「殿下、もう一度お聞かせいただけませんか?」
皇室に呼び出されたマザリーニは、アンリエッタがいった台詞を聞きなおした。
聞こえてはいたのだが、耳を疑ってしまうような言葉だった。
「もう一度言います、税率をあげますわ、マザリーニ枢機卿」
しれっと、アンリエッタは枢機卿に告げる。
何を言い出すかと思ったら、姫殿下は正気だろうか?
なんだか頭が痛くなってきた、今の一言で恐らく白髪も増えたかも知れない。
自分の立場が分かっているのだろうか?
その発言は、絵空事ではなく実行出来てしまうのだというのに…
「殿下、もう一度お考えください。平民といえども何もパンのみで生きているのではありません。
これ以上税を取り立てて反乱でも起きたらことですぞ」
優しくさとすようにアンリエッタを説得しようとする。
言い方は悪いが、帝王学を学んだわけでもなく政治のなんたるかも分かっていない小娘なのだ。
ついこの間も自身の事ばかり考えため息をついていたばかりではないか。
それがなんだ、いきなり税率をあげようなどと言われるとは。
先代が生きてさえいれば…、しかしそんな事はいくら考えても仕方がないことだった。
「まずは、これをお読みなさい。反論を聞くのはそれからです」
目の前にいるのは、本当に姫殿下だろうか?
妙な自信のようなものが見える、纏う雰囲気も数日前とは明らかに違う。
しかしいきなり偽物を暴くような魔法をかけるわけにはいかない。
話を聞いて、それから判断しても遅くはないだろう。
目の前に置かれた資料に目を通す、所々に図や数値が記述されている。
なんというか斬新な資料だった。それなりに量があるようだ。
「一つ目は、水魔法を使った医療の確立です」
確かに水魔法を利用して怪我や病気などを治すことは出来るが、
それを事業にするなど考えたこともなかった。
怪我をすれば、それぞれの家庭や集落の長、教会などで薬草などを使うばかりだ。魔法を使うこともあるが、それも一部の貴族が高い金を払ってすることで、その貴族も治療を生業としているわけではない。
「税金をきちんと支払ったもののみ、その施設を利用できます。
その時の利用料の八割を税金から負担するとします。
そうですね、一年ぐらいは無料で請け負ってもかまいません」
さらにアンリエッタは続ける。
「税金を払う平民や貴族に手形を発行させなさい。
そこに家族、団体の形態を名前、年だけでもいい記述させます。
それを王宮で管理し、利用時に提示させます」
これは、考えていた以上の施策かもしれない。
平民も死亡率が下がるのであれば、喜んで協力するだろう。
出生率も上がり死亡率も下がる、それは国力を増加させる一歩となる。
しかも、この施策はそれだけには留まらない。
手形を管理することによって、国民全体を把握出来るのだ。
これが意外に重要な事で、名前、年だけでも殆ど把握できず大まかな数くらいしかわかっていないのだ。
「しかし…姫殿下、重要な事が一つ。貴族が協力しますでしょうか?」
これは、トリステインであれば、なおさら難しい問題でもあった。
「それは給金を払います。トリステインは伝統ある国ではありますが、領地が少ないのです。
その少ない領地を維持するため、少なくない社交を行うため、どれほどの金が動くか。
それが余裕のなさとなり、貴族が貴族らしく振舞えなくなった一端となったといえるでしょう」
余裕があれば、平民に無理を強いる貴族も少なくなるであろう。
貴族をやめ、傭兵になったり犯罪をおかすことも少なくなる。
それでも不正を行う者は、不正を行うわけであるが…
「水の魔法を使えるものは、こぞって参加するでしょう。
王宮直々の依頼ともあれば、外聞を気にする必要もありません」
まさしくその通りだった、しかしそうなると他の属性を持つ貴族はどうするのだろうか。
「次は、風の魔法を主とした施策です、これは清掃業と名付けましょう。
枢機卿は城下の表の街道から少し離れた道を存じていますか?」
マザリーニは黙ってうなずく。
どこの国でもそうだ、大通りを外れた裏の道といえば臭く汚い場所だ。
「それを水と風を使い清潔に保ちます。その資料にある通り、不潔であれば疫病の元ともなりましょう。
トリステインは爽やかな匂いと清潔な水に包まれた国に生まれ変わるのです」
そこには風を使って爽やかな空気を使い、水を使い洗い流し綺麗に保つ効率のいい試案が記述されている。
そして、それに影響される死亡率の減少などが線で分かりやすく書かれている。
「さらには、その清掃を組織だって行うことで、街や城の形状をきちんと把握するのです。
それは、今後戦時にも役立つこととなりましょう」
さらにアンリエッタの説明は続く。
「次は火の魔法を使った施策です、それは冶金です。
残念ながら、これは一歩も二歩もゲルマニアに進まれています。
しかし、今からでも遅くはないでしょう。
必ずや民の生活を助け、国の武力を上げることとなるでしょう」
冶金技術が上がれば、今以上に生活していく上で必要な加工技術が上がる。
それ以上に武器としての錬度もあがっていくことになるのだ。しかも他国に頼らずに。
アンリエッタは一息つけると、グラスに入れてあるワインを飲みほした。
「もうひとつ、火と水の魔法を使い、大きな風呂を作ります。
これを平民用として大きな町に常備させます。火石や水石を使い効率的な運用を目指します」
平民に普及されているのは、蒸し風呂のような蒸気で汗を流す仕組みの風呂だ。
夏場は川水を利用して清潔さを保つが、冬ともなるとどうすることもできない。
これも利用料を取ったとしても、多くの平民が利用すること間違いないだろう。
さらには火や水の石は、軍事的な扱いが難しく風石よりもはるかに知名度が低い。
最近発掘量が増えたと聞くが、持て余してもいた代物だった。
「次は土の魔法を使った施策、これは農作物に関する事です。
ゴミを錬金することで肥料を作ります。また水を効率的に供給できるような道を作らせます。
ポモドーロやフレソン等水気の強い野菜・果物には効果があるでしょうね」
ポモドーロは赤い丸みのある果実でソースにしてもスープにしてもいい家庭でも多く使われている植物だ。
フレソン(苺)は赤い甘みのある果実で、潰してジャムのように使われる。紅茶やお菓子にも利用される。
ワインを作る葡萄が特産として上がりやすいが、広く見れば特産となりえるものは多い。
麦や芋等を含めて自国の生産量が上がれば、それだけ飢え餓死するものが少なくなる。
トリステインは痩せた土地が多く、なぜなら領地の場所によっては、水の供給が足りないからだ。
その為、中々領地を開拓することが出来ないという現状もあるのだ。
魔法で土を耕し肥料も使えば、自国の生産量はすごい勢いで上がるだろう。
さらにはゴミまで減るというのだ。良いことづくしである。
「最後は、土と風の魔法による道の作成、整備です。
煉瓦を錬金し、風の魔法で乾かします。これで自国をしっかりと繋ぎます。
貴族の一部が竜籠を利用するとはいえ、徒歩や馬車が主流です。
道が出来れば、おのずと他の地域との交流はさかんになります」
この施策は、何より商人に喜ばれると思われる。
またこの商人という生き物が厄介なもので、利と益をもってして生きている。
大きな商人ともあれば、貴族といえども表立って敵対することは難しい。
商人の支持を得るということは、貴族とはまた違った意味で必要なことでもあった。
またこの煉瓦という代物、加工しやすく建築物として利用されるが耐久性はよくない。
5年も持てばいいほうだろう、ということはこの施策は半永久的に持続できるのだ。
資料を見ると、所々丸い文字で補足がしてある。これは姫様の文字だろう。
明らかに資料にある文字とは違う、そうすると裏で誰かに操られているのだろうか?
見た所、禁呪を掛けられているようには見えない。
すると誰かと繋がっているのだろうか?しかし、そのような形跡は未だなかった。
仮にもわたしを差し置いて、このような綿密な資料のやり取りを出来るような貴族はいない。
アンリエッタを見据えて、その後ろの人物を見ようとする。
その人物はいったい何を考えているのだろうか?
「姫殿下、一つ質問があります。この施策はご自分で考えられましたか?」
「その通りよ、枢機卿」
顔色一つ変えないアンリエッタにマザリーニはわずかに目を細める。
姫殿下は変わられた、それが良い成長なのか今は分からない。
こちらが裏に糸引く人物がいると警戒していることを理解していてのこの台詞だ。
そうなるとその人物の目的はなんだろうか?
裏で王宮を操る?しかし、この全ての施策は一見して貴族に多く利益をもたらすように見えているが
国、貴族、平民、全てが利益を得ることが出来るようになっている。
例えば、貴族だけであるとか、国だけであるとか偏りが見えない。
ますますその意図が分からなくなってくる。
この施策が通れば王宮の力はますます強くなるだろう。
姫殿下が補足している文字も、鋭い視点で指摘をしている。
何か間違いをしようとするのであれば、わたしが修正してあげればよい。
まだまだ王の資質としては足りない部分があるが、政(まつりごと)を担う資質としては期待できる。
なぜ、姫は王子ではなかったか、同盟のための交渉の一つとしてみてしまったのか今となって悔やまれる。
「わかりました、殿下。この案を検討してみましょう」
複雑な顔をしながら、マザリーニが資料をもって退室しようとする。
それをアンリエッタが止める。
「待ちなさい、枢機卿、わたしの話はまだ終わってないわ」
何処かで、ひょ?とでも聞こえてきそうな物言いだ。
驚いたマザリーニが振りかえる。これ以上何があるというのだろうか?
数々の有意義な施策だが、これを成すには貴族の采配やその他細かい絶妙な調整が必要となる。
慢性的な財政難でもあるトリステインを救うべく一手と十分なりえるのだ。
恐らく他国がこれをすぐに真似する可能性は少ない。
詳細な根拠に基づく資料によって裏打ちされたからこそ実行しようと踏み切れるのだ。
事の本質を理解して、真似しようとしても形にするのは時間がかかるだろう。
その為にやることがやまほどある。
それ以上に国を憂いていたマザリーニとしては、早く吟味検討する必要があるのだ。
しかし、姫殿下の言葉とあらば、無碍にすることはできない。
恐れはある。しかし期待もあった。
毒を食らわば皿まで、こうなったら最後まで話を聞く覚悟を決めたのだった。