川はすぐに見つかった。後は流れを辿って行けばいい訳なんだが、下り坂の先に、なんだか妙ちくりんなもんが居る。
「なんだありゃ?」
イノシシのような獣が牙をぶんぶん振り回しながら、前足で地面を掻いてやがる。見る限り、興奮してるようだが。
ん……? おお、そうか! はじめて見るが、あれが野生の生態系の神秘ってやつか!!
一人感心して頷いていると、ティアがぼそりと呟く。
「……魔物」
「ふぅん、あれが魔物か。……って魔物!?」
話しにしか聞いたことないが、人間すら襲って糧にするような大型獣全般が、確か魔物とか呼ばれてたはずだ。
あ、あれが、その魔物かよ。思わずびびって腰が引けそうになるが、一緒に飛ばされた我が相棒、The・木刀を頼りに、俺は辛うじて踏みとどまるのに成功する。
びびり入りまくりの俺とは違って、ティアは隙の無い構えを取りながら、既にイノシシっぽい魔物と対峙していた。
魔物も既にこちらに気づき、牙をギチギチと蠢かし、後ろ足で地面を蹴る。
「来るわ!」
「じょ、冗談じゃねぇっ」
牙を突き上げ、魔物は猛烈な勢いでこっちに突進してきた。
俺は自分の弱気を叱咤して、舌打ち混じりに木刀をがむしゃらに叩きつける。
構えも動きもてんでなっちゃいない一撃だったが、師匠の扱きの賜物か、イノシシもどきの突進に対して、木刀がカウンター気味にぶち当たり、相手は仰け反って硬直する。
「な、舐めんなよっ!!」
──双破斬
一瞬動きの停まった相手に、気合を込めた上段からの振り降ろしが直撃、イノシシもどきの牙がぶち折れた。
振り降ろしの勢いもそのままに、刹那の間も置かず、俺は跳ね上がりざまに斬撃を放つ。
魔物が苦悶のうめき声を上げながら、後方に凄まじい勢いで吹き飛ばされた。
そこに抜群のタイミングで、ティアの譜術が炸裂。地の底から沸き上がるような闇に飲まれ、イノシシもどきは完全に絶滅した。
「へ、へへ、なんだよ。思ったより、たいしたことねぇーな」
「安心するのはまだ早いわ。ここは街の外よ。魔物なら、まだまだいるわ。魔物に接触すると、今みたいに戦わざるを得なくなるから、気をつけて」
「うっ……そ、それもそうだな」
即座に気の弛み掛けていた俺には耳の痛い忠告だった。しかし、戦闘後の気の緩みはたやすく致命傷になり得る。
相手は俺より戦闘に馴れてるようだし、ここは素直に受け止めといて損はない。
その後も、俺達は周囲を警戒しながら、改めて川辺を下って行った。
途中何度か戦闘が起こったが、ある程度落ち着いていれば、大したことはない相手ばかりだった。これも師匠の鍛練の賜物だろう。
常に死と隣り合わせだった師匠の鬼のような扱きも、無駄じゃなかったってことなんだろうが、それがこんな形で役に立つとは、皮肉なもんだがな。
いい笑顔で親指を立てる師匠の顔が、夜空に浮かんで消えた。
* * *
渓谷が終わりを告げ、ようやくあぜ道の様なものが見えてきた。
「出口ね」
「とうとう着いたか! マジで疲れたぜ。はぁ、だりぃだりぃ」
服を引っ張って扇ぎながら、俺は無防備そのもののといった様子で、前を行くティアの後をついていく。
いや、最初のうちは、さすがの俺も多少の警戒心をもって接していたんだぜ?
けどそれも、これまでの道中で、もはや警戒するだけ無駄な相手と理解できた。
何つぅーか、ティアはすごい生真面目な奴だ。
戦闘時にきついこと言われて、むかっ腹が立ったりもするが、なんだかんだ言いながらあれこれ面倒見てくる。
以外に世話好きなのかもしれない。
それに俺を殺すつもりなら、あのまま谷間に放って置けば、そのまま道に迷ってのたれ死にか、魔物の餌食にでもなっていただろう。
いずれにせよ、こっちの生命線はとっくの昔に相手に握られてるんだ。
そんな状況で、一方的に気を張り続けていても、無駄に疲れるだけだって理由が一番大きい。
まあ、師匠を襲撃した理由だけは、未だによくわからん訳だが……まあ、気合入ったいい奴だし、正直どうでもいい。
そもそも聞いて理解できるとも思わんしな!
そんなことをつらつら考えていた俺の耳に、どこか緊張したティアの声が届く。
「──誰か来るわ」
不意に足を止めたティアが、どこか緊張した表情でつぶやく。
獣道の終わりを見据える先に、川縁で桶に水を汲む男の姿があった。
行商人だろうか? 疑問に思いながら見据えていると、相手の方もこっちに気付く。
しばし見合った後で、突然相手は悲鳴を上げる。
「うわっ! あ、あんたたちまさか漆黒の翼か!?」
数歩後退りながら、こちらに警戒の籠もりまくった視線を向けてくる。
そんな相手を前に、かなりの戸惑いを覚えながら、俺達は顔を見合わせる。
「……漆黒の翼?」
「盗賊団だよ。この辺を荒らしてる男女三人組で……ってあんたたちは二人連れか」
怯えてる割には律儀に解説してくれて、その上、自分の解説で誤解を解いてやがる。
なんだかなぁと思いながら、俺はとりあえず相手に舐められないよう啖呵を切る。
「フン! 俺様をケチな盗賊野郎と一緒にするとはなっ!」
「……そうね。相手が怒るかも知れないわ」
「ぐっ!」
適格な突っ込みに、俺はものの見事に撃沈した。
「えーと、そんで、あんたらはどうして、こんな何もない森に?」
「私たちは道に迷ってここに来ました。あなたは?」
「俺は辻馬車の馭者だよ。この近くで馬車の車輪がいかれちまってね。水瓶が倒れて飲み水がなくなったんで、ここまで汲みに来たって訳さ」
一人話を続けるティアの背中に、俺は恨めしげな視線を向けるも、相手はまったく気にした様子を見せない。
……まあ、いいさ。ちまちました交渉事は俺にゃ向かんしね。
「馬車は首都へも行きますか?」
「ああ、終点は首都だよ」
「私たち土地勘がないし、お願いできますか?」
「首都までになると一人12000ガルドになるが、持ち合わせはあるかい?」
「高い……」
ティアはそう呟くと、俯いてしまった。
相場がわからん俺としてはなんとも言い様がないんだが、ふっかけられてんのかね。
「首都に着いたらうちのハゲ親父に払わせるがよ。それじゃ駄目なのか?」
「そうはいかないよ。前払いじゃないとね」
「ぁあん? ケチケチすんなよ。払わねぇとは言ってねぇだろが」
メンチ切る俺に、馭者が怯えたように数歩下がる。
ぬはは。下町のチンピラ連中の頂点に立ってるのは伊達じゃねぇぜ。俺の睨みにいつまで耐えられるかな。
「止めなさい、ルーク」
「てっ! なにすんだよ!?」
ティアが俺の頭を軽くはたきながら、俺の腕を引っ張り、強引に後ろに下がらせた。
不満に思った俺が視線で威圧するも、ティアは一向に気にした様子を見せない。
軽くあしらわれてるみたいで、どうもシャクに障る。いつか目に物を見せてやるぜ! と思ったりもするのが……まあ、突っ込み担当の相方が居るのも悪くないかもしれないけどな。
「ともかく、無意味に威嚇しても、相手を怯えさせるだけよ。状況は改善しないわ」
「つってもな、お前も持ち合わせはねぇんだろ? どうすんだ?」
腰に手を当てながら、子供に言い聞かせるようなゆっくりとした口調で諭すティアに、俺は多少不貞腐れながら疑問を口に出した。
もっともな問い掛けに、ティアは一度瞼を閉じると、なにかを決心したような表情で、口を開く。
「……これを」
首にかけていた鎖を外し、かなりデカイ純度の高そうな宝石付きペンダントを馭者に渡した。
おいおい、いいのかよ。確実に24000ガルド以上しそうだが。
はらはら見守る俺を余所に、馭者は差し出されたペンダントを受け取って、虚空にかざすと、感心したように何度も感嘆の吐息を洩らす。
「ほぅ……こいつはたいした宝石だな。よし、乗ってきな」
素早く懐にしまうと、馭者は馬車のとめてある方向を示し、足早に歩き出した。
あの様子じゃ、超過分を返す気はさらさらないな。
「……ってか、いいのかよ?」
俺がしかめっ面で確認するも、ティアは無表情を保ったまま、軽く頷いて見せた。
「ちっ。……礼はいわねぇからな」
なんだか無性に腹が立って、俺は別に言わなくてもいいようなことをわざわざ吐き捨て踵を返していた。
結局、俺はここに至るまで、なんの役にも立っていない。
魔物を倒せたのはティアのフォローがあったからだし、ここまで先頭に立って案内してくれたのもティアだ。
そもそも俺一人でここに飛んでいたら、その後どうしたらいいのかまったくわからなかったろう。
ティア一人なら、もっと早く街道に合流できただろうにな。
俺はティアに尻ぬぐい去れて、おんぶ抱っこされてるわけだ。みっともねぇったらありゃしない。
俺はくそ情けない自分の醜態を嘲笑いながら、決めた。
どんだけ時間がかかろうとも、必ずなし遂げることを決めた。
──いつかこの借りは返すぜ!
ガラじゃねぇのはわかっちゃいるが、やられっぱなしはどんなことだろうが我慢ならん。
借りを返すと決めた途端、ある程度胸がすっとするのがわかる。
現金なもんだとは思うが、単細胞なのはどうにもならんよな。
俺は気分をすぱっと切り換えると、ドスドス音を立てながら馬車に乗り込むんだ。
* * *
なんにせよ屋敷に帰る目処が着いたようなので、俺は安心した。疲労の任せるまま揺れる馬車の中でグースカ寝こむ。
いや、乗り物の中で寝るってのも初めての経験なんだが、この一定間隔でやってくる揺れが、正直たまらんですよ。俺の睡眠欲を刺激してしょうがない。
しかし、そんな俺の安眠も長くは続かなかった。
「……なんだぁっ!?」
馬車の揺れとは比較にならん程激しい揺れが、砲撃音とともに身体を揺らす。
「ようやくお目覚めのようね」
ティアが無表情の中にもどこか呆れを見せて呟く。
「状況が気になるなら、外を見るのね」
狼狽する俺に、ティアは馬車の外を指し示す。
窓から見えた光景は、陸上戦艦が必死で逃げる馬車を追跡して、何度も砲撃を放つという非常識なものだった。
「って、おいおい、なんだよあれは。いったいここはどこの戦場だよ!?」
混乱の坩堝に陥った俺に、馭者がどこか興奮したように身を乗り出す。
「軍が盗賊を追ってるんだ!ほらあんたたちと勘違いした漆黒の翼だよ!」
「漆黒の翼って、わざわざ軍が動員される程の大物だったのか……」
チンケとか言って悪かったなぁとか思うが、あの様子だともう壊滅寸前だし、どうでもいいか。
『そこの辻馬車! 道を空けなさい! 巻き込まれますよ!』
丁寧な口調ながらも、命令に馴れた者特有の静かな威圧感を感じさせる声が戦艦から響く。なんらかの譜業機関越しなのか、肉声とは感じの異なる響きだ。
馭者も巻き込まれてはたまらないと思ったのか、慌てて馬車を脇に退かせる。
戦艦はそのまま盗賊の乗った馬車を追撃して行く。
しかし漆黒の翼もさる者で、トリッキーな動きを繰り返して砲撃を必死に回避する。
そのうち橋に行き着いた馬車が何かを後方にばらまきながら、更に速度を上げて橋を渡る。
不穏なものを察してか、戦艦が急停止、進行方向に向けて音素による障壁を展開する。
ついで漆黒の翼が橋を渡り終えると同時に、大規模な爆発が巻き起こった。
舞い上がる粉塵に視界が覆い隠される。煙が晴れた頃にはもはや馬車は見えなくなっていた。
残されたのは、無傷の戦艦と破壊しつくされた橋の残骸のみだった。
「……なんか、すげぇ迫力だったな」
「驚いた! ありゃあマルクト軍の最新型陸上装甲艦タルタロスだよ! 正式配備された新鋭艦なんて、一般人が滅多に見れるもんじゃないのに! くぅ~いいもの見たぁ~!」
微妙に軍艦オタクくさい馭者の感想なんぞは誰も聞いてない。普段ならそのまま聞き流すところだが、いま、こいつは俺達にとって聞き捨てならない単語を呟いた。
「マルクト軍だって!? どうしてマルクト軍がこんなところをうろついてんだよ!?」
「当たり前さ。何しろキムラスカの奴らが戦争を仕掛けてくるって噂が絶えないんで、この辺りは警備が厳重になってるからな。やっぱりここら辺は戦艦目撃するには絶好のポイントだね」
後半の発言はともかく、俺とティアは呆然と互いの顔を見合わせる。
「……ちょっと待って? ここはキムラスカ王国じゃないの?」
「何言ってんだ。ここはマルクト帝国だよ。マルクトの西ルグニカ平野さ」
平然と返された言葉に、さらに嫌な予感が高まるのを感じる。
「じょ、冗談っ! この馬車は首都バチカルに向かってるんじゃなかったのかよ!?」
「向かってるのはマルクトの首都、偉大なるピオニー九世陛下のおわすグランコクマだ」
どこから聞いても聞き間違えようのない、明確な答えが返された。
一瞬、馬車を沈黙が包み込む。
ティアが無表情のまま、俺に向かって告げた。
「……間違えたわ」
「冷静に言うなっつーの! ……ってか、普通間違えるようなもんなのか?」
「土地勘がないから。あなたはどうなの?」
「俺は軟禁されてたからな。外に出たことなんざねぇ。よって土地勘以前に、どこだろうがなんもわからん!」
あっさり応えるティアに、俺も威張れないようなことを胸張って応える。
そんな俺達の間の抜けたやり取りに、戦艦を見た興奮が薄れてきた馭者が、不審げに尋ねる。
「……何か変だな。あんたらキムラスカ人なのか?」
「い、いえ。マルクト人です。訳あってキムラスカのバチカルへ向かう途中だったの」
微妙に裏返った声で、ティアが馭者の疑念を否定する。いつもの無表情だったが、そこにどこか焦りが浮かんでいるのが俺にはわかった。
「しゃあしゃあと……」
ぼそりと呟いた俺に、ティアが射殺すような視線を向ける。俺はあさっての方向を見やり、視線をやり過ごす。
幸いなことに、馭者は特に疑問を抱くでもなくこちらの言葉に納得したようだ。
「ふーん。それじゃあ反対だったな。キムラスカに行くなら橋を渡らずに、街道を南へ下っていけばよかったんだ。もっとも橋が落ちちゃあ戻るに戻れんがなぁ……」
気まずそうに、馭者は頭を掻いた。
「これから東のエンゲーブを経由してグランコクマへ向かうんだが、あんたたちはどうする?」
ルートを提示してくる相手に、俺とティアはひそひそと言葉を交わす。
「マジかよ。どーする……?」
「……さすがにグランコクマまで行くと遠くなるわ。エンゲーブでキムラスカに戻る方法を考えましょう」
「そうか。ま、しゃーねぇわな」
ティアの提案に俺も頷きを返す。帰る方法に関して、俺が言えることはなんもねぇしな。
「とりあえず、エンゲーブまで乗せてくれ」
「そうかい。じゃあ出発だ」
馬車が走り出し、俺達はエンゲーブに向かうのだった。
しかし、なんというか、前途多難だよな……
* * *
馬車が緩やかに速度を落とし、村の入り口とおぼしき場所で停まる。
「着いたぞ」
キムラスカの首都バチカルと違って、なんとも牧歌的な雰囲気漂う場所だ。
入り口からすぐそこで食い物を売り買いしているのが見える。
民家の脇にも畑が広がっていたりして、バチカルじゃ考えられない光景だ。
「ここがエンゲーブだ。キムラスカへ向かうならここから南にあるカイツールの検問所へ向かうといい」
馬車から降りた俺達に、軍艦マニアは意外と律儀に説明してくれる。
話を聞いてるうちに、俺はふと気になったことを尋ねる。
「そういや、行き先変わったんだ。運賃、値下げとかしてくれねぇのか? ってか、むしろしろや」
「そ、それはまた別問題だ。行き先に関しては、あんたらの都合であって、こっちに落ち度はない」
「あん?」
舐めたことを抜かしてくる相手にメンチを切る。びびる馭者。睨む俺。
なし崩し的に相手が頷くまで、後一押しというところで、またもやティアに割って入られる。
「ルーク。止めなさない」
咄嗟に言い返そうとするも、有無を言わせぬ雰囲気を放つティアに、俺は顔を背けて舌打ちをもらす。
「ちっ……だがよ、お前は気にならねぇのか? ありゃ結構な値打ちもんだったんじゃねぇか? そう簡単に手放してもいいもんなのかよ?」
「それは……」
痛い所をつかれたのか、ティアが思わず黙り込む。
思い出すのは、馭者にペンダントを手渡す前に見せたティアの表情だ。
たかがアクセサリーを手放すにしては、気合が入りすぎていたように見えた。そこらへんが、どうも気に入らねぇ。
別に、ティアを気づかってる訳じゃねぇぞ?
「あ~ともかくよ、あの程度の距離であんな上物は取りすぎ……」
馭者の方に向き直ると、そこに馬車の姿はなかった。
「バチカルまで、気をつけてなぁ──」
遥か彼方に位置する馬車の中から、俺達に向かって手を降る馭者の姿があった。
「に、逃げやがった。あいつ」
俺はもはや追いつけない距離まで離れた馬車を見やり、口をあんぐり開いた。
この状況はペンダントを掠め取られたに等しいはずなんだが、奇妙なことに、あの馭者に憎しみとかわいて来ないから不思議なもんだ。
小物には小物の良さがあるってことか。
まあ、ああはなりたくないが。
愕然と馬車の去って行った方向を眺める俺に、ティアが微かに苦笑を浮かべる。
「ペンダントのことはもういいわ。一度渡してしまったことだし、すんだことよ」
「……そうかよ」
「でも、ありがとうルーク。気にかけてくれたみたいね」
「なっ……」
それは、まさに俺にとって不意打ちだった。
普段の無表情からは信じられないほど柔らかい微笑を浮かべるティアに、俺は両手をワタワタさせることしかできない。こ、こいつはやばい。予想以上の破壊力だ!
「そ、そんなんじゃねぇからなっ! 俺は仁義をわきまえるもんの一人としてだな、あの馭者の小物っぷりが気に食わなかっただけでだ。と、ともかく、そんなんじゃねぇからな! 誤解すんなよ!」
「……そう」
俺の凄まじい動揺っぷりを余所に、ティアは割とあっさり頷いた。
「……そ、そうだ」
それはそれでもの悲しいものがあったりするんだが、俺はこのまま誤解されるよりましだと割り切って、押し黙る。
「それよりも、これから先のことね。検問所か……。旅券がないと通れないわね。困ったわ……」
「だ、大丈夫だろ? くそ親父の息子だって言えばすぐ通すさ。それより村を探索しようぜ。俺はバチカルしか知らねぇからな、こういう村は初めてなんだ」
「確かに……探索はともかく、出発前の準備は必要ね。今日はここに泊まりましょう」
「おうよ」
俺はぎこちなく両手両足を動かしながら、話題のすり替えに成功したことに安堵した。
畑の脇に出された露天で、かなりの種類の食い物が売りに出されている。
その中でも、バチカルでは滅多にお目にかかれない新鮮そうな果物類が、特に俺の眼を引いた。
「へぇ、うまそうなリンゴだな」
「おうよ、兄ちゃん。たいしたもんだろ。一個どうだい?」
「どれどれ、一個貰うぜ」
積まれたリンゴをひょいと掴んで、皮を服で拭って一かじりする。新鮮な果物特有の鼻を抜けるような酸味が口の中に拡がる。
「くぅ~うめぇ。こんな新鮮な果物は喰ったことねぇよ」
「はっはっは。そいつはうれしいこと言ってくれるねぇ。あんた旅行者かい? エンゲーブ印は伊達じゃねぇってことだよ」
「ああ、ほんとうまかったぜ。そんじゃな」
朗らかに笑い合って、リンゴの味に満足した俺は踵を返す。
「って、おいおい兄ちゃん! お金払ってないだろ! お金だよ。お・か・ね!」
「? なんで俺が払うんだよ?」
笑みを浮かべながら冗談じみた言葉で俺を引き止めていた店主の表情が、俺の発した言葉で一変する。
「なにぃ……!?」
一気に険悪な雰囲気になった俺達に、すこし後ろに引いていたティアが慌てて割って入る。
「決まってるでしょう! お店の品物を勝手に取ったら駄目なのよ!」
「いや、だって屋敷からまとめて支払いされるはずだろ……って、そうかここはマルクトだった」
俺は自分の勘違いにようやく気付く。バチカルではファブレ家と言えば、自慢する訳じゃねぇが、知らぬ者がいないほどの名家だ。ほとんどの店に対してツケが効くため、俺は金をもって出歩いたことが数得るほどしかない。悪ガキどもへの差し入れは俺の金を使っていたが、それも小切手だったしな。
「いや、ワリィワリィ。いつものノリで、つい勘違いしてた」
「……マルクトでもキムラスカでも、普通はお店で買い物するときはその場でお金を払うと思うけど」
「これでも貴族の一員なんでな」
「そういう問題かしら……?」
俺達の呑気なやり取りに業を煮やしてか、苛立ちを抑えきれない様子で店主が叫ぶ。
「おい! 金を払わないなら警備軍に突き出すぞ!」
「だぁー払わねぇとは言ってねぇだろ! ったく、悪かったな。それで、幾らだよ?」
「ふん……最初からそうしろ。胸くそ悪い。さっさと金置いて目の前から消えてくれ」
「あんだと?」
思わず拳を握って、俺は身を乗り出す。こういう舐めたこと抜かす奴は一度締めておかないと、後々どうしょうもなくつけあがるのだ。
一発放とうと拳に力を込めたところで、俺は凍りついたように動きを止める。
「……ルーク?」
地の底から響くような声で、ティアが俺の名を呼ぶ。腕力うんぬんとは関係ない逆らい難い力を感じとり、俺は慌てて金を払い、その場から逃げ出した。
* * *
村を一巡りして見るものが無くなったので、そろそろ一休みしようということになった。宿屋に向かう道すがら、俺は新鮮な外の様子が見れて上機嫌だったが、ティアは俺の世間知らずの度合いに、というか、むしろ馬鹿さかげんのフォローに疲れ果てたのか、肩を落としていた。
鼻唄混じりに宿屋前まで来たところで、なにやら不穏な空気が漂っていることに気付く。
数人の村人が深刻な様子で、しきりに話し合っている。
「駄目だ……。食料庫の物は根こそぎ盗まれている」
「北の方で火事があってからずっと続いてるな まさかあの辺に脱走兵でも隠れてて食うに困って……」
「いや、漆黒の翼の仕業ってことも考えられるぞ」
聞こえてくる話から、どうも食い物が盗まれたことに対する相談のようだ。
最後に聞こえた聞き覚えのある呼び名に、俺はよせばいいのに思わず口を挟んでいた。
「漆黒の翼って奴らは食べ物なんか盗むのか?」
なにげなく呟いた言葉に、村人の視線が殺到する。ちょっと、びびったね。こちらを睨む血走った目すべてに、殺気が浮かんでいるのがわかったからだ。これは、やばいか。
「食べ物なんかとはなんだ! この村じゃ食料が一番価値のある物なんだぞ!」
一人の村人が代表して、怒りに任せるまま乱暴に告げる。
たかが一般人に気押されたのがシャクに障って、次の瞬間、俺は致命的な発言をしていた。
「ぬ、盗まれたんならまた買えばいいじゃねぇかよ」
言った後で、俺はしまったと、心の中で頭を抱えた。だが、もう後の祭りだった。後ろでティアが、またなのと呆れ返るのが見なくてもわかった。
「何! 俺たちが一年間どんな思いで畑を耕していると思ってる!!」
「なあ、ケリーさんのところにも食料泥棒が来たって?」
「まさか……こいつ……」
どんどんヒートアップしていく村人に、俺はもうどうしょうもないかなーとか思いはじめた。確かに失言だったとは思うが、さすがにリンチとかまでには発展しないだろう。
だが、そこにさらに状況を悪化させる一手が放たれた。
「おまえ! 俺のところでも盗んだだけじゃなくてここでもやらかしたのかよ!?」
リンゴを売りの店主が現れ、最悪の言葉を告げやがった。
「何だと……。やっぱりあんたがうちの食料個を荒らしたのか!」
「泥棒は現場に戻るって言うしな」
村人の熱気が、どうも奇妙な方向に向かっている。
もう、証拠もなにもない話の流れに、俺は乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
「俺が泥棒で確定かよ……」
「うちの店先からリンゴを盗もうとしてただろうが!」
「よし! おまえを役人につきだしてやる!」
村人に連行されて行く途中、俺は犯人扱いされたことよりも、負のオーラを纏ったティアの視線に耐えかねて、なんだか泣けてきた。
マジでこの後、どうなるんだろ……