咲夜を撫でながら、こみ上げてくる訳の分からない衝動と閃は戦い続ける。
閃としてもすぐに手を止めるべきだというのは分かっている。
だが、どうしてだか止められない。
まるで、薬物にでも手を出したかのような気分になる。
「わ、わんわん、くぅ~ん」
戸惑いながらも咲夜は閃にされるがまま。
頬を染めてつつ、上目遣いで閃を見つめる咲夜の姿は非常に愛くるしい。
元々、綺麗というよりも可愛らしいと表現するのが相応しい外見を持つ咲夜だ。
今の状況では、その可愛らしさという武器に拍車がかかり、本格的に小動物のように見える。
おそらく、閃は咲夜に犬の耳と尻尾が幻視しているだろう。
だが、閃を責めるのも酷といえば酷な話だ。
特殊な趣味を持つ者を除き、男ならばこの状況に陥ればほとんどの者が同じものを幻視ることになるだろう。
耳と尻尾は咲夜の髪と同じ栗色。
時折、耳がぴくぴく動き、尻尾が喜びを示さんと動きまわっているのが幻視えている。
ああぁぁぁぁぁぁぁぁっ、抱きしめてえぇぇぇぇ!!頬をすりすりしてえぇぇぇぇぇ!!!
神に誓ってもいいが、閃にいやらしい気持ちは一切ない。
あるのは可愛いものを愛でたいという感情だけだ。
考えてみて欲しい。
例えとしてはあまりにそのままであるが、可愛らしい子犬がじゃれかかってきている光景を。
目を輝かせ、耳をひくつかせ、尻尾を振っている子犬。
褒めて褒めて、と言わんばかりに自分に近寄ってくる子犬だ。
犬嫌いな者なら別だろうが、そうでないなら大なり小なり可愛がりたいと思うものだろう。
閃が戦っているのは、まさにその衝動だった。
衝動に身を任せて思う存分愛でたい気がしないでもないが……残念ながら(?)相手は子犬ではなく人間だ。
まして、居候の身としては後のことを考えると妙なことをできるはずがない。
そんなわけで閃は抗い続ける。
「えっと、閃。さすがにそろそろ止めて欲しいんだけど……恥ずかしいし」
閃の状況を理解しないままに咲夜がお願いする。
閃は己の力だけでは手を止めることはできず、状況は拮抗したままに撫で続けただろう。
だが、幸いにも咲夜自身が一歩後ろに下がってくれたおかげでかろうじて己の手を離すことができた。
「……あ、危なかった」
何やら死闘を繰り広げた後のように閃は荒い息を吐く。
見たところ理性は本気でギリギリだったようだ。
少しの間だけそのままだったが、やがていつもの閃に戻る。
それから、エプロン姿の咲夜に改めて気が付く。
「その格好からすると料理中だったか?わざわざ出迎えに来てくれて、ありがとな」
「うん、今日も腕によりをかけて作るから。楽しみにしててね」
意欲を示すように咲夜は腕まくりをしてみせる。
そんな咲夜の様子に閃は苦笑を漏らした。
町の者が見たら、目を疑うであろう光景。
そして、咲夜が決して町の者たちの前では見せることのない姿だった。
確かにこれほどに喜ばれていれば、閃としても町の者に言われても出て行くことを躊躇うだろう。
「もうすぐできるから、ご飯にしよう」
言葉ともに閃は咲夜に引っ張られていく。
閃は特に抵抗することなく応じた。
リビングには大きめの机に四脚の椅子が備え付けられている。
備え付きなキッチンには今日の夕食の準備が整っており、あとは皿に盛り付けて並べるだけのようだ。
部屋に置かれた本棚には、剣術や対術、神威や鬼に関する本が並んでいるがここ最近は手をつけていないらしい。
少しだけ埃を被っていた。
また、壁にかけるようにして咲夜の細剣。
訓練用の刃を潰したものと実践用のもの、さらにそれぞれの予備の計四本が存在した。
閃をテーブルに座らせてから、咲夜は料理を盛り付ける。
閃は手伝おうかとも考えたが、これまで一緒に過した経験上手伝わせてもらえないことが分かるので素直に座っていた。
どうも咲夜は家事に関して閃に手伝われるのを嫌うらしく、この一ヶ月でほとんど家事を手伝わせてもらえなかった。
例外といえば、食材の調達くらいだ。
金を払っているわけではないので、閃としては居心地が悪いのだが。
「もう、閃は私がいないと何もできないんだから」と言って、咲夜は喜々として家事をやっていた。
別にできないわけではなくさせてもらえないのだが、咲夜にしてみると世話する現状が気に入っているらしい。
ヒモは嫌なんだけどなぁ……
そのことをあらためて考え閃はガックリとうな垂れる。
時間を見つけて、できるだけ食材調達をやるようにしたのでちょっとは役に立っているはず。
それでも、ヒモだと誰かに言われたら否定できない。
一ヶ月の間に閃が何をやっていたか。
酒場仕事、子どもたちと遊ぶ、咲夜と過ごす、周囲の散策の大まかに四つといったところだろうか。
町で何かの資料を探していたこともあったが、目的のものは見つからなかったらしく、すぐに止めていた。
そのうち、閃自身の目的のために行っている周囲の散策のときに見つけた食料をできるだけ持ち帰るようにしている。
一応、食費を浮かす助けにはなるだろうがそれでも咲夜一人のときのほうが安上がりなのは考えるまでもない。
獣を狩ったときは解体して、毛皮やら何やらを売るようにしているので多少金も入る。
そのため、咲夜に金を払おうともしたのだが頑なに受け取らないのだ。
閃の負い目は増えるばかりだ。
と、そうこうするうちに料理が並べられていた。
メインとなるのは、閃が狩ってきたピアの肉の香草焼き。
閃が狩ったものはまだ幼かったので肉が柔らかい。
噛んだ瞬間に、肉汁のうまみが口に広がるだろう。
咲夜の調理も味を活かしていることが予想される。
割と高級な食材なので贅沢な一品だといえるだろう。
ピアは【雪の領】や【火の領】を除いた各領に生息している草食獣だ。
基本的に群れで行動し、人や鬼、他の獣に対しての警戒心が強い。
そのため、捕獲は難しい部類に入る。
だが、閃は運よく群れからはぐれた子どものピアを見つけた。
まだ子どものピアは経験が少ないため、群れからはぐれてしまうとどうしても警戒があまくなる。
狩人として、幼い固体であろうと食べるために殺す心さえ持っていれば狩ることは可能だ。
次にトアや川貝を煮込んだスープ。
トアは比較的安価な魚であり、低所得者にも好まれる食材である。
生臭く焼いて食べると独特の味わいとなってしまう。
ただ、長時間煮込んだ場合は臭みも取れ十分な旨みが味わえる。
川貝も一緒に入れ、魚介のダシが利いたスープとなっているようだ。
ちなみに、トアも川貝も閃が調達してきた。
というよりも、閃によって裏の川に手作りの生簀が造られ、魚や貝を調達するたびにそこに入れるようにしたので魚介系の食材は新鮮なものが大抵食べられた。
乱獲になってしまわないか咲夜は心配したが、川を全て塞ぐように作ったわけでもなく、取り過ぎないようにしているらしいので大丈夫なようだ。
あとは、一般的なサラダとパンだ。
さすがに、ここには閃の食材調達は存在しない。
「おぉ!今日も、うまそうな料理だな」
「閃が良い食材持ってきてくれたからだよ。さっ、食べよう?」
その会話を皮切りに料理を食べる二人。
食事の間は無言だったが、特に険悪な雰囲気というわけでもなかった。
単純に二人とも食べることに集中しているのだろう。
それゆえ、食事が終了するのにそれほど時間はかからなかった。
食事が終ると同時に咲夜が楽しげに声をかける。
「閃、今日も旅の話を聞かせてよ!」
「分かった、分かった」
目を輝かせる咲夜に苦笑を漏らしながら、旅の話を始める。
この一ヶ月の間、頻繁に旅の話をせがまれた。
あまり弁が立つほうとは思えないので、閃とすると退屈しないのか心配だった。
だが、咲夜は飽きることがないらしく旅の話を聞きたがっている。
話しても問題なさそうな適当な逸話を思い出から探し、閃は静かに咲夜へと旅の途中にあった出来事を語っていく。
咲夜は閃の話に耳を傾ける。
静けさのなかで閃の声だけが響き、咲夜はどこか心地よい空気を味わいながら閃の話を楽んでいく。
「そんで、【雪の領】にて山村の村に辿り着いたのはいいんだが、その村この町同様に宿がなくってな。まぁ、その時にはもう雪に慣れてきてたんで鎌倉造って過したんだ」
「へぇ~」
咲夜は相槌を打ちつつ、ふと思う。
今まで閃から旅における色々な話を聞いてきた。
だが、そういえば肝心の理由をしらないと。
さっそく、咲夜はたずねることにした。
「ねぇ、閃」
「ん?なんだ、分かりづらいとこでもあったか?」
「そうじゃないよ。あのさ、閃はどうして旅に出たの?」
その質問によって、止まらずに動いていた閃の口が止まった。
わずかの沈黙が流れる。
咲夜が聞いてはいけないことだったかと心配しだした頃、ようやく閃が口を開いた。
ただ、その表情は若干ぎこちない。
「約束……なんだ」
「約束?」
その質問には、ただ小さく微笑むだけで閃は答えてくれなかった。
旅の話も終わり食器の片付けに入る。
椅子に座った閃とキッチンで皿を洗う咲夜。
背を向けている咲夜を閃が見つめている形だ。
ただ、閃の視線が何やら時折動いている。
その姿は何かを迷っているように感じられた。
やがて、咲夜に向けて躊躇いがちに言葉をかける。
「なぁ、咲夜……」
「なに~?」
閃の声に対して、咲夜は背を向け手を止めないままに応じる。
「明後日、給料日でさ。この一ヶ月働いた給料がもらえるんだ」
洗い物をしていた咲夜の手が止まる。
それは、次に何を言われるのかを想像してしまったように。
「何?じゃあ、何か奢ってくれるの?」
顔だけ振り向いて、笑いながら言ってくる咲夜。
だが、言われる内容は想像出来ているのだろう。
笑顔が引きつっており、声が震えている。
閃は咲夜のその表情を見て顔を俯ける。
それでも言葉は続けた。
「それも、いいかもな。この一ヶ月の間、世話になったし」
「閃、その言い方だと、まるで出て行くみたいに聞こえるよ?」
咲夜は笑った。
冗談だと言って欲しくて、否定して欲しくて笑った。
引きつった笑顔で笑ってみせた。
だが、閃は否定してくれなかった。
「明後日、給料を貰ったら。旅立つよ」
咲夜の持っていた皿が、落ち甲高い音を響かせて砕ける。
けれど、咲夜はそんなことを気にしてはいられない。
笑顔が崩れる。
どんな顔をすればいいのかも分からない。
結果、笑顔というにはあまりに歪なものができあがる。
「嘘……だよね?」
壊れたような笑顔で、抑揚のない声で咲夜は尋ねる。
「……ごめんな」
帰ってきた答えは、咲夜の儚い希望を打ち砕いた。
そのまま咲夜は崩れるように膝を着く。
そ動かない咲夜に、心配そうに閃が近づいていく。
顔を俯けているので、イマイチ様子が分からないがショックはでかいようだ。
「大丈夫か?」
「……だよ」
「えっ?」
小さく呟かれた咲夜の言葉は耳に届かなかった。
だが、言い直された感情の爆発で何と言ったのかすぐに思い知る。
「イヤダよ……イヤダ、イヤダ、イヤダ!!」
喚きながら、顔を上げてこちらを睨みつけてくる咲夜。
その顔は、涙でぬれていた。
閃はどう対応すればいいのか分からなくなる。
「咲夜……」
ただ、名前を呼ぶだけで精一杯。
「どうして?ねぇ閃、どうしてなのよ!!どうして一緒にいてくれないの!どうして、また旅に出るのよ!!お願いだから……お願いだから、一緒に居てよ!!ずっと、一緒に居てよ!」
子どものように泣き叫びながら、閃の服を掴み、激しく揺さぶる。
そんな咲夜を悲しそうに閃は見つめる。
だが、どれほど泣いても、喚いても……閃は何も言ってくれなかった。
一緒に居てくれるとは、言ってくれなかった。
ただ、刻一刻と別れの時が近づいていた。
***
はい、といわけで別レの2話でした。
シリアスパートへ移行ですね。
この章はあとは基本シリアスになると思います。
まぁ、ギャグ少しは入れるかもですけど、あっても本当に微々たるものになるかと。
一部も後半の気配がでてきたかなぁ。
次の更新では主人公無双の片鱗を出す予定です。
それでは、今回はこの辺りで。
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