すべては終わっていた。
血の海に沈む赤毛を前に、詠師服の男は告げる。
「………前史において、栄光を掴む者はこの地で、ローレライの使者に敗れたという」
血に濡れた長剣が振られ、血糊が飛び散った。
「観測されし事象の流れを覆すためには、既存の流れを沿いながらも、僅かな違いを生み出してやる必要があった。故に、私は決戦の地として、ここ──アブソーブゲートを指定した」
赤毛の脇腹から流れ出たものが地面に広がり、詠師服の男の足を濡らす。
「そして、お前は見事に私を敗り、世界を救ってみせた。私は認めよう。ルーク、お前こそが現世における観測者となりうる者。そう───」
血に濡れた長剣を片手に、詠師服の男は笑う。
「───ローレライの使者だ」
僅かに離れた位置に、呆然と立ち尽くす男女が五人。燕尾服の刀は腰に繋がれたまま動かず、弓矢を番えるべき王女の手は動揺に震える。人形を抱く教団の少女は目を見開き、長髪の軍人はただ唇を噛む。
そして、彼女は手を伸ばす。倒れ伏す彼の名を呼びかけようと、口を開く。
「だが、此処に前史の流れは覆され、停滞世界は終焉を迎える……」
宣告は無慈悲に、響き渡る。
「滅びよ──」
詠師服の男が、杖を掲げ上げた。
《───ジャッジメント!!》
光の柱が天から降り注ぐ。
呼びかけは届かなかった。
「どう……して……っ!?」
苦痛に喘ぎながら、辛うじて言葉を漏らす彼女に、詠師服の男は感情の宿らない視線を落とす。
「……本質的な意味において、奏器を使いこなすとは、自らの身体を音素化させて行く事に他ならない」
言って、杖に添えた片手の指を打ち鳴らす。
光の粒子が詠師服の男の身体を包み───その姿が消え失せる。
一瞬の停滞も無く、僅かに離れた位置に光の粒子が集結し、詠師服の男の身体が現れ出る。
「故に、さして時間も経たぬ状態からなら、一時的に音素化した身体を再構築する程度、造作もない事だ」
呆然と見据える彼女から視線を逸らし、詠師服の男は血に濡れた長剣を無造作に振るう。
「全ては忌まわしき呪縛を断ち切るため……これより世界は新たな地平を歩み出す」
一人、詠師服の男は哄笑を上げる。
誰もが光の柱に射抜かれ、動けない。
このとき確かに、すべては終わっていた。
例外は、一つだけ。
「───ルーク……!」
小さく、けれど確かに、彼女は彼の名前を呼んだ。
赤毛の男の指が、僅かに、動きを見せた。
詠師服の男の上げる哄笑が止まる。
流される視線が、背後に移り、僅かな驚嘆を込めた吐息を漏らす。
「ほぅ……まだ、意識が在ったのか」
血の海の中、抜き身の刀にその身を預け、立ち上がった赤毛の男の姿が、そこにはあった。
* * *
血の臭いが鼻に突く。
喉から込み上げる熱いものが唇を濡らす。脇腹から溢れ出ようとする液体を手で押さえることで無理やり停める。くそったれなことに、闇杖は床に倒れた拍子に、何処かに転がっていってしまった。手元に残った唯一の獲物である抜き身の刀に身体を預け、俺は強引に身体を支える。
俺は立ち上がった。
だが、それだけだった。
「無様な真似をさらすな。その傷でお前に何ができる。それとも……死ぬつもりか?」
ヴァンが反論の余地も無い言葉を返す。だが、そんなこと知ったことか。
混濁した意識の中で、俺は血を吐く思いで、言葉を絞り出す。
「はっ………俺は、死なねぇよ………まだっ、死ねない………っ!」
今にも崩れ落ちそうな身体を意地だけで引き上げて、俺はうわ言のような言葉を繰り返す。
「───……約束……したんだっ………」
朦朧とした意識の中で、辛うじて握られた剣を構え、俺は腰を落とす。
「………俺は、まだ、あいつに何も返せていねぇ………っ!!」
顔を引き上げ、血の滴り落ちる脇腹を押さえ、俺は剣の切っ先をヴァン・グランツに向けた。
このまま終われねぇ──そんな意地だけが、俺を支える全てのものだった。
ヴァンはそんな俺を見据え、僅かに表情を引き締める。
「……無様とは、もはや言わん。お前の気概は認めよう」
掲げられた杖に光が灯る。収束する光は刻まれる鼓動の中、視界を染め上げ、世界を白に染め上げる。
「──ぁぁああぁぁっ──っ!!」
もはや霞んだ視界の先、唯一鋭く突き刺さる光源に向けて俺は駆ける。
強引に地を蹴る。もつれる足を無理やり踏み出す。ぶっ倒れそうになりながら、その勢いさえ利用し剣を引き上げ───全力で叩きつける。
「………だが、その上で告げる」
振り降ろした切っ先は、硬い地面を叩いた。
光源の先に在ったはずの気配が、刹那の間も置かず、俺の背後に再び現れ出る。
「───約束は果たされないと」
背後から突き出された剣は、呆気なく、俺の身体を貫いた。
痛みは感じない。そんなものは、当の昔に麻痺し切っていた。
ああ……こりゃマジでやばいな。
どこか他人事のような感想が思い浮かぶ。
グラグラと視界が揺ぐ。その上、足先の感覚まで薄れて来た。
「……最後に、もう一度だけ問おう」
握力が限界を迎え、手からこぼれ落ちた剣が、地面に落ちて甲高い音を立てる。
「私に協力する気はあるか?」
視界は急激に狭まり行き、血の気が抜け落ちた身体がどんどん冷えきっていくのがわかる。
自らの状態が、どうにもならない所まで来ていることが理解できた。
もはや、俺に対抗する術などあるはずも無かった。
だがそれでも、俺が返す言葉は決まっていた。
焦点を失いつつある視覚の先、身体を貫く剣の握り手に顔を向け、決まりきった言葉を返す。
「───バーカ。絶対に、ゴメン、だな」
口元から血を滴り落としながら、俺は不敵に笑ってみせた。
ヴァンは一瞬だけ瞼を閉じると、そうか、と小さく声を漏らす。
「───残念だ」
剣が一息に引き抜かれ、吹き出す鮮血が虚空を飛び散った。
俺の身体は床に投げ出され、鮮血の海に沈む。
朦朧とした意識の中で、誰かが俺の名前を呼んでいる。
泣き顔が見える。彼女が泣いている。
ああ、俺が泣かせているのか。まったく、俺はどうしようもないバカだよな。
結局、俺は届かなかった。それはもう認めるしかないだろう。
だが、彼女たちの終わりまで見過ごすことは、どうしてもできそうになかった。
不意に、うつ伏せに倒れた俺の指先に、転がり落ちた杖の先端が触れる。
まだ、俺にもできることがあるってことか。
弱々しい鼓動を刻む杖から、微弱な意識とも呼べないような何かが流れ込む。杖を手に握り、俺は最後の力を振り絞ることを決めた。
かつて地殻で触れた意識の波形。あいつと繋がるラインを強引に手繰り寄せて接続。全ての作業を闇杖に任せ、俺は文字通り血反吐を吐きながら、大きく杖を振りかぶり──そのまま投げ放つ。
杖は自ら意志を備えているかのように目標地点に飛び立ち、其の先端が床に触れると同時───巨大な譜陣が周囲に展開される。
「む……これは……───」
ヴァンが事態の進行にようやく気づくが、もう遅い。
ほの暗い闇色の光は倒れ伏す皆を一瞬にして包み込む。広がる譜陣が一際強い闇色に染まると同時───皆の姿は、この場から消え失せた。
後には血の海に沈む俺と、一人無傷で佇むヴァンだけが、その場に残された。
へっ、ざまぁ見ろ。
最後に悪態を突き、少しだけ溜飲を下げる。
急激に薄れ行く意識の中で、俺は皆のことを考える。
どこか気障な親友、気の良い幼馴染み、ひどく嫌味な先達に、小さな悪友、前へ進み始めた弟分。
そして最後に脳裏に浮かぶのは、去り際に彼女が初めて見せた、泣き顔だった。
ああ、勘弁してくれ。泣くのは反則だ。
約束破ったことないの、密かな自慢だったりしたんだけどなぁ。
でも、それもここまでか。
どうやら、俺……約束、果たせそうにない。
ごめんな………────ィ………ァ────
───意識は闇に沈み、言葉は何処にも届かない。
* * *
「転送陣か……味な真似をする」
血の海に沈むルークを見据え、ヴァンは顎先を撫でる。
本気で最後の力を振り絞った行動だったのか、もはや立ち上がる気配はない。微かに上下する胸だけが、未だルークが死んでいないことを訴える。
「だが、些細な事か」
もはや障害とはなり得ぬと判断し、ヴァン・グランツはゲートの中心に移動する。
地面に突き立つ闇杖の向かい側に立ち、ヴァンは自らの手にした光杖を───そのまま床に突き立てる。
畏ろしく精密な譜陣が展開された。地面を埋めつくしてもなお止まらぬ譜陣の構築は、壁面へと格子を伸ばし、立体的な陣となって、ありとあらゆる空間に術理を刻み続ける。
譜陣の起点に位置する二本の杖からは、両極に位置する音素───光と闇の音素が引き出され、放たれる力の巨大さに唸りを上げながら、世界を侵し始めていた。
ヴァン・グランツは譜陣の展開を確認すると、そのまま血の海に沈んだルークの下に歩み寄る。そして倒れ伏す身体を抱え上げ、ゲートの端に向けて歩く。
「ローレライの力を継ぐものよ。超振動を用いぬと言うなら、それもいいだろう。
世界の記憶に刻まれるまま、その身を地殻に沈め、完全同位体たる役目を果たせ」
ゲートから覗く気穴──セフィロトまで移動し終えると、ヴァンは抱え上げていたルークの身体を、そのまま地殻に向けて───投げ落とす。
「……さらばだ、ルーク」
セフィロトに投げ出されたルークの身体は、地殻から吹き上がる音素の光に飲まれて、直ぐに見えなくなった。完全に地殻へ飲まれたことを見届けると、ヴァンは何事もなかったかのように、悠然とセフィロトの中心に向かう。
突き立てられた二本の杖から引き出される音素は、今や膨大な量に達し、光と闇の入り交じった不気味な色彩に世界が染まり上がる。
全ての中心に位置するゲートに歩み寄ると、ヴァンは制御盤に手を伸ばす。
「世界の降下はなされ、確かに障気は地殻に押し戻された。
だが、栄光を掴むものは地上に残り、ローレライの使者は地殻に沈む」
最大セフィロトの一つであるアブソーブゲートが、禍々しい紫紺の輝きに染まる。
轟々と唸りを上げ、光と闇の音素が渦を巻く。煌々と光を放つ譜陣が、力の解放に打ち震える。
「ここに因果の封禍を穿ち、永劫回帰の牢獄から、停滞世界は解き放たれる……」
ヴァン・グランツはゲートを見上げ、世界の崩壊を告げる。
「穢れし澱、狂えし帰結。終焉の刻守。
蘇るがいい、第八音素 ───
───因果のオブリガード( よ」
プラネットストームから吹き出した紫紺の塊はうねりを上げながら天上まで駆け昇り───
────世界崩壊の序曲が、此処に鳴り響く。
──アブソーブゲート・入口──
「どうやら、無事降下は済んだようですね」
大地の振動は既に収まり、大陸は安定を取り戻していた。
ノエルは安堵に胸を押さえ、空を見上げた。
実感は未だわかないが、これまであの空の上に、自分たちの立つ大地はあった。そうした事実に少し感慨深いものを感じる。
ふと、ミュウさんとコライガさんの様子が随分とおかしいことに気づく。
コライガさんは全身の毛を逆立てながら、低い唸り声を上げ、ゲートを睨む。
ミュウさんは目に涙を滲ませながら、しきりに左右に耳を動かす。
「どうしたの?」
「みゅぅぅう……とっても怖いものが居るですの……地面の下を動いてるですの」
あまりの怯えように、どう言葉を掛けたらいいかわからない。それでもこのまま見過ごす訳にも行かず、言葉を探しながら、ノエルが口を開いた───そのとき。
不気味な胎動が、地面の下から響く。
「これは………っ───!?」
操縦士としての本能が警告する。騒めく大気から肌に突き刺さるような圧迫感が押し寄せる。
ゲートから吹き出す紫紺の渦が───天を貫いた。
うねりを上げて駆け上るソレは、プラネットストームの流れに乗って、蒼空を圧倒的な勢いで浸食していく。
呆然と空を見上げるノエルは、不意に気づく。
「待って、行っちゃダメ!」
「話してくださいですの! ご主人様が! ご主人様の気配が、消えちゃうですの!!」
大きな目から涙を流し、ミュウさんは泣き声を上げる。とっさに伸ばしたノエルの腕から逃れようと身体を揺するミュウさんに、さすがに動きを押さえきれなくなって、ついに手が離れる。
バチリッと雷光が閃き、ミュウさんの身体が崩れ落ちる。
「……ぐるぅ……」
低く唸りを上げて、雷撃を放ったコライガさんが、アルビオールの存在する方向を首で促す。
おそらく、今のうちに、運び込めということだろう。
「……わかりました」
申し訳なく思いながら、ノエルはミュウさんの身体を抱え上げ、アルビオールに運ぶ。
機体に乗り込んだ所で、設置された通信端末が、しきりに音を鳴らしていることに気づく。
困惑しながら、ノエルは端末に手を伸ばす。
紫紺に染まった空を見上げ、コライガさんが、低く、遠吠えを上げた。
──ラジエイトゲート・深部──
振動が収まったのを確認し、アッシュは大地の降下が無事成し遂げられた安堵に、僅かに気を緩めた。
「……まったく、世話の灼けるレプリカだ」
能無しのバカ面を思い返し、少しは認めてやってもいいかもしれない。そんな思いすら沸き起こる。
セフィロトに背を向け、数歩進んだところで、不意に歩みが止まる。
ピシリッと、手にした剣から奇妙な音が響く。不審に思いながら視線を向け、アッシュは目にしたものに我が目を疑う。
「なっ……これは、どういうことだ?」
手にした剣───ローレライの鍵には、無数のヒビが走っていた。
理解できない現象に、アッシュは言葉を無くす。
そして、更に事態は動く。
「────ぐっ…………」
何かが身体に流れ込む。
それは長い間掛けていた何かが、自分の身体に定着するような感覚。苦痛も快感も無く、ただどこまでも不気味な充足感が俺を満たす。
何故か、脳裏にあいつの姿が浮かぶ。
膨れ上がる厭な予感に、俺は我知らずつぶやきを漏らしていた。
「能無し……?」
答えは返らない。
背後では、セフィロトから立ち上る音素の光が、不気味な紫紺の輝きに染まっていた。
──宗教都市ダアト──
空が紫紺に染まる。
セフィロトから吹き出したおぞましき奔流は、プラネットストームの流れに乗って、瞬く間に空を覆い隠し、不気味な胎動を響かせる。
紫紺に染まり上がった空から、蒼色は完全に消え去った。
世界の終わりのような光景を前に、その場に集う教団の誰もが狼狽を露わにし、スコアと偉大なる始祖に祈りを捧げている。
ただ一人祈る事もせず空を見上げ、大詠師モースは来るべき時が来たことを理解する。
「因果は廻り……終幕の刻は確実に迫り来る、か」
諦観とともに空を見上げ、モースは渦を巻く障気を見据える。
だが、まだ世界は終わらない。あの程度では、まだ世界は終われない。
「世界の存続のために、私は道化たる役目を果たそう、ヴァンデスデルカ」
聖人は自らの誓いに従い、動き出す。
全ては、この歪みきった世界が、続いていく為に………
──ラーデシア大陸・オラクル駐屯地──
身を削られるような緊張感に、肌が泡立つ。
戦場に設置された塹壕の向こうを見据え、兵士たちは一言も漏らさない。彼らの顔に浮かぶ表情は、屈辱と焦燥、そして色濃い恐怖が入り混じったものだった。
「敵襲──敵襲──っ!!」
見張りの上げた呼び声に、塹壕に身を伏せていた兵士たちが一斉に刀剣を抜き放つ。僅か一日足らずで、彼らの拠点を攻め落とした敵の襲撃に備える。
塹壕の向こうから、降り立つ影。
いかなる力をもってか、塹壕を飛び越えた男が彼らの中心に音もなく着地する。風に煽られた黒の教団服が翻り、手にした奇怪な形状をした長剣が地面に突き立てられる。
同時、展開される譜陣が塹壕内を埋めつくす。
「──っ───退避────!!」
隊長格の男が叫ぶが、既に全ては遅い。
譜陣の上に立つあらゆる者たちが、突然、膝から地に伏せる。まるで巨大な腕に頭上から押さえつけられたかのように、身動き一つできぬまま、為す術もなく地面に身体を倒す。
戦場を貫く重圧の軛の中、全ての元凶たる男は悠々と塹壕を歩く。どこか裁ち鋏にも似た奇怪な形状をした長剣を肩に担ぎ上げ、重力の軛に囚われ動けない兵士たちの中を歩く。男の後に続いて、何人もの兵士たちが塹壕内に突入を始め、倒れ伏す兵士達を次々と拘束していく。
「くっ──導師の犬がっ!」
「……まあ、あんたらヴァンの捨て石こそ、反乱なんて面倒くさい活動、わざわざご苦労なこったな」
連行されゆく兵士の叫びに、黒服の男は億劫そうに肩を竦めて応えた。
「──っ──おのれっ──異端のカンタビレめ──っ!!」
上がる怨嗟の声など、いささかも気にした様子も見せず、オラクル騎士団第六師団長───アダンテ・カンタビレは部下に指示を与えると、さっさとその場を離れるのだった。
戦場の残滓が色濃く残る場所に佇み、カンタビレは本気でため息を漏らした。
「……やれやれだな。事前に過激派の一斉蜂起を察知できてなかったら、とんでもねぇ事態になる所だったぜ」
「そうですね。そう考えると、地方に我々の師団のメンバーが大量に飛ばされていた意味もあったのかもしれませんね」
脇に控える副官の言葉に、カンタビレは半眼を向ける。
「……お前さん、そりゃ厭味か、ライナー? 最初に会った頃と比べて、お前も随分と変わっちまったもんだよなぁ」
「あなたの下に配属されたのが運の尽きでしたからね。このぐらいは当然の変化ですよ、師団長」
「………」
しれっと答える副官の言葉に、カンタビレは憮然と言葉を無くす。
周囲をせわしなく動き回る彼の部下達は、また何時もの漫才が始まったと、気にした様子も見せず、ひたすら割り振られた仕事に従事し続ける。
ここは地方でも有数の規模を誇る、ラーデシア大陸に位置するオラクルの駐屯地だ。何故、自分たちが同じ教団相手に戦争じみたことをしているかと言えば、反乱を防ぐためだとしか答えようがない。
今から一週間前のことだ。ヴァンの離脱後も教団に潜伏していた過激派が、大地の降下に合わせ、各地に点在する駐屯地において、一斉蜂起を企てているという情報が入った。それなりに信用の置ける筋から入った情報ということもあって、カンタビレ達は師団の者たちを引き連れ、各地にある駐屯地を順に巡り、反乱を躍起になって叩き潰して廻ることになった。
だが、それもこのラーデシア大陸が最後。何とも危ういところだったが、これで無事反乱を治めることができたという訳だ。
「……本来なら、自分もあの場所に向かうはずだったんだがな」
遥か遠く、ゲートの存在する方向を見据え、カンタビレはため息を漏らした。
「まあ、あいつらなら上手くやるか。……しかし、何だって有能な奴は皆、あの顎髭につくかね。おかげでこっちは人手が足らねぇにも程が過ぎる状況だ」
「そうですね。せめてアッシュ特務師団長が残ってくれたら少しは楽になったとも思いますが、彼もラジエイトゲートに向かってしまいましたからね……」
ライナーが応じた後で、はっとあからさまに失言したという表情になる。
おそらく結局動けなかったこちらを気づかってのことだろうが、カンタビレにとってそういう気遣いは、正直ケツが痒くなって仕方がなかった。
「まあ、ともかく……」
できることをやるだけだ。そう言葉を続けようとした───そのときだ。
カンタビレの腰に吊るされた奇怪な形状をした長剣が、山吹色の光を放つ。放たれる光は周囲を染め上げ、地面に一瞬にして巨大な譜陣が展開される。
「これは───まさか、六神将の襲撃──っ!?」
叫びながら、ライナーがとっさに身構え、自らの上司を背後に庇う。
しかし、緊張するライナーとは対照的に、カンタビレはどこか困惑したように瞳を揺らしながら、小さく首を振って否定を返す。
「いや、どうも違うみたいだな……この感じは……」
理解が追い付く前に、譜陣が完成する。闇色の光が視界を貫き、展開された譜陣が消える。同時に虚空から現れた五人の男女が、大地に投げ落とされた。倒れ伏す誰もがボロボロの状態で、意識を失っているのがわかる。
「…………い、いったい彼等は?」
動揺するライナーの言葉には応えず、カンタビレは現れた男女の顔を一人一人、確認して行く。いくつか見覚えのある顔が混じっているのを確認した後で、カンタビレは肝心の相手が抜け落ちている事実に気づく。
そして、この事実が指すものを理解する。
「……そうか」
視界の端で、慌てて駆けつけた部下が、気絶する彼等を目にして仰天するのがわかる。衛生兵を呼ぶ声が基地内に響き、戦場の残滓が未だ色濃く残る基地を慌ただしく染め上げていく。
全ての空気から外れた場所に独り立ち、カンタビレはどこか複雑な表情で、倒れ伏す彼等を見据えている。
答えを求めるように視線を寄越すライナーに、カンタビレは黙って空を見上げた。
つられて顔を上向かせたライナーが、自らの目にしたものに驚愕の呻きを漏らす。
「なっ!?」
遠くセフィロトから吹き上がる紫紺の塊が、一瞬にして空を染め上げた。
セフィロトから天に向けて駆け上る障気( の奔流は止まるところを知らず、プラネットストームの流れに乗って、かつてホドの在った地点に集結する。
動揺する副官とは対照的に、カンタビレは静かな瞳で、障気に覆われた空を見上げ続ける。
「……負けちまったのか、ルーク」
呟きはどこか祈りにも似て、ひどく苦渋に満ちた言葉になった。
『───……世界が続いていく為に、我等は安易な選択をしたのかもしれない。
いつかこの咎に気づき、動き出す者が現れることを願い、ここに全てを記す。
深淵の縁を覗き込みし役者は、定められた役柄を超えようと足掻くだろう。
あたかも密林の如く生い茂る因果の果てに、終わらぬ世界は一つの選択を告げるはず。
停滞か終焉か。
与えられる選択肢は二つ。
これに従うことを良しとせず、なおも世界の選択に抗うことを選ぶなら、導き出される答えは一つ。
汝、ただ一つ確かなものとして、家族(を求めよ。
真なる意味おける停滞世界の終焉は、その先にこそあるのだから────………』
───ローレライ教団禁書目録・秘匿史料第0項『深淵の書』より抜粋───