「我が金剛爆斧、止められるものなら止めてみるがいいッ! 華雄隊続けェッ、一気に押し返すぞッ!」
「……一気にいく。ねね、兵はよろしく」
「任されるですぞー!」
――力の暴風が吹き荒れる。
数人がかりで槍を構えて耐えようとしていた敵兵を一合の下に吹き飛ばし、自らの武器に纏わりついた血潮を豪快に一振りにて吹き飛ばした華雄は、十分に警戒しつつ戦況を見渡した。
戦――安定の街を攻略しようとしていた西涼韓遂軍、その残党とも言える軍勢との戦闘が始まって少し、安定城門前での戦いは、拮抗しているといっていい。
精鋭精強と謳われた西涼の兵は――なるほど、噂に違わぬものである。
それを相手にしているという事実はもとより、数の上でも劣勢であるのだから、拮抗――対等に戦が出来ているのであれば、将という立場からしてみれば何ら問題は無い。
「――足りぬな」
だが、それだけでは――対等に戦をするだけでは勝てぬ、と華雄は迫る敵兵へ石突きを食らわせた後にその身体を蹴り飛ばした。
吹き飛んだ兵は、およそ人では有り得ぬであろう飛び方と曲がり方で敵軍勢の中へと突っ込んでいった。
華雄の武、呂布の武。
二人の武が合わさったからこそ敵より少数でありながらも対等に戦えているのならば、それを打破するのもまた武であるだろう――以前までの華雄ならば、そう考えていたと思う。
――だが、それだけでは勝てぬ戦を汜水関にて知った、と華雄は瞑目する。
呂布はもとより、他家の者にまで武だけでは勝てぬ相手がいるのだと、この身をもって知った。
敗者の身として、一度は武人としての全てを失ってしまったのだ。
武人として敗れ、将として首を取られ、人としての生を終える。
汜水関にて関羽に討たれてその生涯を終える――そんな華雄を救ったのは、北郷だった。
そうして、一からまた進めばいい、と武人としての道を見失っていた自分を再び生んだのも、また北郷であった。
敗れたこと。
悔やんだこと。
苦しんだこと。
悲しんだこと。
それらを無くすことは出来なくとも――否、出来ないからこそ、それを受け入れてまた初めから武を頂いていけばよいのだと、彼が教えてくれたのだ。
心折れても目指す頂からは手を離すな、か。
北郷の言葉を声には出さずに脳裏に描いて、華雄はにやりと口元を歪めた。
身を救われ、心を拾われ、光を与えられた。
その事実に、ほわり、と身体の奥底から熱が生まれ、武器を握る手についつい力が入るが、それを嫌うことなく――むしろ心地よいものだと認めて、華雄は一つ息を吐いた。
「――さて」
思い返すことは重要である――と理解はしたが、こと戦場にあってはそれも否である。
目の前にあるのは戦場で、命のやり取りである。
過去を振り返っているような状況ではない。
となれば、用件は簡潔にせねばならぬ。
この戦、武だけでは足りぬ――策、或いは戦の流れや機を引き寄せる何かが必要だ、と判断した。
したところで、迫る敵兵へと武器を向ける。
振り下ろされる剣をそれよりも早く武器を振るって弾き飛ばし、手首を返したままに身体を一回転させる。
ごうっ、と風を破る音が耳を掠り、一回転するがままに斬りつけた敵兵が地に伏せる音を聞くまでもなく、それを潜り抜けた敵兵へと回転を利用しての回し蹴りを放つ。
華雄の蹴りで吹き飛んだ敵兵は、その先にてまるで嵐のように敵兵を吹き飛ばしていた呂布の一撃に巻き込まれて、再び宙を舞った。
呂布の武は、獣のそれに近い。
ただ速く、ただ力強く、ただ殺す――そんな武だ。
それに憧れが無かったと言えば嘘になる。
彼女のように速く、彼女のように力強く、彼女のようにあろうとしたこともある。
しかし、それは自らの武ではないと言い聞かせて、そこから自らの武であると言い切れるほどの武を作り直すまでにどれだけの時間がかかったかはよく覚えていない。
であるというのに、敗れてそれを失う時は実に一瞬であったな、と汜水関でのことを思えば、苦い気持ちよりも先に苦笑が漏れていた。
「……私もまだまだということだな」
身体を回転させるように一閃させた斧によって群がる敵兵をなぎ倒して、華雄は一度だけ、ふる、と頭を振るうと、口を開いた。
「ねねッ、馬超達の動きはどうなっているッ?!」
「騎馬を率いらせて横撃を任せているのですが……ッ」
「……そんな感じ、しない」
「ふむ――」
馬超、それに馬岱。
西涼連合軍が馬騰の陣営から貸し出された二人の将のことを、華雄はよく知らない。
馬騰の娘である馬超が錦と謳われるほどに苛烈な戦人であることは梁興との戦いの折によく理解したし、その従妹である馬岱もまた人並以上の武人であることは推測に難くない。
武人として、武将として、戦力として数えるには十分ではある――機を引き寄せる手としても悪くはない。
しかし、そのことと彼女達を信頼するということとはまた別のことであった――ある筈なのだが。
しかして、華雄は彼女達のことを疑おうとはしなかった。
――それはただ単に、二人の主となっている北郷は信じられる、という簡潔なものである。
「……けど、戦の匂いはする」
「恐らくは敵の伏兵が合流しようとしたのを防いでいるのだろう。……その可能性もあるのだろう、陳宮よ?」
「詠殿達もそう読んではいたのですが……ぐぬぬ、こちらの目論見が崩されては、策も何も無いのですよ」
「まあ、読んでいたのなら如何とでも出来るだろう――よ」
敵兵数人の身体を戟にひっかけるように放り投げる呂布に負けじと、斧の腹の部分で敵兵数人を纏めて弾き飛ばす。
子供が無邪気に潰す蛙のような声が戦場の最中に紛れるが、すぐさま喧騒に飲み込まれて大地へと消えた。
それを特に気にすることもなく、突かれた槍を石突きで弾き飛ばした後に敵兵の胴を斧で薙ぎ払った。
「それに……この方が話が早くて分かりやすい。馬超達が援軍、我らが目の前の敵、それぞれを相手にすればいいだけなのだからな。倒した後に片方の援軍、簡潔だろう?」
「難しいのは、だめ……」
「恋殿ぉ……それではねねが軍師として働けないのですぞぉ……」
「む……ねね、可愛い」
「恋殿ぉ!」
「誤魔化されてるぞ、陳宮」
ひゅん、と乱戦となっているにも関わらず放たれた矢を、斧を頭上で回転させて数発弾く。
ちらり、と視線を飛ばした先にはそれを指示した隊長格らしき人物が驚愕の表情でこちらを見ていた。
斬りかかってきた敵兵の襟元を掴んで投げ飛ばしながらその手にあった剣を奪った華雄は、それを特に狙い定めることもなくその隊長格の敵兵へと投げ放った。
くるくると回転しながら飛んだ剣は寸分違わず――とはいかないまでも、その肩口に深々と刺さる。
瞬間、苦悶と激痛の表情を浮かべた隊長格の敵兵は距離を詰めていた呂布によってその顔面を穴へと変えた。
「さて――やるとするか」
方針は決まった。
とりあえずは目の前にて群がる西涼兵を打破した後に馬超達の救援である。
安定の救援に来たにも関わらずにこれまた救援のことを考えていることに可笑しさを覚えるが、とりあえず戦うこと自体に変わりはないと華雄は周囲を見渡した。
精鋭であると自負する程度には鍛えたつもりであったが、同じ精鋭であると謳われるほどの西涼兵相手には中々難しいものがあるのか、強行軍からの疲労なのか、所々にて押され始めているのが見て取れた。
――散逸だった統制が取れ始めている、か。
中々に優れた将がいる――それは、精鋭たる兵同士の戦いにおいて将の力量での戦いとなる確信でもあった。
やはり、機や流れを引き寄せるなど細々したことは性に合わない。
――今はまだ、力と力のぶつかり合いで我慢しておくことにしよう。
ふるり、と奥底に滾る熱によって身体を震わせる。
まるで小枝を振るうが如くに斧を振るい、血飛沫と肉片を飛び散らしながら華雄は一度だけ大きく息を吸い込んだ。
――瞬間。
見えざる将に向かっての裂帛の咆哮によって、戦場はその空気を震わせた。
「我が名は華雄ッ、董卓軍にその人在りと謳われる武人也ッ! 西涼が将兵達よ、我が武、とくと見るがいいッ!」
**
「馬超ォォォォォォッッッ!」
「ッ――ちぃッ!?」
きぃん、と戦場の向こうで放たれた咆哮が霞むほどの音を立てながら、金属と金属が激しくぶつかり合う。
肌を裂く寸での所で己の槍によって一撃を防ぐことが出来たが、その一撃は思ったよりも深く重く、馬超が知己として知っている女の一撃ではなかった――否、知己としてではなく知っている女ならば有り得る一撃であった。
その一撃に、馬超はぽつりとその女の名を呟いていた。
「……馬玩か」
「くき、ききききき。……梁興様はどうした?」
馬玩、字を痘朴。
馬超は、以前の彼女を知っている。
同じ馬姓として遠くは縁のある出であったのだろうが、以前の彼女は同姓といえども自分達とは違う人種であると幼いころの馬超は認識していた。
花を見ればそれに微笑み、蝶を見ればそれを愛で、風と見ればそれを受け入れ、月を見ればそれを楽しむ。
そんな華奢で可憐な少女というのが、馬超が馬玩に抱いていた印象であった。
――女として憧れが無かったと言えば嘘になるが、武人として、西涼の雄の後継としてではそれを求めることなど出来なかった。
それでも、同姓ということもあってか馬超はそれなりではあるが馬玩と付き合うこともあった。
――馬超が求める理想の女性像が、その頃に馬玩になったとて不思議でもない。
だがそんな過去も、梁興という男が韓遂に仕えた頃から壊れ始めた――否、壊れてしまった。
それまでの印象を真逆に変えたような性格に変貌した彼女は、自らを壊した筈の梁興を深く信じ愛するようになり、盲目に敬うようになった。
そんな彼女が、蟲が鳴くような声を発しながら剥き出しのまま殺気をぶつけてくる。
深く暗く、べっとりと粘りつくようなそれが身体の表面を這いずり回るような感覚は実に不快だ。
まるで梁興が目の前にいるようだな、と馬超は錯覚を覚えていた。
「さあな」
「くき。くかかかか――言いなさい、小娘」
軽口を叩く馬超を、どす黒く濁った瞳が射抜いて、その研ぎ澄まされた鋭い殺気で貫こうとする。
そんな感覚を、馬超は武器を構えることによって払拭した。
馬超とて戦人だ。
如何に同姓である馬玩の以前を知り、盲目的に自身を壊した梁興のことを想う彼女を哀れと思うことはあっても、今いる場所は戦場である。
情けをかけるような真似はしない――出来ない。
だからこそ、馬超は考えた。
戦場であるからこそどうするべきか、と。
自身は一時的に北郷の指揮下から離れて華雄達前線部隊と合流するために動いている。
梁興との戦いの折には色々と思考が暴れていたが、それも今は落ち着いていて、至極冷静――だと馬超は思っている――と思う。
そうして。
落ち着いたまま華雄達と合流するようにと賈駆から指示を受け、敵の横腹を突くようにと陳宮から指示されてそう動いていた――のだが。
その動きを嫌ってか、或いは事前に察知していたのか。
馬超を拒むように現れたのが、馬玩であった。
「梁興様を……どうしたって聞いてるのよッ!?」
「あー……さあな」
「く、かかか。……これが最後」
「ふんっ――何処かに転がってるんじゃないか?」
「――」
「お姉様っ」
「蒲公英、お前は先に行け――こいつは、あたしが止める」
「う、うん、分かったっ!」
役目を考えれば、ここは馬玩を無視してでも指示通りに敵の横腹を突くべきである。
――であるのだが、どうにも目の前の馬玩はそんな戦の最中であることすら忘れてここにいるらしい。
静かに、ただ静かに。
近寄ろうとする兵を槍で切り裂いていく――自らを止めようとする西涼兵まで。
そんな馬玩の空気が、馬超の一言によってビシリッと音を立てて割れる。
割れた隙間から漏れ出る殺気は先ほどまでの比ではなく、血と肉と油と液の生臭さと確かに何かが肌を這う感覚があった。
――腐っている。
そう比喩するに当然な殺気がもはや支離滅裂な言動でしかない馬玩から放たれるのを、馬超は特に顔色を変えることなく受けていた。
そして。
「――フッ、シャァッ!」
「――はあッ!」
溜めなど無く、ただ殺気に溢れた馬玩からの一撃。
これもまた、特に顔色を変えることなく馬超は受け止めていた。
**
「馬玩様ッ、馬超を見つけてこれと戦闘を開始ッ!」
「加えて申し上げますッ、馬超の従姉妹である馬岱がこちらの動きを封じるために行軍を開始ッ! 横撃の動きですッ」
「――ふむ」
痛む頭と眉間を兵にばれないようにしながら、李堪は飛び交う戦況報告を吟味する。
――はっきりと言って、戦況は一気に芳しくない方向へと進んでいる。
馬玩に董卓軍救援の前衛部隊、成宜に董卓軍救援の本隊、自らが董卓軍への奇襲を行う形で策を弄してはみた。
だが、戦は生き物だとはよく言ったものだ。
西涼にて名の知れた馬超がその奇襲を防ぐかのように動き、その馬超に釣られて――いや、馬超を狙ってか、馬玩が大きく動いたがために最早戦況は滅茶苦茶になる一歩手前であった。
それを持ちこたえられているのが原因となった馬玩の兵の踏ん張りであるということに、李堪は苦笑せざるを得ない。
「まあ、仕方が無い。痘朴は馬超のことを嫌っていたからな」
正しく言えば、梁興が馬超を狙っていたがために馬玩は馬超を嫌っていた、だが。
そんなことは、梁興が死んだであろう今や、戦場の最中においては関係無い。
――そして、そんな関係無いようなことが既に戦況の勝敗を別とうとしていることに、李堪は尚更苦笑した。
――この戦は負ける。
韓遂が策略にしてもそうであるし、ここ安定を巡る攻防戦においても負けは確定してしまっただろう。
馬玩の悲しみと苦しみを見抜けなかったことが敗因か、などと悲観するつもりもないし彼女に敗戦の責を押し付ける必要もない。
戦においては勝敗は常であり、自らの力量がただ足りなかっただけである。
だからこそ――。
「馬岱さんじょーッ! お姉様の代わりに、一気に押しつぶすよっ」
「出陣じゃ、出陣せよっ! ここで一気に戦況を押し返すのじゃっ、街も援軍も我らにかかっておるぞっ!」
「……行くぞ」
「ももも申し上げますッ! ば、馬岱が横撃をッ?!」
「安定の街から兵がッ!? 先頭は樊稠ッ、樊万右ですッ!」
だからこそ――李堪は、ここで果てる覚悟を生み出した。
「……ふむ。怖い、な」
自らの軍師たる力量の不足によって敗戦するというのなら、その咎をもってここで董卓軍を抑えきる。
成宜にしろ馬玩にしろ、きっと向かった先で敗れるだろう。
生きるか逃げるか――死ぬか、は別の問題として、董卓軍が追撃を始めたらきっと兵達は無事ではいられない。
となってくると、それを押しとどめる殿の役が必要である。
「……」
前には董卓軍最強の武人である呂布と最強の兵を率いる華雄、そして西涼にて錦と謳われた馬超。
横からは馬超の従姉妹であり頭も回る馬岱、反対側からは謀師と謳われた郭汜。
なるほど、一手足りないが十分に四面楚歌である。
有体に言えば死地、勝つどころか保つことすら難しそうな戦場を前にして李堪は――口端を吊り上げていた。
「ふふ……ははは、くはははははっ。これはいい、完璧なる負け戦っ、元より予想していた通りの展開っ、ははっ、我が軍師たる目は曇ってはいなかったみたいだな」
韓遂の策、楊秋の策、自らの策――そのどれをもってしても董卓軍に敵わないことなど、初めから見えていたことである。
兵力、戦力、将の数と質、加えて漢王朝という背後と天の御遣いなどという民草と兵の希望。
なるほど、勝てぬことこそが道理に見える。
武人ならば滾るであろう戦場、軍師であるならば退くことを良しとするであろう戦場――。
――だが、軍師が戦場で滾ってはならぬなど誰が決めた。
武で身を立てるを良しとした西涼韓遂軍において、軍師というものはあまり重宝されてこなかった。
李堪しかり、成宜しかり。
成宜は策の中に嗜虐を投じて謀略を求めたがために韓遂軍の風に馴染んだが、李堪としてはそこまでではない。
常に見下されてきたし、戦の分岐においては策を求められることなど少なかった。
今回、安定を攻める戦でこそ成宜と馬玩という顔馴染みと共だからこそ策を練ることもあったが、戦の原初である韓遂の策への言が取り上げられなかったのがその証明であった。
それがここに来て強敵に次ぐ強敵による包囲である。
――軍師であり、西涼の将でもある李堪が滾るのにそう理由は必要ではなかった。
であるからこそ。
「――兵は陣形を方陣へッ! 痘朴の後背を固めながら両翼の董卓軍を抑えきるぞッ、良いか、生きることだけを考えろ、自らの両脇を助け目の前の敵を討ち続ければ敗れることは無いッ! 同胞を故郷へ帰すために我らは負けられない場所にいるッ、滾らせろ、漲らせろ、声を張れェッ!」
軍師たらん風体で、将たらん声を上げて、李堪は腰の剣を抜いた。
馬上においては短いと思われる剣も、指揮をする上では存外役に立つ――むしろ、槍の方が細くて見づらく取り回しにくいという欠点がある。
シャキンッ、と綺麗な金属音が喧騒にまみれていた空気を切り裂いた。
李堪に従う兵達には、その李堪の様がまるで新たに現れた英雄であるかのように見えたことだろう。
それほどまでに、李堪の姿は堂に入っていた。
だが、そうではないことは李堪自身が一番よく知っている。
知っているからこそ、李堪は現実を少しでもその幻想に近づけるために、全身全霊の力を込めて、咆哮した。
「総員――迎え撃てェェッ!」
その李堪の一声と共に。
安定を攻略せんとする西涼軍と。
安定を救援せんとする董卓軍の。
最終局面の、幕が切って落とされた。
**
「やれやれ、またこうして一刀殿の御守りとは……」
「それは、何というか……申し訳ないとしか……」
「はは、まあそこまで気にしている訳でもない……メンマを肴に一杯付き合ってもらえるならば、ですがな」
「む……良いものを探しておきます」
「うむ、任せましたぞ――では、さて」
安定の城壁の一角を二又に見立てて、岐路より向こう側において剣戟と喧騒の音が微かに届いてくるのを、俺は冷静を務めながら俯瞰する。
呂布と華雄、馬超達の方面は五分に近い。
兵の数は劣る、質は西涼が上、布陣と勢いはこちらが有位とくれば、戦況がどう転がるかは分からない――呂布と華雄、二人の武人の実力を信じても若干厳しいと感じてしまう。
だが、それもその部分だけを見た場合だ。
視線を広げてみれば安定の街が慌ただしく動いており、兵の気配が色濃くなっているようである――恐らくではあるが、戦況を鑑みて安定を務める郭汜が兵を動かそうとしているのだろう。
それを理解すると同時に、安定――今まさに呂布達と西涼軍がぶつかっているその真横において、城門が開かれた。
その先陣を駆けるはあまりにも色濃く重い威圧を醸し出す一騎――後に続く『樊』の旗は、一気呵成に西涼の軍勢を切り裂いていった。
「おおっ。凄まじい勢いですなぁ」
「樊稠殿は李確殿や徐栄殿達と同じぐらいに最古参の武人ですから、恐らくですけど謀略知略の戦いに鬱憤でも溜まっていたのではないでしょうか? 何度かお会いしましたが、多くを語らない寡黙な武人という感じでしたし、謀略は肌に合わなかったのでしょう」
「ふむ、なるほどなるほど。是非にも槍を合わせてみたいですな」
「まあ、それは戦が終わった後にでも……さて」
二又の先――安定攻略を推し進めていた西涼軍の撃破は、このまま推移すれば可能であろう。
安定から出撃した樊稠の勢いも凄まじいものがあるし、陳宮の指示だろうか、それに同調するかのように戦線を変化させ始めた呂布達に西涼軍は呑まれ始めていた。
さらには、騎馬隊を率いて側面を突いていた馬超達の軍勢も少しづつではあるが、その動きに乗じて押し始めている。
油断は禁物だが戦局はほぼ固まったとみていいだろう。
となってくると、注意するはやはり二又のもう片側――董卓救援軍の本隊の方であろう。
董卓と賈駆、そこに郭嘉や程昱がいるので軍勢を動かす上での戦術は申し分なさそうであるが、やはり前線で指揮を執る将が少ないのである。
呂布や華雄は言うに及ばず、俺にしたって今回は前線ではない遊撃隊である。
――今更ながらに大丈夫なのか、なんて思ってしまった。
だが、今は信じるしかない。
ほんの少しばかりの不安が混乱となって頭に渦巻きそうになる。
「いや、やはりそこは当主殿とその軍師殿で。上手い具合に敵の勢いを捌いているようですな。稟と風がいるのも、やはり戦術的には大きいかと」
「あー、なるほどな……逆に言えば総がかりで戦技盤をしているようなものなのか」
「ふむ……とはいうものの、武人たる将がいないためにやはり決定力に欠けるようで」
「そう、だな……よし。子龍殿、向こうにある森を抜けて敵の側面を突きましょう」
「そうですな。あれだけ拮抗しているのならばこちらの姿を見せるだけでも、十分に陽動となりましょう」
そんな混乱しかけた頭が趙雲の言葉によって冷静になっていく中、俺はツキンッと痛む手を握って意識を纏めていく。
賈駆の策や董卓の指揮、郭嘉や程昱の補佐は見事なものであると思うが、そこはやはり趙雲の言う通りに前線を任せられる武人がいないということで、あと一押しが足りていない。
となれば、足りない一手は手の空いているこちらで打つしかないのは当然のことであった。
何より、こちらには趙雲がいる。
武人として、将として、前線を任せられる趙雲がいるのであれば、戦の機を決める一手はここで打つべきだろう。
そう、判断した。
「戦働き、期待していますよ、子龍殿」
「ふむ、期待というのは少々こそばゆいですな……が、それも悪くない」
「――武運を」
「――承知した」
であるならば多くはいらない。
言葉は軽く、空気は重く――想いは強く。
どくんっ、と一際大きく鼓動が身体中に鳴り響き、身体を震わせて熱を灯す。
――まるで動力。
不安、恐怖、後悔、懸念――高揚。
その全てが身体を温めていくのを感じながら、ふうと冷静になるために一息ついた。
そんな俺を待っていてくれたのだろう。
ふと、視線を交わした俺と趙雲はお互いに頷いて、定めた通り、森へと紛れるために行動を開始することにした。
「――これより、本隊救援を行うために森を迂回して敵側面を突くッ!」
「声を上げること、武器を掲げること、許可するまで禁止とする。いいか、みんなッ、ここが正念場だっ! ここで敗けると安定だけじゃなくて洛陽や石城までが戦火に埋もれてしまう、それを防ぐために、想うみんなを守るために――勝つぞッ!」
「おおおおッッ」
「進軍――開始」
――まるで獣のように。
董卓軍遊撃隊五百は、一目散に駆けだしていた。
それと同時刻、同じ瞬間。
安定の街を遠く眺める位置に、まるでそれ自体が一個の生き物のように統率された騎馬隊が現れた。
それを、俺を含め、この戦場にいる武将と将兵は誰も知らない――。