門司城における小原鑑元の蜂起によって始まった、いわゆる『大友他紋衆の乱』。
大友軍、叛乱軍、共に一万以上の兵力を動員したこの戦は、当初、両軍ががっぷり四つに組んだ長期戦になると考えられていた。
地力では大友軍がはるかに優るが、叛乱を起こした小原勢の背後には毛利家の存在があるため、容易に決着はつくまいと思われたのである。
しかし、小原勢の奇襲によって出鼻を挫かれた吉弘鑑理率いる大友軍が、松山城を放棄し、香春岳城に退いたことにより、戦局は一気に叛乱側に傾いたように思われた。
小原鑑元は、その武功によって、他紋衆でありながら加判衆の一人に数えられていた人物である。この機を逃がすはずはなく、麾下の主力を率いて香春岳城に押し寄せた。この城を陥落させれば、豊前の半ばは鑑元の掌中に帰することになるであろう。
筑後方面に大兵を動かした直後の大友家に、これ以上の援軍を送る余裕はない。
一方の叛乱側は毛利勢の後詰もあって後顧の憂いなく戦うことが出来る。
また、小原勢が勝利を重ねていけば、他方面で志を同じくする者たちが次々と蜂起することも大いに期待できるだろう。
鑑元の目にはあらゆる状況が自身の勝利を約束しているように思われたし、事実、その判断は決して間違ってはいなかった。
だが、しかし。
戦場において、戦機は常に揺れ動く。たとえ自軍に機がおとずれようと、それを掴み損ねれば、瞬く間にそれは遠く離れてしまうもの。
歴戦の将である鑑元はそれを弁えており、訪れた機を逃がさぬよう努めた。そして、この一連の戦いにおいて、その機とは香春岳城を陥落させられるか否かであったろう。
もし。
短期間で香春岳城が陥落していたら、他紋衆の叛乱は、大友軍の反撃を未然に打ち砕き、ついには大友家衰退の切っ掛けにさえなっていたかもしれない。豊前半国は失われ、毛利家の援助を受けた他紋衆らはより勢いを増して、大友家の勢力をそぎ取っていったであろう。
そんなありえたであろう未来は、しかし。
「申し上げますッ!」
香春岳城を攻囲していた小原勢の下に届けられた一つの報告により、現実として結実することなく微塵に砕け散る。
「小倉城が大友の別働隊によって陥落いたしました! 城を陥とした部隊は急進して我が軍の後方を扼しつつあり、このままでは退路を塞がれてしまいますッ!」
城攻めにあって退路を断たれてしまえば、城の内と外、両方の部隊を相手取らねばならず、それがどれだけ不利な戦いを強いられるものであるかは言うまでもあるまい。
ただ、この時、門司半島の根元を横切る形で部隊を動かしたのは、吉弘主膳兵衛紹運率いるわずか七百。錬度に関しては折り紙つきの精鋭部隊であり、城攻めを行う敵軍の後方を扼すことに成功はしたものの、香春岳城を攻める小原勢は一万を越える大軍であり、寡兵の不利は否めないかに思われた。
だが、吉弘紹運はわずかな手勢を率い、躊躇なく敵軍を直撃した。
この時、小原勢の後詰を務め、後方の毛利勢との連絡役を担っていたのは鑑元配下の本庄新左衛門の部隊である。
この時、本庄の兵力はおよそ千五百。倍近い数の兵を従えていたにも関わらず、スギサキの異名を持つ吉弘紹運の部隊の急襲を受けた本庄勢は、ほとんど一撃で粉砕されてしまう。
スギサキ、とは戦場における一番槍の功名を立てた者に与えられる尊称である。
戦場において、敵陣を食い破るべく突進する部隊を天上から俯瞰すれば、あたかも横たわる杉の木のように見える。その先頭にある者こそ一番槍の武辺者、すなわち杉先――スギサキとなるのだ。
スギサキの功を立てた者は朱塗りの槍の使用を許される。これは身分の上下を問わず、戦場に立つ者であれば誰もが焦がれてやまない栄誉であると言って良い。
ゆえに、朱槍を持つことは敵味方に自らの存在を強く知らしめることになる。戦場においては常にその栄誉に恥じぬ働きを求められ、また敵からは手柄首として狙われる。
一度、スギサキの栄誉を得たにも関わらず、続く戦で不覚をとってしまう者が少なくない理由はここにある。
そんなスギサキの栄誉を、同紋衆の家格に連なる一軍の将が得ることがどれだけ稀有なことか。
まして、その栄誉をわずかの瑕瑾もなく守り続けることが、いかに至難の業であるか。
倍する兵力を抱えるとはいえ、その紹運の部隊に急襲を受けた時点で、本庄の命運はすでに定まっていたのかもしれない。
小倉城の陥落、後詰の壊乱は小原鑑元にとって予想の外であった。その二つの部隊を率いていたのは、鑑元の腹心である中村、本庄の両名である。小倉城の確保と、後方の情勢確認、ことに毛利軍との連絡の重要性を認識していた鑑元が、腹心二人に委ねた備えを一朝で突き崩されたのだ、平静ではいられなかった。
だが、戦況の変化は、鑑元が呆然としている時間さえ与えない。
香春岳城に立て篭もっていた吉弘鑑理率いる大友軍が突出する気配を示したからである。
香春岳城を包囲し、諸方との連絡を絶っている以上、城将の吉弘鑑理は援軍の到着を知る術はない。にも関わらず、小原勢がひそかに後方への備えを固めるため、諸将の陣備えを変更した途端、それまで貝のように閉じこもっていた鑑理が兵を動かす気配を示したのである。
その動きを見た鑑元は、城内の吉弘勢ははや味方の到来を悟ったのか、と慄然とした。
事実は若干異なる。
鑑元は知らないことだが、城内の大友勢は戸次勢の動きを書状で知らされているだけで、鑑元が指示した陣替が、援軍の到来を意味するという確証はもっていなかった。篭城戦の最中、陣備えをかえることはめずらしくないのである。
だが、自軍の動きに対し、小原勢が示した動揺を見た吉弘鑑理は、戸次勢の援軍が後背を扼したことを確信する。
武将として、共に令名のある吉弘家の父娘の連携は巧妙だった。香春岳城を、一万を越える大軍を率いて出撃した鑑理は、小原勢を相手に決して攻めかかろうとはしなかったが、繰り返し鬨の声をあげて重圧をかけ続けた。
後方を紹運率いる小勢にかき回されながら、前方から大軍の武威を突きつけられた形の小原勢はたちまち動揺してしまう。
勝勢に乗ってここまで攻め寄せてきたため、小原勢の士気は決して低くない。
しかし、だからといって、吉弘家の父娘に前後を塞がれ、微動だにせぬ、というわけにはいかなかった。
さらに鑑元を悩ませたのは、小倉城が陥ちたという知らせであった。
大友軍の別働隊の規模まではわからなかったが、あの城が陥ちたということは、押し寄せた敵勢は五百や千では済まないだろう。この地で手間取っていると、本拠地である門司城を攻められる危険があった。
無論、門司城には十分な守備兵を置いてあるし、毛利勢の後詰もある。そう簡単に陥ちるような城ではない。
だが、万一ということもある。くわえて、毛利勢がどこまで信用できるのか。これは挙兵を決断してから、ずっと鑑元の胸を去らない疑念であった。
毛利家の戦力がなければ、この挙兵は成功しない。だから、信用する。そう割り切ったはずなのに、不意に何者かが胸中で囁くのだ。相手は智略縦横を謳われるあの毛利元就なのだぞ、と。
――小原鑑元が松山城への退却を決断したのは、そんな自身の疑念を完全に払拭することが出来なかったことも理由の一つであった。無論、現在の劣勢を単独で覆すのは難しいという将としての判断もある。
ほぼ同数の敵軍を前に、退却をすれば不利は免れない。鑑元は慎重に機を測ったのだが、不思議なことに大友軍は追い討ちをかけようとはしなかった。ただ一定の距離を保ったまま、小原勢に追随してくるのみである。紹運の軍勢も、すでに鑑理に合流したのか、後背や横合からの攻撃もない。
これには鑑元も首を傾げたが、追撃がないのであれば、それに越したことはない。
かくて松山城まで退いた小原勢は、本陣を据えなおし、吉弘父娘率いる大友勢と相対することになったのである。
◆◆◆
豊前国門司城。
今、その城内には傷つき、疲れ果てた兵士たちが五人、十人と固まりつつ、地面に座り込み、配られている握り飯を無心にほお張っていた。
彼らはいずれも小倉城から落ち延びてきた兵士たちである。その数はすでに二百人を越えていたが、いまだに三々五々、逃げ延びてくる兵士の姿は絶えない。
それを見て、門司城を守備する将兵は、小倉城の陥落を信じざるを得なかった。
「では、中村殿は討死したというのか?!」
「……は、はい。大友勢は湧き出るように城の近くにあらわれ、たちまち城を取り囲んで猛然と攻め立てて参りました。我ら必死に戦いましたが、多勢に無勢、いかんともしがたく……」
門司城の城主の詰問に、小倉城から逃げ延びた兵士は深々と頭を下げる。
「たわけ、人間が湧き出てきてたまるものか! 大方、見張りを怠っていたのだろう!」
「敵は八千を越える大軍でした。見逃そうとて見逃せるものではございませんッ。まったく奇怪なことですが、大友軍は不意にその場にあらわれたとしか考えられないのでございますッ!」
城主は視線を転じ、その場に平伏していたもう一人の兵士に視線を向ける。敵に斬りつけられたとかで、顔の右半分を血染めの布で覆ったその兵士は、隣の兵士の言葉が嘘ではないと言うかのように、自身も深々と頭を下げた。
城主は小さく舌打ちする。
目の前の兵士たちの言葉は信用できないが、他の兵士たちも同様のことを口にしているのだ。大友軍が予想だに出来ない奇襲を仕掛けてきたことだけは間違いないようであった。
しかも――
「八千、だと。一体どこからそれだけの兵を集めた……?」
門司城に差し向けられた大友軍は、吉弘鑑理率いる一万五千。それにくわえて八千もの別働隊を動かしていたというのだろうか。
せめて小倉城主であった中村長直らが生きていれば、もうすこし実のある情報を得られたであろうが、雑兵ではこの程度が限界かもしれない。
「まあ、良い。いそぎ毛利の陣に使者を出せ。敵が寄せてきた際の対応を相談しておかねば……」
そう口にした城主に対し、先刻の兵士が不意に頭をあげて口を開いた。
「あの、城主様」
「なんだ、もうさがってよいぞ」
「あ、はい、承知いたしました。ですが、その一つだけお話ししたいことがございまして……」
「話、とはなんだ?」
「は、それは……」
そういいながら、兵士は隣の同僚に視線を向ける。口にしてはみたものの、言うべきかどうか迷っている様子であった。
それを見て、城主は苛立たしげに口を開く。
「何でも良い。知っていることがあるのなら申せ!」
「は、はい! 実は、この目で見たわけではないのですが、小倉城でこんなことを言う奴がいました。『毛利の軍船から、大友軍が出てきた』と」
そのあまりの突拍子の無さに、束の間、城主は絶句する。
だが、すぐにその口から怒号が迸った。
「貴様、いい加減なことを抜かすと、そのそっ首、引き抜いてくれるぞ?!」
「も、申し訳ありませんッ! ただそう言った者がいたのは事実でして、一応、城主様のお耳にも入れた方が良いかと……」
「そのような戯言、真に受けるとでも思っておるのか。もうよい、下がれ!」
「ははッ! 失礼いたしました!」
◆◆◆
城主に一喝され、そそくさと下がった兵士たち。
その片割れ、半面を布で覆った兵士の口から、さも愉快げな笑い声が漏れ出した。
それを聞きとがめた隣の兵士が困惑したように周囲を見回し、自分たちを見ている兵士がいないことを確認してから口を開いた。
「小野様――ではない、鎮幸殿。怪しまれますよ」
「いや、すまぬすまぬ。昨今の軍師は芝居にも通じているのかと感心しておったのだ」
「明らかに笑ってましたよね?」
そう言いつつ、兵士――つまり俺はじとっとした眼差しで鎮幸を見据える。
顔立ちから正体がばれないようにと、わざわざ半面を覆っている鎮幸だが、俺としては、そこまで気が回るなら、きちっと城外で待機しておいてほしかった。
面白そうだから、などという理由で一角の武将が潜入任務とかありえん。が、道雪殿が許諾してしまった以上、反対の立場をとることも出来ず、俺たちは敗兵にまぎれて、こうやって門司城に潜り込んだのである。
鎮幸は情勢の不利を悟ったのか、とぼけた口調で話題を転じる。
「しかしあの城主、毛利の件、信じるかのう?」
「さて、鵜呑みにすることはないと思いますが、さりとて偽りだと断定することも出来ない、というあたりかと」
俺の言葉に、鎮幸がふむと腕組みをして、なにやら考え込む。
「今の大友家に、八千もの軍勢を増派する余裕はありません。先ごろまで大友家に仕えていたのですから、それは城主も承知しているでしょう。ただの偽報であれば気にもしないでしょうが、小倉城が陥ちたという事実が付記されれば、その分、八千という数字にも現実味が増します」
俺の言葉に、鎮幸はふむふむと頷く。
「そして八千という数字を信じれば、あとはそれがどこから来たのかが問題となる。大友家が不可能であれば、あとは筑前からか、あるいは――」
「あるいは、毛利の軍勢か。そこに考えが及ぶということか」
「はい。他紋衆と毛利家が強い信頼関係で結ばれているのであれば通用しないでしょうが、相手は謀将と名高い元就公です。他紋衆の者とていくらかの警戒心は抱いているでしょう。そこを刺激できれば、こちらとしても都合が良いのです」
「刺激できずとも、こちらのやることはかわらんしな」
「はい。やっておいて損はない程度の小賢しい策ですよ」
俺は肩をすくめてそう言うと、小倉城から脱出してきた兵士の一団のところへ歩み寄る――より正確に言うならば、小倉城を守備していた将兵の甲冑をまとって、この城までやってきた兵士の集団、であるが。
彼らにも、明後日の刻限までに、なるべく自然に噂を撒いておくよう伝えてあった。城主たちが信じる必要はない。兵士の不安をあおることさえ出来れば、城門を開くのは難しくないだろう。
当たり前だが、こちらには八千などという兵力はない。この城の守備兵の数にさえ届かないだろう。仮に上手く城門を破ることが出来たとしても、その後も薄氷の道程が続くことにかわりはなかった。
それでも――
「……それでも、道雪殿がいると思うと負ける気がしないのだから、不思議なものだ」
俺が呟くと、隣の鎮幸が不思議そうにこちらを見やる。何を言ったか聞き取れなかったのだろう。
俺はなんでもない旨を伝えると、ゆっくりと歩を進めた。
道雪殿の不敗の戦歴に傷をつけないためにも、もう一頑張りしなければ、などと考えながら。