ぱらぱらと朝焼けのような光が見える。顔の右半分が焼けたように熱くて、ブリジットは堪らず声を上げた。 轟々と燃える火のなか。 果たして彼女の呻きに答える人影が一つ。 人影と、ブリジットの血が混じりあって涙のように流れ出したとき、人影はブリジットの手を取り、ブリジットはそっと意識を手放した。 悪夢の始まりはすぐそこ。 泡沫の日 弱者の抗議に使われる爆弾の詳しい流通経路が判明しないまま、さらに一週間が経った。この間にもブリジット、アルフォドのフラテッロは五人の活動家を取り押さえ、五人ともババを引いていた。 いい加減二人にも痺れと苛立ちが見えてきていて、五人の後半になればなるほど取り押さえは荒っぽくなっていった。中には入院するほどの大怪我を負ったものもいる。「で、これが六件目か」 人気のない納屋の廊下をブリジットが力任せに引き剥がした。隣では爆発物の匂いを感知し、それの発見に長けているショートカットの義体ベアトリーチェ、通称ビーチェが様子を見守っていた。 バリバリと穴が開いた床板の向こう、かなりの大きさの木箱が二つ安置してあった。「これは爆薬です。こっちは……」 ビーチェが右の木箱を指し示す。ブリジットが左の木箱をこじ開けると、中にはオガクズに包まれたカラシニコフが鎮座していた。「……何処から手に入れたんだろうな。最近は北のマフィアが海外から持ち込んでいるらしいが」 アルフォドが手袋をした手でカラシニコフを取り出し、状態を確認する。弾は込められていないが、駆動部には油が丁寧に挿されていて、発砲には何ら問題が無さそうだ。「で、どうします? ここまで来ると俺ら二組じゃ荷が重い。応援を呼びますか?」 珍しく敬語を話すビーチェの担当官、ベルナルドがアルフォドに問うた。アルフォドはその必要はないと答え、ブリジットに武装準備を言い渡す。「車からM4を取ってきなさい。ここで待ち伏せをする。さっき取り押さえた男はここで取引があると言っていたからな。ついでに二、三人ばかし連れて帰るぞ」 ブリジットが納屋の外に消え、手持ち無沙汰になったのはビーチェとベルナルドだ。ビーチェも義体としての戦闘能力は高い水準を確保しているが、それでもトリエラやブリジット程ではない。 アルフォドはそんな二人に考慮して、遠距離からの狙撃支援を言い渡した。「別に当てる必要は無い。ただ逃げ出そうとする奴の頭を押さえてくれ」 こうして二人は納屋の二階の農作具に紛れて、外の様子を監視することにした。 納屋の中で、息を潜めるブリジットの様子を上から盗み見していた。 実はブリジットとペアを組んだのは、これが始めてだったりする。 訓練では何度か一緒にしたことはあるけど、実線に関しては全く接点が無かった。それでも彼女の活躍はベルナルドさんから良く聞かされていた。 曰く、射撃の天才だとか。 曰く、狙撃はバケモノだとか。 曰く、格闘戦もGISを唸らせるとか。 ベルナルドさんは、まるで好きなサッカーチームの選手を語るような口ぶりで彼女を評する。でも毎回必ずといって良いほど、こうも告げた。「でも絶対に彼女の真似はしなくていいからな。人生は適材適所。無茶をすれば必ず何処かで力尽きる」 ベルナルドさんが滅多に見せない真面目な口調だったので、私はその時の様子を良く覚えている。 けれども、ベルナルドさんの真意は実際のところ理解しているとは言い難い。 無理をするな、と言いたいのはわかる。 だが私たち義体は無理をするために体を機械に置き換え、薬で痛みを軽減しながら戦っているのだ。ベルナルドさんの台詞は、私にとって大変矛盾に満ちており、到底承服出来る内容では無かった。 そして私以上に戦い続け、傷ついているブリジットもまた、無理どころか限界をとうの昔に超えていると思う。 以前はあれ程感じられたお菓子の甘い匂いも、今は血と硝煙と涙の匂いしかしない。 彼女は私が少し見ない内に、随分と変わってしまっていた。 活動家たちが取引のため納屋に踏み込んだ時、初めて目にしたのは椅子に括り付けられて気絶している商売相手だった。 それだけで何が起こっているか悟って見せた彼らは大変優秀だ。 だが彼らを狙っている襲撃者はそれ以上に優秀だった。 一人が物陰から飛び出してきた少女の持つアサルトライフルのストックで昏倒させられた。他の一人はその様子を見て、慌てて銃を引き抜くが少女の放った弾丸でそれを弾き飛ばされる。 骨が砕けた両手を庇っているうち、飛んできたハイキックで意識を刈り取られた。 残された最後の一人は仲間二人を見捨てて外に飛び出した。そんな彼を襲ったのは納屋の二階から放たれたウージーの拳銃弾で、足元の弾着に怯え踏鞴を踏んでしまう。 その隙を逃すほど、少女は生易しくない。 突進する勢いで男に掴みかかると、背負い投げで地面に叩きつけた。 背中を強打した男は潰れた蛙のような声を出し悶絶する。少女は男を踏みつけて銃を眉間に突きつけた。 もう何人も殺さずに無力化してきたお陰か、少女が繰り出す動作には一切の無駄がなく、納屋の上から援護射撃をした少女が美しいと感じるくらい完成されていた。 これで本日捕らえた活動家は合計四人。 内一人が、今回の一連のテロ活動の根幹に携わる人物であったことが後に判明する。 収穫らしい収穫に、作戦部が喜びの声を上げるのも無理は無かった。 だがこの時、ブリジットという名の義体の雌雄は決してしまったと言える。 泡沫の日々の終わりは近い。「お帰りなさい、ブリジット」 遅めの食事をとろうと、食堂に向かっていたブリジットを捕まえたのはエルザだった。彼女は猫のヒルダを抱いており、シャワーでも浴びた後なのか三つ編みを解いたストレートの髪をしていた。「私もまだなの。一緒に食べない?」 ブリジットはいつかのアルフォドのように快諾も、断りもしなかった。エルザはヒルダを床に離し、部屋に戻るよう言いつけるとブリジットの後ろをとことこと着いていった。 昔はブリジットが歩くたびに、猫の尻尾のように長い髪が揺れていたものだが、今は大分短くなった所為でそこまで揺れることも無くなっていた。「今日はどうだったの?」「いつも通り。四人捕まえて軍警察に引き渡しただけ」 ブリジットの声は淡々としていて、エルザはいまいち会話のテンポを掴みかねていた。 それがブリジットなりの拒絶でもあることをエルザは知っていたが、敢えて無視して彼女に話しかける。 少しでも、彼女が以前みたいに笑ってくれることを信じて。「ねえ、ブリジット――、」 けれども、ブリジットから返されたのは淡々とした言葉ではなく、今度こそはっきりとした拒絶の意志だった。「もう、私に構わなくていいよ。エルザ」 堪らずブリジットの裾を掴んでいた。 そして、振り返った彼女の頬を平手で叩いていた。「エルザ?」 狐にも摘まれた表情で、ブリジットがエルザを見る。エルザはそんなブリジットを睨みつけると彼女の襟元を掴んで、自分の元へ引き寄せ、「ブリジットのばか」 エルザはまだ近くをうろついていたヒルダを抱え上げると、そのまま食堂とは逆方向へ歩いていった。ブリジットは暗い渡り廊下に一人取り残され、赤く腫れてきた頬を呆然と押さえている。「あいつにも、愛想尽かされちゃったか」 一言そう言い残すと、ブリジットは踵を返し再び食堂に足を進めた。 その足取りは走るような速さで、すれ違う職員を一様に驚かす。 何より、一番人目を引いたのは彼女の目尻に浮かんだ少量の涙だった。 また同じ夢を見ている。 赤毛の少女が手を伸ばせば届くぐらいの距離でこちらを見ている。 けれども互いに言葉を掛けることは出来ず、手を伸ばすことも出来ない。 ブリジットの覚醒を促したのは、激しい胸の痛みだった。 思わずアルフォドに助けを求めた彼女は、寝ていたソファーから転げ落ち、陸に打ち上げられた魚のようにのた打ち回った。 そして発作が一通り過ぎ去り、やって来た医師たちに薬が打たれた後、熱に浮かされたようにこう告げたという。「助けて、このままじゃ消えてしまう」 国内に蔓延るテロリストの一斉検挙が近づいていた春の中ごろ。 ブリジットの体はもう一人の亡霊に確実に蝕まれていた。 誰かがヒルダと呼ぶ、赤毛の亡霊に。