒を虚空に突き出す。
《──襲爪っ!》
爆発的な勢いで集約された音素が、雷の鉄槌となって女王に降り注ぐ。
《────雷斬っ!!》
止めとばかりに振り降ろされた紫電をまとった一撃に、女王の身体が吹き飛ばされた。
その隙を狙って駄目押しで放たれた譜術の一撃が、女王に追い打ちをかける。
「はぁはぁ……どうだ?」
バックステップで距離を取った俺はティアの前に控え、完璧に決まった連係の結果を見届ける。
「直撃したはずだけど……」
その先に、言葉は続かなかった。
豪、と女王が咆哮で応えた。
威風堂々と大地を踏みしめ、絢爛豪華に輝く毛皮が、先程の攻撃が女王にかけら程の損害も与えていないことを知らしめる。
「マジかよ……」
「……」
絶句する俺達を余所に、女王は己に刃向かいし、愚かな人間を睥睨する。
「……俺が突っ込むから、ティアは援護に徹してくれ」
「……わかったわ」
正直逃げ出したい所だが、背ろに控えるイオンの存在がそれを許さない。
最悪な状況だった。だが、ここで殺されるつもりもない!
襲いかかる巨体から必死で身をかわす。
目を皿のように見開いて隙を伺う。
見出したわずかな隙目掛けて針の穴を通すような攻撃を放つ。
ときに正確無比なナイフの一撃が相手の動きを阻害する。
動きの止まった女王目掛けて譜術が直撃する。
だが、それでも、女王は止まらない。
「どうなってやがる! ちっとも倒れねぇ!」
「まずいわ……こちらの攻撃がほとんど効いていない」
叫んでもどうしようもないないことはわかっているが、叫ばずにはいられなかった。
もはや攻撃を放つような余裕はなく、俺は死に物狂いで相手の追撃をかわし続ける。
「くそっ……俺が引きつけてる間に、ティアはこいつをなんとかできるような策を考えろっ!」
「ルーク!」
倒す手段の見つからない相手に突進するというのは、俺にとってもかなりの根性を要する行為だったが、馬鹿な俺にはそのぐらいの策しか思いつかない。
じりじりと背筋を追い上げるような焦燥感にその身を焦がし、俺は女王の猛攻を避け続ける。
もう誰でもいいから、なんとかしてくれっ!
「──私がなんとかして差し上げましょう」
俺の心の叫びに応えるように、不意に現れた男が涼やかに応える。
「誰っ!?」
「詮索は後にしてください。私が譜術で始末します。あなた方は私の詠唱時間を確保して下さい」
攻撃を必死で避ける俺の視界に、エンゲーブで見かけたロンゲの大佐の姿が映る。
「あんたの、譜術なら、効くのかよ!」
「さぁ? 私の方からは、なんとも」
相変わらずの人を喰ったような大佐の返答だったが、大佐の詠唱が始まると同時に、周囲の音素が爆発的な勢いで大佐に集束されていくのがわかる。
「……今は、あの人に任せましょう。私も援護を続けるから、ルークもそのまま回避に専念して、時間を稼いで」
「ちっ、わかったよ!」
胡散臭い相手ではあるが、俺達に策はない。
言うほどの実力があるか、見せてもらうぜっ!
明確な目的が定まったことで、俺はそれまで以上に神経を研ぎ澄ませながら、女王の攻撃を自身に引き寄せ続ける。
これまでと違い、俺は攻撃をまったく考えないで回避に専念、時間を稼ぐことだけに集中する。途中何度かひやひやするような場面も在ったが、その度にティアからの正確無比な援護が飛んで、女王を牽制する。
もはや体力も精神も限界に到達しようかというとき、とうとう大佐の詠唱が完成した。
「……雷雲よっ! 我が刃となりて敵を貫けっ!」
頭上に渦巻く黒雲が、稲光を放つ。
瞬間、女王の雷撃などとは比べ物にならないほどの閃光が空間を満たす。
「──サンダーブレード」
指揮者の振るう指揮棒のように、巨大な雷の刃が無造作に振り降ろされ、女王を射抜く。
大気を強烈な放電が満たし、視界が明滅する。
「おや、あっけなかったですね」
全身の体液が沸騰を通りすぎて蒸発したのか、かつて女王だったものが居た場所には、煤けた炭のような黒い染みが残されるばかりだった。
「なっ……なんだよ、今の一撃は……」
「……ただのフォニマーじゃないわね」
それまで俺達がさんざん手こずっていた相手を、一撃で消滅させた大佐の譜術の凶悪さに、俺達は戦慄する。
警戒心の籠もりまくった視線を向けるが、大佐はまるで頓着した様子も見せない。
「さて、いろいろと伺いたいこともありますが……アニス! ちょっとよろしいですか」
「はい、大佐! お呼びですかぁ?」
どこに控えていたのかと思うぐらい唐突に大佐の横に現れたのは、宿屋で見た導師守護役だとかいう不気味人形の少女だった。
二人はなにやらひそひそと話し合っているが、まるで内容は聞こえて来ない。
不気味人形の少女の後に続いて、戦闘から退いていたイオンが現れて、無事な俺達の様子に安心したのか息をつく。
ローズ邸での一件を見る限り、この二人が導師に害をなすとも思えないので、俺はとりあえず警戒を解くことにした。
戦闘が終わったことで、頭にのぼっていた血が急激に冷めていくのを感じる。
住処を火事で追いやられたという女王。
もうすぐ子供が孵ると唸っていた女王。
のろのろと力無い足どりで進み、俺は最初に女王が腰を降ろしていた藁葺きの中を覗き込む。
大佐の譜術の影響か、そこには沸騰して爆ぜ割れた無数の卵の残骸が並んでいた。
「……後味、悪いぜ」
「優しいのね。……それとも甘いのかしら」
あまりにも割り切ったティアの言葉に、俺は抑えきれない感情の昂りに任せるまま口を開いていた。
「魔物だろうが、俺達はガキを殺したんだぞっ!」
「……生きるためよ」
「っ! 冷血な女だなっ!」
ティアに向ける視線に殺気が混じるのを感じるが、すぐに俺自身もガキ殺しの一員であることが思い起こされ、舌打ちとともに顔を背ける。
生まれることもなく、その命費えた無数のライガの卵が視界に入る。
ふと、巣の一番奥まった一画に、一個だけ割れていない卵があることに気付く。
「おやおや、痴話喧嘩ですか?」
「か、カーティス大佐。私たちはそんな関係ではありません!」
よくよく見ると、その卵は誰もつついていないのに、ガタガタと揺れ動いてる。
「冗談ですよ。それと私のことはジェイドとお呼びください。ファミリーネームの方にはあまり馴染みがないものですから」
揺れが激しくなり、ピシリ、と殻にヒビが入る。
「ところで、そちらの彼は黙り込んでしまっているようですが、どうかしましたか?」
「卵が……」
『卵?』
ヒビは一瞬で殻全体に拡がり、次の瞬間、卵は二つに割れた。
──きゅうきゅうきゅぅ
地上に生まれ落ちた命が、まず最初になす行為。
あたかも生まれ落ちたことを嘆くかのように、ライガの幼子は物哀しい啼き声を上げた。
あとがき
女王強いよ。けど大佐もっと強いよ。ついにきた独自展開。孤児ライガの明日はどっちだ?