あの少女の、外国語によるスペルが必要。
ようやく、そのことに気付いたはいいものの。
ぶっちゃけ、どうしようもない。
あの少女の顔と服装を見るに、たぶん、あれはドイツの生まれだ。
ドイツ。
ドイツ語……。
英語ならまだしも、ドイツ語。
そんなものが、この偏差値35の衛宮士郎様に―――分かるはずがないだろ!
◆
エミノート
◆
『くっくっく、今度はスペルか。
名前が分かっても、つづりが分からないと意味ないわなあ。
外国人って、意外と天敵なんじゃね』
本当だよ……洒落になってない。
遠坂なら、ドイツ語はできる。
遠坂に頼んで、適当にあの少女の名前らしきスペルを、箇条書きさせてもいいが―――俺は、あのデスノートのルール、
『四度の書き間違いで、そのものがデスノートに対して無敵になる』を、忘れたわけではない。
こんなところであんな少女に、無敵になられてはたまったものではない。
リスクが高すぎる。
それに、こんな状況で遠坂がペンを握ってくれるとは思えない。
この案は却下だ。
それくらいならばむしろ―――あの巨人の名前を、デスノートに書く方が、得策だろう。
一周回って、考えはあの巨人へと向く。
真名が分かり、かつそれが俺でも書ける言語ならいいのだが―――さて、どうしたものか。
真名の重要さは、向こうにとっても百も承知だろうし。
いくら幼女とはいえ、自分からばらすような馬鹿ではないだろう。
くそっ!
どうしたら……。
「無駄よ、お兄ちゃん!
勝てるわけないじゃない!
私のバーサーカーの真名は、あのギリシャの大英雄、ヘラクレスなんだから!」
……。
……。
…………。
!?
◆
「……バカっているんだな」
「衛宮君?
あなた、さっきから意外と冷静ね。敵の名前をメモったり……。
このままだと私ら、やられるわよ」
「ん? あ、ああ……」
つっかかってくる遠坂を尻目に、俺は再び後ろポケットから、ノートの切れ端とペンを取り出していた。
偶然中の偶然。
まさか、自分から真名をばらす馬鹿がいるとは……。
しかもヘラクレスと言えば、ギリシャ神話の英雄……ならば、英語でいいはずだ。
デスノートに、なんとか書くことができる!
これも慢心か……。
まあ、幼女なら仕方ない。
少しの油断が命取りになるということを、教えてやる。
◆
死神リュークは、悟っていた。
彼には、少女と巨人の真名が見えている。
見えているからこそ、彼には分かる。
『(こりゃ、シロウには無理だな……)』
◆
ヘラクレスのつづりくらいは分かる。
『Herakles』
こうだ!
何かのネットで見た。
間違いはない。
―――勝った!
ふ……フフフ……。
駄目だ、笑うな、こらえるんだ。
ここで笑ったら、遠坂に頭がおかしくなったと勘違いされる恐れがある。
そもそも、笑ってる場合ではない。
この45秒の間に、セイバーがやられてしまっては意味がないのだ。
令呪の使いどころを誤ってはいけない。
慎重に、戦いを見守らなければ。
◆
―――45秒経過。
セイバーとバーサーカーは、いまだに戦い続けている。
戦い続けている。
戦い続けて……。
……。
……。
なに!?
なんだと!?
どういうことだ!?
今度はなんだ!
なんなんだ!?
「何故だあああああ!?」
「ちょっと、衛宮君……急に取り乱さないでよ……。気持ちはわかるけど」
ど、どうしてだ。
なぜ、バーサーカーが、まだ生きている?
偽名? 書き間違い? ……馬鹿な!
馬鹿なああ!
◆
セイバーが戦い続けて、既に五分が経過している。
五分……それは、サーヴァント戦においては長すぎる時間だった。
しかも、彼女は今までランサーにアーチャーと、連戦を強いられている。
さらに、相手は最強の敵であるバーサーカー。
おまけにランサーにやられた傷が完全に開いてしまっている。
彼女の疲労とダメージは、ピークに達していた。
バーサーカーの一撃を受けるだけで、たたらを踏むどころか―――
「くっ!」
吹き飛んでも、おかしくはなくなってきている。
単調な一撃でありながら、その威力たるや強大だ。
最初は受けられた攻撃も、もはや防御さえ叶わなくなっている。
セイバーは、自身の限界を感じていた。
◆
―――ついに、セイバーが動かなくなった。
バーサーカーによって壁に叩きつけられた彼女は、死んではいないものの、もう動くことはできない様子だった。
終わった。
その姿を見て、一番絶望したのは他でもない、衛宮士郎だった。
(ランサーのときといい、まさかこんなにもデスノートが無力だったなんて……。
俺は、デスノートさえあれば何でもできると、調子に乗っていたのか……?
俺は……正義の味方には、なれないのか……じいさん……。)
少女は笑う。
「ふふふ……もうセイバーは動けないみたいね。
さあ、て」
少女は、満面の笑みで衛宮士郎を見た。
彼女の目的は、最初から彼にある。
「私が用があったのは、あなたよ、お兄ちゃん。
あなたが今までどれだけ幸福だったのかを教えてあげるわ。
来なさい」
来なさい。
そう言われて……殺されると分かっていて、本当に来る馬鹿はいない。
しかし、彼女の眼には魔力が灯っていた。
―――魅了。
対魔力がほぼゼロである衛宮士郎に、あらがう術はない。
ふらふらと、夢遊病のように少女の方へと歩いていく。
そこに、自身の意思はない。
「!? シロウ」
「あら、あなたはだめよ、リン。
ここは見逃してあげるから、さっさと自分の家に帰ったら?
それとも、ここで死ぬ?」
「っ……」
遠坂凛は、聡明な娘だ。
すぐに、その提案がひどく魅力的であることを察する。
ここで暴れたとしても、自分も衛宮士郎もすぐに挽肉になってしまうのは、想像にたやすい。
ならば、ここで黙っていた方が、少なくとも自分の命だけは助かる。
「ほうら、おいでシロウ」
衛宮士郎は、完全にイリヤのなすがままになっている。
自分は、そんな彼女を黙って見ていることしかできない。
去っていく少女。
ホッとしつつも、大きな不安。
しかしどうしてか。
衛宮士郎が、ここで終わるはずがないと。
予感めいたものを、彼女は感じていた。