船旅は特に問題が起きるでもなく順調に進み、俺達はカイツール軍港を通過。
ついに鉱山都市アクゼリュスへと繋がるデオ峠に到着した。
アクゼリュスがマルクト領になってから使われていない街道だという話だったが、意外にも荒れ果てた部分は少ない。
悪く言っても、せいぜい普通の街道より雑草が少しばかり多く生えている程度でしかなかった。
そんな歩き易い街道のためか、なにやらイオンやナタリア、ジェイドやティアまでもが集まって、俺には到底理解できないような経済関係の議論を交わしていやがりますよ。
俺は一人、足元を歩くコライガを抱き上げ、肉球を弄る。ぷにぷに。
イヤイヤと首を振るコライガにも関わらず、俺は肉球を弄り続けるのだ。ぷにぷに。
ミュウが羨ましそうに見上げてくる中、俺は隣を歩くガイにボソリとつぶやく。
「話……ついていけるか、ガイ?」
「は、ははは……俺は一使用人にすぎないしなぁ」
あさっての方向を向いて口笛を吹き始めたガイに、俺は数少ないバカ仲間に、共感の眼差しを向けた。
なんというか、このメンツは頭の切れるやつが多すぎると俺は常々感じてたわけで、足場が安定しきっていたり、魔物の襲撃もなさそうな場所に来たりすると、漏れ出た余裕がすぐさま難解な議論に結びついたりするのだ。正直、話についていけません。
「……バカって、なんだろな」
遠く王都のある方向を見据えながら、俺は腐った魚のような目でつぶやいた。
「ルーク! 気をしっかり持て! 俺たちがバカなんじゃない。連中の頭が良すぎる……それだけだ」
「ガイ……」
俺の両肩に手を乗せ、腐れた果物の放つ光沢のような瞳で訴えかけるガイに、感銘を受けた俺は涙ぐんで掠れた声を上げた。
腕の中でコライガがイヤイヤと首を振り、ミュウが羨ましそうにズボンの裾を引っ張る。
そんな俺たちの篤き友情を冷めた視線で見据える無粋な連中がコメントを発する。
「二人とも……こんな場所でコントをするのは止めて……」
「いやいや、なかなか面白いじゃないですか」
「呆れますわ……」
「ちょ~っとだけ、気持ちはわかるかも」
くっ……優性遺伝子を備えた知的ブルジュワどもめっ!
けっ、と舌を鳴らす俺たちに、イオンが本気で済まなそうに申し出る。
「二人とも……本当に申し訳ありません。確かに、こんな場所でするような話ではありませんでしたね。先を急ぎましょう」
俺たちに気を遣い、必死に笑いかけながら先を促すイオンに、俺たちは自分たちの下種レベルを思い知らされて、激しく落ち込みました。
ともあれ、そんな馬鹿話ができる程度には順調に峠を超え行き、とうとう終着点へと行き着いた。
「この先は……もうアクゼリュスか。どんぐらいひどい状況なんだろなぁ」
「正確な被害状況はわかりませんけど、それでもかなりひどい状況であることだけはわかりますわ。私達も、急ぎませんと……」
そう意気込んで、若干早足になり始めたナタリアに、ジェイドが釘をさす。
「まあ、先遣隊が救援物資を配っているでしょうから、なんとか持ちこたえてくれるでしょう。むしろ気をつけるべきは、私達がアクゼリュスに着いた後です。障気がアクゼリュスの地で発生する以上、他の場所へ住人を移動させる意外に彼らを救援する方法はないでしょう。しかし……」
わずかに言いよどむジェイドに、ティアが言葉を続ける。
「彼らに移動するだけの体力が残っているのかが、問題ですね」
確かに、ただでさえ障気にやられてまいってる連中が、移動するだけの体力が残っているのか。
かなりでっかい問題だよなぁ。下手するとアクゼリュスの人間の数倍の人手が必要になっちまうね。
確実に近づきつつある目的地に対して、みんなのアクゼリュスを救援するって感覚が実感をおびてきたようだ。
気が付けば、街に着いた段階でどう行動したらいいかの検討ばかり口に出している。
それでも具体的な方策はなにも思い浮かばない。だが考えずにいられるほどお気楽にもなれない。
ため息が出る。気分を切り換えようと、俺は固くなった首を回す。
崖の上に佇む、女の影があった
惚けたのは一瞬、思い出すのはタルタロスの襲撃、セントビナー大門前での会話。全てにおいて指揮を担当していた銃使い──
「魔弾のリグレットッ!」
ここは、まずい。
俺はそいつの名を叫び、武器を構える。
遠距離から一方的に狙撃できる相手に対して、こちらは遮蔽物もなにも無い平地に見下ろされるカタチだ。
俺は皆の反応も待たず前に出る。少しでも距離を詰めるべく走り出す。
銃弾が、足元に撃ち込まれた。
「動くな」
怜悧な美貌にゾッとするような敵意を交え、リグレットは告げた。
……正直、あれほど距離を取られると、剣の間合いでは対抗のしようがない。
こっち側のメンバーで純粋に対抗できるのは、それこそナタリアぐらいのもんだろう。
脳裏に過る対策も、ナタリアを主軸に、後は譜術を仕えるやつが攻撃を援護する、ぐらいしか思い浮かばない。
「リグレット教官!」
そんな思考迷路に嵌まっていた俺を、ティアの悲痛な叫びが現実に呼び戻した。
「ティア。何故そんな奴らといつまでも行動を共にしている」
「教官こそ、どうしてイオン様をさらってセフィロトを回っているんですか!」
ティアの問い掛けに、リグレットは律儀に口を開く。
「ティア。お前は預言を──スコアをどう感じる?」
放たれた言葉は、しかしその場にいた誰にとっても意外なものだった。
「どういう意味ですか……?」
ティアもまた困惑したように瞳を揺らす。
「この世界は預言に支配されている。何をするのにもスコアを詠み、それに従って生きるなどおかしいとは思わないか? この世界は──狂っているのだ」
苛烈なリグレットの言葉に、気押されたように言葉を無くすティアに変わって、イオンが口を開く。
「スコアは人を支配するためにあるのではなく、人が正しい道を進むための道具に過ぎません」
懸命に抗弁するイオンに、しかしリグレットは怒りをあらわにするでもなく、哀れみの表情を浮かべた。
「導師。あなたの言うこともわかる。だが、もはや世界はスコアに呪われているに等しい。誰もが預言に従うことを当然と考え行動する……あたかも、舞台の上で操られる人形のように……すべては確定された流れの中で、オールドランドの住民はそれと意識することさえないまま、支配されているのだ。あの忌まわしき《観測者》によって……」
静かな口調ながらも、底の伺えない狂気を含有したリグレットの言葉に、俺達は気押される。
「観測と確定……第七音素の司る力の定義でしたか? しかし、あなたの言う観測者とはいったい?」
熱を持ったリグレットの表情が、一人冷静に問い掛ける大佐の言葉に、一瞬で冷める。
「……お前が知る必要はない、死霊使い。ただ言えるのは……この世界は誰かが変えなくてはならない。それだけだ」
そう告げると、リグレットはその場に居る誰も無視して、ただひたすらにティアのみを見据える。
「ティア、私たちと共に来なさい!」
リグレットの気迫に、ティアが一瞬のまれたように息を飲み、一歩後退する。
ティアはリグレットを教官と呼んでいた。そしてリグレットもまた、ティアに対して共に来いと呼び掛ける。
二人の関係がどんなものだったかは想像するしかないが、それでも、互いに対する思い入れは感じられた。
しかし、ここでティアがリグレットの手を取るのは、なにかが違うように俺は感じた。
たとえ、かつて二人の間に何があったとしても、リグレットのやつが六神将として行ってきたことはなにも変わらない。
……自分でもなにが言いたいのかよくわからないが、かつて結ばれた絆だけを理由に、協力を要請するなんて行為は──なにかが、違うだろう。
俺は自分でもまとまらない考えを持て余したまま、しかしティアに何か伝えるべく、彼女の肩に手を置く。言葉で何かを言っても、この場では無駄なような気がしたからだ。
ティアは一瞬俺に視線を向けると、再度リグレットに向き直る。
そしてわずかな沈黙を挟んだ後、その口を開く。
「私は……行けません」
毅然と告げられた決別の言葉に、リグレットが眉を潜める。
「……だ、そうだぜ」
未練がましくティアを見やるリグレットに、俺はさっさと立ち去れと視線を向けた。
その視線に応えるように、リグレットは吐き捨てる。
「……でき損ない風情が口をはさむな」
冷めきった視線が俺を射抜いた。
その瞳からは、まるでモノでも見るかのように、感情がぽっかりと抜け落ちている。
路傍の石ころでも見下ろすような──何よりも、俺が気に入らない視線。
頭に血が上る。下手な行動が時に致命的になることはなによりもわかっていた。
それでもこの視線だけは耐えられない。認められるものか。俺が我を忘れ、口を開きかけた瞬間。
「──やはりお前たちかっ! 禁忌の技術を復活させたのはっ! 誰の発案だ、ディストかっ!?」
へっ……大佐?
俺の激昂を待たずに、大佐が叫んでいた。滅多に無いジェイドの我を忘れた状態に、俺は思わず口を噤んでいた。
「知ってどうする? それにあの程度を禁忌とは……笑わせるな、死霊使い」
返された冷笑に、ジェイドが譜術を高速で詠唱しながら槍を投じる。
刹那の間に構えられたリグレットの銃口が、放たれた槍を正確無比に迎撃する。
同時に打ち込まれていた銃弾が地面に着弾し──閃光を放つ。
『──っ!』
白一色に染まった世界の中で、リグレットの声だけがその場に響く。
──采は投げられた。世界の解放が始まる……──
視界が晴れた頃には、リグレットの姿はその場から消え失せていた。
大佐が忌ま忌ましそうに、リグレットの居た場所を睨んでいる。
他の仲間もしばらくの間、周囲を警戒していたが、リグレットが本当に去ったことを確認すると構えをといた。
だが、俺にはリグレットのことなど、もはやどうでもよかった。
「……どういう、ことだよ」
ジェイドを睨み据え、俺は問いかける。リグレットの言葉に、激昂するジェイド。
だが、ジェイドはなぜ俺に向けて放たれた言葉に、怒りを覚えた?
「出来損ない……禁忌の技術……いったいそれが俺と、どう関わるっていうんだ?」
思えばアッシュのやつも、俺を劣化野郎と呼んでいた。
一人蚊帳の外に置かれているような感覚に、俺は言葉尻も荒く問い詰める。
「答えろよ、ジェイド」
「……それは」
「ジェイド、いけません! 知らなければいいことも……世の中にはあるのです」
「イオン様、ご存知だったのか……っ!」
イオンの突然の制止に、大佐が目を見開く。動揺する二人を冷めた目で見据えながら、俺は胸の内で吐き捨てる。
また、それか。
俺は理性の手綱を引きちぎり、感情に任せるまま口を開く。
「ふざけるなよ、イオン。お前らの都合で、それを判断するんじゃねぇよ! いったい……なにを知ってやがる。答えろ、ジェイドッ! イオン!」
俺の殺気混じりの恫喝に、しかしジェイドは眼鏡を押し上げ表情を覆い隠す。
「……今は、私も冷静に話せる自信がありません。──失礼」
何一つ答えぬまま踵を返し、ジェイドは一人先へ進み始めた。
「……すみません、ルーク」
申し訳なさそうに一度頭を下げると、イオンもまたその後に続く。アニスが慌てて二人を追いかけて行った。
俺は二人の背中を睨み据えたまま、苛立ちに任せて地面を蹴りつける。
「くそっ!」
いったいなにが起きてやがる!
六神将。アッシュ。リグレット。劣化野郎。でき損ない。禁忌の技術。
何一つ訳のわからない言葉だけが、俺の理解を超えたままやり取りされる。
「ルーク、二人も……」
「今は……一人にしてくれ」
何か声を掛けようとしたティアの言葉を遮り、俺は皆から少し距離を取って歩き出した。
今は、誰が相手だろうと、なにを言うかわからなかった。
腹の中を掻き乱す苛立ちを抱えたまま、俺は無言のまま歩く。そんな俺の態度に、ティアは怒るでもなく、無言のまま少し距離を離してくれた。
ミュウとコライガは俺の様子を心配そうに見上げながら、俺から離れようとしなかった。だが、こいつらを構ってやるような余裕も、今の俺にはない。
「いったいどうしたのでしょう、導師も大佐も……」
「ん? あ、ああ……そうだな」
最後尾を歩くナタリアとガイが、険悪な雰囲気を放つ仲間達を、不安そうに見据えている。
リグレットによってもたらされた波紋はその後も収まる気配を見せないまま、俺たちはアクゼリュスへと向かった。
* * *
大きくすり鉢状に落ち窪んだ蟻地獄のような都市に、誰が上げたものかもわからぬ苦痛のうめき声が、そこら中からこだまする。
あちこちに倒れ伏す人々は、言葉は悪いが……まるで死体のようだった。
「……こいつは……」
「想像以上ですね……」
予想以上に酷いアクゼリュスの状況に、俺たちは入り口に呆然と立ちつくす。
そんな俺たちに下に、一人の鉱夫が駆け寄ってきた。
「あれ、あんたたちキムラスカ側から来たのか? もしかして、あんたらもグランツさんって人が言ってた救助隊の人達かい?」
「ええ。そうです」
ジェイドがいち早く我に帰って、如才なく答える。
なにか打ち合わせをしている二人を余所に、俺はアクゼリュスの状態に気押されていた。
「うう……苦しいよ……」
入り口近くに倒れていた一人の子供が、苦悶の呻きを洩らす。
「しっかりなさって……大丈夫……もう大丈夫です」
ナタリアが近づいて、第七音素による治癒術を施している。子供の顔からかすかに苦痛が和らいだように見えるが、それも気休めにしかならないだろう。
障気が吹き出る限り、彼らに救いはない。
「くそっ……」
この場所は、俺もかつて味わったものに溢れていた。
これは──絶望の臭い。
かつて感じた無力感が、蘇る。
「どうやら救助の先遣隊とグランツ謡将は、坑道の奥に向かった様です。私達もそこに向かいましょう」
冷静な言葉に、俺は大佐を睨む。道端に倒れ伏す障気に犯された人間を再度見やり、問いかける。
「……こいつらを、放っておくっていうのか?」
「ルーク。ここで私達が固まっていても、状況は改善しませんよ」
あくまで正論を持って望む大佐に、俺はデオ峠の苛立ちも含めて、皮肉げに笑う。
「ああ、そうかよ。さすがに、頭の良いやつは言うことが違うよな」
「ルーク! 言い過ぎよ!」
俺の吐き捨てた言葉に、ティアが叱責の声を上げる。
「二人とも、言い争いはそのぐらいにしておけ。今は、グランツ謡将に合流することを考えようぜ?」
ギスギスした雰囲気を振りまく俺とジェイドの間に、ガイが割って入る。
ジェイドは特に気にした様子を見せなかったが、俺はあからさまに大佐から距離を置いた。
今の俺が冷静でないことは、他の誰でも無く、俺自身が一番よく理解していた。
「ルーク、あなたがこの街の状況に憤るのはわかりますわ。けれど、それを大佐に向けるのは間違っています。私達とて……なにも感じないわけではありません」
「……ああ、わかってる。わかってるよ、ナタリア」
かつての記憶と、この街の状況が重なって、ただ焦燥感だけが募る。
その後は無言のまま、絶望に満たされたアクゼリュスの街中を進み、鉱山の入り口付近まで行き着く。
いざ鉱山へ入ろうかという、そのとき。
「グランツ響長ですね!」
駆け寄って来る教団兵の姿があった。
「自分はモース様に第七譜石の件をお知らせしたハイマンであります」
「……ご苦労様です」
教団兵の報告にティアが表情を引き締め、イオンが驚きに目を見開く。
「第七譜石? まさか発見されたのですか!」
「はい。ただ真偽のほどは掘り出してみないと何とも……」
イオンに答えながら、ティアがどこか迷うような視線を俺に向ける。
ここまで来て別れることを気に病んでいるんだろうか?
そこまで気にする必要はないと思うが……こんなときでも、相変わらず、生真面目な奴だよな。
ティアの様子に少しだけ気分が和らぐのを感じながら、俺はイオンに目配せを送る。
それで彼女が迷っていることに気付いたイオンが頷いて指示を出す。
「ティア。あなたは第七譜石を確認して下さい。僕はルークたちと先遣隊を追います」
「わかりました。この村の皆さんをお願いします」
イオンの言葉に頷き、動き出そうとしたティアの足が突然停まる。
わずかな沈黙を挟んだ後、背中を向けたまま、彼女は俺に告げた。
「ルーク……今のあなたからは、いつもの余裕が感じられないわ。あなたが峠の事で苛立つのもわかる。だから、苛立つなとは言わない。ただ、今はこの街の人々を救う事を第一に考えて」
どんなときでも、周囲に居る人間を気遣うのを止めないティアに、俺は苦笑を浮かべるしかなかった。
彼女の言葉で強張っていた肩の力が少しだけ抜けるのを感じながら、俺はできるだけいつものような調子を装って答える。
「まあ、わかっちゃいるんだけどな……でもま、覚えておくよ。ティアも、気をつけろよ」
俺の呼び掛けに無言で頷き返し、ティアはそのまま駆け去っていった。
彼女の後ろ姿を見送り、俺とイオンは先行するジェイドの後に続く。
* * *
鉱山の中は街以上に濃い障気に満たされていた。時折襲いかかる魔物を退けながら、俺たちは否応なく高まる緊張感と共に奥へと向かう。
しばらく進んだところで、ある程度の広さをもった空間に行き着く。そこには充満する障気の中、地面に倒れ伏す鉱夫たちの姿があった。
「なっ……大丈夫か。しっかりしろ」
入り口近くに倒れていた鉱夫の一人に駆け寄って声を掛けるが、意識が朦朧としているのか、まともな返事は返って来そうにない。
全員が散らばって、それぞれこの空間に倒れ伏す鉱夫たちの容態を確認している中、一人入り口付近に佇んだまま、冷静に周囲を見渡して居たジェイドが、不可解そうにつぶやく。
「……おかしい。先遣隊の姿がない」
小さく呟かれた言葉だったが、辛うじて俺の耳に届いた。大佐の呟きで、俺もようやくその事実に思い至る。
「……どういうことだ? 先遣隊の連中は先にここへ向かっていたはずだろ?」
峠での件は未だ納得できていなかったが、そんなことを気にしている状況でもないと頭を切り換え、大佐に尋ねる。
「そうですね……いったい……」
そのとき、俺の右腰に吊るされたアッシュの剣が鈍い光を放つ。
───そ……か……行……っ!
「ぐっ……なんだ?」
微かな頭痛が俺を苛むと同時に、頭の中にノイズ混じりの言葉が響く。
───奥……ゃ…ぇ! ……返し……ね……っ! ……くそっ……届…ねぇ──
だがその声も、途中で何かに強引に断ち切られたかのように途切れた。
「どうしました?」
「いや……一瞬、頭が痛くなっただけだ。けど、もう治まったよ。なんか声が聞こえたような気もしたけど、気のせいだろうな」
「そうですか……。気をつけて下さいよ。あなたまで障気に侵されては、今でさえ足りない人手が、ますます絶望的な状況になりますからね」
「わかってる」
冗談混じりに告げられた言葉だったが、そこに込められた意味は真剣なものだったので、俺も特に突っかかるでもなく頷きを返す。
「しかし……先遣隊の連中を見つけないことには、話にならねぇぞ」
俺たちだけでアクゼリュスの住民全てを避難させるようなことは不可能だ。
少し生臭い話をしちまえば……結局のところ俺が親善大使としてアクゼリュスへ寄越されたのは、政治的な意味合いが強い。
敵国の王族までもが救助活動に参加しましたっていうアピールだ。実質的な救助活動は、その道の玄人の手を借りない限り、どうしょうもない。
「ええ。わかっています。彼らはさらに奥へ向かったということでしょうか……?」
「時間はあんまねぇんだろ? とりあえず、動こうぜ」
わずかに考えるような間を置いた後、大佐が決断を下す。
「皆さん聞いて下さい。私とルーク、それにイオン様は、この先に先見隊が居るかどうか確認をしてきます。この場は任せました」
「頼んだぜ、ガイ、ナタリア、アニス」
大佐と俺の言葉に、皆が頷きを返す。
さらに奥まった部分へ進んでいくと、不意に上の方からなにか争うような物音が聞こえて来る。
「……上の様子がおかしい。少し見てきます。ルークは、この先の確認をお願いします」
「わかった。任せろ」
急いで駆け戻っていくジェイドを見送って、俺とイオンは無言のままさらに奥へと進む。
ミュウとコライガも後に続いているのだが、坑道内に入った瞬間から二匹は全身の毛を逆立てて、鳴き声一つあげていない。
しばらく進んで行くと、直ぐに坑道の突き当たりに行き着く。救助隊の姿は見えない。
だが、代わりに、一人佇む男の姿があった。
「──来たか」
奇妙な文様の記された扉の前に立ち、師匠はそうつぶやいた。
「……師匠? こんなとこに居たんすか? でも……先遣隊はどこに?」
「別の場所に待機させている」
師匠の言葉の意味するものを掴みかねて、俺は一瞬呆気にとられた後、すぐに愕然とする。
「待機って……こんな状況下で何言ってんですかっ!」
「落ち着け、ルーク。既に住民の被害状況は確認し終えている。先遣隊には実際の救助活動に向けた準備に移ってもらっているところだ。もうすぐ、ここにもやってくるだろう」
重ねられた言葉に少し違和感を得たが、とりあえずの救助活動の目処が立ったという師匠からの報告に安堵する。
「そう、ですか……ところで、師匠はこんなところで、何をしてるんですか?」
師匠が一人先遣隊から離れている理由がわからず、俺は首を傾げた。
「この先に、障気の発生源が存在する。私はそれを排除するために、お前たちを待っていたのだ」
障気の……発生源だって? 言葉の意味がよく理解できない俺を余所に、師匠がイオンに向き直る。
「――導師イオン。この扉を開けていただけますか」
促された言葉に、イオンが扉に近づいて、手を触れる。
「……これは、ダアト式封咒。ではここもセフィロトですね。しかし、セフィロトが障気の発生源になっているとは……いったい?」
「それを説明するのもやぶさかではありませんが、まずはセフィロト内部を実際に確認してみないことには始まりません。導師イオン。これはアクゼリュスを再生するために必要な措置です。開錠を願います」
すこしの間、イオンは躊躇っていたようだが、結局師匠のアクゼリュスを再生するためという言葉に頷いた。
「……わかりました」
扉に添えられたイオンの手を中心に円陣が展開され、ガラスの割れるような音ともに、扉は消え去った。
「行きましょう」
この先でなにをするのか尋ねる間もなく、師匠が扉の先に消える。イオンもその後に続く。
「おい、待てって」
正直、こんなことをしていていいのか気になったが、先に進む二人を残して俺一人だけ引き返すわけにもいかないので、俺も慌てて後追う。
「ここは……ザオ遺跡やシュレーの丘と同じ……」
扉の先は坑道内部と違って剥き出しの地面ではなく、音素の光に照らし出された人工的に整備された空間が広がっていた。
「……師匠は何をするつもりなんだ? アクゼリュスを再生するって、いったいどうやって?」
壁面から伸びる螺旋状の通路を進む師匠の背中を見据えながら、俺は理由のわからない不安を感じていた。
「僕にもわかりません……ひとまず、ヴァンのすることを見届けてから、皆の下に戻りましょう。既に先遣隊が実質的な救助活動に向けて動いているなら、それからでも遅くはないはずです」
「……まあ、それもそうか」
なにがしたいのかよくわからない相手に戸惑いを覚えながらも、俺とイオンはとりあえず先を行く師匠の後に続く。
螺旋の終点まで降りたところで、さらに先に続く扉を潜る。
そこには天に向けて伸びる巨大な音叉状の譜業機関が存在していた。
音叉を中心に、目に見えるまでに強まった音素の光が周囲を漂っている。
「あれは、パッセージリング」
「パッセージリング?」
「詳しい説明は教団の機密事項に触れるためできないのですが……簡潔に説明すると、セフィロトの中核に位置する音機関の名前です。いったいヴァンはパッセージリングで何を……?」
視線の先で、師匠が腰から奇妙な形状をした杖を抜き放つのが見えた。
先端部分に宿る光の輪が一定の間隔で回り、杖の握りの部分の繊細な細工と相まって、どこか神聖な雰囲気を漂わせている。
師匠はおもむろに杖をパッセージリングとやらに構えると、そのまま──突き刺した。
『なっ』
突然の暴挙に、俺とイオンが言葉を洩らす。
だが奇妙なことに、突き刺さった杖の先端部分は、まるで最初からパッセージリングの一部分であったかのように、ごく自然に一体化している。
理解できない現象に目を剥く俺達を余所に、師匠はなんら表情を変えずに、そのまま杖に手を掛ける。
「喰らうがいい、第六奏器よ」
告げられた言葉に、俺の背筋をゾッとするような悪寒が駆け抜ける。同時に、周囲を漂う音素が突き刺された杖を中心に、爆発的な勢いで収束する。圧倒的な音素の流れはパッセージリングから放たれる音素も例外でなく、どこまでも貪欲に杖は喰らい尽くす。
───ぐぁあああああああああああああああああああああああああああああっ……──
意識を直接殴りつけるような衝撃と共に、絶叫が俺の頭の中に響く。思わず額を抑えて膝をつく俺を目にして、イオンが困惑に瞳を揺らす。その様子を見る限り、どうやらイオンにこの声は聞こえていないようだ。
……いつもの電波と似た現象って……ところか……くっ……
いつまでも続くかと思われた断末魔の叫びは、しかしなんの前触れも無く唐突に途切れた。
ふらふらと立ち上がる俺の視界に、杖をパッセージリングから抜きとる師匠の姿があった。師匠の手に握られた杖は、一定間隔でほのかな光を放ち、奇妙な鼓動を発している。
「ヴァン。今の行為がいったい、どうアクゼリュス再生に繋がるというのです?」
視線も鋭く投げ掛けられたイオンの問い掛けに、師匠は杖を肩に抱え載せながら答える。
「この時点をもって、アクゼリュスは彼の者から聖別されたのですよ、導師。すべてはこれから始まるのです……」
どこか恍惚とした光を目に宿す師匠に、俺は、なぜか気押されたように一歩退いていた。
俺の中で乾いた声が囁く。今の絶叫はなんだ? 住民の避難よりも優先すべきことがあるのか?
「ルーク。こちらへ来なさい」
こいつは、いったい、自分に、なにをさせようとしている?
「この先は、お前の力が必要となる……」
師匠の呼び掛けに──俺は反射的に剣を抜き放っていた。
「……ミュウ、コライガ、イオンを頼む」
師匠は剣を構える俺に驚くでもなく、片眉を上げるいつもの癖を出しながら、ただ俺の反応を興味深そうに見据えている。
「ふっ……やはりお前は私に剣を向けるか」
「師匠……あんた、いったい何がしたいんだ? 障気の発生源を絶つって言っても、街に染みついた障気は一朝一夕じゃ消えないはずだ。今はこんなところに居るよりも、アクゼリュスの連中を避難させて、一刻も早く治療受けさせる方が先だろ?」
「何がしたい……か」
俺の必死の問い掛けに、師匠は片手に握った杖を弄びながら、わけのわからない言葉を返す。
「この世界において、かつてユリアの預言により観測された《繁栄》という名の事象の流れは、その後も事有るごとに詠まれた預言により確定され続けてきた……そう、一般的には言われている。だが、それは真実ではない。ある一時点からすべてを観測し、決定づけた者の存在を彼らは意図的に無視し……ついには忘却させた」
「俺は……あんたがなにを言ってるのか、まったくわからねぇよ、師匠……!!」
震える剣の切っ先を向けた懇願にも、師匠は大して気にした様子も見せず、落ち着いた口調で続ける。
「思えば、〝お前たち〟のようなイレギュラーの登場もまた、観測者の想定内であったということだろうな。」
「師匠っ!」
もはや堪えきれなくなって叫んだ俺に、師匠が改めて俺を見据えた。
ようやくまともな言葉が帰って来るのかとわずかに感じた期待は、しかし続けて放たれた言葉に完膚無きまでに叩き消される。
「ルーク。お前は預言を──スコアをどう思う?」
───ティア。お前は預言を──スコアをどう感じる?
目の前に立つ男の問い掛けが、デオ峠でリグレットにされたものと、重なる。
視界が、真紅に染まる。
頭が、放たれた言葉を、理解することを拒絶する。
「師匠、あんたはっ……! あんたがっ……!!」
ただ──胸の内からこみ上げる衝動に、俺は決定的な言葉を放っていた。
「あんたがっ──六神将を動かしてやがったのかよっ!!」
「その通りだ」
一切の狼狽も反論も躊躇も見せず───
目の前に立つ〝敵〟は、ただ頷きを返した。
ここ数年の間、積み重ねられた信頼が、掛けられた言葉が、脳裏を過る。
───なかなか飲込みが早いな。だが、まだまだ。
───屋敷を抜け出すのもいいが、ほどほどにしておけ。あまり家族に心配をかけるものではない。もちろん、私も心配だとも。
───結ばれた絆は変わらない。兵器であることを、自らに許すな、ルーク。
すべてが、ただ一度の頷きで、ここに崩壊した。