意識の目覚めは唐突に、何の前触れも無く訪れる。
目覚めた視界に飛び込んだのは、天井の黒。吊るされた音素灯の光が、いやに目に眩しい。片手を額にあてがい、俺は妙にしばしばする目を瞬かせながら、上体を起こす。
「……」
ぽりぽりと頭を掻き、未だ上手く働かない頭に思考を促す。
夢を見ていたような気がする。
それもひどく歪で、どこか滑稽な夢だ。
詳しい内容は思い出せないが、それでも胸の中に残された違和感が、この感覚を決して忘れるなと俺に訴えかける。何が気になるのか、それさえわからないのが、ひどく気に障る。
……そう言えば、以前も、こんな事があったような気がする。
アクゼリュス崩落後の事だ。ユリアシティで告げられた自分の正体に、俺は感情の赴くままアッシュに向かって行った。あいつとの対決に勝ったはいいが、結局、俺はぶっ倒れちまった。そして、その後意識を取り戻すまでの間、〝何か〟を見ていたような気がする───
いったい……俺は何を見ていたんだろうな?
記憶を探るが、霞掛かった頭に浮かぶものは無い。自分の記憶力のポンコツ具合に、意図せずため息が漏れる。
……まあ、そのうち思い出すこともあるか。
とりあえず現状を確認するのが先だろう。まとまらない思考に見切りを付け、俺は周囲に視線を巡らせる。
小奇麗な部屋のあちこちに、なんだかややこしそうな機材が置かれている。壁には無数の標語らしきものが張られ、部屋の無機質な雰囲気を和らげている。『健康は買えません』『告知されてから取り乱しても遅い』『1万ガルドで一生健康』
……内容がかなりアレな標語もあるが、部屋の様子から判断するに、どうもここは医療施設っぽいな。
ちなみに俺の居る場所はというと、部屋の中心にある診察台の脇に置かれた、簡易寝台の上にある。一応身体に毛布が掛けられていたりもするが、先程起き上がった拍子にめくれ上がって、今は半ば下にずり落ちた状態にある。
部屋の様子を確認して行く内に、徐々に意識が覚醒するのがわかる。
そして、俺はそれに気づく。
「……何だ?」
毛布に不自然な盛り上がりがあった。
そう言えば、さっきからその辺りにある俺の膝が圧迫感を感じていた。足が痺れて感覚が鈍くなってたせいか、今のいままで気づかなかった。
俺は訝しく想いながら、軽い気持ちで毛布を払いのける。
まず椅子が現れた。椅子の上に誰かが居る。誰かは寝台に向けて上体を寝かし付けている。誰かの姿を確認する。
認識した瞬間、俺の全身は凍り付く。
すぅすぅと可愛らしい寝息を立てるティアの姿が、そこにあった。
「───っ!?」
俺は仰天した。のけぞった。口を開いた。
声に出して叫ぶ寸前、彼女が寝てることに思い至り、俺は慌てて口に手を当て声を押し殺す。
ななな、何でこんなところに居ますか、ティアさん!?
声には出さずに心で叫び、俺は必死に思考の糸を手繰り寄せる。だが、寝てる相手に配慮する余裕はある癖に、この状況の対する理解は一向に進まない。
激しい動揺に思考が掻き乱され、さっきまで推測できてたような事柄まで、地平の彼方にぶっ飛んで行く。いったい何がどうなっているのかまるで理解できない俺を余所に、状況は動く。
視界の端で扉が開く。隙間から黒い影が二つ、凄まじい速度で俺の方に走り寄る。
って、うおっ!?
生暖かいものが顔面に張りつき、視界を緑色と黄色の毛皮が覆い隠す。こ、呼吸が出来ん!
「ご主人様、気がついたのですの! よかったですの!!」
「ぐるぅうぅぅぅぅ!!」
一瞬の混乱するが、聞き覚えるのある鳴き声に、この毛玉がミュウとコライガの二匹だと気づく。顔面に張りついた二匹の背中をつかみ、引き剥がす。かつてない二匹の興奮度合いに、俺はどっと疲れるものを感じながら口を開く。
「あー……とりあえず、一旦離れてくれ」
前にも同じような事があったよなぁと想いながら、未だ寝ているティアを起こさないように、二匹をそっと床に下ろす。
とりあえず状況を確認するのが先だろうと、ミュウに顔を向ける。
「んで、いったい、何がどうなってんだ?」
「ご主人さま、ずっと倒れてましたの! すごく心配しましたの!」
「いや、それはわかってるんだが……」
さらに詳しいことを問い掛けようとしたところで、再び部屋の扉が開かれる。
「おや、気がついたか」
白衣を着た線の細い男が、俺に向けて笑いかけた。見知らぬ相手に少し警戒心を抱く。だが、ここが医療施設だとしたら、さして意味ない行動だよなと俺は思い直す。
「あの……ちょっと聞いてもいいですか?」
「なんだい? まだどこか痛むとか?」
「いえ、そうじゃなくて……そもそも、ここってどこなんでしょうか? あと、あなたは?」
俺のぶしつけな問い掛けに、相手はポンと両手を叩く。
「ああ、そう言えば、君は意識を失っていたんだね」
そうだったそうだったと軽く頷いた後で、改めて俺に向き直る。
「ここはベルケンドの第一音機関研究所にある医療施設だ。私はここの担当医を勤めるシュウというものだ」
よろしく、と気さくに笑いかける医者のシュウさん。
倒れる直前、ジェイドの言ってた言葉が俺の脳裏に蘇る。
そう言えば倒れる直前、ベルケンドに向かおう、とかいう話が出てたっけな。
つまり、ぶっ倒れた俺と負傷したガイを背負って、ここまで運び込んだってことか。
皆に迷惑掛けちまったなぁと申し訳なく思うと同時、もう一人の負傷者の存在が気にかかる。見る限り、この部屋には居ないみたいだが、ガイの奴はいったいどうしてるんだろうな?
「あの、もう一人重傷っぽい奴が居たと思うんですけど?」
「ん? ああ、ガイ君の事か。勿論彼にも検査を受けて貰ったよ。でもついさっき意識が戻ってね。この施設内を出歩く分には問題ないから、今は休憩室に居ると思うよ」
「そうですか……」
あんな重傷受けて、既に歩けるまでに回復してるのか。大した回復力だなと、俺は多少呆れ混じりの安堵を感じる。
「他の連れがどうしてるかわかりますか?」
ついでとばかりに、俺は他の皆がどうしてるかシュウさんに尋ねる。少し遠くを見やりながら、シュウさんが記憶を探って頭を捻る。
「彼等は君の検査結果が出るまで、施設内を見学すると言ってたね。誰が何処にいるかまではわからないけど……確か、バルフォア博士はスピノザに何か話しがあると言ってたね」
「そうですか。……しかし、検査結果ですか? 俺の意識が目覚めるまでとかじゃなくて?」
「ああ、それに関してまだ言ってなかったか。君の状態はかなり珍しいものだったからね。意識を失ってる間で悪いけど、一通りの検査をさせてもらった。全部の結果が出るまでには、それなりの時間がかかるんだ」
ゆったりした口調に誤魔化されそうになるが、この規模の施設であまり見たことないような状態だったってのは、かなりの大事じゃなかろうか? ……俺って、意外と重症だったんだろうかね? 背中に少し嫌な汗が滴るのを感じる。
あのまま正気に戻れず突っ走ってたら、いったいどうなってたのやら……どう少なく見積もっても、ろくなことになってないのだけは確かだな。
俺は静かに寝息を立てるティアに視線を落とす
暴走状態に入ってた俺を正気に戻らせたのは譜歌だ。今まで聞いた覚えの無い旋律だったから、たぶんユリアシティでレイラとかいう人から貰った本から、新しい譜歌の象徴を理解したってことだろう。
俺がこうしてられるのも、彼女のおかげか。
俺の向ける視線に気づいてか、シュウさんが表情を和らげる。
「彼女はずっと君の事を看ていたからね。溜まっていた疲れが一気に出たんだろう」
膝の上で寝息を立てるティア。
この熟睡具合を見る限り、相当気を張り詰めていたことがわかる。
……マジでティアには迷惑掛けてばっかりだよな。
いったいこれで何度目だ? もう本気で彼女には頭が上がらない。
参ったもんだ。俺は自分のへたれ具合に、ため息をつく。
「………ん……」
不意に、ティアが身動ぎする。閉じられていた瞼が開かれた。上体がゆっくりと持ち上がり、ぼんやりと周囲を見回し始める。
寝起きの潤んだ瞳が、焦点を俺に合わせて停止する。
「ルーク……?」
何だかとてつもなく気まずい。
いや、俺の一方的な思い込みに過ぎないかもしれないが、それでもどうにも声をかけにくい。だが、このまま何も反応しない訳にもいかないだろう。俺は片手を上げて、とりあえず挨拶する。
「……お、おはよう、ティア」
ボーッと俺の顔を見つめていたかと思えば、ティアが目を見開いて、勢い良く立ち上がる。
「ルーク、気がついたのね!」
「お、おう」
「よかった……私、あなたがもう……」
ティアが安堵に胸を押さえ、顔を俯ける。
前髪に隠されて、その表情は見えない。
「あーうーあー…………」
口が開け閉めされるが、一向に意味ある言葉は出てこない。こ、こういうときに何も良い台詞が思い浮かばない自分のヘタレ具合に、本気でへこむ。
と、ともかく、この沈黙はマズイ。
何か言うべき言葉を考えないといけない訳だが……
正直、どう話しかけたら良いのかわからない。
ティアは倒れた俺を心配して、ずっと付き添ってくれた訳だ。だが、結局の所、俺がぶっ倒れたのも、自分の無茶な行動が原因だ。彼女には何の落ち度も無い。
次第に頭から熱が冷め行き、思考に冷静さが戻る。
彼女に返すべき言葉があるとしたら……やっぱ、一つしかないか。
未だ顔を俯けている彼女に向き直り、俺は覚悟を決める。
「ティア……ごめん。俺の無茶な行動で、心配掛けちまたったよな。本当に、ごめんな」
自分の真剣な想いを込めて、頭を下げた。
ティアは俺の言葉に耳を傾けたあとで、ゆっくりと首を左右に振る。
「……バカね。あなたが謝る必要はないわ。顔を上げて、ルーク」
ティアはあくまで俺を気遣うように、優しく言い諭す。そんな彼女の姿を見るうちに、俺はようやく気づく。
「……そっか。この場合謝るのは、むしろ失礼だよな」
「ルーク?」
自分の伝えたい言葉はこれじゃない。
戸惑う相手の顔を正面から見据え、俺は改めて告げる。
「心配してくれて、ありがとな、ティア」
一瞬、驚いたように目を見開いた後で、彼女は今度こそ微笑んでくれた。
こうして、どうにか気まずい空気は無くなった訳だ。
しかし、どうにもそれに代わって、別の何かが周囲を漂い始めたような気がしてならない。嫌なものは感じないんだが……どうにも背中の辺りがムズ痒くて仕方がなくなる。いったい何だ、この空気は……?
「……んっ、んん!」
わざとらしい咳払いが部屋に響く。
ああ、そう言えばこの人も居たっけか。俺はシュウさんの存在を思い出す。
「そろそろ説明、再開してもいいかな?」
相手の言葉で、まだ説明の途中だった事を思い出す。
「す、すまねぇ」
「ご、ごめんなさい」
俺達は慌てて謝罪する。
「いやいや、なるべく手短に済ませるから安心していいよ、二人とも」
相手から注がれる視線に、なんだか生暖かいものが含まれているような気がする。
にやにやという形容が似合う笑みを浮かべながら、シュウさんが続ける。
「先程も言った通り、他の人たちは施設の見学に出てるよ。検査結果が出るにはもう少し時間が掛かるだろうから、体調的には今のところ問題無いようだし、君も施設内を見学したいなら、自由にしていいよ」
付添人も居るようだしね、と最後にからかうような笑みを浮かべた。
付け足された言葉に、ティアと俺は思わず顔を見合せる。
「…………」
「…………」
シュウさんは既に書類に向き直り、もう話は終わりといった様子で仕事に取りかかっている。
しばらくの間、何とも言えない沈黙が続いた後で、俺は辛うじて言葉を絞り出す。
「こ、ここに居ても仕方ねぇし、ちょっと見て回ろうぜ?」
「そ、そうね。行きましょう」
何故か互いにどもりながら、俺たちは頷き合い、そそくさと席を立つ。
い、いったい何なんだろうな、この空気は……?
俺達は動揺しまくりの状態で、施設内の散策に出かけるのだった。
* * *
その後もグダグダの会話が続いたが、しばらく経つと、自然にいつもの調子を取り戻すことができた。
他愛もない会話を交わしながら通路を進んでいる内に、休憩室とやらに行き当たる。
部屋の中に、ガイとナタリアの姿が見えた。だが、どうにも二人の様子がおかしい。怪訝に思いながら近づいていくと、ナタリアの言葉が耳に入る。
「まったく信じられませんわ! あのような無茶な行動を取るなんて……あなたがルークの盾となるべく、攻撃の注意を引こうとしたのはわかります。ですが、それであなたが死んでしまっては何も意味はないのですよ。わかっておりますの、ガイ!!」
「す、すまん。ナタリア。で、でもな、それでもあのときは仕方……」
「仕方ないと諦めていては何も変わりません。昔からあなたはそうです。きっと私が使用人としての心構えを説いてた頃から、適当な返事をしてこの場を乗り切ればそれで済むと考えていましたのね!」
「いや、そんなこと考えてないって!」
「いいえ、こうなったら徹底的に言い聞かせるまでですわ!」
「そ、そんな……!?」
ガイが声無き悲鳴を上げ、ナタリアが両手を腰に当てて、延々と説教を続けている。
「…………」
「…………」
俺とティアは無言のまま顔を見合せ、二人から直ぐさま距離を取る。
触らぬ神に祟り無し。厄介事には極力関わらないことに限るのだ。
「おお、お前さん達も来たのか」
「こっちに来て少し話をしていかない?」
休憩室の隅に陣取るヘンケンとキャシーが俺たちに小さく手招きをしていた。俺たちは招きに応じて、こそこそと二人の側に腰掛けた。
「……あれって、どうなってんだ?」
小さく問いかける俺に、ヘンケンが遠くを見据える。
「いやな。さっき意識を取り戻したばかりのガイが、研究所内を一人歩いとるのをナタリア殿下が目撃してな。いったい何を考えていると、たいそう御立腹らしい」
「検査した限り、異常は何も見つからなかったんだけどねぇ」
しみじみと語る二人の言葉に、俺の額を嫌な汗が流れ落ちるのを感じる。……俺もナタリアに見つかってたら、説教の仲間入りしかねないってことかね? 気を付けよう……。
「しかしルーク、お主も随分と無茶したらしいと聞いたが?」
「うっ……そ、それに関しては、俺も反省してるんだ。あんまり突っ込まないでくれ」
「……本当にわかってるのかしら?」
ティアから向けられる懐疑的な視線に、俺は冷や汗をダラダラかきながら返す言葉を探す。
「で、でもよ……俺もどうしてあんな事になったのか、本当にわからねぇんだよなぁ……」
これまでもパッセージリングの操作なんかでケイオスハートは使っていたんだ。時折変な鼓動が聞こえることはあったが、それでもぶっ倒れるような事態は一度も起こらなかった。何が原因になって倒れたのか、俺にも良くわからない。
「……ワシらは実際の現場を見てないから何とも言えんのだが、そんなに凄かったのか?」
「ええ。六神将を相手に、完全に押していたわ」
「それほどのもんか……」
顎先に手を添え、ヘンケンが何とも難しい顔になる。
皆で一頻り唸った後で、ティアが話題を切り換える。
「そう言えば触媒武器に関して、大佐がこの研究所に分析を依頼したと聞きましたが……?」
「うむ。今はまだデータ取りをしている最中だ。分析結果そのものが出るには、まだまだ時間が掛かるだろうな」
「ええ。私らは詳しく見てないけど、何だか随分と偏った音素の波を感じたねぇ」
偏った音素の波、か。
「……まあ、何にせよ俺がぶっ倒れたのはあの杖が原因なんだろうなぁ」
見た目からして呪われた武器っぽかったし、納得といえば納得だけどな。
デロデロな闇を吹き出していた、ディストが使った時の光景を思い出す。
「現時点で、何かわかった事はあるのでしょうか?」
ティアのもっともな質問に、技師二人は腕を組み、渋面になる。
「今の段階では何とも言えないが……どうも、集合意識体を使役する響奏器とは異なる性質を備えているようだ」
「まあ、惑星譜術の触媒って言うぐらいだしな」
俺達も知っている事実だったので、おざなりに応えると、ヘンケンが否定を返す。
「いや、違うぞルーク。それ以前の問題だ。あの触媒武器は、通常の奏器とは全く異質なものだ」
言葉に込められた強い意味に、俺たちの間に緊張が走る。
「……いったい、どういうことだ?」
「通常の奏器は音素溜まりである音符帯と交信することで、集合意識体の力を外部から引き出し使役する。だが、あの触媒武器は内に取り込んだ莫大な音素を引き出すことで、力を行使している」
「本来なら外から取り込むはずの力を内側から引き出している……そういうことですか?」
「うむ。そう言ってもいいだろうな」
内側から……か。
確かに地殻でも、外側から力が流れ込むってよりは、杖自体から何かが流れ込んで来るのを感じた。
「……やつらがパッセージリングに触媒武器を突き刺して、地殻に干渉してるのと何か関係があるのかね?」
スピノザの渡してくれた資料から、記憶粒子関連の何かを引き出しているんだろうと考えていた訳だが、それもどうやら怪しくなってきたな。
場が煮詰まってきたのを感じてか、ヘンケンが話題を変える。
「地殻と言えば、お前さんたちが振動中和作戦時に、地殻でローレライと邂逅したと聞いて驚いたぞ。学会の定説がひっくり返るな」
「ん、何だその定説って?」
「ローレライ……つまり第七音素集合意識体とは、もともと自然界に存在していた音素ではない。故に、集合意識体が存在するにしても、明確な自我は存在せず、ひどく希薄なものだろうと考えられていたのだ」
「……ふーん」
学会の定説ねぇ。まあ、地殻であれだけはっきりした声で呼びかけてきたんだ。自我があるのは確かだろうな。
「……少し話がズレたか。
ともかく、第一奏器に関しては、分析中としか今は言えんな。気になるなら実験室に行ってみるといい。確か導師イオンも其処にいたと思うぞ」
「そうだな。ちょっと行ってみるか」
「そうね。ヘンケンさん、キャシーさん、ありがとうございました」
「おう、またいつでも来るといい」
「待ってるわぁ」
二人に別れを告げ、俺たちは席を立つ。
休憩所の中央では、未だガイがナタリアに説教されていたりするが、俺に声を掛ける勇気はありません。
俺の分まで頑張ってくれよ、ガイ!
心の中で親友に無責任な声援を送り、俺達は足早に休憩室を後にするのだった。
* * *
実験室はまるで戦場のようだ。
据えつけられた機材に幾つもの波形が浮かび上がり、何人もの研究員が行ったり来たりを繰り返す。部屋を漂う緊張感に、何とも自分たちの場違い加減を思い知らされる。
肩身の狭い想いをしながら、行き交う技師たちの邪魔にならないよう、隅っこを進んでいると、部屋の端にぽつんと一人佇むイオンの姿が見えてきた。
「よっ、イオンじゃないか」
「ルーク、気がついたのですね。それにティアも」
とりあず俺たちはイオンの隣に並ぶ。最初にティアが口を開く。
「触媒武器のデータが、ここで採取されていると聞きましたが……?」
「はい。ですが、データ自体は既に取り終えたので、先程ジェイドが触媒武器を回収して行ってしまいました」
「大佐が……では、今はデータの解析作業中ですね?」
「ええ。皆さんとても忙しそうに動いてます」
動き回る技師たちを見据え、イオンが微笑む。だが、その笑みもどこか力ないものだった。
何となく声を掛けにくいものを感じながら、俺は改めて施設に視線を巡らせる。
「……しかし、随分と大仰な施設だよな」
「そうですね。これだけ大規模な施設は、大陸でも稀なものでしょう」
せわしなく動き回る技師たちが指示を出し合う言葉だけが、室内に響く。
そう言えば、イオンとこうして顔つき合わせて話するのも、随分と久しぶりな気がする。
思い出すのは、地殻で対峙したシンクの吐き捨てた言葉。
───ゴミなんだよ。代用品にもならないレプリカなんてさ。
「……」
改めて思い返して見ると、確かにイオンの行動には不審な部分が目についた。これまでは導師という地位に比べて、若すぎるイオンの年齢から、未だ教団を掌握しきれていないせいだろうと単純に考えていた訳だが……実際は、そうじゃなかったんだよな。
導師イオンのレプリカ……か。
「イオンは……自分のオリジナルついて、どう思う?」
気づけば、俺はそう問い掛けていた。
ティアが僅かに緊張を顔に走らせ、イオンが突然の質問に困ったように首を傾ける。
言った後でやっちまったと思ったが、今更取り消せるはずも無く、俺は慌てて言い繕う。
「いや、俺と同じような奴がどう思ってるのか、ちょっと気になったっていうか……えーと……」
しどろもどろになって、自分でもよく分からない言葉を重ねる俺に、イオンがゆっくりと天井を仰ぐ。
「そうですね……僕にとってオリジナルは、遠い人、です」
予想しなかった言葉の響きに、俺は自分の口を閉じて、イオンに視線を戻す。
「遠い人……か」
「ええ。アッシュと違い、オリジナルイオンは既に故人です。僕たちが知り得た彼に関する知識は、すべて人伝てに聞かされた、断片的なものでしかありませんでしたから」
病死したと言われるオリジナルイオン。彼の代用品として作られたレプリカ達。
「何人も居たレプリカ達の中から、僕が導師の代わりとして選ばれたのは、音素を扱う能力がもっともオリジナルに近かったからです。そして選ばれた僕に期待されたのはオリジナルのように……いえ、オリジナル以上に導師らしくあることでした」
周囲からの期待に応えるまま、導師としての振る舞いを身につけた。
「オリジナルの代わりに教団をまとめる……求められる価値、か」
俺の確認に、イオンがわずかに目線を下げる。
「……ええ。でも、僕はそれでもいいと思っています。たとえ自分が幾らでも取り替えの効く存在であったとしても、教団にとって《導師》という存在は絶対に必要です。ならば、僕は導師として在ろうと……」
静かに胸の前に腕を組み、イオンは目を閉じる。
イオンの言葉は、どこか俺自身にも通じるものがあった。
複製品ってことは、オリジナルの情報さえあれば、幾らでも似たような存在が作れるってことを意味しているんじゃないか? 誰か、自分が確かに自分であることを認めてくれ───そう考えることを、決して止められない。
造られた存在にとって、それは当然の思考の流れだった。
それでも俺とイオンのそれぞれが出した答えは、若干異なるものだった。
「するべきことが、いつしか自分のしたいことに重なってしまうこともある……か」
かつて月明かりの下交わした会話が蘇る。
「あんまり教団のことばっか考えてないでさ。少しは自分の事を考えても良いんじゃねぇの? イオンは十分によくやってる……そう、俺なんかは思うんだけどな」
俺は軽い口調で、イオンの頭をポンポン撫でる。
実際、イオンはよくやっている。やりすぎている程に。自分がレプリカであるという負い目が、こいつを仕事に駆り立てているんじゃないかと……俺は少し心配になる。
「ありがとうございます、ルーク」
イオンは嬉しそうに顔をほころばせた後で、しかし静かに否定を返す。
「ですが、僕は導師です。たとえ他に選択肢が無かったのだとしても、導師であること選んだのは、他の誰でもない……僕自身の意志です。教団のことを、そう簡単に投げ出す訳にも行きません。そんなに心配そうな顔をしなくても、僕は大丈夫ですよ、ルーク」
微笑みながら、力強く言い切るイオンの顔には悲壮感などカケラも見当たらない。本心から言ってることが、俺にも伝わった。
「本当……意外と強情だよな、イオンはさ」
「すみません、ルーク」
互いの視線を合わせ、俺たちは苦笑を浮かべあった。
こうして俺達が言葉を交わしている間、ティアは一歩引いた位置で静かに佇み、俺達の会話に耳を傾けていた。
おそらく、俺達の会話の邪魔にならないように、意図的に黙っていたのだろう。
……そこまで気を使う必要はないんだけどな。
俺は自然と苦笑が深まるのを感じる。とりあえず、彼女も話しに参加させようと口を開いたところで、柱の影に隠れているアニスの存在に気づく。
「そんなところで何してんだ、アニス?」
「はぅぁ!」
俺の呼びかけに、しまったとアニスが呻く。慌ててこちらに背を向け、走り去ろうとした彼女に、イオンが顔を向ける。
「アニス?」
「あぅ……イオン様」
さすがにこのまま逃げ去る訳にも行かないと思い直したのか、アニスがおずおずとこちらに歩み寄る。
気まずそうに顔を背けるアニスに、イオンが正面に立つ。
「アニス、僕はオリジナルイオンではありません。それでも……僕についてきてくれますか?」
「そんな……そんなの、当たり前ですよ、イオン様!」
「ありがとう、アニス」
二人の遣り取りに、俺たちの間にも自然と笑みが浮かぶ。
しかし、アニスの表情に落ちる蔭には、誰も気づくことは無かった。
* * *
イオン達と別れ、俺たちは更に先へと通路を進む。
なんでもイオンの話によると、この先でジェイドとスピノザの二人が障気に関して話しているらしい。
俺たちは二人の居る研究室を目指して、通路を進む
それほど進まぬ内に、スピノザの姿を発見する。
向こうも俺たちに気づき、嬉しそうに声を上げる。
「おお、お前さんたちか。タルタロスを沈めるのには成功したそうだな」
「まあ、かなり危うかったけどな」
肩を落として応える俺にスピノザが苦笑を浮かべた。
部屋の奥からジェイドが姿を見せ、少し驚いたように眉を上げる。
「おや二人とも、おそろいの様ですね。いったいどうしました?」
「障気に関して二人が話してるって聞いたから、ちょっと気になってさ」
俺の返した言葉に、ジェイドが顎先を押さえ、押し黙る。
……俺、何か変なことを言ったか?
少し不安になってきたところで、ジェイドがスピノザに顔を向ける。
「ちょうどいい機会ですし、二人にも説明して置きましょうかね」
「うむ。そうじゃな。お前さんたちにも伝えておいた方がいいだろう」
よく話を掴めない俺たち二人の前に立ち、ジェイドが眼鏡を押し上げる。
「とりあえず、障気中和──いえ、隔離案とでも言うべきものが、出来上がりました」
「え、マジか?」
「……隔離案、ですか?」
驚く俺たち二人に、スピノザが説明を引き継ぐ。
「うむ。中和では無く、大地の下に障気を押し込める隔離案じゃ。だが、かなり現実実のある話だぞ。わかりやすく説明すると……」
研究室に置かれたホワイトボードに二つの円が重ねて描かれる。円の中心には地殻、内側の円が描く線をさして魔界、さらに外側の円をさして外郭大地。地殻から円の外側に向けて伸びる無数の線をさして障気と記す。
「この図にある様に、現在大地は魔界と外郭大地の二つに別れておる。地殻から吐き出される障気から逃れる為に、先人たちが大地を引き離した為じゃが、このまま単純に外郭大地の降下がなされたならば、降下後、大地をかつてのように障気が覆い尽くすじゃろうな」
最初の図の隣に似たような図を描き、単純な降下後の状況と記す。新たな図の円は一つだけで、円の線をさして降下後の大地、円の中心から吹き出る線を障気と記し、円の外側を黒く塗りつぶすことで、障気が蔓延した状態を表す。
「つまり、これでは何の対策にもならんという訳じゃ」
図の上に大きくバッテンを描く。
「では、どうすればいいか? そう考えた場合に、外郭大地と魔界の間に存在する力場──ディバイディングラインにワシ等は注目した」
最初の図に戻る。二つの円の隙間を指して、ディバイディングラインと付け加える。
「これはセフィロトツリーによる浮力の発生地帯でな、この浮力が星の引力との均衡を生み、外郭大地は浮いておるんじゃ。現在お主らが進めているように、大地の降下時期をすべての大陸で同期させることで、降下がはじまると同時に、このディバイディングラインから下方向に強力な圧力が生まれる。ワシら考えた案とは、この圧力をもって……」
外側の円から内に向けて伸びる無数の線を付け足し、圧力と記す。この圧力が、円の中心から伸びる障気の線を包み込むように描かれる。
「このように、一斉降下で発生する圧力を膜として、障気を覆い尽くし、大地の下──つまり地殻に押し戻すことで、障気を隔離させるというものじゃ」
ホワイトボードをポンと叩き、スピノザが俺たちに向き直る。
うーむ……まあ、どんな案なのか大まかにイメージで捉えることはできたかね。
だが、そうすると少し気になる部分が出てくる。
「これって、障気が消えた訳じゃないんだよな?」
「うむ。隔離というぐらいじゃからな」
「確か……プラネットストームとか言うのは、地殻から音素を組み上げて惑星燃料にしてるんだよな? なら、そこから障気がまた出てきたりしないのか?」
地殻に押し戻すって言うぐらいだから、そういうこともあるんじゃないのか? そうした俺の懸念に、ジェイドが眼鏡を押し上げる。
「このまま何もしなければルークの言う通りになりますね。ですが、それに関しても一応対策は考えています」
「あ、やっぱ考えてたか」
「ええ。そもそも魔界を溢れている障気も、セフィロトから発生したものです。どちらにせよ、何らかの対策を講じる必要がありましたからね。
私たちは外郭の降下後に、パッセージリングを全停止して、セフィロトそのものを閉じることを考えています」
「地殻の振動は停止しているから、液状化している大地は固まり始めている。だから、セフィロトを停止しても大陸は呑み込まれない……そういうことでしょうか?」
「ええ。おおむねティアの言う通りですね」
ジェイドが肩を竦め、俺たちに説明が終わったことを示す。
俺は説明を改めて思い返しながら、頭の中で整理する。しばらく考えた後で、何となく理解できたような気がした。
「ようするに、臭いものにはフタをしろってことか」
うむうむ。そう考えれば納得だ。俺の漏らした正直な感想に、皆の顔が一斉に引きつる。
「あ、ある意味その通りかもしれないけど……」
「……少し率直に過ぎる物言いじゃのう」
「まあ、ルークらしい理解の仕方ですけどねぇ」
やれやれと、気を取り直すようにジェイドが眼鏡を押さえる。
「セフィロトを閉じることで、障気が地上に溢れることも無くなります。ただ付け加えておくと、譜術と譜業の力は極端に落ち込んでしまうでしょうね」
「……それって結構大事じゃねぇか?」
「ですが、贅沢は言ってられません。今は生き残ることを優先すべきでしょうね」
まあ、確かに生きるか死ぬかの瀬戸際で、そんなこと言ってられねぇか。
現実味をおびてきた障気対策に感心していると、突然、部屋に設置された内線が音を立てる。
スピノザが受話器を取る。二三言葉を交わしたかと思えば、すぐに受話器を置いて、俺たちに顔を向ける。
「どうやらルークの検査結果が出たらしい。そろそろ戻って来いという話だ」
「ああ、そういえばそんなものあったっけな」
正直まったく忘れていた話しだった。でもまあ、さすがにこのまま戻らないわけにはいかないだろう。
眼鏡を押し上げ、ジェイドが俺たちに促す。
「わかりました。では、一旦医務室に戻りましょう」
「そうですね。行きましょう、ルーク」
「了解、んじゃ、またな、スピノザ」
「うむ、またな、ルーク」
俺たちはスピノザに別れを告げ、再び医務室に戻るのだった。
* * *
「───あなたの血中音素は不安定化しています」
医務室に集う六人を前に、シュウさんが暗い面持ちで検査結果を告げた。
「血中音素の不安定化……ですか」
つぶやきが、無言の室内によく響く。
どこか重苦しい沈黙の降りた室内で、肝心の俺自身は、告げられた症状がどんなものか、まるで理解できていなかった。
「……それって何かまずいのか?」
よく状況が掴めずに首をひねる俺に、シュウさんが落ちついて聞いて下さい、と前置きする。
「そもそも音素を扱う譜術や技などは、そうじて体内のフォンスロットに一時的に音素を取り込むことで、何がしかの力を行使します。あなたの場合、そうして取り込まれた音素が汚染されていて、上手く体外に放出できていないようなのです」
取り込まれた音素が外に出せてない……か。それに関しては、何となくイメージできる。だが、
「音素が汚染されてるってのは、どういうことですか?」
「いま、全世界で噴出している毒素───障気でしたか? とにかく、それと結合しているようです」
「障気に汚染された音素を取り込んでいるということでしょうか?」
驚きに目を見開くナタリアに、シュウさんが深刻な表情で頷き返す。
「汚染された音素を取り込んでいる……か」
……思い当たる節があるとしたら、やっぱ一つしかないだろうな。
「やっぱ、触媒武器を使ったせいかね?」
「……まあ、そう考えるのが一番自然でしょうね」
あれ以外に、俺のぶっ倒れる要因になりそうなものは、見当たらない。
「しかし、そうすると今後のパッセージリングの操作が厄介だよなぁ」
パッセージリングの起動にも触媒武器は不可欠だ。
「って、そういえばティアは大丈夫なのか?」
よくよく思い出して見れば、起動時にかなりの回数ティアに持ってて貰ったような気がする。急激に不安が沸き上がる俺に向けて、ジェイドが静かに否定を返す。
「いえ、おそらくそれに関しては大丈夫でしょう」
「へ……どういうことだ?」
「これまでも私たちはパッセージリングの起動時に、触媒武器を用いてきました。しかし、これまで異変は起きていなかった。地殻での直接的な力の行使が原因だろうと考えられます」
ああ、なるほど。まあ、確かに地殻で使った力は、ちょっと尋常じゃないもんがあったからな。何が起きても不思議じゃねぇか。
「すみません。いったい、何の話しを……? 何か心辺りがあるのでしょうか?」
怪訝そうに尋ねるシュウさんに、俺たちは触媒武器を使用してパッセージリングを起動させてきた事、地殻で触媒武器を使用した直後に俺が倒れたってことを説明する。
「なるほど……そんな事が」
話を聞き終えたシュウさんが、重々しく首を頷かせる。
「おそらく、その触媒武器の使用が原因でしょう。創世歴時代の音機関は大量の第七音素を含んでいますから、パッセージリングの起動時に触媒武器へ汚染された音素が流れ込んだ事が考えられます。地殻で戦闘に触媒武器を使用した直後、あなたが倒れたのも、蓄積された第七音素が一度に、大量にあなたの身体に流入したことで、拒絶反応が出たからでしょうね」
なるほど、そんな事が起こってたのか。シュウさんの分析に納得しかけたところで、説明の一部に違和感を覚える。
「ん? 第七音素?」
「ええ。そうですが……どうしかしました?」
「いや、何と言ったらいいのか……」
口ごもる俺に代わって、ジェイドが俺の疑問を口に出す。
「地殻でルークが触媒武器を使用した際、引き出されたのは闇属性の第一音素を用いた力でした。そこが気になっているのでしょうね」
「……確かに妙ですね。実際、ルークさんの身体から検出されたのは、汚染された第七音素でした。ん、いや……だが……確かに属性に偏りがあるようにも……」
首を傾げる俺たちを余所に、シュウさんがぶつぶつと何やらつぶやき始める。
「触媒武器の分析結果が出れば話は早いのですが……ま、今は待つしかないでしょうね」
「それもそうですね」
ジェイドの言葉に頷き、シュウさんは俺に改めて顔を向ける。
「ともかく、ルークさん。現時点ではまだ取り込まれた音素は微量なものなので、明確な自覚症状もないでしょう。しかし、このまま使用を続けた場合……命の保証はしかねます。今後の使用は絶対に控えて下さい」
医師としての矜持を強く前に出し警告するシュウさんに、自然と俺も姿勢を正して首を頷かせるのだった。
こうして診断結果を受け取った俺たちは、シュウさんに別れを告げ、診察室を後にする。
「それで、とりあえずこの後はどうする?」
部屋の外に出たところで、俺は閉口一番、今後の行動方針を尋ねる。
「そうですね……この時間を無駄にするのも勿体ない。触媒武器の分析結果が出るまでに、近場のパッセージリングを操作してしまうのが一番効率がいいでしょう。幸いデータの採取段階は終わっているので、触媒武器自体は既に返却されていることですしね」
確かに、いつパッセージリングの限界が来るとも知れない現状で、このまま時間を無駄にするのも勿体ないか。
「それじゃ、とりあえず次のパッセージリングに向かうんでいいんだな?」
「ええ。一先ずはそうした方針でお願いします」
俺とジェイドが合意に達した瞬間、皆が次々と声を上げる。
「ルーク、待って。これからのことも重要だけど、あなたの身体は本当に何ともないの?」
「ああ、無理してるとかは無しだぜ?」
「そうですわ。障気による汚染……決して、軽く見てはいけないと思いますわ」
皆の顔に浮かぶ不安は、おそらくアクゼリュスで目にした人々を思い出してのものだろう。
「いや、全然大丈夫だって。そりゃ心配しすぎだよ」
「……実際の所、どうなのですか?」
真剣な表情になって、俺の表情を伺うジェイド。俺は正面から見返し、強く頷き返す。
「ああ、嘘じゃない。大丈夫だ」
「そうですか……なら、私から言うことは何もありません」
どこか冷たく響いたジェイドの返しに、ガイが声を張り上げる。
「ジェイド、お前な! このバカは直ぐに無理するんだ。そんな直ぐに認めて嘘だったら、どうするっ!」
「……ですが、本人が大丈夫と言っているのです。これ以上どうしろと?」
何だか場に不穏な空気が漂い始めたのを感じて、俺は慌てて口を開く。
「いや、落ち着けって! 取り込まれた汚染音素はまだ微量だって、シュウさんも言ってただろ? それにパッセージリングの起動は関係ないだろうって話しになったんだ。そこまで深刻に考える必要はないだろが」
実際、ここまでパッセージリングの起動には使ってきたのに何も起こらなかった。それにジェイドだけでなく、医師であるシュウさんの見解も一致したんだからな。
「……あなた自身も、本当に、自分の体調におかしな所は感じていないのね?」
「ああ。体調は万全だ。ピンピンしてるぜ」
ほれほれと、俺は自分の健康さをアピールすべく、屈伸運動を繰り返す。
だが、突然の動きについていけなくなった筋肉がビキビキ音を立てる。
って、イテテテテッ! あ、足、吊ったっ!!
カカトの腱を押さえながら、地面の上を悶絶する俺に、場の緊張感が一気に霧散する。
「……まあ、確かにこうして見る限り大丈夫そうだな」
「そうですわね」
「むしろいつもより元気そうだよね」
「ここから近い場所にあるパッセージリングというと……イオン様、どの辺りになりますか?」
「確か……メジオラ高原にセフィロトが存在したはずです」
「シェリダンの南西ですね。行きましょう」
ぞろぞろと、一斉に皆が歩き出す。
ま、待ってくれ、皆ぁ…………
侘しい木枯らしが、俺の身体に吹きつける。
ううっ……これなら心配されてる方が、まだましだったような気が……
なんだか受けを狙って外した芸人のような気分になって、俺は激しく落ち込んだ。
* * *
暗く重苦しい地底の坑道を進む。メジオラ高原のセフィトの道程は、はさして妨害が入ることも無く順調に進み、遂にパッセージリングに行き当たる。意外と今回は呆気ないもんだ。
俺はいつものように操作をしようとした所で、ジェイドが待ったをかける。
「パッセージリングの起動時にどんな反応があるのか、測定してみましょう」
確かにその通りだな。納得して、俺はジェイドの渡した計測器を杖に取り付ける。
パッセージリングが起動すると同時、杖に何かが流れ込むような感覚。
「……これは、障気が杖に流れ込んでいますね」
「やっぱ、そうなのか」
少しの間様子を伺うと、ジェイドが顔を上げる。
「ですが安心して下さい。人体に流れ込んでいる様子はありません。パッセージリングの起動時には、やはり問題はなさそうですね」
ジェイドの保証に、今後の行動には影響が無さそうだと俺は安堵する。
「……これまであまり気にしてなかったけど、そもそもどうして、触媒武器でパッセージリングを起動できるのかしら?」
「言われてみればそうだな。第七音素が流れ込んでくるのと何か関係があるのか?」
「そうですわね。六神将達もパッセージリングに干渉しているようですし、何らかの原因があるのでしょうけど……」
「うーん。六神将がパッセージリングに何してるかも、よくわかんないしね」
これまでの疑問を口にするが、答えは出てこない。
一人話しに参加しなかったジェイドが、眉間に皺を寄せ難しそうに考え込んでいるのが見える。
「何か気になることがあったのか?」
「……とりあえず、降下準備を終えてしまいましょう」
詳しいことはベルケンドに戻ったら話します、と一方的に告げると、ジェイドは話を打ち切った。
また話を逸らされたと思わないでもないが、まあ、そのうち話すとは言ってるんだ。仕方がないか。
多少の諦めを感じながら、俺はパッセージリングに向けて超振動を放つのだった。
* * *
パッセージリングの操作を終えた俺たちは、再びベルケンドに戻った。
研究所の前まで来たところで、中から走り出てきたスピノザが俺たちに駆け寄ってくる。
「おお、戻ったか。パッセージリングの操作は成功したようだな」
どこか気もそぞろな様子で言い募るスピノザに、俺は首を傾げる。
「どうしたんだ、そんな慌てて……?」
「うむ……ワシらもまだよくわかっていない事柄なのじゃが、なるべく早くお前さんたちに伝えておいた方がいいと思ってな」
「何があったのです?」
視線も鋭く問いかけるジェイドに、スピノザが顔を曇らせる。
「外郭大地における障気の拡大が、当初の予想を遥かに上回る勢いで進んでいるようなのじゃ。このままでは崩落を待つまでもなく、外郭大地全てが障気に覆われるのも、そう遠い先の話しではないじゃろうな」
「外郭大地全てをって……」
そんなに障気の拡大は速いのかよ? 思った以上に悪い外郭大地の状況に、俺たちの間にも緊張が走る。
「……ですが、予想を上回ると言っても、まだ対策を講じるだけの猶予はあります。あなたの焦りようを見る限り、何か想定すらしていなかったようなイレギュラーが他に発生しているのでは……?」
眼鏡を押し上げ冷静に分析するジェイドに、スピノザが苦しげに頷く。
「ジェイドの言う通りじゃ。こちらに関しては、全てが不明のままなのじゃが……同時に、世界中における第七音素の総量が急激な減少を始めているようなんじゃよ」
「第七音素の総量が急激な減少ですか……。では、プラネットストームの活発化は……?」
「うむ。その懸念はワシらも最初に考えた。すぐに確認してみたのじゃが、今のところそのような兆候は掴めておらん」
二人によると、地殻から組み上げられた記憶粒子から第七音素は生み出され、常に一定量の音素が世界に満ちているという。第七音素が一時的に減少した場合も、失われた分を取り戻そうと、プラネットストームの動きが活性化して、通常は不足分が補充されるのだそうだ。
だが、スピノザ達が観測する限り、そうした動きは見えないらしい。
「障気の拡大とほぼ時を同じくして起きた、第七音素の減少……。二つの間に何か関連があるのではないか……あなた達は、それを疑っているのですね?」
「うむ。偶然同時期に起きたと考えるには、どちらもあまりに特異な現象だったからの。嫌でもそれを考えてしまう。それに障気と第七音素……どちらもヴァン様が気に掛けて居られた事柄じゃ」
触媒武器によるパッセージリングへの干渉。それに伴う外郭大地の崩落。やつらの語った、第七音素集合意識体、ローレライの消滅……。
新たな問題の登場に、沈黙がその場を満たす。
「──ま、あまり考え込みすぎても仕方ありません。触媒武器の計測結果はありますか?」
ジェイドの問い掛けに、スピノザが我に帰り、脇に抱えていたファイルを持ち上げる。
「おお、そうだった。一応、ここに分析結果をまとめていおいたぞ」
「なるほど、かなり細かい分析結果ですね……」
受け取ったファイルをジェイドが凄まじい速度でめくり、確認を始める。
「ただ……こちらもやはり、不可解な部分が多いのぅ」
基本的に創世歴時代の遺物はオーバーテクノロジー。既に失われた技術によって作られている。そうしたものを完全に解析することは、やはり難しいのだろう。
「構成音素の分析過程で、とてつもなく莫大な量の音素が、この武器の内部に蓄積されておるところまでは判明した。しかし、どうにもおかしいんじゃよ……」
眉をしかめながら、スピノザが俺達に確認する。
「お前達がディストからこの杖を奪った際、闇属性の力を用いた攻撃を受けたそうじゃな?」
「ああ、とんでもない威力の攻撃だったから、今でもよく覚えてるぜ。ジェイドが言うには、物質化するまでに高められた第一音素の攻撃とか言ったっけ?」
「ええ。譜歌の障壁で、最初の攻撃を防いだのよね……」
「あのときは参ったよ。通常攻撃がほとんど効いてなかったのが、一番印象に残ってるな」
「だよね~。あれがディストじゃなかったら、本気であぶなかったよね」
俺たちの脳裏に、セントビナーで対峙した、闇の衣をまとった譜業兵器の姿が蘇る。
「うむ……」
だが、そんな俺達の会話に、スピノザが難しい顔になり、ついで突拍子もない言葉を告げる。
「第一音素は検出されなかったんじゃ」
奇妙な間が、場に降りる。
「は?」
まるで相手の言ってる言葉が理解できない。呆気に取られる俺達に、スピノザが気まずそうに、もう一度繰り返す。
「だから、あの触媒武器から、第一音素は一切検出されなかったのじゃよ」
数秒遅れで、完全に理解が追いつく。
なるほど、第一音素は検出されなかったと。
「って、なんだそりゃ!? 地殻で俺が使用した際も、全部闇属性の力引き出してたんだぜ!? それが第一音素が一切ないって、おかしすぎだろ!?」
「うむ。そこなんじゃよ。ワシラとしてもどう考えたものか困ってしまってなぁ」
悩ましげにため息をつくスピノザに、俺たちは顔を見合わせる。
「どうして、そのような結論に……?」
「うむ。その触媒武器に、闇属性の性質をもった音素が蓄積されていることは確かじゃ。通常なら、これで第一音素であると断言できる。じゃが……どうにも第一音素にしては、検出される反応がおかしい。むしろ、あの反応は……」
「第七音素に近い」
スピノザに渡された資料を確認していたジェイドが、顔を上げる。
「少しも考えなかった訳ではないですが……それでも驚きの結果ですね。ディストの玩具と対峙した際も、あまりに強い闇属性の反応に、第一音素を収束させていると判断したのですが……どうやら私が間違っていたようだ」
一人納得したように頷くジェイドに、ガイが困惑を顔に出す。
「……よくわからないな。ディストやルークが放っていた力は闇属性のもんだったが、集束された音素の種類は、第一音素じみた第七音素だった。そこまでは理解した。しかし、そもそも、どうして第七音素が第一音素まがいの反応してるんだ?」
有り得ないだろ、とガイが肩を竦める。
「ええ。確かに異常な結果です。しかし、決して有り得ないとは言い切れません。そもそも第七音素とは、地殻から吹き出した記憶粒子が、六層からなる音符体を通過する過程で、新たな特性をもった音素。その特質として、確たる属性を持たないというものがあることですしね」
「……限りなく第一音素に近い特性を備えた第七音素があったとしても、おかしくないということですか?」
「ええ。この反応の違いにしても、資料から読み取る限り、測定器を用いた精密な計測作業によって、初めてわかるような程度の差異でしかありませんから」
ティアの確認に肯定を返した後で、ジェイドが眼鏡を押し上げる。
「もっとも、音素の種類を特定する際、この違いは決して無視できませんがね」
「ここまで偏った属性を備えた第七音素というものは、ワシらも初めて目にしたからのう」
スピノザの言葉に、休憩室でヘンケンとキャシーが言っていた言葉が思い出される。
あまりに偏った音素の波形、か。
「ともあれ、色々と助かりました、スピノザ。引き続き、状況の監視をお願いします」
「うむ、任せておけ。お主らも、十分、気を付けるのじゃぞ」
「ああ、またな、スピノザ」
スピノザと別れ、ベルケンドの街を歩きながら、今後の予定に話を移す。
「ところで、残りのセフィロトって、どこにあるんだ?」
「アブソーブゲートとラジエートゲートを抜かせば、イスパニア半島のタタル渓谷か、ケテルブルク近郊にあるロニール雪山のどちらかです」
なるほど……そろそろ最後が見えてきたな。
「次はどちらに行きましょうか?」
「ロニール雪山はかつて六神将が任務で赴いた際、魔物に襲われて怪我をしたと聞いたことがあります。できれば最後に回した方がいいと思うのですが……」
「……そうですね。地元の住民でも、あの山には滅多に近づきません」
「そんじゃ、まずはタタル渓谷に向かおうぜ」
特に反対意見が出るでもなく、次の目的地はタタル渓谷に決まった。
皆が言葉を交わすのを横目に、俺は新たに知った事柄に思考を飛ばす。
今回ベルケンドを訪れた事で、かなりの情報が集まった。
障気の急激な拡大。第七音素総量の減少。触媒武器を使用する事で、身体を蝕む汚染された音素の存在。そして、触媒武器の内に存在する……あまりに偏った性質を備えた、莫大な量に登る第七音素。
こうした情報を踏まえた上で、改めてヴァンの目的を考えたとき、六神将側が触媒武器を使ってパッセージリングで何をしているのか……突拍子もない一つの推測が浮かび上がる。
ジェイドは未だ何も言って来ないが、俺程度が考えついた事だ。あいつが気づいていないなんて事は有り得ない。皆に説明しないのは、単に俺の考えが間違ってるだけか、もしくは、この推測が確信に至るまでには、まだ欠けたものが存在するか……このどちらかだろう。
「ローレライの消滅……か」
触媒武器に関する俺の推測が当たっているとしたら、確かにそれも可能かもしれない。
同時に、まだ俺達にも、打つべき手があるとも言えるだろう。
だが、俺の中で、乾いた声が囁く。
お前は何かを見落としていると。
拭い去れぬ不安に、俺はため息をつき、気分を紛らせるべく、ベルケンドの空を見上げる。
澄みきった蒼空の向こう、崩落の発生した地平から、紫色の何か──障気が立ち上る光景が目に入る。
ここまで障気の拡大は酷いのか。そう顔をしかめた瞬間──無数のイメージが脳裏を過る。
真っ白な部屋。
時計が秒針を刻む。
顔のない誰かが、俺に視線を向ける。
時計が秒針を刻む。
俺はそれに反応して口を開き───…………
「────ご主人様、大丈夫ですの?」
「……ん?」
心配そうにミュウが俺の顔を見上げていた。
何故か寝起き後のように、ぼっとした頭を押さえる。しばらく立ち尽くした後で、俺は苦笑を浮かべながら、ミュウの頭をなでる。
「なんでもねぇよ。大丈夫だ」
「どうしたの、ルーク?」
立ち止まった俺たちに気づいてか、ティアが訝しげに振り返る。
「いや、何かちょっと立ちくらみがしたみたいなんだが、そんだけだよ」
「本当に大丈夫なの? あなたの身体には微量とは言っても、障気が浸透してるのよ。少しでも異常を感じたら無理は……」
「いや、だから本当に一瞬くらっと来ただけだって。全然問題ない。大丈夫」
「……なら、いいけど」
「心配ですの……」
尚も心配そうに見やるティアと小動物に、俺は遠ざかりつつある皆の背中を示す。
「大丈夫だって。皆が行っちまうから、俺達も早く動こうぜ」
「そうね。でも……無理はしないでね」
「ああ、わかってるよ」
俺はティアに苦笑混じりの笑みを返し、皆の後を追いかけるのだった。
カチリ、時計が秒針を刻むと同時。
壁にかけられたおびただしい数の時計が、一斉に鐘を打ち鳴らす。
すべての時計の長針と短針は、十の数字を指し示した位置で互いに重なりあっている。
時計を見据える部屋の主は声を上げて笑う。
───解放の刻は近い。
ひどく楽しげな声が、どこまでも虚ろに響く。