トリエラ曰く、俺の体は柔軟性に富んでいて格闘に向いた身体つきをしているそうだ。ただ柔軟性がありすぎて怪我の心配がない所為か、動きが随分と大振りらしい。 アルフォドやヒルシャーにも同じ事を指摘されたので、一人で動きの修正をこなしていた。 課題は最小ステップでどれだけ移動距離を稼ぐか、だ。「あらよっと」 壁を踏み台にして何もない空中に回し蹴りを食らわせる。そして相手の反撃が着地した俺の真上から来ることを予想して、腕の力だけで後ろへ飛んで見せた。 前世ではまず出来なかった漫画みたいな動きが楽しくて、ここに慣れた後は毎日のように訓練をしていたものだ。 いい汗をたっぷりと掻き、そろそろ上がってシャワーでも浴びるかと伸びをしていたら背後から声を掛けられた。「こんなところで何をやってるの。ブリジット」 振り返った先にはクラエスがいた。まあトリエラと彼女を含めた三人の寝室で暴れ回っていた訳だから、彼女がここに帰ってくるのは極自然である。「訓練の自習? 熱心ね。でも部屋を壊さないでよ」 そう言って彼女がプリッツスカートを脱ぎ始めた。黒いストッキングから足を抜いた為、白い足とショーツが見える。 これでも中身が男な俺は思わず目線を逸らす。女の裸にはなれたつもりだけど、他人の裸はまだまだ駄目らしい。「あなた変わってるのね。女同士じゃない」「良いから早く服を着てよ。恥ずかしいから」 クラエスがクローゼットを開けると中から作業用の繋ぎが出てきた。どうやら今から畑の方へ行くようだ。「手伝おうか?」「そうね。じゃあエルザを呼んできて。あの子の蒔いたハーブの世話をするから」 合点承知と、タオルで首周りの汗を拭きながら俺は部屋から出て行く。行きしなに飴玉を数個ポケットにねじ込むのも忘れない。まだ肌寒いけど、確かな春の日差しを感じながら寮の廊下をとことこと歩いていった。エルザの部屋はまだ彼女一人しか使っていない。それでも家具や物は随分と増えた。俺の枕やら俺の着替えやら、俺のお菓子やら。「……何か物置みたいだな」 それでもエルザは遠慮なく置いていって良いと言ってくれるので、俺はそれに甘えている。彼女は意外と家事が出来て、俺が脱ぎ捨てて行ったパジャマなどを翌日までにはきちんと洗濯してくれているのだ。「いらっしゃい、ブリジット」 エルザはベッドに腰掛けながら本を読んでいた。何の本かと覗き込んでみれば、これまた皮肉なことに『ピノッキオの冒険』だった。「そこ、ヒルダ」 意外なタイトルに頭を掻いていた俺の手を引っ張ってエルザが言う。彼女が指差した先にはヒルダが丸まって眠っていた。 最近飼い始めた黒猫はエルザによく懐いていて、目を離すと直ぐに彼女の元へ行こうとする。「おーい、ヒルダー。今からご主人様とご主人様その二は外へ行くけど君はどうするー?」 ヒルダが尻尾を揺らして欠伸をした。どうやら俺はここで寝ているから好きにしろ、と言いたいらしい。「誰に似てこんな怠け者に……」「多分あなたよ」 上着を羽織ながらエルザが笑った。直接彼女に言わなくとも、今の台詞で俺がここに来た理由が分かったらしい。「そうかなー」「そうよ」 エルザと二人してクラエスの待つ畑に向かう。陽気な午後の空気に当てられて欠伸を一つしたら、エルザに「やっぱり似ている」と笑われた。 それはそれでいいかもしれないと思えるあたり、最近は充実しているのかもしれない。 夕食までは射撃訓練に当てられた。 アルフォドの監督の下、新しい銃を何丁か試し撃ちしている。「どうだ? アメリカの払い下げだがデルタフォースもパラミリも使っていた本物だ」 俺が最後に撃ったのはそういう銃らしい。たしかソーコムなんちゃら。前の世界ではライトな軍オタもやっていたけど、流石に忘れ始めている。「集弾は素晴らしいものがありますが、重量に若干の不満が残ります。咄嗟に抜いたらぶれるかもしれません」「ふむ……。ならこれはどうだ?」 次に出されたのはグロック。ただグロックはグロックでもフルオートの18だ。「最初からフルオートの設定だからそのまま撃ちなさい」 補助ストック無しで、手の握力だけで銃を支える。通常のマガジンより大分長いロングマガジンが扱いにくい。 引き金を引くと思った以上の反動がやってきて、俺が狙った少し上に着弾した。それでも七割は当てたと思う。「凄いな。プロの軍人でもそこまで集められんぞ」 アルフォドの賞賛が条件付け云々抜きにして心地が良い。どうやらまだまだ射撃には自信を持っていいようだ。「片付けは課のものに任せるからブリジットは先に帰ってシャワーを浴びなさい。浴びたら外行きの服を着て駐車場で待っててくれ。今日は外で食事しよう」 チャンバーに弾丸が残っていないことを確認して、俺はシューティングレンジを出た。アルフォドが不意に髪を掴んだので、「きゃっ」と似合わない悲鳴を上げてしまった。「火薬と汗の匂いがきついな……。すまない。無理をさせ過ぎたようだ」 アルフォドが謝っているのは、銃の薬室から漏れる燃えカスの臭いが髪に移ったことだろう。確かに長い髪で長時間射撃を続けるとツンとした独特の匂いが暫く取れなくなる。「よし、今日は食事の前に香水も買いに行こう。他に欲しいものはあるか?」「いえ、特に」 アルフォドから髪を取り上げ、腕に巻いていたゴムバンドでポニーテールに縛った。本当は射撃中に縛るべきなのだが、髪が引っ張られる感じがして俺は余り好きではない。「じゃあ一時間後ぐらいを目安で」 アルフォドに一礼して俺はシューティングレンジを出る。公社の庭を歩くと、火薬の臭いが夜風に流されてより目立っていた。 「で、買ってもらったの?」 就寝前にトリエラと髪を梳きあっているとそんなことを言われた。彼女はベッドの上に置かれた香水を見ている。「うん。トリエラも使っていいよ」 トリエラが俺の髪を束ねてツインテールにした。枕元で本を読んでいたエルザの視線がやけに感じられる。ツインテールが好きなんだろうか。「あら、可愛らしいじゃないの」 シャワー上がりのクラエスも帰ってきて、いつものメンバーが揃ったような様子になった。そういえば最近はトリエラが入院したり、クラエスが検査に行ったりで全員揃う機会が少なかった。「ブリジット、触ってもいい?」 いつの間にか俺の背後に回ったエルザがそんなことを聞いてきた。別に良いと答えると彼女は恐る恐る俺の髪に指を通した。「いつもこうやってのんびり出来ればいいのにね」 消灯時間になってみんなが横になったとき、クラエスがそんなことを言った。俺もそれには激しく同意したい。けれどもそれが適わないことも分かっている。「あなた達と暮らせて、私は幸せよ」 クラエスの声を最後に、俺の意識は緩やかに落ちていった。腕の中のエルザとヒルダの温もりを感じながら体が眠りに移行していく。 ただ、頭の片隅では漠然と負傷を負ったとされるピーノのことを考えていた。