「んー。」
「ゆうくん、何唸ってるの?」
「やっといろいろ終わったってのに、辛気臭い顔してるわね。」
ラフに描いたデザインを見て唸っていると、アリサ達がとてとて寄ってくる。余程難しい顔をしていたのだろう。二人の表情は、好奇心三割の心配七割、というところだ。因みになのははお手洗いである。年を考えなくても自立している彼女達は、いくら仲がいいと言っても、さすがにいちいち用をたすのに一緒に行ったりはしない。
「大したことじゃ、いや、一応大したことなのかな? まあ、これで人死にが出るとか、そういう種類の問題じゃないよ。」
「で、結局何を悩んでたのよ?」
「はやてのプレゼントでちょっとね。ペンダントにしようと思って、いくつかデザインを起こしたんだけど、どうにもしっくりこなくて。」
と言って、さっきから見ていたデザイン画を、二人に見せる。華やかなデザインのものとシックなデザインのものが二つずつ、四つのデザイン画が描かれていた。
「あ~、確かにはやてにはしっくりこないわよね。」
「あ、これなんかアリサちゃんに似合いそう。」
「こっちはフェイト向けかしら。」
どうやら、優喜が感じていた違和感は、アリサ達も感じたらしい。どうにも華やかなデザインだと、いまいちペンダントそのものが浮く。シックなものだと、今度は全体に地味になりすぎて、アクセサリをつける意味が薄い。それに、アリサやすずかならまだしも、はやてがこの手のペンダントに合うような服を持っているかと言うと、それはそれで微妙だ。
「とりあえず、今回は普段着向けに、気の抜けた軽いデザインにしておいたら?」
「そうするかな。」
アリサのアドバイスを受け、葉っぱをモチーフにしたカジュアルな感じのデザイン画を適当に描いてみる。葉っぱなのは、前に渡した木彫りの狸からの連想だ。
「よくそんなにぱっとデザインが思い付くわね。」
「鍛えてますから。っと、そうだった。」
ざっとデザイン画を描き終えた優喜が、鞄から何やら取り出す。
「この間から、ずっといろいろトラブルが続いてたから、念のためにお守りを作ったんだ。出来るだけ普段から着けてて。」
と言って、二人に渡したのは、これと言って飾り気のない、鎖に近いシンプルなブレスレット。もっともシンプルだが、そこかしこに手間がかかっているのは、見る人が見れば分かる。
「お守り?」
「うん。フェイトに渡した指輪と、基本的には同じ効果。普通に殴られるぐらいなら怪我しなくなるけど、銃弾とかになると心もとないから、あまり当てにしないで。」
「……まあ、ジュエルシードの暴走体みたいなのに襲われない限りは、その程度の効果で十分すぎるんじゃない?」
「と言うか、普段着の子供が銃弾を受けて怪我しないとか、不自然すぎるにもほどがあると思う。」
などと駄弁っていると、お手洗いから戻ってきたなのはが、二人が何かもらっているのを発見し、とてとてと近寄ってくる。
「アリサちゃん、すずかちゃん、それ何?」
「お守りだって。」
「いいな~。」
「なのはには、あまりありがたみがない類のものだよ?」
「それでも羨ましいのは羨ましいの。」
本当に物欲しそうにじーっと見ているなのはに、思わず苦笑が漏れる。
「欲しいんだったら、僕の部屋の試作品の類、好きなの適当に持って行っていいから。」
「なんか、むしろそっちの方が羨ましい気がするわね。」
「同じ家に住んでる特権だよね。」
優喜の申し出にも、どうにも納得する気配を見せないなのは。単純に、二人と同じものが欲しいらしい。それなりに手の込んだ物とはいえ、一見すればただの鎖だ。正直、優喜にはなのはのこだわりがピンとこない。
「私は、皆でおそろいのアクセサリ、って言うのがいいの。」
「それは何? なのはとフェイトにはやての分も作れ、と?」
「うん!」
「……まあ、いいか。どうせ材料は忍さんがいくらでもくれるし……。」
ため息をつきながら、段取りを考える優喜。ぽつりと漏らした言葉に、すずかが食いつく。
「あれ? 材料って、お姉ちゃんが用意してたの?」
「木彫りの試作品を見せたら、先行投資とか言って、道具とかいっぱい用意してくれた。いくつか頼まれ物も作ってるよ。」
「……すずかの家に、先を越されたってわけね。」
「先って何さ。まあ、それはともかくとして。練習も兼ねて、ほとんど毎日何か作ってるから、いい加減処分を考えないと、来月ごろには置く場所が無くなりそうだ。」
「ちょっと待って、すごく聞き捨てならない事を言ったわね、今。」
置く場所が無くなる、という優喜の発言に、アリサが食いつく。優喜がアクセサリー製作を始めたのは四月の下旬ごろ。まだ六月までに何日かあるので、せいぜい一カ月ほどしかたっていない計算になる。置く場所がどうこう言っている以上、最低でも一日に一つは完成品を作っているはずだ。むしろ、そうでないと置き場所に困ることなどあり得ない。
「ゆうくん、一体いくつ作ったの?」
「数えてないから覚えてない。大体日に平均二つぐらいは作ってて、人にあげたものも結構あるから、手元には四十かそこらじゃないかな?」
「優喜君の部屋、最近すごい事になってるよね。教科書と工具以外、全部アクセサリと材料だし。」
「男の部屋とは思えない事になってる訳ね……。」
「でも、そういうのが無かったら、本当に物が全然ないから、それよりはいいかな、って思うの。」
何とも微妙な会話で盛り上がる。実際のところ、優喜の部屋が殺風景だろうが宝石箱状態だろうが、本人も含めて誰も困らないのだが、最近はあまりテレビなどにも興味を示さないメンバーなので、こういう話題しか盛り上がりを見せなかったりする。
「ねえ、明日の放課後とか、暇?」
「ん? 僕は基本的に、なのはが用事を持ち込まなきゃ暇だよ?」
「だったらさ、アンタの部屋の試作品、一度見せてもらっていい?」
「いいよ。欲しい奴があったら勝手に持って行ってくれていいし。」
「やった。じゃあ、遠慮なくもらって行くわね。」
「艦長、クロノ君、プライベートな質問、いいかしら?」
時空管理局本局へ向けて航行中の、次元航行船アースラ。その食堂で、昼食を終えたハラオウン親子とテスタロッサ親子は、食後のお茶を嗜みながら、昼休みが終わるまでのんびりくつろいでいた。ちなみに、ユーノはすでに無限書庫で調べ物だ。今日は、アルフとリニスも、ユーノのお手伝いである。
因みに言うまでもないが、テスタロッサ家の人間はアースラに勤務しているわけではないので、裁判の打ち合わせと立件についての進捗度合いの報告を聞く以外は、基本的にやる事がない。フェイトなど、暇にあかせてトレーニングルームに入り浸り、アルフやリニス相手に、クロノが引くような訓練をオーバーワーク寸前までやっている。そのあとにちゃんと日本語をはじめとした学問の勉強もしているのだから、短期間とはいえ高町家で鍛えられたのは無駄にはなっていないようである。
「別にかまわないけど、何かしら?」
「資料を整理していた時に思い出した事だけど、十一年前の闇の書事件、殉職したクライド・ハラオウンと言うのはもしかして?」
「……ええ。私の夫で、クロノの父親よ。」
「……そう。」
母の質問とリンディの答えに、表情が凍りつくフェイト。闇の書と言うのは、はやてを蝕んでいるデバイスだ。そのデバイスがリンディとクロノの、かけがえのない家族を奪い去っている。もし、はやてが闇の書を持っているとばれたら……。
「当然の事を聞くようだけど、闇の書の事を、怨んでいる?」
「……怨みが無い、とは言えないわね。」
「……さすがに、何のわだかまりも持たずに済ませられるほど、僕は人間が出来ていない。」
二人の回答に、どんどん表情が暗くなって行くフェイト。だが、稀代の魔女はその回答を予測していたかのように、ぶしつけともいえる質問をさらに重ねる。
「これは仮に、だけど。今、闇の書が復活したとしましょう。その主が平和主義者で、書を悪用するつもりが一切ない場合、あなた達は主をどうする?」
「闇の書に重大な欠陥がある以上、放置するわけにはいかないわね。だけど……。」
「少なくとも、その時点では主は犯罪者ではない。保護、という形で拘束することにはなるだろうが、少なくとも犯罪者として扱うつもりはない。」
「……怨みを晴らすつもりはないの?」
「……二年前なら分からなかったわ。」
リンディの意外な言葉に、驚いたように顔をあげるフェイト。プレシアも、興味深そうに二人の顔を見る。
「闇の書が憎いのは変わらない。だけど、あれはただの道具だし、怨むべき主は、十一年前の事件で死んでいる。書の主になること自体は、主本人にはどうにも出来ない種類の事情だから、そこに怨みをぶつけるのは、全く筋が通らない話よ。」
「それに、僕たちは時空管理局の局員だ。すべきことは、現在と未来の一般人の平和と安全の確保だ。個人的に恨みを晴らした結果、それがないがしろになっては本末転倒だ。」
「立派な心掛けだけど、本当にそんな風に割り切れるの?」
プレシアの厳しい質問に、苦笑を浮かべるリンディ。何故彼女がこんな事を聞いてくるのかは分からないが、彼女が管理局という組織に、一定度合いの不信感を持っている事は分かっている。彼女が違法研究に手を染めた経緯を考えれば、不信感を持つのは無理のない話だ。
プレシアが闇の書について、それなりに詳しい情報を持っている事には、正直驚いている。だが、プレシアのかつての研究目的を考えれば、闇の書に手を出そうと考えるのも不思議なことではない。誰もが知る、などというような有名なロストロギアではないが、何度も大規模災害を起こしている分、それなりの知名度はある。調べようと思えば、プレシアやリンディが知っている程度の事を調べるのは、それほど難しい事でもない。
まあ、そんなどうでもいい事はおいておこう。まずは今受けた質問に答えを返さなければなるまい。
「さっきも言ったけど、二年前なら分からなかったわ。でもね、息子がちゃんと公平な仕事をしているのに、親の私が怨みにとらわれて、本来無関係な人間に八つ当たりをするなんて、そんな不細工な真似は死んでもごめんよ。」
「……耳の痛い言葉ね。」
「……母さんは大丈夫だよ。」
「私も、今のあなたなら大丈夫だと思うわ。過去は変えられないけど、償おうと一歩を踏み出したあなたなら、余程の事がない限りは、悪い方にはいかない。断言してもいいわよ。」
「……ありがとう。」
プレシアが納得した様子を見せたため、話を打ち切る事にしたリンディ。とはいえど、プレシアに質問されるまで、闇の書の主が善人で、書の力に溺れず悪用もしない可能性というものを、一切考慮していなかった、というのは彼女たちには口が裂けても言えないが。
「それはそうと、頭の痛い話があるのよ……。」
「なにかしら?」
「なのはさんの事。最後の六個を封印した集束砲、あれの記録を見た上層部の一部がね、どうにかして管理局に取り込め、ってせっついてくるのよ。管理外世界の平和な国で育った、年齢一桁の子供に一体何を期待しているのかしら……。」
「……それは、確かに頭の痛い話ね。正直なところ、なのはにもフェイトにも、あまり管理局の魔導師の仕事はしてほしくないのだけど……。」
まだ話が出ていないなのははともかく、フェイトはすでに嘱託魔導師の試験を受けることを決めている。理由は言うまでもない。プレシアの罪の軽減のためだ。
「そうね。確かに管理局側からすればありがたいことだけど、フェイトさんが嘱託試験を受けなくても、プレシアさんが懲役刑を受ける可能性は皆無といっていいわよ?」
実際のところ、プレシアの違法研究は、非人道的な実験をほとんど行っていなかった事、動機に情状酌量の余地があった事、そもそも元となったヒュードラの事故について、判決の合理性に疑いが出てきていたことなどが重なり、元々の罪状が、この種の技術系犯罪としては、異例なほど軽く済む目算が高かった。
さらに、プレシア自身は取引材料になるとすら思っていなかったが、輸送船襲撃計画を実行に移す前に受けた襲撃、その時の映像が、リンディ達が元々追いかけていた事件の重要な証拠となったのだ。第九十七管理外世界に大手を振って捜査員を派遣できる根拠を得た事もあり、手詰まりが続いていた密輸事件が大きく進展する可能性が高くなったのである。それ以外にも、管理局に提供した研究成果が、どれも局員の死亡・高度障害の確率を大きく減らすものばかりだったり、ジュエルシードの希余分が結構大きかったりと、管理局にとっても世の中にとっても、大きな利益を見込めるものがたくさんあった。
それらの要素が重なって、普通ならどれほど取引材料を積み上げても、最低でも二年は懲役刑を避けられないであろう違法研究でも、保護観察程度で済む可能性が非常に高くなっていた。そこに、親子そろって管理局に職員として協力する、と申し出ているのだから、トータルの利益を考えれば、豚箱にぶち込むよりもこき使う方がよほどいい。しかも、二人揃って上から数えた方が早いランクの魔導師で、プレシアに至っては次元世界屈指の優秀な研究者だ。
だが、正直なところ、管理局全体としてはともかく、直接の関係者にとっては、喜ばしいと無条件で思えることではない。ミッドチルダは教育の高度化の結果、一定以上の能力・才能を持った人間の就業年齢は大幅に下がり、それに引きずられる形で管理局の平均入局年齢が下がっているとはいえ、事務方はともかく実働部隊、それも前線部隊に成長期の子供が入ることに関して、表向きはともかく本音の部分で無条件で受け入れている人間は、実のところそれほど多いわけではない。もちろん、リンディも受け入れていない一人だ。
「母さん、艦長、自分で決めた事だから。」
「……ええ、分かっているわ。それに、高ランクの魔導師は、よほどの理由がない限り、どこかの組織に一度は所属しておかないと、いろいろと面倒なことが多いし。それならば、まだ少しでも面識があって、ある程度は信用できる人間のもとにつける可能性が高い方がいいもの。」
「本当に、耳も頭も痛い話よね。実際のところ、なのはさんの身の回りも、なにがしかの形で警護をつける必要があるかもしれないのよね。何しろ……。」
「地球には、密輸組織が拠点を構えている可能性がある、かしら?」
プレシアの台詞に、苦笑するしかないリンディ。密輸組織うんぬんは捜査上の機密事項だが、第九十七管理外世界から転移してきて、プレシアに襲撃をかけた不審な武装船の映像を、証拠として押収している以上、彼女ほど頭が切れる相手にばれるのはどうしようもない。
「まったく、世の中ままならないものね。しかも、実際に警護が必要なのは、なのはさん自身というよりもご家族、それも主に桃子さんだって言うところが厄介なところだわ。」
「そのあたりのことを考えると、やっぱりなのはも何らかの形で管理局にかかわった方がいい、というのが難儀な話ね。」
「だけど、魔導師として管理局に登録すると、どう頑張っても前線に送り込まれるリスクを避けることは出来ない。かといって、ただの被保護対象のままだと、今度は桃子さんを守る口実がない。」
「管理が異世界の人間に対して、原則非干渉が決まりだから、実際に何かのトラブルに巻き込まれるまで、桃子さんに対して管理局としてはアクションを起こせない、か。本当に面倒な話ね。」
規定の意味や本質的な狙いなどが分かるだけに、無視しろとも規定をなくせともいいがたいのがまた面倒だ。時代遅れとは言わないが、もう少し柔軟に運用できる規定にならないか、と思うことが多々あるのが、現状の管理局規約である。
「だが、かも知れない、というだけで人員を割けるほど、管理局には余裕がないのも事実です。それに、拡大解釈はともかく、真正面から規定を破るのはいかがなものかと。」
「クロノ君の言いたいこともよく分かっているわ。だから、こうして頭を抱えているのよ。」
「正直、たとえ嘱託魔導師とはいえ、いったん管理局に所属してしまったら、遊ばせておく余裕はないのが現実なのよね。」
「だが、これはフェイトにも言える事ですが、正直なところ素質や現状の力量はともかく、性格面では管理局の仕事にそれほど向いているとは思えない。現に、あの臨海公園での戦闘の前にも、優喜の能力検証のために砲撃をしてもらったところ、終わってからもしばらく調子が悪そうでした。」
「クロノ執務官、心配してくれるのは嬉しいけど、私の場合は、多分避けて通れない道だと思うから、それなりに覚悟は出来てるつもりだよ?」
「分かってる。それでも、事実として、君もなのはも、人間相手にデバイスを向ける事に、それなり以上のためらいがある。そして、そのためらいが命取りになる事もある。君自身は生き延びても、一緒にいた誰かが死ぬかもしれない。正直、それをふっ切らないと、命がいくつあっても足りないが、君達の年で、平気で他人に致命的な威力の攻撃ができる、というのもぞっとしない話だ。」
「……。」
「話がそれましたが、そういうわけで、僕はなのはをこちら側に引きずり込む事は反対です。」
とはいえ、当人を横に置いて勝手に議論していても始まらない。さすがに、なのは本人だけに決めさせるには問題の多い事柄だが、幸いにして、こういうことについては判断を仰げる人間が、高町家にはちゃんといる。
「とりあえず、士郎さんと優喜に、リスクも含めて全部話して、判断を仰ぐのが一番なんじゃないかしら?」
「そうね。それに、最終的に方向を決めるのは高町家の人たちで、私達ではないのだし。」
丸投げ、と取られても仕方がない結論を出すプレシアとリンディ。向こうの時間で夜になったら通信を一報入れる、ということで、その場の議論は終わりになった。
同じ日の放課後。なのはのわがままにあわせて、追加で三人分のブレスレットを作り、特殊効果の付与術式を終えた優喜は、休憩も兼ねてリビングで図書館で借りてきた本を読んでいた。と言っても、自身の知識とこの世界の歴史との相違点の確認、という側面が大きかったりするのだが。
因みに、なのは達は塾でここにはおらず、恭也も美由紀も大体五時を回らないと帰ってこない。ゆえに、なのはが塾の日は優喜は、はやてに軟気功の治療をしに行っている場合を除けば、こうして自分の勉強やら何やらをやっている。アクセサリー作りは、彼の場合、作るだけならよっぽど凝ったものでもない限り、三十分もあれば一個ぐらいは余裕で完成する。なので、なのはが宿題をやっている時間なども、大体ものづくりに当てていたりする。
「おかえり。」
「ただいま。優、なに読んでるの?」
「古代ローマ史周りの歴史書。どうにも、僕が知ってる歴史と結構食い違いがあって油断が出来ないから、暇な時間にこうやって確認してるんだ。」
「この間、源氏物語の原文らしきものを読んでたのも、そういう事?」
「うん。僕の世界じゃ散逸した事になってる部分があったり、逆にあるはずの話が無かったりして、なかなか面白かったよ。」
しれっとそんな事を言う優喜に、うへ、という顔をする美由希。彼女も大概読書家だが、さすがにまだ源氏物語の原文にまでは手を出していない。現代語訳を三度ほど読み返して、それで十分満足してしまった、というのが大きい。ついでに言うと、美由希はざっとした流れは覚えているが、優喜のようにあるはずの章がなく、無いはずの章がある、なんてことが分かるほどには読み込んでない。
「そういえば、結構違うって言うけど、それ以外には具体的にどういうところが違った?」
「戦後の日本で言うと、総理大臣が何人か違った。ただ、田中角栄みたいに目立つ業績を残した人とか、特に名前はあげないけど大失策をやらかした人とかは変わってないけどね。日本の古代史で言うと結構大きい違いじゃないかって思うのが、伊勢神宮の式年遷宮の回数が、三回多かった。」
「えっと、それがどうしてそんなに大きな違いになるの?」
「伊勢神宮の式年遷宮って、二十年に一回なんだ。つまり、三回も回数が多いってことは、式年遷宮というシステムが確立したと確定されてる年が、最低でも六十年は僕の居た世界より早いってことだから、結構大きな違いだと思うよ。因みに、僕の居た世界が三年後ぐらいに第六十三回があるんだけど、こっちは至近の遷宮が平成に入って五年目ぐらいの頃に第六十五回があって、次が僕の世界と同じ年で第六十六回だった。」
ざっと頭の中で計算して、スケールが大きすぎてピンとこない事を思い知る美由希。千何百年前から存在する建造物で、確定されている年代が六十年も違えば、ずいぶん大きな違いかもしれない、という気がしてくる。もっとも、そのスケールでたかが六十年が、どれだけの違いなんだ、という気もしないでもないのだが。
「……なんか、すごいんだかそうでないんだかよく分からないけど、結構大きく違う、って言うのは分かったよ。」
「まあ、僕みたいに遺跡の発掘だのなんだのにかかわってなきゃ、大して興味のわく話でもないだろうから、ピンとこないのはしょうがないよ。」
美由希の様子に、苦笑するしかない優喜。古代史といえど、六十年も年代が違えば、王朝が変わっていたり、主流となる文化が別のものに移り始めていたりというのはざらだ。自分達の生活ですら六十年前と今とでは全く違うし、歴史に目を向けても、江戸時代とひとくくりされているが、初期と中期と後期では全く別の風俗・習慣が出来ている。
そう考えれば、後二百年もさかのぼれば、神話の時代に片足を突っ込む大化の改新や平城京のころとは言え、六十年も違えば大違いだというのは当たり前の話ではあるが、逆に神話の時代に近いがゆえに、今一歩ピンとこないのも仕方がないのかもしれない。
「で、さあ。いつも思うんだけど、優って、なのはがいない時って、大抵一人で本読んでるか、部屋にこもって細工ものしてるか、何か勉強してるかだよね。」
「素振りとかしてる時もあるよ。」
「うん、まあ、そうなんだけど、それはもう勉強に含むとして。」
「勉強なんだ。」
すさまじく大雑把なくくりに、さらに苦笑が漏れる優喜。その定義だと、一人で思いつきでやってるトレーニングとかも、勉強の中に含まれるかもしれない。
「優、なのは達以外に、友達いないの?」
「いないよ。多分、なのは達と同じクラスじゃなかったら、一人で孤立してたんじゃない?」
大したことじゃない、という雰囲気で、しれっと答える優喜。正直なところ、転入早々からずっと厄介事が続いていたので、それどころじゃなかったのだ。結果として、全て解決したころには、時期を逸していたのである。
「友達作る努力とかしてる?」
「全然。」
「……自分の事だから、もうちょっと頑張ろうよ……。」
「と言ってもねえ。女子の友達をこれ以上作っても、って気がするし。かといって、他の友達が出来る前になのはのグループの一人としてポジションが固まったから、男子と友達になるのはそれほど簡単な話じゃないし。」
それでもなのは達はまだ、それなりに他のクラスメイトと交流があるが、優喜の場合は転校生だという事もあり、クラス内での立ち位置は完全になのは達のおまけ、だ。しかも、容姿的には女子の中に混ざっている方がしっくりくるが、やはり立ち居振る舞いやら何やらは男子のそれだ。ゆえに、親しくしているアリサやすずかはともかく、他のクラスメイトからすれば、どちらの側から見ても、しっくりこない相手なのだ。
「もしかして、なのは達がもてるから、優がクラスで浮いてる、とか?」
「関係無いとは言わないけど、うちのクラスの男子の平均は、そこまで色恋沙汰に興味を示してないよ。僕みたいな変則的な事例を除けば、精神的な部分で男女の境界線がはっきりしたぐらいだから、理由がどうであれ、男女で仲よくしてるだけでいろいろ言われるんだよね。」
「そだっけ?」
「ああ、そっか。美由希さんは小学校三年生って言ったら、本格的に御神流を習い始めたぐらいだったよね。」
「うん。」
「だったら、根本から認識が違うだろうから、そんな事は気にもしてなくて当然か。」
大体において、小学校に上がったぐらいから、精神面で男女の境界がはっきりし始める。小学校三年生ともなると、もはや男女の間には完全に壁が出来上がるころだ。特に男子の側は女子と仲よくするのは格好悪いという意識が強くなり、たとえそれが親戚や姉妹でも、一緒に行動するだけで攻撃対象になる。
一方女子の側は、個人差こそ大きいものの、男女に対する感性はかなり大人のそれに近くなる。恋愛に近い感情で気になる男と言うのは出てくるが、精神面の成熟度合いは常に女子の方が早いため、同級生に目が行く事はあまりない。
聖祥も初等部の間は共学であるため、班行動などは普通に男女混合だ。なので、完全に壁を作って話をしない、などと言う事は無いが、プライベートな時間まで男女混合で行動しているケースはあまりない。少なくとも優喜のクラスは、優喜自身も含めて三人程度しか、プライベートで男女の混ざったグループで行動しているケースはない。
「うちのクラスの男子だったら、優喜の環境を見たら『リア充爆発しろ!』とか言って除け者にしそうだけど、さすがに小学生じゃ、そんなことはしないか。」
「男子の側に関しては、そういう話は中二ぐらいまで待ってください。」
「あはは。」
と、まあ、優喜がクラスで浮いている基本的な理由はそんなところなのだが、それだけで終わらないのが、彼の業の深いところだ。
優喜の基本的なポジションは、先に述べたようにアリサ達のおまけ、である。だが、見るものが見れば、実質的な主導権は優喜が握っていることぐらい、すぐに分かる。アリサにしろすずかにしろ、思考は高校生に近い。その彼女達から見ても、優喜は精神的に優位に立っている。
優喜の中身は二十歳の青年だ。だが、一体どういう経験をしてきたのか、同じ二十歳の若者に比べても、優喜は精神的に落ち着き、達観している面がある。そんな人間が小学生に混ざれば、どうあがいたところで完全に溶け込むことなど不可能だ。そもそも、アリサ達の時点ですら、同級生と比べて行動原理が大人に近い。その彼女達ですら、優喜の思考や行動原理から見ればかなり子供っぽいのだから、クラスメイトからすれば完全にエイリアンだ。
肉体的・社会的な面で自身の出来る事の限界を認識している小学生など、教師からしても扱いづらいことこの上ない。基本的に素直にいうことを聞く上に、出来るだけ目立たないように行動しているため、さすがに教師から目をつけられることはないようだが、それでも歓迎されていないのは間違いないようだ。
「とりあえず、少なくとも女子とはそれなりにうまくやってるから、そんなに心配しないで。」
「分かったよ。信用できないけど心配はしないことにする。」
そもそも、当人が友達が少ない事を苦にしていないのだから、周りがやいやい言っても意味がない。そもそも、彼の師匠とやらが、明日迎えに来ないとも限らないのだ。その事を理解している優喜が、余計な人間関係をわざわざ作るはずもないだろう。
「とりあえずさ、暇だったら一本やらない? 優もそろそろ、実用範囲にはなってきてるんでしょ?」
「了解。せっかくだから、実戦でどれぐらい使えるかのチェック、お願いね。」
「ん。」
とりあえず、恭也が帰ってくるまでの間、軽く乱取り稽古をする。ワイヤーを含む飛び道具なしのルールで、勝敗は美由希の二勝一敗。やはり、優喜は左の動きの鈍さがたたり、二度とも手数で押し切られてしまった。御神流というくくりでの力量差で言うなら、十回やって八回は美由希が勝つラインで、恭也相手だと十やって一取れれば大健闘、というレベルだ。
もっとも、言うまでもないことながら、このくくりを捨てて互いが専門分野に徹して勝負するなら、気功抜きですら美由希に勝ち目はない。気功まで使い始めると、恭也ですら勝負にならない。優喜の現状は、子供の体ゆえの限界の低さは克服できていないが、急激に体格が変わった事による誤差はほぼなくなっている。たまに出力をあげすぎて筋を痛めたりはしているが、そこはご愛嬌と言ったところだろう。
「まだまだ、と言いたいところだけど、体の年と始めてからの期間を考えると、私もうかうかしてられないなあ。」
「まあ、僕は基礎は出来てたからね。体作りから始めてる美由希さんと比べたら、そりゃある程度までは早いよ。」
「理屈は分かるんだけど、感情が納得してくれないよ。」
などと感想を言い合っていると、呼び鈴が鳴る。どうやら来客らしい。翠屋はともかく高町家の方には、事前連絡なしの来客などほとんどいない。こういうケースは普通の一般家庭と同じで、大概は宅配かセールスの類だ。どうせ今回もそうだろうと予測しつつ、インターホンに向かう。
「……優、お客さんだよ。」
「僕に?」
「うん。ちょっと変わった服を着た美人さん。アルフの気配に似てるから、あの人も使い魔?」
「なるほど、リニスさんか。わざわざこっちに来るなんて、何の用だろう?」
突然の来客に首をひねりつつ、とりあえず対応に出る優喜。そこにいたのは、予想通りリニスだった。いつも通り、全体的にはややかっちりした印象を与える露出の少ない、なのになぜか胸元だけ開いた、日本ではあまり見かけないデザインの服を着ている。アルフと違って、耳としっぽはきっちりしまわれているため、美由希のような人材でなければ、人間でないとは気がつかないだろう。
「いらっしゃい、リニスさん。どうしたの?」
「今晩は、優喜君。連絡も無しで突然押し掛けてごめんなさい。少し、お時間を頂いてよろしいですか?」
「僕の方は暇だから問題ないよ。急ぎの用事?」
「急ぎではありませんが、少々込み入った話にはなります。」
リニスの言葉にピンとくる。わざわざ許可を取ってこっちに直接来ているところを見ると、管理局がらみの話だろう。多分闇の書がらみも便乗して持ち込んでいるだろうが、それだけでこちらに来るための許可を取るのは、不可能と言っていい。
「ねえ、優。」
「はいな、何?」
「盛り上がってるところ悪いんだけど、そろそろこのお姉さんを紹介してくれないかな?」
「あ、そうか。恭也さんと美由希さんはフェイト以外の魔法関係者とは面識なかったっけ。」
「うん。名前言われても全然分かんない。」
美由希の言葉に、ちょっと悪い事をしたな、と思う優喜。さすがに、身内が自分と面識のない人間と横で盛り上がっているというのは、居心地が悪いどころの話ではない。
「この人はリニスさんって言って、フェイトのお母さんの使い魔。最近グダグダになってきてるテスタロッサ家をまとめる苦労人。」
「最近グダグダって言うところに、反論できなくて困ってるリニスです。」
「で、こっちがなのはのお姉さんで美由希さん。よほど高く飛ばない限り、フェイトぐらいなら制圧できる物騒なお姉さん。」
「優にそれを言われるのは非常に釈然としないんだけど?」
優喜の突っ込みどころ満載な紹介に、互いに苦笑しながら一応挨拶を返す。
「それで、リニスさん。多分なのはの勧誘がメインの話だと思うけど、なのはも士郎さんたちもまだ帰ってこないから、ちょっと待ってて。」
「分かりました。あ、そうそう。」
「なに?」
「ここで話すのに問題がある内容も結構あるので、時の庭園のほうで話をしましょう。艦長とプレシア、両方に許可を取ってきていますし。」
「了解。あ、そうだ。せっかくだから、一度美由希さんとリニスさんも模擬戦していく? 参考になることも結構あるかもしれないよ。」
「そうですね。面白そうなので、お願いします。」
「わざわざお時間を割いていただいてありがとうございます。」
「何、こちらとしても、大事な娘の今後に関わってくることだ。必要ならいくらでも時間を作るよ。」
「ありがとうございます。」
リニスを交えた夕食も終わり、一度で移動するにはやや人数の多い高町家一行を、ピストン輸送の要領で時の庭園に連れ込んだ後。まじめな顔で話を切り出すリニスと士郎。最初は恭也と美由希は留守番する予定だったのだが、末っ子が関わることなのだから、全員話を知っておくべきだという士郎の主張により、一家そろっての話し合いとなったのだ。
「まずは、なのはさんの現状と時空管理局について、簡単に説明させていただきます。といっても、管理局については私も本来部外者なので、リンディ艦長が用意した資料以上のことは説明できませんが。」
「ああ。お願いする。」
「それでは……。」
現状なのはが置かれている立場は、実は非常に微妙なものである。理由は簡単。ジュエルシードの回収時に、結構大きな魔力を何度も放出しているため、地球上に存在すると想定される犯罪組織に、その存在を把握されている可能性があるからだ。
なのは本人はどうにかなる。士郎以下、優喜を含む御神流の門下生もまだいい。だが、高町家の中で、桃子だけは完膚なきまでに一般人なのだ。何らかの形で桃子を人質にでもとられた場合、なのははおろか、ほかの人間も有る程度は言いなりにならざるを得ない。
「……魔導師相手に警察や国が当てにならないのは、まあ分かるとして、だ。もしかーさんがそのミッドチルダの犯罪組織に捕まったとして、管理局とやらは動かないのか?」
「動かない、という事はないでしょうけど、地球が管理外世界、というのがネックになります。管理世界の犯罪者が管理外世界で犯罪を起こした場合、被害者が完全な現地の一般市民の場合と、管理局員の直接の関係者の場合とでは、どうしても初動の早さに差が出ます。」
「身内に甘い、という事か?」
「いえ。規定の問題です。管理局は管理外世界に対しては、よほど確実な証拠かよほどの危険性がない限りは、行動を起こす事は出来ません。そして、この確実な証拠と言うのが曲者で、一般人と局員では、同じ報告でも扱いの重さが変わってきます。」
「理不尽と言いたいところだが、ずぶの素人と一応はプロ扱いの局員とでは、その程度の差は出てきても仕方がないか。」
「ええ。艦長やプレシアが頭を抱えているのも、その部分です。」
力を持つ、という事が一概にいい事ではない、という事をまざまざと見せつける話だ。これがなのはがごく普通の小学生ならば、いや、せめてその資質が普通の範囲に収まっていれば、これほど厄介な問題にはならなかっただろう。
「それで、その時空管理局とやらは、どんな組織? 名前からして、かなり大きな組織みたいだけど。」
「時空管理局は、その名が示す通り次元世界間の関係を管理するために設立された組織です。地球で言うところの国際連合、その司法と軍と警察組織の部分を中心とした役割を担っている、というのが一番近いでしょうね。」
時空管理局は、実質的には国際法廷と治安維持軍の役割に特化してしまっているが、本来は国連のように、複数の次元世界間のトラブルの調停や立場のすり合わせを目的として設立された組織だ。その目的上、一定以上の強権と独立性を持たせておかないと、発言力の強い世界に振り回されたり、せっかく出した声明が無視されたりと碌な事にならないため、傍目から見ると強すぎる、とうつるほどの権限を持っている。
無論、権限が強い分義務も大きく、次元震や次元断層のような災害に対しては、どれほど消耗しようと真っ先に出動し、状況の悪化を食い止める義務を背負っている。他にも一つの世界が担うのは難しい仕事もたくさん振られているし、何より定期的に査察が入るために、建前と違う行動などそうそう取れるものではない。
「ちょっと待って。話を聞いてると、犯罪を犯した局員も、時空管理局が裁くんだよね? 管理局自体が犯罪を犯した場合、どこが裁くの?」
「一応地球の主要先進国だと、大体は司法の暴走を防ぐために、三権分立というシステムを取ってるわよね。管理局の方はどうなっているの?」
「えっと、それはですね。」
その辺の質問の回答になりそうな部分を探すために、資料を必死になってめくるリニス。だが、その回答は意外なところから出てきた。
「桃子、美由希。その質問の答えは、さっきの説明で出てきているよ。」
「え?」
「発言権の強い世界に振り回されたり、法を無視されたりしないように、傍目に見ると強すぎるとうつるほどの権限を持ってる、と言っていただろう? 三権分立というのは、こういう国際組織にはなじまない部分が強い。そもそも、複数の国家が絡んでいる以上、何を持って立法とし、何を持って行政とするのか、というところからして難しい。それに、出資する側もバカじゃない。なにがしかの形で査察ぐらいはしてるだろうさ。」
「それに、所属している管理世界全てが、ちゃんとした法体系を持っているわけでも、現地の政府がきちっとした機能を維持してる訳でもないだろうし、ね。地球でも、テロ組織が無政府状態の国に潜伏してて、捕縛しても国連の権限じゃ裁く事も出来ない、なんてケースは結構あるし。」
士郎と優喜の言葉が、管理局が三権分立というシステムを取っていない理由だ。では、管理局が暴走した場合、どこが裁くのか?
答えは簡単だ。管理局に出資している管理世界全てが裁くのだ。時空管理局そのものは、自力で収入を得る事が出来る組織ではない。多額の出資と寄付で賄われた公的機関であり、人材だけでなく予算も地味にカツカツだ。そして、出資している管理世界にしても、暴走して人道に外れたことばかりを繰り返し、傍目にも腐っているとしか見えないような判決を出し続けるような組織に金を出すなど、国民が許さない。
そして、四つ五つの主要世界が出資をやめれば、たちまち管理局はその巨体を維持できなくなり、何年もせずに瓦解するだろう。一つ一つの世界が出資している金額はめまいがするほど巨額で、二つも出資する主要世界が減れば、他の世界が増額した程度で穴埋めするのは難しい。四つもとなれば、もはや致命傷だ。
もちろん、組織内部に問題を抱えている程度では、管理世界の側もそんな無茶な真似は出来ない。そもそも、欠点の無い人間がいないように、問題の無い組織もないのだ。そして現状の時空管理局は、内部に無視できない程度には様々な問題を抱えているが、少なくとも目立って非道な行いを行ってはいないし、治安維持組織として完璧とは言えないまでも、必要十分には成果をあげている。そんな組織に対して、自分のところにとって都合が悪いから、出資金を減らして意趣返しをするような真似をすれば、却って自身の影響力をそぐ結果になる。
一つ大きな問題が起これば崩れるような微妙なパワーバランスだが、それなりにちゃんとシステムとしてはうまくいっているようだ。
「とはいえど、子供を戦場に送り込む、というのはあまり関心はせんがね。」
「それを、小学校に上がる前の俺に殺人剣を仕込んだ挙句、武者修行と称して日本全国放浪の旅に連れまわしたとーさんが言っても、あまり説得力はないぞ。」
「元となる文化的背景が違うんだから、そこを突っ込んでもねえ。十歳に満たない子供を働かせるなんて、って言ってもさ。昔は日本だってそうだったんだし、それにあんまり周囲よりレベルの高い子供だと、学校に入れるより研究施設なんかで仕事をさせた方が、本人にとっても周りにとってもプラスになる事も多いし。」
「それと子供を戦場に送り込む事は別問題だと思うぞ。」
「まあね。ただ、話して見た感じでは、さすがに年齢一桁を局員として、命の危険がある仕事をさせる事に関しては、それほど肯定的なわけでもなさそうだったよ。」
「実際、リンディ艦長やクロノ執務官のように、士官学校を早い段階で卒業したケースを除けば、いかに才能があろうと、それほど積極的に低年齢の子供を登用しているわけではないようですしね。」
優喜の感想に、リニスが補足を入れる。士官学校を出ている人間も含めて、ゼロではない時点で問題だという人間も多かろうが、それこそ文化的背景が絡む問題だ。そもそも、士官学校や陸士・空士学校の入学可能年齢の低さは、むしろ平均的な才能の持ち主を、子供の頃からじっくり鍛える事を主眼としたものであって、みんながみんな低年齢で入学したうえ、最短で卒業しているわけではないのだ。
士官学校に至っては、どちらかと言えばクロノの年齢で卒業しているのは例外である。そもそも、あの年で士官学校を卒業して、難関の執務官試験を突破し、なおかつ実務経験がある、なんていうのは例外中の例外なのだ。才能うんぬんは横に置くにしても、クロノのような典型的なトップクラスのエリートを例に持ってきて、それを一般例として語っても意味がない。
「とはいえ、実際に妹が危険な仕事を押し付けられるかも、って話で、文化的背景がどうとか言っても意味はないよね。」
「うん。ただ、プレシアさんやリニスさんも頭が痛い話だと思うけど、魔法関係の組織は多分、どこも五十歩百歩なんだよね。そうなると、結局どこがそういう扱いの面ではましになるか、で判断するしかないけど……。」
「私の私見ですが、リンディ艦長の下につく事が出来れば、そのあたりの危険性はずいぶんましになると思います。都合のいい事に、艦長は人事部に太いパイプを持っていますので、彼女の伝手で嘱託試験を受ければ、当面は高い確率でアースラ所属になると思われます。」
「要するに、他の組織に伝手がない以上、一番ましな選択肢がそれ、という事か。」
「ですね。現状がどこにも所属しない事が一番の悪手になりつつある以上、フェイトが試験を受けることも考えると、他の選択肢はないに等しいでしょう。」
しかも、直接の関係者は誰もいい顔をしていないが、餌としていくつかの試験のハードルを下げる事と、フェイトの日本への移住許可審査の前倒しを持ちかけてきている。嘱託魔導師試験のハードルは確かに高いが、一定ラインより上の能力を持っていれば、ほとんどの項目は後から学べば問題ない事柄ばかりなのだ。なので、管理外世界の魔導師を囲い込む場合、人物面に問題がなければ、こうしてハードルを下げて、後で本当に必要な事だけ特別講義でたたきこむのは、実はよくあることだったりする。
「……ごめんなさい。なのはの頭では、今までの話は難しすぎて、ちょっと理解が追い付いていません。」
「さすがに、違う世界の政治システムだの文化的背景だのって話だから、しょうがないよ。」
「でもでも、私のこれからの事にかかわってくるんでしょ? だったら、私がちゃんと理解してないと。」
「まあ、なのはが理解しておく事は、とりあえずどう転んでも、一度は戦闘にかかわる組織に入る事になる、ってことだけ。」
優喜の身も蓋もない注釈に、苦笑するしかない一同。ジュエルシードにかかわらなければ、こんな子供のうちから修羅の道に触れずに済んだのに、と思わなくもない。だが、そうすると今度はフェイトと仲良くなるきっかけもなく、プレシアが助かる事もなく、さっきの夕食のように和気藹々と話す事もなかっただろう。そう考えると、なにがいいとは一概に言えないものだ。
結局すぐに結論が出る話でもなく、あーでもないこーでもないとしばらく話し合い、結局は一度リンディ達にもうちょっと詳しく話を聞こう、という事で落ち着いた。
「それはそれとして、闇の書の事、何か分かったの?」
「そうですね。とりあえずいろいろはっきりした事がありますので、ざっと説明します。後でレイジングハートの方にもデータを移しておきますので、詳しくはそちらを確認してください。」
闇の書について、この時点で分かっている事はこうだ。
闇の書は、本来夜天の書という名で、世界中に無数に存在する魔法技術を、それを生むに至った文化や歴史も合わせて蒐集するために古代ベルカの技術を終結した、主と共に旅をする魔道書だった。その頃は主にかける負荷も一般的なデバイスのそれと変わらず、蒐集方法も穏やかなもので、機密の保持という観点にさえ目をつぶれば、誰に迷惑をかける事もないただの資料本だったのだ。
それが、何代目か何十代目かの主の時に豹変する。蒐集した魔法の中にはとんでもないものもたくさんあり、しかも蒐集方法の都合上、下手な魔力炉を鼻で笑うほどの容量のバッテリーを持っている夜天の書。その危険な力に惑わされた愚か者が、夜天の書の機能に手を加えたのが、悲劇の発端であった。
どうやら自身に無限の命を持たせ、さらに蒐集した魔法を自分だけのオリジナルにしたかったらしい。主と共に旅をする機能は転生機能に書き換えられ、データ保護のための修復機能は無限再生機能に強制的に進化させられ、何より本来魔力を分けてもらうだけでよかった蒐集方法が、リンカーコアの摘出と言う危険極まりない手段に変えられてしまった。
しかも、改造した時に失敗したらしく、蒐集機能が主にまで向けられ、常になにがしかの蒐集を行っていなければ、どんどん持ち主のリンカーコアを侵食、食らい尽くしてしまうようになってしまった。修正も効かず、どんどん狂って行く夜天の書に絶望したその主は、さらに最悪の改造を行う。一定のページを蒐集したら防衛プログラムが勝手に起動し、主を含めた周囲のものを取り込んで食らい尽くすように変更してしまったのだ。
その時の改造が一種のウイルスとなったため、夜天の書は代を重ねるごとに狂って行き、今となっては闇の書の名がふさわしい姿に変貌してしまっている。
「また、面倒な事になってるね。」
「はい。とても面倒な事になっています。その闇の書が起動した、一番新しい事例が十一年前。多数の死傷者を出した末に主は逮捕され、書と一緒に監獄世界に護送されている最中に暴走し、護送に使われた航行船およびその艦長とともに、魔導砲・アルカンシェルによって消滅しています。」
「それが再生機能で復活し、はやてのもとに転生した、と。」
「はい。この件について特筆すべき事柄ですが、闇の書ととともに消滅した艦の艦長はクライド・ハラオウン、船を撃ち抜いたのはギル・グレアム提督。」
「……ハラオウンって、もしかして?」
「はい。リンディ艦長の夫で、クロノ執務官の父親です。」
微妙な沈黙が、場を支配する。最初に口を開いたのは、なのはだった。
「リンディさんとクロノ君、その事については……?」
「さすがに、怨みを抱かないほど人間出来てはいないが、その怨みを新しい主にぶつけるつもりはない、とのことです。もっとも、二年前だったら分からなかったそうですが。」
「……そっか。」
「……艦長たちはそれでいいとして、ギル・グレアムか……。」
はやての保護者の名は、ギルバート・グレアム。ギルというのは、ギルバートの愛称だ。
「リニスさん、グレアム提督の出身地とか、知ってる?」
「管理外世界だというのこと以外は、詳しいことは分かりませんでした。」
「なるほど。士郎さん、リニスさん、どう思う?」
「さすがに、偶然で片をつけるのは無理がありますね。」
「たびたび視線を感じていたのに、近場にそれらしい気配がなかったというのも、相手が魔導師なら簡単に説明が付く。」
すべてのピースがはまったかのような感触を得る。とはいえ、どれほど状況証拠が決定的でも、まだ確定できるような証拠はない。
「さすがにこれ以上は、管理局の人間を巻き込まないと調べられないだろうな。」
「……だめだ、かなり嫌なことを考えた……。」
「嫌なこと?」
「なのはの嘱託での入局と引き換えに、リンディさんたちをこっち側に引きずり込む、とかね。」
優喜の発言に、その場の全員が絶句する。難しいことを理解していないなのはですら、優喜の発言が非常に黒いことぐらいは分かっている。
「まあ、そこの話はおいておこう。リニスさん、こっちにはいつまで?」
「ここの整理もする予定だったので、一週間の滞在許可をもらっています。」
「だったら、明日は予定があるから、明後日にはやてから書を借りてくる。出来るだけデータを引き出して。」
「分かりました。」
せっかくジュエルシードの問題が解決したというのに、結局は問題が増えただけなのではないのか。今後の予定を立てつつも、そんな錯覚を覚える優喜であった。