「足の交換ですか?」 GISとの合同訓練を始めてもう一ヶ月。最近になって、ようやっと達人の隊長に一筋入れられるようになった身としては、出来ればお断りしたいイベントである。 だが義体は幾ら鍛えても筋力の増加は見込めず、反射神経と経験値しか得ることが出来ないので、人工筋肉の入れ替えでしかパワーアップが図れないのもまた事実だ。 足の交換を持ちかけてきたアルフォドは渋い顔をしたままコーヒーを啜った。因みに俺たちは公社にあるいつものテラスで午後のコーヒータイムを行っていた。「この前レントゲンを撮ったときに疲労骨折が見つかっただろう? 本当は足首を開いて手術すれば良かったのだけれども、詳しい検査で他の部分も大分磨耗しているから定期検査の機会に交換することになったんだ」 アルフォドに言われて、自分の足を動かしてみる。疲労骨折の見つかった足首はサポーターが巻かれていて、薬が切れ掛かっている今では痛みに似た違和感があった「向こうの隊長さんも君の訓練復帰を強く望んでいてね。他の子の予定を繰越して、君の手術が入った。三日後だよ」 随分急な話だ、と溜息を吐くがここでアルフォドに文句を言っても状況は何も変わらない。というよりか俺の演じているブリジットは殆どアルフォドに歯向かったりしない。 それはこの体に意識を宿して、出来る限り守ってきたことだ。「……今日はもう一個ケーキを食べていいよ。暫くは病院食になるから味気なくなる」 手術前の定期健診では、縫い目の跡が痛々しい足首に再びメスを入れられた。部分麻酔をしているから何も感じないが、皮膚の中から見える筋組織は気分のいい物ではない。「やはりカーボンの骨が弱っているな。急激な運動を短期間に繰り返すとこうなるのか……」 座るタイプのベッドに腰掛、下着姿のまま足を伸ばしている。右手に幾つも差された点滴が鬱陶しいことこのうえない。「では予定通り両脚の入れ替えだ。出来れば腕も変えてやりたいが……」「上からの要望書には、何度か損傷を受けた脊椎も変えて欲しいとあるが暫くは止めておいたほうがいいな。身体が持たん」 俺の頭の上で好き勝手議論する医師にウンザリする。そういうことは本人のいないところでやってもらいたいものだ。俺は手早く縫われていく足首から目を離して、手術室に設けてあるフルスクリーンのアクリルガラス窓を見た。壁に埋まっているそれは外部の人間が中の様子を見守るために設置してある。 そこで、見慣れた顔を見つけた。「アルフォドさん……」 浮かない顔で様子を伺っているのは愛しの担当官様だった。仕事の合間に経過を見に来たらしい。彼は俺の足首が乱暴に縫われている光景に、露骨に眉を顰め、もっと丁寧にやれと視線で語っていた。 突然、医師たちに体を持ち上げられたかと思うと、点滴台が繋がったまま車椅子に乗せられた。腱まで繋げていないから、自力で歩くことは出来ないのだ。 看護師に包帯を巻かれ、麻酔が抜けるまで横になるベッドルームに連れて行かれる。 俺が扉の向こう側に消えていくその瞬間まで、アルフォドの視線を痛いほど感じていた。 怪我をしたと気がついたのは、朝目覚めたとき自力で立てなくなっていたからだ。 疲労かと思って横で寝ていたトリエラに助けを求めた。 彼女に無理やりにでも起き上がらせてもらえば大丈夫だと楽観して。 だがトリエラが俺の腫れあがった足首を見た瞬間、やってしまったなと笑ってしまった。 二人であのいけ好かない人形野郎に一泡拭かせてやろうと約束していたのに、一時的に離脱する結果になってしまったのがとても情けなくて。 まあ、それでも足の交換で全てがチャラになるなら恵まれている方だと、横になったベッドで俺は瞳を閉じた。 そこは暗い暗い部屋でした。 私を苛む全身の痛みは夜になって酷さを増しました。 犯されたという屈辱と、殺されてしまうという恐怖と、あの人に会えなくなるという絶望が心を支配します。 ねえ、ユーリ。私はここにいるよ。 だから、たすけて。 ユーリ。 足首が痛くて真夜中に目を覚ました。麻酔が切れて鈍痛が絶え間なくやってくる。義体の体は痛みに強い筈なのに、薬で感覚神経を強化されている今では何の役にも立たない。 枕に顔を埋めて荒い息を吐いた。 そのときになってようやっと、自分の頬が涙で濡れていることに気が付いた。眠っているときに流した涙は枕を文字通り濡らしていたのだ。 あまりに痛いので、ナースコールでも鳴らしてやろうかとした矢先、カーテンの向こう側で誰かが動くのを感じた。思わず体を強張らせ、臨戦態勢を取るが痛みの所為で全然様にならない。 カーテンがゆっくりと開かれる。そしてそこに顔を覗かせたのは昼間俺を見ていた彼だった。「………アルフォドさん?」 パジャマの上からアルフォドのコートを着せられ、俺は車椅子に乗せられて拉致されていた。体調の関係で痛み止めを飲めなかった俺を不憫に思ったのか、気を紛らわせるため夜の散歩に連れ出してくれたのだ。「星が綺麗だぞ。ブリジット」 病院棟の屋上に出て、星を見上げる。そういえば何時ぞや二人して天体観測をしたこともあった。ジョゼとヘンリエッタの真似をしたのだ。「まあ君のほうが星座は詳しいか」 熱を持った傷口が夜風に冷やされて、痛みが少しだけマシになった。俺は車椅子の背もたれに身を沈めた。「もう直ぐ春も真っ盛りになって夏が来る。そしたら何処かリゾート地に遊びに行こうか。知り合いにタオルミーナで別荘を持っている奴がいるからそこを訪ねるのもいい」 アルフォドは一人で喋り続けた。俺は黙って耳を傾け、星の行く末を見つめている。 また来年も、こうして二人で星を見ていられるかどうか漠然と考えていた。 この世界で出来る限りのことをして生きていこうと決めた。でもピーノはそれを良しとせず、シナリオのレールを生きている。ある意味でそれは、俺が生きたいと思った人生なのかも知れない。手術が始まって、切り落とされた両脚が懸架台に乗せられる。人の足というものは以外に重くて、医師二人係で運搬をしていた。両脚を切断されたブリジットはアイマスクが被されていて、何らかの要因で覚醒してもパニックにならないよう視界が封じられている。そしてそんな黒い布の隙間からぽたぽたと彼女の涙が流れていた。「ドクター、義体が泣いています」 手術を指揮していた男がブリジットの顔を覗き込んだ。なるほど、確かに泣いている。 彼は拭いてやれ、とガーゼを手渡し、部下の医師にこう言った。「この子達は眠ると大抵涙する。大方、本当の自分の夢を見ているのだろう」 このところ、本当の自分がどんな姿をしていたのか全く思い出せなくなってきた。 覚えているのは性別が男で、引きこもりで、世間一般でいうオタクだった。 まあ、そういった趣向の人間だったからこそ、こうやって原作知識を持ったまま日々を過ごすことが出来るのだが。 役に立っているかいないかは別にして。 このブリジットという体はいろんな夢を見せてくれる。 自分は見たことも無いようなイタリアオペラのワンシーンやら、知らない筈のイタリア人の友人達。 家族のことは靄が掛かって曖昧だが、それでも幸せな人生に見える。 一つだけ不可解なのは、時折湧き出すアルフォドではない男の顔。 それは自分が始末した狙撃犯の顔で、もしかしたらこれはブリジットの元の人の記憶ではなくて、俺の記憶なのかもしれない。 仮にそれが正しいのなら、この体が持つ記憶は俺に書き換えられていることになる。 そのことを考えると無性に悲しくなって、居た堪れない気持ちになる。 俺が憑依しなければ、この肉体で生きていた筈の彼女が完全に消えてしまうからだ。 でもそれはどうしようもないことで、仕方の無いことだと思う。 せめて俺が彼女のことを心の何処かで意識してやることが唯一の罪滅ぼしなのかもしれない。 夢の終わりが近づき、世界が変わる。 自身の中で渦巻く記憶の海の向こう、 振り返ったその先で、こちらを見ている赤毛の少女がいた気がした。 足の交換手術が終わって、覚醒したのは翌日の午後だった。 夜の散歩をしたときみたいにアルフォドの姿は無く、彼が仕事に忙殺されていることが容易に見て取れる。 俺は手元のナースコールを鳴らさずに、ぼうっと眠たい頭で横になっていた。 そして見舞いに来たエルザとアルフォドが俺の名前を呼ぶまでずっとそうしていた。 直った筈なのに、足はまだ痛む。