「かぁーあの髭! 毎度毎度マジでむかつくわぁ!!」
貴族の子弟にしてはこじんまりした部屋の中。開け放たれた窓に向かって、俺は雄叫びを上げていた。
何故にいきなり叫んでいるかと言えば、中庭での一悶着に、その原因がある。
中庭で花の世話をしていた庭師のペール相手に、いつものようにダベっていたら、突然執事長ラムダスの髭野郎が現れて、この俺相手にふざけた文句を言いやがる。曰く、
『おぼちゃま。もっと身分を自覚した行動をとって下さい。このような相手にそんな気安い言葉をお掛けになるのはお止めください。それと、お腹を冷やすといけませんので、私めが用意した服に着替えてください。さぁさぁ──』
怪しい光を瞳に宿らせ、これでもかと言わんばかりにグイグイと詰め寄ってくるラムダス相手に、さすがの俺も気押されて、その場から一目散に逃げ出した。しかし、相手もさる者、執事長。なかなか諦めようとしやがらねぇ。おかげで、俺は用もないのに屋敷中をさんざん逃げ回るはめに陥っちまったと言うわけだ。
というかキモイ! まずキモ過ぎるわ!
かなりの時間が立ったはずの今でも、あのラムダスの髭面が迫ってくる光景が脳裏をよぎり、背筋にゾゾゾッと寒気が走りやがるから、もうたまらねぇ。
「うううっ! がぁぁーーあのくそ髭が! 髭抜くぞ! むしろあの髪形もなんだ! 針金でも入ってんのかよ!」
悪態混じりに突っ込み入れながら、ストレス発散に精を出す俺だったが、そこへ更なる苛立ちのもとが襲いかかる。
《ル……ルー…………ルーク》
「───ぐっ!」
急激に沸き起こる頭痛に、俺は額を抑え、片膝をつく。
痛い。頭がすげぇ痛い。マジで割れそうだ。しかも、電波染みたもんが飛んできて頭の中でなにやらわめいてやがる。
《ルーク……我がた…………れよ………………声に……応えよ》
うがぁ、こいつもウゼェ!! 脳髄を爪で直接掻きむしるような電波とばしといて、声に応えよとか聞こえるかってなんじゃそりゃ?!
好き勝手なことわめきやがる電波に、俺はふつふつと沸き出る怒りに任せ、喧嘩上等と錯乱気味に拳を振り上げた。
「大丈夫かル──ぶっ」
「あん?」
見事に顎を撃ち抜いた一撃に、金髪の爽やかげな兄ちゃんが吹っ飛ばされた。ふっとばしたのはもちろん、俺の拳だ。拳にこびりついた鼻血を壁にこすりつけ、俺は多少の気まずさを感じながら、吹き飛んだ相手に笑いかける。
「いやワリィワリィ。居ると思わなかったわ。マジごめんな、ガイ」
「ひでぇな、ルーク。普通心配して近づいた相手に、いきなり殴られるとは思わないぞ」
ぼたぼた垂れる鼻血を腕で抑えながら、ガイが多少くぐもった声で恨めしそうに応えた。
「まあ気にすんな。俺も気にしねぇから」
「そういう問題かねぇ?」
「男なら細かいことたぁ忘れろ。ほれ、ティッシュでも鼻に詰めとけ。ほれほれ」
「うわっ! 無理に押し込むなって! いや、そんなに入らんから! 押し込むなぁ~!!」
無理やりガイの鼻の穴にティッシュを押し込む。
ガイは役職だけ言うなら、使用人の一人で、俺の世話係だ。しかし人間的な間柄で言うなら、俺の幼なじみで、ダチでもある。昔なじみっていう贔屓目を抜かしても、かなり良い奴で、親友と言っても良い相手だ。その爽やかさと気安げな態度から、屋敷の中での評判も上々で、女受けも良い。かなりのもて野郎で、年がら年中女に言い寄られてやがる。
信じられんことだが、こいつが相手の気持ちに応えたことは今だかつて皆無だ。俺にはどうしても理解できんことだが、ガイはなんと、女性恐怖症でもあるのだ。
容姿端麗、物腰柔らか、話術だって悪くない。そんな女にモテル三大要素を兼ね備えたこいつが、女を引き寄せるだけ引き寄せといて、近づかれたら逃げやがるのだ。
……なんかムカツいてきたな。
「いて、いてて! ルーク、鼻の穴が広がりすぎだって! これ以上は無理! うぁ、突っ込むなぁ~!!」
「あ……ワリィワリィ。つい、考え事してた」
へらへら笑って、一瞬漏れ出た殺気を抑える。見るからに怪しい俺の誤魔化しに、ガイは呆れたように苦笑を浮かべた。
「まあ、その様子なら、頭痛の方はもう大丈夫そうだな。心配したんだぜ、妙に騒がしい声がして、気になって来てみれば、お前が部屋の中で頭抑えて呻いてると来たもんだ」
本当に心配したんだぞ、とガイの真剣な眼差しが俺を見据えていた。
「しかし、このところ頻繁だな。確かマルクト帝国に誘拐されて以来だから……。もう七年近いのか」
ガイの碧眼から伝わる真摯な気持ちに当てられて、ふざけた態度取ってた自分の馬鹿さ加減が、どうにも気恥ずかしくなってきたね。
「ほんと悪かったな。まったくマルクトの連中のせいで、俺って、頭おかしいやつみてぇだよな」
へらへら笑いながらおどけた口調で告げた俺の言葉に、ガイが少し眉を寄せる。
「ルーク……」
ガイが口を開き、なにかを言いかけたところで、部屋に扉をノックする音が響く。
『ルークさま、よろしいでしょうか』
俺は扉に視線を向け、ついで開け放たれた窓に視線を移し、ガイに部屋を出て行くよう促す。
ガイは一瞬ためらうように踏みとどまったが、再度メイドの呼び掛けが響いたことで、すぐさま決断した。小さくまたなと囁くと、窓枠に手を駆け部屋を出て言った。
『ルークさま?』
「おう、ちゃんと部屋に居るぜ、入ってくれ」
扉を開けたメイドが一礼してくる。なんだか微妙に気まずくなって、うざい長髪をかき混ぜながら、ぽりぽり頭を掻く。
「少し寝ぼけてたんでな、返事が遅れて悪かった」
「いえ、こちらこそ何度もお呼び立てして申し訳ございません。旦那様がお呼びですので、応接室にお願いします」
「わかった。わざわざすまねぇな。今度飯でも奢るぜ」
結構本気で言ったのだが、相手はくすりと笑うと、軽く小首を傾げて見せた。
「そうですか? 期待しないで待ってます。最近の旦那様はかなり時間に厳しいようですから、なるべく急いで向かって下さいね、ルークさま」
「おうよ」
軽くあしらわれたなぁと思いながら、俺は去っていくメイドに片手をふって応えた。
しかし、くそオヤジの呼び出しか。いったいなにがばれたのやらね。たまに屋敷抜け出してることは、ほんと今更だし、とやかく言わんだろう。まさか下町のチンピラ連中しめて、俺がアタマになったことか? いや、それが知れたなら向こうから怒鳴り込んでくるはずだ。わざわざ応接間に呼び出す理由はなんだ? はっ! よもやあそこに飾ってあった絵を勝手に売っ払ったのがばれたのか!? いや、だがそれも───……
犯した悪事の数々を思い返しながら、俺は親父の待つ応接間へ向かうのだった。
* * *
「来てやったぜ、くそオヤジ」
「閉口一番にそれとは私も舐められたものだな、バカ息子」
「止めて下さい、二人とも。お客様の前で、恥ずかしい」
俺の相手の鼻っ柱を叩きおる一撃に、オヤジが不機嫌そうに応え、おふくろが気まずそうな視線を応接間の一角に向けた。
お客様って、なんじゃらほいとおふくろの視線を辿ると、俺にとっても予想外の相手がそこにいた。
「げげっ、ヴァン師匠! こっち来てたんすか!?」
あまりの大物登場に、俺は眼を見開く。彫りの深い顔立ちに、オヤジとは違って、大人の包容力満載の、泰然とした物腰の男がこちらを見返す。
「久しぶりだな、ルーク。もちろん、剣の腕は鈍っていないだろうな?」
「いや、うー、当然、俺はきちんと修行してましたよ。だから、腕も鈍ってなんかないですよー?」
「ふむ。ならば、後でそれを確かめるとしよう。中庭で基礎確認ついでに、一つ揉んでやろう」
うげっ、もしかして墓穴を掘ったか?
明らかに表情が引きつるのを感じる俺に、ヴァン師匠はどこか不穏な笑みを浮かべる。
「い、いまさら基礎はもういいかなーとか思ったりなんかしなかったりすんですけど」
自分でもしどろもどろだなーと思いながら言葉を返すと、なぜか師匠の表情が引き締まる。
「ふむ。お前にはすまないとは思うが、しばらくの間、私は屋敷に来ることが出来なくなる。ダアトに帰らなければならないのでな。崩れた型があるようなら、今のうちに修正しておきたい」
「へっ? どういうことです? ダアトでなんかあったんですか?」
「私がオラクル騎士団に属していることは知っているな?」
「はぁ……まあ、一応は。主席総長だとかで、騎士団のアタマってことですよね」
「そうだ。そして、騎士には守るべき相手がいるものだ。今回の件も、それに深く関連している。肝心の騎士団が守護すべき相手である導師イオンが……行方知れずになってしまったのだ」
「はぁ……導師イオンですかぁ」
首都バチカルから出たことない俺からすると、あまり他の街のことはピンと来ないというのが正直なところだ。ホド戦争の調停後も、マルクトとキムラスカの平和を維持する功労者だとか言う話だが、そんなこと知らんでも飯には困らん。
「ようは迷子探しってことですか……勤め人はタイヘンッすね」
俺の思わず洩らした感想に、ヴァン師匠は苦笑を洩らし、オヤジが俺を睨み付ける。
「少しは口を弁えろ、ルーク。導師イオンは教団の象徴だぞ。馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、もう少し考えてからものをしゃべれ! この馬鹿息子がっ!!」
オヤジの物言いにムカッと来て、俺はいつものごとく百倍返ししてやろうと口を開くが、それよりも先に、おふくろがオヤジに非難の声を上げる。
「止めて下さい! ルークは、この子はマルクトに誘拐されているのですよ。あまりの恐怖に、それ以前の記憶を失ったというのに……少しばかり、世間の事情に疎くても、そんな風に責めるのはこの子が可哀相です!」
「む……いや、だがな、そうは言ってもね、シュザンヌ」
「ああ、私のルーク。可哀相に」
「……」
さすがのオヤジも、トリップ状態のおふくろにはなんにも言い返せずに、黙り込む。かくいう俺も、あそこまで庇われるとちょっとばかし気が引ける。
いや、確かにあなたの息子はマルクトに誘拐されて、記憶なくして帰って来たよ。けど、物覚えが悪いのは、どっちかっていうと生来のアタマの性能のせいですし、むしろ俺のアタマが可哀相? うーむ、なんか言ってて自分で悲しくなってくるな。
「ともかく、師匠。そうことなら、基礎確認、上等。むしろ俺の方からもお願いします。間が空くとなると、さすがに俺も不安ですし」
「そうか。だが、お前が望むなら、騎士団の方から私のいない間の稽古相手を派遣させるが、どうする?」
「あ~。いえ、師匠のいない間は、ガイと稽古しようと思うんで、大丈夫だと思います」
「わかった。……では、公爵。それに奥方様。我々は稽古を始めますので」
「頼みましたぞ、グランツ謡将」
オヤジが偉そうに言った言葉に、師匠が頷きを返す。
「私は先に中庭に行く。支度がすんだらすぐに来るように」
去り際に完璧な動作で一礼をすると、師匠は応接室を去った。
しかし、師匠はダアトに帰って、導師を探すのか。教団の象徴、導師イオンね。そいつも閉じ込められんのに嫌気がさして、籠の外に飛び出したクチかねぇ。俺も屋敷程度からなら抜け出せるが、さすがにバチカルから逃げ出す程の気合はねぇよなぁ。いったいどんな奴なのかねぇ。
「──ク。ルーク!! 聞いているのか!?」
「へ? 呼んだか、オヤジ?」
眉間に皺を寄せたオヤジのいかつい顔に、不可解そうな感情が浮かぶ。
「急に上の空になって、どうかしたのか?」
いつも怒鳴り声しか上げないオヤジだが、今の声音にはどこか俺を気づかうような調子が感じ取れ、すこし動揺しながら応える。
「いや、何でもねぇよ。大丈夫、大丈夫」
「なら、いいが」
ひらひら手を振って応える俺に、どこか納得いかなそうなものの、オヤジも一応の頷きを返した。
「しばらく間が開くのだ、どうせなら足腰立たなくなるぐらい、グランツ謡将に揉まれて来るがいい」
「修行を行うのはいいですが、無理をしてはいけませんよ、私のルーク」
対照的な両親の言葉に、俺は苦笑を浮かべる。
「だぁー、わかってるよ。そんじゃまたな、オヤジ、おふくろ」
形ばかりの一礼をすると、俺もその場から去った。
そのとき微かに耳に届く歌声を感じたが、どうせ屋敷の誰かだろうと思い、俺は特に気にするでもなく、中庭へと向かうのだった。