「こちらが北郷様のお部屋となります」
「ああ……ありがとう」
虎牢関にて通された部屋は、関という性質上仕方のないことではあるが、酷く簡素で質素なものであった。
それでもなお武骨、という印象を抱くのは、虎牢関が築いてきた年月の成せる業なのか。
汜水関から駆けに駆けたゆえの疲労した身体と頭脳にがそんなふうに動くのに大した反応を返すこともなく、俺は部屋の備え付けである寝台へと腰を落ち着けさせた。
結論から言えば、汜水関から虎牢関へと渡る際、連合軍からの追撃は終ぞ無かった。
罠があるとしながらも勢いに駆られた連合軍が来るやも、と危険視して斥候を放ち、連合軍内に未だ潜む忍からの報告を待ちはしたが、結局の所は心配のし過ぎであったらしい。
もっとも、それは単なる結果であって、もし別の結果のことを考慮に入れていればし過ぎたという訳でもないのだろうが。
夜も暮れて月が中空に差し迫ろうかという頃に汜水関を脱した俺達は、駆けに駆けて翌日の日が暮れようかという頃に虎牢関へと辿り着いたのである。
数万もの兵が全て一同に、という訳にはもちろんいくはずもなく、今なお続々と虎牢関に入城している兵達に先んじて俺は今ここにいる訳なのだが。
虎牢関で待機していた李粛が率先してそれらの兵の指揮をしてくれていることに感謝しつつ、俺は一つ息を吐いた。
「とりあえずは、これで無事に一息付けたってことか……」
連合軍の前に五千の小勢で立ちふさがり、追撃する連合軍を罠に嵌め、討たれそうであった華雄を救い、関羽に斬られそうになり――そして、その集大成として二十万もの連合軍を混乱の渦中に叩き込んだ挙げ句、数万にも及ぶ兵を特に大きな損害も無く虎牢関へと連れてくることが出来た。
汜水関を放棄したことは損害と呼べるもかもしれないが、それだって策の一つであって、損害と呼ぶべきかどうかは分からぬものではあるのだが。
まあ、とりあえず無事であるのならそれを喜ぶべきであろう。
何より。
今の俺はそんなことまで考えている余裕など無い。
「はは、やばいな……いまさら震えてきた……」
ぷるぷる、と。
軽く痺れたかのような感覚を腕に抱いて視線を移せば、そこには意図した訳でもなく震える腕があって。
それを抑えようと手にどれだけの力を込めてみても、返ってくるのは虚しい震えだけで、一向に堅く閉じられない自らの拳を、これも力の入りきらない片方の手でどうにか押さえつけようとしていた。
「くそっ……落ち着け、落ち着けよ……」
致し方のないことか、と自嘲する。
これまで、董卓軍が有していた兵力はどれだけ多くても一万程度であった。
これには予備兵力等も含まれているのだが、それでも一人の将が率いる兵数はその内の千前後であろう。
以前、華雄から話を聞いたことがある。
千の兵を預かるということは、それだけの命を預かることであり、そしてその家族や兵に想いをかける者達をも預かることだということを。
だからこそ私は自他共に厳しくとも共に生き残れるようと武の頂きを目指すのだ、と。
なるほど、実に華雄らしい実直な言葉だと思う。
だが、俺がそれを言おうとしてもそうはいかない。
そもそも、元の世界では当然のこととして、董卓軍が洛陽に至るまでの間でも俺は人を率いるとしたことなど一度もない。
いや、馬岱と庖徳と共に扇動した黄巾賊の先頭に立ったことはあるし、下に就く予定だった部隊を作られもした。
だが、それらは結局の所は率いたとは到底言えぬものばかりであったし、その時その時の状況に応じて仕方なく、といった感じが強いものであった。
そもそも、兵に指示を飛ばしていた時があったとしても、それは董卓や賈駆からの指示をそのまま伝えただけであったり、それに準じただけであったりしたのだ。
生き残ろうとすることに一杯一杯であった時の俺からすれば、その主張はさも当然のことであると思っていただろう。
だが。
汜水関においての攻防では――否、そこに至る罠に誘い込む段階からにおいては、まさしく俺が率いたと言っても過言ではない。
董卓と賈駆からそういう指示が下されていたことは事実だが、今この場に彼女達はおらず、まさしく指示の通りに俺が戦場を構築するという状況であったのだが。
だがそれは、俺がこの場における――洛陽防衛ともいえる今作戦においての最高責任者とも呼べる者で、そして、そんな俺を守るために動き、命を散らしていく兵達もいるということで。
あの戦場の最中で董卓と賈駆を守った時から――自らの手を血で濡らした時から人の命を奪うことを覚悟してきたが、だからと言って、慣れるどころかそれを当然のように受け取ることが出来る筈も無かった。
「……何人、死んだんだ?」
ぽつり、と呟かれた俺の言葉に答える者はいない。
董卓軍において、戦死者は決して少なくない。
ほぼ一方的に連合軍を翻弄し後退にまで追い込んだものの、その兵力差自体は圧倒的なままであり、そういった状況下の中で結果を出そうとしたのだから、大なり小なりの被害は予元々測出来ていた筈である。
だけど。
「そんなの……慣れる訳、ないじゃないか……」
俺が立てた策で人が動き、そして命を散らす。
俺が指揮をとった動きで、人が人の命を散らす。
董卓軍のみならず、連合軍においても多数の死傷者が出たことは忍の報告から既に認知している。
それらの命もまた、俺が――俺のせいで散っていったと言っても間違いではないだろう。
華雄の言い方を借りれば、幾人幾千幾万もの命が、俺の行動の結果として――。
そこまでを思考に浮かべた俺は、襲い来る嘔吐感を誤魔化すために弱々しく口を開いた。
「くそ……くそ……」
黄巾賊と戦っていた時とも、ただひたすらに生き残ろうとした時とも違う、人を率いその命を背負うことからくる重圧。
自らの一挙一動で命が散っていくのだと、今更ながらに気づいた現実が、意味もなく俺を不安にさせる。
目頭が熱い、胸の奥が熱い、喉の奥が熱い。
ともすれば、口を開けて声高に弱音を吐ければどれだけ良いことだろう。
ともすれば、泣き叫んで後悔と重圧の赴くままに胃の中のものを吐き出せればどれだけ楽になることだろう。
だが、連合軍が再び迫ろうかという今において、そんなことを許してくれるような状況でもなく。
数度扉を打つ音に続く趙雲の声に、俺はすぐさまに気を取り直してその報を聞いた。
「一刀殿、軍議の時間だ。どうやら諜報部隊からの報告が来たらしい」
**
「……良かったのですか、姉様?」
「んー……まあ、別に良いんじゃない? あのまま残ってても、面倒なことには変わりなかったでしょうしねー」
多くのざわめきと、それらを成す人が大地を踏み固める音の最中において、それでもなお確かに聞こえる馬の足音を耳に馴染ませながら、孫権は姉であり孫呉の王でもある孫策へと問いかける。
何が。
その内容こそ口には出さなかったものの、それは孫策にも通じていたのか、それでもなお会話は転がっていく。
といっても、現状において会話に上がる内容と言えば、多くの場合は決まっていると言っても過言では無い。
何より、自分達孫呉の軍勢は反董卓連合軍から抜けて揚州へと帰還中なのである。
会話の内容など、それ以外には有り得なかった。
連合軍を翻弄し、汜水関を放棄して誘い込まんとする董卓軍に対する軍議に出かけていた孫策と周喩は、陣へ返ってきた直後、開口一番に揚州への帰還を孫呉の将兵らに告げた。
曰く、陣を抜き董卓軍を追い詰める功名を挙げた以上、私欲のために権力を求めんとする連合軍にこれ以上加担することは不要、と。
そうして、孫策と共に返ってきた周喩がそれに同調を示したことによって、その動きは瞬く間にと纏められていったのだ。
「それともなあに? 蓮華はあのまま連合軍に残って、誰のものとも分からない私欲のために大変な思いをしたかったとでも言うの?」
「そういう訳ではありませんが……連合軍の足並みを乱すようなことをして、これを機として董卓軍が攻めてくるのではありませんか? もしそうなれば、足並み以前に体勢の整っていない連合軍のみならず、帰還の準備を進めているこちらまでが巻き込まれるのではないか、と危惧しているのです」
「まあその危険性は有り得るわねー。まだそれほど戟を交えた訳ではないけれど、董卓軍は機を逃さないことに長けている。となれば、蓮華が危惧することも分かるんだけどー――」
「――そこから先は私達がお話しましょう、蓮華様」
だからこそ――あまりにも迅速に過ぎる孫策と周喩の判断に、孫権は疑問を抱いていた。
確かに、孫策から聞いた話の限りで言えばあのまま連合軍に陣を設けていることは危険と言えただろう。
その場にいなかった孫権が軍議がどのように荒れたのかなどを想像するには孫策から聞いた話で推測するしかないが、それでも表立たないにせよ、自分達孫呉の軍勢を見る他の連合軍の視線は気になっていたところであるからだ。
こうして孫策から詳しい話を聞いた今ならば、それらも納得出来る。
故の、疑問。
身内の贔屓目、ということを否定するわけではないが、姉であり孫呉の王である孫策とその軍師であり親友でもある周喩、その二人の能力は孫権が知る中でも最高に近い――むしろ、彼女達こそが孫権が目指す理想のようなものなのだ。
そして、そんな二人を近くで見てきた孫権だからこそ、ふと思うことがあった。
常の彼女達ならばこういった手を――どれだけ連合軍が混乱していたにせよ、無理矢理にでも追撃すれば董卓軍の首を取ることが出来たかもしれない好機を放っておくだろうか、と。
そんな孫権の思考を読んでか、それとも妹にも等しい人物の成長を喜んでか、孫策と共に軍議へと赴いていた人物――周喩が、口を開いた。
「恐らくではありますが、董卓軍の狙いは連合軍がこうなることであったと思われます」
「……連合軍の足並みを乱し、ばらばらにさせることが目的であったと?」
「というよりはー、戦力の低下を狙ってたのではないかー……と思いますー」
周喩の弟子でもある穏――陸遜の言葉に、孫権はふむと手を顎に当ててその意味を考える。
今回の反董卓連合軍において、孫呉は董卓軍に嵌められたと言っていい。
火計と奇襲によって混乱し疲弊していた連合軍の諸侯達は、董卓軍による偽の内通文書によって孫呉を裏切り者と罵ることとなり、そこからの報復なりを恐れた孫策は連合軍からの脱退――撤退を決定した。
ここまではいい。
ここまでのことは孫策に既に聞いたことであるし、孫権にしても、それだけ聞いていればいやでもその時の情景が思い浮かぶ。
まあ、ぷちりと怒り狂おいそうになる孫呉の王を必死に止めるその軍師をも想像出来たのは如何ではあるが。
孫呉の軍勢が撤退することになって、客将という名であるが事実上配下としている袁術は、意外にもそれを勧めたらしい。
配下が勝手に撤退した、と普通に考えれば泥を被せられるとも取れる行動ではあったのだが、それを喜ぶとなると、袁術は普通ではないのかもしれない。
もっとも、孫呉が討てなかった董卓軍を討つことが出来ればこちらに対して優位が取れる、という簡潔な考えあってのことであろうが。
そこまで考えて、孫権はふと思考をそれまでのことから外す。
ここまで考えてみて、自分達孫呉の動きから連合軍の戦力を低下させる事柄は見当たらない。
孫呉の軍勢が撤退する、という事実こそ戦力の低下と言えないことはないが、それだけでは弱い――そう考えた孫権は、一つの事実を思い出す。
「なるほど……張莫達か」
「ご明察ですー」
「さすがです」
手を打った衝撃でぷるんと揺れる陸遜の胸に女としての何かしらを感じながら、同じように自身を誉める周喩に孫権は人知れずほっとする。
孫呉の軍勢が撤退することにおいて、何も孫策だけが撤退を決定した訳ではない。
孫策が撤退を決定した軍議において、追随というほどでないにしろ、そういった動きがあったのだ。
兵糧が燃やされてなお前に進み董卓軍を討つべきだと主張した袁紹袁術の派と、兵糧の焼失と士気意欲の低下における一時撤退及び補給路の確保を主張した張莫陶謙の派とが反目しあったのである。
徐州牧陶謙はもとより、陳留太守である張莫もまた名君として民に慕われていると孫権は聞いている。
実際に陶謙にも張莫にも会ったことは無いため、彼の人物達がどういった人となりなのかは噂に聞く程度にしか知らないものではあるが、そういった判断を踏まえてみれば、なるほど、噂に違わぬ人物らしい。
そこまで噂に違わぬのでは、董卓軍の目的を――名が知れた実力派たる自分達と袁紹袁術達とを不和にさせる、ということにも思い至っている筈であるのだが。
それを知っていてもなお乗らなければならない誘いがあるものだ、と孫権は後に周喩から聞くことになる。
「さすがは名門と謳われる袁家でしょうねー。陶謙さんや張莫さん達が退くべきだー、って言ったことに賛同した人達を除いたとしても、袁紹さん達に従う兵力は未だ十万を超えるでしょうからー」
「だが、それは烏合の衆と呼んでも間違いではない兵力だろう? 自己満足に浸るつもりは無いが、我々始め、多くの名の知れた諸侯がこれ以上の戦闘に疑問を呈して撤退を始めようというのだ。それにひきかえ、袁紹袁術達に付いて董卓軍との戦闘を継続しようとする諸侯達は、多くがそこに付属する権力と欲を求めてのもので、連携などという言葉とは遠い。相対する董卓軍からすれば、これ以上の状況はないだろう」
「そして恐らくではありますが、董卓軍からすれば偽の内通のままに我々が連合軍の後方を襲ってくれれば、と思っている節もあるでしょう。緒戦において、董卓軍は我々のことを逆賊だと宣言しましたから、連合軍に従わずにこちらの思惑に乗ればそれを許そう……そう言外に示しているものと思われます」
「まっ、あえてそこには乗らないんだけどねー」
だって悔しいじゃない、なんてむくれる姉の姿に頭を痛める孫権ではあるが、しかしてその判断に間違いは無いと自身でも思う。
確かに、董卓の思惑に乗ることが出来れば、洛陽を望まんとするこの地において袁紹袁術達を――独立のために袁術を討つことは、難しいことではあるものの可能だと思う。
だが、それは董卓に貸しを作るものでもある。
漢王朝を擁する董卓ではあるものの、董卓自身は漢王朝において一人の臣である。
漢王朝に貸しを作るのであればまだ許容出来そうなものではあるが、いくらそれを擁するとはいえ、ただの臣に貸しを作るのであればどのようなことを言われるかたまったものではないのだ。
下手をすれば袁術と董卓が変わるだけの可能性も有り得るのだから、無言の誘いに安易に乗ることは出来ないのである。
「……あなたの場合、悔しいというのが一番の本音のような気がするわね」
「あっ、分かる?」
「……姉様、そこは素直に認めるところではないでしょう」
「えー、だって蓮華も悔しいと思わない? ここまでいいようにされたのに、これ以上向こうの思うままに動くのって」
「まあ……確かに、姉様の言うことも一理ありますが……。それでも、そこは孫呉の王として――」
「――あー、はいはい、分かったわよ、もー。蓮華は色々と考えすぎなのよ、ほら、もう少し肩の力を抜いて抜いてー」
ひらり、と自分の小言を避けながら飄々とした態度を崩さない姉に、孫権は知らぬ間に溜息をつく。
孫策は姉であり、孫呉の王であり、そして尊敬し敬愛する人物である。
その武力もさることながら、常に飄々として難しいことを考えてなどいないと思わせる態度とは裏腹に、深く広く物事を捉えるその能力は、形はどうであれ優秀であると認めざるを得ない。
孫策には子がいない――というか、男性の影すらないない現状において、次代の王は妹である自分ということになる。
無論、孫策に子が出来たのであればその限りでは無いであろうし、さらに妹の孫向香が跡を継ぐことだって有り得るのだが。
自分の王とする才も能力も姉である孫策に敵わないとこうして目の前に披露されてしまえば、どうしても溜息をつくことを止められなかった。
重圧、と言えばそれまでだろう。
だが、それに似て非なる、そして更に重たいものを背負う立場となれば、それも致し方のないことだと無自覚ながらに思っていた。
姉を超えなければならない。
姉の跡を継いで孫呉の将兵と民を導かなければならない。
これから待ち受けるであろう想像だにできぬほどの重圧を覚えて、孫権は人知れず溜息をついた。
もっとも、この後において吐かれる溜息は、そういったものとは無縁のものであるが。
むしろ、本当に何を考えているのかこの姉は、と、何を言っているのかこの姉は、というものであることは否定のしようが無かったのである。
そもそも、何故連合軍と董卓軍の動きを話していたにも関わらずにこのような話題が出てくるのか。
「さーてと、それじゃあお喋りはこれぐらいにしておいて……穏は祭と合流して一足先に帰ってて頂戴。私と冥琳は少し洛陽で意趣返しを――じゃなくて、戦勝祝いにでも行ってくるから。あっ、蓮華も一緒に来る? 未来の旦那に顔通しておくぐらいは必要でしょうし」
孫策が告げた一言――未来の旦那、という一言に驚愕に目を丸くしたまま、孫権はそのようなことを考えていた。
**
「……状況は?」
何故かしらゾクリ、とまだ見ぬ何かしらに背筋を振るわせつつ、俺は机の上に広げられた地図から視線を外すことなく口を開く。
夕闇に染まりつつある外に負けぬようにと、灯りが揺らめいた。
「簡単に言うのなら、こっちの思惑通り連合軍内において不和が生じたのです。袁紹袁術を筆頭として洛陽をなお目指さんとする者達と、これ以上こちらと戦うを良しとせずに一度退くとした者達。楊奉殿の報告によれば、大体半分程度とのことなのです」
「もっとも、半分とは言っても袁紹達の――ここを目指そうとする奴らの方が幾分か多い、ってところかねえ。まあ、優に十万は超えてると思えばいいと思うよ」
「それでも十万か……もう少し減ると思ったんだけどな」
「袁家の名を出してそれだけの数しか残らなかったのなら、僥倖であるのですぞ。これ以上高望みしても無駄なのです」
汜水関に次ぐ要衝、虎牢関。
反董卓連合軍が洛陽を目指すにあって、次なる目標であると予測される関の守将呂布の軍師、陳宮の言葉を忍の首領、楊奉が捕捉していく。
とは言っても、それらを簡潔にすれば連合軍の兵力が半分の十万程度になった、ということであるのだが、陳宮の言葉を聞くにどうやらそれでも少なすぎるらしい。
俺の中での袁家と言えば、名門名家、というぐらいでしかないのだが、陳宮が言うのであればそれほどのもの、ということなのだろう。
なるほど、と頷いてみれば、郭嘉が口を開いた。
「まあ、袁家がどうであろうと、ここ虎牢関を目指して進軍してくる兵が十万いることに変わりはありません。いくら数が減ろうとも、向こうはこちらの二倍近く。如何様にしてこれに向かうか、それを決めませんか?」
「む? 二倍程度ならば引きつけておいて打って出れば良いのではないか、郭嘉よ?」
「……ちなみに、打って出て、何かしらの策があるのですか、華雄殿?」
「うむ。相手がこちらの二倍と言うのなら、一人が二人を討てば良い。なに、我等が兵は
精鋭揃い、有象無象の連合軍など物の数では――」
「――さてさて、お兄さんは何か策があるのですかー?」
「そうだなあ……二倍ぐらいなら、守りを固めて籠城でもいいと思うけど。向こうは兵糧も減ってるし、不和の関係もあって士気も落ちてるだろうし……こっちが何かを仕掛ける、みたいな動きを見せてやれば混乱するかもしれないしな」
「ふーん……なんや一刀、ちゃんと大将みたいなことしとんのやな」
「まあ、一応防衛の大将になってるしね。そこらへんは、まあさすがにちゃんとするさ」
「お、おいっ、話を遮――モガモガッ!?」
「さて……華雄殿は向こうで私と一杯――おや、酒が無い? ならばメンマでも如何ですかな?」
モガモガ何事かを言いながら趙雲に引きずられていく華雄から視線を外しつつ、張遼の軽口を肩を竦めながら流した俺は、再び地図へと視線を走らせる。
郭嘉と程昱が何も言わないということは、恐らくは俺が先ほど述べたような策――と呼べるかどうか疑問であるが――で良いのだろう。
ここで彼女達が口を挟んで策の変更でもあれば、俺としても心情的に幾分か軽くすることが出来るのだが、いやはや、どうやら彼女達はそういった俺の弱音を許してはくれないらしい。
静かに視線を送ってくる郭嘉と、にゅふふと笑う程昱に腹の底に重圧が落ちていくのを感じつつ、俺は口を開く。
「……なら、ここを目指す連合軍には守りを固める、という形で対しよう。恋とねねは兵の指揮を頼む、打って出られるようならその機は任せるから」
「……ん」
「分かったのです。恋殿とその軍師であるこのねねに任せるが良いのですぞ!」
「ん、頼む。それと、霞は奇襲部隊としていた騎馬隊を率いて、洛陽に一旦戻ってくれ」
「そりゃええけど、うちもここにおって戦った方がええんとちゃう? っていうか、戦いたいんやけど」
地図に指を這わせながら、呂布と陳宮に指示を出した俺は、続いて張遼にも指示を下す。
だが、騎馬隊を率いて洛陽に戻れ、という指示に張遼が従うなどとは俺とて元々思っていない――まあ、素直に従ってくれたほうが楽であったことは確かだが。
そんな不満を零す張遼であったが、洛陽まで這わせた俺の指が下へ――南へ降っていくのを確認すると、合点がいったとばかりにニヤリと笑った。
「なるほどなあ……徐栄と琴音んところ行け、ちゅうわけか」
「まあね。いくら連合軍から抜けたとは言っても、洛陽を目指す軍勢がいないとは限らないから。関を巡っての攻防じゃあ騎馬の優位性は活かせないけど、徐栄殿達が守るあそこなら十分に活かせるからね」
張遼が率いた騎馬五千、趙雲が率いた騎馬五千、総勢一万。
連合軍内を突っ切る際に大小の犠牲が出たためにその通りの数にはならないであろうが、それだけの数を虎牢関の中で燻らせておくにはそれなりに惜しい。
無論、虎牢関に駐留させておけばいざ追撃という時に遺憾なく騎馬の優位を発揮出来ることであろうが、そのような状況が実際に起きるかどうかは戦場において確約出来る限りではなかった。
それに、連合軍から脱退した軍勢の行方も気になるところである。
楊奉からの報告書を読む限りでは、殆どの諸侯が自らの領地へと引き上げたとあるが、幾分かの軍勢は陳留付近で留まっている、とある。
陳留の街か領地からの補給を待って再び進軍する気かどうかは分からぬが、その軍がここ虎牢関を目指すのならまだしも、洛陽を南から狙おうとすればそれは十分に危機である。
なおかつ、汜水関虎牢関方面に連合軍を引きつけるという今回の策の性質上、精鋭と呼べる兵は出来る限りこちらに集める必要があって、南を守る兵の質はそれほど良くはない――というか、ほぼ新兵ばかりである。
今この時にも陣内において出来うる限りの調練が行われていることだろうが、それでも、どうにか戦で使える新兵を集めた五千程度の兵では、諸侯の軍勢を相手取るにはまだ早いだろう。
それどころか、相手になるかどうかも怪しいものである。
故に張遼に騎馬隊を率いてもらう。
特に神速将軍と名高い張遼なら、と説明する俺に負けて、かなわんわ、と言わんばかりに張遼は両手を挙げた。
「しゃーない、北郷大将の命令や。従わな、何を言われるか分からんからな」
「うっ……その、ごめん。色々と無理を言って……」
「別に謝ることやあらへんよ。特に無理ちゅうわけでも無いやろし、何よりうちが一番適任思てくれたんやろ? そんな期待されたら頑張るしかないわな」
任せときや、と笑う張遼に頼もしさと感謝を覚えつつ、俺はさて、と腕を組む。
これでここと南は大した問題は無いだろう。
兵力差こそ小さな問題ではあるが、兵糧も無く、士気も無い連合軍において言えば、それがどれほどの不利となることか。
守りを固めて先の混乱を思い出させてやれば、遠くない内に連合軍を敗退せしめることが出来ることだろう。
そも、もはや烏合の衆と成り果てた連合軍は大きな敵では無い。
楊奉の報告書にある連合軍から脱退した諸侯――孫策や曹操、その盟友である張莫から陶謙などが。
そして烏合の衆と成り果ててなお洛陽を救わんとそれに続く諸侯――劉備や公孫賛などが。
これから後、強大な敵として目の前に現れるだろう者達の名を目にして、俺は今更ながらに背筋をぶるりと震わせつつも、虎牢関を目指して進む連合軍にどうして対するべきか、と思い悩んでいた。