党錮の禁を経て、力が強くなった宦官。はっきり言えば、もう戦う相手はほとんどいないに等しい。
そもそも宦官は既に外戚との権力争いを勝ち抜き、皇帝の信頼を得ている。そこから清流派を排除した。さて、次の相手は?
……強いて言えば俺ぐらいな物である。中央に近く、清流派と繋がる王族。さらに宦官びいきでは無い。外戚に関してはどうかな。俺は未だに小帝だから、出てくる場合はあるだろう。
ただ、俺がいらんと言えば外戚が無理に執政する事は出来ない。俺はもう7を過ぎ、転生しているからか、それなりに頭が良い。もちろん、それなりだ。残念だが、この肉体の頭脳はそこまで良くない。
そして幼少期が俺から記憶の多くを削り取った。心の土台があるかもしれないが、俺もう前世の全てを克明に思い出す術を持たない。脳みそにしっかりと刻まれているわけではないのだ。
そして、俺と言う人間の頭脳のあり方は清流派の人間にとって都合が良いだろう。俺ほど都合の良い王族はいないわけだ。適度に有能で、適度に知能があり、傀儡として踊らせるのにちょうど良い人形。言ってて空しいが事実である。
俺を利用しようとする名士は、恐らく後を絶たない。その人物が有能で民を考える人物ならば、生涯かけて踊ってやっても良いとは思うのだが、残念な事に帝位に就ける可能性はほぼ皆無か。
いや、名士達が俺を担げばあるいは大丈夫だろうか。
「さて名士が勝負をしかけるか。問題はそこだな」
そもそも現皇帝には子供がいるのだ。順当に行けば、当然その子供が皇帝になるのが自然である。現皇帝が跡継ぎをコレと決めれば自然とそうなる。
それを曲げてどうにかしようとすれば儒教の教えに反してしまう。だが、宦官の影響をたぶんに受け、さらに現皇帝の外戚がそのまま幅を利かせるような事態になれば、名士の立場はさらに厳しくなる。
宦官とて、今の優遇された地位を失いたくない。だから権謀術数を張り巡らせて朝廷内で権力を思うがままにしようと画策する。
外戚はせっかく生まれた幸運を手放したくない。それが庶民の出であればあるほど執着が強くなる。卑しい身分と言われ、厳しい世界を呻きと怨嗟の果て、掴み取った天下。
まぁ、良い所の出だった場合は名士の味方になる場合もある。外戚は親が問題なのだ。皇帝の親が名士の出ならば自動的に名士が強くなるだろう。
外戚と宦官の戦い。宦官と名士の戦い。どれが勝っても、天下は乱れる。それら全ては皇帝を異のままに操ろうとする者達……。
「さて……歴史はどう動くのかな」
王朝末期。その中央。ここに綺麗な物は無い。
政治は毒と血と、人の汚さで出来ている。
■■
「なぁ、曹騰。俺はいつ頃になったら外に出られるようになるのかな」
「そうですな……わかりかねます」
寝台から庭を観る。中々どうして、窓から見る風景も趣があって良い。宮殿の庭は数多くの木々や花々が咲き乱れている。季節によって常に変わり、変化する風景を趣の一言で終わらせるのは少し淡白か。
しかし、どれだけ変化する風景だろうと、見る人物が病んでいるのでは台無しだ。音楽も心に染みない。
音楽や風景が心を動かすのは、観る人物の心が感受を思うからである。それが無い俺には淡白な反応しか示す事が出来ない。
「市中の事も聞き飽きたな。実際に見てみたい気持ちでいっぱいだ」
「話では満足できませぬか」
「百聞は一見に勝らん。どれだけ言葉を重ねても、実態を見なければ得る物は少ない。それでも聞くのは恋慕の様な物だな」
そもそも皇帝を覚悟していたのだ。民を愛すのに理屈が必要なのだろうか。こんな覚悟をフイにされるなんて、本気で好きな女が俺に気付かずに通り過ぎたかのような気分だ。
まぁ、片思いだったのだろう。天下への一方的な片思いは成就されず……俺は日々を惰性に生きるしか道が無い。
心の自由を得たと思ったらまた束縛。人生とは何かに縛られる宿命だが、これほど厳しい締め付けは前世でも体験しなかった。
「……曹騰、君の孫娘の話が聞きたいな」
「はっ……ですが、孫娘はまだ2歳程度で話せる事はありませんが」
「ん?この前、自らを超える器と称していなかったか?」
「それは間違いありません。孫ながら物覚えは良いですからな。既に歩き出し、簡単ながら言葉を交わしております」
「…………2歳なんだよな?」
「2歳です」
「俺より凄いじゃねぇか……」
転生した俺でも3歳くらいまでは舌が上手に回らず喋るのに難儀していたと言うのに、2歳でですか。前世補正を飛び越える逸材。曹操とはそういう人物か。
そもそも、英雄に対して幾ら前世がある人間が出てきた所で凡人なのである。比べる方が間違っていると言う事か。
……どうでも良いが俺の知る曹操は女好きだったが、この世界の曹操は男好きになるんだろうか。
男の為に戦争起こしたりするんだろうか。そして男版の後宮が出来上がったりするのだろうか。そこの運営は正式に夫を決めた者が担当するのか。何処のエカテリーナだ。
「劉宏様も話されるのが早かったそうですな。私は劉宏様の担当では無かったので伝え聞いただけですが」
「間違いなく君の孫娘の方が早いし凄い。それだけで大器と論じるのはどうかと思うがな」
「いえ、この歳になって自らの能力が衰えて来たのを感じ悩んでおりましたが、孫娘を見て自らの眼力だけは衰えておらぬと確信しました。あの娘が道を誤らなければ三公とて夢ではありますまい」
「宦官の力がこれ以上強くならない事が条件だがな。だが、君が大器と言うのだからそうなのだろう」
「えぇ、まず間違いなく……」
「大器。素晴らしい事ではあるが、曹騰、君は孫の器に何を入れたい」
「『何を』と言いいますと……学ばせる内容の話ですかな」
「少し、違う」
寝台から立ち上がり窓際へ。春の香りがする。季節は五感に訴えかけるものだ。
訴えられて、気持ちが高ぶったか。俺が器の話とは。大器でない物が大器を語ると、きっと碌な事が無いのだろうな。
推し量れない物を扱える者……それは天才なのだから。
「学は扱うだけだ。そこには叡智があるが意思は無い。曹騰、孫娘の器、どんな意思が入る」
机の上にある竹簡を広げる。中には俺の小汚い文字。添削もされている。俺がただ話している間に曹騰が行ってくれた物だ。
「前に言ったな、曹騰。欲の無い人間には権力が手に入らないと」
「はっ、仰られてました」
「欲は意志の一つの形。欲から意志が出る事もあれば、意志から欲が出る事もある。俺の場合は後者だ。俺の欲は意志から出た」
書き直された部分をもう一度書き直す。王族だからか勉強機材に困らない。これだけは、ここに生まれて良かった事の一つだな。
「君は、孫にどちらになって欲しい。大器。それからあふれ出す意志により上を目指すのと、あふれ出る欲により上を目指すのは、似ているようで違うぞ」
「……劉宏様、我が孫娘に意志を注げと仰りたいのですか」
「それもある」
カタリと書き終えた竹簡を横に置く。曹騰の表情を見る。一見穏やかな中にある不安。その不安は己が解雇されるかもしれない等という低俗な話ではない。純粋に俺を心配している……と見て良いだろう。
表情だけで人の心なんてわからない。わからないが、俺が信じて相手を見ればそういう風に見える。俺は見たい物しか見ていないと非難されるだろう。
だが、それが出来ない者に心の潤いは望めない。信じるとは、裏切られても良いとさえ思って初めて意味があるものだ。もちろん、裏切られたらただの馬鹿だが。
「曹騰、その娘に意志を注いだら俺と会わせろ」
「は……?」
「政治なんだよ、曹騰。これは政治だ」
頭が熱くなるのを感じる。体全体が熱に包まれ始める。
強い意志は、俺の中にある。焼け焦げ、冷め、再び燃える。地球の息吹のように、壮大な意志。それは何処か嘘のようでもある。
本当に強い意志なのかどうかは、俺には未だわからないのだ。俺はまだ試されていない。天下は俺を見据えていない。王族であるだけだ。それはただの人である。
俺は俺が本当に強固か、それとも危うい砂上の楼閣か判断がつかない。もしかしたら、まだレールの上にいる気分なのかもしれない。
生きた役割をこなそうと言う段階に留まっている可能性もある。もう、レールなんて消えたと言うのに。
果たして成長出来ているのだろうか。前世の俺と今の俺は繋がっている。繋がっているが故に伸び悩む。前世と今生の狭間、見えない鎖でもあるかの如く。
「ここからは俺が推測が出来た部分を話す。心して聞いてくれ」
パキリと竹簡の結び目を折る。そこに文字を書き連ねながら口を開いた。
「俺が外に出れないのは、俺という人間が宦官にとって不都合だからだ。俺は宦官に育てられ、宦官の手の中にある。それなのに俺を自由に操る事が出来ない。
その状態で外に出られたら、宮廷内で低い地位に甘んじてる宦官と名士が結託する可能性がある」
ザラリとした筆の感触。強く書けば、それだけ太い文字になり、それは最早文字の体を成さない。強すぎる意志は伝わらない。
「宦官の最も恐れる所は、宦官同士が潰しあい、名士がその権力闘争に割り込んで来る事だ。朝廷内部での権謀術数に長けていると言っても、結局動かせるのは天子のみ。天子を動かせても、中央からは出られない。
逆に名士はそうではない。彼らには自らの生まれ故郷があり、何より名声がある。それは朝廷外部に働きかける物だ。外部から強硬手段の術を持ってくる事が出来る」
弱い筆は意志を伝える事は出来ない。文字に意志が乗らないからだ。それは文字としては劣る。文言とは強さがあって初めて意味を成す。弱すぎる意志は無いに等しい。
「故に、宦官は俺が名士を集め、一部の仁義溢れる宦官を用いて今の宦官排除に動こうとする事が最も怖い。君と付き合っているのだから、そう考えても不思議ではない。
そして……この不安は、君と俺が結び付けばつくほど現実味を帯びる。だが、これを解決する安易な方法がある」
過ぎたるは及ばざるが如し。俺の言葉はどちらだろうか。
「暗殺だ」
強いのか。弱いのか。話している俺には理解出来ない。俺はどういう言葉を操っているのだろうか。
「もちろん、そんな事をすれば荒れるだろう。そして、そんな事をして証拠を掴まれては名士の思う通りになってしまう。では次善の策とは何か。それは俺を外に出さない事だ。名士に出会わせない事だ。
会えない者を信じる者は何処にいるだろうか。会ってない者に頼まれて喜んで引き受ける者はどれだけいるのだろうか。そして、宦官以外頼れる存在がいない者に何が出来るだろうか」
……会ってもいない者に頼まれて喜ぶ人種もいる。その者に利用価値があるならば。
だが、その様な者と出会えば俺は殺されてもおかしくない。この宦官の住む世界で、俺は何と儚いのか。俺はまず土台を作らなければならないのだ。生きる事が先決。今は生きなければ意味が無い。
「曹騰、俺が味方だと言い切れるのは君だけだ。そして、今権力の中心にある宦官の多くは君が邪魔だ。故に遠くない未来、君は俺の元を離れる事になるだろう
だから先手を打て。自ら俺を見限ったように動け。そうすれば朝廷内で俺の味方は最早いない。そうなれば宦官は次善で満足する。その間に、君が大器を育て上げろ。
俺の策謀は……味方を廃し、敵を満足させ、全てに忘れた頃に小さき名士の芽と出会う。これにより、世を大きく動かす事だ」
文字の形をしていない竹簡を丸める。これは俺の意志だ。だが、今は封印しよう。時を味方にしない限り、俺の浮上は在り得ない。
「曹騰。曹操に意志を注げ。
俺の道は、そこからしか始まれない」
全ては―――漢王朝が腐敗しきる前に正すため。