谷間を吹き抜ける風に草原がさざめく。
日の光に照らされた渓谷は、かつて訪れた夜の景観とまったく異なる顔を見せていた。
「……ここで、全てが始まったんだよな」
谷の向こうに広がる海が蒼く澄んだ色を見せる。寄せては返す波が、蒼に白い線を走らせる。
「そう言えば、あのとき不審な第七音素による超振動が検出されたのは、この辺りでしたか」
「確か、僕たちが親書が届くのを待っていた頃の事ですね」
「あのときはイオン様を見失って大変でしたわ~」
三人の言葉につられるようにして、ミュウがぴょんぴょん草原を跳ね回る。
「ボクの故郷もこの近くですの~」
「なるほどな。ここらがルークの飛ばされた先だったってことか」
「まあ。話しには聞いていましたけど、かなり遠くまで飛ばされましたのね」
皆が思い思いの言葉を交わす中で、俺は少し離れた位置に一人立つ。
渓谷を見やりながら、何ともせわしなく過ぎ去ったここ数カ月に思いを馳せていると、脇に立ったティアが声を掛けてくる。
「……懐かしい?」
「ん……どっちかって言うと、感慨深い、の方が近いかね」
セレニアの花が風に揺らぐ。
俺は渓谷から空に視線を転じ、ぼそぼそと口元で言葉を作る。
「あのときはバチカルに戻れば、全て終わりだと思ってたからな。それが、全く違う状況の中で、こうしてまた俺はここに立ってる訳だ……そう思うと、どうしても考えさせられるものがあってな」
「私の事情に巻き込んでしまった形だった……あのときは、本当に申し訳ないと思ったわ」
未だ申し訳なさそうに告げるティアに向けて、俺はからかうように笑いかける。
「あのときのティアはどうにも義務感でガチガチに固まってたからな。正直、あんまりにも堅物過ぎて、苦手意識とか抱いてたんだぜ?」
「そうなの? でも、思い出してみれば、私があなたに最初抱いた印象も、あまり良いとは言えないものだったわね」
「ん、そうなのか?」
「だって、あなたの言動は貴族とは思えない程、乱暴だったから」
「うっ……そりゃ、そうかもな」
ティアの思わぬ返しに、さすがの俺も一瞬言葉につまる。
「まあ……お互いさまだったってところかね」
「ええ、それもそうね」
互いが抱いた相手に対するあんまり良いとは言えない第一印象に、俺たちは顔を見合わせ、クスクスと笑い合うのだった。
「しかし、随分と昔の事みたいに感じるよな……」
俺は再び空に視線を戻して、これまでの旅路に思いを馳せる。
過ぎ去った日々。
これから迎えようとする日々。
当時は、変わらない明日が訪れるのが、当然だって考えていた。
「結局……俺は、変われたのかな?」
思わず漏れ出た問い掛けに、彼女は即答することを避ける。
「他人の評価が意味するものが、全てではないわ」
一旦言葉を切った後で、ティアが少し視線を外す。
「けれど、あなたの覚悟は本気だった。……少なくとも、私はそう思うわ」
どこか素っ気なく放たれた言葉だったが、そこに込められた思いは彼女の正直な感想だろう。俺は自然と苦笑が浮かぶのを感じながら、口を開く。
「まだまだ、だけどな」
「そうね……まだまだ、だけどね」
渓谷を吹きすさぶ風に身をゆだね、瞼を閉じる。
しばらくそうして何をするでもなく佇んでいると、渓谷の探索に出かけていた、ガイの言葉が届く。
「おーい、向こうに流れる小川の方に、セフィロトがあるって話だ」
ガイの呼び声に従い、思い思いに周囲を探索していた皆が動き始める。
「……行きましょう」
「ああ、そうだな」
最後にもう一度だけこの景色を目に焼き付け、俺たちはすべての始まりの地に、背を向けた。
* * *
タタル渓谷のセフィロトには、妙な仕掛けが至る所に仕掛けられていた。これは進むのに苦労するかと、ある程度気を引き締めて望んだ俺たちだったが、直ぐに肩すかしを食らうことになる。
セフィロト内部に施された仕掛けは、そのほとんどが、既に解除されていた。
俺たちはさして先へと進むのに苦労することなく、あっさりとパッセージリングに続く部屋の前まで辿り着く。
「……仕掛けが解除されてるってことは、また六神将の連中か?」
「またぁ? はっきり言って、六神将の持ってる武器、反則だよねぇ」
「そうですわね。今のところ向こう側が退いたのを除いて、負け続きですし……」
戦闘の予感に、俺たちの間で否応なしに緊張感が高まる。
実際問題、俺たちは負け続きだ。
こうして生き残っているのも、悔しい話だが、相手が偶然引いてくれた結果に過ぎない。
地殻での戦闘は少し毛色が違ってくるが、完全に制御もできないような力に安易に頼ろうなんて気にもなれない。それに使う度毎に、身体が障気に蝕まれるだなんて最悪のオマケまで付いてやがるしな。
まあ、それでもよっぽど追い詰められた場合は、其の限りじゃないだろうけどな……
「──とりあえず六神将と対峙した際に気を付けるべき点を、整理しておきましょう」
ジェイドの発言に、皆の視線が集まる。
「……大佐さんよ、それは何か策があるってことか?」
「策、と言う程のものではありません。本当に、簡単なものですからね。これまでの六神将との戦闘と、地殻においてルークが触媒武器を使用した際の行動から、わかったことがあります」
「六神将だけじゃなくて、俺の行動からもなのか?」
「ええ。地殻での触媒武器を使用した際、あなたは情緒面においてかなり不安定になっていました。さらにガイが突撃を仕掛けた際に、リグレットとシンクの交わした会話。ザオ遺跡の戦闘で、あまりに戦闘に固執するラルゴ……」
メガネを押し上げ、ジェイドは勿体ぶった言葉を告げる。
「そうした事柄から判断するに、触媒武器の使用者は多かれ少なかれ、感情面において不安定化する兆候が見えると言えるでしょうね。そして、それは注意力が緩慢になる事に繋がる。
……おそらく、そこに何がしかの付け入る隙が生じるでしょうね」
感情が不安定になる……か。まあ、確かにその通りかもしれない。俺が地殻で使った際も、無意味なまでの昂揚する気分と、溢れ出す力の波に飲まれて、状況判断とかがかなり甘くなってたような気がする。
「故に、正面から挑むのは極力避けることが重要です。特に前衛に対して言える事ですが、決して一カ所に止まらず、常に多方面から攻撃を仕掛けるように心がけて下さい」
「わかったぜ。しかし、多方面って言われてもなぁ……」
「お前は苦手そうだよな。まあ、俺がルークに合わせて動くから、お前は好きに動いてくれ」
「そうか? 助かるぜ」
互いの特性から考えても、動きの素早いガイが俺に合わせてくれるのはありがたい話だったので、俺も素直に頷いておく。
「後衛組に関しては、攻性譜術に拘らず、基本は前衛組を援護するような行動を取って下さい。特に、ティア。あなたの譜歌がおそらく、今後の戦闘においては要になるでしょう。発動のタイミングには十分に気を付けて下さい」
「わかりました、大佐」
「私も基本は治癒術の発動に専念しますわ」
「ん~。トクナガは細かい動きが苦手だし、私は後ろに回って攻性譜術で、ちまちま前衛を援護するって感じかなぁ」
こうして、俺たちは一通りの作戦を確認し合った。
「しかし、よくよく考えてみると、どれも凄く当たり前の事だって気がしてきたんだが……本気で大丈夫かよ?」
ジェイドの披露した策は、俺たちにとってさして意外性のあるものではなかった。そのため、思ったよりも気分が盛り上がらない。むしろ、そんな単純なもので大丈夫なのかと心配になってくる程だ。
「ま、それは実際に対峙してみないことにはわかりません。とりあえず今は……」
「今は……?」
「気を付けて先に進むしかないでしょうねぇ」
ジェイドがばっさりと俺の不安を切り捨て、さっさと前に歩き出す。
……確かに、言ってることは正しいんだが、作戦を提案した当の本人の口から聞かされると、むしろ不安が増すのを感じるよなぁ。
何とも言いようの無い空気に包まれながら、俺たちは歩みを再開する。
巨大な送風機のようなものが設置された部屋に行き着いたところで、さして離れていない場所から、何者かか言い争うような声に混じって、剣劇の交わされる音が響く。
俺たちは一瞬顔を見合わせた後で、陣形を整える。
慎重に気配を押し殺しながら、先に続く通路に足を踏み入れる。
「───ヴァンはどこに居る! 答えろっ!!」
真紅の長髪が流れる。
踏み込みと同時、突き出された切っ先が空を切る。
黒の教団服をまとった男──アッシュは舌打ちを漏らし、視線を部屋の中央に飛ばす。
「質問に答えろ、シンク!」
「───まったく、うるさいね」
セフィロトから立ち上る音素の光を背後に立ち、仮面を付けた男───シンクが鬱陶しそうに吐き捨てる。
「いずれわかることだって言ってるだろ? 僕は忙しいんだ。あんたの相手をしてるような暇はない……ん?」
言葉の途中で、シンクの視線が俺達を捉える。
「……あんた達か」
シンクの言葉に、アッシュが獲物を構えたまま、一瞬だけ俺たちの方に視線を向ける。
「ちっ……能無しか」
こんなときまで憎まれ口を叩かなくてもいいだろうに……まったくよ。
俺は多少呆れ混じりに、アッシュに呼びかける。
「手を貸そうか、アッシュ?」
「……お前たちは退がってろ。俺はこいつに聞くことがある」
きっと睨み付けるアッシュに、シンクが僅かに考え込むように顎先を押さえる。
「ふん……まあ、どっちも揃ってるならいいか」
話が掴めない俺たちを余所に、シンクが口を開く。
「ヴァンから伝言だ。一度しか言わないから良く聞きな」
ヴァンからの伝言だって……?
何の事かと俺達が問い質すよりも先に、シンクが一方的に告げる。
「『我が下に降るか、それとも敵対するか。いずれにせよ彼の地で、お前達の答えを聞き届けよう。───アブソーブゲートで待つ』……伝言は、そこまでだよ」
シンクは肩を竦めて、そこで話は終わりだと示して見せた。
「……アブソーブゲートって、確かプラネットストームの一つか?」
「ああ、セフィロトの収束孔だな」
なぜ、そんなところを指定したのかわからないが、これでヴァンの居場所は把握できた。
だが、求めていた答えを得たというのに、アッシュが尚も不審そうにシンクに問いかける。
「どういうつもりだ? ……なぜ、今になって奴の居場所を明かす?」
「あんたもかなり耄碌してるんじゃないの? ヴァンの計画に超振動が必要不可欠だってのは、前から知ってたはずだ。必要な駒を誘導するために、わざわざ教えてやったに決まってるじゃないか」
俺たちの存在を駒と言い切る相手に、アッシュが眉間に皺を寄せる。
「ともかく、伝言はそこまでだ。僕は帰らせて貰うよ」
「待てっ!」
「……何だい?」
面倒そうに振り返った相手に、アッシュが剣を突き付ける。
「貴様をここで見逃す道理は何もない。───ここで、討ち取らせて貰おうか」
腰を落とし宣言するアッシュに対して、返されたのは嘲笑だった。
「はははっ! 結局、ヴァンの良いように動かされるしかなかったあんたが、僕を倒す?」
笑い声が途絶えると同時、異様な空気がシンクを中心に渦巻き始める。
「随分と笑わせる話しだけど……少し、不愉快だね」
シンクの腰に吊るされた長剣が、不気味な鼓動を刻んでいた。刀身に当たる部分が羽のような形状をした、どこか神聖な雰囲気を感じさせる長剣だ。
そして、俺たちはあの剣に見覚えが合った。
あれは地殻でシンクに奪われた触媒武器の一つ───聖剣、ロストセレスティ。
俺たちの視線に気づいてか、シンクが不敵に口端をつり上げる。
「この前は第一奏器に遅れを取ったけど、今度はそうはいかないよ」
セフィロトから立ち上る音素の光が明滅し、巨大な力の顕現を前に大気が鳴動する。
「ちょうどいい肩慣らしだ。ここで───死んでいきな」
片手で抜き放たれた長剣が、俺たちに突きつけられる。
暴風が、大気を掻き乱す。
収束する膨大な音素の流れに空間が歪み、シンクの手に握られた剣から生じた旋風は、一瞬にしてセフィロトの天井に届かんばかりの嵐へと成長する。
「第三奏器───《風刃》ロストセレスティの力……その身に刻むんだね」
轟と音を立て逆巻く深緑の風の中心に立ち、六神将───烈風のシンクは告げた。
くっ……また触媒武器が相手か。
とっさに陣形を整え、相手の出方を伺いながら俺は小声で囁く。
「アッシュ、もうこうなったら一蓮托生だ。グダグダ言ってねぇで、俺たちに協力しろよ」
「ちっ……仕方ないか」
尚も嫌そうに頷くアッシュに、俺は呆れ混じりの言葉を返す。
「ったく、お前はとことん単独行動に拘るよな」
「ふん……言ってろ、能無し」
俺と罵り合った後で、アッシュがジェイドに視線を飛ばす。
「メガネ、聞け。奴らは触媒武器を使って、特定属性の音素を無尽蔵に行使する。だが、一度に放出できる音素の量は、使い手の状態に見合ったものでしかない。この意味がわかるな?」
「……なるほど、そういうことでしたか。納得です」
他の皆もアッシュの解説に対してしきりに頷いてる。が、どうも俺にはよくわからんままだった。
「あー結局、どういう意味だ?」
正直に問いかけた俺に、アッシュがバカにしたような視線を向ける。
「な、何だよ」
「ふん……結論から言えば、奴らも負傷を与えて行けば、身体の方が引き出した力に耐えられなくなるって話しだよ。だが、テメェには言うだけ無駄か」
最後に鼻を鳴らすと、アッシュがシンクに向けて切り込んで行った。
って、いきなりかよ! 俺がアレな質問したのは確かだけどさ、それでもちょっとくらいはこっちとの連携とか考えてもいいだろうによぉ…………。
俺は頭が痛くなるのを感じながら、先を行くアッシュの背中を見据えた。そんな俺に、ジェイドが苦笑を漏らす。
「まあ、とりあえずアッシュに合わせる形で、ガイとルークも動いて下さい。基本は先程話した通りの方針で、お願いします」
「ま、それが妥当な所だろうな」
「アッシュが主体かよ……まあ、あいつとの連携は始めてだから、ある意味、仕方ねぇか」
俺とガイも覚悟を決め、それぞれ別方向から、荒れ狂う暴風に立ち向かう。
───ここに三度目となる、響奏行使者との戦闘の幕が上がった。
* * *
風は其処にある。
大気を満ちる流れ、偏差より生じる揺らぎ。
世界に存在するありとあらゆるものが、風の中で生きている。
風は乱れない。
風は掴めない。
風は穿てない。
故に、風は四属性において───最強足り得る。
第三奏器───《風刃》ロストセレスティ。
烈風のシンクが駆る武器の名が、それだった。
* * *
速い。
思考を占める単語は、ただ一言に埋めつくされる。
自らの認識を超えた速度で、深緑が視界の端を揺らぐ。
揺らぎを認識した瞬間──俺は本能に突き動かされるまま剣を突き出す。しかし、絡み付く風が俺の身体の動きを阻害する。頭の命じた行動から、一泊遅れで突き出された剣先は虚空を射抜く。
外した。そう理解するよりも先に、本能が俺に告げる。
──来るっ!
吹きつける風が勢いを増す中、絡み付く風を強引に振り切って、俺は身体の位置をずらす。
視界の端に映る仮面。唯一さらけ出された口元が笑みに歪み、逆手に握られた刀身が降り下ろされた。
大気を切り裂く烈風。
生じた真空の刃が地面を穿つ。俺の身体が一瞬前まであった場所に、あまりにも鋭利な切り口が刻まれる。生じた余波によって、俺の身体にも無数の裂傷が刻まれたが、この程度の傷に意識を割いているような余裕は存在しない。
傾けた身体の勢いもそのままに、俺はその場から全力で横に飛ぶ。
「遅いね」
吹きつける風が勢いを増し、俺の動きを阻害するように足元に絡み付く。だが、ここに居るのは俺だけじゃねぇっ!
「くたばれっ!」
動きの止まったシンクに向けて、アッシュが剣を薙ぎ払う。
って、その技は、ヤバ……っ!? 俺は激しく動揺しながら、慌ててさらに間合いを離す。
俺が地面を蹴るのとほぼ同時に、アッシュの技が完成する。
《──烈震!》
突き出された剣先が大地を穿ち、放たれた衝撃波が虚空を駆ける。
《────天衝!!》
刀身に収束された音素が広範囲に衝撃波をまき散らし、シンクに突き進む。
「ふん……この程度!」
シンクが《風刃》を握った片手を前方に突き上げる。刀身から発生した真空波が、地を這う衝撃波とぶつかり合って、一瞬で相殺される。
「まだまだ遅いね」
「───テメェがなっ!」
衝撃波によって巻き上げられた粉塵に紛れ、アッシュが渾身の刺突を放つ。迫る剣先が相手に触れたかと思われた瞬間───再びシンクの姿が掻き消える。
「ほら、やっぱり遅い」
アッシュの背後で、烈風が囁く。
「っ!? ────ちっ!!」
振り返りざまに切り上げられた斬撃は、やはり何者も捉えることはできなかった。
「やれやれ、手応えが無さ過ぎだよ」
相手の姿を見失った俺たちに向けて、嘲りの声が届く。
いつのまにか、最初の立ち位置に戻っていたシンクが、馬鹿にしたように肩を竦めて見せた。
明らかな挑発を前に、しかし俺たちの口から反論がなされることはなかった。
なぜなら、これが戦闘が始まって以来、初めて、俺たちが敵の姿をまともに視界に捉えた瞬間だったからだ。
ラルゴの操る焔は全てを燃やし尽くす───圧倒的なまで火力だった。
リグレットの操る氷は一点に研ぎ澄まされた───正確無比な氷弾だった。
しかし、シンクの操る風は、そのどちらとも異なる性質を備えていた。
腕の振り上げ、足の踏み出し、地を蹴る重心の乱れ───あらゆる動作に、シンクの全身を覆う風が僅かな後押しを加える。これまで他の六神将が振るっていた力と比べると、あまりに些細な力に思えるかもしれないが、結果として、シンクは絶対的な《速さ》を手に入れた。
言葉にすると地味に聞こえるかもしれないが、これは単純な攻撃能力よりも厄介だった。攻撃が届くなら、まだやりようがある。だが、誰も追いつけない速さを前には、いかなる攻撃も意味を無さない。
その上、吹き荒れる風は敵対者にも絡みつき、細かい動作を阻害する。それは力を込めればたやすく振り払える程度の拘束だったが、それでも相手の速さに対応するには、致命的な動作の遅れを生んだ。
何人も追いつくことさえ許されない───人間の限界を超えた速さ。
それこそが、第三奏器がシンクに与えた力だった。
「いや、僕が強くなり過ぎたのかな? どっちにせよ無様な事だね。はははっ!」
逆手に握った深緑に染まるロストセレスティの刀身を掲げ上げ、シンクが口元をつり上げ笑う。その様子に、ジェイドが言っていた触媒武器の使用者は、精神が不安定になるという推測が思い出された。
そして、昂揚する精神が、確かに無視できない類の隙を生じさせた。
「一人で笑ってるんだな」
シンクの背後で声は響く。気配を殺し移動を続けていたガイの姿が、そこにはあった。
「───秋沙雨っ!」
突き出された刀身が霞むと同時──収束された音素によって、視認不可能な領域にまで引き上げられた無数の突きが放たれる。
だが、その切っ先も、虚空を射抜く。
「残念だったね」
一瞬にしてガイの背後に回り込んだ烈風が拳を放つ。無防備な背中に突き当てられた拳を起点に、暴力的なまでに高まった突風が、ガイの身体を空へと吹き飛ばす。盛大に空中を舞ったガイの身体が、地面に落ち───
「まだだ───裂空斬っ!」
地面に叩きつけられる寸前で、ガイが身体をひねり足先から着地、そのまま地面を蹴って、一足飛びにシンクとの間合いを詰め、回転の勢いもそのままに刀を振り下ろす。
この行動は予想外だったのか、初めてシンクが回避ではなく、刀身で受けることを選択する。
金属同士が擦り合う、耳障りな高音が周囲に響く。
「へぇ……なかなか速いじゃないか」
「そいつは光栄だな。だが、俺はまだまだ本気じゃないぞ?」
交錯する刀身越しに放たれた明らかなガイの挑発に、シンクが興味深そうに口元をつり上げる。
「面白い。──なら、どこまで着いて来れるか見て上げるよ」
押し合う刀身から力を抜くと同時、シンクの姿が掻き消える。
逆巻く風がガイを中心に荒れ狂う。視認不可能な速度で、ガイの四方から無数の斬撃が放たれる。弧を描くようにして放たれ行く神速の連撃を前に、ガイが吼える。
「まだまだ遅いなっ!」
挑発混じりの宣言と同時に、凄まじい速度でガイの剣先が翻り、放たれる斬撃を次々と弾き返す。加速度的な勢いで、ガイの全身に無数の裂傷が刻まれていくが、それでも急所への一撃は確実に防いでいるのがわかる。
だが、防戦一方に回っていることに変わりはない。このままでは、限界もそう遠くないはずだ。
援護に向かおうと駆け出した俺を、しかしガイは呼び止める。
「俺に構うな! 任せたぞっ!」
俺が時間を稼ぐ間に、策を練れ。力強く語る瞳に押されて、俺も自らの足を止める。
冷静になれ。ガイの言葉は正しい。ただ闇雲に向かったところで、このままでは勝機を見出せない。ならこの場で最善の行動とは──勝機を作り出すことだ。
俺はこの場で誰よりも冷静に戦況を把握しているだろう相手に向けて、歩み寄る。
「……どうする、ジェイド?」
厳しい表情でガイとシンクの高速戦闘を見据えるジェイドに、俺は硬い声で問いかける。それにジェイドが自分の考えを喋りながらまとめるように、ゆっくりと口を開く。
「……これまでの相手のように、圧倒的なまでの量の音素に頼った、純粋な力押しの攻撃なら、まだ付け入る隙がありました。しかし、ただ速いということが、これ程までに厄介とはね……」
ジェイドの発言を受けて、他の皆が次々と自身の状態を申し出る。
「譜術で狙いつけても、放った後で、かわされちゃうなんて、ちょっと反則すぎるよ!」
「矢は風に阻まれ、そもそも攻撃を放つ事さえ不可能ですわ」
「……後衛の攻撃力が、完全に無力化されているわね」
そう、後衛からの攻撃はシンクに届かない。何ともデタラメな話だが、攻撃が放たれたのを目で見て確認した後で、シンクは軽々と攻撃の軌道から身を引き、悠然と回避する。
しかし解せないことに、もはや無力化された後衛に向けて、シンクの方から攻撃を仕掛けてくるような気配は無い。
「……私たちに狙いを付けないのは、相手にまだ慢心がある証拠ね」
つまり、いつでも潰せる相手よりも、今は自分の動きに着いて行けるガイとの戦闘に御執心ってことか。
「最悪だな……完全に嘗められてるってことか」
「ええ、でもそこに付け入る隙があるかもしれない」
確かにな。その余裕があるからこそ、俺たちはこうして策を練る事ができているんだ。なら、今はありがたく受け取って、その過信を覆す方策を考えさせてもらうまでだ。
「とりあえず相手の足を止めない事には、後衛はどうしようもないって俺は思うんだが……何か策はあるか、ジェイド?」
ずっと無言のまま皆の言葉を聞いていたジェイドが、初めて顔を上げる。引き結んだ口を開き、顔の前で指を一本立てて告げる。
「一瞬です。一瞬でいいので、相手の動きを止めて下さい。その後なら、私が何とかして見せます」
「わかった。任せろ」
即答した俺に、ジェイドが僅かに表情を崩して、お願いします、ともう一度繰り返した。ジェイドにしては珍しい行動だったが、それだけ要求された事柄の困難さが伺える。
視線の先では、逆巻く風と同化するように凄まじい速度で戦場を駆け巡る烈風の姿があった。今はガイに合わせて動いているため、辛うじて目で追う事も可能だったが、本気を出したとき、俺は相手の動きを視認することすら出来なくなる。
そんな相手の動きを止める。
あまりにも、困難な要求だった。
だが、絶対に達成不可能な事を、ジェイドは要求しない。その難しさを知った上で、ジェイドが俺に求めた指示だ。
なら、俺は覚悟を決めて、要求に答えるまでだ。
「……話は、まとまったのか?」
静かに佇んでいたアッシュが、俺に声を掛ける。
「ああ。とりあえず、相手の動きを止めるのを目指すことになった」
「ふん……策とも言えんような方針だが、無いよりマシか」
アッシュが吐き捨てると同時、今にも突進せんばかりの勢いで構えを取る。
「って、だから、一人で突っ込むなって! まだ説明の途中だ、アッシュ」
「ちっ……何だ?」
忌ま忌ましげに俺を睨み付け、アッシュが不承不承ながらも動きを止める。
「ただバラバラに向かって行くだけだと、さっきみたいに個別に潰されて終わりだと思うんだよ」
おそらく今のシンクの反応速度をもってすれば、如何に多数で襲いかかろうとも、連携がなってない個の集まりでは、幾ら人数が居ても、常に一対一で戦っているのとさして変わらないはずだ。
「……確かにな。続けろ」
偉そうに促す相手にムカツキを覚えるが、今はこいつの協力も必要だ。
「だから、俺なりに考えてみた。俺もガイの隙を補う形で前に出て、相手の意識を分散させる。二人係で何とか相手に隙を作るから、アッシュ。お前は相手に隙が出来る──その瞬間を見計らって、相手の動きを拘束するような地属の大業を放ってくれ」
アッシュがピクリと片眉を上げ、俺の本気を伺うように目を覗き込む。
「能無し……テメェ、本気か?」
アッシュの瞳には明らかな疑念が浮かんでいた。
だが、それも当然だろう。
ラルゴと違い、シンクの操る風は一撃一撃の攻撃の威力はそう高くはないようだが、その分身体能力の向上が凄まじい。一歩一歩の移動にも身にまとう風が後押しを放ち、神掛かった起動を可能にしている。
そんな相手の動きを止めるには、かなり綱渡り的な行動を取る必要が合った。
まずそれなりに連携の出来る何人かで前に出て、相手の意識を引きつけその動きを限定する。続いて、中距離に控え攻撃の推移を見据えていた者が、隙が出来るであろう瞬間を見計らって───予測による攻撃を、事前に放つ。
予測が失敗すれば、シンクの気を引いていた者達にも、攻撃は命中する。
よほど信頼できるような相手にしか任せたくないのが正直な所だ。アッシュ自身、そんな重要な役を普段から目茶苦茶言ってる相手に任せる俺の言葉が信じられないのだろう。
しかし、今は好き嫌いを言ってられるような状況じゃない。
「後衛があの高速戦闘に合わせのは無理な話しだろ? なら、俺たちのどっちかが音素収束させて、大業を放つしかない。そして俺とお前じゃ、ガイとの連携に慣れてるのは俺の方だ。消去法で、後はお前しか残ってない。なら、任せるしかないだろ?」
淡々と事実のみを告げる答えに、一瞬黙り込んだ後で、アッシュが俺に視線を合わせる。
「てめぇの指図は受けん……と言いたい所だが、そうも言ってられないか。
能無し、シンクの動きを止めたと確信した瞬間、心の中でいい。俺に向けて叫べ」
不可解な要求に、俺は首を捻る。確かに単純な合図があるだけで、成功率が上がるのは確かだが、声を掛け合うような暇はないはずだ。それに、心の中だって?
「声に出さなくてもいいのか?」
「ああ。それで十分だ。あとは、できる限りシンクに視線を据え続けろ。俺がテメェに要求するのは、それだけだ」
「まあ、よくわからん指示だが、努力するよ」
奇妙な指示に困惑しながら、とりあえず同意を返す。俺が頷いたのを見やると、アッシュがいつもの調子で憎まれ口を叩き始める。
「俺の足だけは引っ張るなよ、能無し」
「はっ! そっちこそしくじるなよ、このデコッパゲ」
「で、デコ……!? ちっ……くたばれ、クズがっ!」
動揺するアッシュに多少満足感を覚えながら、俺はガイの下に駆ける。
視線の先で、ガイとシンクの二人は互いに剣戟を交わしている。生来の素早さをもって次々と放たれるガイの連撃を、しかしシンクは軽々と捌く。
「遅い、遅い、遅すぎるね。そんなんじゃ、一生僕を捉えることすらできないよ?」
口元をつり上げ、シンクが余裕そのものと言った感じで嘲り笑う。
はっ、その慢心が、どこまで続くか見せてもらおうかっ!
「──こいつはどうだっ!」
剣を打ち合わせる二人の間に正面から突進する。意表をつかれたように僅かに身体を退く相手を追って、剣先を下方に逸らしながら、刀身に収束させた音素を広範囲に解き放つ。
───魔王絶炎煌
刀身から放射状に放たれた焔が、周囲の空間を焼き尽くす。
猛り狂う焔が相手を飲み込んだ──そう思った瞬間、相手の姿が掻き消える。
ついで響いた声は、俺の背後から響いた。
「受けてみな」
足元に、展開された譜陣が視界の端に移る。これは、マズっ、避け───
「───昴龍礫破!」
引き出された音素が、爆発的な勢いで荒れ狂う。解き放たれた力は暴風となり、背後から突き出された拳を伝って、俺の脇腹を穿つ。
「くっ!!」
辛うじて引き寄せた刀身を中心に、衝撃が突き抜ける。生じた突風に切り刻まれながら、俺は苦悶の声を漏らし、少しでも技の威力を殺そうと後方に飛ぶ。
しかし、俺の一撃も無駄にはならなかったようだ。
技を放つ際、空中に僅かに飛び上がったシンクの背後。剣を振り上げるガイの姿があった。
「───虎牙破斬っ!!」
切り上げが相手の刀身に防がれる。だが同時にたたき込まれた蹴りに体勢が崩され、切り下ろしが命中する。
その一撃はシンクの周囲を渦巻く風の障壁に弾かれ届かなかった。だが、とりあえず今は効くかどうかは関係ない。僅かに硬直したように身体をのけぞらせた相手を見すえ、俺は覚悟を決める。
この相手の動きを───今こそ止める!
「行くぜっ!!」
地面に接触するまでに低く腰を落とす。剣を握った腕を限界ギリギリまで背中に引き絞り、地を駆ける。視線の先には未だ空中に浮かぶシンクの無防備な姿。
───飛燕!
全身のバネを利用しながら、引き絞った刀身を虚空に浮かぶ相手に向けて放つ。甲高い音を立て刀身が弾かれるが、その勢いすら利用して独楽のように回転、続けざまに怒濤の連撃を叩きつける。
───瞬連斬!!
一撃、ニ撃、三撃、四撃───
流れるようにして放たれた無数の斬撃が、シンクの全身を虚空に縫い付けたまま切り刻む。相手にダメージは与えられていないようだが、それでも間断なく放たれる連撃を前に、シンクは停滞を余儀なくされる。
最後に渾身の切り降ろしを叩き込みながら、俺は心の中で叫ぶ。
───隙を作ったぞっ、アッシュ!!
最後の一撃の反動を利用して俺が間合いを離すと同時、後方からアッシュの裂声が轟く。
「上等だ、能無し! ──来やがれっ! 地の顎!」
地面に突き刺された剣先を中心に、溢れ出す第二音素が地を駆ける。
《──魔王っ!》
隆起した地面が牙となって、シンクの身体を捉える。
《────地顎陣!!》
虚空より降り下ろされた斬撃が牙にとらわれたシンクに命中──仮面が音を立て爆ぜ割れた。
「がぁっ!?」
短い苦悶の声が上がる中、地面から伸びるアギトは尚もシンクを拘束したまま離さない。
シンクの動きはこの瞬間、完全に停止した。
「これを待っていた! 行きますよ、アニス!」
「了解、大佐!」
ジェイドとアニスを中心に、爆発的な勢いで音素が収束する。複雑な詠唱を唱え始めるジェイドに先んじて、まずアニスの譜術が完成する。
「なんでもかんでも降りそそげ───ロックマウンテン!」
虚空に収束した第二音素が巨大な岩石の鉄槌となって、シンクに降り注ぐ。次々と降り注ぐ落石の衝撃を前に、風の勢いがごっそりと削り取られ、一気に衰えて行く。
そして、絶妙のタイミングで、ジェイドの譜術が完成する。
「この重力の中で悶え苦しむがいい───グラビティ!」
空間が、歪む。
超重力の軛が地を穿ち、降り注いだ落石の上に広がる領域は全てを押し潰す。円球状に広がる領域は、その内に存在するありとあらゆるものを捻じり、引き裂き、押しつぶして行く。
「ぐぁぁあぁぁぁぁぁっ────…………っ」
蹂躙される空間の中心で、一際高い絶叫が上り──
雷の閃光が、全てを覆す。
超重力の楔が完全に崩壊し、現れたシンクを中心に、突風と放電が周囲を荒れ狂う。
「──いい加減、うざったいんだよっ!!」
額から鮮血を滴り落としながら、素顔を露わにしたシンクが嵐の中心で叫ぶ。
「連撃、行くよ!!」
逆手に握られた刀身は深緑に染め上げられ、荒ぶる乱流の息吹がシンクの両腕に収束する。
《──疾風!》
収束する風に混じり放電する両腕が、わずかに後方に引き絞られる。
《────雷閃舞!!》
両腕を起点に発生した雷と暴風の鉄槌が、無防備になった後衛に向けて、解き放たれた。
* * *
結論から言うと、シンクの攻撃は命中した。
だが───それだけだった。
暴風は絶妙のタイミングで出現した障壁に遮られ、届かなかった。
「なっ……!?」
シンクが驚愕に目を見開く中、障壁の向こうから声が届く。
「………崩落の衝撃にすら耐えぬいたユリアの譜歌。
さすがの触媒武器による一撃も、破る事はできなかったようですね」
メガネを押し上げ、ジェイドがしてやったりと笑う。
「過信が過ぎましたね。たとえ触媒武器を用いた一撃だろうと、譜歌の障壁は敗れない。これは既にセントビナーにおける攻防でも、証明されていることですよ?」
「!? ディストの奴か!」
ティアの奏でた譜歌による障壁が、触媒武器を用いた秘奥義級の一撃にも有効なことは、ディストの操る譜業兵器との戦闘において既に証明されていた事柄だ。展開のタイミングさえ掴めれば、防ぐことは可能だった。
「いや……でも、前衛まで障壁は届かなかったみたいだね」
ジェイドの解説を聞くうちに、多少は冷静さを取り戻したのか、シンクが周囲を見やる。
言葉通り、障壁の及ぶ範囲に居なかった前衛たる俺たちの間には、決して少なくない負傷が見える。
俺やガイは放電の余波をモロに喰らってしまった。今は地面に剣を突き刺して、何とか身体を支えているような状態だ。アッシュなどはさらに酷い。ちょうど立ち位置が後衛の延長上に居たもんだから、脇腹を嵐に多少もっていかれている。
そんな満身創痍の俺たちに向き直り、シンクが自身も負傷に呼吸を荒らげながら、ゆっくりと拳を構え直す。
「こいつらの息の根を止めるぐらいなら、それこそ一瞬で……」
「やれやれ。これまで何が起きたのか、わざわざあなたに説明していた理由が、わかりませんかね?」
「なんだって……?」
肩を竦めて見せるジェイドの意味深な言葉に、シンクが思わず拳の動きを止めて聞き返す。
そして、詠唱は此処に完成する。
「優しき癒しの風よ───ヒールウインド!」
どこか温かい治癒の風が俺たちの間を吹き抜ける。ナタリアの放った治癒術によって、俺たちの負傷は急速に癒されていく。
「詠唱の時間を稼ぐ為に、決まっているじゃありませんか?」
ニヤリと口端をつり上げ、ジェイドがこれまでの行動の真意を告げる。
シンクが呆然と回復する俺たちを見据えた後で、我に帰って、大きく首を振りながら叫ぶ。
「でも、まだだ! 確かにこっちも負傷はしたけど、もう同じ手は喰わないよ。あんたらが僕の動きについて行けない事に変わりはないんだ。一撃離脱を繰り返して、確実に止めを……」
言いながら一歩足を踏み出した所で、シンクが不可解そうに眉根を寄せる。全身を覆う風の流れが、先程までと比べて、明らかに停滞しているのが傍目にもわかった。
「風の動きが……鈍い? ───っ!? さっきの譜術か!」
「ええ、先程私の放った譜術の追加効果に、対象の移動速度を削るというものがあります。
───つまり、あなたの特性は既に死んだも同然と言うことですね」
「くっ……」
ジェイドの畳みかけるような宣告に、ギリギリとシンクが歯を食いしばる。
「では皆さん、一気に行きますよ!」
ジェイドが詠唱を始める。
額から血を滴り落とすシンクに、俺たちも剣を構えて向き直る。
「くっ……嘗めるなっ!」
シンクが逆手に握った剣を構えると同時、剣を中心に音素が収束する。荒れ狂う風が再び周囲に放たれる寸前、攻撃の気配を事前に感じ取ったガイが飛び出す。
「させるか──弧月閃っ!」
一瞬で間合いが消失。抜き打ちを放たれると同時に、返しの刃が降り下ろされ、シンクの肩を穿つ。
斬撃自体は身にまとう風に弾かれ届かなかったようだが、それでもシンクは攻撃が自らに命中した事実に対して、屈辱に打ち震える。
「ぐっ……! この程度の攻撃が、避けられないなんてね……」
ガイの攻撃自体は認識していたようだが、身体がまるで反応に追いついていないようだ。
「異常なまでの速さが無くなったと言っても、風の障壁とか、馬鹿げた量の音素はまだまだ残ってるんだ。二人とも、油断するなよ!」
ガイが忠告を飛ばしながら、シンクに張りつく形で、次々と攻撃を仕掛けて行く。だが未だ残る風の障壁が、斬撃をそう簡単には通さない。
「……さすがに硬いか」
呟きながら構えを取るアッシュに、俺は思い付いた言葉を掛ける。
「アッシュ。とりあえず、俺も前に出るからさ。お前もさっきやったみたいに、機を見て地属の技で援護してくれよ」
見た限り、かなり効いてるみたいだったしな、と言葉を続けようとした所で、アッシュが黙り込んで、俺を睨んでいることに気付く。
「あん? なんだよ?」
「……ふん。何も考えてないだけか。バカは気楽で結構だな」
何やら俺の真意を確かめるように目を覗き込んだ後で、口元で小さく吐き捨てる。
よくわからんが、バカにされたことだけは確かなようだ。ムッとする俺に向けて、アッシュが同意を返す。
「いいだろう。だが、テメェに手を貸すのは、これが最後だ。それを忘れるなよ」
あくまで反発するアッシュに、俺は今度こそ苛立ちを通り越して呆れ果てた。
「お前さ、いつまで意地はってるつもりだよ。いい加減、俺に当たり散らすの止めてくれ。正直、お前の態度は俺には到底理解できねぇぜ」
「……テメェみたいな、お気楽野郎に、わかってたまるか」
吐き捨てるアッシュに、俺は言葉を返そうとするが、それを遮って相手は一方的に告げる。
「援護はしてやる……行ってこい」
いまだ釈然としないものが残ったが、その言葉を最後に会話を打ち切り、俺もガイに混じってシンクの追撃に加わる。
俺とガイがシンクに張りつく形で動きを拘束し、機を見てアッシュが中距離から音素を載せた一撃を放つ。さらに移動速度が落ちたことで、後衛から放たれる譜術もシンクに命中するようになった。
先程までと違って、俺たちの攻撃は確実に相手に届き、ダメージを蓄積させて行く。
次々と繰り出される攻撃を前に、シンクは一方的に押され続け───遂に限界が訪れた。
「ば、バカな……この僕が、負ける?」
積み重なった負傷と疲労感に、シンクがその場に膝を着く。
「ここまでだな」
シンクの前に立ち、俺は剣を構える。
顔を歪め、シンクが憎悪に燃える瞳で俺を睨み返す。
……未だに慣れない行為だが、それでも俺は覚悟を決める。
「これで……終わりだっ!」
振り上げた剣がシンクの首を斬り飛ばそうとした、そのときだ。
意外なところから、制止の声が届く。
「待ってください、ルーク!」
進み出たイオンの言葉に、俺は困惑する。
だが、相手の瞳に浮かぶ真剣な思いに、気付けば剣を引いていた。
「どういう、つもりだ……?」
シンクが苦痛に顔を歪めながら、イオンに問いかける。
「シンク、僕らは同じ存在です。なら、あなたも僕たちと一緒に……」
懸命に呼びかけるイオンに、シンクが顔を憎悪に歪める。
「───ありえないね」
明確な拒絶が返された。
「それだけは、絶対に……無いよ」
顔を俯け、拳を握りしめるシンクに、俺は思わず問いかけていた。
「……どうして、そこまでして、お前はヴァンに仕えるんだよ?」
「違うね。僕の望みとヴァンの目的が、たまたま同じ方向にあった。それだけだ」
僕らは互いに利用しあっているに過ぎない。そう答えた後で、シンクが俺を見据え、悪意に満ちた笑みを浮かべる。
「レプリカルーク、僕は預言してやるよ。
あんたはきっと、この世界に絶望する。
この世界には端から救いなんか存在しないんだ。崩落を治める? 障気に対処する?
全て、無駄だよ。笑っちゃうね。そんな小さい事に幾ら対処しようが、何も変わらない。
だって、この世界はどうしょうもない程に──終わりきっているんだ。
ヴァンなら、きっとやってくれるはずだ。この無意味な世界から、全てを解放してくれる」
くくと声を漏らして、シンクが虚ろに笑う。
「どうせ……最後には、みんな消えるのさ」
絶対的な断絶の言葉を前に、イオンが苦悩に顔を伏せる。
このまま剣を降り下ろすことに躊躇いを感じていると、俺の肩に手が載せられる。
「……できないなら、退いてろ」
乱暴に俺の身体を脇に押し退け、アッシュが前に進み出る。
「ここで、くたばれっ!」
アッシュの突き出した剣がシンクに突き出される。
刀身がシンクを射抜くかと思われた瞬間───シンクの足元を中心に一瞬で譜陣が展開され、閃光が視界を染め上げる。
『っ!?』
降り下ろされた剣先が地面を弾く音が、セフィロトに虚しく響き渡る。
視界が戻ったときには、シンクの姿はこの場から、消え失せていた。
「ちっ……逃がしたか」
忌ま忌ましげに吐き捨てるアッシュに、俺はイオンを気にしながら口を開く。
「……まあ、殺すまでは行かなくても、あの傷だ。当分戦闘は無理だろうし、今はそれで良しとしようぜ?」
俺の言葉に、アニスが場の空気を変えようと同意を返す。
「うんうん。アブソーブゲートで総長と対決する頃には、絶対間に合わないだろうしね」
「そうだな。向こうの戦力を削れただけでも、十分な結果だろう」
「ふん……つくづくテメェらは甘いな」
苦々しそうに俺達を見据えた後で、アッシュは直ぐに遠くを見据える。
「しかし、アブソーブゲートか……残るセフィロトはロニール雪山と二つのゲートだったか?」
「ええ、そうですわ」
頷く俺たちに、アッシュが何事か考えるように口を閉ざす。
「気付くのが遅すぎたな……こうなったら、奴の誘いに乗る以外にないか。忌ま忌ましい……」
「どういう意味です、アッシュ?」
訝しげに問いかけるジェイドに、アッシュが俺たちに視線を戻す。
「シンクが風刃を手にしていたのはテメェらも目にしたな? これで遂に六属性の奏器が完成した。第一はお前らが押さえているが、それもさして意味があるとは思えない。地殻に干渉した時点で、おそらく触媒武器の使用目的は果たされているはずだからな」
「では、やはり地殻から触媒武器が吸い上げているのは……」
「ああ、バルフォア博士。あんたの考える通りだろうな。連中が基本的に、パッセージリングに干渉した後で、触媒武器を保持する事にさして拘らないのも、そうした理由からだろう。ただわからないのは、俺たちをどう利用するつもりかって部分だ」
……何だか、少し話しに付いて行けないのを感じて、思わず俺の口から言葉が漏れる。
「……さっきから、何の話しをしてんだ?」
「バカは黙ってろ」
「……」
ったく、こいつはよぉ……! 俺は両腕をワナナカせ、怒りを堪える。
そんな俺を無視して、アッシュは淡々と続ける。
「そしてアブソーブゲートには、かつてユリアがローレライと契約を交わす際に用いたと言われる譜陣が残されているらしい。奴があの場所を指定したのにも、何がしかの理由が存在するはずだ。安易に奴の誘いに乗るのは危険だが、もはやそうも言ってられなくなった。俺はお前らが残るパッセージリングを操作している間、そっち方面のことを、もう少し探って見るつもりだ」
珍しい事に、今後自分がどう動くつもりなのか、アッシュが俺たちに教えて来た。
だが直ぐに言うべきことは言い切ったと、アッシュはそのまま俺たちから離れる。
「待てよ、アッシュ」
「……何だ、能無し」
苛立たしげに振り返った相手に、俺はアッシュの脇腹の傷を示す。
「その傷、かなりの重症だろ?」
「……」
最初の秘奥義級の一撃が脇腹を抉ったのは確認している。戦闘中に放たれたナタリアの治癒術である程度は回復しているだろうが、それも一時的に傷口がふさがっているにすぎない。
「無理するな。治療ぐらい受けていけよ」
「いらん! ……俺に、構うな」
「どっちにしろ、外に出たらまた別行動になるんだ。なら、パッセージリングの操作してる間ぐらい、我慢しろ。……あんまり、心配掛けるもんじゃねぇぞ?」
すぐさま否定しようとする相手に、俺はナタリアの方を示して、小声で引き止める。
尚も抵抗しようとしたアッシュに、絶対に逃れられない一撃が放たれる。
「アッシュ……」
ナタリアが不安そうに揺らめく瞳をアッシュに向け、小さくその名を呼んだ。
「くっ……わかった。付き合ってやるよ! だが、さっさと操作を済ませろよ、能無しっ!」
乱暴に言い捨てるアッシュに、俺はざまぁ見ろと意地の悪い笑みを返す。
ま、普段馬鹿にされまくってんだ。これぐらいの仕返ししてもバチは当たらんだろ。
アッシュに効果的な一撃を加えたことに、俺は多少気分が軽くなるのを感じながら、鼻唄まじりにパッセージリングの操作を開始するのだった。
* * *
外に出ると同時、遥か遠くに小さな点が見えた。
土煙を舞上げ、近づく存在はどうやら馬車のようだ。
その姿を認識した瞬間、既に俺たちの目の前に、馬車は到着していた。
凄まじい音を立てて、馬車が急停車する。舞い上がる粉塵が視界を覆い隠し、馬車がかなりの速度から一気に止まったことを俺たちに理解させる。
あまりに唐突な馬車の登場に、目を点にして見据える俺たちの前で、馬車の幌から顔が外に出る。飛び出した顔を目にした瞬間、俺は声を出して叫んでいた。
「って、お前ら漆黒の翼かよ!?」
露出の高い服を着込んだ、確かノワールとかいう女頭目が、しなを作りながら首を傾げる。
「あらん。坊やたちじゃないの。でも今日は、あなたたちはお呼びじゃないわん。アッシュの坊やは居るかしらん?」
ノワールの口からアッシュの名前が出た瞬間、ナタリアのまなじりがつり上がる。
背中から冷たく突き刺さる視線を感じとってか、アッシュがどこか狼狽したように、早口になってノワールに応じる。
「な、何の用だ? 今回は、お前らを呼んだ覚えは無いが……?」
いったいどんな関係だと、周囲から怪訝な視線が注がれる中、二人は会話を続ける。
「当然ねん。だって、呼ばれてないもの」
「なら、どういうことだ?」
御者台から身を乗り出して、ウルシーが肝心の用件を告げる。
「アッシュの旦那、どうも各地にあるオラクル支部に動きがあったようでげす。あの人の予測だと、オラクルから離脱せずに潜伏してた過激派の連中だろうって話でして、万一の場合を考えると、やっぱり旦那の手も借りたいそうでげす」
「何……過激派が? わかった。案内しろ」
即座に同意を返すアッシュに、ウルシーがへいと頷く。
そんな三人の会話を聞いてるうちに、両者の関係を何となくだが理解した。
「アッシュ、お前、こんな奴らを仲間にしてんのか?」
「ふん。仲間じゃねぇ。こいつらは金さえ払っている内は、信用できる相手だからな。それに……」
一瞬だけ言葉を切って、俺に視線を向ける。
「何だよ?」
「……何でもねぇよ」
どこか釈然としないものを感じたが、確認を取る暇も無く、アッシュは続ける。
「パッセージリングの操作はテメェらに任せた。だが、気を付けろ。今回、お前らは正面から触媒武器を持った相手を倒したんだ。今度は連中も本気でかかってくるだろう」
アッシュの忠告に、俺たちも気を引き締める。
確かに、これまでは六神将の連中は俺たちを軽視していたように思えるが、触媒武器を持った相手を倒したんだ。これまでのようには行かないだろう。
「セフィロトを回ってる以上、次の目的地は連中にも知れていると考えるのが自然だ。
ロニール雪山……決して、油断だけはするなよ」
最後にそう忠告すると、アッシュはさっさと馬車に乗り込んだ。
そのまま別れの言葉を掛ける間もなく馬車が走り出し、アッシュはこの場を去った。
「……行っちまったか」
見る見るうちに小さくなっていく辻馬車を、少しの間見送った後で、俺は気を取り直すように声を上げる。
「次は、いよいよロニール雪山か」
次なる目的地に話題を移し、俺たちは今後の行動方針を確認し合う。
「近くにあるケテルブルクには、確か触媒武器を研究してた奴が住んでたんだよな?」
地殻に突入する前、ダアトで詠師の一人が言っていた言葉を思い出す。
「……そうですね。ケテルブルク知事に聞けば、何かわかるかもしれません」
どこか反応の鈍いジェイドの様子に違和感を覚えるが、それを確認する前に、ガイが口を開く。
「ケテルブルクはカジノでも有名な街だ。俺としてはそっちも楽しみだね」
「ガイ、不謹慎ですわよ!」
「でもでも、カジノだよ! 一攫千金だよ! ぐふふふふ……」
ちょっと怪しい目で遠くを見据え始めたアニスの様子に、正直、俺たちはかなり引きました。
「あんなに嬉しそうに笑うアニスの顔を見るのは、久しぶりです」
「……どっちかって言うと、欲望にまみれた顔だと思うぞ」
このままではいつまで経っても収集が着かない事を悟ってか、やれやれとジェイドが口を開く。
「ま、息抜きも重要ですからね。雪山に行くにも色々と準備が必要になります。少しぐらいなら自由行動する時間もあるでしょうね」
ジェイドの保証に、ガイとアニスが目を輝かせる。
「やったね!」
「ああ……腕が鳴るな」
意気揚々と言葉を交わし合う二人を見据えながら、俺は首を捻る。
カジノってのが何する場所かよくわからんのだが、そんなに楽しい場所なのかね?
「僕もカジノに興味あるですの!」
「まあ、あれだけ騒がれりゃあ、俺もさすがに気になってくるけどな」
何となしに応じた俺の言葉に、ティアが胡乱な視線を向けてくる。
「……ルークがカジノをするのは、かなり不安ね」
「へ? そりゃまた、どういう意味だ?」
「あなた、絶対にのめり込みそうなタイプだから」
「のめり込むって……俺もよくは知らんが、所詮遊びだろ?」
さすがに不安がられる程はまるとは思えんよなぁと楽観的な言葉を返す俺に、ティアが尚も問い掛ける。
「なら、一つ聞くけど……ルーク、あなた勝負は勝つまで止めないでしょ?」
「そりゃ当たり前だ。負けっぱなしのままで居られるかってんだ!」
漢には、決して引けない時があるってもんだぜ!
「……やっぱりね」
力強く宣言する俺に向けて、ティアは処置無しといった表情を浮かべると、肩を竦めて離れて行った。
はて、結局どういうことだったんだろうな? 耳をピクピク動かす小動物二匹と顔を見合わせ、俺は一人首を傾げるのだった。
後日、ケテルブルクのカジノにて、伝説のカモが誕生したとか、しなかったとか。
「あと一回! あと一回で、絶対勝てるんだっ! だからもう一勝負させてくれっ!」
「……ばか」
……流れる噂の真偽は定かではない。