別に閃が薄情だとは思わない。
餓鬼たちとの一件を見た者なら自分のことを恐れて近づいて来ないことが普通なのだ。
アレを見た上で気にすることなく接してきた閃の態度の方が珍しい。
だから、私ははしゃいでいたのだろう。
はだけた着物を直すこともせずに、何をするでもなくぼんやりと美夜白はそんなことを考える。
美夜白は閃と別れた場所から一歩たりとも動いていなかった。
もうどれほど、こうやっていたのかも分からない。
別に閃が戻ってくると思っているわけではない。
ただ、今は動くことさえ億劫だった。
閃とのじゃれあいは楽しかった。
私の外見に惹かれて寄ってくる男たちはいたけど、私の力を見たら逃げ出した。
私の格好を珍しがって近づいてくる女たちはいたけど、私の力を見たら逃げ出した。
私の力を見て子どもたちは泣き出した。
私の力を見て老人は腰を抜かした。
私の力を見て人々は私を罵った。
でも、閃だけは私の力を見た上で逃げ出さないでくれた。
私のそばに居ながら、当たり前のように過ごしてくれた。
そんなことは初めてだった。
それが嬉しくて。
すごく、すごく楽しくて……傷のことを忘れてしまっていた。
忘れていたから閃に傷を見せてしまった。
ただでさえ恐れられてしまうようなところを見せたのだ。
それに加えて背中の傷。
私と関わることが危険と判断されても仕方があるまい。
餓鬼を威圧だけで圧倒するなんていう離れ業を見せた存在がこれほどまでの傷を負っているのだ。
それは、美夜白とて無敵ではないことを示しているし、自分の身すら守りきれていないのではそばにいても安全とはいえまい。
そして、このような傷を美夜白ではない閃や一般の人間が負えば、ほぼ間違いなく死に至る。
美夜白と一緒にいて同じような傷を負う出来事に巻き込まれるわけにはいかないのだ。
分かっている、分かっているのだ。でも、それでも……
「……寂しいよ」
顔を俯ける美夜白。
小さく零れた言葉には美夜白の深い悲しみが込められていた。
美夜白の両目に静かに滴が増えていく。
そして……
「お前なぁ、そんな格好してねえで服を着ろよ、風邪引くぞ!」
溢れかけた涙は驚いたような声に遮られた。
美夜白はゆっくりと顔を上げる。
身体を震わせながら怯えるように。
「まぁ、二度手間にならないから都合が良いっちゃ都合が良いんだけどよ」
そこには肩に背負うように薬箱を引っさげた閃の姿があった。
閃は呆然としている美夜白に構うことなく隣に座り込む。
担いでいた薬箱を下ろし、閃はその中から塗り薬を取り出した。
閃が狩りにおいて傷を負ったときに使っているものであり、彼の父親も使っていた代物だ。
複数の薬草を磨り潰し、薬師によってある程度保存が効くように加工されたもの。
比較的安価である割にそこそこ効果が見られるのだが、材料となる薬草が村では取引されていない。
それゆえに森で自ら薬草を摘み、それを薬師に渡さねばならない。
狩人である閃のように森を歩ける者、あるいはそんな彼らに薬草摘みを依頼した者しか持っていなかった。
「ほれ、さっさと傷口見せろ。安物の薬だけど、ないよりはマシだろ。ったく、どうして治療もしないで放っておくんだか」
珍しく説教でもするような口調で閃はぼやく。
一方、状況が美夜白は信じられないようである。
「閃、私と関わるのが嫌になったんじゃ?」
「はぁ?何を言ってんだ?」
本気で呆れたようすで閃は応じる。
というよりも、そんなことより治療をさっさと始めたいようだ。
「だって……こんな傷がついているんだよ。厄介事を抱え込んでいるなんてすぐに分かるじゃないか。だから、巻き込まれないように姿を消したのかと……」
「あのなぁ……」
再び閃が去るのではないかと恐る恐る語る美夜白に閃は自分の額を押さえる。
「巻き込まれるのを恐れるくらいなら最初から関わったりしねえよ。お前が隣に座ったのを許した時点でとっくに覚悟はできてんだ」
何ということもなさそうに告げる閃。
美夜白はその言葉を聞いてすぐに背中を向けた。
ただ、ぐしぐしと目許を拭っているところを見ると、傷を治療するためというよりも単純に溢れそうになった涙を見せたくなかったのかもしれない。
閃は特に何かを言うこともなく薬を傷へと塗り始める。
ゆっくりと丁寧な手つきで、傷をできるかぎり痛ませないよう薬を塗りこんでいく。
やがて、美夜白は目許を拭う手を止めた。
「傷がどうしてできたのか……聞かないのかい?」
気持ちが落ち着いたらしい美夜白がぽつりと尋ねる。
「……聞いていいのか?」
閃とて気になっていなかったわけじゃない。
ただ、そのことには触れるべきではないかと考えていた。
だが、まさか美夜白のほうから話題を振ってくるとは思わなかった。
「嫌われたくないから、あまり話したくなかったんだけどね。でも、君には話しておくべきかもしれないと思ってね」
それが美夜白の本音。
閃には嫌われたくない。
だけど、自分にここまでしてくれた相手に対して……もう隠し事はしたくなかった。
「分かった……話してくれ」
美夜白の言葉に閃は頷く。
美夜白自身が決意を固めたなら、閃にもう拒む理由はない。
「端的に言うならね、この傷は鬼につけられたんだよ」
「……」
閃は何も言わない。驚く様子もない。
餓鬼から村を救った美夜白だ。
傷つけられる存在は限られる。
それくらいは予想の範囲だったのだろう。
傷へと薬を塗り終えた閃は清潔な布を当て、その上に包帯を巻いていく。
美夜白は話を続ける。
「私はある奴を探して旅をしているんだけど、その途中で鬼に襲われてね。逃げ切ることはできたんだけど、ヘマして傷を負っちゃったんだよ」
美夜白は苦笑を浮かべるが、閃の方は内心舌を巻く。
餓鬼に襲われたときは追い払った美夜白が逃げたということは、別の種の鬼だろう。
奴らの戦闘能力ははっきり言って餓鬼とは桁違いだ。
一人鬼に襲われて逃げ切るなど並の所業ではない。
襲われながらも生きているということが美夜白の戦闘能力の高さを示していた。
「さすがに、この傷じゃしばらく休まないとキツくてね。本来ならあまり長い間同じ場所に留まっちゃいけないんだけど」
傷を放っておいた者のセリフとは思えないが、美夜白が『―――』であることを考えれば、それとて納得はできる。
傷が悪化した様子もないし、彼女にとってこの傷は無理せずに時間を置けば治せるものだったのだろう。
そこで美夜白は言葉を切った。
その先を続けることは心理的抵抗があるのだろう。
それでも、躊躇いながらも美夜白が続けたのは、閃に真実を知っておいて欲しかったから。
「能力というよりも体質なのかな……私とい存在は鬼を呼んでしまうんだよ」
手当てをしていた閃の手が止まった。
閃の手から包帯が落ちて閃の膝へと転がる。
「……どういうことだ?」
心なし、閃の声が震えていた。
「そのままの意味さ。私という存在は鬼を惹きつけ……破壊衝動に陥った鬼に襲撃されるってことだよ」
閃は言葉を失くした。
そんな体質なんて、そんな存在なんて聞いたことがない。
だが……それはおそらく真実。
思い出すのは、先日の襲撃。
閃が美夜白に出会ったあの日、襲撃してきた餓鬼の数は普段の襲撃の時よりも多かった。
そこには美夜白という存在が原因の一端として存在するということ。
襲撃自体は時折村で起こっていたが、そこに美夜白の鬼を呼ぶ性質が加わった結果というわけだろう。
鬼の襲撃によって、犠牲になった奴らがいるあの襲撃のだ。
自分が何かを言えるような立場ではないが、いくらなんでも、犠牲者が報われない気がした。
「ふざけるな!!」、そんな風に美夜白へと閃は怒鳴り散らそうとして……かろうじて飲み込んだ。
美夜白が悲しそうな表情をしていることに気付いたから。
美夜白とてそんな体質を望んだわけではないことが分かってしまったから。
以前に鬼の襲撃のことを閃から聞いた時、美夜白は傷ついた身体を無視して村を助けようとした。
美夜白のせいで襲撃していきた鬼の数が多かった、それは事実だ。
だが、同時に美夜白が助けようとしてくれたおかげで村の被害が普段の襲撃よりも少なかったのもまた事実なのだ。
それに美夜白自身が先ほど言っていた。
「本来ならあまり長い間同じ場所にいてはいけない」と……
それはつまり、美夜白は今まで周りの被害を出さないために一ヶ所に留まり続けることを自分に許さなかったということ。
傷さえなかったら、今回とてすぐに去ろうとしたに違いない。
自らが望んだ体質というわけじゃないのだ。
そのことがどれほど美夜白を苦しめてきたのか……正直、閃には想像もつかない。
ただ、
「君が羨ましいよ、できるのなら私も君のような存在として生まれたかった……」
出会った日に閃が美夜白から言われた言葉。
あの時に見せた儚げな表情。
それは、悲しみに溢れ壊れそうになっている美夜白の心の証明かもしれない。
閃は美夜白が告げたことをゆっくりと少しずつ噛み締め、理解していく。
閃が目を閉じる。
それは、どこか決意を固めていこうとしているようであった。
静かに閃の目が開かれる。
そして、閃は落ちた包帯を拾いあげると美夜白の傷へと巻きつけた。
「ほれ、治療は終わりだ。あんまし無茶すんなよ?」
閃が包帯を巻き終え、若干赤くなりながらもはだけていた着物を元に戻す。
それから美夜白の頭を撫でた。
美夜白は恐る恐る閃へと正面から向き直る。
「閃、私のことを……嫌わないのかい?」
閃へと投げかけられた美夜白の問いかけ。
どこか怯えたような口調が「嫌われたくない」と言っているようなものだ。
「お前、不器用だなぁ……」
閃はため息を吐く。
美夜白がやっていることは、自分がどれほど厄介であるのかを懇切丁寧に説明した上で嫌わないで欲しいと願っているということだ。
まして、厄介事の内容があれほどのものとなれば、聞いた奴らは全てがほとんど逃げ出す。
逃げ出さないのは、閃のような一部の例外くらいであろう。
嫌われたくないなら、黙っておいたほうが遥かに楽なのだ。
思えば、閃と出会ったときや餓鬼の襲撃から村を守ったときもそうだった。
出会ったばかりの閃に美夜白は自分という存在が『―――』だと語ったし、村を餓鬼から守るときも村人たちから恐れられるような方法で助けた。
もっとうまく立ち回れば美夜白ほどの容姿だ。
人に好かれることはそれほど難しいことではあるまい。
だが、美夜白は何かを隠すことをせずに真実を告げた上で、相手に判断をまかせる。
本人でさえ嫌われても仕方がないと思っているような状況なのに。
閃が言った通りにひどく不器用な生き方であった。
どうしてそんなことを言われているのか分からないのだろう。
美夜白は不思議そうな顔をしながらも、嫌われることを怯えて瞳で閃を見続けている。
「正直、まだ完全に割り切ることはできないけどよ」
閃は静かに美夜白の疑問に答え始める。
美夜白という存在は危険だ。
彼女自身に悪意はなくとも、彼女という存在が大きな危険を、多大な被害をもたらす可能性は大きい。
だから、完全に割り切ることは閃にもできない。
それでも……
「それでも、お前が悪いわけじゃないだろ。だったら、俺はお前を恐れないし、嫌わない」
それは優しい、優しい言葉。
今まで美夜白がどれほど望んでも言ってもらえなかった言葉。
「うっ、うぁっ、うあぁ……」
美夜白の喉から嗚咽が漏れる。
知らないうちに涙が溢れる。
手が勝手に閃へとすがりつく。
「うわわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん……!!」
美夜白は子どものように大声をあげて閃の胸で泣いた。
***
はい、というわけで過去 日常編の三話でした。
今回は更新予定日の日付が変わってしまいまして、申し訳ありません。(土下座)
言い訳させていただけるなら、講義が終わった時間なのにも関わらず凄まじい延長を繰り返した先生のせいです、何故うちの大学には存在しないはずの七限目が開始されているんでしょう。(汗)
内容のほうは、今回は完全にシリアスですね。
美夜白の秘密が結構明かされたのではないかと思います。
なんか勘の良い人はこの段階で予想されちゃうのではないかと若干怖いですがw
それでは、今回はこの辺りで失礼します。
コメントお気軽にお願いします。