荒れ狂う音素の流れの収束点。すべての音素が地殻に帰る地───アブソーブゲート。
「私はここで、皆さんのご無事を祈っています」
セフィロトから吹き上げる音素に掻き乱される大気の中、神業的操舵技術をもって着地を成し遂げたノエルが、俺たちにそう告げた。
この先はゲート内部ということもあって魔物が配置されていたりする。無理についていったとしても、自分は足手まといになり兼ねない。そうした判断からの申し出だろう。
確かに、ノエルにはここでアルビオールと待機してて貰うのが一番いいだろうな。
「わかった。アルビオールは頼んだぜ、ノエル」
「はい! お任せ下さい」
早速機体の整備に乗り出す彼女に感謝しながら、俺たちも歩き出す。
数歩進んだところで、俺はある事実に気づく。
「──って、ちょっと待て!」
当然の如く、俺たちの後に続こうした小動物二匹に向けて、俺は盛大に待ったを掛けた。
「どうしたんですの、ご主人様?」
「……いや、どうしたもこうしたもねぇだろ」
まるでわかってないのな、こいつらは。何だか頭が痛むのを感じながら、俺は額を押さえた。
「ともかく、お前らは今回留守番な。……ノエル、こいつらのこと頼めるか?」
「はい。でも……宜しいのですか?」
頷いた後で、視線を俺の足元に移す。そこには憤慨する小動物が二匹。もの凄く憤慨してる。
「ご、ご主人様。僕達も一緒に行くですの!」
「ぐるぅぅぅっ!!」
「だぁ! 今回は駄目だ! 絶対ついてくんなよっ!」
待機してろと言われた二匹が抗議の声を上げるが、それを一喝して俺は強引に納得させる。
「すまねぇが、こいつらのこと頼んだぜ、ノエル」
「わかりました。さあ、こっちに来て」
「みゅうぅぅ……ご主人様、頑張って下さいですの」
「ぅるぅぅぅ…………」
心配そうにこちらを見上げる四対の瞳に、俺は苦笑が浮かべながら、安心しろと視線を返す。ついで二匹を抱き上げたノエルを見やり、一つ言い添えておくことにする。
「ノエルもヤバそうな空気になったら、離脱してくれて構わないからな」
「そうですね。そういうこともあるかもしれませんね」
ノエルは微笑を浮かべると、どこか曖昧な言葉を返した。
「どうか、御武運を……」
ノエルの祈るような言葉を背に受け、俺たちは彼女たちと別れるのだった。
こうして、俺たちはアブソーブゲートを進む。
最大セフィロトってこともあって、それなりに複雑な内部構造をしていたが、俺たちは特に迷うことも無く、一直線に突き進む。
最下層に近い部分まで行き着いたところで、突然、ジェイドが俺たちに向き直る。
「おそらく、この先にパッセージリングがあるはずです。簡単な今後の流れを、皆に説明しておきましょう」
心して聞いてください、と皆が話しに集中しているのを確かめ、ジェイドは続ける。
「アッシュも指摘していたことですが、ここからラジエイトゲートまで向かっている間に、おそらく、外郭大地は崩落する。そのため緊急的な措置ですが、二つのゲートへの命令を、アブソーブゲートで一括して済ませてしまいましょう」
「でも、どうやってラジエイトゲートを起動させずに外郭を降ろすのです?」
ナタリアの疑問に、ジェイドが答える。それによると何でもラジエイトゲートへの命令をアブソーブゲートに変更すると書き込むことで操作が可能になるらしい。
「出力の不足に関しては、アッシュが何やら考えがあるようなことを言っていたそうですしね」
「そうなのか、ルーク?」
「ああ。そんなようなことを言ってたぜ」
どこか頼りない俺の言葉に、本当に大丈夫かよと皆の視線が注がれる。
うっ、何か言葉を返したいところだが、アッシュの考えとやらを聞いてない俺には何も言葉を返せない。
「まあ、どちらにせよ、これがかなり強引な方法であることに変わりはありません。不確定な部分があるのも、ここは仕方ないと割り切るしかないでしょうねぇ」
ばっさり話題を打ち切ると、ついでジェイドは具体的な操作手順に関して言及を始める。
「その後は、アブソーブゲートのセフィロトに向けて、ルークの第七音素を照射して下さい。これが合図となって、降下が始まります」
よろしくお願いしますね、とジェイドは何とも余裕を感じさせる仕種で言ってのけた。
「……何つぅーか、ホント余裕だよな、ジェイドはよ」
「今更緊張しても仕方がないですからね。結局、何時も通りの事を、何時も通りにするだけですよ」
肩を竦めてみせながら、ジェイドはしごく気楽な言葉をもって、説明を締め括るのだった。
まあ……何時も通りの事をやるだけか。確かに、それもその通りか。
「無駄に気を張ってたら、上手く行くもんも行かなくなるもんな」
それぐらいの気構えで、むしろちょうどいいってことかね。
「そうですわね。この先に誰が待ち受けていようと、私たちは成すべき事をするだけですわ」
「だな。何時も通り、気楽に構えて行くとしますかね」
ナタリアが至言といった感じで頷き、それに応えるようにガイが笑みを浮かべる。
「うんうん。総長なんかに負けてられないもんね」
「ええ、そうね。私たちの世界を守るために……行きましょう」
腕を上げてえいやーと同意するアニスに、ティアが微笑ましげに顔をほころばせ、皆を促す。
「そうだな。いっちょ、あの石頭をぶん殴って、馬鹿げた考えを叩き潰してやろうぜ?」
乱暴に言い放つ俺に、皆が苦笑を浮かべるのがわかる。しかし、何時も通りってことなら、やっぱりこれぐらいのノリで行くのが俺たちには丁度いい。
こうして、俺たちは何とも緊張感とは無縁のまま、セフィロトに続く通路──ヴァンの待ち受けているであろう場所に向けて、その足を踏み出すのだった。
* * *
譜業のパイプオルガンが荘厳な音を奏でる。
天上に突き出した無数のパイプが連動して動き、奏でられる音は高らかに鳴り響く。
「………来たか」
弾き手は腕を止めると、僅かに顔を上げる。
「ベルケンド以来の顔合わせとなるな───レプリカ・ルークよ」
「ああ……本当に、久しぶりだな───ヴァン・グランツ」
言葉を交わす俺たち二人の間で、空気が急激な勢いで張り詰めていく。
このまま、飲まれてたまるか。
俺は自らの気勢を奮い立たせ、最初に口を開く。
「……プラネットストームを逆流させてまでして、俺達をここに来させた理由は何だ?」
「全ては世界の解放のためだ。聖なる焔の光の協力をもって、ローレライは消滅し、この世界は解放されるのだよ」
既定のことを語りかけるような相手の反応に、俺は沸き上がる苛立ちを押し殺して、相手を睨む。
「なら残念だったな。アッシュはここに来ないぜ。俺の超振動を使う能力は劣化してるんだろ? 俺たちをどう利用するつもりなのかは知らねぇが、現状では、どうやったところで、ローレライの消滅は果たされないってことだな」
挑発的に告げた言葉にも、相手はさして動揺も見せず、淡々と答える。
「ささいな問題だな。レプリカの能力が劣化すると言っても、今の衰えたローレライを消滅させるには、十分すぎる程の力が超振動にはある。……また、超振動のみが、お前たちの特性でも無い……」
最後に小さくつぶやいた後で、ヴァンは俺の顔を見据える。
「私はお前の来訪を歓迎しよう、レプリカ・ルークよ」
こちらを見据える相手の瞳に嘘は見えない。本気でアッシュではなく、俺が来たことを歓迎しているようだ。正直、訳がわからなかった。
不可解な相手の反応に不信感が募るを感じながら、俺は相手の狙いについて考える。
そもそもヴァンの狙いは預言から人類を解放することのはずだ。それとどう繋がるのかは未だによくわからないが、奴はそのためにローレライを消滅させるとこれまで訴えていた。今もまた、衰えたローレライを消滅させるには、俺でも可能だと言ってきた。
そうした言葉から考えるに、やはりローレライの消滅を狙ってるって言葉に嘘はないのだろう。
しかし、衰えたローレライ、か。そう言えばスピノザも言っていたな。世界中の第七音素の総量が減少しているとか……
───何者かが私の力を吸い上げているのだ───
不意に、地殻で交わしたローレライとの言葉が蘇る。
嫌な予感が、俺の胸を掻き乱す。
「ヴァン………あんた、触媒武器を使って、地殻に何をした?」
「答える前に、一つ尋ねようではないか。お前たちは触媒武器が地殻から抽出せし力を、いったい何と認識している?」
こちらの反応を試すような質問が返された。俺は自分でも、もはや信じてない答えを返す。
「………記憶粒子か?」
「ふっ……それは正確ではないな。確かに記憶粒子だが、同時に全くの別物といえる力だ。奏器をパッセージリングに干渉させる毎に、お前は聞いていたはずだ」
脳裏に過るのはアクゼリュス崩落の直前、パッセージリングに突き刺される響奏器。
「───奴の上げる悲鳴をな」
光を放ち音素が吸い上げられると同時に、俺の脳髄に響く絶叫。
「……じゃあ、あの声は……やっぱり……っ!」
予感が確信に変わる。顔を歪める俺を見据え、ヴァン・グランツは答える。
「そう。我等が地殻から抽出せしものとは、第七音素集合意識体──ローレライの意識そのものに他ならない」
『なっ!?』
あまりの宣言に、仲間が動揺の声を上げる。
「……ベルケンドにおける触媒武器の分析結果から、私もその可能性は考えていました」
ただ一人、ジェイドだけが苦い表情で、ヴァンを見据えていた。
触媒武器の分析結果。内に秘められたあまりに偏った性質を備えた、莫大な量に上る第七音素。そして、地殻で邂逅したローレライの存在。
そうした事実から、可能性としては考えていたとジェイドは告げる。
「ですが、何故です? どうして第七音素の集合意識体であるローレライを抽出することで、あれ程までに多様な属性の力を振るうことができたのです?」
ジェイドが投げかけた当然の疑問に、ヴァン・グランツは口端をつり上げる。
「第七音素とは一説には、プラネットストームによって巻き上げられた記憶粒子が、六層からなる音符帯を通過する過程で突然変異を起こしたものだと言われている。それ故に、確たる属性を持たない音素であると。
だが、それは同時に音応帯を通過する過程で、第一から第六までの音素と記憶粒子が結合した結果、生み出された音素とも言えるのではないか? そう──すべての属性に通じる音素であると」
「記憶粒子が各音素と結合……──っ!? そういうことか!」
「どういうことだ、ジェイド……?」
「ヴァン謡将の推測が事実なら、第七音素の集合意識体もまた、第一から第六までの各音素を含んでいる可能性が高いという事です。そして、それは事実だった」
視線も鋭く言葉を放つジェイドに、ヴァンは悠然と肯定を返す。
「その通りだ、バルフォア博士。第七音素は六属の音素を全て兼ね備えし音素。そして、それは集合意識体たるローレライを構成する音素にも言える事。
この事実を理解した我等は、一つの考えに思い至った。ローレライが七属の音素から構成されているならば、奴を構成する意識を属性ごとに分断することで、其の力を削ぐこともまた、可能ではないかと……」
「意識を分断する……」
「そうだ。だが、意識の断片とは言えども、一つの属性を統括する意識体を吸い上げ、保持し続けるためには、莫大な量の音素を蓄積し得る器が必要だった。そして度重なる実験の末、我等はそれが可能な触媒を見出したのだ」
創生歴時代に開発された、惑星の力を解放すると言われし、六本の触媒武器。
「ローレライの意識分体を吸い上げた結果として、触媒武器は各属性の音素を無尽蔵に使役することが可能となったが……それは取るに足らぬ要素に過ぎない」
ラルゴの炎槍。リグレットの氷銃。シンクの風刃。ディストの闇杖。あの出鱈目な威力の武器も、全ては副次的な産物だと目の前の男は語る。
「全ては奴に消滅を導く為の布石。自らの意識を分断された結果、奴の力は急激な衰えを見せている。もはや奴の存在は、自らの主属性たる記憶粒子から構成される意識によって、辛うじて保たれているに過ぎない。後はここに残る意識体を引き上げ、超振動をもって消滅させることで、世界は新たな地平を歩み出す」
熱の籠った言葉を続けるヴァンに、ティアが声を飛ばす。
「どうして……!? どうしてそこまでローレライの消滅に拘るの、兄さん!? そんなことの為に兄さんはパッセージリングを壊して回ったの? セントビナーやエンゲーブを崩落させたと言うのっ!?」
「ベルケンドで既に応えたはずだ、メシュティアリカ。大地が幾ら崩落しようが、世界は何も変わらないと。パッセージリングの寿命はいずれ尽きた。私の干渉は、その限界を多少早めたに過ぎない。外郭大地はいずれにせよ、崩落したのだよ」
ナタリアがヴァンの言葉に、顔をしかめる。
「……それを気づかせたあなたに、感謝しろとでも言うつもりですの?」
「ふっ……さすがに、そこまで言うつもりはない。ただ、この世界の無意味さを訴えているだけに過ぎない」
───ホドが消滅した。しかし見ろ、世界は何も変わらない。
かつてベルケンドで聞いたヴァンの叫びが、脳裏に蘇る。
暗い感情を瞳に宿らせ語るヴァンに、ガイが少しの躊躇いを挟んだ後で、問いかけを放つ。
「……復讐なのか、ヴァン?」
「復讐……か」
意外な言葉を聞いたとでも言うかのように、ヴァンは目を細めた。
「ただ復讐に狂うことができれば、まだ私は救われただろうな。この世界には、憎しみすら呑み込むほどの絶望が存在している……お前も世界の真実の姿を知れば、私と同じ行動を取っただろう……」
ぶつぶつと、まるで自身に言い聞かせるかのように、ヴァンは言葉をつぶやく。しばらく呟いた後で
「いや……もとより理解など求めいない。私が求めるのは世界の解放。それ以外の言葉は不要か」
ヴァンは首を左右に振って、俺たちに向き直る。
「もう一度、お前に問いかけよう。複製体である事実など、私にはどうでも良いことだ。新たな世界の創生に、私はお前を必要としている」
伸ばされた手が、俺に突き伸ばされる。
「私に協力しろ──聖なる焔の光( よ」
呼び声は強烈なカリスマをもって、俺を引き寄せようと耳に届く。
だが、俺の返す答えは決まっていた。
「絶対に、御免だな」
一片の迷いも、刹那の躊躇も無しに、俺は自らの答えを告げる。
「世界の解放なんざに興味はねぇよ。預言が気に入らないって言うなら、ちまちま影で動いてねぇで、面に立ってそう訴えやがれ。あんたが何に絶望してるか知らねぇが、俺から言えることは一つだけだ」
引き抜いた剣の切っ先を突き付け、俺は目の前に立つ、自らの師を見据える。
「甘ったれてんじゃねぇ───バカ師匠がっ!!」
叩きつけた啖呵に、空気がビリビリと震え上がる。ひたすら真っ直ぐに、何一つ誤魔化すことなく、俺は自らの答えを告げた。
ヴァンはそんな俺の言葉に怒りを覚えるでもなく、面白いものを見たと言うかのように静かに目を細め、口元をほころばせている。
「ふふっ……本当に、お前らしい答えだな」
かつて共に屋敷で過ごしていた時のように、ヴァンは笑った。
だが其の笑みも直ぐに消え去り、ヴァンは壇上からこちらを見下ろしながら、剣を引き抜く。
「ならば私はお前の戦意を叩き潰し、その器を利用させて貰うまでだ」
右手に握る剣を眼前に捧げ持ち、左手が腰に吊るした杖を一撫でする。
「アクゼリュスの崩落から、いったいどれほど腕を上げたのか見てやろう」
ヴァンの周囲に生み出された燐光を虚空を舞い踊る。
「お前が自身を正しいと思うならば、この私を超えることで証明してみせよ、ルーク!」
杖から溢れ出た聖光がヴァンの全身を包み──
───此処に、決戦の幕が上がる。
* * *
渾身の力を込めて、俺は剣を一息に降り降ろす。一瞬にして間合いを詰めた俺の動作に、相手は僅かに片眉上げると、流れるような動作で刀身を掲げ上げる。
剣戟がぶつかり合う毎に、互いの刀身に込められた音素が衝撃と閃光をまき散らす。擦り合わされた金属がギリギリと耳障りな音を上げ、せめぎ合う音素が火花を散らす。
俺とヴァンの視線が交錯する。
「ふっ……かなり実力を上げてたようだな。見違えたぞ?」
「へっ……そいつは──ありがとよっ!」
強引に刀身を翻し、俺は下方から剣先をはね上げる。相手は冷静に俺の攻撃を受け流す。更に数合打ち合った後で、俺たちは互いの剣先を叩き合わせ、一旦間合いを離す。
相手は息を荒らげた様子も見せず、無理な追撃に移ろうともしない。まだまだ余裕ってところか?
再び切り込みを駆けようとしたところで、ジェイドが何やらナタリアに指示を与えている事に気づく。
だが何をいってるのか聞き取るよりも前に会話は終わり、ジェイドが何やら複雑な詠唱を紡ぎ始める。
「……天光満つる処……我は在り……」
それに意識を取られた俺の脇を、一陣の風が駆け抜けた。
前に飛び出したガイとアニスが、俺と入れ代わる形でヴァンに向かう。先を行くガイが裂声を上げ斬撃を放つ。疾風の如き連撃を受け流すヴァンの脇から、アニスの譜業人形が絶妙なタイミングで追い打ちを放つ。
「連携も中々によく練られているようだ」
相手は冷静に一連の攻撃に対処しながら、戦闘中だというのに、こちらを評するような言葉をわざわざ口にしてみせる。未だ腰に吊るす第六奏器を本格的に使う様子も見せない。
「ガイ、アニス!」
短く名前を叫ぶナタリアに、意図を読み取ったガイとアニスが、ヴァンから間合いを離す。
「砕けましてよ───」
上空に飛び立ち矢を番えたナタリアが、ヴァンの立つ地面を狙い打つ。引き絞られた弦を伝い限界まで収束されし音素が解放される。
《───ストローク・クエイカー!》
着弾した矢が衝撃を周囲にまき散らし、揺れる地面に足を取られたヴァンが僅かに体勢を崩す。絶好の隙を見せた相手に、しかし俺たちは動かない。
いや、動く必要すらなかった。
「黄泉の門開く処に汝在り……──」
永遠と紡がれ続けていたジェイドの詠唱が──ここに完成する。
「出でよ、神の雷っ!」
かっと見開かれた紅眼が天上を居抜き、巨大な譜陣が頭上に展開された。構築された陣は三次元的な広がりを見せ行き、空が無いはずのセフィロトの天が割れ、雷雲が沸き起こる。編み出された光の粒子が譜陣の中央に収束し、帯電した空気が音を鳴らす。
《これで終わりです───》
回転する塔の如き譜陣が動きを止め、中心に束ねられし圧倒的なまでの力を解き放つ。
《───インディグネイション!!》
視界を貫く閃光に、世界が白に染まる。轟く豪雷に、鼓膜が破れんばかりの衝撃が走る。神の逆鱗は此処に下され、其の鉄槌をヴァンに振り降ろした。
周囲にまき散らされる放電の余波だけで、全身が衝撃に打ち震える。
あまりに強大な譜術の終焉に、耳鳴りが続く。
「……素晴らしい威力だ」
その声は、立ち込める粉塵の向こうから響いた。
「さすがはネクロマンサーと言った所か」
粉塵が、揺れ動く大気の流れに取り払われる。
「だが、相手が悪かったな」
目の前に、全くの無傷で佇むヴァン・グランツの姿があった。手にした剣は天に向け突き出され、踏みしめた両足で悠然と大地に立つ。ヴァンの周囲は雷撃に蹂躙され尽くしたのか、炭化を通りすぎて塵となり、カサカサと掠れた音を立てる。
放電の名残に震える大気の中、全身から燐光を立ち上らせたヴァン・グランツは厳かに告げる。
「第六奏器が司る力は六属の至高たる光。本質的には風に分類される雷撃であろうとも、光を放つ事に変わりは無い」
絶句する俺たちを前に、ヴァンはゆっくりと腰を落とし、切っ先をこちらに向ける。
白い。白い光が切っ先に灯る。
朧げな光点が幻想的な光を放つ中、ヴァンは俺に視線を向ける。
「耐えてみせよ……」
ゾクリと背中を直接撫で上げられたかのような怖気が走る。俺が反応するよりも前に、腰だめに構えた剣先が突き出される。
「───光龍槍」
切っ先に宿る光点が一瞬にして膨れ上がり、膨大な光の奔流が俺に押し寄せた。
「──ァッ──ァ───ッ──!?」
絶叫を噛み締め、俺は光の槍に貫かれた。視界の端で、ガイとアニスが攻撃を中断させようと、ヴァンとの間合いを詰める。技を放つヴァンは動けない。
だが───
「きゃっ!?」
相手は生み出した光槍を、そのまま真横に薙ぎ払うことで対処した。
右手から接近していたアニスが光槍に弾かれ、短く悲鳴を残す。
「くっ……刃よ、乱れ飛べ!」
ヴァンの間近にまで踏み込んだガイが、鞘から刀身を抜き放つ。
吹き荒れる風が刀身に収束し、旋風が巻き起こる。
《龍爪──》
神速の居合に真空の刃が付加され、大気を切り裂く。
ヴァンが、僅かに立ち位置をずらす。
《──旋空破ッ!》
振り抜かれた刀身の前方で旋風は荒れ狂い、切り裂かれた大地に深い切り込み刻む。
だが、そこにヴァンの姿はない。
数歩の踏み込み。たったそれだけの動作で、ヴァンはガイの攻撃をかわして見せた。
無防備な姿を見せるガイに、ヴァンは剣を向ける。
「くっ……っ!?」
振り降ろされるヴァンの剣が、辛うじて構えたガイの刀身と激突する。火花を散らす衝撃は一瞬で過ぎ去る。跳ね上がったヴァンの剣先は翻り、下方から流れるような斬撃が放たれた。
「───がっ!?」
虚空に投げ出されたガイの全身を、斬撃とともに押し寄せる圧倒的な量の光が貫く。
「喰らうがいい──」
虚空に投げ出されたガイを冷徹な視線で射抜きながら、ヴァンは深く腰を落とす。
《襲爪──》
全身のバネを用いた渾身の切り上げがガイを切り裂く。斬撃を振り上げた反動で、大きく飛び上がったヴァンはそのまま剣を頭上に持ち上げ、雷光まといし白刃を振り降ろす。
《───雷斬》
閃光が、悲鳴すら飲み込んで、ガイの全身を貫いた。
声も漏らさず崩れ落ちるガイを冷然と見下ろし、ヴァンが剣を振り上げる。
だが、不意に剣の軌道を変え、斜め前方を切り払う。
二つに切り裂かれた矢が、地面に落ちた。
「小賢しい真似をするな……キムラスカの姫よ」
「お黙りなさい!」
そのまま次々と打ち込まれる牽制の矢を、ヴァンは無造作に振った剣でたやすく斬り払いながら、ガイから間合いを離す。
「女神の慈悲たる癒しの旋律───」
奏でられていたティアの譜歌が完成し、床に突き付けられた杖を中心に、譜陣が展開される。
「リザレクション!」
広範囲に展開された譜陣から治癒の光が放たれ、倒れ伏す俺たちの全身を包み込む。回復した身体を起き上がらせる俺の耳に、ジェイドの詠唱が届く。
「煮え湯を飲むがいい───レイジングミスト!」
膨れ上がる蒸気が大気を掻き乱し、爆発が世界を貫いた。
「皆さん、一度引いて下さい!」
ジェイドの指示にしたがって、俺たちは立ち込める蒸気に紛れ、ヴァンとの間合いを離す。
陣形を建て直す俺たちに向けて、蒸気の向こうからヴァンの声が届く。
「第四譜歌の力か……どうやら、大半の象徴を理解したようだな」
ヴァン・グランツは冷静に剣を振って、僅かに思案するような間を開けた後でつぶやく。
「第二譜歌の障壁もあることを考えれば、小手先の技では意味がない。それにネクロマンサーがそちら側についていることも考えれば、遊びを挟み込む余地があるのもここまで……か。
そろそろ───全力で行かせて貰おう」
ゾクリと、全身を怖気が襲う。
膨大な量の音素が収束し、空間が光の中に歪む。中心に立つヴァン・グランツが剣先を僅かに下げる。音素が収束するのを見て取り、ティアが譜歌を唱え始める。
──クロァ──リョ──ズェ──トゥエ──
ヴァンの腰に吊るした杖から膨大な量の音素が引きずり出され、手にした剣に収束して行く。
──リョ──レィ──ネゥ──リョ──ズェ──!
先んじてティアの詠唱が完成する。譜歌による障壁が俺たちを包む。
だが展開される障壁など意に介した様子も見せず、ヴァンは剣を地面に突き刺す。
「目障りだ……」
地面に突き刺された切っ先を中心に、巨大な譜陣が一瞬にして展開される。戦場全てを覆い尽くす、おそろしく精密な譜陣の中心に立ち、ヴァンは小さく終わりを告げた。
《消えよ───ホーリーランス》
鮮烈な白の輝きが視界を埋めつくす。床に広がる譜陣から生み出されたおびただしい数の光槍が世界を貫いた。
そして、それは障壁の内側も例外ではない。
『───っ!?』
障壁の下から生み出された光の槍は、密閉された空間に逃げ場をなくした俺たちをたやすく蹂躙する。放たれる光の槍が身体を貫く毎に、肉体のみでなく、より根源的な何かが削り取られるような感覚が俺たちを襲う。
荒れ狂う光槍の乱舞の前に、ついに障壁が内側から自壊する。
「第二譜歌の過信が過ぎたな」
倒れ伏す俺たちを見据え、ヴァンは無感動につぶやく。
「……お前はこの程度なのか、ルーク?」
ヴァンが俺の名前を呼ぶ。だが、身体は動かない。
光槍に貫かれた身体は激痛に打ち震え、霧に包まれるように意識が薄れ行く
反応を見せない俺を見下ろし、ヴァンが失望の声を漏らす。
「私の見込み違いだったか……ならば、せめてもの手向けか。我が手で冥府に送ってやろう。
まずはメシュティアリカ、お前から………」
───目を開く。
今、俺は何を考えた?
このまま無様に倒れ伏しているようなことが、俺のやることだっていうのか?
くそったれっ! それは絶対に違うだろうがっ!!
自らの根性の無さを一喝。俺は歯を食いしばり、顔を引き上げる。
このまま何もせずに終われるはずがなかった。
地面を掻きむしるように爪を立て、手元に落ちた剣を引き寄せ、この手に握る。
辛うじて握られた剣の切っ先を地面に突き刺し、強引に身体を引き擦り上げる。
全身が引きつけを起こしたように痛みを訴えるが、今はまるで気にならない。
「待てよ…………勝手に、終わらせるんじゃ、ねぇよ……」
構えた先に立つ相手を見据え、俺は辛うじて絞り出した声で呼び止める。
立ち上がった俺を振り返り、ヴァンがどこか満足げな笑みを浮かべた。
「ふっ……確かに立ち上がりはしたようだな。だが、その状態で私と戦り合うつもりか?」
「………この程度、さしてハンデにもなりゃしねぇさ」
この後に及んで減らず口を返す俺を愉快そうに見据えながら、ヴァンは首を横に降る。
「いいや、全ての抵抗は無意味だ。お前がこの地に足を踏み入れた時点で、全ては決していたのだよ」
ヴァンはうっすらと笑みを浮かべ、告げる。
「もはや無意味となった、アクゼリュスの崩落を引き起こせし其の器。今度こそ、有効に使わせて貰うとしよう」
そう言って、奴は笑ってみせた。
アクゼリュスの崩落を、嘲りの笑みをもって、語りやがった。
「ヴァン・グランツ────っ!!」
咆哮を上げ、斬撃を放つ。
軽々と身を引いた相手に一撃をかわされはしたが、俺はそのまま相手に間合いを離すことを許さない。地面を穿った剣先を直ぐさま翻し、怒濤の勢いで連撃を叩き込む。
「ふっ……そうだ、憎悪を燃え上がらせろ。その感情こそが、唯一信ずるべきもの……」
俺の猛攻をしのぎながら、ヴァンが何やら戯言をほざくが、今の俺に挑発の言葉は聞こえない。熱く煮えたぎる激情の波に突き動かされながらも、一方で思考はどこまでも冷徹に状況を見据え、俺は目の前の相手をただ───殺す術を手繰り寄せる。
「ぶっ潰れちまいなっ!」
フォンスロットを全力で解放する。取り込んだ音素を限界を踏み越え刀身に収束する。
集束された音素を踏み込んだ間合いの内に佇む相手に向けて───解き放つ。
《───烈震っ!》
突き出された刺突の切っ先が、振動に打ち震えながら相手を捉える。
《────天象っ!!》
ゼロ距離から解き放たれた一撃はものの見事にヴァン・グランツに叩き込まれた。放たれた衝撃の余波は俺の全身をも襲い、身体が軋みを上げるが、この程度は気にならねぇな。
僅かに身体をよろめかせる相手に向けて、俺は獲物を引き寄せる反動を利用し、右手に音素を収束させる。
「そしてぇっ──砕け散れぇっ!」
列声と共に、掌低を叩き込む。
《───絶破っ!》
掌から広がる凍気は一瞬にして巨大な氷塊に成長する。
《────烈氷撃っ!!》
砕け散った氷塊のカケラが掌低に押し出されるようにして相手の脇腹を穿ち、吹き飛ばした。
身を切るような凍気が漂う中、俺は息を荒らげながら構えを取る。吹き飛んだ相手を見据え、俺は油断無く剣を引き寄せる。
まだだ。
俺の中で本能が告げている。激しく警鐘が打ち鳴らされる。
ここまでやっても、まだ、この相手には───
「───さすがだな」
そして、其の声は届く。
「ここまでアルバート流を使いこなすとは、私も思っていなかったぞ?
だが、悲しいかな。絶対的に───地力が足らん」
全くの無傷で、ヴァン・グランツは其処に立つ。
「くっ……」
俺は苦い思いと共に、呻き声を漏らす。
全身を微かに包む聖光が障壁となって、俺の攻撃は届かなかった。
相手が、こちらの一撃のことごとくを躱わしていたため、思わず忘れそうになったが、これまで対峙した六神将がそうであったように、この敵は奏器を行使する者だ。
今の俺では、届かない。
頭の何処かで、乾いた声が端的に事実を告げた。
「…………」
打開策を探すとは名ばかりの思考は空転し、頭の中を無数の問い掛けが駆け巡る。
このまま座して終わるつもりか? このまま何一つ返すことなく膝をつくのか?
このまま気絶した仲間が───なぶり殺しにされる様を見据えるつもりなのか?
「そんなことっ………認め、られるかっ……!」
絶対的な力量の違いを目にしながら、俺は構えを取る。尚も敵対の意志を示す。
一時の激情が去ったことで全身に痛みが戻るが、もはや関係ない。無意味な抵抗と言われようが、絶対に諦めるつもりはなかった。
今の俺では届かない? ああ、確かにそれは認めよう。だが、それがどうしたと答えてやるよ。そんなものは諦める理由になりはしない。届かないと言うなら、届かせるまでだ。
そのために、必要なら俺は───
───鼓動が、耳に届く。
腰に吊るされた杖が、ほの暗い燐光を放っていた。
まるで早く手に取れと急かしたてるかのように、杖から放たれる鼓動の感覚は早まって行く。
「………第一奏器か」
音素の高まりを感じ取ってか、ヴァン・グランツが闇杖に視線を転じる。
「確かにそれを用いれば、私に抗することも可能となろう。無論、調律を受けぬ身で制御が可能か、意識を飲まれぬまま行使することが可能か……様々な問題が存在するが、全ては些細なことだ」
ヴァンは俺の顔を見据え、一つの問い掛けを放つ。
「───お前に、覚悟はあるのか( ?」
「…………」
障気による汚染。
奏器を手に取るならば、文字通り命を削る覚悟が必要だった。
「………俺に覚悟があるとは、言わねぇよ。俺はきっと……後悔するだろうからな」
この選択を悔やむ日が来る事は、既に確定している。
脳裏に蘇るのは、障気に汚染され、苦悶の声を上げるアクゼリュスの人々。身動きを取る事すら満足にままならぬまま、ただ床に伏せ、障気が全身に浸透していく中、命尽きる時を待つ。
………そんな事、絶対に御免のはずだったんだけどな。
僅かに目を閉じた後で、俺は静かに吐息を漏らす。
「だがそれでも、絶対に退けないようなときがあるとしたら、それは───」
目を開き、一瞬の躊躇いも無く、腰に吊るした杖を抜き放つ。
「───今が(、 そのとき( だ」
闇が、世界を犯す。
歓喜に打ち震える闇杖から、溢れ出す闇が俺の全身を包む。流れ込む怨嗟の声が、俺の理性を溶かし、崩し、消し去ろうする。
だが、俺は意に介さない。誰が耳を貸してやるものか。
俺は杖を睨み付け、ただ一言を告げる。
「黙れ」
放たれた身も蓋もない命令に、杖から溢れ出る闇が、ピタリと、その動きを止めた。
ほうとヴァンが感嘆の声を上げる。
「……俺は、二度と自分を見失わねぇ。絶対に我を忘れるような真似はしねぇ。だから、お前は少し、黙ってろ」
戸惑うように闇を揺らす闇杖を目の前に掴み上げ、その中に存在するだろう意識に叫ぶ。
「それに少しは情けねぇとは思わねぇのか? 本体から切り離されたとは言っても、お前も元は第七音素の意識体だろうが。自分を無理やり切り離した奴らに良いように使われるままで、お前は本当に満足かよっ!?」
どこか迷うように、闇杖が鼓動を繰り返す。けっ、優柔不断なやつめ。忌ま忌ましさに舌打ちを漏らした後で、俺は更に言葉を続ける。
「……なら、約束してやるよ。全てが終わったら、お前を本体に戻す。そう約束してやるよ。だから、お前も俺の邪魔をするなっ!」
掴み上げた杖を睨み付け、俺は叫ぶ。
「俺に力を貸しやがれっ、ケイオスハートッ!!」
刻まれる鼓動の音色が───此処に決定的な変化を遂げる。
どこまでも力強い鼓動が打ち鳴らされ、杖から鳴り響く音色は高らかに奏でられて行く。
圧倒的なまでの量の音素が引き出され、俺の全身を包むが、もう意識が掻き乱されるような事は無い。澄みきった意識の中で、俺はヴァンに視線を送る。
「───見事だ。此処にお前は、ようやく私と同じ舞台に立ったという訳か」
闇杖の先端に収束する音素が刃を形成し、闇の衣が俺の全身を包む。だが、それでも杖から引き出される音素は止まらない。絶えることなく闇はその濃度を高め続ける。
「どうせ、これが最後の機会になるんだ。最後ぐらいは、派手に付き合って貰うぜ、ヴァン」
「ふっ……よかろう。私も全力でお前を迎え撃つとしよう、ルーク」
剣を鞘に納めると、ヴァンは腰に吊るした杖を初めて其の手に握った。高まり行く闇杖の放つ闇に呼応するかのように、ヴァンの握る光杖から放たれる光もまたその力を増していく。
踏み出した互いの足が、同時に地面を蹴る。
光と闇、対立する音素の担い手が───ここに激突する。
「───────ッォッ!!」
「───────ッォッ!!」
振り上げた闇の刃が絶望の声を上げながら世界を喰らう。
迎え撃つ光の刀身が威光をもって世界を塗り潰す。
剣戟が交される度、膨大な力が放たれる。
荒れ狂う力の余波で、空間が軋みを上げる。
しかし、人智を超えた超常のぶつかり合いの果てにも──勝者は一人。
交錯した影が、二つに別れた。
袈裟掛けに切り裂かれた身体から、鮮血が吹き上がり──俺はその場に膝をつく。
「……成長したな」
光をまとう杖を地面に突き立て、ヴァンがどこか優しい声音で告げる。
「やはり、この力……お前こそが、前史に記されし、ローレライの力を継ぐ者……」
言葉を続けるヴァンの全身から、仄かな光が、絶えること無く立ち上る。
光は───音素の乖離する光だった。
ヴァンは俺を見据え、言葉を続ける。
「だが、所詮この流れすらも……預言の内にある……それ故に、私は……」
手にした杖をその場に突き刺し、倒れそうな身体を支え、ヴァンは顔を上げる。
「ふははははははっ!!」
最後に哄笑を上げると──ヴァン・グランツの身体は、音素の光( となって、虚空に消えた。
地面に突き刺された光杖が、鼓動の名残を残し、仄かな光を放つ。
だが、その光も直ぐに失われた。
俺は刀身を地面に突き立て、今にも崩れ落ちそうな身体を支える。
「……バカ師匠がっ……」
最後の最後まで、相手の考えがわからなかった事実に、俺は歯を噛み締め、苦い呻きを漏らした。
* * *
「本当に大丈夫なの……ルーク?」
「ああ……何とか、な」
込み上げる吐き気を堪えながら、俺はやせ我慢の限りを尽くした言葉を返す。
戦闘が終了した後、気絶している皆を俺はぶっ倒れそうになりながら、起こして回った。
直ぐに気づいたティアとナアリアが、二人係で慌てて俺の治癒を施してくれたため、ヴァンと切り合って出来た傷などは何とか癒えている。
だが、闇杖を使ったことによる吐き気が凄まじい。もうとんでもないです。
あの宣言のおかげで、杖の制御自体はできていたようだったが、障気による汚染を停めるのは無理だったようだ。使えばこうなることはわかっていたはずなんだが、それでもやっぱ辛いもんがある。
「ルークには大変申し訳ないのですが、今は時間が無い。パッセージリングの操作をしてしまいましょう」
「うっ……そうだな……わかったぜ」
うぷっ、と込み上げる吐き気を押さえ、俺はパッセージリングに向き直る。いつものように起動したセフィロトに向けて音素を照射し、指示を書き込む。
だが、俺の力が足りないのか、降下は一向に始まろうとしない。
額から汗が滴り落ちる。俺の放つ力が限界を向かえようとしたそのとき。闇杖が鼓動を刻むと同時、脳裏に一つの映像が浮かび上がる。そこには俺と同じようにパッセージリングに向けて、音素を照射する男の姿があった。
「アッシュ……?」
カチリと、何かが噛み合ったような音が響き、力が限界を超えて放たれる。ついでラジエイトゲートで第七音素を照射するアッシュの像が消え去り──激しい振動がセフィロトを襲う。
げげっ……勘弁してくれ……
突然の振動に、左右に揺れ動く身体を、俺は手にした杖で必死に支える。
うえぇっ……マジで、吐きそう……は、早く降下しきってくれ。
振動はしばらくの間続き、ようやく収まった。俺が吐き気に顔を蒼くしている横で、パッセージリングの表示を確認していたジェイドが顔を上げる。
「どうやら無事、降下は成功したようです。想定通り、障気もディバイディングラインに吸着し、地殻に押し戻されました」
ジェイドの保証を皮切りに、皆が一斉に口を開く。
「はぁーやっと終わった! 早くイオン様に御報告しないとね~」
「そうですわね。これで全て終わりましたのね」
「まだ降下した大地が、これからどうなるかまでは、わかりませんけどねぇ」
口々と言葉を交わす三人とは対照的に、ガイとティアはどこか複雑な表情を浮かべていた。
「……ルークの身体が心配だわ。ベルケンドに向かって、一度医療施設で診て貰いましょう」
「ああ。それが一番だろうな。ったく、こいつは一人で無理しやがって……」
二人の言葉に、俺も返す言葉が無い。
確かに、こうも顔色が変わってちゃ、心配するなって方が無理な話か。
実際、少し動いただけでリバースしそうだ。しかし、このまま突っ立っていても仕方がない。
気分を切り換えるべく、俺は大きく深呼吸をした後で、皆に向き直る。
「そうだな。ともかく、帰ろうぜ」
言葉を紡ぐ俺の視界の端、地面に突き刺された杖が、消え失せる。
「俺たちの………」
───脇腹を貫く衝撃が、俺の言葉を止めた。
一滴、一滴と、鮮血が滴り落ちる。
滴り落ちる鮮血に混じって、脇腹からは、白刃がその切っ先を除かせていた。
全身から燐光を立ち上らせ、無造作に剣を突き出す男───ヴァン・グランツの姿が、其処には在った。
世界の終焉が、此処に導かれる──────
* * *
血に濡れた長剣を片手に、詠師服の男は口を開く。
「………前史において、栄光を掴む者はこの地で、ローレライの使者に敗れたという」
苦痛に喘ぐ赤毛を見据えながら、詠師服の男は淡々と続ける。
「観測されし事象の流れを覆すためには、既存の流れを沿いながらも、僅かな違いを生み出してやる必要があった。故に、私は決戦の地として、ここ──アブソーブゲートを指定した」
言葉が終わると同時、刃が引き抜かれた。
脇腹から血潮を吹き上げながら、赤毛の男は血の海に沈む。
流れ出た鮮血が地面に広がり、詠師服の男の足を濡らす。
「そして、お前は見事に私を敗り、世界を救ってみせた。私は認めよう。ルーク、お前こそが現世における観測者となりうる者。そう───」
血に濡れた長剣を片手に、詠師服の男は笑う。
「───ローレライの使者だ」
僅かに離れた位置に、呆然と立ち尽くす男女が五人。燕尾服の刀は腰に繋がれたまま動かず、弓矢を番えるべき王女の手は動揺に震える。人形を抱く教団の少女は目を見開き、長髪の軍人はただ唇を噛む。
そして、彼女は手を伸ばす。倒れ伏す彼の名を呼びかけようと、口を開く。
「だが、此処に前史の流れは覆され、停滞世界は終焉を迎える……」
宣告は無慈悲に、響き渡る。
「滅びよ──」
詠師服の男が、杖を掲げ上げた。
《───ジャッジメント!!》
光の柱が天から降り注ぐ。
呼びかけは届かなかった。
誰もが地に伏せ、苦悶の声を上げる。
このとき確かに、すべては終わっていた。
例外は、一つだけ。
「───ルーク………!」
小さく、けれど確かに、彼女は彼の名前を呼んだ。
赤毛の男の指が、微かに動きを見せた。