「──さて、これでしばらくは全ての昇降口が開かない筈です」
操作を終えた大佐の言葉に、ようやく場の緊張感が緩む。
「それにしてもルーク。一人でどこに行ったのかと思えば、まるで見計らっていたかのようなタイミングで現れましたねぇ。さすがの私も驚きましたよ」
肩を竦めながら両手を広げる大佐の言葉に、周囲に居た皆が一斉に口火を切る。
「そうですよルーク! 僕も驚きました。まさかアリエッタの後ろから出てくるとは思いませんでした」
「ルーク! あなた、あの状況で無防備に外へ出てくるなんてなにを考えていたの? それにいったい、これまでなにをしていたの? 本当に心配したのよ」
「ご主人様! 無事で嬉しいですの! それにミュウ達の危機も救ってくれて、格好よかったですのー!!」
「はははっ。どうやらうちのルークは人気者ようだな。こいつの世話係としては、嬉しい限りだねぇ」
み、耳がキーンって。ってか、ちょっと待てよ、おまえら。
「だぁっー! いっぺんにしゃべられても訳わかんねぇーっつーの!! 言いたいことがあるなら一人ずつ言えって!!」
俺の怒鳴り声に、皆が黙り込む。
そこまでして言いたいことでもなかったのか、誰もが一歩踏み出すことを躊躇っている。一人大佐だけは、にやにやと人の悪い笑みを浮かべながら、皆の様子を面白そうに見据えている。
く、くそ、人事だと思いやがって。
一向に動き出さない他の連中にしびれを切らしたのか、やはり最初に動いたのは彼女だった。
「ルーク……本当に、心配したのよ」
どこか濡れた様な瞳が俺を見据える。言葉にされずとも、この相手が自分のことを心配していたのは予想していた。
「……悪かったよ。心配掛けてすまねぇな、ティア」
生真面目なこいつのことだから、一般人である俺の目を離した隙に起きた一連の出来事に、責任を感じているのだろう。そんなもん、俺は気にしないんだがね。
「でもま、お前が気にするようなことはないんだぜ? 一人で離れた俺が悪いんだしな」
自分でもガラじゃねぇとは思うが、自然とティアを取りなす様な言葉が漏れた。
「な、な、あの、ルークが、謝ってる!? その上、慰めたぁっ!?」
「うっせえよ、ガイ!! ちっとは黙ってろっつぅーの!」
驚愕の声を上げるガイに、俺は真っ赤になった顔で吐き捨てる。
ガラじゃねぇってのは俺だってわかってるっての……。
「やれやれ。ルークとの再開を喜ぶのはいいのですが、ところでイオン様。アニスはどうしました?」
大佐の問い掛けに、不気味人形を背負った少女の姿が見えないことに気付く。
「敵に奪われた親書を取り返そうとして、魔物に船窓から吹き飛ばされて……ただ、遺体が見つからないと話しているのを聞いたので、無事でいてくれると……」
絶望的な答えだったが、それでも大佐はわずかな間しか考え込まなかった。
「それならセントビナーへ向かいましょう。アニスとの合流先です」
「セントビナー?」
またもや聞き慣れない地名に、俺は首を傾げる。
「ここから東南にある街ですよ」
「わかった。しかし大佐よ……そのだ、本当にアニスがそこに来ると思ってるのか?」
わずかに言い淀みながらの問いかけに、しかし大佐は笑いながら謎の答えを返す。
「もちろんですとも。なにせアニスですからねぇ」
「ええ、アニスですから」
大佐とイオンの答えは自信に満ちあふれていたが、アニスのことを大して理解できていない俺からすれば、なんの根拠もない答えにしか聞こえなかった。しかし、同時に至極納得させられるものも感じとっていた。
信頼ってやつなのかね……。
それ以上追求しちゃいけない気がして、俺は口を閉じた。
「そちらさんの部下は? まだこちらの陸艦に残ってるんだろ?」
「生き残りがいるとは思えません。……証人を残しては、ローレライ教団とマルクトの間で紛争になりますから」
ガイの問い掛けに、大佐が眼鏡を押し上げながら感情の伺えない声音で答える。
「……何人、艦に乗ってたんだ?」
「今回の任務は極秘でしたから、常時の半数――百四十名程ですね」
「百人以上が殺されたってことか……」
やり切れない命の重みを感じて、さすがの俺も気分が沈み込む。
「行きましょう。私たちが捕まったらもっとたくさんの人が戦争でなくなるんだから……」
気丈に締め括るティアの言葉も、どこか強がっているようにしか聞こえなかった。
* * *
出発してしばらく経った後、突然イオンがその場に崩れ落ちるようにして膝をついた。
「お、おい、大丈夫かよ?」
大丈夫です、と掠れた声でイオンは答えるが、明らかに無理しているのがわかる。
「イオン様。タルタロスでダアト式譜術を使いましたね?」
「ダアト式譜術ってチーグルのトコで使ってたアレか?」
一瞬で周囲を取り囲む魔物を消し去った譜術が思い起こされる。確かにあのときも、術を使った後倒れていたっけな。よっぽど反動がキツイのか、イオンの身体が弱いのか、どっちにせよ難儀な譜術だよな。
「すみません。僕の体はダアト式譜術を使うようにはできていなくて……ずいぶん時間もたっているし回復したと思ってたんですけど」
苦しげに答えるイオンの様子に、これ以上の無理はまずいと判断したのか、大佐が提案する。
「……少し休憩しましょう。このままではイオン様の寿命を縮めかねません」
「賛成だな。とりあえず、休んどけや、イオン」
「……わかりました」
すぐに瞼を閉さずイオンに、これまでかなりの無理をしていたのがわかった。
そうして休むうちに、イオンは大分調子を取り戻したようだ。しかし、あれほど悪化していた体調を鑑みて、もうしばらくの間休憩を続行することになった。
ただ無為に座り込んでいるのも時間の無駄と考えたのか、場の話はいつのまにか現状の確認へと移っていった。
「──それで、戦争を回避するための使者って訳か。でもなんだってモースは戦争を起こしたがってるんだ?」
「それはローレライ教団の機密事項に属します。お話できません」
「機密事項ねぇ……なんだかお寒い話だな」
初めて話を聞いたガイが、胡散臭さに眉をしかめる。
「理由はどうあれ戦争は回避すべきです。モースに邪魔はさせませんよ」
「ルークもえらくややこしいことに巻き込まれたなぁ……」
「ほんとにな……」
ガイと俺が視線を合わせ、ため息をつく。そんな二人の息のあった様子を不思議そうに眺めていたイオンが、ガイに向けて尋ねる。
「ところであなたは……?」
「そういや自己紹介がまだだったっけな。俺はガイ。ファブレ公爵のところでお世話になっている使用人だ。よろしくな、イオン様、ジェイド大佐、チーグルのミュウ、それと……」
順調に挨拶していたガイの動作が、最後の一人を前にして、突然止まる。
「? ………何?」
「……ひっ」
ティアが一歩踏み出した瞬間、ガイは身体を竦みあがらせると、両腕で身体を庇いながら顔を背けた。
『……』
嫌な沈黙が続く状況に、俺はしょうがないと口を開く。
「ガイはな、女嫌いなんだよ」
「……というよりは女性恐怖症のようですね」
珍しいことに、大佐が呆れたような口調で俺に続く。
「わ、悪い……。キミがどうって訳じゃなくて……その……」
「私のことは女だと思わなくていいわ」
一歩踏み出すティア。飛び上がって震え上がるガイ。
『……』
嫌な沈黙が続く中、ティアがなにかを諦めるように首をふる。
「……わかった。不用意にあなたに近づかないようにする。それでいいわね?」
「すまない……」
心底申し訳なさそうに謝るガイの姿は、親友の俺からしても、あまりに情けないものだった。
「ともかく、これで全員に挨拶できたようだ…………」
言葉を途中で途切れさせると、ガイは俺の頭の上を見据えたまま動きを止めた。
「……ルーク。俺は疲れてんのかね。お前さんの頭の上で、魔物が寝こけてるように見えるんだが」
ガイが目を擦りながら、何度も俺の頭の上で寝ころぶ仔ライガを見直す。
「見間違いじゃねぇよ。こいつはライガの子供で、俺の新しい家族の一員ってところだな」
その通り。俺の言葉に同意するように、子ライガが短い鳴き声を上げる
うむうむ、さすがだな。きちんと返事をするなんて、やっぱ俺の家族だね。
「へっへっへっ。どうだ? 賢いだろこいつ。それにこんな小さいなりしてる割に、意外と強いんだぜ? 雷とか出したりできんだよ。なによりかわいいしな。お前もそう思うだろ? なぁに言わなくてもわかってる。ガイもこいつに触りたいんだろ? しょうがねぇな。ちょっとだけだぞ?」
にやつきながら息もつかせず言い寄る俺に、ガイのやつは何故か顔を引きつらせたまま、俺の差し出した仔ライガを胸に抱く。
「は、ははは……やっぱりルークも奥様の息子だな」
「どういう意味だよ?」
ガイがわけのわからないことをぼやくが、俺にはなんのことやらまったくわからんね。それよりも、他人の腕に抱かれることで、全身が見える仔ライガの姿にとろける。ティアもまたどこか羨ましそうな視線を、仔ライガを抱くガイに向けている。
「やれやれ。それにしても、ファブレ公爵家の使用人ならキムラスカ人ですね。ルークを捜しに来たのですか?」
なぜか大佐が見ていられないといった表情で、話を切り換えるように問い掛けを放つ。それにガイもまた助かったという表情になって、仔ライガの喉を撫でながら口早に答える。
「ああ。旦那様から命じられてな。マルクトの領土に消えてったのはわかってたから、俺は陸づたいにケセドニアから、グランツ閣下は海を渡ってカイツールから捜索してたんだ」
「ヴァン師匠も捜してくれてるのかぁ……」
ガイの説明に、俺は複雑なものを感じる。俺の考え無しの行動から巻き起こった事態だ。師匠にはなんとも再開しづらいものを感じるよなぁ。いったいどんなお仕置き、もとい修行をさせられるものやら。ぞっとしねぇよなぁ。
「……兄さんが」
ティアもまた、自分の切りかかった相手が探していると聞いて心中穏やかではなさそうだ。師匠ならあんまり気にしてなそうだとか俺は思うけどね。
「兄さん? 兄さんって……」
ガイが驚いた様に眉を寄せる。
ああ、そういや、ガイはそこら辺の事情をなんも知らなかったっけな。
「俺にもよくわからねぇんだが、ティアは……」
説明を続けようとしたそのとき。兵士が突撃時に上げる鬨の声が、街道のすぐ側から耳に飛び込んだ。
「やれやれ。ゆっくり話している暇はなくなったようですよ」
音素の光を放ちながら掌から槍を取り出した大佐の言葉で、俺達も意識を切り換え襲撃者に身構える。
剣を構え、雄叫びを上げながら俺達向けて突き進む教団兵の姿が街道先にあった。
「ちょっと下がっててくれ。ミュウ、一緒に居てやってくれよ」
ガイが抱いていた仔ライガを地面に降ろし、ミュウと一緒に下がっているように促す。二匹もすぐに頷いて、そそくさと後方に移動した。
「それじゃ、まずは俺が突っ込むとしますか!」
まずガイが剣を構えながら集団の只中に突っ込んだ。
それにティアが前衛を援護するべくナイフを構えながら譜術を唱え始める。
二人の間で、大佐は軽やかな動作で槍を構えながら、前に突出した者を優先的に狙い打つ。
目の前で繰り広げられている死闘。しかし、その中に俺の姿は存在しない。
「……っ」
切り合い、術を放ち、貫き通す、人間同士の殺し合い。
「っ……うっ……」
俺は、自分の足が、ひどく重くなっている事実に、ようやく気付く。
「死ねっ!!」
大佐の討ち漏らした一人の教団兵が、俺目掛けて剣をふり降ろす。
「っ!!」
ふり降ろされた剣の側面を狙い打って一撃を弾いた。同時に身体に叩き込まれた動作が流れる様に発動する。
──穿衝破
本人の意志など介在しない、『必殺』の一撃は放たれた。
突き出された気合の込められた一撃に、呆気なく腹を射抜かれる教団兵。続いて右腕に収束するフォニムが衝撃波となって、射抜かれた人間の身体を上空に吹き飛ばす。
周囲に飛び散った赤いものが視界を埋めつくした。何よりも赤い、鮮血の赤。
「うっ……」
「! ルーク! どうしたの!?」
前衛組の援護をしていたティアが、俺の不可解な様子に気付く。
俺はその場に膝をついて、べちゃりと地面に落ちた死体を呆然と見下ろしていた。
「おのれぇっ!!」
一人の教団兵が激昂した様子で、俺に向けて飛びかかった。
混乱する意識の中、それでも、身体に叩き込まれた技は遅滞なく事態に対処する。
怒りに我を忘れて、粗い動作で突き出された相手の一撃に合わせて、俺は右腕を突き出す。
──烈破掌
気合に包まれた掌底の一撃に、敵は腹を痛打されて吹き飛んだ。地面を転がりながら、痙攣した様に身体をうごめかせる。どうやらこの一撃では、殺すまでに至らなかったようだ。
相手を殺さないような一撃の放ち方は、経験的によくわかっている。
なぜなら、俺はいつも相手を殺さないような喧嘩をしてきたからだ。
だけど、今回は、違った。
地面をのたうち回る教団兵のすぐ隣に、腹に風穴を空けられた死体が転がっている。
「ルーク!」
呆然と動きを止めた俺の様子に、仲間達が駆け寄って来るのがわかる。
俺以外の皆は、相対した敵をすべて片づけたようだ。
殺したようだ。
「ルーク、どうしました! とどめを!」
ジェイドがはじめて、どこか焦ったように叫ぶ。
え、と視線を前に戻すと、地面を転がっていたはずの教団兵が、俺のすぐ目の前で剣をふり降ろす姿があった。
ぼーっとしたまま、ふり降ろされる剣を見据える俺の脇腹を、突き飛ばす誰かの腕。
俺に代わって、切り捨てられる誰かの姿。
脇腹から血を流しながら、乱れた長髪が地面に広がる。
「ボケッとすんなっ! ルークっ!」
珍しいことに、ガイが怒声を上げながら、ティアを切り伏せた相手を呆気なく切り捨てた。
俺は腕の中に倒れた、俺の身代わりとなったティアを抱き寄せ、震える声でつぶやく。
「……ティア……お、俺は……」
「……ばか……」
俺の泣きそうな呼び掛けにも、ティアは俺を責めるでもなく、ただ哀しそうにそっと微笑んだ。
* * *
燃え盛る炎が、闇を押し退ける一画。焚き火のはぜる音だけがどこまでも響く。
幸い、ティアの傷は皮を一枚切ったぐらいのもので済んだ。自分で癒しの譜術を掛けたこともあって、これ以上傷が悪化することはないだろうという話だ。しかし、このまま移動するのは危険と考え、大事を置く意味もとって、このまま一夜を明かすことになった。
俺達は焚き火を囲みながら、しかし、それぞれつかず離れずの距離を保つ。
「……」
「ご主人様。ティアさん大丈夫ですの?」
ミュウの言葉に、その脇に座り込んだ仔ライガもまた、同意するように低い呻き声を上げた。
俺は焚き火を見つめたまま、片膝を抱える。
「…………」
「ティアさん……」
「ミュウ」
尚も言い募ろうとするミュウの言葉を途中で遮って、俺は立ち上がる。
「様子、見てくるよ……」
切り株に腰掛けたティアの姿が、焚き火の向こう側で揺らめく。光の加減で銀に輝く長髪が、夜の闇の中であっても月明かりに映えた。
近づく俺の姿に気付いてか、ティアが俺の方に顔を向ける。
なにを言ったらいいのかわからぬまま近づく俺に、ティアは俺を気づかうように尋ねる。
「もう大丈夫なの?」
「……へ……?」
訳がわからなかった。俺は呆然と、彼女の言葉を耳にする。
「人と戦うことが、辛かったんでしょう? あなたがあんなに動揺したのは……初めてだったから。人を……殺したことが」
殺すという言葉に、俺は情けないとわかっていながらも、身体が震えるのがわかった。
ドサリとその場に腰を降ろし、俺は自分でもしょぼくれた声を絞り出す。
「俺はよ……結局、わかっちゃいなかったのさ。魔物と戦うのは、生き残りを掛けた生存競争……そう割り切れた。だけどよ、イオン達が敵対する派閥の連中に狙われてるって聞いても、なにを相手にするのかってことが、ピンとこないままだった。ピンとこないままイオン達に協力するって約束して、いざ襲われてみたら、あの様だ。
──人間を相手にするってことが、わかっちゃいなかったんだ」
額を押さえて、歪んだ自分の顔を覆い隠す。
「情けねぇよ、ほんと。喧嘩なら幾らでもしたことがあった。だけどよ」
人間を殺したのは初めてだったんだ。
自分でも、絞り出した声が震えているのがわかった。情けない。本当に、情けねぇよ。
「……私は、あなたが民間人であったことを知っていたのに、理解できていなかったみたいだわ。ごめんなさい」
腰を降ろしたままでありながら背筋を伸ばし、彼女は俺に頭を下げた。
「……なんで、謝るんだ? 怪我したのは、ティアだろ?」
「軍属である限り民間人を護るのは義務だもの。そのために負傷したのは私が非力だったということ。それだけよ」
軍人の顔で言い切る彼女だったが、俺にはどこか強がっているようにしか見えなかった。
「……謝るなよ。本当に……俺はどうしたらいいのか、わからなくなっちまうぜ」
「わ、私はそんなつもりじゃ……!」
「ごめんな、ティア……本当に、ごめん」
それ以上、その場にいることが、俺には耐えられなかった。
どこかもの言いたげに俺を見つめる彼女に背を向けると、俺は重くなった身体を引きずるようにして、その場を後にした。
「どうしました? 思いつめた顔で」
周囲を警戒していたジェイドが、俺の姿に気付いて声を掛けてきた。
俺は胸の中で持て余した感情を紛らわせるように、気付ば口を開いていた。
「ジェイド……あんたはよ、どうして軍人になったんだ?」
「……人を殺すのが、怖いですか?」
問い掛けの裏にあるものを、直接返された。
「あなたの反応は……まあ当然だと思いますよ。軍人なんて仕事はなるべくない方がいいんでしょうねぇ」
自らを嘲る様に、ジェイドは眼鏡を押し上げながらつぶやいた。
「戦いと殺し合いは……同じなのか? 俺は今まで、喧嘩ならそれこそ数えきれないほどやってきた。その中で、殺意を感じることもあったよ。それでもだ。明確に『殺す』なんてことを意識した経験は……一度もなかったぜ」
自分でも青臭いと感じる俺の甘ったれた意見に、しかしジェイドは嘲笑うでも無く真剣な面持ちで答えた。
「普通であれば、そうなのでしょうね。ですが、ここは戦場です。マルクトとキムラスカが開戦に至るかどうかの、重要な局面と言えます。戦うなら殺し、そして殺される覚悟が必要です」
幾多の戦場を潜り抜けた軍人の言葉だ。その言葉に込められた思いは、あまりにも実感が籠もった物で、俺の想像以上に『重い』ものだった。
「俺は……」
「ですが、安心なさい。バチカルに着くまでちゃんと護衛してあげますよ。あなたに死なれては困りますから」
「……護衛か。そう言われて安心するのが、『民間人』の感覚なんだろうな」
軍属には民間人を守る義務がある。そう告げたティアの顔が思い起こされた。
「ええ、逃げることや身を守ることは恥ではないんです。大人しく安全な街の中で暮らして、出かけるときは傭兵を雇う。普通の人々はそうやって暮らしているんですから。そして、そうした普通の人々の生活を守るのが、我々軍人にとって、唯一の存在意義であるのかもしれません」
今は大佐の紅い瞳にも、いつも浮かんでいる皮肉めいた色合いが、まるで見受けられない。彼が真剣に、俺の問い掛けに答えてくれたことがわかる。
真剣な表情で向き合う俺の瞳から、大佐は不意に視線を逸らす。
「軍の欺瞞を存在意義などと語るとは……。私としたことが、少し喋りすぎましたね。見回りに行ってきます」
つい先程見回りから帰ってきたばかりだと言うのに、大佐は再び夜の闇に消えた。
照れたのだろうか?
「らしくないぜ……大佐」
なんだか泣き笑いのような表情が浮かぶのが止められなくて、俺はどうしょうもなく顔を歪めた。
「そう言ってやるなよ。大佐も、あれでいろいろと考えることもあるんだろうさ」
いつから居たのか、ガイが俺のすぐ側に腰掛け、大佐を取りなす様に言った。
「初めての外はお前から見て、どう映った?」
続けて聞かれた問い掛けに、俺は顔を逸らす。
「……知らなかったぜ。街の外がこんなにやばいとこだったなんてな」
「魔物と盗賊は、倒せば報奨金が出ることもある。街の外での人斬りは私怨と立証されない限り罪にはならないんだ」
「おまえは……今までどれくらい斬ったよ?」
「さあな。あそこの軍人さんよりは少ないだろうよ」
闇の一画を指し示し、ガイが肩を竦めて見せた。
「後悔は……しないのか?」
「するさ。それこそ、毎日な。それでも、死にたくねぇからな。俺にはまだやることがある」
「やること、か?」
流れる様なガイの言葉が一瞬だけ止まり、その瞳が暗いものを宿らせる。
「……復讐」
「へ?」
「……なんて、な」
すぐにおどけた様な仕種で誤魔化すと、ガイは口を閉じた。そのままガイの言葉の意味を問い詰めてもよかったが、それよりも今は、皆に言われた言葉を考えていたかった。
俺はガイの横に腰掛けると、自らの内に沈み込む。
「ルーク。大丈夫ですか?」
無言のままその場に座り込む俺達に、イオンが近づいて来る。
「イオンか……」
「ジェイドやティアの話は極端なものです。彼らは戦うことが仕事ですから。あなたは民間人ですから、戸惑ったり悩むのも仕方のないことだと思いますよ」
俺達の話し合う声が聞こえていたのだろう。イオンは俺の苦悩を肯定して見せた。
「イオンは……自分の部下が人を殺したりするのが、容認できるのか? 極端な話しかもしれねぇが、おまえら教団の人間は、人を救うのが仕事なんだろ?」
「仕方がありません。残念ながら今のローレライ教団は人を生かすための宗教ではなくなってきているんです」
どこか苦しげな様子で顔をうつむけると、イオンは最後に付け足した。
「……いずれ、わかると思います。」
同じ教団内の人間に狙われている導師イオン。その苦悩は、どれほどのものだろうか。それぞれの抱える物に優劣がないことがわかっていても、それでも、俺には想像がつかなかった。
それからしばらくの間、俺達はなにを話すでもなく夜空を見上げていた。
星の輝く夜空は、どこまでも澄み切っていて、地上に生きる俺達にとってあまりにも──
「ご主人様。もう寝るですの?」
「……ああ」
「おやすみなさいですの……」
俺は膝の上によじ登って来る子ライガを撫で上げながら、夜空に向けて吐き捨てた。
「遠すぎるぜ……クソったれ」
伸ばした腕が天に届くことはなく、俺達の苦悩などものともせず、天はただそこに在り続けるのだった。
* * *
「ルーク。起きて」
朝焼けの射し込む中、俺は自分の身体を揺するティアの存在に気付く。目を開けて飛び起きた俺は、昨日の傷など感じさせない様子で動き回る彼女に、気付けば問いかけていた。
「もう動いても、大丈夫なのか?」
「ええ。そろそろ出発するわ」
俺が起きたことを確認すると、ティアは俺に背を向けて歩き出す。
「……心配してくれて、ありがとう」
最後の言葉は小さくつぶやかれたものだったが、確かに俺の耳に届いた。
出発する段になって、大佐が俺に対して一つの提案を突き付けた。
「私とガイとティアで三角に陣形を取ります。あなたはイオン様と一緒に中心にいて、もしもの時には身を守って下さい」
「……どういうことだ?」
「お前は戦わなくても大丈夫ってことだよ。さあ、いこうか」
今にも歩き出そうとする皆に、俺は昨夜から考えていた事柄へ、決断を下すべきときが来たことを理解する。
「待ってくれ」
俺の呼び止めに、皆が動きを止める。
「どうしたんですか?」
イオンが首を傾げながら尋ねる。それに俺は一度瞼を閉じる。自らの覚悟に思いを馳せる。
殺し、殺される覚悟はあるか。
剣を手にした以上、それは一生付きまとう問題だろう。既に選択肢は昨夜の会話で示されている。利口なやつなら、きっとこのまま皆の好意に流されたんだろうと思う。
だから、底抜けのバカな俺が選ぶ道もまた、ハナから決まりきっていた。
「俺も、戦わせてくれ」
ジェイドが眼鏡を押し上げると、俺の覚悟を確かめるように、昨夜と同じ問いを発した。
「人を殺すのが怖いのでしょう?」
「……怖いさ」
脳裏に思い出されるのは、昨日犯した自身の罪。
「昨日、俺は初めて人を殺したよ。だけどな、不思議なことに、まるで実感が沸かなかったぜ。おかしいだろ? なんせ、俺が気付いたときには、ついうっかり殺しちまった後だったんだからな」
身体に染みついた反射行動の結果、腸をぶちまけられた教団兵の死体。
自らの意志さえ介在しない、殺人の事実。
「驚いたぜ。退屈しのぎで習っていたはずの剣術で、あれほどまでに呆気なく人を殺せるなんてな。そして愕然としたね。俺は呆気なく人を殺せるくせに、そんなことにも気付かねぇまま闘ってきたってことにな。本当に、どうしょうもないバカだよ」
人を殺す覚悟が俺にあるとは思わない。それでも──
「俺は人を殺すのが怖い。人を殺せる俺が、殺せるって認識もないまま人を殺すのが、なによりも怖い」
閉じていた瞼を開き、皆の顔を見渡す。
「だからこそ、俺はもう一度剣を取らなきゃいけねぇ。戦わなきゃいけねぇんだ」
無自覚ではなく、殺すという覚悟の下に、剣を振るわなければならない。
「そうでもしないと、俺は二度と剣を取れないだろうからな……たとえ、誰かに命の危険が迫ろうともよ」
震える左手を剣の柄に伸ばし、押し殺した声で呻いた。
脳裏に過るのは、俺に変わって切り捨てられたティアの崩れ落ちる姿だ。
「……人を殺すということは相手の可能性を奪うことよ。それが身を守るためでも」
誤魔化しは許さないと、ティアはいつものように俺の覚悟の程を試す。
「あなたに、それを受け止めることができる? 逃げ出さず、言い訳せず、自分の責任を見つめることができる?」
他者の可能性を奪うことに対する責任。俺は瞼を閉じ、闇を見据えた。
「誰だって好きで殺してる訳じゃねぇはずさ。それでも、殺人以外を許さない状況があるのが、俺の知らなかった、この世界の現実ってやつなんだろうな」
瞼を開き、ティアの不思議な色合いの瞳を見返しながら、俺は自身の決意を告げる。
「受け止めてみせるさ。あんな無様な真似は二度とさらさねぇ。殺しの意味するものを見据えた上で、俺自身の責任ぐらいは背負ってみせるさ」
「……でも……私は……」
「いいじゃありませんか」
尚も何か言いかけたティアの言葉を遮って、ジェイドが俺の瞳を射抜く。
「ルークの決心とやらを見せてもらいましょう。本当は武器を扱う者なら、誰もが最初に自覚すべき事柄なのですからね」
大佐の言葉はいつものように皮肉めいていたが、その瞳に宿る色はどこまでも苛烈なものだった。
「無理だけはするなよ、ルーク」
一人俺に甘い言葉をかけるガイだったが、むしろ、今はそうされる方が辛い。
「……状況がそれを許すなら、喜んでそうしてやるさ」
吐き捨てた俺の言葉に、ガイが目を瞠りながら、俺の顔を心配そうに覗き込む。
「……ほんとに大丈夫か?」
「わりぃ……ちょっと気が立ってただけだ。大丈夫。俺は大丈夫だよ」
頭の上で、仔ライガが心配そうに鼻を鳴らす。手を伸ばして、安心しろと撫でてやる。
「そう、大丈夫だ。大丈夫……」
手を動かしながら、俺は自らに言い聞かせるように、何度も同じ言葉を繰り返す。
なにかに許しを請うように、人を殺せると、ただ繰り返した。