「――風」
「んむ? おやおや、稟ちゃんではありませんかー。風に一体何用で?」
反董卓連合軍の発起とその対策に関わる軍議が終わり、董卓軍の軍師である賈駆と陳宮、そして臨時の主である北郷がいまだ細かい話し合いをしている中、先に部屋を退室していた郭嘉は、前方を歩く程立――先ほど改名したので程昱、へと声をかけた。
先ほどの軍議――北郷が自分達の知勇を願い求め、自分も趙雲もそれに応えたこと、それは良かった。
路銀を稼ぐため、というのが最初の目的ではあったが、それでも自分達を巻き込まないためにとその契約を解除しようと気を使った北郷への義理立てという部分もあるが、多くのことで言えば自らの知謀を大軍を相手に振るってみたい、という思いがあったからだ。
当然、自らの武勇に自身を持つ趙雲も同じ気持ち――彼女の場合、こちらの予測も当てにならないだろうが、それは程昱も同じであると思っていたのに。
程昱は、自らの真名を北郷へと――董卓軍へと預けたのだ。
それだけならばさしたる問題も無いのだが。
一番の問題として郭嘉が捉えていたのは、程昱が改名したことであった。
「……以前、日輪を掲げる夢を見た、そうあなたは言っていましたね」
「……おおっ、よくそんな昔のことを覚えていましたね、稟ちゃん。いやはや、さすがですよー」
「……昔というほどでもないと思いますけど」
そう、そこまで昔のことではない。
それどころか、董卓軍に客将として迎えられる前、天の御遣いを求めて洛陽を経て安定に向かおうか、という話をしていた頃であるから、つい先日といってもいいほどであった。
その日輪が仕えるに値する主かもしれぬ、これから会いに行く天の御遣いがもしかしたらそうかもしれない、陽光に煌めく衣がその証かも。
そんな話を程昱と交わしたことを思い出しつつ、郭嘉は口を開いた。
「……昱という字は、立の上に日という字があります。となれば、その名はあなたが見た夢を元にしたものと、私は推測します。……一刀殿に、英傑の相を見ましたか?」
そうして。
程昱との会話と、そして改名に至るまでの道筋の中で、一つの確信にも似た予想が郭嘉の脳裏を駆ける。
北郷一刀に、英傑の相を――日輪を見た、という予想を。
なるほど、確かに董卓軍の中にあって、彼の人物の位置は中々に重要なものと言える。
董家の中でも重鎮中の重鎮とも言える李確と徐栄の代理として、董卓軍の武官と文官の橋渡しと中継ぎを行い、政務を賈駆が統括するのに合わせて軍務に関わることを統括するなど、確かに、数え上げてみれば意外と多い者があった。
だが。
英傑の――英雄と成りうる相を見るほどか、と問われれば首を傾げるものがあることもまた確かであるのだ。
自らも、そして趙雲も、自身の身命をかけてまで仕えたいと思える英雄たる人物に出会うために旅をしてきた。
勿論、程昱も同じであったと思っていたのだが。
そんな思いが顔に出ていたのか、にゅふふ、と笑みを浮かべた程昱が口を開いた。
「稟ちゃんの言いたいことはごもっともだと思いますよー? 風とて、お兄さんにそこまで英傑の相があるとは思えないですしねー」
「なら……」
「……ねえ、稟ちゃん? お月様は、独りぼっちだと思いますか?」
だからこそ。
何故、と思っていた郭嘉は、程昱の問いの意味が分からなかった。
英雄英傑の話をしていたと思っていたのだが、程昱は何故月の――夜空に独り浮かぶ月のことを問うてきたのだろうか。
その意味を理解出来ない郭嘉に視線を向けながら、実に面白そうに――そして楽しそうに、程昱はその言葉を放った。
「風はそうは思わないのです。夜空にお月様が浮かぶのと同じように、昼空にはお日様が浮かびます。異なる輝きを放ちながらも、その二つは決して離れることなく連れ添うのです。お日様があるからお月様がある、お月様があるからお日様がある。それは当然のことのように思えますが、それでも、離れないようにするお日様とお月様は凄いと思うのですよ」
そうして。
にこり、と笑いながらも、いつもの間の抜けたような喋りではない声を発する程昱に、郭嘉はふと思い立つものがあった。
その呼び方は違うものの董卓の真名は月という字ではなかったか、と。
もし董卓のことを夜空の月に例えているのであれば、やはり天の御遣いであり陽光に輝く衣を纏う北郷を日輪として例えているのではないか、と郭嘉は、半ば確信していた。
「そうですか……少し、寂しくなりますね」
「まあ、それもこの戦いを生き残れたらの話なんですけどねー。現状で言えば圧倒的な兵力差もあるでしょうし、どうなることやらですけど……まあ、どれだけ兵力がいても弱点があればどうしようも無かったりしますけどねー」
程昱が北郷に――董卓軍に仕えるのかどうかは本人次第ではあるが、このままでいけばそれもその通りになると思った郭嘉は、ひとまずそれを意識の外へと出してこれからのことを考える。
程昱の言うように、連合軍の兵力は先の軍議でもあったように凄まじいものになることは明白であるが、それでもどのような大軍勢となっても弱点は――連合特有の突き所は存在する。
ようは、如何にそこを効果的に攻められるか、というのが勝敗を決める鍵となってくるのだが。
戦の前に勝敗を決める、とは孫武の兵法の極意ともいえるものであるが、さて如何にしてそれを成すべきか、と思考していた郭嘉の耳へ、程昱の含み笑いが聞こえた。
「それにですねー、稟ちゃんが寂しい思いをするかどうかはお兄さんにかかっているような気もするので、今決めるのはまだ早いと思いますよー?」
「……一刀殿が?」
「はいー。……戦に従軍させると思わせておいて、いつ森の中に引きずり込まれるかは分かりませんし、稟ちゃんもいつ恥ずかしい思いをさせられてお兄さんから離れられなく――」
「ちょ、ちょっと、風ッ、このような場所でそのようなことを言うのは恥ずかしい思いをさせて私のことを縛り付けようとする一刀殿の策略であってああ駄目ですそんなとこはしたないああもうッ……うぷしゅっ」
「あららー、ちょっと意地悪しすぎましたかねー。はーい、稟ちゃん、とんとんですよー」
そして。
いつもの癖――と言うのも憚られるが、鼻腔から噴き出した鼻血を抑えるために首筋をとんとんと叩く程昱に感謝しつつ、郭嘉は鼻血を止めるために悪戦苦闘するのであった。
**
「……連合軍との戦い、前線での実質の指揮は一刀さんに任せたいのですけど……」
「ああ、分かったよ」
そうして。
武官の面々には兵の徴募や調練を、文官には戦に至っての必要物資や経費などの確認を指示した賈駆は、俺と陳宮にその場へ残るようにとした。
ぞろぞろと殆どの面々が退室した後、ふと血の臭いを微かに感じたような気もしたのだが、特に気にすることなく幾ばくかの間を持って放たれた董卓の言葉に、気のせいか、として俺は特に驚くこともなく彼女の言葉を受け取っていた。
そんな俺を訝しんでか、賈駆が口を開く。
「……えらくあっさり受けたわね。もうちょっと、断るかと思ってたんだけど……」
「断ったからといって、受ける受けないの押し問答をしている時間も、今は勿体ないだろ? だったら、俺に任せると言ってくれた月と詠の言葉を信じて、俺は自分に出来ることをするだけさ」
「べ、別にあんたのことを信じてって訳じゃないんだけど……まあ、うん、そうしてくれて助かるわ。事実、動くなら出来るだけ早くの方がいいのは確かなんだし」
「……大体どれぐらいの猶予があるのかな? それによって、こっちの動きも変わってくると思うし……」
「……連合の発起人が袁紹ということも含めて考えてみれば、恐らくですが、一週間から二週間ほどが目安だと思われるのですぞ。優れているとは聞きませんが、名門である袁家が発起人というだけで集う諸侯もいるでしょう。それと同時に、参加するべきかしないべきか、それで悩む諸侯もいるでしょうし、遠地から参加するのもいるでしょう。それらが全て集うのを考えれば――」
「……一週間から二週間、か。なるほど、詠の言うとおり、あんまりのんびりは出来ないみたいだな」
賈駆の言葉に頷く陳宮の言葉に、俺もまた頷く。
俺の認識で言えば、どれだけの距離が離れていようとも自動車や新幹線などの交通機関によってそれほどでもない、と無意識に思っていたのだが、今いるここは古代中国である。
自動車どころか自転車であるとか蒸気機関といったものも開発されていない以上、その移動手段は徒歩か騎馬、あるいは馬車となる。
石城から安定や、安定から洛陽までの距離だけでもかなりのものがあると思っていたのに、さらにそれより遠い距離を移動するとか、まともに考えられるはずも無かった。
それでも賈駆と陳宮がそれぐらいの期間である、と言うのであれば、それも大きく間違えることはないだろう。
となると、今考えるべきは遠い距離の移動ではなく、いかにしてその期間に迎撃の準備を整えるか、というものであるのだが。
「……とりあえず、戦の心得は相手がしてほしくないことをするってことね。あんたにも覚えていて欲しいんだけど、相手は連合軍、兵力だけなら明らかに向こうが上だわ」
「おおよそで……二十万、こちらが動かせる兵が七万程度と考えるのであれば、かなりの差ですな」
張譲――宦官勢力と何進が抱え込んでいた兵力を洛陽にて得た董卓軍であったが、それも、俺が献策した警邏専門である警備部隊を設立したことに加えて、董卓が戦うことを嫌う人は軍を脱してもよい、としたことによって、その数は大きく減少していた。
この董卓の言葉には少なからずの兵達が飛びつくことになり、その兵らも故郷などに親や家族を残しながらも無理矢理に徴兵されていた者達ばかりとなれば、仕方がないことだと思う。
結果として。
洛陽以前の董卓軍であれば万に届かないほどの兵力であったのが、守備兵力以外で考えての総数において七万程度にまで増えたというのはかなりの増強と言えた。
だが、内実とすれば指揮系統の統一や部隊指揮の調練、兵数が増えたことによる指揮をする将兵の増大などに時間を費やしたために、今現在で言えば、軍としての錬度はあまり高くない。
金で雇われていた賊崩れの雑兵が多い状態では、それも仕方のないことなのかもしれないが。
精強を誇った華雄の部隊でさえ、その数があまりにも増えたために、他部隊との連携を取るのさえ難しいものであった。
となると、取れる策などは自然と限られてくるものだ。
「……篭城、か」
「そうね……。あんたの言うとおり、洛陽に至るまでにある関に篭って戦うのがいいと思う。特に、汜水関と虎牢関は堅固だから、篭城にはもってこいね」
「そうして、連合の兵糧切れと権力争いが表面化するまで持ちこたえる、ですか……。地味ではありますが、それが一番被害の少ない策でしょうな……」
話を進めていきながら机上に広げられた地図――忍に製作させた司隷全体の地図の上をカクと陳宮の指が走るのを、ふむ、と考えながら俺は眺めていた。
練度がさして期待出来ない状態では、篭城という策はあながち間違いではないだろう。
なにせ、城壁を攻撃しようとする兵のみと戦えばいいのである。
城壁を登ろうとする者、城門を破ろうとする兵達だけを狙えばいいのであるから、如何に部隊としての練度が低かろうと、最低限戦えればいいというものであった。
さらには、推測でも二十万である連合軍は、大兵力と将の多さという点でいえば脅威であるが、その大兵力がゆえに兵糧という弱点を抱えている。
であれば、汜水関と虎牢関という俺の知る歴史の中でも堅固と言える関に篭城していれば、その弱点によってこちらが打てる策も可能性が増えていくのだろうが。
脅威ともいえる大兵力。
そして、俺の知る歴史においての董卓軍の敗北という知識が、それでは駄目なのではないかと俺に囁いていた。
「なあ……ちょっと、思いついたんだけどさ」
大兵力、兵糧、堅牢な関――そして、地図を見るに汜水関から洛陽までのほぼ直線の道筋。
それらに意識と思考を働かせ、そして現状である情報を元にした結果、ある一つの策が俺の脳裏を掠めることとなった。
「奇襲って、どうだろうか?」
**
「ほわー……すっごい人だねえ」
ざわざわ、と。
幾重にも重なった人のざわめきが喧噪とも取れるような地において、それらとは全くの無縁であるかのような声が、のんびりと響く。
その中には真からの驚きの色が混じっており、目の前に広がる光景――実に雲霞の如くとも言える人の集まりに、素直に驚いているようであった。
それだけの人が集まるのが珍しいのか。
きょろきょろと辺りへと視線をやるのに合わせて、桃色の髪が揺れ動く――ついでに、主張の激しい胸がぷるぷると揺れる辺り女性、しかも少女であるみたいであった。
「にゃはー、鈴々たちより断然多いのだー。んー、どれぐらいいるのだー?」
「……だ、大体二十万ほどだと、お、思います……。私達の二千から考えても、か、かなりの数かと……」
そして。
桃色の髪の少女――劉備の隣に立つ少女達が声を発する。
少女というよりも些か小さい印象を受ける短髪の少女――張飛は、しかして、少女らしかぬ矛を肩に担いで劉備と同じく周囲をきょろきょろとしていた。
兗州陳留郡。
帝都洛陽からさほど遠くないこの地において、これだけの人数――二十万もの軍兵が確認されるのは初めてのことではないだろうか。
袁紹の檄文に応じて反董卓連合軍に参じた諸侯達の集い場となった彼の地には、それを表すかのように幾千、幾万もの旗が風に靡いていた。
河北の雄、檄文を発し連合軍の発起人ともなった袁紹。
その従妹であり、袁紹に負けぬ劣らぬの勢力を保つ袁術。
徐州牧として、安寧の優れた統治をみせる陶謙。
異民族との前線である幽州において、白馬義従と呼ばれる優れた騎馬隊をもつ公孫賛。
反董卓連合軍が集うこの陳留において太守である張莫。
その張莫の客将という形でありながら、実質その地を収める曹操。
先代無き後、その跡を継ぎながらも袁術の客将として力を溜めている孫策。
そして、戦乱に苦しむ民草を守るためにと義勇軍を率い、公孫賛と知古の中でもある劉備。
多くの英傑名将達が参戦する反董卓連合軍において、将兵の数でも兵力でも劣る董卓軍に負けることなど露にも思っていない者は多くいるだろうが、しかしてその少女達は――劉備の後ろに控えていた少女達は違った。
「細作の情報によれば、董卓軍の総数は七万ほど……その内の二万を洛陽に残し、残りの五万が、緒戦のために前線へと出てくるらしいですが……」
「二十万と五万か……数だけでみれば、三倍以上の兵力をもつ連合が有利だと思うものだが……朱里、どう思う?」
「……簡単にはいかないと思います、愛紗さん。最初の関門――汜水関においては、側面を崖に阻まれ、広範囲に軍を展開出来ないようになっています。となれば、正面からしか攻められないということになりますが、堅牢を誇る汜水関においての正面攻めは、愚策でしかありません。本当なら何かしらの策を考えるべきなのでしょうけど……」
「雄々しく、華々しく、華麗に前進、か……。まったく、前線に出る将兵の命を何だと思っているのか……」
そう呟いて、黒髪の少女――関羽は、疲れたかのように溜息を出して、先ほどの軍議を思い出していた。
反董卓連合軍、初めての軍議。
袁紹の檄文から二週間を経て、参加表明を示した諸侯の全てが陳留の地に落ち着いてから行われた軍議において、もっとも初めに議論されたことが総大将を決めることであった。
権力争いからの名目とはいえ、悪逆と謳った董卓を討つための連合軍の総大将である。
その任には最も才あるものが必要というのが各諸侯の意志であったのだが、かといって、あまりにも優秀過ぎれば戦果を横取りされることも考えられた。
だが、自らが総大将になるということは連合軍全体の責任を負うこととなり、もし董卓討伐が失敗に終わってしまえば、その地位と名声が地に落ちることは目に見えていた。
故に、誰もが総大将に立候補しようとはしなかったのだが。
発起人となった袁紹が、三公四世の名家である自分が総大将に相応しいだろう、と立候補したのであった。
無論、誰もそれに反対することは無かったのだが。
総大将を決めた後の議題――如何にして洛陽へと迫り董卓を討つのか、という議題において、殆どの諸侯が、それに後悔したことであろう。
陳留から直線――汜水関、虎牢関の堅牢な関を通り、洛陽へと迫る最短の道筋か。
南方――荊州あたりまで南下した後に北上して洛陽を目指す遠回りの道筋か。
大軍勢ともなった連合軍を支える兵糧の話もあるし、各々の間で繰り広げられる権力争いの話もある。
根拠地となる土地のことも考えなければならない、といった各諸侯の腹の探り合いの中で、総大将となってしまった袁紹が命じた策は――策と呼べるかどうかも怪しいものだが、最短の道筋をただひたすらに前進、というものであった。
「愛紗さんの言うことももっともですが、かといって、我々に――連合軍に遠回りするほどの余裕が無いことも確かです。連合とはいっても、味方である諸侯の間で繰り広げられる権力の争い……それに加えて連合故の補給路の未整備に兵糧不足など、様々な要因がありますから……」
「しかしな……ただ前進しろ、などという命令は釈然としないものがあるのだが……。まあ、朱里の言うとおり、連合に余裕が無いことは認めざるを得ないのだがな……」
朱里――諸葛亮の言葉に、関羽は諦めたように偃月刀を器用に持ちつつ、腕を組んだ。
腕を組んだ際にその豊かな胸が主張しているのだが、関羽はそれを気にすることもなく言葉を発した。
「……しかし、董卓軍は一体どう出て――」
「――て、敵軍を……董卓軍を確認しましたッ!」
しかし。
董卓軍は連合軍に対してどのような策を取るだろうか、そう聞こうとした関羽の言葉は、唐突にもたらされた伝令の声によってかき消されることとなった。
それと同時に関羽は――そして諸葛亮は、馬鹿な、と小さく呟く。
現在地点は、初め反董卓連合軍が終結した陳留の地から、さほど離れていない。
ただひたすらに前進、という連合軍全体の指標が定められ、そして今日中には最初の関門である汜水関を指呼の間に捉え、緒戦を開くと思っていた予想は大きく覆されることとなった。
否、そもそも汜水関に籠城するということ自体を考えたのが間違いであったのではないか。
そう思えるほどに、堅牢である汜水関を出ての連合軍を迎え撃つことは明らかな愚策であった。
そもそも、迎え撃つにしても、なにもこんなに前に出る必要もないのだ。
汜水関前に陣取り、地上で防戦しながら城壁の上から援護射撃をするのでも十分だと思われる。
なのに、一体どうして。
解の出ない堂々巡りに、諸葛亮から潤んだ声が発せられた。
「ひ、雛里ちゃん……」
「……情報が――本当にその軍が董卓軍なのかどうかを確認しないと、何にも出来ないよ、朱里ちゃん……。もしかしたら、連合に参加しようとした誰かの軍なのかもしれないし……」
だが。
汜水関より遙かに前方――これから両横を崖に阻まれた地形へと入っていこうかという目前で、その軍は陣を構えていた。
遠目であるからそこまで詳しくを窺うことは出来そうも無かったが、それでも、その微動だにしないその陣が、少なくとも、雛里――庖統の言うような、連合に参加しにきた軍ではないことを知らしめていた。
先ほどまでのざわめきが、瞬く間に大きなものへと変わっていく。
恐らく、どの諸侯達も、あの遠くにある軍が董卓軍なのかどうかの真偽を確認するために、慌ただしく動いているのだろう。
汜水関に籠城すると思われていた董卓軍が、陣を構えてこちらへの抗戦の意志を見せている。
その可能性と、そこから派生する策を、連合軍の誰もが見出せずにいた。
そうして。
その陣を構える軍を指呼の間にまで捕らえた時、いよいよをもってその軍の正体が掴めることとなった。
総数は五千。
その合間にはいくつかの旗が立てられていた。
『董』の旗は、その軍が董卓軍であるということを示し。
『漢』の旗は、その軍が漢王朝を奉じる軍だと――董卓軍であるのだとを確かに示していた。
そして、その合間に翻るは『郭』と『程』の旗であって。
真ん中に示すように――自らがその軍の大将であると示すように『十』の旗が風に靡くままになっている。
董卓軍と連合軍。
五千と二十万、その先鋒の緒戦が始められようとしていた。