董卓、字は仲頴。
生まれは隴西郡臨洮として、青年期の頃から類い希なる武勇を持ってその名を近隣に馳せる。
黄巾の乱の際には、時流に乗って行われた涼州での反乱鎮圧に向い、その討伐によって勲功を上げる。
黄巾の乱鎮圧後、何進と十常持の争いから生じた宮廷の混乱に敏をもってこれを収め、時の皇帝である小帝弁を廃し、献帝協を擁立、権勢を欲しいままにした。
しかし、その暴政を見かねた曹操や袁紹、袁術や孫堅などの有力者は橋瑁の呼びかけに応じ、反董卓連合を結成する。
董卓と反董卓連合による汜水関や虎牢関での戦いは、後世まで語り継がれることになり、中でも董卓の養子となった中華最強として飛将軍とまで呼ばれた呂奉先の武勇は、無双の士として英傑達を震え上がらせた。
賈駆、字は文和。
始め董卓に仕え、董卓亡き後は主君を幾度も変えながら曹操に仕え、その知略を持って曹魏の筆頭重臣にまで上り詰める軍師である。
自身の献策によって曹操の親衛隊である典韋を戦死させた賈駆は、曹操に降ると、降将という理由と、自身が知謀に長けているということから主君の疑心を恐れ、その軍務に身を砕いたという。
これが、俺の知っている歴史上の董卓と賈駆……なんだけどなぁ。
俺は、目の前で起こされている現実に、その知識を疑うことしか出来なかったのである。
「月、外に出るときには護衛を付けなさいって、何度言えば分かってくれるのよ?!」
「うぅ……、だって護衛さんたちがいたら、街の人たち怖がるし……」
片や、妹を叱る姉のようで。
片や、保護者に怒られて項垂れる子供のように。
恩返しということと、護衛という名目で、董卓が収める都市、涼州の石城に赴いた俺。
そんな俺を背後に置きながら、初めて会った荒野から街までの間を、ずっと賈駆は董卓を叱りつけている。
とは言っても、それは自分の主君を心配するのもあるのだろうが、どちらかといえば家族を叱る感じであって。
街の中を行きながらも続けられるそれに、人々は微笑みを持って見守っているのだ。
元いた世界からこちらに来てすぐさま殺されそうになった俺だが、この世界にも暖かい場所があるのだと、ふと安心出来た。
城までの道中話を聞いてみれば、時は後漢王朝皇帝として、霊帝が即位している時代。
国の主たる霊帝は決して愚鈍な王ではなく、腐敗進む後漢王朝において数代ぶりのまともな皇帝だったらしい。
しかし、人の身ゆえに高齢と病には勝つことは出来ず、ここ最近は床に伏せっているのだという。
そんな折、心身ともに弱まった霊帝は一人の女性に寵愛を注ぐようになる。
何太后、洛陽の街に住む屠殺屋の妹が、一躍霊帝の目に留まり、あまつさえ皇子を授かってしまう。
霊帝との間に協君を授かっていた董太后は、それに危機感を覚え、宦官の中でも実質上の最高権力者である十常持と手を組むに至る。
反対に、朝廷でも最高位に近い十常持と敵対することになった何太后は、霊帝に兄である何進を大将軍へと任命させる。
公然と兵力を握るようになった何太后派と、権力にて応対する董太后派。
そして、両派閥の対立は朝廷に混乱を生み出し、朝廷の混乱は民を軽んじる現状を招くこととなり。
故に、それに我慢の限界を覚え、明日を生きるためにと、中華全土において農民の一斉蜂起が行われたのである。
俺が撃退した三人組もそんな人たちであったらしく、彼ら、黄巾賊の目印でもある黄色の布を頭に巻いていたとのことだった。
まぁ、命の危機でやりとりをしていたのに、そこまで冷静に状況は判断出来ていなかったのだが。
ぶっちゃけ、気づいていませんでした。
そして、いくらかの情報を聞き、冷静になったことで、俺は自分が時を越えたことを認識したのである。
とは言っても、その前に殺される寸前という衝撃を受けていたためか、それほど驚くことは無かったのだが。
しかも、明らかに時だけでなく、別次元にも飛んじゃいましたって感じがするし。
ふと、リアル二次元という、全くもって意味不明な単語が頭を過ぎる。
が、気のせいだということにしておいて、街並みへと視線を向ける。
そうしないと、何となく駄目なような気がした、主に精神健康的な意味で。
「結構賑わってるんだなぁ」
ぽつり、と己自信を誤魔化すかのように呟いた言葉に、賈駆が反応した。
「当たり前じゃない。月がいて、ボクがいるんだから当然の結果よ」
「はぅぅ、私は父様と母様の跡を継いだだけだし……。詠ちゃんや音々音ちゃんが指示を出してくれるからだし、恋さんや霞さん、華雄さんが治安を正してくれるからであって……」
自信満々、と答える賈駆の言葉を正すように言う董卓、きっと恋や霞ってのも、後々に名を知られる英雄豪傑の類であって、信頼しているってのがよく分かる。
まぁ、それが誰かなんてのは今の俺では分からないのだが。
いや、董卓配下の武将って言ったら結構な数が絞れて、その中で後世にも名を知られる英雄豪傑っていえばおのずと定まってくるのだが、その人たちがこの世界でどうなっているのか、あまり考えたくないだけなだったりする。
どうもこの世界の女性には真名と呼ばれる名があるらしく、それは己が認めた人物以外が気軽に呼べば、首が落ちるほどのものらしい。
と、実践混じりで賈駆が教えてくれました、はい。
そりゃ、確かに董卓の真名を呼んだ俺が悪いのだけれども、先に説明しとかない向こうも悪いんじゃないかと思う今日この頃。
首に突きつけられた冷たい感触は未だに脳裏にあり、あれも後には笑い話になるのかなとしみじみ思った。
「いやいや、それでもここまで賑やかなのは凄いのでは? 俺も、他を知らないから何とも言えないけど」
「まあ、涼州は華北と違って黄巾賊の活動も派手じゃないし、ここに至っては田舎過ぎて反乱軍も来やしないしね」
その賈駆の言葉に、そこらへんは俺の知る歴史と大差ないらしい。
華北の広大な地域を荒らし回っていた黄巾賊だが、西へは荊州あたりまでが主戦場だった筈だ。
というよりは、涼州においては黄巾賊というよりも、後漢に仇なす異民族の方が活発であり、董卓はその抑えだった筈である。
まぁ、その辺の差異はあれど、他地域から見れば比較的平穏であるために人が集まり、物資が集まり、活気が生まれているのだろうが。
「それでも、賊の人たちはやっぱりいるんです。本当は、そんな人が出ないように富ませるのが、私の役目なんでしょうけど……」
不甲斐ないです、と項垂れる董卓を前に、何故か賈駆に睨まれる俺、ええ俺何かしたっけ、と不条理なものを覚えてしまう。
そもそも、近代以前の賊と言えば、食うに困った人たちが仕方なく始めるものであり、それを抑えようとするのは事実難しいものだったりする。
蝗害による収穫の不可、旱魃による森林火災に収穫物の減少と蝗害の被害拡大、水害による住居の損失と精神的不安など、ありとあらゆる災害への対策など不可能に近いのだ。
郡の太守や州牧などはそれを防ごうと対策を講じても、被害地域に住む人々全ての食料や住居の提供は、物価の上昇や治安悪化などを招くこととなり、自分の首を絞めることにもなるため、積極的にはなれない。
結果、あぶれてしまった人々は賊へと身を堕とし、彼らに襲われた人々は、食べるために賊へと身を堕としていく。
負のスパイラル、悪循環。
どうしようもない、と。
仕方ない、と。
上辺だけの慰めの言葉は、簡単に言えるのかもしれない――
それらを本気で救おうと董卓が考えているのは、その口惜しそうな顔を見ればすぐに分かる。
そんな董卓を見て、賈駆もそのトーンを下げる。
平和な世から来た俺にとって、賊と呼ばれる人たちの考えなど、心にも思ったことは無かった。
何が気に入らないのか、何が不満なのか。
それさえ知ろうとせず、一方的に悪だと決めつけていた自分を恥じながら、俺は董卓の頭へと手を置いた。
――だからこそ、俺は敢えてその言葉を口にした。
「今は仕方ないでしょう。黄巾賊によって民衆は困窮に喘ぎ、不安に脅えています。今日を生きるにも心身を磨り減らし、明日の朝日を拝めるかも分からぬ時代です。……だからこそ、主たる董卓殿は項垂れず、前を向かなくてはなりません。全てを見、感じ、判断しなければ、救えるものも救えなくなります。幸い、良き家臣と、良き友に恵まれているようですので、董卓殿ならば、きっと成し遂げられるでしょう」
「あぅあぅ……」
ね?と最後に付け足しながら、ぽんぽんと軽く頭を叩く。
顔を覗き込むように付け足したためか、俺から逃げるように顔を俯かせる董卓から視線を外し、嫌がられるのもと思い、手をどける。
良き友、の辺りで賈駆が呻き声を上げていたが、董卓が俯いた途端、それが呪詛らしきものに変わった気がするのは気のせい、だろう、だと思う、そうだったらいいなぁ。
まっ、明らかに呪詛られてますけどね。
……賈駆さんよ、俺が一体何かしましたか?
**
呪詛の言葉を投げ続けられながら、なんだかんだで城へとたどり着く。
そこに至るまでに、俺と賈駆との間では激しい攻防、主に賈駆からのみだが、が繰り広げられていた。
人ってそこまで罵詈雑言が言えるんだって、新たに知ることが出来ました、出来れば一生知りたくはありませんでした。
そして、案内された広間において、俺はそこである人達に会わされるのだが。
まあ大体予想はついていましたが。
ここまで的中するのも、如何なものかと。
「月っちと詠が世話になったなー。 ウチは張遼、字は文遠や」
前布と後布の間が大きく開いた袴に、サラシを巻いただけの胸、上衣を外套のように羽織る女性は、後に張来来と呼び恐れられる張文遠の名を名乗る。
端正な顔立ちながらも活発に笑う彼女に、俺は見惚れそうになりながら視線をずらす。
主にサラシの辺りから。
男なら仕方のないことだと思うのだが、賈駆にはばれているのか、その視線は冷ややかだった。
「董卓軍にその人有りと言われた武人筆頭の華雄、字は葉由だ」
動きやすさを追求したのか、必要最低限の防具を着けた女性は華雄を名乗る。
汜水関において、正史では孫堅に、演義では関羽に斬られる武将なのだが、己の言葉に自信を持つその瞳を見るに、近いうちにそれも事実になりそうである。
後で賈駆にでも一言言っておくか、とまたしても視線をずらしながら考える。
張遼もそうだが、この人も露出が多すぎて視線の置き場に困る。
どうしても滑らかな肌や、たわわな……いや、これ以上は言うまい。
「姓は李、名は確、字は稚然と申す。この度は、月様を助けて頂いて、誠に感謝いたします」
そして、ここに来て唯一の男性の登場に、内心安堵する。
穏和そうな笑みは好々翁と呼ぶにふさわしい壮年の人だが、その視線はこちらを探るようなもので、値踏されている感じがする。
なんて言うか、娘の交際相手を前にしたお父さんみたいに。
「ふむ。……まあ合格点、と言った所ですかな」
上から下まで眺め尽くされ、不意に言われた言葉に理解が追いつかない。
合格、何が?
えっ、失格だったらどうなってたの、俺?
「とりあえず、今いるのはこれだけね。恋……呂布や徐栄なんかは、今はいないから、また会ったら、顔だけでも合わせといて」
いったい何が合格なのか、と一人悩んでいると、賈駆から驚くべき名を告げられた気がする。
「もう呂布がいるのか……」
丁原の養子で、洛陽に入った後に丁原を裏切り董卓の養子になるのが、俺の知っている知識だったのだが。
この時点で呂布が董卓の元にいる、さらには恋というのが呂布の真名であるなら、女性ということになる。
貂蝉の取り合いとかどうするんだろう、とか。
王允との絡みはどうなるの、とか。
最早俺の知識とはかけ離れた展開に、歴史なんてこんなものか、と心の隅にでも置いておくことにした。
地球だって、多くの奇蹟によって生まれたのだから、歴史も様々な要因が重なり合って紡がれていくのだろう。
そこに、俺のイメージとは全然違う女の子の董卓がいたりとか、もしかしたら絶世の美男子な貂蝉がいても、何ら不思議ではないのだ。
と、いうことにしておこう、じゃないと心の安寧が得られん。
そしてこの判断を、俺は後に後悔してしまうのだが、今この俺には、そんなことが分かりはしなかったのだ。
「俺は姓は北郷、名は一刀と申します。異国の生まれにて字はありません。此度のことは偶然に偶然を重ねた結果でして、俺は襲われていた女の子を助けただけです。董卓殿と賈駆殿だからと、助けた訳では無いのです」
まあ、名乗られたのだから、こちらも名乗らない訳にはいかないだろうと、とりあえずは例に習って名乗ってみる。
やはり違和感を抱えるが、それでも納得してくれたのか、皆変わった名だと答えてくれた。
変わってるって言われると、ちょっと傷つくよね……。
「それでも、あなたが私たちを助けてくれたのは事実ですから。本当に、ありがとうございました」
そう言って、玉座に座る董卓が頭を下げると、それに従うかのように、その場にいる全員が俺に向けて頭を下げる。
名乗りを上げた人たち以外にも、女官や武官、文官にいたるまで全員である。
見慣れない、一種異様な光景に背筋を振るわせながら、俺は慌てて止めに入った。
「ちょ、ちょっと頭を上げてください! そこまでされるほどじゃ……」
「それでも、あなたが、北郷様が助けて下さったから、私と詠ちゃんは怪我もなく無事に帰ってくることが出来たんです。本当に、感謝しています」
「それに、月様は我ら石城の臣と民にとって、姫君でございますから。北郷殿には、感謝してもしきれないのですよ」
そう言いながら、再び頭を下げる李確に、それにつられて文官や武官達も頭を下げる。
多く寄せられる感謝の念に背中をむず痒くしながら、仕方なく俺はそれを享受することにした。
「それで、北郷様は旅の方なのでしょうか? 見たこともない外套をみるに、西方からでしょうか?」
頭を上げた李確からそう聞かれ、俺は、はたとあることに気付く。
あれ、俺何の説明もしてなかったけ?
そう言われれば、気付いた時には荒野で、声が聞こえたと思ったら黄巾賊で、殺されそうになったと思ったら追い返して、あれよあれよという間にここにいる。
その間に、自分の説明は名前だけという事実に、俺は何やってんだと自己嫌悪してしまう。
かと言って、俺北郷一刀未来からやってきました、なんて言った日には右も左も分からぬ土地で見捨てられてしまうかもしれない、多分賈駆はいの一番にそう進言しそうな気がする。
どうしよう、と思った俺は、破れかぶれで誤魔化すことに決めた。
「それが……異国の生まれということは覚えているのですが、この地に来た理由や行程が全く思い出せないのです。気付いた時にはあの荒野にいまして、そこで董卓殿と賈駆殿を助けた次第で」
と、まあ記憶喪失の殻を被ってみることにした、決して嘘を言っているわけではないし。
そんな俺の言葉に、董卓少し考えた後、笑いながら賈駆に耳打ちをしている。
その顔はいいこと考えちゃった、といった風でその考えを聞いた賈駆は、驚愕にその顔色を染まらせた。
対照的な二人に、一体何を話しているのだろうと不安になっていた俺は、次いで董卓が発した言葉を理解するのに、幾ばくかの時を有したのである。
「でしたら、行き先など思い出すまでは、この地にて逗留されてはいかがですか? 住まいはこちらで提供させていただきます」
「…………………………へ?」
**
「知らない天井だ……」
ふと目が覚めて、ぽつりと呟く。
まぁ、今日で三日目なんですけどね。
行き先などどこにもなく、とりあえず帰る方法を探そうと思っていた俺にとって、拠点となりうる住居を提供してもらうという提案は、喉から手が出るほど欲しいものだったのである。
恐らくは純粋な好意から提案してきたのだろうが、自分の案が俺の弱点を突いているなど、董卓は微塵も思ってはいないだろう、賈駆辺りなら、その辺も含めて嫌々許可したのだろうが。
予期せず住居、というよりも石城の城に一室借りることとなった俺は、この時代の知識がアテには出来ないことから、とりあえず情報を集めることを優先した。
とは言っても、パソコンや電話がある筈もないこの時代において、人々の情報源は基本口伝である。
街のいろいろな人に話を聞いて廻っても、聞く地域や人によって内容が違うこともあれば、全く意味のない内容になっているなど、質の悪い伝言ゲームみたいな状況で、初っぱなから前途多難だったのだ。
「ううむ、やはり文書を調べてみるしかないのか……。だけど、読めないしなぁ」
初め、董卓に頼んで保管されている文書を見せてもらおうかと思い、簡単な史書を見せてもらったのだが、書いてある文字こそ読めるものの、その内容は全く理解出来なかったのである。
いや、漢文の成績はそこまで悪くは無かったのだが、わざわざレ点や一・二点などの返り点が打たれていなかったりするので、俺が訳すると意味不明になってしまうのだ。
そのため、仕方なく文書からの情報収集を諦め、街の人々から情報を得ようとしたのだったが、ご覧の有様である。
はや三日で惨敗ムード全開だった。
「おお、北郷やないか。どうや、有益なんはあったんか?」
これからどうしようか、などと悩みながら廊下を歩いていると、既に出仕しているのか、難しい顔をした張遼と顔を合わせる。
彼女の手には竹簡が握られており、おそらくは報告書なのだろうが、美人がぶつぶつと言っている姿は微妙に怖いものがあった。
「いや、特に進展はありませんね。今日はどうしようかと悩んでいた所ですが……。張、じゃなかった、文遠殿は難しい顔をされて、何かあったので?」
俺が承諾すると、董卓から逗留するに至り、お願い、というよりもある指示が為された。
曰く、他人行儀に呼ぶことはなく、親しく接して欲しいとのこと。
優遇されることと、世話になるということから俺に否は無かったのだが、さすがに真名を預けられるのはお断りした。
話を聞いた限りでも、簡単に預けられるものでもないし、預けられても困る。
さらに、董卓の判断だけで、皆の真名を預かるには、俺の責任が大きすぎるのだ。
俺自はこの世界にとって異端であり、そもそも、これから何が起きるか分からない状態で、ここの人たちを巻き込む可能性は出来る限り上げないでおきたい。
故に、あれもだめこれもだめ、という俺に業を煮やした賈駆が、ならば字で呼ぶようにと半ば命令したのであった。
「いやなぁ、詠に新しい陣形を軍に覚えさせる時期言われて、どれがええか考えとんやけどな、どれもしっくりこんのや。あんま難しいのでも、覚えとれんし、ウチもぐだぐだ悩むよりは暴れたいしなぁ」
はぁ、と溜息をこぼす張遼だったが、それでも、一応は上司である賈駆の指示を行おうとしているあたり、根は真面目なのだろう。
それもこれも恋や華雄が脳筋やからや、と愚痴る張遼に、俺は今はどんな陣形があるのかを聞いてみた。
「横陣、魚鱗、方円、方陣やな。基本的には、大将である月っちを守る陣形が多いから、なんか攻める陣形があればええんやけど……」
確かに、聞いた陣形と賈駆の考えでいけば、 総大将である董卓を危険にさらす陣形などは、絶対に認めはしないだろう。
かと言って、張遼や華雄、さらには呂布などの豪傑を守りに回すのは、人材的にもったいない。
賈駆ならいい案もあるのだろうが、成長を促しているのか、軍師として指示をするだけなのか。
彼女の真意を掴めないながらも、とりあえず思いついたことを言ってみる。
「逆さ魚鱗、ってのは如何でしょう?」
「逆さ魚鱗? なんやそれ?」
「言葉の通り、逆さにした魚鱗の陣ですよ。通常であれば、一二三と隊を組み、三の部隊の真ん中に総大将を置くのですが、逆さ魚鱗は三二一と陣を組みます。先陣に文遠殿、葉由殿、奉先殿を置けば、攻めでは十分であり、二陣には徐栄殿でしたっけ、その方と稚然殿を置き、最後尾に仲頴殿と文和殿を置く。先陣にて敵を押しとどめ、二陣において後背を抑え、状況に応じ横撃へと移る。正面からの戦いにおいては、臨機応変に対応出来るかと」
初め言葉で説明するが、いまいち納得出来てなさそうな張遼に分かりやすく説明するために、近くに落ちていた石を用い説明する。
逆さ魚鱗と言うよりは、鶴翼の陣に近いものではあったが、一番の違いは陣の目的が包囲殲滅か正面突撃かである。
英雄の指揮であれば、容易に弱点が露呈し、その隙を突かれるだろうが、賊程度が相手なら十分に機能するだろう。
張遼の話からしても、すぐに決定という訳ではなさそうなので、その辺も踏まえて検討してくれればいいと思う。
ほほうそんなもんがあるんかいな、と一人納得している張遼だったが、先ほど俺が言った内容を忘れないようにと、竹簡の隅にさらさらと文字を書き入れていく。
まあ、何を書いているのか理解出来ない俺は、その軌跡を目で追いながら、他になんかあったかなと記憶を探る。
「よし、詠からの分はこれで丸っと。そや、北郷は武の方はどうなん? 賊を三人相手にして、それを叩きのしたって聞いたで」
一通り書き終えたのか、するすると竹簡を終えた張遼は、背を伸ばしながら俺へと問いかける。
まあ事実を言えば、不意を突いて急所を狙ったという、武人からすれば怒髪天ものなのだろうが。
そんな俺に、張遼は爆弾を投げつけてきた。
「どうせ時間はあるやろ? ちょっと息抜きに仕合でもしようや」