「ユーノ君、アリサちゃん。」
「あれ? なのは、フェイト?」
「珍しいわね。アンタ達が無限書庫に来るなんて。」
みんなそろって中学に上がった後のある日の事。珍しい事に、なのはとフェイトが無限書庫に顔を出した。彼女達の名誉のために言っておくと、なのはもフェイトも本を読まないわけではない。むしろ立場上、人一倍教養には気を使っているため、最近では速読法も身につけ、美由希もかくやというレベルで本を読んでいる。
ただ、とにもかくにも忙しい身の上であり、なかなか直接無限書庫に顔を出すには至らない。ここの資料や書物もよく利用してはいるのだが、大抵急ぎと言うわけではない事もあり、大体がアルフやリニス、優喜、あるいは最近手伝いによく顔を出すアリサを経由してのやり取りになりがちだ。ユーノとも通信ではそれなりに話すが、忙しそうなので遠慮して、あまり資料請求とかはしない。
「ちょっと資料を探さなきゃいけなくて。」
「忙しいところ申し訳ないんだけど、お願いしていいかな?」
「いいよ。何を探してるの?」
「私は第八管理世界の気候・天候と土壌の資料。母さんに渡して、向いてる作物を教えてもらうんだ。」
「私は教導用に、過去のデータをいろいろ当たろうかと思って。」
「了解。すぐ用意する。」
なのは達の発注を受け、十数秒で目的の資料を引っ張り出す。
「しかし、なのはが教導ねえ。」
なのはと教導と言う組み合わせに、妙にしみじみと呟くアリサ。フェイトが執務官資格を取った関係で、なのはも何か一つ上級資格を、という話が出て、とりあえず一番性にあいそうな教導官資格を取ったのが半年ほど前の事。ちょうど、フォルクと試合をした後ぐらいである。その後、広報部に新人を入れることになりそうだと言うことで、予行演習として本局武装隊のほうに三日ほど教導官として出向くことになったのだ。
「おかしいかな?」
「性格的には、向いてるんじゃない? ただ、テストの度に、分からないところを優喜に泣きついて教わってるから、いまいち教える姿が想像できないのよ。」
「うっ……。」
アリサの厳しい指摘にひるむなのは。そんな様子に苦笑しながら、ユーノが掘り当てた資料をコピーし、二人のデバイスにデータ転送するアリサ。終わった後に初めて掘り出した資料にタグをつけて、どこに返すかを指定する。
「アリサ、手慣れてるね。」
「別に、難しい作業じゃないでしょ、こんなの。フェイトだって、前は手伝ってたじゃない。」
「でも、アリサが手伝ってくれると、掘り出した資料の整理がものすごく速く進むから助かるよ。」
「根本的に、人が足りなさすぎるのよ。あたしがやってる作業なんて、一人普通の人を張りつかせれば問題ない内容よ?」
アリサのもっともな言い分に、苦笑が漏れるユーノ。ユーノのおかげでようやく価値が浸透してきた無限書庫だが、人員の増強はなかなか進んでいない。半期に一人二人と言う感じで少しは増えているのだが、時折来る殺人的な資料請求に追いつくほどではない。
「そういえば、なんだか難しい顔をしてたけど、どうしたの?」
「ああ。今手が空いてるから、優喜が帰る方法を探してたんだけど……。」
「ちょっと判断に困る資料が出てきたのよ。」
優喜が帰る方法、と聞いて、少し顔を曇らせるなのはとフェイト。正直、帰ってほしくはないが、それを言いだすのが酷だということも分かっている。一見馴染んだように見えて、裏で帰るためにいろいろ努力をしている事ぐらいは、なのは達も知っている。
居心地がどう、と言うことではない。最終的にどうするにしても、けじめのために一度は向こうに戻らなければならない、と言うのが優喜の考えだ。義理堅い彼の事だ。何年たとうと、諦める事はしないだろう。
「どんな資料なの?」
横道にそれた思考を軌道修正し、とりあえず内容を確認するなのは。
「高度な時空系の研究が進んでた文明の記述よ。ただね……。」
「その記述があった遺跡、とっくに発掘調査が終わって、枯れてるはずなんだよ。」
二人の説明に、なるほどと言う顔をする。確かに判断が難しい話だ。地球でも、発掘が完全に終わって新発見などないと思われた遺跡から、思わぬものが見つかったりする。そのため、もはや隅々まで調べられているような遺跡や遺構を、ずっと研究し続ける考古学者も少なくない。
「再度発掘調査をするかどうか、判断が難しい、と。」
「そういう事。お金も時間もかかるから、もう少し確証をつかんでからでないと動きにくいし。」
「アリサちゃんはどう思ってるの?」
「あたしはなんとなく、これは当たりかもしれない、とは思ってるわ。」
アリサの言葉に驚くなのはとフェイト。アリサは学問は天才の範囲に入る人材だが、別に考古学の専門家ではない。しかも、ミッドチルダのそれとなると、基本的に素人そのものだ。
「アリサ、自信はあるの?」
「五分五分より少し上、ってところね。別に根拠があるわけじゃないし。」
「アリサちゃんでも、そういう勘みたいなもので判断することがあるんだ。」
「当然よ。必要な情報無しで判断しなきゃいけない事なんて、いくらでもあるでしょ?」
アリサのもっともな言い分に、ちょっと気圧されて頷くなのは。そんななのはの様子を微笑みながら見守るユーノとフェイト。
「それで、その遺跡ってどこにあるの?」
「第八管理世界だね。だから、フェイトの資料請求ってすごい偶然だな、って思って。」
「……フェイトの資料請求とかぶったってところで、何かあるんじゃないかってあたしの勘に信憑性が出てきた気がするわね。」
「あ、あははははは。」
アリサの寸評に乾いた笑いをあげるフェイト。フェイトが関わると、どうにも平穏無事にすまない傾向がある。良くも悪くも当りを引く確率が高く、引いた当りが偉く迷惑なケースが多い。悪運か人徳か、大抵は最良に近い終わり方をするが、そこに至るまでの過程がやたらひどい目にあうのだ。
「で、フェイトはどの地域の支援をするの?」
「えっとね、北大陸のベルカ自治区。最近の内戦で、一番被害が大きかったところだから。」
「……うわあ……。」
「……何かあるのが、確定したわね……。」
「……だね……。」
二人の反応に、思わず顔を見合わせるなのはとフェイト。
「もしかして。」
「その遺跡があるのって。」
「うん。ベルカ自治区の端から北東に百五十キロほど離れた、大陸中央に程近い山の中。基本的に誰も済んでない場所だし、空爆の被害は出てないと思う。」
第八世界の内戦と言うのは、複数の部族が対立しあい、お互いに引くに引けなくなって戦争に踏み切ってしまったというありがちなものだ。価値の低い荒野に陣取っているベルカ自治区は、基本的に自身の暮らしを維持するのが精いっぱいなこともあって非干渉を貫いていたが、受け入れ拒否をしたにもかかわらず、劣勢になった部族のトップが強制的に逃げ込み、巻き添えを食う形で空爆を受けてしまったのだ。
さすがに見過ごせなかった聖王教会が、管理局の許可を取って自衛のために介入、圧倒的な魔導師戦力で逃げ込んだ人間を叩きだし、それでも空爆を続けようとする連中を力ずくで制圧したのだが、大量の死者・行方不明者が出て、いまだに地域の立て直しは済んでいない。
「だったら、私の用事が終わったら、いっしょに調べに行く?」
「フェイト、アンタ忙しいんじゃないの?」
「大丈夫だよ。三日ぐらいは休みを取る予定だから。ね、なのは。」
「うん。イメージアップにつながるからって、こういう休みは取りやすいんだ。」
身も蓋もない管理局の方針に、どうにもコメントできずに苦笑するユーノとアリサ。因みに、なのははフェイトがピンの番組に出ている時は教導をしている事が多いが、フェイトはなのはが単独で活動している時は、こういうチャリティ的な事をしている事が多い。これは二人の職質が絡む問題なので、どっちがいいとは一概に言えない。
「それじゃあ、その話はいつになるのかしら?」
「えっと、まずは作物の選定からだから、二週間ぐらいかな?」
「さすがに、それはこっちの準備が間に合わないね。」
「あ、別にいつって決まってる訳じゃないから、作物の選定が終わったらいつでも行けるよ。」
「了解。じゃあ、夏休みぐらいに合わせましょうか。」
「そうだね。いちいち行って帰ってきてを繰り返すの、結構面倒だしね。」
今回の孤児院向けの農業指導については、元々結構大規模にやる予定だったのだ。なので、最初から学校の連休に合わせて、泊りがけで行く予定だった。夏休みなら何の問題もない。
「じゃあ、予定が出来たら、早めに連絡お願い。」
「分かってるわ。すずかにも声かけとくから。」
そういって、ざっと予定を決める一同。この遺跡調査がある種のターニングポイントになるのだが、この時の彼女達は知る由もなかった。
「さてと、そろそろ話してもらおうかしら?」
「しらばっくれても無駄だからね、優喜君。」
なのは達が無限書庫で調べ物をしている最中の事。優喜はプレシアと忍に呼び出され、時の庭園に来ていた。
「しらばっくれるって何を?」
「分かってるんでしょ?」
「いい加減、体が子供だから、でごまかせるとは思わない事ね。」
ずいっと迫る二人に、さすがにひるむ優喜。そこに、ブレイブソウルが追い打ちをかける。
「友よ、君の生殖機能に問題がない事ぐらいは、とっくに分かっていることだ。さらに言うと、耽美系の趣味がない事も。」
「……ちょっと待て。何故にブレイブソウルがそんなデータを持ってる!?」
「言ったはずだ。私は友の身長体重スリーサイズに体脂肪率からナニの大きさまで、全て把握していると。声質はほとんど変わっていないが、すでに声変わりが始まっている事もな。」
優喜の声は、前の体の時もあまり声変わりしなかった。普通に聞いている分には、男女どちらにも聞こえてしまう。これが余計に女扱いされやすくしているのだが、ここでは関係ない話だ。
「成長期の体はいろいろ不安定だ。ゆえに魔女殿の要請もあって、友の体については可能な限り逐一データを取っている。なのは達のデータも、別段趣味で集めているわけではないぞ?」
「僕のはともかく、なのは達のまでなんで君が取るのさ?」
「分かっていないな。君がもたらした未知の技能の影響を調べるために、多角的かつ多面的にデータを収集、判断する必要があるからに決まっているだろう?」
相変わらず、無駄に口が達者な変態デバイス。九割がたは趣味でやっているにに決まっているのに、言っていること自体は正論なのが腹立たしい。
「話が逸れたが、友よ。君のその性欲の無さが、現時点で一番大きな問題なのだ。それ以外で懸念されていることなど、せいぜいなのはの第二次性徴がほとんど始まっていない事と、気功を早期に学んだなのはとフェイトが、そろって初潮がまだである事ぐらいだ。」
「あのね、ブレイブソウル。とりあえず、女性型のくせにデリカシーって単語を投げ捨てるのは、どうかと思うよ。」
なのはとフェイトの余計な情報を漏らしたブレイブソウルに、苦い顔で釘をさす優喜。ついに恭也が結婚して月村家に行ってしまったため、男は士郎と優喜しかいない。それゆえに、デリカシーというものに人一倍注意する必要があるのだ。
「これからする話で、デリカシーなどと言うものを気にして話せるものなど一つもないさ。」
「威張られても困るんだけど。」
「気にするな。さて、話をもどすが、君の生殖機能に問題がないのはすでに確認済みだ。ちゃんと精通も始まっているし、勃起障害と言うわけでもない。」
「それをどうやって確認したのさ。」
「悪いとは思ったが、友の眠りが妙に深くて無防備な時に、ばれないように神経系統を乗っ取って強制的に勃起・射精させた。無論、影響が出ないように後始末も済ませた。私が話すまで気がつかなかったのが、その証拠だ。」
「もうやだ、この最低デバイス……。」
さすがに、勝手にやったこと自体は心底申し訳ないと思っているらしい。優喜のぼやきに、すまない、と一言謝る。
「まあ、ブレイブソウルが趣味だの好奇心だのネタだのでそういう真似をしたわけじゃない事ぐらいは、ここまでの流れで分かってる。ただ、何のためにそこまで最低な事をしたんだ?」
「大人達がずいぶんと気にしていてな。そちらの二人など、機能がないのであれば、そっちの治療を考えねばならない、とえらく先走った事をほざいていた。」
ブレイブソウルの台詞に、思わずジト目でプレシアと忍を見る優喜。その視線から逃げるように、明後日の方向を向いて鼻歌なんぞをハモらせる二人。
「結果的に、その最悪の事態は避けられた訳だが、そうなると今度は、あまりにも不自然なほどの性欲の無さが、余計異常にうつる。何しろ、本来なら女体に興味を持ってしかるべき時期だが、幼女から熟女まで、巨乳にも洗濯板にもその中間にも、トンと興味を示さない。一度など、忍が露骨に胸の谷間を強調して攻めたが、目をそらすとか見ないようにするとかではなく、自然にスルーしていたではないか。」
「人の彼女に興味持ってどうすんのさ。」
「そういう次元の問題ではない。余程筋金入りでなければ、好みがどうとかそういうのとは別次元で、正面からあそこまでされて無反応と言うのは無理だ。それが男のサガと言うものだ。」
「何で、女性型のデバイスにそれを力説されてるんだろう……。」
優喜のもっともな疑問に、思わず噴き出すプレシアと忍。とりあえず問い詰めるのはブレイブソウルに丸投げする事に決めたらしく、えらく余裕を見せている。
「とりあえず、そういう細かい事は気にするな。で、だ。話を戻すと、忍の乳に興味を示さないとなると、次は幼女か洗濯板系の女性にしか興味がないケースになるが、どちらもこれまでの経緯から、明確に否定されている。那美のドジに巻き込まれて、嬉し恥ずかしいドキドキイベントに遭遇しても、友はその手の反応を一切示さなかった。そして、幼女が対象外なのは、これまでのなのは達との接し方で明確になっている。」
まるで論文でも発表するかのように、いちいち優喜の性癖を暴露していくブレイブソウル。これまでの持ち主は、こいつとどういう風に接していたのだろう?
「さらに、男色家でもないのは言うまでもない。男に告白された時のおぞましそうな視線と絶対零度もかくやと言う冷たい態度で、ツンデレを疑うほどおめでたい脳みそをしているつもりはないからな。」
「で、結論は?」
「友よ。こちらに来る前に、何か恋愛や性的な問題とは直接関係ない事柄で、心身に致命的なダメージを受ける羽目になった事はないか?」
ブレイブソウルの打って変わった鋭い質問に、心の中で舌打ちする。いかに変態といえども、伊達に長く人間性を維持して存在しているわけではない、と言うことか。
「何故そう思った?」
「恋愛がらみでダメージを受けたのなら、いかに精神が大人でも、他人の恋愛に一切否定的な感情を見せない、と言うのは不自然だ。性的な問題で性欲を失ったというのであれば、クラスメイト達のエロ本談議をもっと軽蔑してもおかしくない。だが、どちらもそういうものだと肯定し、悪いことではないと思っていることが私にも伝わってくる以上、一般的なPTSDが原因ではないのは間違いない。」
「乗り越えただけかもしれないけど?」
「友が強靭な精神を持っている事は否定しないが、PTSDが残るような被害を受けて、他人の恋愛や性欲を全部受け入れる事が出来ると思うほど、二十歳やそこらの若造の精神を評価してはいないのでね。」
「道理だ。」
反論の糸口を見つけられず、仕方なしに苦笑しながら同意したところで、丸投げしていたプレシアが口をはさむ。
「因みにここまでは、貴方が関わりを持つ大人、全員の一致した意見よ。それで、ここからは私と忍、それからブレイブソウル、後士郎さんもだったかしら? その辺の、かかわりが深い人間が持っている危惧なのだけどね。」
そこで一つ言葉を区切り、深呼吸をして気合を入れて、最も聞きたい事をえぐりこむ。
「私たちはね。貴方の性欲がらみ、そのままにしておくと破滅に向かうしかないのではないか、と思っているのよ。」
「かつて、管理人格の起動のために古代龍を仕留めた時、友が話していた切り札の事。あれの代償が関わっているのではないか、と踏んでいるのだが、そこのところを詳しく頼む。」
恐ろしく鋭い考察に、誤魔化しきれない事を悟った優喜は、一つ、とても深いため息をつくと、降参と言う表情で口を開いた。
「半分あたりで半分はずれってところ。確かに、うちの武術の秘伝、その代償に絡む事なんだけど、別に普通に撃ったからって言って、性欲が無くなって行く訳じゃない。」
「じゃあ、何をやらかしたの? お姉さんにそこのところ、正確に話してちょうだい。」
「前に話したかな? うちの流派の秘伝は、人間の限界まで体を鍛えて、二十四時間以内に二発が限界なんだ。それ以上を撃つと、多分三発目で三日、四発目で半年ぐらいは絶対安静になる。五発目は良くて廃人、悪ければ反動で即死する。」
「それで?」
「一つだけ裏技があって、代償を別の物に挿げ替えることで、裏技が発動している時間内は、何発撃っても死ななくなる。」
代償を挿げ替える、という言葉に、非常に嫌な予感がひしひしとする。
「その裏技、具体的には?」
「生き物の器を捨てて、現象にまで存在を落としこんで、竜岡優喜という現象が発生した結果、どの技が何発発動した、という形にするんだ。」
「そうするとどうなるの?」
「生き物らしさと引き換えに、全ての技のコストや反動がチャラになる。現象なんだから、決まった結果しか起こらないって理屈でね。」
生き物らしさ、という言葉にいろいろとぞっとする。厄介な事に、全てつながってしまった。
「つまり、優喜はその秘伝とやらを三発以上撃つために、生殖本能を代償に、自分を現象に落とし込んだ事がある、ということかしら?」
「そういう事。因みに、何がすり減るかは、やってみるまで分からない。基本的には一番弱い生き物らしさがすり減るから、同じ事をやった同期は、代償が恐怖心だったり性別意識だったり、ばらばらだった。」
嫌な予感がすべて的中してしまった。思いすごしである事を祈りながら、忍が駄目押しで質問を重ねる。
「それを何度も続けると、どうなるの?」
「最終的に、現象から戻れなくなる。当然、やればやるほどすり減るのも早くなっていくよ。」
「因みに、どれぐらいの時間で、貴方はそうなったの?」
「十秒を二回。」
あまりのコストの重さに絶句する。しかも、二回と言う事は、それをしなければいけない状況に、二度も遭遇している事になる。フェイトも大概引きが悪いが、優喜の場合は人の縁と引き換えに、そういう部分で致命的な不運を背負っているのかもしれない。
「最後に一つ。」
「何?」
「それ、治せるのかしら?」
プレシアの質問に、少し考え込んで慎重に答える。
「可能性はない訳じゃないらしい。師匠は、失った欲求を奮い起こせさえすれば、少しずつ回復するとは言ってた。結局本能ってやつは、別に奥の手ですり減らさなくても、使わなければ摩耗して無くなって行くらしいし、逆にかなり摩耗してても、使って行けば回復してくるみたいだし。」」
「なるほど、分かったわ。」
「……なんか、その目は明らかにひどい事を考えてる目のような気がするんだけど。」
「あきらめなさい。貴方だって、現象になりたい訳じゃないんでしょう?」
「そうそう、奥の手を使う羽目にはならないと思うけど……。」
「備えってものは、しなくなった途端に必要になるものよ。それに、性欲が戻って困る人間もいないのだし、ね。」
どうにも、どう説得しても聞き入れてもらえそうにない。あきらめて、治療方法を聞く事にする。
「それで、結局何をどうするの?」
「一応もう一度確認しておくけど、生殖器周りの機能はちゃんと生きているのよね?」
「ああ。先ほども言ったように、神経を外部から強制的に刺激してやれば、ちゃんと行為そのものは可能だ。」
「だったら、ED治療用の強制勃起薬を使って、少しずつ快感を教え込んで性欲を呼び覚ますしかないわね。」
「私もその方針に賛成。精神的なものとはいえ、PTSDが原因じゃないから、カウンセリングが無意味だし。」
女性三人から、嫌になるほど生々しい言葉を聞かされ、非常に居心地が悪い優喜。こう、生きててごめんなさい、とかいいそうになるレベルだ。
「いきなり本番は、リスクが大きすぎるわね。」
「そうだね。さすがにいきなりやって失敗でもしたら、いろいろこじれて目も当てられないし。」
「何で僕はこんな話を聞かされているんだろう……。」
他人の猥談ほど、聞かされて居心地の悪いものはない。これが食いつける精神構造の人間ならいいが、そもそも性欲そのものがなく、知識はあれど興味は一切ない優喜にとっては、実に対応に困る状況だ。
「まあ、そういうわけだから、薬処方しておくから、最低でも週に一回、推奨は三日に一回以上、それを飲んで自慰行為をしなさい。」
「は?」
「自慰行為よ。オナニーとかマスターベイションとか呼ばれる類のやつ。」
「いや、そう露骨に言われると、それはそれで困るんだけど……。」
優喜の言葉に、忍と顔を合わせてため息をひとつつくプレシア。そのまま肩をがしっとつかむと、目を合わせてマジな顔で言い切る。
「貴方の体は、貴方が思っているより深刻だと考えなさい。それに、そろそろいろいろと切実な問題になってきてるのよ。」
「すずかはもう発情期が来るようになってるし、なのはちゃんとフェイトちゃんも、いずれ今のままってわけにはいかなくなるしね。」
「なんか、そこに僕の人権って単語が抜け落ちてる気がするのは、気のせいかな?」
「この件に関しては、ある意味あなたの命と人権、どちらを取るかという話も含んでるのよ。」
「友よ。あきらめて、普通の青少年のごとく、猿のように盛れ。」
どんどん表現がひどくなっていくブレイブソウルのコアを一発しばくと、ため息とセットで一つ頷く。
「分かった。分かりました。気は進まないけど、善処はします。」
「オカズが必要ならいくらでも用意するから、遠慮なく言ってね。」
「遠慮しておきます。と言うか忍さん、何でそんなに楽しそうなの?」
「優喜君をいじれる、数少ない機会だもの。心配してるのも本当だけど、ね。」
どうにも、この件に限っては分の悪い優喜。どうせ言う通りにしていなければ、ブレイブソウル経由で連絡が行くのだろう。性欲をなくしたのが早かったこともあって、何をどうすればいいのかも分からないが、これ以上こんな品のない事でいじられないためにも頑張るしかない、と、あきらめにも似た気持ちで覚悟を決めるのであった。
結局、まずは監視の意味も込めてと四錠だけ薬を渡されたところで、なのはとフェイトが顔を出す。もはや勝手知ったる時の庭園、二人とも、来る時にわざわざ事前に連絡など入れない。
「あら、お帰り。」
「母さん、ただいま。」
「あ、優喜君に忍さんも居たんだ。」
アルフとリニス以外がいるという珍しい状況に、思わず好奇心が表に出るなのは。
「あれ、優喜……。」
「なに?」
「薬貰ってるみたいだけど、どこか悪いの?」
「体はどこも悪くない。」
嘘はついていない。実際、体はどこも悪くないのだ。
「じゃあ、その薬は?」
「……あんまり人に言いたくない類の物。特に女の子には、ね……。」
どうにもダークな表情の優喜に、一体何があったのか非常に気になる二人。だが、本人が言いたくないと言っているものを無理に聞きだすほどには、なのはもフェイトも肝は据わっていない。
「貴女達は、どの程度の性教育を受けているのかしら?」
「え?」
「あのさ、プレシアさん……。」
娘達に生々しい話をする気のプレシアに、思わず突っ込みを入れる優喜。
「優喜。私は性をタブーにするつもりはないわよ。」
「そうそう。正しい知識と現状認識は、どんな分野でも絶対必要だからね、優喜君。」
「友よ。性的な知識こそ、ちゃんと正確なものを持っていなければ、余計なリスクを背負うことになるぞ。」
突っ込みを入れた優喜に向って、結託して総攻撃をかける大人の女三人。面白がっている部分の割合が明らかに大きい癖に、全力で結託して正論をぶつけてくるのだからタチが悪い。
「ただいま。」
「プレシア、今戻りました。」
どう反論するかの糸口を探しているうちに、どうやら出かけていたらしいアルフとリニスも帰ってくる。
「あ、アルフ。お帰り。どうだった?」
「用地の使用交渉は上手くいったよ。後は、畑の開墾を進めるだけ。」
「そっか。ご苦労様。」
フェイトの立場上、一緒に戦闘できなくなったアルフは、なかなか時間が取れないフェイトに代って、彼女が支援している孤児院や保護した子供達を見て回っているのだ。もちろん、それ以外にも無限書庫の手伝いをしたり、緊急支援要請を代わりに受けたりと、表に出ないところで忙しく働いている。主であるフェイトが洒落にならないほど強くなっていることもあり、現在単独では最強クラスの使い魔の彼女は、支援要請の件数も多く、下手をすると主より忙しい。
「リニスさんは、なにしに外に?」
「時の農園、じゃなくて庭園で使われている工業式農園システムの特許申請と、次の研究テーマの聞き取りに行っていました。」
「次って、何の研究を頼まれたんですか?」
「レリックの解析をメインに、スカリエッティ一味の転移手段のジャミングとカートリッジを使った非魔導師向けの戦闘システム開発、あとは気功を機械的な手段で再現できないか、と言うところですね。」
「どれも、なかなか無茶を言ってきてるみたいな……。」
「マッドサイエンティストは、無理なテーマを完成させて何ぼです。」
リニスの言葉に、満足げに頷くプレシアと忍。
「とりあえず、話を続ける状況じゃなくなったし、今夜私の部屋に来なさい。」
「は~い。」
「分かったよ、母さん。」
「優喜、邪魔したらだめよ?」
「そんな怖い事はしないよ。」
そんな感じでこの場は終わる。この後夕食後に、恐ろしく生々しい話を聞かされたなのはとフェイトは、妙な事を意識しすぎた結果か、生れて初めてエッチな夢を見てしまい、翌朝、気まずさのあまりに優喜の顔を直視できなくなったのであった。
「みんな、種芋はいきわたったかな?」
『は~い!』
夏休みに入った直後、第八世界のベルカ自治区。なのは達は、孤児院すべての子供達を集めて、皆ががんばって開墾した畑に、芋を植えに来ていた。
「このお芋はとっても丈夫で、一株でたくさんできるから、頑張ればお腹一杯食べられるよ。」
「このお芋が育ったら、次に育てる作物を持ってくるからね。」
ジャージ姿のなのはとフェイトが、子供達の前でそんな風に声をかける。その言葉にわくわくした顔を見せる子供達。プレシアが用意したのは、サツマイモをこの土地にあわせて品種改良したものである。荒地でも丈夫に育ち、あまり世話をしなくてもたくさん収穫できるという考えで用意したものだ。ただ、どんな作物でも、同じものを何度も育てると連作障害が起こる可能性がある。食べる側の飽きを避ける意味も含めて、次はまったく味の違う作物を用意する予定だ。
「あ、そんなに引っ付けて植えたら駄目よ。栄養を取り合って育たなくなるわよ。」
「土はもっと軽く乗せるんだよ。そんな風に踏み固めたら、芽が出てこれなくなるからね。」
なのは達と同じように、ジャージ姿で指導に協力するアリサとユーノ。二人よりそって仲むつまじくやっている姿は、一向に先の展望が見えないなのは達には、大変うらやましい。
「そうそう、上手上手。」
「他のところを踏まないように気をつけて。」
結構離れた場所で、別々に子供達の様子を見守る優喜とすずか。孤児院三件で共同管理する広い畑だけに、どうしても一箇所に固まっては難しい。聖王教会のシスター達も、それぞれに子供達を見守っている。
「けっ。」
和気藹々とした空気に水を差すように、荒んだ雰囲気を漂わせた二十歳前後の若者が、いらいらしたように柵を蹴り飛ばす。
「バナール!」
「んだよババア。またあの偽善者に付き合って、無駄な努力してんのか?」
「無駄かどうかなど、やってみなければわからないでしょう?」
「無駄に決まってんだろうが。人間、どうあがいたところで、ちょっとしたことで死んじまうんだ。どうせ生きてても地獄なんだから、まま事みたいな畑作って目をそらしてんじゃねえよ。」
バナールの言葉にため息をつく年配のシスター。彼と同年代の若者は、内戦に対する無力感をこじらせたものが多く、立ち直ろうとしている人間を馬鹿にしたり、邪魔したりする連中がちらほら見られる。その中でもバナールはタチの悪い方で、一度などはフェイト経由で届いた衣料品を、分配する前に焼き払った事があった。危なく孤児院に燃え移るところだったが、それを見て本気で
「残念だったな、死にぞこなって。火事になってりゃ死んで楽になれたのによ。」
と言い出す始末だ。内戦で家族を失ったわけでもなく、現状貧しくはあるが食うに困るほどでもないのに、事あるごとに孤児院や病院などに余計なちょっかいを出しに来る。シスター達からすれば、体がでかいだけの甘ったれた未熟者だ。
「何よ、あれ……。」
「環境が悪いと、どうしてもああいうのは出てくるよ。そもそも、フェイトの支援対象は自分で何とか出来ない子供達であって、ああいういい年した若者の甘えまでは知ったことじゃないしね。」
ガラが悪いチンピラに、ため息交じりのアリサとユーノ。いまだにもめ続けるバナールとシスターの間に、あきれたような顔でアルフが割って入る。
「またアンタかい。懲りないね。」
「犬ころは黙ってろ!」
「アンタの方が黙ってな。」
邪魔をされてはかなわない。つまみだそうと担ぎあげようとすると、小癪にもつかまれないように避けて、畑をわざと乱暴に踏み荒らしながらフェイトの方に走り寄る。
「いつまでこんな下らねえ無駄な事続けてんだよ?」
「この子たちが、自分で生きていけるようになるまで、だよ。」
「テメエ自身がガキのくせに、生意気言ってるんじゃねえよ!」
怒鳴り散らす言葉に、子供たちが身をすくませる。そんな事は気にせずに、上から睨みつけながら喚き続けるバナール。
「大体よお! 大した苦労も挫折も知らねえくせに、才能だけでちやほやされてきたクソガキが、上から目線で可哀想だって何様のつもりだ!? 偽善者が善人ぶってんじゃねえぞ!」
バナールのあまりにも無礼な言葉に、思わず殺気立ちそうになるアリサとすずか。そんな二人を手で制し、静かな表情で言いたい放題ぶつけられる言葉を受け止めるフェイト。
「テメエみたいな思い上がったガキがなにやったところで、こいつらの境遇は変わらねえんだよ! 管理局からも教会本部からも見捨てられたこいつらは、上から目線のクソガキに薄っぺらい希望を与えられて生き地獄に送り込まれるぐらいなら、そのままのたれ人だ方がはるかに幸せなんだよ!!」
「言いたい事は、それだけ?」
「ああ!?」
「だったら、一つ。反論させてもらうね。」
あくまでも静かな瞳で、淡々とバナールに言葉を返すフェイト。その、年に似合わぬ胆力と眼力に、思わずひるむバナール。
「私は、貴方やこの子たちが、どんな光景を見てきたかは分からない。だから、私に対して言われた言葉を否定する気はないよ。」
「今更わびる気か!? どこまで人を馬鹿にすれば!?」
「でもね。」
バナールの言葉をさえぎり、言葉を紡ぐ。特に声を荒げたわけでもない、いつも通りの口調、いつも通りの声の強さ。だというのに、不思議と普段より周囲に良く通る。
「貴方の勝手な絶望を、この子たちに押し付けるのはやめてくれるかな? 貴方が絶望してひがむのは勝手だけど、立ち直ろうとして、前に進もうとしている人の足を引っ張る権利はないよ。」
「うるせえ!」
「何やっても無駄だ、どうせこの先は地獄しか待ってない、なんて毒をまき散らして、それで自分は善人だって思ってるんだったら、貴方は私の事は言えないよ。」
「利いた風な事を!」
かっとなって手をあげようとしたバナールを、どこからともなく飛んできたバインドが拘束する。
「そこまでにしとき。」
「はやて?」
「や、フェイトちゃん。」
「まったく、いい年した男が、泣きごとをぎゃんぎゃん喚いて恥ずかしいぞ。」
バインドで拘束されたバナールを、フォルクが担いで運びだす。
「てめえら! 何の権利があって!?」
「私は管理局の捜査官やし、教会の騎士でもあるからな。基本治外法権のベルカ自治区でも、一応逮捕権はあるで。因みに罪状は、恐喝と暴行や。現行犯やから言い逃れは効かんで。」
「俺がいつ恐喝したって!?」
「その大声は十分恐喝や。後、器物破損も付け加えとかなあかんな。」
そう言ってはやてが指さした先には、バナールが蹴倒した柵が折れていた。これでは使い物にはならないだろう。
「そういうわけやから、神妙にお縄をちょうだいし。」
「俺がやったって証拠はあるのかよ?」
「一部始終見とったからな。割って入ろう思ったけど、ちょっと距離があって間に合わんかってん。畑荒らさせてしもて、勘忍な。」
「いいよ、気にしないで。まだやり直せる程度だし。」
そう言って、バナールを放置して作業に戻る。まだ土をかぶせただけだし、種芋も残っている。駄目になっていれば植え直せばいいのだ。
「みんな、終わったらおやつもってきてるからね。」
「このお芋を使った、私の特製スイートポテトだから、楽しみにしててね。」
優喜となのはの言葉に、委縮していた子供たちが活気を取り戻す。バナールを留置場に放り込んできたはやてとフォルクも手伝い、和気藹々と作業を終えたのであった。
「いろいろ面倒な話が来てなあ。」
聖王教会の宿泊施設。仕事でこちらに来られない予定のはやてが何故居るのか、その説明をぽつぽつと始める。
「面倒な話?」
「そうやねん。ユーノ君の遺跡調査の話、どうもどっかから漏れとったらしくてな。」
「まあ、取り立てて隠してたわけじゃないから、それはしょうがないよ。」
「どこから漏れたか、言うんはまあ、この際置いとこう。ユーノ君も言うた通り、別段隠してたわけやないから、探してもしゃあないし。」
そこで言葉を切り、お茶を一口。一つため息をついて、話を続ける。
「問題なんは、反夜天の書再生派の、それも過激な思想のおっさんが、先回りしてロストロギアを掘り当てたんちゃうか、っちゅう情報が入ってきてな。」
「それだったら、はやてを派遣するのは不味くない?」
「カリムもそういうとったけどな。情報が正しかったら、私がこっちに来たら、なんか動きは見せるやろうって思って、志願してん。」
「はやてちゃん、無茶はいけないよ……。」
「言うたらあれやけど、このケースは私がどこおっても同じや。それやったら、こっちから出向いたほうが、早く事態が解決するで。」
はやての思いっきりのいい言葉に、言葉を失う一同。
「まあ、それはおいとくとして、や。ユーノ君らは、明日件の遺跡に調査・発掘に行くんやろ?」
「発掘ってとこまでは行かないだろうけどね。」
「進展がどうなるかは置いといて、や。囮にして悪いんやけど、私とフォル君もそっちにお邪魔させてもらうわ。」
「分かった。」
囮にして、という言葉に首を傾げるアリサとすずか。そこに気がついた優喜が、苦笑しながら意味を告げる。
「要するに、アリサとすずか以外は、公的に夜天の書に関わってる人間だってこと。」
「それって、もしかして……。」
「そ。夜天の書に恨みを持ってて再生プロジェクトを潰したがってた人間にとっては、絶好の機会に写るってこと。」
「ごめんな、アリサちゃん、すずかちゃん。巻き込んでしもて。」
はやての謝罪に、苦笑を浮かべながら首を横に振るアリサ。すずかも、今更そんなことを気にしなくても、という表情を隠さない。
「別に、こんなことぐらい慣れっこよ。」
「私達のせいでなのはちゃんたちを巻き込んだこともあるし、お互い様だよ。」
何事もなかったかのように笑うアリサとすずかに、もう一度頭を下げる。
「それで、こっちに来てるのはフォルクだけ? 他のヴォルケンリッターは?」
「シグナムとシャマルは抜けられへん任務があって、今週は動かれへん。ヴィータはフィーの調整とユニゾンテストの日程にもろかちあって、これまたすぐにはこっちに来られへん。終わり次第こっちに来てくれる手はずにはなっとるけど、間に合うかどうかは微妙や。リィンはシグナムのフォローに行かせとる。後、夜天の書はまだちょっと不安定やから、今回はリィンに預けてきた。」
「ザフィーラはこっちに?」
「来とるよ。ちょっと、先に遺跡見に行ってもろてるねん。」
ヴォルケンリッターの状況を確認し、とりあえずこの話は置いておく事にする。ちなみにヴィータは戦技教導隊、シャマルは医局、シグナムは地上部隊所属だ。はやてが自由に動かせるのは、現状直属の副官であるフォルクと、デバイス扱いのリィンフォース姉妹、そして使い魔待遇のザフィーラである。ただし、リィンフォース姉妹はいまだに安定しているとは言いがたく、また請われての出向も多いため、実質フォルクとザフィーラのみといってもいいだろう。
「まあ、フォルクとザフィーラが来てるなら、余程じゃない限りは大丈夫か。」
「そうそう。正面からフォル君を抜ける相手はそうおらへんし、経験不足はザフィーラがカバーしてくれるやろ。」
「はやてがそこまで評価してくれるのは嬉しいけど、ここに正面から普通に抜いてくる奴が三人もいるんだから、油断だけはしないでくれ。」
フォルクの生真面目な言葉に、思わず噴き出すはやて。確かに、師匠である優喜と、姉弟子であるなのはとフェイトは、フォルクの正面防御を普通に抜いてくる。それも、力技と搦め手、両方のやり方で、だ。
「さて、そろそろ夕食前の運動をしてくるよ。」
「あ、そっか。もうそれぐらいの時間だね。」
立ち上がった優喜につられて、なのはとフェイトも席を立つ。ちょうどザフィーラが戻ってきたので、はやての護衛を任せてフォルクも鍛錬に付き合う事に。
「わざわざ泊りがけでこんなところまで来てるのに、ご苦労な事ね。」
「一日鍛錬を休めば、取り戻すのに三日はかかるからな。」
「ザフィーラさんも、そういうのあるの?」
「幸いにして、私のような守護獣は、肉体的には鍛錬をさぼったぐらいでは衰えない。だが、それなり以上の頻度で型鍛錬ぐらいはしておかないと、技の方がどんどん錆びついてくるがな。」
「やっぱり、どんな事も継続が一番重要なのね。」
アリサの言葉に、しみじみ頷く一同であった。
その日の夜。罰金を払って解放されたバナールは、教会の敷地内にある孤児院を見に来ていた。
「くそっ。あのガキども、調子に乗りやがって……。」
昼間の事を思い出して、憎々しげに吐き捨てる。すでに日はとっぷり暮れており、街灯が全く復旧していないこの町は、窓から漏れる明かりがなければまともに歩けないほど暗い。さすがに、この時間に畑を荒らす度胸はバナールにはない。
「何で楽しそうなんだよ……。」
明かりと一緒に漏れてくる会話を、いらいらしながら聞く。フェイトが余計なちょっかいを出すまで、この孤児院の子供たちは暗い顔をしていた。失った家族や友達の事を悼み、明日への不安ですすり泣き、絶望のまま人形のように日々に流されていた。
それが、今では死んだ人間の事を忘れたように明るくふるまい、ありもしない希望を胸に前を見ている。それが、バナールにはたまらなく不愉快だ。
「あんな管理局の犬に尻尾振って、てめえの家族の事も忘れやがって、プライドはねえのかよ、こいつら……。」
自分勝手な色眼鏡で孤児院をこき下ろす。自力で立ち直れなかったくせに、管理局からの支援を受けたとたんに、あの地獄のような光景を忘れて笑っている。周囲はバナールの事をひとでなしのように言うが、彼からすればここの連中こそがひとでなしだ。
第一、内戦の時には管理局は何もしなかった。聖王教会本部も、局との関係がこじれるのを恐れて、実際に空爆を受けるまで介入をしてこなかった。結果、自治区は壊滅的な被害を受けた。
たかがAランクの空戦魔導師二人に、この町は瓦礫の山に変えられた。この自治区には空戦魔導師は一人しかおらず、別ルートから侵入してきた相手を抑えるので手一杯だった。それなりの人数が居た陸戦魔導師も、正面から攻撃を仕掛けてきた陸戦部隊を押しとどめるのが精いっぱい。連中にしたい放題されてしまった。
もちろん、一番怨むべきは勝手に逃げ込んできたとなりの部族のトップであり、強引に空爆を仕掛けてきた対抗部族だが、管理局か教会がさっさと動いていれば、そもそも出す必要のない被害だった。
だから、必要な時に動かなかったくせに、大きな被害が出てから善人面して支援をしに来ているフェイトも、それをのうのうと受け入れている聖王教会も、そして、その事を忘れて支援を喜んでいるこの孤児院の子供達も、バナールからすれば全て屑以下と言うレベルで軽蔑する対象であり、徹底して排除すべき敵である。
「まずは、あのガキどもの化けの皮をはがさねえとな。」
目に情念を宿らせ、決意を固めるバナール。だが、彼はなのはやフェイトが当時管理局に所属もしておらず、また今の支援も管理局の人間ではなく個人で行っている事を知らない。
「ふむ。ならば、協力してくれないかね?」
突如、後ろから声をかけられ、悲鳴をあげそうになるバナール。そんな彼に苦笑しながら、声をかけた老いた男性は、実に暗い瞳を向けて言葉を続ける。
「あの連中はね、自分が助かりたい一心で、忌むべき大規模破壊兵器を再生した極悪人でね。何としてでも始末しないと、世界を破壊しつくしかねないのだよ。」
「へえ? やっぱりうさんくせえと思ったら、そんなところかよ。」
「善人面をしているが、あの年で自分の保身しか考えておらん連中だよ。」
胡散臭い老人の言葉を鵜呑みにするバナール。老人の言葉は一面に置いては真実だが、修理しなければそれこそ世界を滅ぼしつくしかねない、という事実が抜け落ちている。だが、そもそも夜天の書の一連の事件について、バナールは何も知らない。そして、初手からずっと疑い続けてきた彼にとっては、その言葉は何よりも信用できるものだった。
「あの愚か者どもを懲らしめるための手段は、すでに用意してある。後は、油断をついて実行に移すだけだ。」
「それで、俺は何をすればいい?」
「なに。連中の後をつけて、適当に騒ぎを起こしてくれればいい。それで、全て終わるよ。」
「分かった。」
「頼むよ。」
老人に任せろ、と言うと明日のために自宅へ帰るバナール。その後ろ姿を見送った老人は、
「これで、全て終わるよ。全てね。」
そう言って暗く嗤うのであった。
「やっぱり、誰かに荒らされてるね。」
「そうなの?」
「うん。分かり辛いと思うけど、ほら。」
そう言ってユーノが指差した先は、ほんの僅かにだが、確かに不自然にずれていた。
「とりあえず、誰かが漁ったのは確かだから、きっちり調べた方がいいね。」
「とは言っても、私とフェイトちゃんは、こういうのは素人だから、あんまり役には……。」
「私もだよ、なのはちゃん。」
「私とフォル君もやなあ。」
とりあえず、チームとして役に立ちそうなのは、実際に発掘をした事があるユーノと優喜、ユーノに最近ひっついていくことが多く、ずいぶん知識を蓄えたアリサぐらいなものだ。
「ザフィーラ、昨日気がついた事って何かある?」
「不自然なにおいが多少残っていたぐらいですね。」
とりあえず、先行で調査しに来たザフィーラに、昨日の事を確認する。彼に案内されて、不自然なにおいが残っているという場所を確認すると……。
「よくこんなとこを開けたもんだ。」
「だね。」
何かあると知っていなければ分からないレベルで、わずかにこじ開けられた痕跡が。
「これはプロの仕業だ。それも、短期間でどうにかできるような内容じゃない。」
「相当前の段階でマークされてた、と考えていいね。」
「だが、においが残っている以上、ここに来たのは、どれほど前で見積もっても一週間以内だ。それ以上前になると、いかに密閉空間から漏れたものとはいえ、私の鼻でも無理だろう。」
案外残っていた手がかりを元に色々考察している最中、優喜の表情が変わり、ザフィーラの手のひらに密かに魔方陣が浮かび上がる。
「そこか!」
「わあ!?」
においで位置を特定し、バインドを飛ばすザフィーラ。隠れてこっそり飛びかかろうとしたバナールが、何の抵抗も出来ず見事に拘束される。
「ちっ! くそ! 離しやがれ極悪人ども!!」
「私や優喜はともかく、他の人間は極悪人と呼ばれるほどの事はしていないが?」
「しらばっくれるな! てめえら、自分の保身のために、大量破壊兵器を再生したらしいじゃねえか!」
「……間違いとは言い切れないけど、正しい情報とも言えないね。」
どうやら、悪意を持った誰かに、半端な情報を吹き込まれたらしい。
「修理しなきゃ、延々暴走して被害を広げ続けるだけだった、と言っても信用しないよね。」
「当たり前だ! 必要な時に動かなかった管理局や教会の言う事が、信用できるか!!」
「それで、情報の裏も取ろうとしない正義の味方気取りの、そのくせ子供をいじめることしかできない貴方は、ここになにしに来たのかしら?」
アリサの言葉に再び口を開こうとし、唐突にフォルクが動いたために喋りそこなう。
「貴様、何をするつもりだった?」
「教会の犬か!?」
フォルクの突撃を受けて押し倒された老人が、憎々しげに吐き捨てる。
「そこの馬鹿よりは上手く気配を隠していたが、俺に気づかれるぐらいじゃ、話にならないな。」
「それで、何をするつもりやったん、ジョナサン・キャデラック。」
「知れた事。大量破壊兵器『闇の書』を復元しようとした貴様らを、息子を、娘を殺した貴様らを、全て滅ぼしに来たに決まっていよう!!」
「やっぱり、てめえら殺人鬼じゃねえか!」
バナールの言葉に、黙って聞いていたすずかが切れた。
「関係者でもない、なにも知らない貴方が、知った風な口を聞かないで!!」
「んだよ! 人殺しに人殺しって言って何が悪い!!」
「いい訳ない! そもそも、はやてちゃんは人を殺してない! 夜天の書だって、欲しかった訳じゃない! 勝手にはやてちゃんを持ち主にして、勝手に命を人質に取って、勝手に暴走しようとして……!」
「すずか、落ち着いて。」
「落ち着ける訳ないよ! この人たち、何も知らないで、持ち主にされたからって、生まれる前の事まで責任押し付けようとして!!」
いちばん大人しそうに見えたすずかの、あまりに激しい怒りの言葉に、好き勝手わめいていたバナールが黙る。どの言葉が地雷だったか不明だが、どうやら押してはいけないスイッチを押してしまったらしい。
「我が子の死にかかわっていなかったところで、そいつを連れ歩き、闇の書を治そうとした時点で同罪、いやもっと罪深い!」
「壊したところで自己再生して暴走するんやったら、修理するしかあらへんやん。」
「次も自己再生するという証拠は!?」
「デバッグの段階ではっきりしとった。次壊したら、下手したら次元世界全部飲みこむレベルで暴走しかねへんって。永久凍結封印も補助手段として用意はしとったけど、それも相手が相手だけに、ちょっとしたことで解けかねへんかったし。」
そこまで言って、一つため息をつく。
「それに、夜天の書自体は、魔法が起動出来る単なるデータベースや。アホが余計な改造をせえへんかったら、あんな自然災害的な代物にはなってへんかった。」
「その証拠は!?」
「同時代のデバイスである、私が証言しよう。」
優喜の胸元で大人しくぶら下がっていたブレイブソウルが、アウトフレームを展開してしゃしゃり出る。
「自己紹介しておこうか。私は古代ベルカ式融合騎兼祈祷型アームドデバイス・ブレイブソウル。夜天の書の製作者の手により、書に有事があった際のカウンターの一つとして製作された。半年ほど前まで、夜天の書の管理人格の修復および調整を手伝っていた。短い付き合いになるだろうが、よろしく。」
唐突に表れた女性に、唖然とした顔をするバナールとキャデラック。
「わざわざアウトフレームを展開したのに、ホログラフィの類だと言われても面倒だ。一応、融合騎である事を証明しておくか。はやて、ユニゾンするぞ。」
「大丈夫なん?」
「ああ。君となら適合する事は、ちゃんと事前に調べてある。行くぞ。」
「はいはい。ユニゾン・イン!」
あきれたようにつぶやきながら、とりあえずユニゾンして見せる。はやてとブレイブソウルのユニゾンの場合、それほど派手な外見の変化は起こらない。せいぜい髪が長くなり、瞳が角度によっては金色の輝きを宿したように見えるぐらいだ。
「こんな真似できるデバイスは、ロストロギアを組み込んであるレイジングハートとバルディッシュ以外は、発掘品ぐらいなもんや。そもそも、普通インテリジェントデバイスのAIは、こんな口達者やあらへんしな。」
そこまで言って、ため息とともにユニゾンを解く。
「信じる信じないは自由だが、闇の書になっていた夜天の書はひどく汚染されていてな。破壊すればするほどおかしな方向に進化するようになっていた。あと一回か二回、アルカンシェルあたりで吹っ飛ばしていたら、もはや手がつけられなかったかもしれんな。」
「ふざけるな! だったらなおの事、解体処分せねばならんだろう!!」
「制御を取り戻す前にそんな真似ができていれば、ここまで何回も暴走事故を起こすわけがなかろう?」
ブレイブソウルの正論に、ぐうの音も出ない二人。
「……管理局の言い訳なんか、信じられるかよ!」
「子供だな。」
「なんだって!?」
「君の言い分では、時空管理局は全ての管理世界を武力で征服していなければならんぞ?」
ブレイブソウルの言いたい事が理解できず、不信感全開の目でにらみつける。
「管理世界などと言ってはいるが、それぞれに政府があり、それぞれに法がある。管理局には、それを完全に無視するほどの権限はない。聖王教会もしかりだ。そもそも、要請も無しに内戦に干渉できるのであれば、政府など必要ないからな。」
「何が言いたい?」
「文句があるなら、この世界の政府に言え、と言っている。第一、管理局の代表として来ているわけでもない人間に、所属していなかったころの事言うこと自体、笑止千万。」
言いたい放題言った後、もう話す事はないとばかりにアウトフレームを消す。あまりに傍若無人な態度に唖然としているバナールを放置し、キャデラックが動く。
「もはや、お前達と語る事など無い! 勝手な言い訳をしながら死ね!!」
それこそ勝手な事を言いながら、何かのスイッチを押す。唐突に魔力が膨れ上がり、大地が激しく振動する。危険を感じたなのは達が、大慌てで飛べないアリサとすずかを回収してその場から離れる。間一髪のタイミングで遺跡が崩落し、大きなエネルギーをばらまきながら、何かが空に浮かび上がった。
「あのレベルの物があるなんて……。」
とりあえず遺跡の外まで避難し、空を見上げながらつぶやく。荒らされている以上、何かはあるだろうとは思っていた。だが、次元震を起こしうるエネルギーを発生させているそれを見て、予想が甘かったと思い知る。
「とにかく封印しないと!」
「だけど、あのエネルギー量じゃ!」
「全力のスターライトブレイカーなら、届くかもしれない!」
物騒な事を言って、さっさとユニゾンしてエクセリオンモードを起動、もしもの時を考え、手持ちのカートリッジ半分を使ってチャージを加速する。恐ろしいスピードで魔力をかき集め、瞬く間に星を貫きかねない威力の集束砲を完成させる。仮に物理破壊設定で地面に向かって撃ちこんだ場合、下手をすれば惑星コアまでとどきかねない出力だ。
「全力全開! スターライトブレイカー!!」
なんとなく無理な気がしながら、それでも可能性を信じて撃ち出す。結果は……。
「駄目、か……。」
「あのスターライトブレイカーで無理だなんて……。」
「多分、出力が問題じゃなくて、砲撃や誘導弾でやること自体が無理なんだと思う。」
経過をしっかり観察していたなのはが、そんな風に結論を出す。どうにもロストロギアの周辺が激しく空間が歪んでいるらしく、なのはのコントロールを離れていないにもかかわらずおかしな軌道を描いて飛び、到達する前に魔力が拡散してしまったのだ。
「つまりは?」
「あそこを強引にでも突破して、至近距離から直接封印術式を入れるしか無いんじゃないかな?」
「……それって。」
「うん。封印術式が使える人間だと、多分ザフィーラさんとフォルク君以外は、到達する前に死ぬと思う。」
そこまで言って、一つため息をつく。
「でも、多分ザフィーラさんもフォルク君も、あれを封印できるほどの出力は……。」
「言うまでもないが不可能だ。」
「そもそも、俺の資質だと、封印は出来なくもない、ってレベルだからなあ。」
「それ以前に、封印するとなると、ジュエルシードのリミッターを解除して、直接ぶつけるしか手がないんだよね。」
フェイトの言葉に、渋い顔をする地球組。ジュエルシードと言うやつが、どれほど不安定で物騒なのかを良く知っているがゆえに、簡単には頷けない話だ。
「……ねえ、はやて、ユーノ。」
「なに?」
「どうしたん?」
「あれ、壊してもいいんだったら、手がない事もないよ。」
突然の優喜の言葉に、顔色を変えるなのは、フェイト、すずか。
「手があると言うのは、いつぞやの古代龍戦でシグナムに言っていた、あの奥の手と言うやつか?」
「うん。僕なら、あの空間のひずみを強引に突破出来るし、あの技なら、あれぐらいは訳なく消し飛ばせる。」
「……駄目!」
優喜の提案に、真っ先に反対したのはフェイトだった。
「フェイトが何を心配しているかは分かるけど、一発で済むから、思ってるような事にはならないよ。」
「でも!」
「それに、あまり時間もないみたいだし。」
フェイトと押し問答になりかけたところで、ブレイブソウルが割って入る。
「友よ、私も無策のまま突っ込むのは反対だ。」
「なら、他に手があるの?」
「いや、あくまで、そのまま突っ込んでその技を撃つのは反対だ、と言うだけだ。」
ブレイブソウルの言葉に、怪訝な顔をする優喜。だが、とりあえず無駄な押し問答だけは避けられそうだ、と判断したブレイブソウルは、思うところを正直に告げる。
「生身のまま、何の補助も無しで突っ込めば、無傷であのロストロギアまではたどり着けまい。そうなると、君の体が反動に耐えられない可能性も出てくるし、最悪失敗して犬死になりかねない。」
「そこまでヤワじゃないつもりだけど?」
「可能性の話だ。つまり言いたいのは、せっかくユーノとはやてがいるのだ。十分に防御魔法を重ねてから突っ込んでもいいのではないか、ということだ。」
「……そうだね。ここで押し問答してる時間をそっちに振れば、十分かどうかはともかく、防御魔法をたくさん重ねておく時間ぐらいは出来るか。」
ブレイブソウルの提案に一つ頷き、ユーノとはやての方を見る。二人ともちゃんと話を聞いていたらしい。すでに魔法の準備に入っている。
「フェイトちゃん、私達も。」
「なのは……。」
「優喜君に詰め寄るのは、終わった後にしよう。私達の不手際で、あの子たちを死なせるわけにはいかないよ。」
そう言って、儀式魔法の手順に入るなのは。なのはの表情が、手の震えが、言葉とは裏腹に全く納得していない事を雄弁に語っている。その顔を見て、もはや流れを変えるのは不可能だと悟ったフェイトは、せめて少しでもリスクを減らせるよう、全力を絞り出す事にする。
「……なんでだよ。」
「何が?」
「自分だけ死ぬかもしれねえってのに、何でそんな真似、出来るんだよ?」
「そりゃ、やって失敗するのもやらないのも、僕にとっては結果が同じだからだよ。」
結果が同じなら、やらなければいいじゃないか。そういいかけて、アリサに睨まれ口を噤む。
「やって失敗するのとやらないのとが同じなら、やって成功する可能性にかけた方が、後悔しないで済むからね。」
そう言って、ブレイブソウルをセットアップする。滅多に切る事のないバリアジャケットは、優喜の感覚では、また一段と痛くなっていた。正直、優喜が第三者なら、この格好の男と話したくない。
「……もしかして、お前男だったのか?」
「この格好でようやく性別が正しく判別されるのって、非常に悔しいのは何でだろう……。」
「これから大事な仕事があるんだから、余計な事を言って足を引っ張るな!」
アリサに睨まれ、今度こそ口を閉ざすバナール。
「ねえ、アリサちゃん。」
「すずか?」
「少しだけ、血をもらってもいいかな?」
「何するつもりよ?」
「ゆうくんの体に、少しだけ私達の性質を付け加えるの。少しぐらいは、反動に耐える役に立つかもしれないから。」
すずかの言葉に頷きかけて、問題に思い至る。
「すずか、あっちの二人はどうするのよ!」
「終わってから、不自然にならないように記憶を書き換えるよ。どうせ、二度と会う事のない人たちだし、こっちの魔法に引っかからない事は分かってるし。」
どうやら、すずかも言い出したら聞かないらしい。どうせアリサ自身も何もできない事だし、ここは素直に協力しよう。そう覚悟を決め、首筋を差し出して頷く。
「すずかちゃん、私たちの分も。」
「もうすぐ、こっちの術は終わるから。」
「私とユーノ君は、残念ながら結構いっぱい維持せなあかんから、そっちには協力できへんわ。」
「なのはちゃん、フェイトちゃん、ちょっとずつもらうね。はやてちゃん達は、補助魔法をしっかりお願い。」
そう言って、三人の首筋に牙を立てると、本当にわずかに血をすする。口の中に美味が広がり、全身に活力がいきわたる。
「ゆうくん。」
「うん。」
ラブシーンもどきを演じて優喜の首に牙をつき立て、貰った活力を全て注ぎ込む。同時に、すずかの瞳が元の色に戻り、全身を脱力感が襲う。
「さて、これで準備は整った。」
「友よ! 今が駆け抜ける時!」
ブレイブソウルの檄を受け、全身に分厚い闘気の壁を張り巡らせる。そのまま最大加速で一直線にロストロギアに突撃をかける。
「ぐぅ!」
あと十メートルの時点で、急激に壁にかかる負荷が跳ね上がる。複数かかった防御魔法が、悲鳴を上げながら崩れていく。
「友よ! 持ち込んであった防御強化、半分を消費!」
「まだ問題ない!」
残り五メートル。ユーノがアートオブディフェンスを参考に組み上げた防壁が、急激に食らい尽くされていく。残り三メートル。ついにはやてのかけた防御魔法が食い破られる。二メートル。ユーノの魔法が、跡形も無く消滅する。残り一メートル。なのはとフェイトの魔法が、首の皮一枚で耐え切る。五十センチ。ロストロギアに手が届こうかというとき、ついにすべての防御魔法が粉砕される。
「優喜!!」
すべての魔法を崩されたユーノが、思わず悲鳴を上げる。ついに最後の砦であるバリアジャケットが消滅し、もろに魔力の被曝に晒され始めたのだ。しかも、既に空間のゆがみは次元震一歩手前まで広がっている。後一押しで、この世界を巻き込む次元断層が発生するだろう。
「でえい!!」
全身から血を吹きだしながら、残り五十センチを気合で詰める。次元震にこそ至っていないが、まともな生き物なら、当の昔にずたずたになって死んでいる状況だ。すずかの血がなければ、最も震源地に近い腕などは既に砕けていたかもしれない。それほどのダメージを無視して両手でロストロギアを掴み取ると、周囲と全身のエネルギーをすべて、瞬時に対象を消滅させるためのものに置き換える。
「消えてなくなれ!!」
両手で触れた対象に、一滴残らず変換したエネルギーを送り込む。外には欠片たりとも漏らさない。この技の本当の恐ろしさは、使ったエネルギーに余波や欠損などの無駄が一切出ないところである。竜岡優喜の持つ膨大なエネルギーが、ロストロギアに余すところ無く叩き込まれる。次の瞬間、ばら撒いていたエネルギーや出来かけていた次元断層も含め、すべてが跡形も無く消滅するロストロギア。
ただし、ロスをなくす為に行う複雑な気功が、恐ろしく体に負荷をかける。それが死ぬほどひどいのだ。今回も、ただ一発撃っただけだというのに、全身の筋肉はおろか骨格にまでダメージが浸透している。更に色々物理法則を無視したことによるノックバックも、洒落にならない強さで肉体と魂に食らいこむ。すずかが送り込んだ血がずいぶんと打ち消したが、それでもそのまま姿勢制御も出来ず、受身も取らずに地面に落ちる。
「優喜君!?」
「優喜!?」
「大丈夫、生きてるよ。」
あまり力なく手を上げる優喜。だが、体が動かせるということは、少なくとも死ぬ心配は無いだろう。安心していいのか、怒ればいいのか、複雑な胸中をどう吐き出せばいいか分からず、泣き笑いになるなのは達。まだ育ちきっていない未熟な体では、せいぜい後遺症が残らないように反動を抑えるのが限界だったらしい。
「なぜだ!」
突然、キャデラックが叫ぶ。忘れ去られたその男を、全員が注目する。
「なぜ、貴様らは死なない!? なぜ貴様らは生きている!? 貴様らが生きているのに、私の娘は、息子は、なぜ死んだ!?」
バインドに固定されたまま、気がふれたようにわめき散らすキャデラック。それを呆然と見ていたバナールに、ブレイブソウルがささやく。
「よく見て置け。今のままだと、君の末路はあれだ。」
「どういう意味だよ。」
「自分で考えることだ。すずか!」
ブレイブソウルに呼ばれて、バナールの元に駆け寄るすずか。意図を察して、目線を合わせる。
「な、何だよ?」
美少女の綺麗な瞳に真正面から見つめられ、どぎまぎしてどもるバナール。そのとき、すずかの瞳が怪しく光り、頭に霞がかかったようになる。めまいを振り払うと、いつの間にか目の前からすずかがいなくなっている。
「さて、重傷者が出た以上、さっさと引き上げるしかないな。」
「悪いね。」
本来なら、発狂寸前の激痛に苛まれているであろう優喜が、何事もないように返事を返す。さすがに動けないであろう彼を、フォルクが抱えあげる。
「もう、無茶するんだから……。」
背負われた優喜に、抗議と労いとをこめた口調で話しかけるすずか。
「とりあえず、フォル君は優喜君を時の庭園に連れてったげて。私とザフィーラは、このアホ二人を豚箱にぶち込んでくるから。」
「了解。気をつけて。」
「そっちも。」
フォルクの言葉二手を挙げて、愚か者二人を担ぎ上げて去っていくはやてとザフィーラ。それを見送った後、少し名残を惜しむようにフェイトが口を開く。
「私も、一度向こうに戻って、話を通してくるよ。」
「分かった。優喜君のことは任せて。」
「お願い。」
アルフを残してあるとはいえ、さすがに挨拶もなしに帰るのはまずい。様子から言って死ぬようなことはないだろうし、心配したところですぐに何かできるのはユーノとプレシアぐらいだろう。ユーノは既に応急処置を済ませているので、後は時の庭園で本格的な処置をするしかない。
「さて、帰ろうか。」
「うん。ブレイブソウル、お願い。」
「承知。」
こうして、色々洒落にならない結果を招きかけた遺跡探索と孤児院の農業指導は終わった。余談ながら、この後バナールは少しずつ態度を改め、数年後には孤児院の畑の開墾を手伝いはじめ、最終的には耕作面積を倍の広さにするのだが、ここだけの話である。また、この後フェイトたちと直接関わるのは、十年以上先のことだ。
ちなみに、優喜は一週間絶対安静であった。この日から、優喜の周りの事情を知る人間が危機感を募らせ、彼のED治療を本格化させるのだが、これまた別の話である。