「……はあ。」
「元気あらへんね、なのはちゃんも。」
「どうにも、ね。」
「まあ、気にするな、って方が無理か。」
連休明け初日の昼休み。あまり箸が進まない弁当を手にため息をつくなのはに、気遣わしげに声をかけるはやてとアリサ。
「あたしたちだって、全くショックが無かった訳じゃないんだし、ね。」
「そやね。すずかちゃんはすずかちゃんで、ずっと上の空やし……。」
「フェイトなんか、いつにも増してボケがひどいわよ?」
そう言って、思わずため息をつくアリサとはやて。無理やり連れてきたすずかはいまだに上の空で、もう昼休みもずいぶん経ったと言うのに、なのは以上に食事が進んでいない。フェイトに至っては、包みを解くときに手元を狂わせて、今日はお昼抜きである。あまり箸が進んでいないなのはとすずかの分を多少分けてもらってはいるが、普段なら絶対足りないであろう分量をもてあまし気味である。
「悩んでも仕方がない事ではあるのよね。」
「来る、言う事実は私らがどない頑張っても変わらへんしなあ。」
「そこはもう、悩んでないんだ。」
「そう? そんな風には見えないんだけど……。」
アリサの指摘に、小さくため息をつく。完全に割り切った訳でも悩むのをやめたわけでもないが、来ると言うこと自体は、悩みの主成分からは外れている。
「じゃあ、何を悩んでるん?」
「どうしたらいいのか、全然分からなくなっちゃって。」
「どういう意味で?」
「居なくならないで、ってアピールするべきなのか、それとも、こっちは大丈夫だって思ってもらえるようにした方がいいのか……。」
なのはの言葉に、ピクリと反応するフェイトとすずか。
「なのはは強いね……。」
「どうして?」
「私、どうやっても、優喜が居ない生活を想像できないんだ……。」
フェイトの言葉に、思わず頭を抱えるはやて。危惧していた問題が、早くも噴出しているようだ。
「ふられるのは多分、どうにか耐えられると思う。」
「……本当に?」
「……少なくとも、壊れたりはしない、と思う……。」
「他の事ならともかく、この件に関してはあんまり信用できないわね……。」
アリサの言葉に、否定できないと言う感じで淡く微笑むフェイト。実際、自分でもここまでショックを受けるとは、思ってもみなかったのだ。
「ただ、二度と会えなくなる事に比べたら、まだ我慢は出来ると思うんだ。」
「あたしとしては、ふられた相手にはむしろ、二度と会いたくないけどね。」
「……普通は、そうなのかもしれない。」
「そこは人それぞれやろう。私は、よっぽどアレな振られ方をせえへん限りは、友達づきあいぐらいはありやと思ってるし。」
「まあ、人それぞれなのは確かね。それに、論点はそこじゃないし。」
アリサの言葉に小さく頷く。
「とにかく、私は恋心とは別次元で、優喜と二度と会えない、って言う状況には耐えられないと思う。」
「わかっとった事やけど、難儀やなあ……。」
思わず大げさに嘆いてしまうはやて。
「ねえ、アリサちゃん、はやてちゃん。」
「何よすずか?」
「何ぞ思いついた事でもあるん?」
「私たちが、向こうに行くのは駄目なのかな?」
「友人知人や家族と優喜君を秤にかけた上で、優喜君の方が重いんやったらそれでもええんちゃう?」
「そっか……。」
すずかまで予想通りか、などと内心で考えつつも、選択肢に伴う問題点を指摘しておくにとどめるはやて。
「……それって、優喜君にとって、すごく迷惑なんじゃないかな……。」
「そうね。多分、すごくなんてレベルですまないぐらい、迷惑でしょうね。」
「アリサちゃん、ちょっときっぱり言い過ぎとちゃう?」
「事実じゃない。ミッドチルダじゃあるまいし、他所の世界から来ました、はいそうですか、って簡単に戸籍だの生活基盤だのが手に入るわけないわよ。優喜だって、戸籍周りはこっちの世界の本来の優喜の物を使うって言う形でどうにかした訳だし、一カ月やそこらならともかく、一生っていうとね。」
アリサの指摘に反論できず、完全に沈黙する一同。そこまでやって別れたらどうするのか、というポイントはあえて指摘しない。双方の性質上、少なくとも浮気が原因で破局に至る可能性は限りなく低く、性格の不一致でと言う可能性はそれなりに何とか折り合いをつけるであろうから、そこらのカップルとは違い、成立してしまえばそう簡単に別れたりはしないだろと判断したためである。
「それにね。優喜を見てる限り、向こうもこっちも、それほど法や風習の部分は変わらないんだし、どっちに転ぶにしても、上手く行くのはあんた達のうち一人よ?」
「……顔も知らない人だったらともかく、フェイトちゃんかすずかちゃんだったら、私はあきらめられるよ。」
「……優喜の重荷になるのは本意じゃないから、顔が見れて好きでいられるのなら、私が一番でない事には耐えられる、と思う。」
「私はそもそも、ゆうくんを独り占めしたいと思った事はないから、仮に振られても血をもらえればいい。」
これを袖にしなければいけないとか、どんな拷問なのか。なのは達の決意を聞いて、内心でかなり大きなため息をつくアリサとはやて。ある意味当然なのかもしれないが、彼女達はとうの昔に、振られる事に対しては覚悟が固まっている。たとえどう転んでも、友情と恋愛感情両方を取るつもりでいるのだ。そして、この三人の間に限れば、途中経過はともかく、最終的にはどう転んでも友情が破綻する事はないであろうこともアリサ達は確信している。
とはいえ、あくまでもそれは、優喜がこちらの世界に居残り、三人のうちから一人を選んだ場合に限る話だ。彼がなのは達を置いて向こうに戻ってしまった時は、全てが前提から崩れる。何の手当てもしないのであれば、なのはとすずかはともかく、フェイトは確実に壊れる。そうなった場合、冗談抜きで空の鍋をかきまぜながら優喜を待つ彼女を、どうにかこうにか誤魔化しながら生活させると言うハードな任務が待ち受けているわけで……。
「なんか、結局どう考えても、最適解は優喜君がこっちに残る事やねんなあ……。」
「そうね。本人も、向こうにはそれほどの未練を持ってないみたいだし。」
ある意味分かり切った結論を出し、小さくため息をつく。あくまで決めるのは優喜であり、どっちを選んだところで、処理をしなければいけない事柄が多いのも事実だ。ただ、普通に大学生をやっていて、基本的には同門と琴月家以外のつきあいは広く薄くだった向こうと、管理局広報部をはじめとした、いろいろ重要な部門に深く食い込んでしまっているこちら側とでは、解決しなければいけない問題の数と度合いが大違いである。少なくとも、管理局周りの事柄は、優喜が居なくなっても回るようにとなると、間違いなく年単位の時間がかかる。
「まあ、何にしても、向こうの状況を知らない事には、優喜もすぐには決断できないでしょうね。」
「そうやね。誰が迎えに来るかも含めて、どうなってもええように準備だけして、様子見するしかあらへん。」
結局、何一つ解決せずに先送り、という判断しかできない女の子たちであった。
「さて、今日呼び出した理由は、言うまでもないな?」
「言われなくても、自分がそれなりに管理局に影響がある立場なのは、自覚してる。」
「良かったよ。さすがに、そのあたりの自覚を全く持っていないと言うのは困る。」
同じ日の夕方。プレシアとリンディから報告を受けた年寄りどもは、聖王教会からカリムまで呼んで、時の庭園で優喜を問い詰める体制を整えていた。
「それで、どうするつもりだ?」
「現時点では何とも。向こうでどれぐらい時間がたってるのか分からないし、戻らなきゃいけない理由がないとも限らない。」
「つまり、迎えとやらが来てからでないと、判断できんと言うことか?」
「うん。ただ、よほどの事情でもない限り、状況の確認もせずに強引に連れて帰ろうとする人間は向こうにはいないから、最終的にどうするにしても、後をどうにかする時間ぐらいはあるはず。」
最大の懸念事項を否定されて、とりあえず一つ、安堵のため息をつく権力者たち。
「それで、向こうに戻ると仮定して、こちらの事はどうなさるおつもりですか?」
「そこなんだよね。まず、僕が居ないとまずい事をピックアップしようか。」
「そうだな。どんな準備をするにしても、まずは問題点の抽出からだ。」
レジアスの言葉に一つ頷くと、重要なポイントから上げていく。
「まず、管理局サイドの話から始めよう。管理局として最重要なのが、スケープドールの供給。局員だけでなく、最近では要人警護にも使っているから、供給が途絶えるとかなり困る。」
「そっちは大丈夫。今の生産システム、僕が噛まなきゃいけないところはないから、誰かに作業を教えれば、全く作れなくなる事はない。」
「スケープドールはそれでいいとして、他の付与系アイテムはどうなる?」
「悪いけど、そっちはあきらめて。あまりいっぱい作るわけにもいかないし。」
その返事に、仕方がないか、と納得する関係者一同。消耗品だけならともかく、消耗品ではないキャスリングやミサイルプロテクションを大量に作られた揚句、犯罪者の手にでも渡った日には洒落にならない。
「次に、広報部に新規に配属される連中の教育。折角気功関係を活かすシステムを構築できつつあると言うのに、肝心かなめの指導者がいないのではどうにもならん。」
「管理局がらみの後始末で、一番厄介なのはそれだろうね。一応、気功そのものはなのはでも教えられなくはないと思うし、僕の武術も一番特性が近いアバンテに仕込んではいる。ただ、無理をせずに確実にものになる方法でやってるから、アバンテの方は十年ぐらいは見ておかないと。」
十年、という言葉に眉をひそめる一同。指導者を育てるとなるとそれぐらいかかって当然とはいえ、決して短い年月とは言えない。
「それだけの年数こちらにとどまるのであれば、戻る必要はないのではないか?」
「戻るとなったら当然、向こうから定期的に通って教えるつもりだよ。」
「そうなるか……。」
優喜の返事に、それ以上管理局に都合よくは不可能だと認め、小さくため息を漏らすグレアム。
「組織周りはそれでいいのですが……。」
それまで沈黙を保っていたカリムが、そんな事より大事なことがある、とばかりに真剣な表情で口を開く。
「人間関係の方は、そこまで簡単に処理ができる問題ではありませんよ?」
「人間関係、か……。」
向こうにいたときとは比較にならないほど、広く深くつながってしまった人間関係。そこに思いをめぐらせ、小さくため息をつく。向こうにいた二十年少々より、こちらで過ごした八年の方が、対人関係に関しては密度が濃いと言うのも皮肉な話である。とはいえ、そもそも向こうでの九歳時点とこちらに来た時の肉体年齢九歳では、根本的にできる事が桁違いだったのだ。それは事件に対する対処能力に限らず、様々な事柄に対して、明確な違いとして表れている。
「優喜、あの子たちが本気だってこと、分かってないとは言わせないわよ。」
「それは当然分かってる。感情としては理解できないけどね。」
「そこは大目に見るわ。まだまだ治療が十分ではない事ぐらい、私達もちゃんと分かってるのだし。」
プレシアとカリムが、現状のまま優喜を向こうに帰らせることを危惧している理由の一つが、まさにそこである。優喜の口ぶりからすると、こっちの地球同様、向こうには今までED治療に使ってきた物ほど、便利な薬はないらしい。精力増強と言うカテゴリーならいろいろあるようだが、残念ながらどれも強制的に勃起させるようなものではないようだ。この分だと、媚薬と呼ばれているものも、麻薬の類で感覚を狂わせているか無理やり興奮させているだけあって、性衝動をどうこうする類の物ではないだろう。
仮に本番が必要、と言うところまで回復させたとしても、その手の薬がなければ多分実行には移せない。なお、もう一つ必要不可欠な条件である、本番を行う相手が必要だという条件に関しては、実のところ全く心配していない。どうせ優喜当人が感情を理解できていないだけで、深入りしすぎた相手が一人ぐらいは居るはずと考えているからである。
「それで、あなたは彼女達をどうするおつもりなのですか?」
「どう、と言われても……。」
渋い顔で悩み始める優喜。彼にとって、一番厄介な問題なのは間違いない。そうでなくても感情が絡む問題はややこしいのに、障害のせいで一方の当事者であるはずの優喜には、どう逆立ちしても原因となっている恋愛感情が理解できない。
「……どうするべきだと思う……?」
「あの子たちの事を優先するのであれば、向こうと縁を切ってこっちに残る、以外の回答はあり得ないわ。」
「あなたの口ぶりから、それほど生まれ故郷そのものにはこだわっていない事は伝わっています。ならば、故郷での心残りを処理して、こちらで骨をうずめるのが一番簡単で確実な方法でしょう。」
プレシアとカリムの答えに、言葉に詰まるしかない優喜。実際、どこで暮らすかと言う事に関して、彼にはそれほどこだわりがない。気にかかるのはあくまで、同門の同期達と恩を受ける一方だった幾人かの人物についてだけで、アルバイトにしても大学にしても、それほど未練もこだわりもない。
人間、二年以上故郷を離れてしまえば、行き先で新しいコミュニティを形成してしまい、卒業や転勤などの事情でもない限り、そう簡単に離れられなくなってしまう。ましてや彼の場合、八年だ。しかも、普通に考えて、余程でないと、なのは達の事情ほど厄介な事柄に関わることなどまずあるまい。関わったところで、そこからこちらほどの勢いで人間関係が広がっていくと言うのも、内容から考えるとそうそうない。その結果が、異物であるはずの世界に、縁と言う名の縄でがんじがらめにされてしまった現状である。
「……正直、向こうに戻りたい理由も、こっちに残りたい理由と同じなんだ。」
「じゃあ、後はその両者を天秤にかけるしかないわ。」
「それをするには、少しばかり向こうの情報が足りない。」
「でしょうね。」
珍しく、いろいろ分が悪い問答が続く優喜。だがそれでも、絶対に向こうに帰らねばならない状況、と言うのはある。どれだけ冷徹な判断になろうと、それだけはちゃんと告げておく必要がある。
「ただ、もし向こうで事故や病気で、お世話になった家の人や幼馴染が、介護なしでは生活も出来ない状態になってたら、たとえこっちにどれだけ心残りがあったとしても、僕はあっちに戻る。」
「さすがにそれを止められる理由を、私たちは持ち合わせていないわ。」
「まあ、そこまでの状況には、多分なって無いとは思うけどね。」
そう答えてから、小さく一つため息をつき、言葉を続ける。
「問題になるのは、そういうどうしても戻らなきゃいけない状況になった場合、フェイトをどうすればいいのか、かな。」
「そうですね。フェイトさんの場合、あなたとプレシアさんに何かあると、壊れる可能性が非常に高いです。」
「私に関しては、まだましよ。年が年だけに、あの子もある程度の覚悟はしているみたいだし。」
「むしろ、あの子の場合は、理由はどうあれ、お前に捨てられる形になる方が、ダメージが大きいだろうな。」
口々に聞きたくない結論を出され、ため息しか出ない優喜。プレシアとの事もあって、フェイトは捨てられると言う事に対して、かなり深刻なトラウマを抱えている。それこそ、優喜がハンターを殺した時に抱えたダメージと大差ないレベルだ。そして優喜と違って、フェイトにはそれを乗り越えるためのきっかけも手助けも無かった。
なのはがジュエルシード事件の頃に持っていた、幼少時の自分が愛情をせびるだけのお荷物になっていたと言う傷と、そこから来る魔法への依存は、皮肉にも優喜が来た事による環境の変化で今ではすっかり解消してしまったが、フェイトの方は途中から順調にいきすぎたためか、実のところ一切手当てされていない。
「本当に、どうすればいいんだろうね……。」
「……一つ、思いつかなくはないけど……。」
「プレシアさん?」
「結構無責任な話だし、現状がそもそもそれ以前の状態なんだけど、あなたが向こうに帰らなければならない場合、多分一番フェイトが壊れる確率が下がると思う方法はあるわ。」
「それって?」
微妙に嫌な予感がしつつも、聞くだけは聞いてみる事にする優喜。
「あなたとフェイトが、子供を作るのよ。」
「……正気?」
「さあね。ただ、あの子も私の娘なら、自分のお腹を痛めて産んだ子を、男に捨てられたぐらいで蔑ろになんてできないはずよ。」
「まあ、それはそうだろうね。」
そもそもプレシアが壊れ、フェイトを生み出すきっかけとなったのも、我が子アリシアを失ったことだ。そして、すでに母親に勝るとも劣らぬ母性本能を発揮しているフェイトなら、愛した男との間にできた子供を抱えて、自分だけ壊れるような事はあるまい。あれで自分が保護した子供の事になると、やたら芯が強いところを見せる娘なのだ。
「とはいえ、父親が居なくなると分かっていて子供を作れなんて、無責任もいいところだし、いずれ治療でそのステップに入る必要があるにしても、愛情を持っていない相手と性交渉をしろとか、ふざけた話と言えばふざけた話なのよね。」
「まあ、色恋につながらないと言うだけで、愛情を持っていないわけではないのだから、そこまで深刻に考える必要もないとは思うがね。」
「それに、こいつとフェイトの子供なら、父親不在でも愛情に飢える、と言う事もあるまいて。」
「他に方法がない、となったならば、聖王教会も全力で子育てをバックアップしますよ。」
好き勝手いろいろさえずる偉いさんどもに、思わずうんざりした顔をする優喜。どうにも、事実上方針が決まってしまいそうな感じだ。
「とりあえず、引き継ぎが必要な事だけ決めて、他の事は向こうから迎えが来てから考えよう。」
「そうね。状況がはっきりしない以上、先走ってもしょうがないわ。」
急ぐ必要があるわけでもないのに、情報不足で先走っても碌な事にならない。その部分で意見が一致したため、とりあえず一足飛びにフェイトと子作りをする羽目になる事だけは、どうにか避ける事が出来た優喜であった。
「悩み事?」
レッスンの途中で、フィアッセが二人に問いかける。
「やっぱり、フィアッセさんには分かっちゃうか……。」
「親しい人なら、すぐに分かると思うけど。」
「そっか……。」
「話しづらい事なら無理には聞かないけど、私でよければ相談に乗るよ?」
やはり、どう頑張っても、動揺が外に出てしまうらしい。ため息と同時に苦笑が漏れる。フィアッセが慈愛に満ちた瞳で微笑みかけるのを見て、腹をくくって、人生の先輩に相談を持ちかける。
「……なるほどね。」
「本音を言えば、絶対に帰って欲しくない……。でも、どうしても帰らなきゃいけないんだったら、そんなわがままを言ってお荷物になるのも嫌で……。」
「だけど、優喜が居なくなったら、私は……。」
「……難しいよね。」
結構深刻な悩みに、思わずため息がうつってしまうフィアッセ。この分だと、優喜もずいぶん頭を抱えていることだろう。
「優喜自身は、何か言ってたの?」
「これからどうするかは、迎えが来てみないと分からない、としか……。」
「そっか……。」
正直なところ、フィアッセ自身には、優喜に対して言える事はほとんどない。現在治療中の問題が解決すれば、それなりに将来有望な生徒ではあるが、彼女にとってはせいぜいその程度の関係しかない相手である。縁が薄い相手なので、彼女が言えるような事は、とうの昔に誰か、それも複数の人間が言っているはずだ。
いずれこうなる事が分かっていたはずなのに、どうしてここまで深入りしたのかと優喜を糾弾するのは簡単だが、そんな事は当人も分かっていただろう。初対面の頃は、それなりに距離を置こうと努力していた事も知っている。だが、決定的に状況が悪かった。誰かの世話にならざるを得ない状況で、世話になっている相手と距離を置く、などと言うのはそう簡単な話ではない。しかも、当時のなのははすでに、優喜にとって看過できないトラブルに首を突っ込んでいた。深入りするな、と言う方が酷である。
「……私に言える事は一つだけ。」
しばし考え込んでいたフィアッセが、ようやくまとまった考えを口にする。
「まず二人とも、今のその気持を、優喜に直接、嘘偽りなく伝えるべきだよ。」
「えっ……?」
フィアッセの出した結論に、戸惑いの声をあげるなのは。動きが凍りつくフェイト。二人にとって、その言葉は余程意外だったらしい。
「優喜だって、全く引きとめてももらえないのって、かなりさびしいと思うよ?」
「でも……。」
「結果がどうであっても、何も言わないままうつむいてるのと、ちゃんと気持ちを伝えて終わるのとでは、後悔の質もその後の事も全然違うから、ね。」
かつて、恭也相手に玉砕した事を思い出しながら、フィアッセが諭す。その言葉を、真剣な表情で聞くなのはとフェイト。かつてのフィアッセの大失恋について、全てを当事者から聞いているだけに、言葉の重みも段違いだ。
「多分、優喜が向こうに帰っちゃったら、何をどうしても、結果がどうなっても、何かの後悔はあると思う。だからせめて、出来る事があったのに何もしなかった、って言う後悔だけはしないで。ね?」
そう締めくくったフィアッセに、一つ頷く二人。迷いが消えたわけではない。悩みについては、何の解決にもなっていない。だが少なくとも、その事を優喜にぶつける覚悟だけは固まった。
「それはそうと、どうする? まだレッスンの時間は残ってるけど、ここで切り上げる?」
「……時間いっぱいまでやります。」
「ここで切り上げちゃうと、悩みにかこつけて仕事を投げ出したのと同じだから。」
そうでなくても元々忙しい身の上なのに、六月に自身の結婚式を控え、現在殺人的なスゲジュールのはずのフィアッセ。その忙しい合間を縫って、わざわざ自分達のレッスンのために来てくれているのに、成果も出さずに投げ出すのは嫌だ。二人とも、その気持ちに素直に従い、レッスンの継続を申し出る。
「ん、分かったよ。じゃあ、びしばし行くからね。」
その言葉に偽りはなく、中断した時間を取り戻すように、フィアッセは情熱的に二人を時間いっぱいしごくのであった。
「ねえ、すずか。ちょっといいかな?」
「お姉ちゃん?」
夕食後、微妙に元気のないすずかを見かねた忍が、意を決して妹に話しかける。こういうケースに関して、夫は全く当てにならないのは経験済みである。
「優喜君の事、悩んでるんでしょう?」
「……うん。」
言葉少なに肯定し、再びうつむく。割と早くから恋をし、そのための努力をずっとして来たためあまりそういう印象はないのだが、本来すずかはフェイトと同じく引っ込み思案な性格をしている。実際のところ、忍の知人の中でも、かなり繊細な方に分類されるのだ。
「すずかはどうしたいの?」
「それは……。」
忍の優しい声色での単刀直入な問いかけに、少し言葉に詰まりながらおずおずと口を開く。
「……当然、ずっとそばに居たい。私の物にならなくたっていい。せめて近くに居て、見つめて居たい。でも……。」
「もし帰っちゃったとして、追いかけていくのに踏ん切りはつかない?」
「……うん……。」
「それって、私達に対する遠慮? それとも、優喜君に迷惑がかかるのが怖い?」
「……両方。でも、気持ちの上では、ちょっとだけ、後の理由が大きいかな。」
予想通りの内容ではあるが、正直に答えてくれたことにほっとする。
「……お姉ちゃんは、どう思う?」
「本音を言えば、こっちに残って欲しいとは思ってる。優喜君だけじゃなく、すずかもね。」
「やっぱり……。」
「ただ、私がすずかに行って欲しくない理由なんて、向こうに夜の一族が行って、問題なく暮らしていけるかどうか心配だから、って言うだけで、すずかがどうしても行きたいんだったら、絶対駄目って反対するほどの理由でもないけどね。」
忍の言葉に、夜の一族が抱えているリスクを忘れていた、と言う事に思い至る。やはり、感情だけでものを考えてはいけないものだ。
「まあ、退路を断って追いかけていけば、どう転ぶにしても優喜君は絶対に無下にはしない、と、忍ちゃんは思っているわけです。」
「そう……、かな……? そんな事して迷惑をかけて、嫌われたりしないかな……?」
「それだけは絶対ないって。」
優喜は、恩と言うものを大事にする。たとえ自力でどうにかできたとしても、高町家に世話になったことも、月村家やバニングス家に助けられたことも、ちゃんと恩に着ている。だからこそ、少々の無茶ぶりには大して文句も言わずに応え、なんだかんだと言いながらも、月村家のためにいろんな事をしてくれている。
「それに、血こそ飲ませてもらってたけど、それ以外はずっとじらされてきたんだし、追いかけて押し倒すぐらいは大目に見てもらわないと、乙女心的にね。」
「お姉ちゃん、それはいくらなんでも……。」
「まあ、押し倒すは冗談、でもないけど冗談として、少なくとも、すずかが向こうに行く事に絶対反対、って言う人間は居ないから。」
「……うん。」
「だから、その覚悟が決まったら、まずは優喜君に直接ぶつけてきなさいな。」
どうやら気持ちが固まったらしいと見て、少しさみしさを感じながらも背中を押してやる忍。ようやく笑顔を見せ、明日の放課後に備えて風呂に入ってくる、と言って席を立ったすずかを見送り、小さくため息をつく。
「全く、いつの間にやら女になっちゃって……。」
ずっと精神的には子供のままのイメージだったすずかの成長に、思わずため息をつく。いつぞやの優喜の言葉ではないが、忍本人も小学生の恋心と、少々甘く見ていた。明確に恋心に化けたのが意外と遅かったなのははともかく、フェイトもすずかも、子供の恋をよくもまあ十年近くも続けてきたものである。
「……優喜君。うちの妹は、かなり手ごわいぞ~?」
この場に居ない妹の想い人に対して、思わずそんな風につぶやく忍であった。
「……うん、分かった。じゃあ、明日ね。」
「すずかも覚悟を決めたんだ……。」
「私たちがそうなんだから、すずかちゃんだって、ね。」
デバイスのテレビ電話機能で会話を済ませ、互いに顔を見合わせて淡く笑う。同じ男を好きになったからか、なんだかんだ言って行動のタイミングがほとんど同じである自分達に、妙なおかしさを感じたのだ。
「それで、なのは。」
「何?」
「さっき、いろいろ資料請求みたいな事してたけど、何?」
「ん~、ちょっと思うところがあって、自立のための準備、かな?」
自立、という言葉を聞いて、動きが止まるフェイト。その様子を見たなのはが、慌てて言葉をつぎたす。
「自立、って言っても、この家を出ていくとかそういうことじゃないよ。」
「じゃあ、何のために?」
「もしも優喜君が向こうに絶対帰らなきゃいけなくなったとしても、少なくとも私の事は心配しなくてもいいように、出来るだけいろいろ準備しておこうと思ったんだ。」
「……そっか。」
なのはの強さを羨ましく思いながら、手元に視線を落として返事を返すフェイト。
「それで、具体的には何を?」
「ん~、まずはミッドで運転免許を取ろうかな、って。タイミングの問題でなかなか触れなかったけど、一応普通乗用車の運転免許は十六歳からとれるみたいだし。」
「なるほど。私も免許取ろうかな?」
「一緒に頑張ろっか?」
「うん。」
あまり自分で運転する機会はないだろうが、それでも取って損はない。そう考えてなのはの言葉に同意するフェイト。車の運転免許を取る、と言う話に関係して、割としょうもない、だが管理局としては対処に困る騒動が起こるのだが、この時二人は知る由もない。
「車の免許もいいけど、優喜君とかフェイトちゃんの場合、バイクも似合いそう。」
「そうかな? でも、バイクって小回りはきくけど、あまり荷物は運べないから、私としてはちょっと。」
「ん~、でも、持ってたらドラマの仕事とかで役に立つかも。」
「ドラマか~……。」
オファーがたくさん来ている事は知っているが、そうでなくても学校と管理局との両立で忙しいため、中々長期間拘束されるような仕事は受けられない。とりあえず、単発ドラマのメインキャストや連続ドラマのゲスト・準レギュラーなど、拘束時間が短かったり、スケジュールの調整がやりやすい仕事を選んで受け、出番のシーンを出来るだけ優先して撮影してもらう形でしのいでは居るが、割と演技がのってきたタイミングで出動要請が入ったりと、現場泣かせな状況になる事が多い。
もっとも、製作サイドもタフなもので、使えるとあればなのは達の出動前後の映像をそのままドラマのワンシーンに挿入したり、場合によっては事件そのものを筋書きの中に組み込んだりと、彼女達だからこその特色をうまく取り入れて視聴率を伸ばしていたりする。カリーナやアバンテに至っては、実際に自分達が解決した事件をメインにした十五分程度の番組を週五日放送しており、その映像ディスクの売り上げと実際の事件映像の使用料は、なのは達の収入に次ぐ、広報部の重要な資金源になっている。
「まあ、それはそれとして、まずは、ってことは、他にもいろいろ考えてるんだ?」
「うん。と言っても、ほとんどは車の免許に関係した話なんだけどね。」
そう言って、ざっと集めた資料を見せていく。
「えっと、中古車の価格表にアパートと駐車場の情報?」
「さすがに、運転の練習するのに毎回レンタカーを借りるのもどうかなって思って、ついでだから遅くなった時のための拠点も物色してたの。」
「そっか。考えてみれば、免許を取った後も、ある程度の練習は居るよね。」
「うん。さすがに、管理局員がペーパードライバーで事故やらかしました、だとシャレにならないから。」
なのはの言葉に苦笑する。局員といえども人の子なので、毎年何件かは人身・物損事故を起こしている。だが、そこらの無名の局員と彼女達とでは、事故を起こした時のインパクトが全然違う。
「それに、今まで仕事終わったら日付変わってた、って言うのが結構あったでしょ?」
「うん。一度なんて、次の日学校が休みだからって、朝日を見るまで仕事させられたこともあったよね……。」
「そういう時に、シャワー浴びて寝るだけの場所でいいから、クラナガンに部屋があると嬉しいと思わない?」
「確かにね。何で今まで思いつかなかったんだろう……。」
フェイトのつぶやきに苦笑する。なのは自身はずっと考えていた事だが、賃貸契約だの何だのという手続きに気後れし、いまいち踏みきれなかったのだ。
「だから、ちょうどいい機会だから、車の免許のついでにそこらへんもやっちゃおうかなって。」
なのはの言葉に一つ頷くフェイト。今までなぜか思いつかなかったことだが、クラナガンに活動拠点と自分達の足があると言うのは、とても魅力的だ。しかも、普通なら主に金銭的な面で割と高いハードルだが、自分達にとってはネックが免許の取得と物件探しのみ。次のオフにでも行動を始めれば、免許はともかく物件はすぐに見つかるだろう。何しろ、利便性と居心地だけを考えればいいのだから。
「……なのははすごいね。」
「どうして?」
「私、言われるまで免許も部屋探しも、全然思いつかなかったよ……。」
「まあ、どうしても必要なものでもなかったから、しょうがないよ。」
本気でへこんでいるフェイトを必死でなだめるなのは。正直なところ、世間一般では完璧超人で通っている彼女は、実際には意外と生活能力がない。料理もできるしサバイバル環境下でもちゃんと生きていける能力はあるのだが、こういった日常の些細な、だがやらなければいけない類の事に疎く、誰かに指摘されるまで気がつかない事も多い。その代表例が片付けで、台所回りの整理整頓はきっちりやるのに、部屋は油断するとすぐに散らかってしまう人種だ。まだ注意されなくても比較的こまめに掃除をし、ちゃんとごみを溜めずに捨てているのでましではあるが、一人暮らしをさせるのは割と不安が残るタイプである。
「でも、なのはは多分一人でも生活できるけど、私は絶対無理だと思う……。」
「私だって、ずっと一人暮らしって言うのは耐えられないと思うよ。だって、誰も居ない家って寂しいもん……。」
「そういえば、一人暮らしってその問題もあるんだ……。」
「大丈夫だって。フェイトちゃんは、最悪アルフさんと一緒に住めばいいし、それに結婚して家庭を作るまでは、私と一緒に暮らしても問題ないし。」
などと、一人暮らしや確保する部屋の話に話題が逸れていく。そのため、この時フェイトは最後まで気がつかなかった。なのはが集めていた資料の中に「調理師免許」や「管理栄養士」などがあった事に。
「話って?」
翌日の放課後。三人に時間をあけておいてほしいと言われて待っていた優喜は、すずかにお茶を出してから単刀直入に切り出す。真面目な話で茶化されたくない、と言う三人の言い分を受け入れ、ブレイブソウルはムーンライトで店番だ。普段ならこういうとき文句を言う彼女だが、今回は空気を読んで素直に従ってくれている。と言うより、元々ブレイブソウルは空気を読んだ上でいらん事をするタイプなので、本当に真面目に話をするときは、意外と余計な事をしない。
「向こうからお迎えが来た時の事。いいかな?」
「ん。でも、僕もまだ何かを決めてる訳じゃないよ?」
「分かってる。私たちはただ、その事について本音で話したいだけ。」
なのはの言葉に一つ頷き、三人の言葉を待つ。
「まず最初に、優喜君はどうしたいのか、って言うのを教えてほしいんだ。」
「僕が?」
「うん。向こうの状況がどう、とかじゃなくて、純粋に優喜君自身はどうしたいのかな、って。」
「僕がどうしたいか、か……。」
正直なところ、優喜が能動的に何かをしたい、などと考えた事はそれほどない。その事については、将来どうしたい、と言う事を一切考えた事がない、と言う一点でも明らかだろう。故になのはの問いかけに、珍しく優喜は言葉に詰まってしまった。
「……言われるまで、考えもしなかったよ。」
「えっ?」
「正直に言うと、一番楽なのは一回も向こうに戻らず、このままこっちで暮らす事なんだけど、そんな不義理はしたくない。さすがに、全く未練がない訳じゃないから。」
全く未練がないわけではないという、ある意味当然の回答に、それでもなのは達は小さくないショックを受ける。
「だけど、全部切り捨てて向こうに戻りたいと言うには、こっちに心残りが多すぎる。」
「心残りって?」
「……究極的には、全部なのは達の事になるのかな?」
「えっ?」
意外な言葉を言われ、思わず顔を赤くする三人。先ほどのショックもどこへやら、喜びとときめきで、うるさいほど心臓が高鳴る。
「管理局や聖王教会の事も夜の一族の事も、いろいろ気になってる事はある。夜天の書修復反対派にしても、いまだにいろいろ余計なちょっかいを出してきてるし、ハンターたちも忘れたころに余計な手出しをしてくる。現時点で解決してない事はいっぱいあるし、それを放置して帰るのは自分でもどうかと思う。でもね。」
割ときな臭い話を口にして、一度言葉を切る。一度息を吐き出して手元の紅茶に口をつけ、再び三人の視線を正面から受け止め、真剣な顔で口を開く。
「管理局も聖王教会も、なのは達が所属するのをやめるのなら、僕はこれ以上かかわるつもりは一切ない。夜天の書に関してもそう。今更あり得ない話だけど、はやてがあれを手放して、以降地球から一歩も出ないって言うんだったら、僕がどうこうする筋合いの話じゃない。ハンターと夜の一族の事にしたって、忍さんとすずかに累が及ばないのなら、それ以外の人たちに関しては知ったこっちゃない訳だし。」
こうして見ると、なのは達が普通の女の子であれば一切問題にならなかった事柄が、驚くほどたくさんある事を思い知らされる。それはすなわち、この下手をするとフェイト以上の美女に見える男に、ずいぶん面倒をかけていると言う事でもある。
「だけど、この話は全部、今更どうにもならないことだ。なのはもフェイトも今更管理局と関係を断つのは無理だし、はやてだってせっかく手に入れた家族を捨てるわけがない。すずかに至っては生まれつきの問題だから、それこそ僕がなにをしようがまず解決はしない。」
優喜の言葉に、三人とも小さく頷く。それを見て、もう一度大きく息を吐き出し、最後に一つ告げる。
「だからせめて、はやての問題と管理局の改革について、目処がつくまではこっちに居たい。」
帰ることが前提になっている言葉に、少し表情が険しくなるなのは。フェイトは今にも泣き出しそうな顔になっているし、すずかは余計な感情が漏れないように、瞳を閉じて何かに耐えようとしている。
「どうしても帰らなきゃいけないの?」
「分からない。だって、僕はこの世界にとっては異物だ。」
「ゆうくん……?」
「もう八年もたって何もなかったんだから大丈夫だとは思うけど、それでも全く何も影響なしだとは限らない。だから、個人の感情に関係なく、僕は向こうに帰るべきなんだと思う。」
優喜の言葉に、理論的な反論の余地を見つけられず、何も言えなくなる少女達。何しろ、優喜の存在はすでに、ミッドチルダの情勢に影響を及ぼしている。全員が全員そうではない、と言うか、こいつが例外なのは明らかではあるが、それでもたった一人増えただけで、管理局広報部の立ち位置が変わり、芸能界の勢力図がその前後で別物になり、挙句の果てに長年犬猿の仲だった陸と海が、まだ限定的とはいえ手を組み始めたのだ。
ここまで政治的に影響を及ぼしているとなると、世界の仕組みそのものに全く影響がないとは言い切れない。こいつ一人増えた結果、地球の寿命が大幅に縮まったと言われたところで納得してしまうだろう。優喜の懸念は、誰にも杞憂とは言い切れない。
「……いなくなっちゃ、嫌だ……。」
「フェイト?」
「……優喜、帰っちゃいやだ……。……私の前から居なくならないで! 私を捨てないで!」
しばしの沈黙の後、耐えられなくなったフェイトが、八年抱え続けた思いを吐き出す。
「私、優喜が居ないと駄目なんだ! 一人じゃ何もできないんだ!」
「そんな事は……。」
「いけないことだって分かってる! こんな事を言っちゃ駄目だって、分かってるんだ! ずっと自分に言い聞かせてきたけど、でもダメだった……!」
「フェイト……。」
フェイトの慟哭に、戸惑うしかない優喜。
「私のものにならなくてもいい、迷惑なら嫌いになってもいい……。だから、居なくならないで……。」
すすり泣きながら、居なくならないでと繰り返すフェイト。今まで、彼女がこれほどのわがままをぶつけてきたところを見た事がなく、どうしていいのか分からず戸惑うしかない優喜。
「優喜君……。」
「なのは……?」
「私も、本音を言うなら帰って欲しくない。ずっとこっちに居て欲しい。でも……。」
もはや意味をなさない嗚咽を漏らすフェイトの背を優しくさすりながら、次は自分の番だと本心をぶつけにかかるなのは。こうなってしまうと、優喜は受け止めるしかない。
「どうしても帰らなきゃいけないのなら、どうしても帰りたいのなら、私の事は気にしないで。心配するなって言うのは無理だと思うけど、でも私は優喜君が安心して戻れるように、今日から頑張るつもりだから。」
「……。」
「だから、どうしても戻らなきゃいけなくなったら、私を理由に悩むのだけはやめて。」
「……うん、ごめん。」
「謝らないで。まだそうとは決まった訳じゃないし、あなたの重荷になりたくないって言う、私の勝手な意地とわがままなんだから。」
まだ別れが決まった訳でもないのに、泣き笑いのような笑顔で告げるなのは。そのあとを継ぐように、一拍置いてすずかが口を開く。
「ゆうくんがどうしても帰らなきゃいけないのなら、なのはちゃんの代わりに、私はどこまででもついていくよ。」
すずかの言葉に、思わず固まってしまう優喜。なのはとは別ベクトルで、少しばかりすずかの事を甘く見ていたことを思い知る。
「お姉ちゃんも恭也さんも、私のしたいようにしていいって言ってくれたから、私は最後までゆうくんについていくよ。」
「本当にそれでいいの? 向こうに来ても、僕は君に何も出来ないよ?」
「私はゆうくんのそばにいられれば、どうだっていい。」
すずかの言い分に、内心で頭を抱えてしまう。なのはの言い分が男に都合のいい女ならば、すずかの言い分は、典型的な駄目男にほだされる女のそれである。さすがにそこまで人を見る目がないとは思いたくないが、自分なんぞにそこまで入れ込んでしまうあたり、どうしてこうなった、としか思えない。
厄介なことだが、こんな精神的に壊れた男に、この三人は小学生のころから想いを寄せ続けているのだ。かつてすずかが吸血鬼であることをカミングアウトする前、小学生の恋愛がそんなに長続きすると思っているのか、と忍に言ったが、そのときの自分を殴ってやりたい。そんな風に油断せず、とっとと相手の恋心をへし折って止めを刺しておくべきだったと。
ここに至るまで、それほど事態を深刻に捉えていなかったツケが、今になって回ってきたようだ。本質的に重要性が理解できなかったとは言え、今まで治療をそれほど真剣にやってこなかったこと、恋愛感情が理解できないことのリスクを軽く考えていたことを、今更ながらに後悔する。この状況でようやく、頭で分かっていただけのなのは達の本気が、感覚として理解出来たのである。
思えば、琴月紫苑と言う前例があったのだ。目の前の三人が、ずっと恋心を維持し燃え上がらせるはずがない、などとなぜ思えたのか。少しずつ方向性が違うとは言え、三人とも紫苑に勝るとも劣らぬほど一途で、意外と頑固で、地味にかなり諦めが悪い性格をしているのだ。恋愛感情が理解できないから、などという言い訳でどうしてあきらめよう?
「ごめん……。」
「優喜君?」
「皆が本気だって事は痛いほど伝わってくるのに、それがどんな気持ちなのかが、未だに何一つ分からない……。」
心底悔しそうに、すまなそうに頭を下げる優喜。紫苑もなのはたちと同じ気持ちだったのだろうか? だとしたらかなり申し訳ないことをしている。今までの自分に対し、後悔の念があふれ出して止まらない。いまだに、恋心と言うものは全く分からないが、それでも今ぶつけられた気持ちが、決して軽んじていいものではない事にようやく気付く事が出来た。
優喜は気が付いていなかった。以前紫苑に同じように想いをぶつけられたときには、そもそも本気であると言うことすらもピンときていなかったことに。性欲の消滅による悪影響が、色恋がらみ以外にも根深く刻み込まれていたことを。そして、体が新しくなり、地道なED治療により、自身が思っているよりもそう言った部分が改善されていることに。
「優喜、顔を上げて……。」
少しかすれた声で、フェイトが頭を下げ続ける優喜をたしなめる。
「優喜は、何も悪くないよ。わがままを言ってるのは、私達のほう。」
「でも……。」
「ゆうくん、私達は私達の勝手でやってるの。だから、ね。」
三人とも、泣き笑いのような、だが不思議と美しく感じる表情で、四年治療してなお壊れたままの優喜を受け入れる。人間、こういうときに許されてしまうと、かえって立場がないものだ。結局、そのまま互いに何も言えずに、高町家の面々が帰ってくるまで黙って見つめあうのであった。