「お買い物~、お買い物~。」
優喜達を引き連れた桃子が、上機嫌で鼻歌を歌っている。プレシアの治療の二日後。桃子達は、一時的にとはいえ新しく増えた同居人のために、デパートに買い物に来ていた。
「別に、そんなに張り切って買うほどのものはなかったと思うんだけど……。」
「何言ってるのよ、優喜君。フェイトちゃんの新生活なんだから、いいものをいっぱい用意しないといけないじゃない。」
そう。ジュエルシードの回収が終わるまでの間、フェイトは高町家に下宿することになったのだ。事の発端は、プレシアの治療が終わった翌朝の事。
「なのはさん、あなたのおうちに、折り入ってお願いしたい事があるから、ご両親の都合を聞いておいてくれないかしら?」
「え? あ、はい。今日帰ったら聞いておきます。」
「お願いね。」
どうせ今日も学校は休む前提だし、と、全員で力いっぱい寝坊してからの朝食の席。とりあえず朝食(と言ってもあと二時間もすれば昼食の時間だったりもするが)を食べたらいったん戻るか、と話している最中に、プレシアが切り出した。
「プレシア。今の体で、なのはさんのご両親に会いに行くのは、許可できません。」
「だけど、大事な話なのよ。」
「それでもです。一週間も養生すれば十分完治するんですから、話はそれからにしてください。」
プレシアとリニスの会話を聞いて、顔を見合わせて首をかしげる一同。
「あの、プレシアさん。」
「何かしら?」
「おとーさん達にお願いしたい事って、なんですか?」
「お願いしたい事は一つ。ジュエルシードの回収が終わるまで、フェイトを預かってほしいの。」
プレシアの爆弾発言に、全員の表情が固まる。あれだけ親子の絆を確かめ合ったというのに、またフェイトを手放すつもりなのか、と、一部に勘違いした人間もいるようだ。
「正直に言うと、フェイトとは一分でも一秒でも長く、一緒に居たい。でもね……。」
プレシアが、フェイトを高町家に預ける理由はこうだ。フェイトはジュエルシードの回収から手を引くつもりはない。早朝の訓練も参加を続けるつもりだろうし、そうなると、転送の時間と魔力が余計な負担となる。ならば、最初から高町家にいるほうがいいだろう。
フェイトの数少ない友達が、全員海鳴に住んでいるという事もある。彼女達との交流を考えるなら、高町家に住んでいたほうが便利なのだ。まあ、それ以外にも口に出せない思惑はあるのだが。
「なるほど……。」
「一番いいのは、私とリニスも海鳴に降りることなのだけど……。」
「さすがに、リハビリなんかも必要ですし、もうしばらく養生してから出ないと、許可は出せません。」
という、もっともすぎて反論できない理由で駄目だしをしてくる使い魔に、どうしたものかと頭を悩ませるプレシア。正直、管理局が来た後のことも考えるならば、出来る限り早く、前倒しで事を進めておきたい。
「取りあえず、フェイトのことなら、僕達が話を通せばすぐOKが出ると思うから、プレシアさんが挨拶に行くのは、体を治してからでいいんじゃないかな?」
プレシアの考えをある程度読み取り、妥協案的なものを提案する優喜。プレシアとリニスから敬語禁止令が出たこともあり、砕けた口調だ。
「……正直、そういう失礼な真似は避けたいのだけど……。」
「現状では、それしかないかもしれませんね。」
「後、これは勝手な考えなんだけど、士郎さんと桃子さんだったら、プレシアさんの体の話をしたら、見舞いもかねてこっちに出向く、と言い出すんじゃないかとも思う。」
「そんな、呼びつけるような真似は……。」
プレシア・テスタロッサ。研究者肌の割りに、案外礼儀にうるさい女性である。
「ここに来ちゃまずい理由とかがあるんだったらしょうがないけど……。」
「無いわけでは無いけど、あなたとなのはさんがここに来ている時点で、二人ぐらい増えても誤差の範囲ではあるわ。」
彼女たちが属する時空管理局の法が適用される管理世界では、管理外世界の人間に魔法や管理世界の存在を教えてはいけない事になっている。今回のように不慮の事故で知られてしまった場合でも、出来るだけその範囲を少なくし、可能な限り記憶の消去などの処理をする事になっているし、罰則もちゃんと規定されている。
とはいえ、高町一家にはプレシアがばらしたわけではないし、すでに大体の事を知っている人間を時の庭園に招き入れたぐらいでは、大きく罰則が増えるわけでもない。事実、今回と似たようなケースで、正当性を認めさせて罰則を回避したうえで、そのまま現地の人間と交流を続けている事例も少なくない。
「一応禁止事項ではあるんだ。じゃあ、通信機とかは無理?」
「リニス、この妙な通信障害を突破できる通信機はある?」
「少し改造する必要がありますが、部品もそろってますし、簡単な作業なので三時間程度で用意できます。」
「じゃあ、準備をお願い。本当は直接顔を合わせてお願いする筋の話だけど……。」
「今回は、どうやっても十全にとは行かないから、仕方ありませんよ。」
というようなやり取りがあり、高町夫妻が通信機越しにプレシアと面会、二つ返事で喜々としてフェイトを受け入れ、翌日に部屋の用意と引っ越しを済ませ、冒頭のやり取りにつながる。
「そういえば、おかーさんとプレシアさん、なんだか結構長話をしてたけど、何を話してたの?」
「それは親同士の秘密。ただね、なのは。」
「何?」
「フェイトちゃんは手ごわいから、なのはも頑張らないとね。」
「えっと、なのはは別にフェイトちゃんと勝負してる訳ではないのですが……。」
なのはの戸惑い気味の突っ込みを流し、意味ありげに微笑む桃子。深く突っ込んだら負けだと言い聞かせ、嫌な予感を感じつつも必死でスルーする優喜。フェイトが完璧に分かっていないのは言うまでもない。フェイトの後ろでアリシアが苦笑していたのが印象的だ。
「とりあえず、何を買うの?」
「インテリアの類と、後、服!」
「え? そんなにいろいろ買うの?」
フェイトの驚きも無理もない。用意された部屋には、ベッドも机も本棚も箪笥もちゃんとあったし、服も昨日十分に持ち込んでいる。カーテンや布団の柄にも特に文句はなく、机の上にはちゃっかりお気に入りの小物を飾っていたりもする。せいぜい食器をはじめとした生活雑貨ぐらいしか、買う必要はないと思っていたのだ。
「……まあ、ジュエルシードの事が終わっても、多分フェイトは高町家に下宿することになるだろうけど……。」
「そうなの?」
プレシアが逮捕された後、フェイトの面倒を見る人間がいないというのが、プレシアが早めに段取りをつけたかったもう一つの大きな理由だ。胸を張ってフェイトと親子になるために、プレシアは自首を決意している。今回の件では、せいぜい現地の人間に魔法の事を知られた原因の一端を担った、その程度の罪しかない。だが、フェイトを生み出す過程では、いろいろと法に触れることをやらかしている。
管理局に目をつけられると面倒だから、という理由からあまり派手な事はしていなかったため、ほとんどはせいぜい罰金刑程度の軽犯罪ばかりだ。だが、研究テーマに関してはいくつかが、普通に行けば懲役刑を避けられない領域に踏み込んでいる。司法取引をしたところで、半年から一年ぐらいの懲役と、そこからそれなりの期間の保護観察は避けられない。プレシア自身はそう予想している。
それだけの期間を、友人から引き離した挙句に、自分の奉仕労働につきあわせるのは忍びない。懲役刑の間、誰がフェイトの面倒を見るのか、という問題もある。だったら、最初から信頼できる人間に預けておく方がいい。懲役刑や保護観察と言っても、面会そのものは禁止されていない。時空管理局は誠意をもって罪を償おうとしている人間には寛大だ。
なので、二年ほどは互いに自由に会えない事を我慢せざるを得ないが、逆にいえば二年ほどでいいのだ。その間、フェイトを正しく導いてくれるであろうと考えた相手が、高町士郎であり桃子であった、というのが今回の話だ。
「まあ、時空管理局とやらの法体系がどうなっているかを知らないから、自首した結果がどうなるかってのは僕には全く分からないんだけどさ。」
「えっと、母さん、自首するの?」
「しないとまずいんだって。まあ、話に聞くところによれば、研究テーマの違法性以外は大して問題にならないみたいだから、司法取引と奉仕労働でほとんどチャラに出来るんじゃないか、とは言ってた。」
「……そっか。」
優喜と同じく管理局の法体系とやらには全く明るくない(というより、戦闘以外の大半について明るくない)フェイトでも、自分を作り出した研究やら何やらが法に触れるだろう、という事は想像に難くない。そして、フェイトがやらされたあれやこれやの事の責任も、当然母が取ろうとするだろう。
だが半面、これは自分たちが胸を張って親子となり、大手を振って外を歩くために必要な事だという事も、聡いフェイトは理解している。多分、フェイトがいくつか罪を引き受けようとしたところで、プレシアは頑として拒むだろう。そう考えると、涙がにじみそうになる。
「まあ、この話は終わり。いまは桃子さんが暴走しないように、手綱を握る事に集中しよう。」
「……うん。」
外見だけとはいえ、小学生に暴れ馬扱いされる桃子。普段は良識ある大人なのに、状況が許せば非常に子供っぽくなるのが、高町さんちのお母さんである。その性質を反映してか、三十路に入っているのに、下手をすると十代後半で通じる容姿をしているのは、さすがと言えばいいのだろうか。
「あら、このベビードール可愛いわね。フェイトちゃんがこれ着て迫れば、優喜君だってイチコロかも。」
さっそく暴走の兆しを見せる桃子に顔を見合わせため息をつくと、とりあえず落ち着かせるために彼女に駆け寄る優喜とフェイトだった。
「どうしたの、フェイトちゃん?」
「あ、なのは。」
目当ての物も大体買い終わり、せっかくなので異文化交流的にデパートの中を冷やかして回っていた時の事。フェイトが、どこの百貨店やデパートにも存在するある一角を、不思議そうに見ていたのだ。
「あれ、何かな?」
「ああ、あれはおもちゃ売り場だよ。」
「おもちゃ売り場? なんだか、安物のデバイスみたいなものが結構いっぱいあるんだけど……。」
「あ、あはははは。」
なのははほとんど興味が無かったが、変身ものや魔法少女もののアニメや特撮が最近勢力を盛り返してきているらしく、その手のおもちゃが結構いっぱい並んでいる。とはいえど、なのはにしてみれば、ゲームはともかく、この手のギミック満載のおもちゃなど、構造がどうなってるかぐらいしかそそられる要素がない。ゆえに、長いことスルーしていた訳だ。
「そういえば、この一角に来るのも久しぶりねえ。恭也も美由希もなのはも、おもちゃにほとんど興味を示さなかったし。」
「恭也さんは、分かる気がする。」
「子供の頃のおにーちゃんが変身ベルトとかつけてる姿を、なのははどうやっても想像できません。」
優喜となのはの言葉に、思いっきり噴き出す桃子。あの仏頂面で変身ベルトを腰に巻き、喜々として変身ポーズをとっている恭也など、すでにギャグかホラーの領域だ。
「なのは、変身ベルトって何?」
「え? ああ、フェイトちゃんは分からないよね。これがそうかな?」
「……たとえ子供の頃だとしても、恭也さんは死んでも着けない気がする。」
フェイトのコメントが、高町恭也の人物像をすべて物語っていると言えよう。因みに、高町家で買ったおもちゃの類は、ちゃちな電子ピアノとレジスター、あとは乳幼児向けの知育系玩具ぐらいである。この一角にあるような戦隊ヒーローの武器だの、魔法少女の変身ステッキだのは、ついぞ買った事など無く今に至る。
「なんだか、武器としては取り回しが悪そうなものが多い。」
「フェイト、テレビの子供向けの特撮やアニメの、派手さと見栄えが最優先な武器の形状や構造に、あんまり実用性を求めちゃダメだよ。」
もっとも、形状的に取り回しがどう、という話をしたら、彼女たちが扱うデバイスも、割と人の事が言えないものは多いのだが。
「なんだか、桃子さん的には、この一角でするような会話じゃない気が非常にするんだけど。」
「大丈夫だよ、おかーさん。私もそう思ってるから。」
見た目的には余裕でこのコーナーの射程範囲にいる二人の、かなりピントのずれた会話に苦笑する桃子となのは。どうせ買ってほしいようなものはないが、とりあえず冷やかし程度にぬいぐるみのコーナーに移動しながら会話を続けていると……。
「なのはゲット。」
「にゃ!?」
ブルネットの髪の白人美女が、なのはを背後から捕獲する。
「あら、フィアッセ。」
「うちもおりますよ~。」
「ゆうひさんも、お久しぶりです。」
フィアッセと呼ばれた白人女性の後ろから、背の高い日本人の女性が現れる。ゆるいウェーブのかかった栗色の髪の華やかな美女で、いろんな意味で日本人離れしたという形容があてはまる女性だ。フィアッセが、白人女性としては背が低いこともあって、余計に背の高さが際立つ。
「今日はどうしたの?」
「そろそろ六月の海鳴公演の準備期間だから、一足先にこっちに来たんだ。高町家にも顔を出すつもりだったから、ちょっとお土産をと思ったら、桃子の姿が見えたから驚かせようと思って。」
因みに、出身地のイギリスでも東京でも無くわざわざ海鳴のデパートで手土産を調達していたのは、単純にここのお菓子売り場に、高町家全員が好む銘柄の和菓子の詰め合わせがあるからだ。
「あの、桃子さん?」
「この人たちは……?」
「ああ、紹介するわね。こっちの海外の美人さんが、フィアッセ・クリステラ。クリステラ・ソングスクールが誇る光の歌姫で、昔うちで暮らしてた事もあるの。こっちの背の高い美人さんが『天使のソプラノ』SEENAこと椎名ゆうひさん。クリステラ・ソングスクールの卒業生で、世界で活躍中の歌手よ。」
「クリステラ・ソングスクール?」
優喜が何それ、という感じの表情で聞き返す。当然ながらフェイトが知るわけもないので、優喜と同じようにクエスチョンマークを大量に飛ばしている。優喜の方は、二人ともテレビか何かで見た覚えがなくもないが、基本的に余暇時間は鍛錬か勉強かアクセサリー製作に回しているため、見た気がする、程度の認識しかない。
「ああ、二人とも知らなくて当然ね。クリステラ・ソングスクールって言うのはね、フィアッセの母親で『世紀の歌姫』と呼ばれた歌手、ティオレ・クリステラが設立した音楽学校よ。」
「へえ、すごいんだ?」
「まあ、そのすごさは実際に聞いてみればすぐ分かるわ。」
フェイトのピンと来ません、という表情に苦笑しながら、あえて自分が語ることは避けることにした桃子。フィアッセとゆうひは優喜たちの反応を珍しい、と思いつつも、そんなこともあるだろうとは納得している。誰もが自分たちのことを知っているといううぬぼれは持ち合わせていない。
「それで、桃子。この二人は?」
「今、うちで面倒見てる子達よ。そっちの可愛い顔した子が竜岡優喜君。金髪で綺麗な子がフェイト・テスタロッサちゃん。多分勘違いしてると思うけど、優喜君は男の子だから。」
「あ、そうなんだ。」
「何や、もったいないなあ。」
予定通りというか予想通りというか、やはり二人とも優喜を男だとは思っていなかったようだ。
「まあ、そういう反応には慣れてるからいいけど、勿体ないって何?」
二人とも敬語より砕けた対応の方を好むと踏んで、タメ口で会話する優喜。
「だって、自分男の子やったら、スカートとか死んでもいややろ? 似合いそうな服いっぱいあるのに、勿体ないやん。」
「そのネタは、高町家にお世話になる前からさんざん言われてるから、そろそろ違うネタで攻めてほしい。」
「むう、そこまで言われて天丼にこだわるのは芸人の名折れ。優喜君やっけ? 次までになんか考えとくから首洗って待っとってや。」
一体何に燃えているのかとか不毛な突っ込みはさけて、とりあえず頑張ってぐらいでお茶を濁す優喜。じーっとこちらを見つめるフィアッセの視線が、何とも居心地が悪い。
「それはそうと、やけに優喜君を熱心に見とるけど、恭也君に振られたからって優喜君に乗り換えるのは、さすがに年齢差考えたら無理があると思うで。」
ゆうひの冗談としても性質の悪い台詞に、微妙に聞き捨てならないという感じで反応するなのはとフェイト。二人の意外な反応に察するところがあったフィアッセは、とりあえず誤解を解くことを第一に考える。
「そんなんじゃないよ、ゆうひ。」
「そう? なんか、ただならぬ視線を感じたんやけど。」
「んー、まあいっか。ここで聞いちゃおう。」
フィアッセが、呟きとともに膝を折り、優喜に目線の高さを合わせる。そのまましっかり目を合わせて、まじめな顔で質問内容を告げる。
「優喜、最近ちゃんと眠れてる?」
「え……?」
いきなりの、それも先ほどまでの会話とはまったく脈絡のない質問に、何を聞かれたのかとっさに理解出来ない優喜。もっともフィアッセは、なのはとフェイトの反応で、優喜の返事を聞くまでもなく、質問の答えを悟ったようだが。
「やっぱり。」
「答えてないのに何故に納得してるんだろう、この白人美女は……。」
「そもそも、初対面でどうして、あの質問に行ったの?」
鋭すぎるフィアッセに苦笑がにじむ優喜と、真剣に悩むフェイト。
「種明かしをすると、優喜の眼の下に、よく見ないと分からないぐらいのクマが出来てるんだ。それに、ちょっと疲れてるような感じがしてたから、最近なにかあって、眠れなくなってるんじゃないかなって。」
「……やっぱりフィアッセさんはすごい。」
「僕の事なのに、何故になのはが肯定する?」
「優喜、今更否定しても駄目だと思う。」
「そうだよ。ここまで見抜かれててとぼけても、見苦しいだけだよ、優喜君。」
なのはとフェイトに駄目だしをされ、観念するしかないと悟った優喜。多分、見抜かれた本当の理由は、この二人の態度だろう。
「最近ちょっと、夢見が悪くてね。」
「ん~、それだけでこの子たちがここまで心配そうにするとも思えへんけど……。」
「まあ、私たちは今は部外者だし、深くは追求しないよ。」
あくまでも強情を張る優喜に苦笑しながら、大人の対応をする歌姫達。
「なんにしても、そういう事やったら……。」
「気分転換に、カラオケとかどうかな?」
歌姫二人の提案に、何ぞ恐ろしい言葉を聞いた、という顔をする優喜。この二人の実力をちゃんと理解しているわけではないが、おもちゃ売り場のぬいぐるみコーナーだというのに、時折気づいて遠巻きにしてみている人がいるという時点で、その人気と実力は推して知るべし、だ。
「あら、いいわね。」
「いやあの、僕個人としては、この面子と一緒に歌うのは非常に避けたいところなんだけど……。」
「買い物は終わってるんだよね? だったら今からすぐにいこ。」
当然、年長者三人が乗り気になっていては、優喜が抵抗したところで意味がない。力技で拉致られた揚句の果てに、終わった後になのはやフェイトとセットで、夏休みにソングスクールでの特別授業を受ける約束をさせられる。その特別授業の成果が、思わぬ形でなのはとフェイトに影響してくるわけだが、この時の彼らには、そんなことは知る由もない。
「……明らかに僕だけ罰ゲームだったよね?」
「まあまあ、夏休みに罰ゲームにならへんようとこまで教えてあげるから、腐らんの。」
「そういえば、公演っていつ?」
「六月四日だよ。開場は午後六時、開演は午後七時、終了は午後九時の予定。」
日付を聞いて、おや、という顔をする優喜。六月四日は、はやての誕生日だ。
「ねえ、優喜君。六月四日って、はやてちゃんの……。」
「だね。」
「なるほど。ほんなら、確か関係者用のチケットがちょっと余っとったし、そのはやてちゃんにプレゼントや。」
「いや、はやてとお二方は面識ないんだし、プレゼントしてもらう理由はあんまりないのでは、と思うんだけど……。」
「なのはのお友達で、優喜が気にかけてる子なんでしょ? それだけで、プレゼントする理由は十分だよ。」
そう言って、手帳に何やらメモをした後、チケットを三枚取り出す。
「多分、優喜とフェイトの分も用意してないと思うから、お姉さんからプレゼント。」
フィアッセの指摘通り、高町家のチケット割り当てを確認した時には、まだ優喜もフェイトもいなかった。普段は高町家はチケットを自分で買うようにしているが、海鳴公演だけは、フィアッセ達の強い意向で、チケットは関係者向けのものを用意してもらっている。
「でも、大丈夫なの?」
「こんなこともあろうかと、高町枠は多めにとってあったの。」
「なるほど。」
桃子の心配そうな質問に、しれっと答えるフィアッセ。さすがにかつて同居していただけの事はある。この辺の見切りは余裕らしい。
「さて、また新しい後輩が出来る事やし、うちらも気合入れて頑張ろうか。」
「そうだね。フェイトとかすごかったし、油断したらすぐに追い抜かれそう。」
演歌一色ではあったが、フェイトは歌姫二人をしてそう言わしめるほどの力量を見せつけた。本当に、いろいろ妙なところで才能を見せる少女である。
「あの……。」
「フィアッセさん、ゆうひさん……。」
「「ありがとうございました。」」
「うん。二人とも頑張ってね。」
「困った時には、いつでも相談にのるで。」
なのは達と歌姫達のやり取りを、怪訝な顔で見つめる優喜。もっとも、質問をするのは野暮らしい、と察する程度の鋭さはあるので、あえて疑問は口に出さない。その後高町家で一服した後、フィアッセは他のメンバーと落ち合うから、とホテルへ帰って行き、なんだかんだとごたごたした一日は終わりを告げた。
その日の夜。今週いっぱいは心身をちゃんと休めること、というお達しがあり、優喜は夜の鍛錬はお休みだ。そろそろ、新しい環境に適応したことによる不具合が、一度まとめて出てくるころだ、という判断でもある。
「……やっぱりうなされてるね。」
「……うん。」
優喜の部屋にこっそり忍び込み、パジャマ姿のまま様子を伺いに来たなのはとフェイト。予想通り優喜はうなされていた。まだ月村家での戦闘から、一週間もたっていないのだ。フェイトの問題はあらかた解決したが、実際のところ優喜の問題に関しては、何一つ解決していない。
「昼間は普通だったけど、やっぱり我慢してるのかな……?」
「そうだと思う。優喜、痛いとか辛いとかなかなか表に出さないのに、あの日は見て分かるぐらいだったし……。」
ハンターを殺してしまったあの日。自分達もショックが大きすぎて、優喜の様子を冷静に観察できなかったが、考えてみればあれほど顔色の悪かった優喜など、それまでに見たことがない。あの優喜が様子を取り繕いきれなかったのだから、受けているダメージが軽いとは思えない。
そもそも、ハンターのことがなくても、普通に優喜の境遇は過酷なほうに分類されるだろう。見知らぬ土地に無力な状態でほっぽり出され、知り合いに安否も伝えられず、一人での行動を余儀なくされる。たまたま拾ったのが桃子のような善良な人物だったからよかったものの、それも結局は幸運に支えられた結果に過ぎない。
いい加減、いろんなところに無理がたまってきている時期だ。ある意味、起こるべくして起こった状況だろう。
「やっぱり、うちじゃ落ち着けないのかな……。」
正直、優喜はまだ、高町家を帰る場所と認識している気がしない。一ヶ月という期間が長いか短いかは分からないが、少なくとも高町家の人間が、優喜を家族として受け入れ、なじむのには十分な時間だ。なのに、優喜の側はいまだによそ者感覚が抜けていないらしい。この殺風景な部屋を見れば、それぐらいは容易に分かる。
優喜の部屋には、前の同居人が使っていた家具以外には、ほとんど物がない。箪笥の中には、それなりの数のジャージと下着以外は、買ってきて無理やり押し付けた服が数枚入っているぐらい。本棚には教科書程度しか入っておらず、空きスペースには練習で作ったアクセサリの試作品を、無造作に並べている。机には筆記用具とアクセサリ加工の道具が几帳面に並べられているが、優喜の趣味や嗜好を示すようなものは、何一つ存在しない。
「なのは、どうする……?」
「震えてるんだから、やっぱり暖めてあげるのが一番じゃないかな……?」
お互い、考えていることは同じだったらしい。前回は手を握ってみたが、あまり効果はなかった。となると、抱きしめるのが一番なのだろう。自分達の経験からいっても、人の体温に包まれて眠るのは、精神的に堪えているときには一番いいのは間違いない。添い寝は、最高の精神安定剤なのだ。
問題なのは、さすがに血縁のない男女が同じベッドで寝るということが非常識であることぐらいは、小学三年生の身の上でも理解しているということだろう。
「でも、いいのかな……?」
「私も、さすがに一緒に寝るのはまずいんじゃないかな、って思わなくもないけど、でもフィアッセさんを信じるんだったら、多分これが一番いいと思うんだ。」
カラオケのとき、ドリンクバーに飲み物を取りに行くついでに、二人でフィアッセに相談したときのことを思い出す。そのときのやり取りはこうだ。
「優喜が苦しんでるのに、何が出来るかわからないんだよね?」
「はい……。」
「やっぱり、フィアッセさんにはお見通しかあ……。」
「私も覚えがあるから、ね。」
なのはとフェイトに、苦笑しながら優しく声をかけるフィアッセ。高町家が大変なときに、結局何も出来なかった記憶を思い出したのだろう。因みにゆうひは、今回はフィアッセの仕事だという事で、先に戻って歌っている。
「優喜の場合、多分だけど。」
「「……。」」
緊張の面持ちで回答を待つ二人に、あっさりと特に緊張感も感じさせずにフィアッセが答える。
「多分、二人がしてあげたいこと、そうするべきだと思ったことを、素直に実行するのが一番じゃないかな。」
「「え?」」
「ああいうタイプには、様子を見て考え込むよりも、がむしゃらに直接心をぶつけるほうが効果があると思うよ。」
フィアッセの言葉に、妙に納得してしまう二人。もっとも、この時のやり取りがきっかけで、二人が今後も暴走気味に優喜にぶつかっていくとは、さすがにフィアッセも予想しなかったようだが。
「……フェイトちゃん。女は度胸、だよね。」
フィアッセの言葉を反芻し、今も険しい顔で歯を食いしばっている優喜を見つめ、ぽつりとつぶやくなのは。その言葉に、フェイトも呼応する。
「……うん。私も覚悟を決めた。」
決めなくてもいい覚悟を決め、二人して優喜のベッドにもぐりこむ。そもそも、あれだけひそひそ話をしていても目を覚まさないのだ。明らかに異常事態だ。異常事態なのだから、タガが外れたような方法で解決を図ってもいいじゃないか。
言い訳がましく理屈を並べたて、右側からなのはが、左側からフェイトが、優喜を抱きしめる。幸いにして、添い寝が暑くて厳しい気候ではない。まだまだ朝晩は涼しい季節だ。しばらくして、優喜の震えがやや収まった事を感じたあたりで、二人とも夢の世界へと意識を手放した。
「お兄ちゃん、いつまでそこにいるの?」
いつまで待っても自分たちのところに来ない優喜を、川の向こうから、享年五歳の妹が不思議そうに見ている。あの事故の直後の姿だろうか。顔だけは不思議と綺麗だが、それ以外は原形をとどめている場所が無いほど壊れている。優喜が助かった事がどれほどの奇跡かを物語る姿だ。
「お兄ちゃん、早く来てよ。一緒に遊ぼうよ。」
自分によく似た顔の妹。もし生きていれば、すごい美人になったであろう妹。そんな彼女が、無邪気に手招きをする。だが、優喜にはまだ、川を渡る資格など無い。少なくとも、死に瀕しているわけではないから、どんなに渡ろうとしても、体が言う事を聞かない。
向こうに行ってはいけない。そんな事は痛いほど分かっている。あそこから呼んでいる妹は、優喜が作った幻想だ。たとえ向こうに行ったところで、二度と会う事など出来はしない。だが、向こうから無邪気に呼ぶ妹の姿は、それだけで優喜の心をえぐり取る。向こうに駆け寄りたい衝動と、どの面をさらしてという思いとが、優喜の中でぶつかり合う。
いつの間にか、妹の傍らに父が立っていた。優喜を非難するように、悲しそうな瞳でこちらを見ている。父の悲しみは、人を殺した優喜がいまだにのうのうと生き延びている事に対してか、それとも、勝手にこんな夢を見て苦しんでいる事に対してか。どちらにしても、今の優喜を見て良しとはすまい。
「……。」
何か言わなければいけない。なのに言葉が何一つ出てこない。この夢を見ると、いつもそうだ。そして、いつも通りならば、そろそろ次の場面へ移るはずだ。
優喜の足元が、突然底なし沼に変わる。反射的に体を浮かせようとして、何かに足を引きずりこまれる。その様子を、妹はつまらなそうに見ている。
「お兄ちゃんだけ一人で遊んでずるい。」
ぼろぼろの体を動かして、こちらに歩み寄ろうとし、どんどん体が崩れていく妹。首だけになってもなお、お兄ちゃん遊んでよ、と壊れたように繰り返す。
こんな夢を見ること自体が、妹を、両親を、不当に貶める事になる。なのに、骨の髄まで刻み込まれた罪悪感は、家族の思い出すら汚すような形で、優喜を苦しめる。生き延びた事の罪は、この形でしか断罪出来ない、と言わんばかりに。
(まったく、もう何年たったと思うんだ、竜岡優喜!)
己に喝を入れようとしたところで、今現在見ている夢は変わらない。そのうち、全身が底なし沼に飲み込まれ、優喜を引きずりこんだ連中が姿を現す。通り魔とハンター。優喜が死なせた相手だ。
確かに、意思疎通は出来た相手だ。だが、どちらも話し合いが通じなかった相手でもある。無抵抗なら、殺されるしか無かった。後ろに守るものがある以上、自分が殺されてやるのは論外。だが、殺しに来た以上殺されても文句は言えない、などというのは生きている人間の理論だ。そんな事は死んだ人間には関係ない。
世の中、死人がかけた呪いほど厄介なものはない。どれほど強い意志力で振り払っても、じわじわと魂を侵食していく。しかも今回のように人殺しという要素が関わっている場合、慣れて何も感じなくなれば終わりだし、かといって囚われ続ければ碌な事にならない。
いつものように、最も心をえぐる姿で、最も魂をすり減らす言葉をかけ続ける怨霊たちに、あえて何一つ反論せずに耐え続ける優喜。たぶん、歯を食いしばっていると指摘されたのは、この時の事なのだろう。
「いつまで、そんな風にうじうじやっているつもり?」
不意に、そんな声が聞こえる。体中を温もりが包み込み、底なし沼から体が浮かび始める。まとわりついていた怨念の声が、急激にその力を失う。
「……母さん?」
記憶の中にある、一番美しい姿の母。今までこの夢を見た時には、決してこんな綺麗な姿ではなかったはずだ。今までと今回とで、何か違いがあるのだろうか。
「悩むな、とは言わないけどね。さすがに一週間は行き過ぎよ?」
「……分かってるんだけど、これが性分でね。」
「まったく、昔の竹を割ったような優喜は、どこへ行ったのかしらね。」
「あの事故で、死んだんじゃない?」
「……言ってくれるわね。」
死人相手に、そんな軽口がたたけるのなら大丈夫なのかもしれない。優喜のその反応に、少しだけ安心する。何もしなくても多分、立ち直れたのだろう。だったら、せっかく来たのだから、尻ぐらいは叩いておこう。
「殺してしまった事を、忘れろとは言わないわ。忘れて、慣れてしまえば、優喜が心配した通りになってしまうもの。何しろ今のアンタは、冗談抜きで指先一つでダウンだものね。」
「うん……。」
「だから、最後の一瞬まであがけばいいじゃないの。それで、最後の一瞬まであがいた結果を、胸を張って受け入れなさい。あのハンターに対して冷静さを保てたんだから、それぐらい出来るでしょ?」
「自信はないけど、やってみるよ。」
いい返事、と笑った母の姿が、少しずつ薄くなっていく。
「そういえば、どうして母さんが?」
「お盆の前借り、かしらね。」
「は?」
「向こうとこっちの時間軸、結構ややこしい事になってるのよ。で、今年は帰る場所も様子を見る相手もいないから、こっちの時間軸のお盆休みを前借りして、アンタのところに来させてもらったのよ。」
おかげでしばらく仕事が忙しくなるわ、と快活に笑う母。そうだった。この人はこういう人だった。薄れかけていた思い出が次々によみがえる。
「まあ、今回はおチビちゃん達に感謝しなさい。あの子たちにほだされたから、こういう無茶をやる事にしたんだし。」
「おチビちゃん達?」
「起きたらわかるわ。本当は、前の子の時にやるつもりだったんだけどね。」
正直なところ、何でいまさらという思いは無くもないが、どうやら、死人には死人のルールと事情があるらしい。母が死後に一体何の仕事をしているのか、父や妹は今どうなっているのかなど、いろいろ気になる事はあるが、どうやら聞く時間はなさそうだ。
「母さんがアンタの手助けできるのは、これが最後だと思うわ。いくら夢枕が死人の特権といっても、一応成仏してる身の上じゃあ限度もあるし。」
えらくさばさばとした口調で、母が告げる。多分、すでに全ての未練を振り切っているのだろう。その母をして、無理をして夢枕に立とうと思わせるぐらい、今回の優喜はひどかったようだ。全く情けない話ではある。
「あんまり早くこっちに来るんじゃないわよ。少なくとも、母さん達が輪廻の輪に入るまでは駄目だからね。」
「うん……。」
「じゃあね。」
言うだけ言って、母の姿が消える。川も花畑も底なし沼もすべて消え、何もない空間に浮かんでいる優喜。正直、生き残ってしまった事や殺してしまった事に対する罪の意識が消えるわけではない。だが、少なくとも今日はちゃんと眠れそうだ。意識が闇に沈み……。
「ん……?」
目が覚めた時、目の前にあったのは、なのはの胸元だった。どうやら、なのはに頭を抱え込まれているらしい。背中側にも、誰かにしがみつかれている感触がある。前がなのはなら、後ろは多分フェイトだろう。いつもぐりこんできたのか、なぜこうなっているのか、一向に思い出せない。プレシアの治療直後もそうだったが、二人がここまでの事をしているのに、全く目が覚めなかったあたりに、自分がどれだけ弱っているかが如実に表れている。
「……とりあえず、起こすか。」
正直なところ、まだ第二次性徴もまともに始まっていないような体に欲情することはあり得ないが、傍目に見てなにを言われてもしょうがない状態ではある。これが十年後だったら、互いにちゃんとパジャマを着ていても、言い訳など効かないだろう。
「なのは、フェイト、起きて。」
結構しっかりホールドしていたなのはとフェイトの腕を解き、何とか体を起こしてから二人を揺さぶる。ちらっとこの部屋の数少ない調度品である目覚まし時計を見ると、現在四時過ぎ。大体いつもの起床時間だ。
「……にゅ~。」
まるで変な動物のような声を出して、なのはがむくりと体を起こす。寝ぼけているのがはっきり分かる顔で優喜を見ると、にへらと笑い胸元にしがみついて頭を摺り寄せてくる。本当に動物、それも猫のようなしぐさだ。
「……ゆうき……。」
明らかにまだ頭が本格的に眠ったままらしいフェイトが、優喜の背中によじ登るようにしがみつく。全身が背中に密着したあたりで幸せそうな吐息を一つ洩らすと、また寝息を立て始める。結局若干体勢が変わっただけで、優喜が起きる前と何一つ変わらない状況に戻ったわけだ。ちゃんと目が覚めて、自分たちの醜態を理解した時の反応が、怖いような楽しみなような、複雑な心境である。
「なのは、フェイト……。」
出来るだけ手荒なまねをしないように、可能な限り穏便に起こそうとするも、正体を失って妙な生き物になっている二人には通用しないらしい。いい加減ちゃんと起きないと、本調子ではない優喜はともかく、なのはとフェイトはもう朝練の時間だ。今の状態を見られると、乙女心的に大ピンチになるはずだ。
「しょうがないか……。」
あきらめて、活を入れる。本来は気絶している人間を起すためにやるのだが、まあこの際構わないだろう。
「はっ。」
「にゃっ!?」
「ほっ。」
「あうっ!?」
気の抜けた掛け声とともに活を入れると、さすがにちゃんと目が覚めたらしい。優喜が引き剥がす手間を惜しんで、密着状態からの発勁の要領で活を入れたものだから、全く体勢が変わらないままばっちり目覚めてしまう。
「え? あれ? 優喜君が起きてる……?」
「やっと起きた……。」
「あの、優喜、もしかして……。」
「うん。起こそうとしたら、寝ぼけてこうなった。」
優喜の言葉に、全身茹蛸のようになりながら、恐ろしいスピードで離れる二人。勢い余って、脛や足の小指をぶつけ、ベッドの下でうめいている。
「とりあえず、早く部屋に戻って着替えてきた方がいいと思うよ。誰かが様子を見に来たら面倒だし。」
「あ、うん。」
「優喜はどうするの?」
「久しぶりにちゃんと眠れたみたいで体が軽いし、普通に朝のメニューをこなすつもりだけど?」
優喜の言葉に、目に見えて表情が明るくなる二人。原因が完全になくなったわけではないが、少なくとももう、継続的に夢を見る事は無いだろう。優喜の表情からそれを読み取ったらしい二人の、心から喜んでいるような表情が印象的だ。
「ちゃんと眠れたんだ、よかった。」
「じゃあ、急いで着替えてくるから、優喜君も早く下りてきてね。」
「うん。……なのは、フェイト。」
「「なに?」」
「ありがとう。」
「「……うん!!」」
優喜の礼の言葉にハトが豆鉄砲を食らったような顔をし、その後に花が開いたような満面の笑顔で答える二人。ようやく一つ返せた、その事で、常にない力が湧いてくる。
「今日も一日、がんばろう!」
「うん!」
元気いっぱいに部屋を出ていく魔法少女達を見ながら、母や故郷に残してきた人たちの顔を思い浮かべる。多分、二人が今のように笑っていれば、彼らも心配する事は無いのだろう。
「さて、僕も頑張るか。」
いつものように寝巻用から運動用のジャージに着替え、一つ気合を入れて一階へ降りていく優喜であった。
なお、二人が優喜の布団にもぐりこんでいた事は全員にばれており……。
「とびっきりの美少女二人と一夜を過ごした感想は?」
「さすがに、お互い第二次性徴もまともに始まってない体なんだから、感想も何もないと思うんだけど……。」
「やっぱり、後最低三年は必要だよね。」
「その頃に理由もなくこんな事をするようだったら、さすがにいろいろ問題ない……?」
言うまでもなく厳しい追及が(特にフリーの美由希から)飛んでくる。この事で、自分たちがどれだけ恥ずかしい事をしたのか思い知る魔法少女たち。もっとも、結局彼女達は高町家で同居している間、事あるごとに同じような事をして(因みに、優喜だけでなく、自分たちが悪夢をみた際もだ)、そのたびに優喜の草食系男子ぶりも含めていろいろ小言を言われるわけだが、そんな事は誰ひとり知る由もない。