音機関の駆動音が、間断なく耳に届く。
ベルケンドは音機関都市と言われるだけあって、そこかしこに試作機らしい音機関が転がってるのが見えた。
初めて訪れたベルケンドの景観に物珍しさを覚え、周囲をきょろきょろ見回していると、ティアが苦笑を浮かべながら俺に尋ねて来る。
「そう言えば、ベルケンドはあなたのお父様の領地だったわね」
「あー……そうらしいな。しかし……うーん」
上の空で応じた俺の言葉を受けて、ティアもまた街に視線を転じる。
「首都バチカルと湿原で隔てられているからこそ、姻戚関係にあるファブレ公に治めさせているのかしら……?」
「そうでしょうね。下手な貴族を置いて、敵対行動を取られてもたまりませんし」
「立地条件だけじゃないだろ? 譜業や音機関の開発は軍事力の向上においても重要だからな。研究所のあるベルケンドを任せるのも信用のおける人間じゃなければならなかったところだろう」
ジェイドやガイが小難しい話をしてるのを耳にしながら、しかし俺はしきりに首を傾げ続ける。
うーん。なんだか、妙な感じを受けるというか……
「なんか、初めて来た気がしないんだよなぁ」
不可解な既視感を覚えながら街を見渡す俺に、ナタリアが別におかしくないのでは、と声を掛ける。
「あなたのお父様の領地ですもの。覚えがあっても当然なのでは……?」
「んー……でも俺自身は七年間王都から出たことが無かったわけだしさ……いったい何だこの感覚?」
理由の定まらない気持ち悪さに、俺はガシガシと頭を引っかいて首を捻った。
「見た覚えも聞いた覚えも無いのに、なぜか知ってるような気がする……ひょっとしてそれって、デジャブってやつ?」
「デジャブ? なんだそれ?」
聞き覚えの無い単語に俺が眉を潜めて問い返すと、アニスが半眼を向けて来る。
「あっきれますわぁ……そんなことも知らないの、ルークって? それはさすがにちょっと、ヤバいんじゃないの?」
「ぐっ……」
言葉に詰まるしか無い俺に、足元から声援が飛ぶ。
「ご主人さま大丈夫ですの! 僕もわからないですの~」
「グルゥゥゥ!」
ミュウがなんとも有り難い慰めの言葉を投げ掛け、コライガは元気出せと唸りながら、鼻先を俺の足に擦りつける。
……さ、さすがにミュウがわからんから大丈夫と言われても、何も安心できんよな。
顔を引きつらせるしかない俺の様子を見かねてか、ジェイドがやれやれと口を開く。
「簡単に説明しますと、デジャブとは体験したはずの無い事柄に対して既視感を覚える事を指します。いろいろと原因が推測されていますが、実際の所はそれぞれ発生した状況次第で原因も変わって来るため、ただ一つの明瞭な答えというものはありませんねぇ」
肩をすくめながら解説するジェイドの言葉に、俺も正しくその通りの現象だなぁと納得する。
「しかし、デジャブねぇ……」
「ま、ルークはアッシュと遠距離にいながら会話を行えるようですし、何がしかの情報がアッシュ側から流れ込んできているとも考えられます。そのうちいろいろと調べてみたいものですねぇ」
ニヤリと笑うジェイドに、俺は背筋を這い上がる悪寒を感じながら距離を離す。
「い、いろいろって何するつもりだよ、ジェイド!? 俺は解剖されるとかは絶対御免だぞ!!」
「それは勿論いろいろですよ。解剖は……まあ、どうでしょうねぇ?」
「って、答えになってねぇーだろが! っていうか解剖は否定してくれ──っ!!」
にこやかに微笑みながら物騒すぎる言葉を発するジェイドに、俺は怖すぎると叫んだ。
俺の頭の中に、白衣を来た大佐にメスを突き付けられ、三枚に卸されている自分の姿が浮かぶ。
有り得ない光景だと、完全に否定しきれないところが恐ろしすぎる……。
「あー……大佐さんよ、あんまりルークをからかってやるなよ。反応が面白いのはわかるけどさ」
「ま、確かにこれ以上は時間の無駄ですね」
ガイの制止に、ジェイドはあっさりと同意した。俺は疲労感から肩を落とし、釈然としない思いと共に突っ込みを入れる。
「からかってたことは否定しないのかよ……?」
しかし、俺の呟きを無視して、ジェイドは強引に話を今後の予定に戻す。
「ルークとティアは知らないでしょうが、スピノザという男がこの街で、昔ヴァンと組んでレプリカ研究をしていたそうです」
「兄さんが……?」
「この街でレプリカの研究……だと?」
初耳の情報に、ティアと俺は顔を見合わせる。
「今は既に袂を分かった……というよりも、スピノザが用済みと一方的に見なされ、協力関係も無くなっているようですがね。彼もベルケンドの技師の一人。しかも専門が物理学ですから、今回の話には最適の人物かもしれません」
「物理学やってると、何で最適の人物になるんだ?」
「この禁書から読み取る限り、大地の液状化の原因は地核にあるようですからね」
物理学の知識も必要になるんですよ、と大佐は肩を竦めて見せた。それにアニスがよく繋がりがわからないと、両手を頬に当て首を傾げる。
「地核? それって、記憶粒子が発生してるっていう惑星の中心部のことですよね?」
「ええ。本来静止状態にある地核が激しく震動している。これが液状化の原因だと考えられます」
ふうん……地核の振動か。でも、そう言えば、詳しい原因とかは聞いてなかったよな。
「実際の所、どうやって地核の流動化に対処すんだ?」
折角だからこの機会に聞いとこうと尋ねる俺に、ジェイドは自分の中で話を整理するべく、少しの間沈黙する。
「そうですね……まず話の前提として、揺れを引き起こしているのがプラネットストームであるという点を押さえておいて下さい」
「プラネットストームって、確か人工的な惑星燃料供給機関だよな?」
「ええ。地核の記憶粒子が第一セフィロトであるラジエイトゲートから溢れ出して、第二セフィロトのアブソーブゲートから、再び地核へ収束する。これが惑星燃料となるプラネットストームです。そして、ここから先が本題になるのですが……」
ジェイドの話をまとめると、なんでもプラネットストームが作られた当初は地核に震動が生じるとは考えられていなかったらしい。長い時間を掛けてひずみが生じ、地核は震動するようになったんだろうって話だ。この地核の揺れを止めるには、プラネットストームを停止しなきゃいけないらしいが、プラネットストームを停止しては、譜業も譜術も効果が極端に弱まり、音機関も使えなくなる。そして、外殻を支えるパッセージリングも完全停止するって事らしい。
「それって、打つ手がないってことじゃねぇか……」
思わず呟いた俺の感想に、ジェイドがその判断は少し早計ですね、とさらに説明を続ける。
「そこで登場するのが、プラネットストームを維持したまま地核の震動を停止する方法──つまり、この禁書に記されていた音機関という訳ですね」
ジェイドの説明に、俺達はようやく何の為に音機関を復活させるのか理解する。
「つまり、セフィロトの暴走を止めるのでは無く、暴走しても影響の無い状態を造り出すということですね」
確認するティアに、ジェイドが首肯しながら、足りない部分を補足する。
「ええ、セフィロト暴走の原因がよく分からない以上、液状化を改善して外殻大地を降ろすしかないでしょう? ま、もっとも禁書に書かれている音機関の復元には、この街の研究者の協力が必要不可欠ですけどねぇ」
「確かに……スピノザはい組の一人だし、協力してくれればかなり心強いな」
これで決定とばかりに言葉を交わす二人に対して、しかし俺は待ったを掛ける。
「だがもう違うとは言ってもよ。ヴァンに協力してたようなやつが、俺達に協力するのか?」
正直、信用できんね。あまり乗り気じゃない俺に対して、ジェイドは言い含める様に付け足す。
「確かにルークの疑問も、当然のことだと思います。ですが、ヴァン謡将達がパッセージリングから記憶粒子を抜き出す研究をしていたという情報を我々に渡したのも、彼ですよ」
「へ……そうなのか?」
「ええ。だから話を聞きにいくだけでも、無駄ではないと思いますよ。ちょっと第一音機関研究所まで行って、スピノザに話を振ってみませんか?」
既に俺達へ情報を提供しているということは、そこまで警戒することも無いか。
「そうだな……」
どっちにしろベルケンドの技師達の協力が必要なことに変わりはないのだ。それなら一度協力を受けた相手に頼むのが、一番道理に適ったやり方なのかもしれないな。
「考え込んでてもしょうがないし、行ってみるか」
こうして、俺達はスピノザの居る第一音機関研究所に向かうのだった。
* * *
「知事たちに内密で仕事を受けろと言うのか?」
目の前にはスピノザを含めた三人の老人が立っている。彼らはこの研究所においても、音機関にかけては右に出るものが居ないと言われる研究者らしいが、正直こうして見る限りでは、ただの頑固な老人にしか見えない。
そんな音機関の専門家たる三人に向けて、さっきの話を振ったわけだが、案の定というか、技師達の返答もあまり芳しいもんじゃなさそうだ。
「お断りだ」
「知事はともかく、ここの責任者はオラクル騎士団のディストよ。ばれたら何をされるか……」
やっぱりそうなるか。ヘンケンとキャシーの返答に、俺はどうしたもんかと首を捻る。だが即座に断りを入れた二人と違って、一人スピノザだけは、なんの反応も返さぬまま、黙り込んでいる。
少し気になってスピノザの様子を俺が伺っていると、不意にガイが任せておけと前に出る。
「へぇ、それじゃあこの禁書の復元は、シェリダンのイエモンたちに任せるか」
どこかわざとらしい口調で、アルビオールを作ったイエモンさん達の名前を出すガイに、ヘンケンとキャシーが目に見えて顔色を変える。
「な、何ぃー!? イエモンだとっ!?」
「冗談じゃないわ! またタマラたちが創世暦時代の音機関を横取りするの!?」
身を乗り出して、今にも掴みかからんばかりに息を荒らげる二人。きゅ、急にどうしたんだ? 突然の変貌に、俺達は訳もわからぬまま呆気にとられていると、突然ヘンケンが顔を上げる。
「……よ、よし。こうなったらその仕事とやら引き受けてやろうじゃないかっ!」
何かを吹っ切るように言い切った後で、直ぐに首を捻る。
「いや、だが俺達だけではディストに情報が漏れるかもしれない。知事も抱き込んだ方がいいだろう」
名案だとばかりに瞳を輝かせるヘンケンに、ナタリアが少し気押されながら口を挟む。
「で、ですが私達に知事を説得する材料はありません。王席からも既に抹消されていますし……」
しかし、二人は心配する事など何も無いとばかりに、力強く胸を叩く。
「大丈夫。知事の説得は私たちに任せてちょうだい!」
「よし、知事邸に急ぐぞ、キャッシー!」
「ええ、行きましょう!」
歳に似合わぬ機敏な動作で走り去っていく二人の背中を、俺達は一切反応できぬまま、ポカンと口を開いて見送った。
しばらくして、ようやく我に返ったナタリアが、どこか呆れた表情でつぶやく。
「……行ってしまいましたわ」
「やれやれ。作戦の説明は知事の前で行うことになりそうですね……それにしても」
ジェイドが眼鏡を押し上げながら、ただ一人残った老人に視線を向ける。
「スピノザ。あなたはどうするつもりですか?」
「わ、ワシは……」
ジェイドの呼び掛けに、スピノザがたじろぐ。その視線は何故か、俺に向けられている。
理解できない反応に眉をしかめるが、ふと思いつく。そう言えば、スピノザはヴァンのレプリカ作成に協力してたんだったな。俺に見覚えがあっても奇怪しくない訳だ。一瞬それで納得しかけるが、それにしては、怯えたような視線を向けられる理由がわからない。
俺は相手の視線に苛立ちを感じながら、スピノザを睨み返す。
「……あんだよ? 言いたいことがあるならさっさと言えばいいだろ」
「お前なぁ、そんな眼付けながら言われても何も言えないと思うぞ」
ガイが呆れたと額を押さえるが、俺としては別段スピノザに気を遣ってやるような理由は存在しない。
眼力を弱めることなく睨み続ける俺に対して、スピノザが震える声を洩らす。
「……ワシが憎くないのか、ルークよ」
周囲をせわしなく動き回る研究員達のざわめきが聞こえる。駆動する音機関の無機質な音が耳に届く。
問い掛けは、どこか俺の耳から遠い場所で響いた。
「ワシは……お前がアクゼリュスで捨てゴマとされる事を知りながら──作られたレプリカが超振動をもってアクゼリュスを崩落させると知りながら、ヴァン様やディストに求められるまま、フォミクリーに手を出した」
伏せられたスピノザの眼が、俺と視線を合わせることを恐れるように、せわしなく動き回る。
「……いや……そうではない。自ら進んで、嬉々として禁忌に手を出したのじゃ」
胸の前で合わせられた手が、何度も組み直される。伏せられていた目が上向き、初めて俺の顔を捉える。
「教えてくれ、ルーク……ワシは……ワシはどう償えばいい……?」
自らの罪を全て吐き出そうとするかのように──スピノザは懺悔の言葉を口にした。
誰も言葉を発さない。
向き合う俺とスピノザに視線を注ぎ、誰もが待っている。
フォミクリーによる人体複製という禁忌に手を出したスピノザ。アクゼリュスを崩落させ、自らも死ぬことが定められている存在と知りながら、俺を生み出す研究に協力したのだと、この老人は訴える。
全てを知りながら、動こうとしなかった自分はどう償えばいいかと、この、俺に、縋り付く。
ふざ、けるなよ……っ!
今にも罵りの言葉が、口をついて出そうになる。俺は自身の苛立ちを押さえるために、瞼を閉じて、息を吸い込む。
落ち着け……こいつは、別に悪意を持って俺に問いかけているわけじゃない。アクゼリュスの崩落にも、これといって関与していたわけではない。ただ、知っていただけだ。手を出さなかっただけだ。
何度も自分に言い聞かせた後で、俺は自らの表情を消し去り、目の前の老人を見据える。
「……俺がどう思っていようが、あんたには関係ない話だろ?」
ようやく絞り出した声は、自分でもゾッとするほど冷えきったものだった。
「せいぜい、自分で考えるんだな」
どう償えばいいか、そんなものがわかっていたら……それこそ、俺が真っ先にやっている。
謝る相手すら存在しない俺にとって、スピノザの行為はどうしょうもなく苛立ちを──嫉妬を掻き立てるものだった。
俺の吐き捨てた答えに、スピノザは憔悴しきった様子で、顔を俯ける。
「そうじゃな……今更、何を言っているのじゃろうな、ワシは……。すまなかった、ルーク」
謝罪を聞いた後も、苛立ちは納まらなかった。
だが、それでも──うなだれるスピノザの姿が、どうしょうもない程、崩落直後の自分に重なって見え、気付けば俺は口を開いていた。
「……別に恨んじゃいないさ」
ポツリとつぶやかれた俺の言葉に、スピノザが顔を上げるのがわかる。俺はスピノザから顔を背け、言葉を続ける。
「あんたがフォミクリーに手を出さなきゃ、そもそも俺は存在しなかったわけだしな」
「ルーク……ワシは……」
「どう償ったらいいかなんて……俺にだってわからない。けどな、スピノザ……一つだけ聞かせてくれよ」
何か言おうとした相手の言葉を遮り、俺は問いかける。
「あんたも、このままで良いとは思っちゃ居ないんだろ? だったら……何をすればいいかも、本当はわかってるんじゃないか?」
スピノザがはっと目を見開き、自らの両手を見下ろす。
次第に肩を震わせ始めた相手の姿を最後に、俺はスピノザから再び顔を背ける。
「……俺に言えるのは、それだけだよ」
俺の返した言葉に、過去の罪に怯える老人は顔を俯けると──低く、低く、嗚咽を洩らした。
その後しばらくして、ようやく落ち着いたスピノザは俺達に協力を申し出た。
「ヴァン様は恐ろしい……だが、ワシは……ワシは、償いたい」
身体を震わせながらも、スピノザは力強く宣言した。その瞳には硬い意志の光が宿り、彼が自分の答えを見つけたことを、俺達に教えてくれた。
スピノザを伴い知事邸に向かう。
その間、俺は自分自身はどうなのか、考え続けていた。償いの仕方はわからない。だから、目の前にある事に手を出してきた。だが、イオンやスピノザは、自分にしかできないことを見つけ、それに手を伸ばしている。
俺もそろそろ、自分にとっての償いの術を、見つけないといけない頃合いなのかもしれないな……。
これまでの旅路で出会った人々と交わした会話を思い返しながら、俺は自身の答えについて、考え始めた。
* * *
知事邸に到着すると、既に知事に対する説得はヘンケンとキャシーの二人によってされていたらしく、とんとん拍子で話は進み、すぐに本題に入る事になった。
魔界と外郭大地、セフィロトとパッセージリングの関係、流動化した大地を本に戻すためにどんな音機関が必要となるのか。全てを説明された後で、最初技師達は驚きに固まっていたが、すぐに我に返って、具体的な計画を立てはじめた。
「まず地核の振動周波数を計測する必要があるな」
「地殻の振動周波数?」
「ああ、そうだ」
よく意味の掴めない用語に、スピノザがかみ砕いた説明をする。
それによると、なんでも液状化の原因になっている地殻振動に対して、同じ波形の振動を与えることで地殻の振動そのものを打ち消すのが、禁書に記されていた音機関の機能だという。そして計測には、未だ魔界に沈んでいないセフィロトで、パッセージリングに計測装置を取り付けなければならないらしい。
「しかし、厄介だよな……」
「シュレーの丘もザオ遺跡も魔界ですの」
ミュウが洩らした言葉の通り、俺達が知っているセフィロトは全て魔界に沈んでいるものばかりだ。
「一度ダアトに戻るのはどうかしら? どちらにせよセフィロトの入り口はダアト式封咒で封印されている以上、導師イオンの協力が必要よ」
「ああ、それにセフィロトの在る場所を俺達は正確に把握してないからな。そっちに関しても、教団で調べ物してるイオンなら、何か知っているかもしれない」
ティアとガイの提案以外に、特これといった考えは上がらなかった。
「それじゃ、俺達はダアトに向かうってことでいいか?」
「異論はありませんわ」
「ま、仕方ないでしょうね」
「イオン様、大丈夫かなぁ……」
とりあえず問題は無さそうなので、俺達はさっそくダアトに向かうべく歩きだす。
「いや、待て。とりあえず計測器だけなら明日までに完成できる。今日の所はこの街に泊まっていたらどうだ?」
ヘンケンの呼びかけで、確かにこのままダアトに言っても、またベルケンドに戻って来るのは二度手間かもしれないと思えてきた。だが同時に、このまま動かないでいるのも落ち着かない。
自分では判断がつかなくなって、俺は皆に問いかける。
「どうするよ?」
「確かに……計測器が明日にでも受け取れるなら、その方がいいかもしれない」
「今受け取っておけば、そのままダアトからセフィロトにある場所に迎えるしな」
「……そうですね。折角明日までに仕上げると言ってくれている事ですし、今日の所はここで宿を取ることにしましょう」
ジェイドの言葉で、俺達の中でもベルケンドに泊まる事で決定した。
「それじゃ、計測器の方はよろしくな」
呼び掛け、俺達は知事邸を後にしようと背を向ける。
「……本当に、すまなかったな、ルーク」
去り際になって、スピノザが小さく、俺に声を掛けてきた。
どこか感謝するように、謝罪の言葉を口にするスピノザに対して、俺は少し気後れするものを感じながら頬を掻く。
「まあ、いろいろと偉そうな事言っちまったけどさ。あんたはあんたで、その……頑張れよ」
スピノザの答えを待たず、俺はさっさと彼に背を向け外に向かう。背後でヘンケンとキャシーがスピノザに対して心配そうに声をかけているのが聞こえた。
だが、これ以上は自分の関わることではない。俺はそのまま振り返らずに、知事邸を後にした。
* * *
「スピノザの奴……変わったな」
知事邸から外に出た所で、ガイが突然洩らした言葉に、以前ベルケンドを訪れたことの在る連中が複雑そうな表情を浮かべる。
「ええ……以前の彼は自らの犯した罪から目を逸らし、何一つ認めようとしていませんでした。それが今では罪を自覚し、建設的に動きだそうとしている。いろいろと気に食わない点はありますが、少なくともその点だけは、評価して上げてもいいでしょうね」
そこまで言いきった後で、ジェイドは僅かに口元を歪める。
「……もっとも、フォミクリーの技術を生み出した私に言えた義理ではありませんけどね」
皮肉げに付け足すと、ジェイドは眼鏡を押し上げ、自らの表情を覆い隠した。
そう言えば、ジェイドはフォミクリーの生みの親だったな。だとすると、スピノザの洩らした言葉は、ある意味大佐にとっても耳の痛い部分もあったってことだろうか。
黙り込んでしまったジェイドに向き直って、俺は考えがまとまっていないまま、とりあえず口を開く。
「まあ、スピノザにも言ったけどよ。フォミクリーって技術が無ければ俺って存在は生まれなかったんだ。だからフォミクリーって技術を生み出してくれた事に関しては、ジェイドにも感謝してるよ」
俺の言葉にジェイドは苦笑を浮かべながら、眼鏡から手を離す。
「そういう問題ではないのですけどね……まあ、少し気を使わせてしまったようです。すみませんね」
どこかヒネクレタ言葉だったが、大佐らしいって言えばらしい言葉かもな。
「とりあえずさ、今後の事について話しとかないか?」
「だな。まずはイオンとどう面会したもんかねぇ……」
俺達はフォミクリーに関する話題を打ち切って、今後どう動くかについて話し始める。
互いに言葉を交わしながら、ああでも無い、こうでも無いと言い合いベルケンドの街を歩く。
──通りすぎた脇道から伸びる路地の向こう。
──腰に剣を吊るした詠師服の男が、オラクルの兵を引き連れ歩いているのが視界に映る。
俺は今にも通りすぎそうになった路地を振り返り、歩みを止める。
自分の眼にした光景が信じられなかった。
鼓動が激しく打ち鳴らされ、胸を締めつけるような息苦しさが俺を襲う。
まさか……あいつが……この街に居るって言うのか……?
思い立ったと同時に、俺は脇道に駆け込む。周囲に視線を彷徨わせながら、奴を探し求める。ベルケンドは敷地のほとんどを研究所が占めているせいか、路地を行き交う人々の姿も滅多に見かけない。だから、俺が眼にした相手は、確かに存在するはずだ。この街のどこかに、奴が……
「おいルーク、どうしたよ?」
「どうしたの、ルーク?」
突然走り出した俺の後を追って、皆が怪訝そうに問いかける。
だが俺は質問に答えることなく、ひたすら周囲を見回しながら、街の中を駆けずり回る。
俺の様子に何かを察してか、皆は首を捻りながらも、特に呼び止めるでも無く俺の後に続く。
そうして数分が経ち、数本の路地を駆け抜け、十字路の一つを曲がった先で──俺はついに、奴を見つけた。
「ヴァ────ァァア──ンッ!」
限界まで開かれた口から、自身の鼓膜を突き破りかねない程の叫び声が上がった。
ヴァンの視線が、俺を捉える。
僅かに驚いたように目を見開くと、ヴァンはこの俺を見据えたまま──嘲けるような笑みを浮かべた。
意識が、沸騰する。
思考が、断ち切れる。
重心を前に倒し走り出す視界の端を流れ行く光景を眼に写しながら通りを駆け抜ける姿勢を低く低く落とし込み捩じらせた上体の反動を利用しながら腰につり下げた刀の柄に手をかけ一気に引き抜いて切り上げ────
「──無様だな」
声は、俺の背後から囁かれた。
俺がそれに気づき振り返るよりも先に、背中を衝撃が突き抜ける。
「がぁ──っ……っ!」
衝撃の余波に俺の身体は吹き飛ばされた。数度地面を転がった後で、ようやく勢いが消える。俺は震える身体を無理やり起こし、地面に片膝をついて剣に身体を預けながら、殺気を込めた視線を向ける。
ヴァンは剣を鞘に納めると、何事も無かったかのように、自然な動作で口を開く。
「あまりにも、底の浅い攻撃だったな。いったいどうした? お前らしくもない。そのような無様な攻撃を許すような教えを施した覚えはないのだがな」
かつての屋敷で過ごした日々。ヴァンと明け暮れた訓練の記憶が蘇る。
当時と何ら変わること無く、冷静に俺の行動を評価するヴァン。そんな奴の態度に、俺は胸の内をかき乱す、どこまでも暗い感情が──憎悪が、燃え上がるのを感じた。
『ルーク!』
突然の俺の行動に動きを止めていた仲間達が、ようやく動き出す。地面に膝をつく俺を背後に庇うように陣形を取り、ヴァンや他のオラクル達を牽制する。
ヴァンはそうした俺達の様子を一瞥すると、さして興味も無さそうに視線を外し、俺の傍から離れた。
「兄さん……いったい何を考えてるの? セフィロトツリーを消して外殻大地を崩落させてまで、いったい何がしたいの?」
「そうだよ、総長! ユリアの預言にも、こんなこと詠まれてないのに……」
同じオラクルであるティアとアニスの問い掛けに、奴は瞼を閉じ、静かに言葉を返す。
「ユリアの預言か。……馬鹿馬鹿しい。あのようなふざけたものに頼っているから、いつまで経ってもこの世界は、滅びの道から抜け出せぬのだ」
「あなたこそ外殻大地を崩落させて、この世界の滅亡を早めているではありませんか!」
世界そのものを嘲るように吐き捨てられた言葉にナタリアが叫ぶ。だが、ヴァンはさして気にした様子も見せずあっさりと答える。
「それがユリアの預言に支配された世界から解放される唯一の方法だからだ」
「ま、確かに死んでしまえば預言も関係ないですからねぇ」
皮肉げに応じるジェイドにも、ヴァンは悠然と否定を返す。
「違うな。死ぬのは呪詛の如く世界に絡みついたユリアの預言と、それを支えるローレライだ」
突然、ローレライという存在が出て来た事で、俺達は少し困惑する。
「ローレライって……第七音素の意識集合体の? まだ未確認なんじゃ……」
「いや、存在する」
即座に断言すると、ヴァンは両手を広げながら、世界を指し示す。
「あれが預言を詠む力の源となり、この星を狂わせている。ローレライを消滅させねば、この星は預言に縛られ続けるだろう。奴を滅することで始めて、スコアに縛られた世界から人類は解放されるのだ」
──オールドラントの力を解放すると言われている
自らの目的を語るヴァンの言葉に、俺はダアトで耳にした情報が蘇るのを感じる。
「……惑星譜術の触媒を使って、か?」
斬り付けるように鋭く問いかけた俺の言葉に、ヴァンがほうと感嘆の息を洩らす。
「気付いたか。いや、ダアトで導師、あるいは他の詠師から耳にしたのか……」
顎先に手を添え、ヴァンが興味深そうに俺を見据える。
「アクゼリュスや、ザオ遺跡でしていた行為も、ローレライの消滅が目的だって言うのか?」
「突き詰めれば、その通りだ」
頷き返すヴァンに、しかし俺は訳がわからなくなる。
「惑星譜術を復活させることで、ローレライを滅することができるって言うのか?」
「さて……な。そこまで明かす義理もあるまい。いずれにせよ、今やローレライは急速に其の力を衰えさせ始めている。奴の消滅は、もはや時間の問題と言ってもいいだろう」
肝心の部分は口にせずに、ヴァンは自らの発言をそこで打ち切った。
「それが大地の崩落させてまで、今ある世界を滅ぼしてまで成し遂げるようなことなの!? 答えて兄さん!!」
ティアの悲痛な訴えにも、ヴァンが感情の浮かばない視線を向ける。
「今更一つ二つ、大陸が新たに崩落しようと、大した問題ではなかろう。かつてホドも崩落した。だが──見よ、スコアのまま動かされる世界は、何一つその罪を自覚すること無く、続いている」
引き上げられた両の腕が左右に広げられ、呪いの言葉と共に世界を指し示す。
「犠牲を犠牲として受け止めること無く、その咎を自覚することすらせぬまま、世界は無為に続いていく。このような世界が生まれた最大の元凶は何なのか……お前達も知っていよう?」
確定された事象の流れ──ユリアの残したスコア。
「決して許せるものか。踏みにじられた者達の存在を自覚する事も無く、引き起こされた犠牲からも目を背け、果てはすべてを忘却の淵に追い込ませてまで、生き汚く続いて行こうとする、スコアに支配された停滞世界など──」
──滅びてしまえ。
絶望の深淵を覗かせるヴァンの叫びに、俺達は気押され、言葉を失くす。
周囲を圧倒する気配はそのままに、ヴァンは俺達の顔を見渡し、ガイに視線を据える。
「それはお前とて同じであろう──ガイラルディア・ガラン・ガルディオス。ホドが消滅することを預言で知りながら見殺しにした人類は、愚かではないのか?」
「それは……」
何かを言い返そうとするガイの言葉を遮り、ヴァンは更に言い添える。
「私の気持ちは今でも変わらない。かねてからの約束通り、貴公が私に協力するのならば喜んで迎え入れよう」
「かねてからの約束……?」
理解できないヴァンの申し出に、俺は混乱したまま、ガイに顔を向ける。
「ガイ、どういうことだ?」
「……俺は」
言いよどむガイの言葉を制し、ヴァン・グランツは代りに答える。
「ガルディオス伯爵家は、代々我らの主人。ファブレ公爵家で再会した時から、ホド消滅の復讐を誓った同志だ」
耳にした言葉が、一瞬理解できなかった。
だが心のどこかでは、そういうこともあるかもしれないと、冷静に受け止めている自分が居た。
何一つ言葉を返せないガイから視線を外し、ついでヴァンは俺に視線を合わせる。
「そして、哀れなレプリカルークよ。お前とて既に理解しているはずだ。この世界の醜さを、愚かさを。かつて……告げたことがあったな。お前は兵器として管理されている存在だと。だが、真実はより醜悪ものだったはずだ。バチカルに一度帰還した身なら、既に思い知ったことだろう」
──身の程を知れ、逆賊が
──アクゼリュス崩落の事実をもって、我等はマルクトに宣戦布告する。
「お前は兵器としてすら見なされていなかった──単なる捨てゴマでしかなかったという事実を」
ヴァンの言葉に混じって、バチカルで投げ掛けられた無数の言葉が脳裏に蘇る。
顔を歪める俺を見据えながら、そこで僅かにヴァンはその口調を緩める。
「だが……お前は捨てゴマなどでは有り得ない。その経緯はどう在れ、アクゼリュス崩落という絶望的な状況を乗り越え、お前は再び我が前に立った。故に──私はお前にも問い掛けよう」
差し出された手が、俺達に突き付けられる。
「私が下に来い、レプリカルーク、ガルディオス伯爵よ。お前達二人とて、この私の手を取るに足る理由が、十分過ぎる程に存在するはずだ。お前達が私の下に降るなら、私は喜んで歓迎しよう」
ヴァンが俺達を見据え、呼び掛ける。周囲を圧倒するヴァンの気迫に、空気が泡立ったかのような錯覚を覚える。ヴァンの顔に浮かんでいるのは、俺達がその手を取って当然という余裕の笑みだった。
誰一人動き出せない中、どこまでも張りつめた空気がその場を満たす。
「私の下に来い……か」
俺は剣を鞘に納め、立ち上がる。踏み出した足先は、ヴァンの方へ向いている。
「どうしましたのルーク!?」
「おいルーク!?」
「な、なんで、ルーク!?」
戸惑ったような声を上げる皆に答えず、俺は進み続ける。声を上げなかった二人の内の一人、ジェイドは顔を引き結び、その赤い瞳を俺に向けている。そしてもう一人──ティアはその顔に動揺を浮かべることもなく、いつものように、ただ静かな瞳を俺に向けている。
「そうだ。それでいい……さぁ、我が手を取るがいい、ルーク」
目の前に立つヴァンが俺に、腕を突き出す。
俺は突き出された腕に手を伸ばし──無造作に、跳ね除ける。
「ふざけるなよ……」
顔を俯けた俺の口から、震えた声が漏れる。
「スコアに支配された世界……崩落すら見過ごした世界。それを恨んでないわけじゃない……」
スコアなんてものに縛られていなければ、いったいどれだけの人間が助かったのか、一度も考えなかったわけじゃない。
「だがな……っ!」
ギシリと歯を噛みしめながら顔を上げ、俺は目の前に立つ相手を睨む。
「俺は認めねぇっ! 認められるものかぁっ! 結局は世界の流れに任せるままアクゼリュスを……そこで生きる人々を俺に殺させたあんたをっ! 絶対に……認めるものかよっ!!」
息を荒らげながら、腕を振り回し、俺は激情に任せるまま訴える。
「どんな御託を並び立てようが……結局あんたのやっていることはなぁっ! 単なる──人殺しにすぎねぇんだよっ!!」
かつての師にして、今や憎悪を掻き立てる対象に、拒絶の言葉を叩きつけた。
ヴァンはそんな俺を哀れむように、どこまでも静かな視線を俺に向け、淡々と問いかける。
「……お前はそれでいいのか? お前を捨てゴマとして利用したバチカルの者達を許せるのか?」
「俺は……自分が捨てゴマと見なされようが構わない。……復讐しようだなんて気も起こさない。……今更誰かに必要とされようとも思わない」
たとえ過去に俺がどう見なされ、どう扱われていようが、そうした記憶も、全て俺だけのものだ。
「利用されるのだけは……もう二度と、御免だからな」
この想いまで──利用されてたまるものか。
炯々とギラついた光を放つ瞳を向けながら、俺は一瞬足りとも視線を逸らすことなくヴァンを睨み付ける。そんな俺からヴァンも顔を背けることなく、言葉を続ける。
「では、アクゼリュスを崩落させたお前が、許されるとでも思うのか? スコアにすら詠まれて居ないお前の存在が認められると思うのか? このスコアに支配された世界に──お前の生きる場所があるとでも思っているのか?」
──お前の存在が、世界を狂わせているのではないか?
ダアトでされた、モースの問いかけが蘇る。
俺は押し黙って、問い掛けられた言葉の意味を考える。
それは、俺が未だ答えの見出せていない問い掛け。
決して無視できない、いつか答えを出さなければいけない問題だった。
だが、いつか答えを出さなきゃいけない問題ならば──
──その〝いつか〟は〝今〟であっても、何らおかしくないはずだ。
未だ形になっていない答えを探し求め、俺は見出した思いの切片を、言葉として紡いで行く。
「……世界中の誰もが、俺が存在すること自体が、そもそも間違ってるんだって責め立てようが……俺は、生き抜いて見せる」
──負けるものか。
二年前のあの日。見上げた空の下で決断したように──絶対に、逃げ出したりなんかするものか。
「殺したお前が何を言うって返されるかもしれない。俺だって……そう思わない訳じゃない。だけど俺は……そうした罵倒も受け止めた上で、生き抜いてやる。俺は生きて、生きて生きて生き抜いて──」
──本気で変わろうと思ったなら、変われるかもしれない
崩落の後、ユリアシティで目覚めた俺が、セレニアの花に囲まれながら、彼女と交わした言葉が唐突に蘇る。
「そうだ……答えは既に……出てたんだ」
あれだけ昂っていた感情の波が、嘘のように鎮まり返る。
俺は胸の前に手を当て、この想いを確かめる。
「俺は……もう誤魔化さない。既に……わかりきってることだったよな」
一瞬だけ、ヴァンから視線を逸らす。
視線を向けた先、ヴァンと対峙する俺を静かに見据える彼女の瞳を確認する。
俺の視線に気づいた彼女は一瞬瞳を揺らめかした後で、強く握り締めていた杖から力を抜く。次いで俺の向ける視線を不甲斐ないと叱咤するように強く見つめ直すと、俺の抱いた想いを肯定するように──深く、頷きを返してくれた。
崩落から考え続けていた贖罪の意味。自分の頭の悪さに責任を押しつけ誤魔化すのを止めて、ずっと自分にできることは何か、考え続けていた。
誤魔化さないとは言っても、俺のバカさ加減が変わり無い事に違いは無く、出口の見つから無い答えを、俺はいつまでも探し求めているような錯覚に陥っていた。
だが……
──この過ちを繰り返さないために、私も前を向いて歩くわ、ルーク
……答えは、こんな近くにあったんだな。
「もう二度と繰り返さないために、前に進むために、俺はもう自分にできることを誤魔化さない……」
自分にできることを誤魔化さないのも……自分にしかできないことをするのも……実際はさして違いは無いのかもしれない。仮に違いがあったとしても、それは本人の自覚の有るか無いか……自分にとって出来ることが何か、既に理解しているかどうか……その程度の違いにすぎないんだろうな。
これまで感じていた激情が──あれだけ燃え上がっていた憎悪の焔が、急速に鎮まり返るのを感じながら、俺は自らの抱いた想いを、言葉に込める。
「……過去に囚われるのでも無く、ただ忘れるのでも無い。すべてを受け止めた上で、俺はバカみたいに懲りずに、それでも前を向いて──」
目の前の相手に視線を戻し、俺はようやく見出した答えを口にする。
「──償って、見せる。だからヴァン・グランツ、俺はあんたには従えない。それが、俺の答えだよ」
かつての師に対して、決別を告げた。
時折吹き抜ける風が、路地を駆け抜け、この場の停滞した空気を押し流す。
ヴァンは瞼を閉じ、静かに俺の言葉に耳を傾けていた。
告げられた言葉の意味をゆっくりと噛みしめるように、十分な間を置いた後で、ヴァンは──どこか満足げな笑みを口元に浮かべた。
「ふっ……ふふっ……やはりお前もまた、この私を拒絶するか」
額を手で覆い隠し、低く言葉を洩らす。
「……可能性は未だ定まらぬということか……」
どこか異様な気配を撒き散らしながら、ヴァンの双眸が額を覆い隠す掌の隙間から、俺を捉える。
「ならば、いっそのこと……ここで……」
額から離された腕が俺に伸ばされる。近づく腕が俺の額に近づく。俺の身体は動かない。伸ばされる指先を、俺は身じろぎ一つすることもできぬまま見据え、伸ばされる、指先が、俺の額に……
「──何を惚けてやがる、能無し!!」
飛び込んだ声と同時、周囲に甲高い音が鳴り響く。
俺とヴァンの間に割って入ったのは、黒い教団服を着込んだ赤毛の男。
「アッ、シュ、か?」
「さっさと下がれ、邪魔だっ!」
すぐ目の前で交わされる剣戟に、俺も我に帰って、慌てて後ろに下がる。
「アッシュ。お前もいい加減、我を通すのは止めろ」
「黙れっ! いったいてめぇは何を企んでやがる!」
交錯する刀身が、鍔迫り合いを演じる。
「ローレライの消滅。スコアに支配された世界からの解放。それだけだ。お前とて、我が理念に共感していたと思ったが?」
「外郭大地を崩落させるだなんて、馬鹿げた行為まで認めた覚えはねぇ!」
剣戟越しに交わされる言葉が、さっき交わした俺とヴァンの会話に繋がる。
「二人そろって、どちらも強情なものだな。これも完全同位体故か?」
「ちっ……あんなレプリカと一緒にするなっ!」
苛立ちに、剣を握る手に余計な力が籠もったのか、アッシュが体勢を崩す。当然ヴァンがそれを見過ごすはずも無く、渾身の振り降ろしがアッシュを打ち据える。
「ちっ──!!」
吹き飛ばされたアッシュが土埃を舞上げながら後退し、剣を地面に突きたて勢いを殺す。
「まあいい。今はまだその時ではないということだろう……」
剣を鞘に戻し、ヴァンは俺達を見据える。
「それに、今のお前達の状態を知ることができたのは、それなりの収穫だった。崩落に対処するというなら、好きにするがいい。だが、それもすべては無駄な行いに過ぎん。未だ世界は、スコアに打ち込まれた楔から、何一つとして逃れられていないのだからな」
どこか遠くを見据えながら、囁かれたヴァンの言葉が俺達の耳を打つ。
「パッセージリングの耐用年数は二千年……全ては、未だ確定された事象のまま流れているにすぎない。……世界の崩落とて、所詮定められた流れの一つにすぎないのだよ」
外郭大地の崩落それ自体が、スコアに定められていた事柄だって言うのか?
驚愕に目を見開く俺達の中で、ジェイドはある程度予測していたのか、一人苦い顔で黙り込んだ。
「ルーク、アッシュ、どちらでも構わん。このスコアに支配されし世界に見切りがついたならば、いつでも我が下に降るが良い。私はお前達を歓迎しよう」
ローブを翻し、俺達に背を向けながらヴァンは最後に囁く。
「……最後に我が前に立つのは、はたしてお前か、それともアッシュか……ふっ。どちらにせよ、同じことか」
オラクルを引き連れ、ヴァンは悠然と去っていった。
ヴァン達が完全に去ったのを確認し、ようやく俺達を包んでいた緊張が消え失せる。
「……は~。総長がこんな所にいたなんて、もー、びっくり。しかもオラクルの騎士団員を自分の兵士みたいにしてて、なんか感じ悪い!」
「やれやれ……とんだニアミスですね。それにしてもルーク。未だ私達は崩落に対処できていない。あのまま本格的な戦闘に突入するような事があったら、すべてが無駄になるところだった」
「……すまねぇ」
ジェイドの苦言に、俺も今回ばかりは素直に頭を下げた。我を忘れるような真似は二度としないって誓ったはずだったのだが……今回は碌に心構えもできないままヴァンの姿を眼にしたせいで、自分を抑えきれなかったようだ。
「本当に、すまねぇな……」
うなだれる俺に、皆もそれ以上責めることなく言葉を止めた。
一人所在無さげに佇むアッシュに気づき、俺はさっきのやり取りを思い出す。
「そう言えば、アッシュもすまなかったな。なんか助けられちまったみたいだ」
「……ふん。俺はヴァンの動向を探っている内に、偶然この場に行き着いただけにすぎん。てめぇに礼を言われるようなことをした覚えはないな」
やれやれ、こいつも変わらないよな。あっさりと切って捨てるアッシュに、俺は苦笑を浮かべた。
憮然とした表情で俺を見据えていたかと思えば、不意にアッシュが真剣な表情になって口を開く。
「……お前達に伝えておくことがある。導師がまた、さらわれたらしい」
『!?』
アッシュの告げた言葉に、俺達は驚愕する。だが、直ぐにそうなっても何らおかしくないと我に返る。
「そうか……くっ……やっぱりそうなったか」
モースが対処するとは言っていたが、執務室で聞いたディストとの会話からもわかるように、オラクルのほとんどを手中に納めるヴァンには、今一歩力及ばなかったってところか。
「少しダアトで調べたいことがあったんでな。その際に、導師がさらわれたと教団の連中が騒いでるのを耳にした。俺がベルケンドに来たのも、一連の騒動からヴァンがここに来ているらしいと聞いたからだが……お前らは、ベルケンドに何をしに来たんだ?」
不審そうに問いかけるアッシュに、ジェイドが当然のようにガイを前に出す。
「それではガイ、説明をお願いしますね」
「また俺かよ……っ!? ま……まあ、いいけどさ」
驚愕の声を上げた後で、直ぐに肩を落として、ガイが諦め顔になって説明を始める。
パッセージリングの暴走がどうにもならない以上、地核の液状化に対処するしかないとわかった。そのためにベルケンドの技師の手を借りて、地核の液状化を改善する音機関の復元を依頼しに来た。だがその為には未だ外郭大地に存在するセフィロトで、地核の振動数を計測する必要がある。
そんなガイの説明を聞いて、アッシュがようやく納得行ったと頷いた。
「なるほど……だがそうなると、導師がさらわれたのは痛いな」
「まあ、確かにそうだよなぁ……」
セフィロトの入り口を守っているダアト式封咒は、導師にしか解けない。だが、俺達の知っているダアト式封咒を解除されたセフィロトは全て魔界に崩落しているものばかりだ。
「他のセフィロトがどこにあるかも、未だによくわかっていませんしね」
「確か、大陸に一個あったような気もするんだがな……正確な場所となるとさっぱりだな」
どうしたものかと次々に話しはじめた俺達に向けて、アッシュがボソリとつぶやく。
「……確か、ダアトにもパッセージリングがあったはずだ。それも封咒の解除されたやつがな」
突然飛び込んだ情報に、俺達は一瞬惚けた後で、顔を見合わせる。
「まじかよ?」
「初耳だわ……」
顔をしかめる俺達の中で、アニスが突然両手を上げてどこかわざとらしい口調で叫ぶ。
「そ、そうだね~。私も初めて知ったよ!」
アニスがなんだか挙動不審だったが、それを気にするよりも先にアッシュが言葉を続ける。
「一年程前に、ダアトのセフィロトで一般には非公開のまま行われた実験があったらしい」
「セフィロトで実験……ですか?」
ジェイドの洩らした言葉に、アッシュが頷きながら先を続ける。
「ああ。なんでも地核に沈んだと言われていた或る物をサルベージするのが目的だったそうだ」
「ある物?」
「お前らも既に眼にしてるはずだ」
疑問符を浮かべる俺達に、アッシュが腰に差していた剣を抜き放つ。
「地核に沈んだと言われたユリアの作りし響奏器……ローレライの鍵だ」
なるほど、そうやってローレライの鍵が引き上げられたわけか。
「でも、教団が行った実験なら、なぜお祖父さまはローレライの鍵の存在を知らなかったのかしら?」
ティアの洩らした言葉に、アッシュがそれも当然の疑問だろうと頷きながら先を続ける。
「どうもユリアシティにも極秘で行われた実験だったらしい。当時の教団上層部も、実験が行われた事は知っていても、その詳細に関しては知らされていなかったそうだ。……ヴァンと協力関係にあった奴ら以外にはな」
「詳しい割には……なんか人から聞いたように言うんだな」
ガイの言葉に、アッシュが顔を歪める。
「……その頃の俺は、外に出されていた。ちょうどシンクの監視が張りつき始めた時期だったからな」
忌ま忌ましげに舌打ちを洩らすと、アッシュは俺達に向き直る。
「ともかく、お前らは地殻振動数の計測に向かえ。導師の方は俺が追ってやる」
「そっか。まあ、いろいろとありがとな、アッシュ」
「ふん。導師を追っていれば、そのうちヴァン達の潜伏場所もわかるだろうからな。礼を言われる筋合いはねぇ」
いつもの調子で憎まれ口を叩くと、アッシュはさっさと身を翻し、俺達に背を向けた。
「アッシュ……」
思わずといった感じで呼び掛けたナタリアに、アッシュが一瞬その歩みを止める。
「……何だ?」
「あ……その……」
呼び止めながらも、特に言うべきことが見つからないのか、ナタリアは言葉に詰まった。それにアッシュは顔を背けたまま、一言を洩らす。
「……またな、ナタリア」
「! はい、アッシュ」
そのままアッシュが完全に去ったのを見送ると、ナタリアは俺達に顔を戻した。
彼女の瞳に宿る感情に、俺は言いたい事もわからぬまま、思わず口を開いていた。
「ナタリア……」
「大丈夫ですルーク。私は大丈夫……それよりも、これからどう動くのか。それを皆で、考えましょう?」
気丈に応えるナタリアに、俺は続けるべき言葉を失って、彼女の顔を見据えたまま動きを止める。
そんな俺達の様子を見て、ジェイドが間に入ってくれた。
「……そうですね。では、ダアトに向かった後どうするかについて、検討しましょう」
「だな。モースの奴が俺達にどうでるかもわからないからな」
「うーん……イオン様、またさらわれちゃうなんてなぁ……」
ジェイドの言葉を切っ掛けに、皆がそれぞれ口を開いて話し出す。そうした皆の会話を聞く内に、俺もなんとか何時もの調子を取り戻す事ができた。
苦笑が浮かぶのを感じながら、俺は頭を掻いて考える。
……こりゃ、ジェイドにはホント頭が上がらなくなりそうだよなぁ。ベルケンドに入ったとき話してた調査とやらも、もし頼まれたら協力するしかなさそうかねぇ。
そこまで考えた所で、俺は背筋を流れ落ちる嫌な汗を感じた。
……いや、そりゃまた別の話だよな。うん。全く別問題だ。
それ以上考えるのを止めて、とりあえず皆の話に加わる。
「しかし、イオンはやっぱアッシュに任せるしかないのかねぇ」
「六神将も導師にそう手荒な真似をするはずがないと信じましょう」
「なんか……微妙だな」
「仕方ありません。私達だけでできることには限りがありますからね」
確かにそれは理解できる。理解はできるんだが……正直、あんまり認めたくない事実だよなぁ。
まあ、俺達だけで出来ることが限られてるのも十分理解できるから、これも結局はできもしないことにグズってる、子供じみた我が儘にすぎないんだけどな。
ため息を洩らし、俺はイオンに関してはアッシュに任せるしかないことを改めて確認した。
「それよりも問題は、やはりパッセージリングの耐用年数に関してでしょうね」
ジェイドの切り出した話題に、俺たちも顔を引き締める。
「ベルケンドでスピノザに渡された資料や、ザオ遺跡などで実際にパッセージリングを眼にした際、私も少し疑念を抱いてはいたのですが……確信には至らなかった。しかし、ヴァン謡将があれだけはっきりと言い切ったのです。何かしらの根拠を見出しているのでしょうね」
「スコアにより定められていた崩落……か」
「どこまで兄が真実を語っていたかはわからないけど……少し調べてみる必要がありそうね」
俺は改めて事態の複雑さを思い知らされ、少しパッセージリングに関して考えてみる。
パッセージリングの耐用年数は……外郭大地の崩落を見越した上でのものだったのだろうか? だがダアトでイオンの確認した預言にはそんな事は記されていなかった。だとしたら詠まれているのは、失われた第七譜石だってことになる。だが、失われたと言われる第七譜石の預言を俺達が確認する術はない。
「これもアッシュがイオンを助け出したら、確認してみるしかなさそうだな」
「確かに、導師イオンに聞いてみるのが一番いいかもしれませんわね」
煮詰まった思考をとりあえず保留し、俺は更にヴァンの残した言葉を思い返す。
──ガルディオス伯爵家は、代々我らの主人。
預言に関してだけじゃない。ヴァンは、もう一つ重大な言葉を俺達に残していった。
「ガイ、さっきのヴァンとお前の話だが……」
少し言いよどむ俺に、ガイは静かに瞳を閉じる。
「……ヴァンが言ったことは、本当だ。あいつと俺は同志だったんだ」
「同志だった、か」
過去形で語られた言葉に、俺は少し安堵を感じながら、ガイの顔を見上げる。
「ああ。今は違う。あいつと俺の目的は……もう違ってしまったからな」
どこか遠くを見据え呟くガイに、ジェイドがどこか面白そうに問いかける。
「それを額面通り信じろと? やれやれ。こちらが疑り深いことはご存知ですよねぇ」
「そうそう! ホントの所……どうなの?」
冗談じみた問い掛けだったが、そこには否定を許さない、確かな疑念も含まれていた。
思わず俺が口を開き言い返そうとしたのとほぼ同時──ナタリアの一喝が、場に響きわたる
「おやめなさいっ!」
ビリビリと場を圧倒する大音声に、誰もが一瞬動きを止めた。
「ガイは違いますわ。彼は敵国の人間である私達を、友と読んでくれたのです。グランコマで彼が私達に語りかけたように、過去はどうであっても、今の彼はヴァン謡将とは違います」
なんだか、俺の言いたいことを全て言われちまった感があるが、まあ、概ねその通りだよな。
ちょっと拍子抜けしながら、口も挟めず所在無さげに突っ立っていると、ガイが俺に視線を向ける。
「ルーク……お前はいいのか?」
「まあ、なんかナタリアが俺の言いたいことは全部言ってくれたしな。特に俺から言うことは無いぜ。もうちょっと残しといてくれてもいいのになぁとか思わんでも無いけどさ」
「ははっ……そっか」
どこかくすぐったそうに苦笑を浮かべるガイに、俺は特に意気込むでも無く言葉を返す。俺にとっては今更検討するまでも無い、取るに足らない問題にすぎなかったからだ。
「私も……ガイを疑ってはいないわ。兄さんがガイを回し者として使うつもりなら、もっと巧妙に隠すはずだもの」
ティアが俺達二人の意見に同意して、ジェイドとアニスの顔を伺う。
「ええ。それは同感です」
そんな俺達三人の否定を受けて、ジェイドは両腕を軽く広げて見せた。
「ま、儀礼的に疑ってみました。一応ね」
冗談ね……本気も三割ぐらい混じってたように俺には見えたけどな。半眼で見据える俺の視線に、ジェイドはふてぶてしい態度で眼鏡を押し上げて見せた。
ガイが改めて俺達に向き直り、照れくさそうに頭を掻きながら頭を下げる。
「まあ、いろいろと疑わしい部分が残ってるかもしれないが、とりあえず、これからもよろしく頼む」
「今更何を言ってんだかね、こいつはよっ!」
「って、いててっ! おい、痛いっての、ルークっ!!」
ガイの頭を肘でミシミシと締め上げながら、俺はかつて、こいつにされたように、本心からの言葉を掛ける。
「昔ガイが何をしでかしてようが、改めてよろしく頼むまでもない。お前は、お前──そう言ったのはガイ、お前だろ?」
腕の中でもがいていたガイがピタリと動きを止め、小さくつぶやく。
「……ありがとな、ルーク」
うっ……や、やっぱこんな風に正面切って礼を言われるのは耐え難いもんがあるよな。
「れ、礼を言われるような事はなんもしてねぇーよっ!」
なんとも言いようの無いむず痒さを覚えて、照れくさくなった俺は乱暴に言い返すと、ガイに背中を向けて歩き出す。
そんな俺の態度にガイが苦笑を浮かべながら、俺の隣に並ぶのだった。
「……そうやって甘くしてると、いつか手痛いシッペ返しを食らうよ」
少し俺達から離れた位置で、低く呟かれたアニスの言葉が、妙に俺の耳に残った。
翌日、スピノザ達から計測器を受け取った俺達はベルケンドを離れ、再びダアトに向けて飛び立った。
しかし昨日まで俺達が居た場所だけに、正直な話、移動がものすごく億劫に感じてしょうがない。
……俺も贅沢になったもんだよなぁ。
俺はアルビオールから地上を見下ろす
かつてバチカルで暮らしていた時とは比べものにならない程までに、今や拡大した自分の行動範囲を思い、俺は少し呆れ返るものを感じながら、苦笑を洩らした。