「―─―海は危険です」
港に到着したところで、ジェイドは唐突に告げた。
突然なんじゃらほいと思いながら詳しい話を聞くと、なんでも中央大海はオラクルの連中に監視されている可能性が高いらしい。
それならどうするのか尋ねる俺に、ジェイドは言い聞かせるようにゆっくりと、その策を語った。
海へおとりの船を出航させる。そして本隊は陸路でケセドニアに向かおうと。
そんなにうまくいくのかよと疑問が浮かぶが、そんな俺の疑念にも、ジェイドは厭味なほど完璧な論理を持って答えた。
なんでもケセドニアから先のローテルロー海はマルクトの制圧下にあるらしく、船でカイツールへ向かうことは難しくないのだそうだ。
確かに納得いくものだったが、問題は誰が囮になるかだ。
囮であっても、敵にその認識はないのだ。本隊と見なされる以上、妨害工作が集中するのは目に見えている。
沈黙が続くかと思われた瞬間。
「私がおとりの船に乗ろう」
師匠が名乗りを上げた。
「師匠が……ですかい?」
「私がアクゼリュス救援隊に同行することは発表されているのだろう? ならば私の乗船で信憑性も増す。神託の盾はなおのこと船を救援隊の本体と見なすだろう」
説得力のある言葉だった。
俺と大佐は使者として外せない人材だから除外するにしても、仮に他のメンバーが囮となったとしても、師匠ほど重要視されないだろう。
そう考えると、最初からジェイドは師匠が囮として適任だってことは、当然わかっていたはずだ。
さらに言えば、他に選択肢はなかったとも言える。
それをあえて志願したように見せるとは、なんとも底意地の悪い話だ。
それとなくジェイドの様子を伺うと、俺の視線に気付いた大佐は、にやりと見透かしたような笑みを浮かべた。
なんというか、ほんと底が知れないね、この大佐。
そんな視線のやり取りをしているうちに、いつのまにか師匠は船に乗り込んでいた。
甲板から俺たちを見据えると、いつものように悠然と告げる。
「ではケセドニアか、さもなくばアクゼリュスの地にて、再び出会おう」
こうして師匠は船に乗り込み、囮として王都を去った。
同時に俺達は内陸をえっちらほっちら歩いて進み、アクゼリュスを目指さなければならなくなったわけだが。
「それで、どうやってアクゼリュスまで行くつもりなんだ、大佐さんよ。あそこまで周到に話を持って行ったんだ。なにか考えがあるんじゃないか?」
ガイのもっともな問い掛けに、ジェイドが少し待てとばかりに眼鏡を押し上げる。
「なんにせよ、こちらは少人数の方が目立たなくてすみます。詳しい話については、後程改めて詰めることにしましょう。私は他の人々に話を通しておきますので、あなたたちは旅で必要そうなものを揃えておいて下さい。準備が整ったと判断したら、街の出口で合流しましょう」
あえて詳しい内容は明かさずに、ジェイドは一方的に言い捨てると、その場を去った。
なんとも言い様のない空気の中、残された俺たちの間をしばし沈黙が続く。
「……ジェイドの奴さ。結局、自分の考えに確信持てるまで外に出さねぇよな」
「そうだな。まあ、俺たち凡人には、大佐さんの深謀智慮は窺い知れないってことかもな」
「そこまで言う必要はないと思うけど」
皮肉げに言い合う俺たちに、ティア一人が擁護するような言葉を放つ。
それでも完全には庇いきれてなかったが、まあ、そこがジェイドの人徳ってやつなんだろうね。
「それよりも、準備を済ませましょう」
「だな。それじゃ、俺は必要そうな保存食材とか買い集めてくる」
「なら、私は回復道具を中心に店を巡ってみるわね」
早速細かい打ち合わせを始めた二人に、俺は申し訳ないと思いながら手を上げる。
「あー……ちょっとすまん。悪いとは思うんだけどさ、街の知り合い連中に、顔出してきていいか?」
てきぱきと話を押し進める二人に、俺はおずおずと申し出た。
「いきなり街から消えて、昨日帰って来たばっかだってのに、また居なくなるんだ。少なくとも無事だって知らせる意味も兼ねて、知り合いに顔ぐらい見せておきたいんだけどよ……やっぱ駄目かね?」
否定されてもしょうがないと思いながらの申し出は、しかし意外と簡単に許可された。
「いいえ……そういうことなら、仕方がないわ。準備なら、私とガイで十分だと思うし」
「そうだな。前の旅で使わずに残った道具とかもかなりあることだし……いや、待てよ」
突然、ガイがなにかを考え込むように顎に手を当てる。
「そうだ。折角バチカルに来たんだ。ティアもルークについて行きなよ」
手をポンと打ち鳴らして、いいこと思いついたとガイが言う。
話をふられたティアは、突然のことに困惑してか、俺とガイを瞬きしながら伺い見ている。
「えっ、でも……さすがに、ガイに悪いわ」
「いいっていいって。量的には俺一人で十分足りる。こんな機会は滅多に無いだろうし、二人で行ってきなって」
そう言いながら、なんだか意味深な視線を俺に向けてきやがった。
なんだよ? 意味がわからず首を捻る俺に、ガイは苦笑を浮かべる。
「ま、ともかく俺は大丈夫だから。さっさと行ってきなって」
ここまで言われては、むしろ断る方が悪いと思い直してか、ティアも最後には頷いた。
「わかったわ。でも、ホントに大丈夫?」
「そうだぜ? 無理そうなら別に……」
「いいっていって。それじゃ、街の出口でまたな」
ガイは強引に話を打ち切ると、呆気にとられた俺たち二人に苦笑を深めこの場を去った。
ガイの不可解な行動に、俺達はわけもわからぬまま、その後ろ姿を見送る。
「なんだあいつ、突然……?」
「そうね……どうしたのかしら?」
俺とティアはしばらく首を捻っていたが、このまま突っ立っていてもしょうがない。
「……行きましょう。時間はあまり無いわ」
「おう。それもそうだな。んじゃ行こうや」
歩き出す俺たち二人に、後ろから呑気な声が届く。
「ご主人さまの街、楽しみですの~」
ルンルン声を出すミュウと、ぐるぐる喉鳴らすコライガが俺たちの後ろに続く。
あ……そういや、こいつらも居たっけ。わかった途端、理由のわからん物哀しさが俺を襲う。なんでだろ……?
ともあれ俺とティアの二人、そして小動物二匹は、バチカルの街を歩き始めた。
* * *
「おや赤毛の若さまじゃないか。随分と久しぶりだね」
「なんだ、また屋敷を抜け出したのか、若さま。ほどほどにしとけよ」
「このクソガキがっ! またきやがったのか!? さっさと失せろ!! ……待て、連れが居るのか。こいつ持ってぎな」
「あらあら、なんだい今日はナタリア様じゃないのかい? 珍しいね。このパンでも持っていきな」
「きゃー。なにその子。可愛いー! 撫でさせて撫でさせて!! おばちゃん可愛いもの大好きなのよー!」
道行く人々が、俺の肩や胸を叩き挨拶し、たまに食い物を押しつけていく。
「……」
腕の中に抱えきれない程食べ物を抱えたティアが、呆れたような視線を俺に向けて来る。
「ご主人さま人気者ですの~」
そういうミュウもティアと似たような状況だったが、全然堪えた様子はなく、むしろうれしそうだ。
コライガは来る人来る人に撫でられまくって、乱れた毛並みを不快そうに何度も何度も繕っている。
マジで、こういう歓迎の仕方は勘弁してほしい。俺は注がれる視線に、引きつった笑みを浮かべた。
「まあ、アレだな。あいつらも悪気がある訳じゃねぇんだ。勘弁してやってくれ」
「……別にいいけど。それより、さっきからどこかに向かっているようだけど……?」
「ああ。ちょっとな、顔見せときたい連中が居んだよ」
それ以上は詳しく説明しないで、俺は足を進める。
何度か路を曲がっているうちに、街のなかでも奥まった部分に行き着く。
「ここは……?」
古くさい蔦に包まれた煉瓦造りの建物が、そこにあった。
錆び付いた鐘の吊るされたアーチを潜った先に、小さいながらも整えられた中庭が広がっている。
手作りのブランコやシーソーの上で、遊んでいた子供連中が、俺たちの姿に気付く。
「よっ、久しぶりだな。ガキども。元気にしてたか?」
集中する視線に手を上げて応えた俺に、連中が一斉に声を上げる。
「ルークじゃん!」
「またきたのかよ! さっさっとかえんないとナタリアねえちゃんにおこられるぞ!」
「久しぶりっす! ルークのアニキ!」
「ルーク兄さま……こんにちわ」
「げげっ、ルークの野郎が来やがったのかよ! 帰れ! とっと帰れ!」
「ルークさんじゃないですか。お久しぶりです」
一部俺に突進して来るバカも居たが、軽くあしらいながら周囲を見回す。
居るのはガキどもだけで、肝心の人たちの姿が見えない。
「あん? 院長とかの大人連中は居ないのか?」
子供の一人が手を上げて、得意そうに答える。
「は~い。副院長はまたでかせぎだって~。院長は買い物ちゅう~」
「そっか。……ちょっと間が悪かったかね」
俺は額を掻きながら、とりあえず伝言を残しておくことにする。普段を考えれば、かなり長い間顔見せてなかった訳だから、これぐらいは必要だろう。
「二人に伝えといてくれねぇか? とりあえず元気にしてます。またそのうち顔出しますからって」
俺の言葉に、その場に居たガキ共が一斉に答える。
「わかった~」
「まかせとけっ!」
「しょうがねぇーなぁ。ルークは」
まあ、生意気な返事も混じっていたが、これだけ人数居る中で話したんだ。誰かから伝わるだろう。
そんな伝言などもどかしいと言わんばかりに、瞳を輝かせた子供連中が俺に尋ねる。
「兄ちゃん兄ちゃん、ところでそっちの丸っこいのはなに?」
「ぼ、僕ですの?」
うろたえたように耳を激しく動かしながら、ミュウが言葉を口にした。
その瞬間、一同が押し黙る。
『ど、動物が喋ったぁ~!?』
叫んだかと思えば、次の瞬間には揉みくちゃにされるミュウの姿が見えた。
ガキ共の迫力に圧倒されるティアとコライガに目を向けて、とりあえず全員紹介しておくことにする。
「こいつはティアで、まあ俺の連れだ。ほんで、そいつはチーグル族のミュウ。こっちに居るのはライガのコライガだ」
俺の紹介に、もう一匹小動物が居ることを知ったガキどもがコライガに突進する。苛立たしく喉を鳴らすコライガにも怯んだ様子を見せず、ガキどもは撫でまくる。
「す、すごい迫力ね……」
「まあ、こんなもんだろ。なんせガキだし」
その後、しばらくの間ガキどもに揉みくちゃにされるミュウとコライガを眺めていた俺達だったが、時間的にそろそろ行かないと不味そうなことに気付く。
「ほれほれ、放してやんな。俺たちはそろそろ行くんでな」
『え~っ!』
俺のとりなしに、ガキどもは不満そうに声を上げた。
「そのうちまた連れてきてやっからよ。ほら放せ」
しぶしぶながらも解放される二匹が、俺の方にふらふらと駆け寄って来る。
ミュウのやつは泣きながら俺の胸に飛び込んだ。
コライガなどは苛立たしげに呻きながら周囲に放電し、草地に焦げ痕を残している。
まあ、こういうのもいい経験だろう。
「そんじゃ、またな」
『じゃ~ね~』
俺たちは煉瓦造りの建物──王立孤児院を後にした。
少しの間、無言のまま俺の後に続いていたティアが、ポツリとつぶやきを発する。
「……少し、意外だったわ」
「まあ……なんのことかは言われなくても、なんとなくわかるぜ」
俺が苦笑を浮かべると、ティアは少し顔を背ける。小さな声で、ごめんなさい、とつぶやいた。
「……みんな、随分とあなたに懐いているようだったけど、いつ頃から通ってるの?」
「まあ、かれこれ三~四年になるかね」
確か初めて屋敷を抜け出したときも、ここに連れてこられた。
その後も抜け出すたびに、遊びに来ていた。
「連中とは長い付き合いだよ……本当にな」
かつて過ごした日々が思い起こしながら、俺は馴れ親しんだ路を進む。
記憶とともに蘇る、胸の痛みをまぎらすように、一歩一歩、踏みしめるように歩いた。
* * *
街の出口まで行くと、そこには既にガイとジェイドの姿があった。
「悪い……ちょっと遅れたか?」
「いや、大丈夫だ。それよりもまずい事態になったぞ」
顔をしかめながらガイの促す先に、昨日別れたアニスの姿があった。
「へ? アニス?」
「ルーク様ぁ!」
「うおっ!」
突然腰回りに飛びついてきやがったアニスに、俺は転びそうになるのを必死に堪える。うっ、背骨がキツイ……。
「逢いたかったですぅ……でもルーク様はいつもティアと一緒なんですね……ずるいなぁ」
アニスが抱きつきながら、俺と並んでこっちまで歩いてきたティアに視線を向ける。
「あ……その……よくわからないけど……ご、ごめんなさいね、アニス」
俺には泣きまねしてるようにしか見えないアニスに、しかしティアは狼狽しきった様子で、真剣に謝っている。律儀というか、生真面目というか……。
「というか、こんな冗談いってる場合じゃないんじゃねぇのか?」
呆れ果てた俺の視線に、アニスが慌てて身体を離す。
「そうなんですよ! それが……」
今度は本気で泣きそうにながら、アニスは事情を語った。
なんでも昨日まで居たはずのイオンの姿がどこにも見えないのだという。
周囲に目撃情報を求めたところ、なんでも奇妙なサーカス風の衣装を来た連中と、イオンらしき人物が街の外へ向かうのを見た者が居たらしい。
「おそらくは漆黒の翼の仕業でしょう」
ジェイドが推測を裏付けるように、バチカルの出入り口周辺で、兵士が同じような人物を見かけていたことを付け加えた。
って、どえらい事態じゃねぇかよ!?
「た、大変じゃねぇか! こんな悠長に話してないで、とっとと追いかけようぜ!」
「それが駄目なのっ! 街を出てすぐのトコに六神将のシンクがいて邪魔するんだもん~」
アニスのさらなる発言に、今度は俺たちの間にも緊張が走る。
「……まずいわ。六神将がいたら私たちが陸路を行くことも知られてしまう」
「ほえ? ルーク様たち船でアクゼリュスへ行くんじゃないんですか」
「いや、そっちはおとりだ。しかし……六神将が居やがるのか……」
確かに、海だけを警戒するなんてのを期待するのは、さすがに連中を舐めすぎていたか。
「ジェイド、どうする?」
集中する視線に、ジェイドがガイに目配せする。
「実はさっきまで大佐と検討してたんだが、いい方法がある。旧市街にある工場跡へ行こう。天空客車で行けるはずだ」
「工場跡?」
「ああ。確かそこから延びる排水口が外にまで繋がっている……はずだ」
最後の最後で肩をすかしの言葉を放つ。
「はずって……あのな……」
「まあ、他に手段もないですし、とりあえずガイの言う通りにしましょう」
「……それしかねぇのか」
ジェイドまで賛成するってことは、本当にそれ以外に手がないんだろう。
「しっかし廃工場ねぇ……どうなることやら……」
このメンツで行く先々で問題ばっか起こっているような気がしてならないのは、きっと気のせいじゃないはずだ。
嫌な予感をひしひしと感じる中、こうして俺たちはアニスを引き連れ廃工場へ向かう。
どうかこれ以上厄介事が起きませんように……。
* * *
天空客車の降りた先は、薄暗い闇に包まれていた。
ところどころ空いた天井の穴から射し込む日の光が、唯一の光源として、工場内が完全な暗闇に陥ることを防いでいる。
「で……だ。実際のところ、本当に排水口伝いに外に出れるんのかよ?」
ここまで来ておいて、やっぱり無理だったなんてことになったら洒落にならん。
睨む俺の視線を受けて、ガイが任せろと頷きながら工場の奥の方を指差す。
「バチカルが譜石の落下跡だってのは知ってるな? ここから奥へ進んで行くと落下の衝撃でできた自然の壁を突き抜けられるはずだ。ここの排水設備はもう死んでるが、それでも通ることはできるはずだからな」
なるほど。それなりに目算はあるわけだ。しかし、なんというか。
「毎度毎度妙なことに限って詳しいよな、お前……」
「そうか? 自分でも耳に入ってきたことを記憶してるだけなんだがなぁ」
謙遜したように掌を振るガイに、ジェイドが眼鏡を押し上げながら口を開く。
「いえ、あなたの知識はかなりの部分が体験に沿ったものです。それなりに誇っていいものだと思いますよ」
「そうよ、ガイ。実際私達は、こうして助かっているわ」
「そうだよ。ガイのおかげでイオン様のところに行けるんだし~♪」
仲間連中に褒められて、さすがに悪い気はしなかったのか、ガイが照れたように頭を掻く。
「──そうですわ。ガイ、あなた意外と博識でしたのね」
頭に手を置いたまま、ガイの動きが停まる。
かくいう俺も動きを停めている。
えー……ゆっくりと、落ち着いて、考えよう。今、聞こえた声は誰のものだった?
一度目を綴じて、声のした方に向き直り、そこで瞼を開く。
まったく日に焼けていない輝くような金髪がまず視界に映る。
動きやすそうな外出着、頑丈そうなブーツ、おまけに背中に矢筒を背負った彼女がそこに居た。
「見つけましたわよ、ルーク」
ナタリアは俺を逃さぬとばかりに、にっこりと微笑んだ。
「な、ななな、なんで、お前が、こんなところに……!?」
「決ってますわ。宿敵同士が和平を結ぶという大事な時に、王女の私が出て行かなくてどうしますの」
動揺に震える指先突き付ける俺に対して、ナタリアは胸を張って答えやがった。
「ルークだけに任せてなんていられませんわ。だってあなた、少し抜けているところがありますもの」
「……って、アホか!! いきなり前線に出てくる王族がどこに居やがるよ!? そんなのは、後は判子押すだけで和平がなるような段階になってからの話だろう!?」
「そ、それは、そうですけど……。こ、この私がわざわざついて行ってあげると言っているのですよ! 黙って連れて行きなさい、ルーク!」
だぁー! もう、理屈にもなんにもなってねぇよ。……マジで勘弁してくれよ、ナタリア。
「それとも……ルークは私と行くのが……それほどまでに嫌なのですか?」
さっきまでのツンケンした態度から一転、俺の顔を上目づかいで見上げて来るナタリアに、俺は本気で困惑する。
「だから、そういう問題じゃねぇだろ? 外の世界は……お姫様がのほほんとしてられる世界じゃないんだぜ?」
最後の方は本気で心配になって訴える俺に、ナタリアが少し顔を背ける。
「それこそ……あなたがそんな外の世界に赴くというのに、私だけ黙ってなどいられませんわ」
「いや、そうは言ってもよ……」
少し気押された俺の気配を感じとってか、ナタリアは俺の方に向き直って、畳みかけるように続けた。
「私だって三年前、ケセドニア北部の戦で、慰問に出かけたことがありますもの。覚悟はできていますわ」
それなりに真剣な調子で言われた言葉に、さすがの俺も返す言葉が思いつかない。
正直……まいった。こいつには借りがありまくるから、そこまで無下にはできない。
「慰問と実際の戦いは違うしぃ~お姫様は足手まといになるから残られた方がいいと思いま~す」
「失礼ながら、同感です」
そこに丁度良く、アニスとティアが反対意見を述べる。
俺はガイに視線を合わせ、説得を続けるよう頼む。
「ナタリア様、城へお戻りになった方が……」
頷いたガイの宥める言葉を遮って、ナタリアがピシリと鞭打つように宣言する。
「お黙りなさい! 私はランバルディア流アーチェリーのマスターランクですわ。それに治癒師としての学問も修めました! そこの頭の悪そうな神託の盾や無愛想な神託の盾より役に立つはずですわ!」
挑発的に言い放つと、アニスとティアに視線を向ける。
「……何よ、この高慢女! ツンケンみんなにトゲふりまいといて!」
「下品ですわね。浅学が滲んでいてよ」
さすがにカチンと来て食ってかかるアニスと、迎え撃つナタリアが至近距離で睨み合っている。
「呆れたお姫様だわ……ルーク、もうあなたの好きにして」
ティアが額を押さえて、本気で沈痛そうにつぶやいた。
「なんだか楽しくなってきましたねぇ」
「……だから女は怖いんだよ」
ジェイドは端から傍観に徹しているし、ガイもトラウマが発動したのかブルブル震えている。
もはや誰もが場の収拾を諦めてやがる。やっぱり、俺がなんとかするしかないのかよ。……なんか、泣けて来るな。
「あのな、ナタリア」
「なんですの? ようやく私を連れて行く気になりまして?」
期待に満ちた顔を向けられても……俺にどうしろと?
「いや、そうじゃなくて……」
「ルーク。お願いします。私は王家の者として、アクゼリュスをこの目にしなければいけないのです。それに……このような機会でも無ければ、私は実際に外を見ることなど、二度とできないでしょう」
これが最後の機会なのです、とナタリアはつぶやいた。
それは……俺にも深く共感できる理由だった。
結局のところ、ナタリアも俺も王族だ。
そのうちバチカルという街から外に出る機会があったとしても、おそらくは少人数で気楽な旅路という訳にはいかないだろう。
たとえこれが危険をはらんだ旅路であっても、ナタリアに巡ってきた、最後の機会なのだろう。
結局……こいつからはどうやっても逃げきれないってことなのかね。
「ふぅ……しょうがねぇか。わかった。わかったよ、ナタリア」
「まあ、ルーク!」
「って、おい、引っつくな! 離れろって!!」
首回りに手を回しやがったナタリアに、周囲からなにしてやがんだお前らと、軽蔑の視線が注がれる。マジで……勘弁してくれぇ。
なんとかナタリアを引き離し、俺は喉をコホンコホンとならしながら、場の空気を整える。
「えー……ということで、ナタリアには来てもらうことになった」
「よろしくお願いしますわ。ルークがどうしてもと頼むので、仕方なく同行することになったナタリア・ルツ・キムラスカ・ランバルディアと申します。まったく、ルークは私が居ないと駄目ですわね」
元気よくお辞儀しながらとんでもないこと口走りやがるナタリアに、ジェイド以外の全員が正気かと俺の顔を睨む。
「そういうことだったの……ルーク、見損なったわ」
絶対零度の視線を伴う軽蔑の言葉がティアから放たれた。こ、怖すぎる……。
「ち、違げぇーよっ! こ、これはアレだ! そう! 高度な政治的判断とかっていうやつで……」
「……つくにしても、もうちょっとましな嘘つこうぜ、ルーク」
「うっせぇーよっ、ガイ! とにかく親善大使は俺なの! いいな?」
俺の最終的な権力頼りの決定に、不承不承ながらも、皆が一応の同意を見せる。
「やー、さすがは親善大使殿の御決定。なかなかの英断ですねぇ」
ジェイドが変な緊張感に包まれたその場を見回しながら、言葉を洩らす。
こいつは本気で面白がってやがる。くそぅっ……この鬼畜眼鏡めっ!
俺はまったく人事のジェイドに射殺すような視線を向けたが、もちろん大佐は意に介するはずもなく、そのまま悠然と歩を進める。
ホント……いったい俺がなにをしたよ?
雪だるま式に悪化していく状況に、俺は声なき声で、愚痴をもらした。
* * *
その後もジメジメした暗い路を進み行き、俺たちはなんとか外へ続く路に行き着くことができた。
無論、王女のナタリアに対するいざこざは起こった。それこそ起こりまくって、何度も俺は泣きそうになりましたよ。
しかし、少人数での行動って要因もあったんだろうが、皆で協力して進んでいくうちに、ナタリアもなんとかこの集団にも順応することができたようだ。
「それにしても……先程の魔物はいったいなんだったのでしょう?」
「この辺じゃ見かけない魔物だったなぁ。中身は蜘蛛みたいだったが?」
「廃工場だから……蜘蛛ぐらいいてもおかしくはないけれど……」
「油を食料にしている内に音素暴走による突然変異を起こしたのかもしれませんね」
「なんか油く臭くてサイテーでしたよ」
今もさっき襲ってきた大物に対する推測を、あーだこーだと、みんなと一緒に話し合っている。
というか……むしろ話しについていけない俺なんかより、よっぽど馴染んでいるとも言える。
それ以上考えても、俺にとって哀しい結論しか出なそうだったので、頭を切り換える。
「あー……それよりも、そろそろ行かねぇか? あそこに見えてんの非常口だよな」
俺は一段下に見えている、点滅する蛍光灯に照らし出された扉を指す。
「あれは……調べてみる価値はありますねぇ」
ジェイドが周囲を探りながら、梯子を下ろして扉を検分している。
後に続いた俺たちに向けて、軽く頷きを返した。
「当たりか。これでようやく地上だな……」
「はいですの、ご主人様。ここを抜ければ、あとは目指せケセドニア! ですの」
最近成長が著しいコライガの上に跨がったミュウが、短い腕をえいやと振り上げる。その下でコライガが呼応するようにガルルと呻き、飛び跳ねる。
ああ……ほんとこいつら仲いいよな。
微笑ましい小動物二匹の言動に和む一同の中で、大佐が皆の手綱を引き締めるように一言付け加える。
「ケセドニアへは砂漠越えが必要です。途中にオアシスがあるはずですから、そこで一度休憩することになるでしょうねぇ」
ケセドニア……またあの暑い所かぁ……。
「砂漠越えはキツそうだよなぁ……」
「そうですわね。ガイ、もしものときは私のフォローは頼みましたわよ」
「あのなぁ……俺には無理だってわかって言ってるだろ!」
ガイの叫びに、ナタリアが俺の方を意味深に見やりながら言葉を繋げる。
「早くそれを克服していただかないと……その、ルークと結婚したときに、困りますもの」
頬を染めながらつぶやかれた言葉に、アニスが挑発的な笑みを浮かべる。
「ルーク様はもっとず~っと若くてぴちぴちのコがいいですよねっ♪ 子供の頃に結ばれた婚約なんて、それこそいつでも破棄できますしぃ~」
「……なんですの?」
「何よぅ……!」
睨み合う二人から一歩引いた場所に佇んでいたティアが、なぜか目を潤ませながら俺に叫ぶ。
「ルーク。あなたって……あなたって最低だわ!」
「そこで俺に話をふるのかよっ!」
本気で収拾がつかなくなった場に、ジェイドがさっさと見切りをつけて先に歩き出す。
「さて、開錠できたことですし、なにやら忙しそうなルーク達はそっとしておいて、私達は先に外へ向かいましょうか」
「あ、ああ」
後に続くガイが、ちらちらと俺らの方を気にしながらも、結局は大佐に続く。
「お、お前らな! そんなあっさり俺を見捨ないでくれ──っ!!」
俺の叫びを無視して、二人はあっさりと扉を潜ってしまった。
本気でこの場をどう収めたものか悩み始めたとき、外から二人の焦ったような声が響く。
「これは──」
「ルーク、イオンと六神将だっ!」
二人の言葉に、俺たちも状況を悟り、慌てて外へと飛び出す。
* * *
降りしきる雨の中、イオンを連れたシンクがタルタロスへと乗り込もうとしている。
シンクの背後に、周囲を警戒するように佇む、アッシュの姿があった。
滴り落ちる雨の雫が、普段は押し上げられている前髪を額に流している。
鏡に映ったように、俺と同じ姿をした人間が、目の前に居る。
そう認識した瞬間、俺の意識の中で、なにかが、切れた。
「ア──ッシュッ!!」
背後で俺の暴走を制止する声が聞こえたような気がしたが、俺は一切を無視して、アッシュに切りかかった。
「……お前かぁっ──!」
吐き出された言葉が、苛烈な刃となって降り注ぐ。
応える俺も言葉を無くした獣のように吼えると、ただ刃を振り上げる。
降りしきる雨の中、俺とアッシュは舞踏を演じるように、ただ剣戟を交わし合う。
互いに知り尽くした流派の技が、決定打をくり出せないままいつまでも続く。
無限に続くかと思われた剣舞の終焉は──
「アッシュ! 今はイオンが優先だ」
「分かって──っ!?」
わずかに逸らされたアッシュの視線によって、唐突に訪れる。
「アッシュッ!!」
叫びと供に放たれた渾身の刺突に、辛うじて相手は反応した。
咄嗟に掲げられたアッシュの剣が、俺の突きを受け止める。
しかし、そこまでだった。
──穿破
動きの止まった相手に向けて、音素をまとった俺の斬撃が振り上げられる。
────斬月襲
響きわたる、金属同士が激突する高音。
「ちっ────!!」
アッシュの手から弾き飛ばされた剣が虚空を舞った。
この機を逃さず更に追撃をかけようと踏み出す。瞬間、俺の足が、急激に膨らむ嫌な予感に止まる。
「灰塵と化せ──」
アッシュの掲げ上げられた腕の先で、音素の光が真紅の輝きを放つ。
「──エクスプロードッ!!」
視界を覆い尽くす鮮烈な赤。
荒れ狂う灼熱の業火に、巻き起こる爆風。
「がっ──……くっ……」
目の前で炸裂した譜術に吹き飛ばされた俺は、数回地面を転がって、呻きながら身を起こす。
「いいご身分だな……ちゃらちゃら女を引き連れやがって」
既にタルタロスに乗り込んだアッシュが、忌ま忌ましそうに告げる。
一瞬、アッシュの視線がナタリアへと向かったような気がしたが、それを確かめる術は無い。
「アッシュ、さっきも言ったけど、この場はイオンが優先だ」
アッシュの視線が弾き飛ばされた己の剣へと向くが、背後からシンクに呼び止められたことで動きを止める。
そして、なにかを振り切るように瞼を閉じる。
「ちっ……剣は預けた、劣化野郎」
宣言と同時に、開かれた双眸が俺を射抜く。
無言のまま睨み合う俺とアッシュ。戦艦は徐々にその場から離れて行った。
その後も俺は戦艦の去っていた方向を、無言のまま見据え続けた。
「イオン様……。どこに連れてかれちゃったんでしょう」
「陸艦の立ち去った方角を見るとここから東ですから……ちょうどオアシスのある方ですね」
「私たちもオアシスへ寄る予定でしたよね。ルーク様、追いかけてくれますよねっ!」
「ああ……」
上の空のまま応えながら、俺は地面に突き刺さったアッシュの剣へと歩み寄る。
降りしきる雨の中、水に濡れた俺の身体はどこまでも重い。
ぬかるんだ地面に突き刺さった剣が、その音叉のような刀身に、俺の顔を映し出す。
かつての持ち主となんら変わらぬ、俺の相貌が、刀身に、映し出された。
俺は無造作に柄に手を掛けると、そのまま、剣を地面から抜き放つ。
かくて、鍵は灰塵の下を離れ、偽炎の手に渡る。
されど、確定された事象の流れに、破綻は未だ見えず───