「今日は暑いね……。」
「予想最高気温三十七度だって……。」
八月。記録的な猛暑となったその夏の、一番暑い日。暑さにやられ気味なままどうにか朝食を済ませ、お仕事に向かうために堅苦しい制服に着替えようとして、思わずうめくなのはとフェイト。毎朝の訓練は涼しい時間帯だが、それでもあまり運動したくないぐらいの暑さだった。
「制服だからしょうがないとはいえ、長袖にネクタイは暑いよ……。」
「ミッドチルダはこんなに暑くないはずだから……。」
ミッドチルダは一部地域を除けば、冬でもめったに氷点下までは下がらず、夏でも三十度を超すことはまれである。なので、堅苦しい管理局の長袖ジャケットでも、それほど暑くなく寒くなく、と言う時期が圧倒的に長い。一応半袖の夏服もあるのだが、二人は立場上かっちりした冬服を着る事が多い。一応夏仕様のものを用意してもらってはいるが、紺色の長袖、という時点でアウトである。
「優喜君は平気そうだね……。」
「慣れと鍛え方の違い。まあ、裏技もあるにはあるけど。」
「裏技?」
「軟気功の応用で、体の温度を一定に保つんだ。高等テクニックだから、多分なのは達にはまだ厳しいと思うけど。」
言われて、微妙にしょんぼりするなのはとフェイト。実際、二人とも軟気功はそれほどうまくない。傷を治すにしても、圧倒的な出力を生かして、魔法で力技でやった方が早くて簡単なのだ。専門分野以外はほとんど初歩しか使えないとはいえ、基礎スペックの差で、初歩でも十分すぎる効果を得られるのが、いろんな意味で厄介なところである。
「魔法で同じ事やったら?」
「基本的に、訓練と仕事中以外の魔法の使用は禁止なの……。」
「それに私達の場合、出力が大きすぎて、デバイスなしだとそんな小技でもいろいろ悪影響が出るんだって……。」
優喜の提案に、しょんぼりの度合いが微妙にから割とに格上げされる。因みに、海水浴の時は、日焼けが本格的にまずいと言う理由から、限定的な許可が下りただけだ。今回は肌の露出部分が基本的に少ないので、普通の日焼け止めで対処しろ、と言われて終わりになるだろう。一般の局員もこの暑さで頑張っているのに、なのは達だけそうそう特別扱いされるわけがないのだ。
「そこは、制御訓練が甘いとしか言えないよ。」
優喜の追撃に、かなりしょんぼりする二人。ぶっちゃけ、優喜の言い分はかなり無茶だ。普通の範囲にくくれる魔導師なら、たとえ一流の人物でも、二人の出力を振り回されずに使いこなす事は出来ない。言ってしまえば、小型の魔力炉をデバイスと自分の制御能力だけで使いこなそうとするようなものである。大魔力と高速詠唱・並列処理が食い合うのも、結局はそういう部分が噛んでくる。
なのはとフェイトが驚異的なのは、小型の魔力炉と同レベルの容量・出力を誇りながら、一般的な魔導師を超える詠唱速度と並列処理を実現している事である。これはひとえに、高出力と言う要素が後天的な訓練で得られた資質であるが故の奇跡だ。最初からSランク以上の容量と出力を持っていたはやてが、そこらへんの運用が苦手である事がその証拠である。もっとも、はやては今や、個人で中型魔力炉クラスの出力を叩きだしているのだが。
そもそも、出力が大きすぎて、などと言っても、余計な影響が出るような甘い制御はしていない。単純に、このレベルになると、完璧に近い制御で魔法を使っても、魔力素の吸収量の影響で、Fランクぐらいの魔導師では魔法が発動しなくなることがある、と言うだけの話だ。
「そろそろ発勁も普通に使えるようになってるし、明日ぐらいから気功の制御周りをもうちょっと重点的にやる?」
「そうだね。最近、我ながら行動が荒っぽい気がしてたの。」
「力押しばかりって言うのも、なんとなく頭が悪そうで嫌だしね。」
そんな事を言いながら、あまり駄弁っていると遅くなるため、さっさと着替えに上がる二人。この時、二人は明日の訓練が中止になるとは考えてもいなかった。
「ミッドチルダも暑い……。」
「暑いね……。」
この日は、ミッドチルダも朝から三十度を超す猛暑日だった。言うまでもなく、数年に一度あるかないかの気候である。
「上着脱ごうかな……。」
「フェイトちゃん、下着のライン、見えちゃうよ……。」
すでに服の中は汗でぐっしょりだ。多分、上着を脱げば、かなり危険な状態になっているだろう。まあ、なのははもとよりフェイトでも、まだ一般人が目の保養と言うには体つきが幼いが。
「どうして私たちは半袖駄目なんだろう……。」
なのはの愚痴に、声に出さずに同意するフェイト。はっきり言って、殺人的な暑さだ。せめてジャケットの下を半袖にさせてくれればいいのに、と、珍しく不満たらたらである。
「飲み物、買って行こうか?」
「そうだね。この暑さだと、ちゃんと水分取ってないと危ない。」
この日は現地集合だし、まだ最初の仕事まで時間がある。本日メインであるコンサートの会場には、ちゃんとスタッフ用の飲み物が用意してあるが、最初の仕事はその手の物は一切ない。因みに、珍しく芸能活動ではなく、管理局としての広報活動だ。
「えっと、ここで飲んでいく分と、向こうに持っていく分、かな?」
「だね。そこまで意識しなくてもいいとは思うけど、今日は外での行動が多いから、気をつけないと。」
「昨日の予報では、こんなに暑くならないはずだったのに……。」
ぼやきながらも、一リットル入りと三百ミリ程度のスポーツドリンクを一つづつ手に取るなのは。同じものを手に取り、先に清算を済ませるフェイト。次元世界一有名な管理局員が目の前に現れて、思わずまじまじと見つめる店員。
「今日は暑いですね。」
その視線に気がつき、やや力ない笑顔を向けて話しかけるなのは。
「そうですね。こんな暑い日は何年ぶりですかね?」
「やっぱり、ミッドチルダでは珍しいんですか?」
「ええ。クラナガンは、あんまり極端な気温になる事はありませんし。」
手早く清算しながら、愛想良く雑談に応じる青年の男性店員。この後休憩時間に、二人の容姿と、暑さには弱いらしいという話題で、他の店員達と盛り上がり、話しかけられた店員がヒーローとなるのだが、なのは達には関係ない話である。
「今日はもっと暑くなりそうですし、体に気をつけて、お仕事がんばってください。応援してます。」
「ありがとうございます。お兄さんも、お仕事がんばってくださいね。」
「応援、ありがとう。」
ファンの応援で少し元気が出たなのはとフェイトは、できるだけ颯爽として見えるように店を出て行く。イートインスペースが店内にないため、店の前のごみ箱の傍の目立たない場所に移動、小さいほうのスポーツドリンクをあけ、口をつける。
「あれ? あかない。」
「大丈夫?」
「うん。ちょっとかたいだけ。」
なのはがボトルの蓋にてこずっている間に、フェイトは自分の分をあっという間に飲み干してしまう。どうやら、自分で思っているよりずっと、のどが渇いていたらしい。フェイトが飲み終わったぐらいに、なのはがようやく自分の分の蓋をあけ……
「? なのは?」
「あぶない!!」
唐突になのはが飛び出す。視線の先には、幼稚園に通っているぐらいの年のころの子供が二人。まだ赤信号だというのに車道に飛び出している。そこに、制限速度ぎりぎりのスピードで車が走ってきた。
クラクションを鳴らしながら、ブレーキ音を響かせて突っ込んでくる車。ぶつかる直前に二人の男の子を抱え、全力で反対側の歩道に飛び込むなのは。後ろで派手な音を立てて車が何かを踏みつぶすが、気にかけている余裕はない。抱え込んだ二人の安否を確認し、歩道に着地して安堵のため息を漏らす。
「なのは! 大丈夫!?」
「うん。平気。この子たちも怪我はないみたい。」
信号が変わるのを待って、フェイトが駆け寄ってくる。
「も、申し訳ありません!!」
すぐそこに車を止めた運転手が、大いに恐縮して頭を下げる。交通量が多く、ゆるくカーブしているために案外見通しが悪い道。たまたま車の往来が途絶えたタイミングで、子供達がふざけているうちに車道に飛び出し、そこに車が普通に突っ込んで行ってしまったらしい。ドライバーも、対面で六車線あるうちのいちばん中央を走っていたので、子供をはねそうになるとは予想もしていなかったのだろう。
主要幹線道路で交通量の多い道路だが、信号などの絡みで、時間帯に関係なく完全に車の往来が途絶えるタイミングが結構ある。そういうタイミングで事故が多いため、辺りには注意を喚起する看板や標識が乱立している。
「怪我とかはありませんか!?」
「大丈夫ですよ。誰も怪我とかしてませんから。」
「そうですか……。何かを踏みつぶしたような感触があったので、気が気でなかったのですが……。」
「踏みつぶしたのって、あれじゃないかな?」
フェイトが指さした先には、車に轢かれて無残に中身をぶちまけたスポーツドリンクのボトルが。子供達を抱え込んだ際に、手に持っていた袋を落としたらしい。
「あ~! そういえば、あわてて飛び出したから、袋持ったままだった!」
「弁償します!」
「いえ、気にしないでください。それより、車に傷とか、入ってませんか?」
「それこそ、気にしないでください。人をはねる事を思えば……。」
などとなのはとドライバーが押し問答をしている間に、無残な事になっているスポーツドリンクを回収し、野次馬に出てきていた先ほどのコンビニの店員に、頭を下げて処分してもらうフェイト。ついでに、駄目になってしまったなのはの飲み物を買いなおそうかと思って店内の時計を見ると……。
「なのは! そろそろ急がないと!」
「え? あ、本当だ!!」
かなり際どい時間になっている。ここからは歩いて十分程度。二人の足なら、走れば十分間に合う。
「送って行きましょうか?」
「いえ、ここからなら多分、自分の足で走った方が早いですし。」
「そうですか。」
現在立っている駅近くからだと、車で行く場合はぐるりと回らなければいけない。そのため、本局ターミナルからならともかく、ここまで来てしまうと車ではかえって遠回りになるのだ。
「それでは、急ぎますので。」
「この後も、気をつけて運転してください。」
「君達も、飛び出しちゃダメだよ?」
子供達に目線を合わせて諭すように言うと、そのまま駆け出す。その健脚に驚く人たちをよそに、汗だくになりながら集合時間ぎりぎりに到着する二人であった。
「疲れた……。」
「大丈夫?」
「ありがとう……。」
最初の仕事を終え、木陰のベンチでぐったりしているなのはに、自分のスポーツドリンクをコップについで差し出しながら、心配そうに聞くフェイト。直接ボトルを渡してもよかったのだが、そうするとなのはは性格上、本当に口をつけるだけで終わらせてしまう。因みに、コップはバルディッシュの格納スペースに常備してあるものだ。一度恭也たちにサバイバル訓練につれていかれてから、とりあえずコップとシャベル、ナイフにライターは常に持ち歩いている。食料と水は、管理の問題であえて持ち歩いていないが。
「本当に、今日は暑いよね……。」
「うん。この暑さだったら、一番大きいボトルでもよかったかも。」
コップにもう一杯ついでなのはに渡し、残量を見て小さくため息をつく。誰が悪い訳でもないが、朝になのはがちゃんと補充できなかったのが、結構響いている。フェイトが見たところ、なのははもう少し水分を取る必要がありそうだが、そうすると今度は自分の分がなくなる。今日はまだまだ野外での仕事が多い以上、そうなれば下手をすると共倒れだ。フェイト自身はそれでもいいが、なのはが気に病むのが目に見えている。
「あれ?」
申し訳なさそうにコップを受け取ったなのはが、妙な違和感を感じて周りを見渡す。フェイトも同様におかしさに気がつき、ボトルを格納して、周りの人間に分からないように、いつでもセットアップできるように身構える。
結論から言えば、この時なのはは、さっさと飲み物を飲んでしまうべきだったのだ。そうすれば、後々の影響がもう少しましだったはずである。
「わわ!」
「なに!?」
大きな地響きとともに、大量の砂煙が二人の元まで飛んでくる。あまりに急な出来事に、なのはもフェイトも目をつぶるのが精一杯で、コップをかばう余裕が無かった。
「な、なに今の!?」
「分からないけど、大きめの魔力反応があったよ!」
バルディッシュをセットアップし、辺りの様子をうかがいながらそう答える。その時、なのはの素っ頓狂な声が。
「ああ!!」
「どうしたの、なのは!?」
「飲み物が……。」
コップの中を見ると、たっぷり砂利が飛び込んだ、無残で哀れな姿になったスポーツドリンクのなれの果てが……。
「濾過! 濾過しないと!!」
何をトチ狂ったのか、上着を脱ぎながらそんな事をほざくなのは。
「なのは! 私の分をあげるから、こんなところで脱がないで!!」
一気に緊張感が緩むのを感じながら、そう言ってどうにかなのはをなだめるフェイト。普段こういう引きの悪さはフェイトの仕事なのだが、今日はなのはが厄日らしい。フェイトのそれと違って、命にかかわる方向が地味なあたりが、余計に不運である。
「とりあえず何があったのか、ちょっと確認するね。」
「……うん。」
ヘドロになってしまったスポーツドリンクを捨て、ティッシュペーパーでコップの汚れを落としながら、フェイトにそこら辺を全て丸投げするなのは。物理的にも比喩的にも、背中が実にすすけている。
「……えっとね、この間捕まえた魔法生物がいたでしょ?」
「うん。」
「あれが暑さで暴走して、合体して暴れたんだって。」
「……そういえば、あの研究所のビルって、ここから見えてたね。もう制圧されたの?」
「制圧って言うか、檻と壁を壊して外に出た時点で、暑さの許容量を超えて休眠状態に入った、って言ってたよ。」
どうやら、先ほどの地響きは壁を壊した時か、休眠状態に入った時のものらしい。何とも人騒がせな話である。
「……とりあえず、次の仕事、いこっか。」
「……うん。」
覆水盆に返らず。いつまでも飲めなかった水を嘆いていても仕方がない。
「なのは、残りあげる。」
「いいよ、フェイトちゃん飲んで。」
なんやかんやで仲睦まじく、次の仕事に向かう二人であった。
「なのは、もうちょっと飲む?」
「まだ喉は乾いてるけど、今飲めそうにないから、後にするよ。」
ようやく補充できた飲み物を片手に、なのはの様子をうかがいながら言葉で確認する。もう一つの啓発イベントを終え、少しフリーの時間が出来たので、そろそろ危険領域に入っていそうななのはに、水を飲ませていたのだ。
「本当に大丈夫?」
「うん、平気。あんまり食欲はないけどね。」
珍しく、素直に調子が悪い事を漏らすなのは。いまいち顔色もよろしくない。本当はもう少し強引に飲ませるべきかもしれないが、脱水症状が出始めているからと言ってあまり一度に無理して水を飲むと、飲んだはしから戻すこともある。時間をかけて無理のない量を飲むしかない。
「えっと、次は何だっけ?」
「ご飯食べながら、リハーサル前のミーティング。連絡入れて、薄味のお粥みたいなものを用意してもらうよ。」
「そこまでしてくれなくても、大丈夫だよ?」
「なのは、調子悪い時にはちゃんと調子悪いって言わないと。今日は不可抗力みたいなものだし、誰も文句は言わないよ。」
フェイトの言葉通り、今日はクラナガンでは異例の暑さで、スタッフにもダウンした者が何人か出ている。日本と違ってミッドチルダは、こういうときは精神論を振りかざさない。
「だけど、私が調子悪いって言ったら、下手をしたらコンサートが中止になっちゃうよ。体調管理も仕事のうちなの。」
「……。」
こうなると、なのはは梃子でも動かない。なまじ魔力量が大きくて体力も抵抗力もあるものだから、無理やり休ませるにしても、バールのようなもので物理的に殴り飛ばして気絶させるぐらいしか手段がない。
「とりあえず、会場に行こう。」
「うん。」
なのはの言葉に頷き、タクシーを呼ぶフェイト。普段なら電車と徒歩で移動するが、今日は特別だ。それこそ、そんな余計なことで体力を使って、本格的にダウンしたら目も当てられない。
「フェイトちゃん、歩いていけるよ?」
「いいから、今日は少しでも体力を温存するの。なのは、傍で見てたらすごく危なっかしいよ。」
実際のところ、フェイトも当人が思ってるほどの余裕はないのだが、それでも要所要所で、なのはよりしっかり水分補給できているのが効いている。
「中央公園までお願いします。」
「はい。」
今日のコンサートは、クラナガン中央公園の野外イベント用ステージだ。なのは達のイベントは、観客動員や飛行魔法を駆使したファンサービスと、いざという時の出動のために、野外のステージを使う事が多い。因みに、ミッドチルダでは、雨が降っても必要な範囲を結界でガードするため、彼女達のイベントに限らず、野外でのコンサートは、雨天中止はほぼ起こらない。
「今日はコンサートですか?」
「ええ。これからその打ち合わせと本番前リハーサルなんです。」
やはり、タクシードライバーも、自分達の事を知っているらしい。芸歴はまだ一年半に満たないというのに、自分達の名前の広がり方が怖くなってくる。
「そうそう。私、お二人に会ったら、お礼を言おうと思っていたんですよ。」
「お礼?」
「はい。半年ほど前、天候魔法でのテロがありましたよね?」
「ええ。」
よく覚えている。日付が変わるまで、この場にいないはやても含めて、三人で必死になってたくさんの人を助けた。チョコをバレンタインデーに渡せないという犠牲を払ったが、その甲斐あってか死者は一人も出なかった。
「あそこには、私の妹一家が住んでいまして。訳の分らぬまま土石流に飲まれて生き埋めになって、もうだめかと思ったところをお二人にに助けられた、と言っておりまして。」
初老のタクシードライバーが、深い思いやりを感じる口調で告げる。どうやら、兄妹の仲は悪くないらしい。
「ニュースで第一報を受けた時は、気が気でなかったのですが、翌朝にすぐに連絡が入りましてね。」
「……私たちは、やりたい事、出来る事をしただけです。」
「私もフェイトちゃんも、あの時は単に、わがままを通しただけですよ?」
「ですが、そのわがままで救われた人がたくさんいます。お二人のわがままは、胸を張っていいわがままだと思います。」
タクシードライバーに励まされ、少しばかり力が湧いてくる感覚を覚える。あの日の自分達は、耳に届く助けを呼ぶ声を無視できず、足手まといになるかもと頭の片隅で思いながらも、衝動に任せて救助活動を強行した。幸いにして、高位魔導師の馬力と聴頸の発展による感知能力は、足手まといどころか無くてはならないレベルで大活躍できたが、何度も引き上げ指示を拒否して救助活動をつづけた事は、内外から批判が無かった訳ではない。また、熱烈な人気を誇るだけに、こういった活動を人気取りだのいい子ぶってるだのと叩くアンチも少なくない。
誰に何を言われたところで、目先に自分の出来る事があるのに、何もしないという選択肢を取る事はない。だが、それでも批判的な意見を大量にぶつけられると、どうしても心が揺らいでしまうのも事実だ。二人とも、所詮今年十一歳になる小娘だ。日々の行動に、そこまで確固とした覚悟も信念も、ありはしない。結果として世間から大きな支持を勝ち得ているが、胸を張れるほどには心が定まっていないのだ。
「……ありがとうございます。」
「無理にわがままを通して、いろんな人に叱られた後だったので、そう言っていただいて、救われた気分です。」
「お二人が元気に歌う姿も、災害や犯罪に立ち向かう姿も、大勢の人を元気づけています。これからも、素直な気持ちで、するべきだと思った事を貫いてください。」
「「はい!!」」
思わぬところにいたファンに思わぬ形で励まされ、先ほどまでの疲労がどこかに吹き飛んでしまう。
「つきました。お代は結構です。」
「え? でも……。」
「妹一家の命の代金には、安すぎるぐらいですよ。」
そういって笑ってみせるドライバーに戸惑う二人だが、どうにも相手も引く様子がない。結局あきらめて折れ、タクシーを降りて一つ頭を下げる。
「それでは、お体に気をつけて。」
「はい!」
「どうもありがとうございます!」
こうして、元気を補充して、次の仕事に向かうなのはとフェイト。彼女たちは気が付いていなかった。肉体的には、何一つ問題が解決していなかったことを。
「なのはちゃん、ちょっといいかな?」
「はい?」
通しのリハーサルが終わり、オネエ口調のプロデューサーに呼ばれて、未開封のドリンク片手に話を聞きに行く。ちなみに、今は二人ともジャージ姿だ。最初からこのリハーサルのためにジャージは用意してあったものだ。とはいえ、ここまでの仕事で制服やそれまでつけていた下着が悲惨なことになっているため、家にある替えを、ブレイブソウル経由で優喜に持ってきてもらう手はずになっている。
「まず、全体的に立ち位置が後ろすぎるから、三歩前に出て。」
「はい。」
「それから、ここの部分、ちょっと演出変えたいけど、大丈夫?」
「いけます。」
なのはは、フェイトに比べてリハーサルや収録での駄目出し・変更が多い。元々本番に強いタイプなのに加え、フェイトに比べると運動神経が追い付いていない部分を、その場の勢いや妙なアドリブで何とかすることが多いからだ。これが生放送やコンサートの本番になると、少なくとも歌の振りつけは間違えないのだから不思議なものである。
「こういう感じに変えるから、ちょっと確認。やってみて。」
「はーい。」
「……そうそう。そんな感じ。本番でもいけそう?」
「大丈夫です。」
「そんなに心配はしてないけど、間違えないでね?」
「気をつけます。」
プロデューサーに力強い返事を返すと、二度三度、変更部分をなぞって確認する。開場まであと一時間半と言ったところ。二度目の通しは、時間的に微妙なラインだ。まあ、なのはの事だし、本番で致命的なミスをすることはあるまい、と、そこは全幅の信頼を置くフェイト。
むしろフェイトとしてはどちらかと言うと、いまいち顔色がよくない事の方が心配だ。タクシーで見知らぬ運転手に励まされて気合が入ったのはいいが、精神力で物理的な限界を超えると、その場はいいが後が危険だ。結局、昼も見た目の元気さとは裏腹に、用意されたものをほとんど食べていなかった。空元気ではなく、普通に精神が高揚しているのだから、フェイトとしては気が気でない。
「なのは。すずしい場所で少し横になってて。」
「大丈夫だよ、フェイトちゃん。」
ボトルの口をあけながら、フェイトの申し出をやんわり拒否するなのは。別に強がっているわけではない。単に、今横になると、ライブ本番の時に体が動かない確信があるのだ。
「なのは、本当に顔色悪いよ。」
「うん。……だけど、今からしんどいとか言えないよね?」
「……それはそうだけど……。」
フェイトが気になっているのは、顔色だけではない。この暑い中、自分に比べてなのはの汗のかき方が少ないのだ。そういう体質だから、ではない。朝の時点では、二人とも大差ない感じで汗をかいていた。幸い、暑さの盛りは過ぎ、幾分気温が下がっているのが救いだろう。
「とりあえず、それ飲んだらシャワー浴びてこよう、ね?」
「うん。」
ゆっくり飲みながら、フェイトに頷き返すなのは。どうにも、調子の悪さが胃にも来ているようで、体は水分を欲しているというのに、胃がすぐには受け付けてくれない。少しずつちびちびと、ボトルの三分の一ほど飲み終えたあたりで、出動要請の通信が入る。
『なのはちゃん、フェイトちゃん! 出動いける!?』
「もちろん!」
「いつでもどうぞ!」
『昼間に合体して暴走した魔法生物が、また暴走を始めたの! 中央公園に向かって走ってるから、そこからだったらすぐに見えるわ! 飛行許可は下りてるから!』
先輩の言葉を聞いて、即座にデバイスをセットアップし、一気にユニゾンまで済ませる。相手が魔法生物である以上、いちいち現地でユニゾンしている余裕はない。先にセットアップやユニゾンを済ませて出動すると、結構あっちこっちから不満が出るのだが、一般市民の安全を考えればそんな配慮はしてられない。
「出動要請ですので、ちょっと行ってきます!」
「開場までにはけりをつけますから!」
「了解!」
「がんばって!」
スタッフの応援を受け、全速力で飛びだしていく。上空に上がると、情報の通り、すぐに合体して巨大化した魔法生物が視界に収まる。
「うわあ……。」
「これは……。」
十五メートルほどのサイズの、名状しがたい形状のコミカルな生き物。片手で持てるサイズの時は愛嬌があって可愛らしかったのだが、このサイズだと、愛嬌がむしろ不気味に見えるのだから不思議なものだ。
ちなみに、この生き物には攻撃性は一切ない。今回だって、単に暑さにやられてハイになっているだけだ。サイズが十メートルを超えたら、単に普通に走ったり踊ったりするだけでも、周りにとっては大惨事である。しかも、でかくなっても、その敏捷性は一切損なわれていない。
「これはさすがに……。」
「多分、バインドじゃどうにもできないと思う。」
「気が進まないけど、ちょっとワンショット入れて様子を見てみるよ。」
「うん。」
フェイトに一声かけ、普通の魔力弾をぱすっと一発ぶつける。多分、反射的な行動なのだろう。魔法生物が、手に持ったアイロンのようなもので、魔力弾をガードする。
「……効いてない?」
「でもないよ。」
なのはに答えて、フェイトがある一点を指差す。フェイトが指差した先では、当たった場所から一匹、標準サイズの魔法生物が剥がれ落ちていた。
「要するに、魔力ダメージを与えれば融合が解ける、ってことかな?」
「だと思う。」
などといっている目の前で、広い地面を見つけた魔法生物が、恐ろしい音を立てて地面にアイロンのような物を振り下ろす。その衝撃波が周囲を派手に揺るがした。
「な、何!?」
「落ち着いて、なのは! あの生き物の習性だと……。」
フェイトの言葉通り、数秒地面にアイロンを押し当てた後、顔と呼ぶべきか体と呼ぶべきか呼び方に困る部位をそこに押し付ける。アイロンを上げた瞬間、周囲にむわっとした空気が流れる。この一帯だけ、確実に気温が三度は上がっただろう。よく見ると、通りに面したビルのそこかしこに、アイロンの跡がついている。
「あたたかい。」
「ほら、ね?」
そう。この珍妙な魔法生物、どこにでもアイロンを押し当てて暖を取るという、なんとも言いがたい習性を持っているのだ。むしろ、基本的にそれしかしない、といったほうが正しい。
「あれじゃあ、暖かいじゃなくて、熱い、だと思うんだけど……。」
「魔法生物にそれを言っても……。」
とりあえず、やることは一つ。
「フェイトちゃん! とりあえず非殺傷で全力攻撃!」
「了解!」
正直、とっとと蹴りをつけないと、そうでなくても暑いのに、バリアジャケットを着ていても耐え切れないような温度になりかねない。
「行くよ! ディバインバスター!!」
「フォトンランサー・ファランクスシフト!!」
フェイトにとめられて、カートリッジロードせずにバスターを乱射する。フェイトは魔力ダメージの効率から、着弾数の多いファランクスシフトを選択。ユニゾンによる高速処理と反動キャンセルは伊達ではなく、本来三秒程度必要なチャージやクールタイムが、ほとんどないも同然まで短縮される。
「終わったかな?」
「フェイトちゃん、それアニメとかだと失敗してるときの台詞だから。」
衝撃による砂煙を睨みつけながらのフェイトの言葉に、なのはが割りとメタなことを口走る。幸いにして、過剰なまでに魔力ダメージを叩き込まれた対象たちは、完全に気絶して分離し、かなり大きな山を作り上げていた。
「状況終了。」
「後は護送、か……。」
数が数だけに護送に結構時間がかかってしまい、結局戻るのは開場時間ぎりぎりになってしまうのであった。
「今日はありがとう!」
「気をつけて帰ってね!」
アンコールも終え、会場を立ち去るファンに手を振って見送る二人。会場に残っているのが身内だけになったのを確認し、控室に引き上げる。因みにクラナガン中央公園の野外ステージは常設の物で、ロッカールームや控室も、ちゃんとした設備の物がある。
「やっと終わったね。」
「うん……。」
夜になって、ようやく暑さが落ち着いてきたクラナガン。控室に戻って冷たいスポーツドリンクに口をつけ、一息つくフェイト。なのはがドリンクを取ろうとしない事に気がつき、代わりにテーブルのそれを手にとって渡そうとすると……。
「なのは?」
「……。」
「なのは! なのは!」
受け取ろうとする動作の途中で、なのはがフェイトの方に倒れ込んできた。完全に意識を失っている。
「だれか! なのはが、なのはが!!」
「フェイト! どうしたの!?」
フェイトの声を聞きつけ、優喜が控室に飛び込んでくる。
「なのはが倒れた!」
フェイトの台詞に返事を返さず、抱きかかえられているなのはに手を触れていろいろ確認する。
「……多分熱中症だ。……まずいな。体が熱いのに、汗をかいてない。」
そういうと、フェイトからなのはの体を預かり、部屋の中でも一番空気の流れがいい場所に横たえる。そのまま、迷いのない動作で上着を脱がせネクタイをはずし、服を緩めていく。
「フェイト、シャマルかユーノか救急車呼んで、バケツか何かに水汲んできて。応急処置は僕がやっとく。」
「わ、わかった。おねがい。」
いきなりなのはの服を脱がせ始めた優喜に動きが固まっていたのも束の間、指示を受けてバルディッシュを取り出し、ユーノとシャマル、それに救急車を呼び出す。連絡が終わると、すぐに部屋を飛び出していく。その間にざっと気の流れを整え終えた優喜は、備え付けの冷蔵庫に入っていた飲み物やら保冷材やらを取り出し、様子を観察しながらなのはの体に当てて、熱を冷ます。フェイトが出て行ってから、それほど間をおかずにユーノとシャマルが入ってくる。
「優喜、なのはは!?」
「優喜君、なのはちゃんの容体は!?」
「今応急処置の最中。気の流れからいうと、命の危険はないと思う。ただ、倒れた時の状態が悪いから、後遺症に関しては何とも言えない。」
優喜の言葉を聞いて、早速診断を始めるシャマルと、彼女を邪魔しないように応急処置を手伝うユーノ。そこに、水を汲んできたフェイトが、心細げな表情で入ってくる。
「……とりあえず、処置が早かったから後遺症は大丈夫ね。峠は越えたとみていいわ。」
シャマルの診断に、少しほっとした顔になるフェイト。
「フェイトちゃん、正確な状態を確認したいから、質問に答えてくれるかしら?」
「うん。何でも聞いて。」
「午前中、どれぐらい水を飲んでた?」
「えっと、こっち来てすぐはトラブルで飲めなくて、朝一番の仕事が終わってからはコップ一杯だから百五十ぐらい。もう一杯飲ませるつもりだったけど、これもトラブルで飲めなくなって。で、そのあとの仕事が終わってから、ここに移動する前にもう一度、コップ一杯分ぐらいかな? 飲もうとしても胃が受け付けなくなったみたいで、それ以上はその場では飲めなかったんだ。」
「……その時点で、すでに症状は出てたわけね。出来れば、医者に連絡を取るべきだったけど、さすがに言いだしづらいか。」
シャマルの言葉に、一つ頷くフェイト。自分がなのはの立場でも、体が動かせるレベルの体調不良では、医者に連絡をとったりするのはためらわれる。しかも、二人の仕事は、代えが効かない物ばかりだ。
「お昼ごはんは、どのぐらい食べた?」
「ほとんど食べてない。箸をつけただけだった。正直、あまり顔色がよくないから、涼しいところでちょっと横になった方がいい、とは何度も言ったんだけど……。」
「聞き入れるとは思ってなかったんでしょ?」
「……うん。」
顔を曇らせながらのフェイトの返事に、やっぱりと言う感じでため息をつくシャマルとユーノ。そのあとの出来事を子細に確認を取り、診断結果と照らし合わせて結論を出す。
「結構体がやられてるから、一週間ぐらいは休んだ方がいいわね。」
「となると、入院させた方がいいか。家にいると大人しくしてるのは難しいし、海鳴は今週いっぱいぐらいは、今日のクラナガンと大差ない気温みたいだし。」
「私も、その方がいいと思う。なのは、なまじ体力があるから、うちで休んでると料理とかしそうだし。」
「体力があるからこの程度で済んだ、って言う側面はあるとはいえ、厄介な話だよね。」
暗に鍛えすぎだと優喜を批判するユーノに、苦笑を返すしかない優喜。体調管理に関しては、体力を鍛える以上に慎重に教え込んだはずなのだが、まだまだそこら辺は甘かったらしい。
「救急車が来たみたい。僕たちは別ルートで行くから、優喜とフェイトはついて行ってあげて。」
「士郎さん達には、私の方から連絡しておくわ。お金は……、まあ心配はないかな。労災も下りるし、二人ともこっちのお金、ほとんど使ってないんでしょ?」
「うん。交通費とお昼御飯代、あとは軽い買い食いぐらいにしか使ってない。」
ならば十分だろう。何しろ、二人ともその年ですでに下士官相当の待遇だし、歩合制の各種手当類をしこたま稼いでいるし。
「それじゃあ、またあとで。」
「いろいろありがとう。忙しいのにごめんね。」
こうして、なのはに取っては生まれて初めてと言えるほど運の悪い一日は、どうにか大事に至らずに終えることができたのであった。
「……あれ?」
「起きた?」
「……優喜君?」
「うん。大丈夫?」
置きぬけの、定まらない頭で状況を把握しようと考える。どうやら、なのはが混乱していることを察したらしい。優喜がほしかった説明をくれる。
「コンサートが終わったあと、控室で倒れて病院に担ぎ込まれたんだ。原因は熱中症。後遺症は心配ないけど、体力が極端に落ちてるから、大事を取って一週間入院。」
「……一週間も?」
「熱中症とかを甘く見ちゃいけない。幸い程度は比較的軽かったけど、少し処置が遅れてたら、命にかかわるところだったんだから。」
優喜のたしなめるような言葉に、反論できずに押し黙る。倒れた、と言う割には体が軽いが、多分優喜が軟気功で体調を整えてくれただけだろう。彼が張り付いているところからすると、少し無理をすれば、すぐにぶり返す状態に違いない。
「……そっか。控室に戻って、気が抜けちゃったからかな。」
「気力で限界を超えるのって、本当はあんまりいいことじゃないからね。その時はいいけど、絶対に後で揺り戻しが来るから。」
「どうしても頑張らなきゃいけない時って、あると思うんだ。」
「うん。後でどれだけひどい目にあっても、その場を無理やり凌がなきゃいけない事なんてしょっちゅうだ。だけど、だからこそ、気力で限界を超えるのが普通、って状態になっちゃ駄目。」
「……反省します。」
「とりあえず、調子悪いなら調子悪いって、ちゃんと周りに言わないと駄目。イベントの中止は無理にしても、周りの人だって、調子悪いの知ってれば、対処のやりようはあるんだから。」
優喜の言葉にしゅんとするなのは。その様子を見て、釘をさすのはこの程度でいいか、と判断する。
「とりあえず、今日は不可抗力みたいなものだから、これ以上は言わないよ。次からは気をつけてね。」
「うん。」
素直な返事を聞いて、必要のない無理はしないだろうと確信する。とりあえず、また微妙に乱れ始めた気の流れを軟気功で整えながら、聞いておくべき事を聞く。
「今、食べられそう?」
「……ん~、お腹はすいてるけど、あまりたくさんは食べられない気分?」
「じゃあ、リンゴがあるから、もうちょっとしたらむいてあげる。すりおろした方がいい?」
「うん、お願い。」
軟気功の気持ちよさにうっとりしながら、優喜の心配りに甘える事にする。五分程度軟気功をつづけた後、やや小ぶりなリンゴを半分、皮と芯を取ってすりおろす。軟気功のぬくもりが途絶えた事をなんとなく残念に思いながら、優喜のその一連の作業を眺めるなのは。
「さ、体起こそうか。」
「あの、多分、自分で起こせると……。」
慌てて体を起こそうとして、ほとんど体が言う事を聞いてくれないという事態に直面する。
「今日一日は、多分体まともに動かないと思うから。」
「え?」
「言ったでしょ? 気力で限界を超えると、碌な事にならないって。」
どうやら、スポットライトを浴びてのコンサートが、熱中症の体にかなりのダメージを与えていたようだ。辛うじて口は普通に動くが、それ以外となると腕を持ち上げるだけでも一苦労だ。これは熱中症の症状というより、その状況で無意識に軟気功まで使って無理をしたツケのようなものらしい。
「まあ、そういうわけだから、少なくとも今日一日は、大人しく僕に介護されてて。」
「うっ……。ご迷惑をおかけします……。」
「身内ってのは、迷惑をかけるために居るんだよ。調子悪い時ぐらいは甘えないと、ね。」
そう言って、なのはの体を優しく起こし、そのまま、腕をあげるのもつらそうな彼女の口元に、スプーンを運ぶ。
「はい、口あけて。」
嬉し恥ずかしのあーんしてイベント。その恥ずかしさに頬を染めながらも、おずおずと口をあけるなのは。その口に、照れも恥じらいもなく、だが事務的と評するには思いやりにあふれたやり方で、すりおろしリンゴが運ばれる。
「もう少し食べられそう?」
「今はもういいかな。」
「分かった。」
その返事に一つ頷くと、なのはの体を再び優しく横たえる。
「もう少し眠った方がいい。次に起きたら、もう少し体が楽になってると思うから。」
「はーい。」
優喜の言葉に素直に返事を返し、そのまま目を閉じる。額に置かれた優喜の手、その感触に誘われるように、すっと眠りに落ちるなのは。その様子を見て、小さくため息をつく優喜。
「この子の旦那さんは、大変だろうな……。」
根が善良すぎる上に、どうにも甘えるのがへたくそで、何でもかんでも背負いすぎるきらいがある。その上、大層な努力家で、全次元世界にたくさんのファンを抱えるアイドルと来ている。保護者目線で見ると、どうにも嫁の貰い手がいるのか、不安でしょうがない。
そんな、本人が聞けば怒りのあまり泣き出しそうな事を考えながら、この頑張りすぎる寂しがり屋が寂しくないように、そっと手を握ってやる優喜であった。
「それじゃ、また明日も、面会時間の間はここにいるから。」
「うん。ありがとう。」
面会時間が終わり、優喜が帰っていく。その後姿を見送った後、誰もいなくなった病室でため息をつく。結局、今日一日かかっても、体を起こすところまでしか回復しなかった。その不甲斐ない体と、急激に寂しくなった病室との両方が、なのはの心をじわじわ苛む。
「……病院って、静かなんだな……。」
寂しさのあまり、ポツリと独り言をもらす。そして思いついたように、机の上に置かれたレイジングハートに声をかける。
「ねえ、レイジングハート。」
『どうなさいましたか?』
「あのね、私が倒れたときの状況って、記録残ってる?」
『はい。ご覧になりますか?』
「お願い。」
主の要請に従い、音量を絞って記録を再生する。フェイトに倒れ掛かるところからスタートし、優喜がなのはの服を脱がし始めるところまで目まぐるしく状況が変わる。
「うわ……、なんか、ものすごく無造作に脱がされてるよ、私……。」
『熱中症に対する正しい対処法です。』
「そ、そうなの?」
『はい。熱中症のときは、とにかく体をさます事が重要です。』
「そうなんだ……。冷蔵庫の中からペットボトル取り出したりとかも、そういう理由?」
『そうですね。』
などと、レイジングハートに解説されて、一応表面上は納得するなのは。だが、それでもあんなにてきぱきと無造作に脱がされた事自体は、正直釈然としていない。しかも、応急処置に必死だったであろうとはいえ、あられもない姿になった自分を、まったく意識した様子もないのだ。
「優喜君もユーノ君も、緊急事態だったのは分かるけど、もう少し私女の子だってことを意識して欲しいなあ……。」
「学者殿はともかく、我が友に女を意識させるには、かなり発育も色気も足りないと思うぞ。」
「え? ブレイブソウル? 何でいるの!?」
「何でとはお言葉だな。君一人では体がまともに動かないから不便だろうと、友が気を使って私を残していったというのに。」
「い、いつの間にそんな話し合いを……。」
『マスターが眠っている間です。残念ながら、私にはアウトフレームを展開する機能はありませんので。』
レイジングハートの言葉に、またも釈然としないながらも納得するしかないなのは。
「とりあえずなのはよ。友を意識させたいというのであれば、もっと女を磨かねばならんぞ?」
「い、意識させるとか、そんなこと……。」
「そんなことを言いながら、授業中とかさりげなく友の方をよく見ている気がするが、気のせいか?」
『同意します、ブレイブソウル。』
「な、何言い出すの、レイジングハート!」
二機のデバイスの息のあった発言に大慌てで否定をぶつけるが、人をからかうことにかけては兄恭也やはやてより年季の入っているブレイブソウルに対しては、さすがに分が悪すぎるなのは。
「とりあえず、病院では静かにな。」
「誰が大声ださせてるの……?」
「まあ、話を戻すとして、だ。」
「戻さなくていいよ……。」
ぐったりしたなのはにかまわず、なのはが無意識に考えないようにしていた事を突きつける作業に入るブレイブソウル。
「確認しておく。仮にの話だが、友を連れ戻しに、元の世界から見知らぬ女が来たらどうする?」
「え?」
「それもフェイトやすずかに勝るとも劣らぬ美女で、誰の目から見ても友にぞっこん、友に他の女など寄せ付ける気もない、という相手だ。」
実に生々しい話を突きつけてくるブレイブソウルに、思わず固まるなのは。
「ついでに言うと、帰ってしまえば二度と会う機会はない。」
「……。」
「どうする?」
「……優喜君が帰りたい、っていうんだったら、私達に何か言う権利はないよ。」
「権利がどう、ではない。君がどう思うのか、と言うことを聞きたいのだ。」
ブレイブソウルの言葉に、言ってはいけない言葉が口元まで上がってくる。
「ではもう一つ。」
「なに?」
「友がフェイトかすずかと出来たとしよう。二人ともなんだかんだといって、どうしても君との付き合いはおろそかになる。どう思う?」
「……私が口を挟むことじゃないんだけど……。」
「ふむ?」
「嫌だ。それは絶対嫌だ……。」
なのはの言葉に、内心でにやりと笑うブレイブソウル。正直なところ、素直ななのはだけに、そちらのほうに流れかけている感情を誘導して確定するのはそれほど難しいことではない、とは踏んでいた。だが、義理堅いその性格を考えると、確実に持っていける自信はなかったのだ。
「ならば、君が友をものにするのが一番簡単だぞ?」
「……それは、駄目だよ……。」
「どうして?」
「だって、フェイトちゃんもすずかちゃんも、優喜君に好きになってもらうために、すごくがんばってるんだよ? 私みたいにふらふらしてる子供が、単に寂しいからなんて理由でそれを邪魔するのは……。」
「それの何が悪い?」
「え?」
実に楽しそうにブレイブソウルがささやく。主にとって悪いことではないとでも思っているのか、レイジングハートは一切口を挟まない。
「寂しいから、というが、別段誰でもいい訳ではないのだろう?」
「そ、そんなの当たり前だよ。」
「それに、向こうの二人も、動機は大差ないぞ? 一方は自我の形成段階でそういう風に刷り込まれてしまっただけで、もう一方にいたっては純粋に肉体目当てだ。」
「……。」
「現状、どう転ぶか分かったものではない。あの二人が友に対する重石になるとは限らないし、いつ向こうから迎えが来るかも分からん。ならば、君があれを自分のものにする勢いでがんばるべきではないかな?」
「……優喜君は、私のことは子供だとしか思ってないよ……。」
予想通り、かなり揺れながらもなかなかしぶといなのはに、顔や声にこそ出さないが、それでこそと喜ぶブレイブソウル。やはり、この手の身持ちの固いタイプを口説き落とすのは面白い。
「だからこそ、女を磨けといっているのだ。あれは君たちがどれほど真剣に恋をしているか、まったく理解していない。男というものは皆そうだが、あれもまた、女のほうが精神的に早く成熟する、という程度の認識しかしていない。年齢が二桁に達した女というものが、どれほど本気で人を愛することがあるか、など想像もしていまい。」
「それとこれとは、別問題だよ。やっぱり、後から割り込むような真似は出来ない。」
「さて、そうやって君が我慢することを、あの二人がよしとするのかな?」
「えっ……?」
なのはが、気が付かぬうちに自分が優喜に恋愛感情を抱いていると認めてしまったことに気を良くしながらも、ひたすらなのはを口説き落とそうと頑張る。一見してただ煽っているだけにも、なのはのためを思っているようにも見えるが、本質的には己の使い手のある種の異常性、その修正のためになのはを利用しようとしているだけだったりする。
普通のデバイスのAIと比べれば、はるかに悪ふざけが激しく暴走しがちだが、彼女も根本はデバイスだ。自身の使い手を最優先で考える部分は、レイジングハートやバルディッシュなどと何一つ変わらない。そして、元人間として、長く存在したデバイスとして、優喜の異常性については、致命的な何かを感じ取っている。それを治すためなら、主の友人を利用することになろうと、その結果恨まれようと気になどしない。
「あの二人は友と結ばれることを渇望してはいるが、別段独占することを望んではいない。重石にさえなれれば、自分の順位が何番目でも、一切気にすまいさ。」
「だ、だからって……。」
「まあ、ここまで言っていやだというのであれば、私はもう何も言わないさ。」
「……。」
「幸い時間は十分ある。一晩じっくり考えるといいさ。」
言いたい事を言って、そこで黙るブレイブソウル。本当にたちの悪いデバイスだ、などと心の中で非難しながら、今の今まで考えもしなかった事を整理してみる。考えれば考えるほど、一つの結論にしか至らず、だがそれを認めてしまうと、どうにもフェイトたちの顔を正面から見ることが出来なくなりそうな気がする。
「うにゅう……。」
結局、昼間眠りすぎたこともあり、ブレイブソウルの余計な一言を、悶々としながら考え続ける羽目になったのであった。
「退院おめでとう。」
「ありがとう。ご迷惑をおかけしました。」
「それで、なのはちゃんもフェイトちゃんも、私達に頼みたいことって何?」
「はい。」
退院に立ち会ってくれたユーノとシャマルに、真剣な顔で頼みごとを告げる。
「ユーノ君、シャマルさん。」
「私達に。」
「「補助と回復を教えてください!」」
いきなりの申し出。そのあまりにあんまりな内容に、思わず顔を見合わせてしまうシャマルとユーノ。
「べ、別にそれはかまわないけど……。」
「二人の資質だと、あまり上達はしないと思うわよ?」
「それでもいいんです。」
「私もなのはも、こういうとき、あまりに出来ることが少なすぎるから……。」
そういって、ポツリポツリと思いのたけをぶつける。なのはが倒れたとき、ただおたおたしながら助けを呼ぶことしか出来なかったフェイト。立場が逆なら、同じく何も出来ないであろうなのは。せっかくの魔法というスキルも、戦闘、それも攻撃に偏りすぎている自分達が、あまりにも情けなく感じたのだ。
「二人とも、役割分担って言葉は、当然知ってるわよね?」
「分かってる。全部を一人で担当することは出来ないって。でも……。」
「同じことがあるたびに、同じ後悔はしたくないんです。それに……。」
「少しでも立派な人間になって、保護対象じゃなく、対等な女と見られるために、一つでもできることを増やしたいんだ。」
「だから……。」
「「お願いします!!」」
なのはとフェイトの真剣な言葉に、小さくため息をつくしかない。
「ねえ、なのはちゃん。」
「はい?」
「隣にいる子、ライバルになるのよ?」
「そこはすずかも交えてちゃんと話し合ってるから、大丈夫だよ。それに、今はそれ以前の話だから。」
どうやら、なのはとフェイトの間には、何がしかの協定のようなものが結ばれているらしい。優喜の一挙手一投足にどきどきし、目が逢うたびについ目を逸らし、まともに彼の顔を直視できなくなった結果、自分の気持ちを認めざるを得なくなったなのは。その事をフェイトと一生懸命話し合った結果、よもやライバルから応援されてしまう結果になり、今に至る。
「……妬けるというか、大変だというか……。」
「まあ、恋する乙女の応援をするのも、年長者の務めかしら。」
「それじゃあ?」
「出来る限りは教えてあげる。」
「でも、適正が適正だから、芽が出なくても恨まないでね。」
こうして、規格外の魔導師二人は、恋心の暴走にあわせて、更におかしな方向に進化するきっかけを得るのであった。