雲の少ない空に昇る朝日は今日も変わらない、自分の心は曇り空なのに。
アルフは朝日を眺めながら影のある表情で、そんな事を考えながら豪華なマンションの一室のリビングでボケっとソファーに座っていた。
朝6時、つけっぱなしのテレビはいつもの退屈なニュース番組が小さめの音量で垂れ流しだが彼女は聞いていない。
この部屋のもう一人の住人であるご主人様はまだ夢の中、そういう自分は眠るような気分ではなかった。
温泉での一件からしばらく経った、ご主人様の看病もあって既に傷は完治したが彼女の気分は晴れやかとは言い難い。
傷が治るまで、ご主人様一人にジュエルシード探しを任せきりにして、自分はお荷物になってしまったのだ。
ソファーに座ったまま手の中の鉛の粒を弄び、それを見てただ思いを巡らせては鉛の粒をジャラリとならす。
渡された器具を使って、ご主人様が一生懸命になって摘出してくれたショットガンの散弾だ。
{また勝てなかった。}
特別な加工の無い散弾を見て思い出すのはあの白髪交じりの少年、魔法をまったく使えない男の子。持っていた武器も、映画で見るような大昔の骨董品。
普通なら全く脅威にならないはずだ、例え銃火器や爆弾があっても所詮はその程度だとタカをくくっていた。
魔法技術を使わない武器、質量兵器は魔法よりもずっと弱い。それが彼女達の世界の通例だった。
だが勝てなかった。一度目は奇襲にも関わらずに避けられ、爆弾で瞬く間にノックアウトさせられた。
2度目はフェイトと二人がかりで優勢だったはずのに、一瞬でそれがひっくり返され、自分は文字通り無数の散弾によってバリアジャケットを剥がされ酷い傷を負った。
最初から乗せられていたのだ、蹴り倒され、ショットガンの銃口を向けられた瞬間それを悟り、本当に死を覚悟した。
自分の非力と継戦限界時間まで視野に入れ利用した一発逆転の作戦、思い出すたびに体が震える。
あの時、あの白いツインテールの女の子、高町なのはが助けてくれなければ自分達はあそこで死んでいただろう。
{なんで、あいつは助けてくれたんだい?}
あの子、高町なのははあの少年の仲間のはずだ。だが、彼とはまったく違う何かを感じた。
彼女から感じたそれは、フェイトと同じ優しさだ。話し合いが必要だという彼女は、必死になって戦いを止めようとした。
もしいつもの自分なら、そんな言葉を信じられなかっただろう。その隣で、彼が一人顔を背けなければ。
彼は高町なのはとは違う人間だ。彼女とは何かが違う。そして高町なのはも彼とは違う、少なくとも彼よりは信用が置ける。
{普通じゃない、あれは・・・}
だが彼は別格だ、信用できないのではなくその選択肢が思い浮かばない。理性では絶対に負けたくないと思っても、自分の中の獣の本能は悟ってしまっている。
あいつには勝てない、あの男に勝てる訳が無い。あの濃厚な殺気に晒された時から、思い出しただけで足がすくむ。
身に染みついた硝煙の匂いと血の匂い、考えの読めない瞳の奥から感じる強靭な精神力と理解の及ばない狂気。
それが籠る殺害をも厭わない銃撃に晒される度に、本能のままに野良犬のようにキャンキャン喚きながら無様に逃げそうになるのだ。
それではダメだと押し込んでも、絶対に勝てないという本能の叫びは収まらない。
『怖いか?』
あのうすら寒さを覚える感情の読めない低い声が耳から離れない。あの時、自分は何もできなかった。
最初は気にもしなかったただのショットガンが怖かった、それを構えるあいつの真っ黒な瞳が恐ろしかった。
あの瞳から発せられる重圧が、自分を押しつぶそうとしているのを感じてそれに耐えられず泣き出しそうだった。
{今の私じゃ、あいつに勝てないのかい?}
「あぁ、勝てない。今のままじゃ勝てっこない。」
何度目か解らない自問自答。何かが足りない、自分にはなくて、あいつにはあるもの。それはなんだ?わからない、何が自分には足りない?
揺るぎない信念の籠った眼差しと向けられた殺気、煙草の紫煙と向けられる銃口、思い出せば出すほどに恐怖が身を包む。
気を鎮めるためにアルフは足元からドッグフードの袋を手にとって、中のスナック状のドッグフードをガリガリと咀嚼して飲み込んだ。
{殺し殺されるなんて覚悟してた。なんで怖いんだ?いや、怖いのは当たり前。死ぬのは、誰だって怖い。
解らない、あたしだって使い魔のはしくれだ。あんな、魔法も使えない奴が怖いなんて――――}
コップの水で喉をうるおし、一息ついてため息をつく。考えに耽っていると、寝室のドアが音もなく開いた。
「アルフ、おはよう。」
「フェイト、おはよう。」
この部屋のもう一人の住人であり、ご主人様のフェイト・テスタロッサはまだ眠そうな表情でコクリと頷く。
「うん、ごめんね。ちょっと寝過ぎちゃった。」
フェイトはちょっと気まずそうに言うが、仕方のないことだとアルフは思った。
この頃ご主人様は無理し過ぎている。食事もほとんど取らず、ずっとジュエルシードを探しっぱなしなのだ。
それでは絶対にどこかで無理が祟る。大体この寝過ぎという言葉もおかしいのだ。
「そんな事無いよ。寝たのは2時だったろう?まだ6時なんだからむしろ寝てなきゃだめだよ。」
ストッパーとなる自分がいなかったせいで、彼女は自分の事を省みずに行動してしまっている。
「でも、母さんが待ってるから。」
これだ、アルフは内心言い表せぬ怒りを彼女の『母』に向けた。この子は『母』の期待に添いたくて必死なのだ。
「そうかい、ならまずは朝ごはんにしようか。と言っても、いつものベーコンエッグとサラダのメニューなんだけどね。」
表情は平静を保ちながらアルフは立ち上がると、キッチンに入ってその豊満な体にエプロンを身に纏う。
非常に露出が多い服を好む彼女がそれを着ると、見ようによっては男の夢の出来上がりだ。
そんな彼女は冷蔵庫からいつもの通り卵とベーコン、サラダボウルを取り出して、フライパンをコンロに乗せて火をつける。
「アルフ、私は大丈夫だから―――」
「ダメダメ、フェイトは育ち盛りなんだからしっかり食べなきゃ。それより、今日はどうするんだい?」
食パンをオーブンに入れ、焼き時間を設定しながら今日の予定を問う。
「ジュエルシードの大まかな位置は解ったから、後はその周辺に魔力流を撃ち込んで強制発動させるよ。」
「そうかい。なら、しっかり食わなきゃだめだね。」
熱したフライパンにベーコンを入れ、軽くあぶってから取り出し、卵を割る。
ジュ~と卵が焼ける音が、二人しかいない部屋にはやけに大きく聞こえる。
目玉焼きが出来上がると皿に盛りつけ、こんがり焼けたベーコンとサラダボウルに作っておいたサラダを盛りつけて完成だ。
最後に焼き上がったトーストを別の皿に乗せて、調味料の置かれたテーブルに着いたフェイトも前に置いた。
「後休む。日中はお休みにしないかい、その手の魔法は魔力が必要だし体力だって使うんだ。失敗も出来ないしね。
夜になってからでも遅くないだろ?どうせあいつら、昼間は学校なんだしさ。さ、あったかいうちに召し上がれ。」
「・・・・うん、そうだね。失敗できないもんね。ありがとう、アルフ。」
「いいって。おおっと、バターバター。」
フェイトはコクリと頷くと、トーストを手にとってアルフが持ってきたバターを塗ってぱくりとかじる。
自然と漏れた彼女の笑みに、アルフはその表情に安堵しながらも自身に足りないものがなんなのか思い悩んだ。
{あたしは、何が足りないんだい?}
それが無ければ、きっと自分は彼女を守れない。高町なのは達からも、あのクソババァからも。
自分はこのままじゃいけない、このままではいけないのだ。
第11話
高町なのはの元気がない。それはクラスの友人がこぞって思ったことだ。
最近病院を退院して、今日やっと無期限休校中の定期集会にも登校できるようになった栗林明人もそれを敏感に感じ取った一人だ。
ようやく町も元通りになりつつある、久しぶりにクラスメートも勢ぞろいした教室は活気だっていて彼女だけが目立っていた。
まるで彼女だけが別の世界に居るような、奇妙な存在感。それゆえに話しかけづらい、その上なのはは話しかけても上の空が多い。
親友であるアリサとすずかにでさえ受け答えはどこか上の空だ。その為今日は若干孤立気味だった。
いつもならアリサとすずかの次によく絡むようになり良くも悪くも自由気ままな名物爺臭達も、窓際にかたまって心配そうに見つめているのだ。
「今日の高町は暗いな。」
「今日?ここ4日間ずっとだ。」
水戸の言葉に、栗林は衝撃を受けたのか目をまん丸にしてなのはに視線を向ける。
「マジか?斎賀。」
「ああ。」
松葉杖をつく栗林に問われた洞爺もなのはに目を向けた。彼女は机に座り、物憂げに窓の外を眺めている。
その様子はいつもの彼女とは似ても似つかず、もの哀しささえ感じるほどだ。
いつもの彼女ならば悩んでもそんな様子はほとんど見せない、ここまでなのはよほどのことだ。
そんな見たこともない様子に普段からあまり話さない連中はともかく、唯一気兼ねなく話せる彼らもどうしたものかと悩んでいた。
その非常に微妙な空気の中、その空気をまき散らす張本人の机の正面にすずかを連れたアリサが立った。かなり息を高ぶらせてなのはの正面に立つがなのはは反応しない。
ダン!!
銃声ではない。アリサがなのはの机をたたいた音だ。それでなのははようやく気付いたかのようにアリサを見上げる。
こりゃまずい、誰もがそう思い沈黙を保っていたなのはの隣席の女子がアリサに声をかけようとするが遅かった。
「いい加減にしなさいよ!!こないだっから何しゃべっても上の空でぼうっとしてぇ!」
「あ・・ぁ・・ごめんね、アリサちゃん。」
なのはは口ごもりながらアリサに謝る。
「ごめんじゃない!!私たちと話してるのがそんなに退屈なら一人でいくらでもぼうっとしてなさいよ!!」
アリサは一気にまくしたててなのはに言い放つ。それに対してなのははなおさら顔に影を落とした。
「いくよすずか。」
「あ、ちょっとアリサちゃん・・・・・なのはちゃん・・・」
すずかはアリサを止めようとした後なのはに向き直る。その様子はどこか悲しそうだ。
「いいよ、今のはなのはが悪かったから・・・」
「そんなことないと思うけど・・・とりあえず、アリサちゃんは言いすぎだよ。少し、話してくるね。」
なのはは走っていくすずかの後ろ姿を見ながら言った。
「ごめんね・・・・」
その声はいつものなのはとは考えられないほど悲しみに満ちた声だった。
一連の光景に水戸は両目をつむり、腕を組みながら催促するように洞爺に言い放つ。
「見てられねぇな。斎賀、お前何とかしてやれよ。」
「なぜ?」
「あいつお前のことちらちら見てる。」
ため息が出る。しかしここで手を貸しても彼女のためにはならないし、彼女もそれを望まないだろう。
「これは彼女達の問題だ、俺が出る幕ではなかろう。」
「内心心配でたまらねぇ癖に。」
とぼけんな、と肩をたたく水戸に、洞爺は小さく舌打ちするしかなかった。心配なのは事実だからだ。
彼女はこの頃考え込みがちになって、ジュエルシード探しの時もどこか上の空になっているような時がある。
理由は想像するに難くない、温泉での一件であの子は命を掛けた戦闘の一端に触れてしまった。早い話が恐れを覚えてしまったのだ。
そのせいか最近あの子はジュエルシード探索においてあまり成果を上げられず、全く確保できていない。
そんな時に限ってジュエルシードが、地球側の反政府組織とテロリストの手に渡ってしまったという最悪の情報が四日前やってきた。
すぐさま月村は奪還部隊を編成し、目標を拿捕した反政府魔術結社および中南米系テロリストの拠点である隣町の港を攻撃した。
月村の厳戒態勢とこれまでの被害故に高まっていた政府の警戒で敵は動きをとりにくくなっていたのが幸いし、ジュエルシードが敵の本拠地に輸送される前に叩けたのだ。
激しい戦闘の末に敵を殲滅、負傷者を出しながらも海鳴郊外で確保されたと思しきジュエルシードを二個を奪還したがその戦闘になのはは参加していない。
作戦には参加していたがあくまで最後にジュエルシードを安全な状態で保管する役割で最初から最後まで後方支援だったのだ。
攻撃作戦には洞爺も参加し最前線で敵と交戦、命を掛けてジュエルシードを確保したのだがそれがかなり堪えた様だ。
これまで自ら最前線に立っていた故に、今回の件で自分は役に立っていない、苦労を掛けて足手まといにしかなっていない役立たずだと思っているのだろう。
そんなはずは全くないのだが今の彼女の精神状態は不安定で、思考が一度変な方向に行ってしまうとあれよあれよと拡大解釈してしまう。
そうならないために何か目に見えた戦果を出させてやるのが良作だが、あの子に血生臭い作戦をさせるわけにもいかない。故に心配なのだ。
追い詰められた彼女が実戦で途方もない過ちを犯すのではないかと。
「・・・・・・・」
「おい、どこいくんだよ?」
「便所。」
いってら~と栗林に見送られて、洞爺は廊下に出た。水戸の言う通り見ていられなかった。
あの中の良かった3人組が、こうも最悪な雰囲気を発するのは笑っていられる状況ではない。
{あの時もし撃っていたら、もっとひどいことになっていただろうな。俺とした事が、戦場に居過ぎたか。}
自然と制服のポケットに手が伸びて、中から懐中時計を取り出した。認識票と同じく、いつも持ち歩いている物だ。
官給品ではない私物、精工舎製の妻からの贈り物。戦場でもいつも持ち歩いていた、お守りのようなものだ。
定期的にネジを巻き、今も時を刻むその音色を聞きながら不意に言葉が漏れた。
「仲裁、か。」
本当の自分を隠した自分が、彼女達を仲裁する。
皮肉なものだ、軍人としての、大人としての自分を隠して接する自分が彼女達の仲裁をするなど。
しかし、やらなければならないだろう。やらなければ、彼女達は孤独になってしまう。
だが嘘を纏った自分の言葉が、彼女達にどれだけ届くだろうか。
{皮肉だな、彼女を騙して利用している俺が仲裁をしようなど本当に笑える。お前がいてくれたら、こんなことにはならなかったかもしれん。}
懐中時計をポケットにしまい、肩をいからせるアリサをなだめるすずかの前を通り過ぎて内心微笑ましく思える。
子供の面倒は嫌いじゃない、子供とはこうであるべきなのだ。少し助言する程度なら出来るだろう。
仲良く笑い、共に遊び、時に喧嘩し、仲直りする。それを繰り返して本当の絆というものは結ばれるものなのだ。
羨ましい、自分もかつてはそんな場所に居た。
{やらねばなるまい、俺も原因の一つだ。}
煙草が欲しくなり無意識にポケットを探るが学校には持ち込んでいない。廊下は教室と違って閑散としている分、不快な表情の洞爺は目立った。
人影もまばらで、未だに事故当時の様相が残っている。これでもまだ良くなった方だ、直後はもっとひどかった。
学級閉鎖で無人の教室は珍しくなく、他の生徒たちも陰鬱な雰囲気や慣れない環境、
昨日まで一緒に居た友人や顔みしりを失ったショックで、次々にノイローゼになり定期集会にすら来なくなって教室から消えていく。
さらには新人教師陣にもそれが伝染していくありさまだ。峠は乗り切ったとはいえ、彼らには辛い時期だっただろう。
人の『死』に慣れていない彼らにとって、これはあまりにも理解しがたい苦痛なのだ。
{教室は騒がしいのが居る分マシだが、これは相当マズイな。みな追い詰められている、これ以上負担を掛けるのは危険だ。}
「時間は掛けられん・・・ん?」
突然目の前に現れた扉に額をぶつけかけた。気が付けば、いつの間にか普段あまり来ないつきあたりの美術室の前まで来ていた。
まだ工作室を使う授業をする3年が多い3階になぜかある美術室だ。普段は5年生と6年生の美術学選択者と美術部が使用している。
{誰かいるな。}
ドアの窓から中に誰かいるのが見えた。学校である以上誰かいるのは当然だが、居るのはなぜか一人だけだった。
一人キャンパスを見ながら一人の少女。上靴の色からして、6年生だろう。別に珍しい事ではない、部活メンバーが絵を仕上げるために入り浸るのは普通だ。
だが、彼女は妙だった。見る限り、彼女は絵を描いているようには見えない。ただ書きかけのキャンパスを見つめたまま、右手にカッターナイフを握ってぼうっとしているだけだ。
失敗した絵をキャンパスを切り取るのに迷っていると考えれば怪しい訳でもないが、その姿が怪しさを醸し出していた。
丁寧に整えられた跡が見える黒色のロングヘアーは乱れ、衰弱しているように見える。
何をしているのだろうか?気になって見ていると、少女は唐突に立ち上がりカッターナイフの刃を出して自身の左手首に押しつけた。
{自殺か!}
「止めろ!!」
飛び込んで止めようとしたが木製のドアは施錠されていてノブを回しても開かない。鍵を開けている暇も、取りに行く間もない。
しかたない、洞爺は即断すると素早く3歩ほど離れ、ドアを思い切りけり飛ばして蹴り破ると中に駆け込んだ。
突然の破壊音にびっくりして振り向く彼女に飛びつくと、血の滴るカッターナイフを払い落しその腕を背中にまわして関節を決める。
関節の痛みに自然と伸びる両足を刈り、地面のうつ伏せに押し倒した。
彼女は酷く抵抗したが、衰弱して弱っている上に軍隊仕込みの技を決める洞爺から逃げられる訳もない。
少女の左手首に出来た切り傷から垂れる血液が床にたまるのを見て、洞爺はこみ上げる怒りをこらえて静かに諭した。
「何をバカなことをしている!!」
「離してよ、あんたには関係ないでしょ。放っといてよ、お父さんも、あいつも、死んじゃったのよ。二人の居ない世界なんて・・・・」
少女は虚ろな声で答える。死人の声だ、生きる希望を失った死人の声。子供がする声ではない。
どこも見ていないようなふらつく瞳から涙を流す彼女は、何も見ていない虚ろで虚しさすら覚える瞳で睨みつけてきた。
見ているだけでも痛々しく、哀しい。大体の事は予想できる、彼女もまた先の災害の被害者だろう。見慣れた瞳の色だ、戦場ではこんな瞳をした人間がたくさんいた。
抵抗する気も失せたのか、彼女は床にうつぶせのままブツブツと言葉をつむぎ始める。
「わたしと、やくそくしたのに、もウこなイノよ。あいつは、絵、描けナイノヨ。
オトウサンも、もう帰ってコナいの。シナセテヨ、ラクニサクッと死なせてヨ。」
「お断りだ。それで君が会いたい人が喜んでくれるとは思えんね。」
それをぴしゃりと断り、出血の止まらない左手首を持ち上げて自分の白のハンカチで傷口をきつく縛りあげる。見る見るうちにハンカチは赤く染まり、血が滲みでて滴り落ちる。
「どういう意味よ?」
「そのままの意味だな。今まで大切に育ててきた愛娘と大切な彼女が自分達に会いたくて自殺?二人にとっちゃ悪夢だろうよ。
君はそれで満足だろうが、二人は絶対満足などしてはくれん。きっと悲しむはずだ。それとも何か?君の枕元に二人が出てきて、こっち来いと誘ったか?」
「・・・・・・・」
「娘の死など望む親がいるものか、道連れなど望む恋人がいるものか。命を粗末にするもんじゃない。胸張って会いたければな、精一杯生きてからにするんだな。」
「ふざけんじゃないわよ、私の気も知らないで勝手なこと言わないで。あんたに私の何がわかるのよ。」
{まずいな。}
なんだなんだと廊下が騒々しくなってきた、窓の割れた音と怒声が響いたらしい。
若い女性教師が室内に飛び込んできて、室内の状況を見て唖然とし、やがて小さな悲鳴を上げた。
腰を抜かして、血で染まったハンカチに目を奪われてしまっている。その情けない教師の姿に洞爺は嘆息しながら命令口調で命じた。
「おいっ!早く救急箱を持ってこい!!それと病院に連絡!!」
「は、はい!」
教師は飛び上がるように立ちあがると、美術室の奥にすっ飛んで行き救急箱を持って戻ってくる。
プラスチックの箱を開け、中から消毒液とガーゼ、包帯を取り出して応急処置を手早く施した。
上腕を包帯できつく縛って血管を圧迫し、傷口を消毒してガーゼを当てその上から包帯を巻く。
「だ、大丈夫なの。」
「カッターで左手首の静脈を切ってる可能性がある、早急に適切な治療をしなければ保障できない。」
震える声で問う女教師に、出血で赤く染まり始める包帯を縛る洞爺は毅然と答える。その言葉に、少女は嘲るような声色で言った。
「私の苦しみなんて、解らない癖に。偽善よ、あんたのやってる事はただの自己満足の偽善だわ。」
「なんとでも言え、善でも偽善でも何でも結構。誰か、保健係は居るか!」
「俺、俺保健!」
「そいつらをどかせ、邪魔だ。保健室の方でひとまず応急処置を施す。先生、救急ヘリを呼んでください!」
「へ、ヘリ!?」
「陸送では間に合わん、早急に止血して輸血しなければ命に関わる。」
「で、でもそんな簡単には、校長に相談を、それにヘリが病院にあるかなんて・・・」
「そんなことしている暇があると思うか!海鳴総合病院ならドクターヘリに加えて陸自のヘリがある、まだ緊急時に備えて駐機しているはずだ。
さっさと連絡してそいつを呼んで来い、これ以上死人を増やしたいのか!」
「わ、解りました!」
「宇都宮!水戸!いるんだろう!こっちに来て手伝え!!」
先生とぽっちゃり系の男子は踵を返すと、人込みをかき分けて職員室へと駆けだしていく。
とにかく今はこの子を助けることが先決だ。洞爺は衰弱しきった彼女を背負うと、昇降口に向けて歩き出した。
戦場で幾度となく傷ついた戦友を担いだ時と同じように、なるべく揺らさず、だが足早に廊下を歩いて、保健室へ向かって廊下を歩いて行く。
すると、人垣をかき分けて走ってきた宇都宮と水戸が洞爺の横に並んだ。
「斎賀、来たぜ!」「呼ばれてなんじゃこりゃ!」
「よく来てくれた、校長達に所に行って事の説明を手伝ってきてくれ、校長はともかく教頭や他の先生がなに言いだすか予想が付く。
渋るようならそいつら全員まとめて保健室に四の五の言わさず連れてこい、俺が解らせてやる。全責任は俺が負う、行ってくれ。」
「「おうさ!」」
二人は頷くと、全速力で廊下を掛けてゆき角を曲がって消える。それをどこからか聞いていたのか、背負っていた少女が感心したような声色で行った。
「まるで映画の軍人みたいね。」
「実はその通りなのでね、おじさんこう見えても軍人なんだよ。」
茶化すようにして返すと、少女は初めて生気のある表情でどこかおかしそうに笑った。
「思い出した、噂の元傭兵でしょ、人殺しの癖に他人を助けるのね?ねぇ、私のお金全部上げるから殺してくれないかしら?」
「お断りだな、必要のない殺しはしない主義だし人殺し故に命の重さもその軽さも知っている。言っただろう?君が死ぬのを願う奴などいない。
死んだところで君がまた周囲に悲しみを振りまくだけだ、君は友人や母親に自分が感じた悲しみを与えたいのかね?
俺は兵士だ、君の言うとおり人殺しだ、だが親友や知り合いに置いてかれる寂しさってのはよく知ってるんだ。
悲しいだろう?寂しいだろう?最後はもう訳解らなくなって叫びたくなるだろう?俺もそうだ、状況は違ったがね。」
少女は押し黙って答えない。きっと心の中で葛藤しているのだろう、この子もまだまだ幼い子供なのだ。
「大丈夫だ、君はまだまだ頑張れるさ。バカやってる俺がやっていけるんだ、君なら楽勝さ。」
「そこまで言われちゃうと、ホントに私、バカみたいじゃない・・・」
「あぁそうだ、君はバカだよ。この大馬鹿もん。」
「年下の癖に、生意気・・・」
彼女の言葉はやがて小さな嗚咽の中に消えた。彼女は泣いていた、年相応の子供のように。
声を噛み殺して、嗚咽を繰り返しながら悲しみと寂しさを曝け出す少女に洞爺は優しく包むように背負い直した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
アリサ・バニングスは今日、途方もなくイライラして、怒り狂っていた。理由は1つ、親友の隠し事だ。
今まで我慢してきた、相談してくれるだろうと信じてずっと我慢してきた。だがもう限界だ。
あの悩んだ表情はなんだ?あの苦しそうな表情はなんだ?あんな風になっているのに、なんで相談してくれないのだ?それが見ていて嫌になった、凄く腹立たしかった。
別に何でもかんでも包み隠さず話せという訳ではない。ただ悩んでいるのに相談しようとしないあいつに怒っていた。
どうしようもないのに一人で悩んで傷ついて苦しんで、なのに誰の手も借りようとしない彼女が見ていられなかった。
もう我慢できない、何が何でも聞きだしてやる、アリサはすずかの制止も聞かずに行動した。
屋上のドアを開け、二人は屋上のフェンス前のベンチに座る紺色ジャージを着た彼の前に歩み寄り立ち止まる。
周りには誰もいない。この頃、町を見ながら食事をする子供はほとんどいなくなった。みんな先の災害の事を思い出したくないのだ。
自分達もその中の人間で食事は教室で取っていた。そんな中でも彼は屋上でフェンスの向こうの町を眺めながら、ひとりベンチに座って弁当を食べていた。
弁当箱は同じだが、以前のような質素な中身ではないさまざまなおかずの入った手作り弁当。
それを一人パクつきながら、傷跡の残る町を見てどこか物憂げにしている。何を考えているのか解らない、いつものどこか遠い所を見ている視線でただ弁当を味わって食べている。
その手がピタリと止まり、麦茶のペットボトルを手に取って一飲みしたと思うと唐突に声をかけてきた。
「珍しいな。近頃はここに来るやつはいなかったんだが。」
「洞爺、話があるの。」
彼、斎賀洞爺は唐揚げを口にふくみながらコクコク頷くと白米をかっ込む。
それを麦茶で流し込むと、空になった弁当箱を鞄にしまって立ち上がった。
「いったい何の用だ?」
洞爺は腕を組みながら、いつも通り大人びた口調でアリサとすずかに話しかけた。
元兵士という経歴の所為か、元々肝が太いのか、ほんの少し前に自殺を阻止した人間とは思えないほどいつも通りだ。
妙に深みのある低い声に、人生経験豊富な大人のような風格が感じられる穏やかな口ぶり、まったくもっていつも通りだ。
「あんた、なのはが悩んでいること知ってるでしょ。」
「見ていればな。」
違う、そうじゃない。いつもの口調で言葉を連ねる彼に、アリサは怒りがこみ上げる。
もう既に解っているのだ、こいつがなのはの悩み事を知っていることくらい。
「誤魔化さないで。あんた、なのはが悩んでるその内容を知ってるでしょ!」
「知っていたら?」
「話しなさいよ!全部すべて洗いざらい!!」
アリサは命令口調でまくし立てるが、洞爺は首を横に振る。
「生憎、君に話せる情報を持っていない。」
「嘘よ!!あいつはときどきあんたのこともみてるわ、何か知ってるんでしょ!!言いなさい!!!」
アリサは彼の制服の胸倉を掴むと一気にフェンスに押し付けた。
洞爺は抵抗もせずにそれを受け止めながら、まっすぐとこちらの目を見つめてくる。
その見透かすような底の見えない瞳に、アリサはたじろぎそうになった。
「なぜ喋らねばならん。」
「決まってるじゃない。知ってれば一緒に悩んであげられるし助けられるからよ!」
「あ・・アリサちゃん、落ち着いて。」
「煩い!すずか、あんたは平気なの?なのはがあんな風に悩んでて平気なの!?」
まくしたてるアリサをすずかが落ち着かせようとするが、アリサは耳を貸さない。
むしろ今の彼女にも怒りをまき散らしそうだ。彼女もまた隠しごとをしているのだ。
「なのはは・・・何度聞いても私たちに何も教えてくれない・・・悩んでも迷ってもいないって嘘じゃない!!」
「どんなに親しい友人でも、両親でも、言えないことはあるであろう?俺は確かに理由を知っている、だが知ったのは単なる偶然だ。
高町が話したくない話ならば俺とて待つしかできん。待つことしかできん以上俺も話せんのだ。」
「それがむかつくのよ!!少しは役に立ってあげたいのよ!!!」
大切な親友なのだから助けたいのだ。悩んでいるのを助けてあげたい。それが悪いこと?ちがう。
それが親友の役目ではないか、悩んでいるのなら一緒になって悩んで解決法を探してあげる。
そうでなければ親友などとは呼べないではないか。
「どんなことでもいいから、何もできないかもしれないけど・・・・少なくとも!一緒に悩んであげられるじゃない・・・・」
「バニングス・・・・・君は、高町が好きなのだな。」
「当たり前じゃない、私はあいつの親友なのよ!」
当然の言葉に洞爺は苦笑する。どこまで大人ぶる奴なのだろうかこいつは?アリサは内心歯がゆく思う。こいつの悪い所はこういう所だ、こうやってどこか一歩引いた位置を好む。
手の届かない所に居るみたいで、いくら近くに居て、見れて触れられても違う場所に居る人間のようで歯がゆい。
「君が彼女のことを良く考えているのは解った。だが、教えてあげることは出来ない。」
「なんでよ。」
「それは彼女が望まないし、何もできない友情は相手にいらぬ傷を付ける事もある。だが、助言をしよう。」
「助言なんていらない、言え。」
「そう焦るな、深呼吸して落ち着け。」
アリサは洞爺に注目する。彼の目はまるで困った少女に風船を取ってあげたオジサンのような優しい目だった。
不思議とイライラが募っていた心が落ち着く。洞爺は押し付けるアリサを優しくどかすと、身なりを整えながら言った。
「まずなんで高町が君たちに相談しないのか、その理由は考えたかい?」
「それは・・・」
「ふむ、その表情からして解っててやったようだな。悪くは無いよ、それ位彼女を心配していたってことだ。
だが、この問題は彼女が自分の手で解決せねばならん問題だ。君はそう言うのを経験したことは無いか?」
言葉に詰まったアリサは思わず目を逸らした。
ある。確かに、それはある。なのは達を巻き込めない問題、相談してはいけない問題だ。
そんなとき自分はどうした?相談をしたか?いや、しなかった。全部自分で片付けて、後で話しただけだ。
その時なのははどんな気持だったのだろう。気付かなかったのだろうか?それとも見て見ぬふりをしたのだろうか?
{違う、あいつも、同じだったんじゃない?}
同じだった。考え込んで、悩んでいる自分をずっと心配してくれていた。それは、今の自分と何が違う?同じではないか。
「じゃぁ、どうすればいいのよ?どうしたらあいつを助けられるの?」
「今の自分にできることをやってみろ。あんな風に怒ったりしないで、いつもみたいに接してやるとかな。」
「いつものように?」
洞爺は慈愛に満ちた瞳で優しげに頷く。
「ああ、高町はいつものように過ごす君たちと居ることで精神的な面では大きく助けられている。
高町を信じてやれ。悩みが解決すればきっと話してくれるだろうしな。」
「なのはを・・・信じる・・・」
「バニングス、親友とは、なんだ?」
「え?」
「君は高町の親友なのだろう?ならば解るはずだ。だろう?」
洞爺はそう言うと鞄を手に脇を通り過ぎる。階段の前まで行ってから、思い出したかのように振り返った。
「君たちのような親友がいて、高町は幸せ者だな。羨ましいよ。」
「何言ってるのよ!!」
アリサは上履きを脱ぐと、洞爺の後頭部に向けて投げつける。洞爺の額に上履きが直撃した。
「あんたも親友でしょうが!!勝手に自分を除外すんな!!!」
「そうかね・・・俺は失礼するとしよう。俺の助言をどうするかは君たちの自由だよ。
若さゆえの悩みを存分に悩みたまえ、それが青春というものだ。もし相談があるなら、いつでも受ける。」
「あんた・・・やっぱ爺ね。年いくつ?」
「さぁて?いくつかな?」
洞爺は意味深に笑うと、上履きをアリサに投げ返して屋上を去った。残されたのは二人だけだ。
「なによあの野郎・・・・」
「まぁ斎賀君、だしね。」
すずかはどこか楽しそうに微笑む、それにつられてアリサもまた微笑んだ。
なんだか不思議な気分だ、あれだけイライラが募っていた気持ちが今は凄く落ち着いている。
晴れやかとは言えないが、前よりも格段に良い気分だ。
「私って、ホントばかねぇ。なのはに謝らなくちゃ、やり過ぎちゃった。」
信じる、そのことを忘れていたのかもしれない。
情けない、親友親友言っていて、自分がその親友を信じ切れていなかったのだから。
本当に信じているのなら、彼女が話してくれるまで待つはずだ。
「すずかも、ごめん。ちょっと感情的になり過ぎてた、変なのに付き合わせちゃったわね。」
「ううん、いいよ。」
「ありがとう・・・っていいたいけど。あんた、これ予想してたんじゃないの?」
「な、なんのことかな~~?」
白々しく視線をあらぬ方向に向けるすずかに、アリサはジトッとした視線を向ける。
「ま、いいけどさ。でも、親友ってさ。別の仕事もあるわよね。」
すずかはキョトンとしてアリサを見つめる。そんな彼女に、アリサはいつも通り明るい笑顔で言い切った。
「親友にはさ。信じて待つほかにも、馬鹿なことしそうな親友を止めるって役割もあるでしょうが。」
だから今度は、本物の親友として行動に出よう。彼女を信じて、彼女を支えるために。
「あいつがなにしてるのか解んないけどさ。だけど、ただ待ってるだけはもう飽きちゃったのよ。」
にやり、とアリサは擬音が聞こえそうなくらいちょっと不気味に笑う。何か思いついた表情だ。
「だから、やるだけのことはやっちゃうわよ。」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
夜、高町なのはとユーノ・スクライアは今日も町へジュエルシード探しに出ていた。
街灯と店の明かりで夜も明るく、人々の雑踏でにぎやかな町の通りを練り歩きながらジュエルシードの気配を探る。
だが、そんなユーノを肩に乗せるなのはは気もそぞろだった。集中しようとしても、色々な事が頭に浮かんで出来ないのだ。
{アリサちゃんに心配させちゃったな。}
自分の勝手な理由で親友を怒らせて、悲しい思いをさせてしまった。やってはいけないことをしてしまったのだ。
親友の怒った表情を思い出して自身の不甲斐なさになのはは唇をかみしめ、ふと後ろに目をやった。なのはの背中について、洞爺と久遠とサーシャと共に歩いている。
{なんで、斎賀君は平気なんだろう?}
自分はこんなに悩んでしまって、友人を怒らせてしまった。なのに、彼はそんなことはおくびにも出さずいつも通りだ。
彼も今日は自殺未遂の現場に居合わせて大変だったはずなのに、そんな事無かったかのようにふるまっている。
自殺に居合わせた時も、ショックでビビる教員にテキパキと指令を出し、まさに軍人のように行動したらしい。
その現場に居合わせた宇都宮は『まるでうちの母ちゃんみたいだった』と興奮気味に話してくれた。
やはり本物の戦場を生き抜いた人間は、普通の人間とは精神力が違うらしい。その強靭な精神力を、なのはは羨ましく思った。
自分もあんな風に毅然としていれば、親友をあんな風に心配させる事など無かったはずだ。
{でも、どうしてそんな風にしていられるの?}
自分はそんな風にしていられなかった。戦いになるととても怖かった、やらないといけないはずなのに動けなかった。
旅行の時もそうだ、洞爺から旅館が襲われるかもしれないと聞いた瞬間、足が震えて動かなくなってしまった。
自分が戦わなければいけないのに、そうしないと殺されてしまうのに、そう解っているのに動けなかった。
そんな自分がショックで、とても情けなくて堪らなかった。
「ねぇ、斎賀君。」
「ん?」
「斎賀君は、その、敵になったりしないよね?」
「え?」
ユーノがキョトンとしてなのはを見上げる、なのはは洞爺に問いかけて我に返った。
今、自分は何を聞いたのだ?なぜ、彼にこんなことを問いかけたのだ?
「いや、その、斎賀君が引っ越してきたのは、その、ジュエルシードが降ってきてすぐだし、
なんか、まだ友達になったばかりだったのに、こんなに手伝って貰っちゃってるし、なんか、おかしいなって、思ってたり・・私は、その・・・」
「なのはちゃん、それは、私達を疑ってるんですか?」
サーシャは悲しげに表情を歪ませる。
「あの、うたがってるわけじゃないんだけど、その、やっぱりちょっと出来過ぎてる感じがして、それに、斎賀君は、なんか、私とは違う気がするし、えと・・・」
慌てて弁明しようとしたがうまく言葉が見つからない。だが、なぜか彼を怪しむ言葉がぼろぼろとこぼれ出す。
駄目だ、これ以上言ってはダメだ、これ以上言ったら嫌われてしまう、迷惑をかけてしまう。
「あ、あの・・・その、わた・・・わた、し・・・・・」
言葉が出ない、声が震えて、言葉にしようとしても言葉が浮かばない。
だが洞爺はただ黙ってそれを聞いて、なぜか困ったように微笑んだ。
「なるほどね、そう思われるのは道理だ。俺は傍から見ても怪しいからな。君が不安に思うのも仕方あるまい。
だが、俺がこの町に引っ越してきた時期が今に重なったのは本当に偶然だ。命を掛けても良い、何の作為も無し、本当に偶然。
俺は彼女達の側ではないし、ましてや君たちのような魔法やらなんやらの世界の人間でも無い。」
「え、その・・・」
「嫌われると思ったか?それ位の警戒心は持っているのが普通だよ。君は良い子だが、少し献身が過ぎるのが欠点だな。」
「え?」
大人びた微笑を湛える洞爺になのはは、久しく感じたことの無かった抱擁感にうろたえた。見覚えのある笑顔だった、なぜか彼の微笑みは幼いころに面倒を見てくれた彼と同じ笑顔だった。
子供の頃に、両親に迷惑をかけないためにずっと我慢することを覚えたあの頃唯一我儘を言えて、本当の自分と言うモノを出せていたと感じられる近所のお爺さんの笑顔と同じだ。
「俺は怒っちゃいないよ、むしろ怒りたいのは・・・・と、これは踏み込み過ぎか。それよりもまずはジュエルシードだ、早く見つけなければ。ナガン、そっちは?」
彼は違う、でもどうしても重ねてしまう。優しい声も、笑顔も、自分を包んで守ってくれるような雰囲気も、違うのに同じように感じる。
どんなに辛くても優しく声を掛けてくれて、悪い事をしたら怒ってくれて、どんな時でも頼れたお爺さん。
遊んでくれて、遊び方も教えてくれて、友達の作り方も教えてくれた。そのお爺さんとおんなじ匂いがする。
「今のところは駄目です、いつもなら結構敏感なんですけど・・・以前の発動の際に巻かれた魔力の残滓が町中に残っているようですね。
まるでジャミングが掛ってるみたいですよ。祝融さんの方も、駄目みたいです。」
なのはからサーシャに向き直った洞爺は肩にかける竹刀入れと各種装備入りの地味なリュックサックとウエストポーチを揺らしながら唸り、
サーシャもその右隣の携帯電話を閉じながら首を横に振った。別働隊を率いる祝融も、まったく手がかりなしの状態のようだ。
「電波妨害?それとも魔力障害か?いやどっちもだろうな・・・ったく、道理で家のも調子が悪いと思った。さりげなくかつ目立たないように設置するのは苦労したのに・・・」
「うみゅ~~、だからおみみもへんなのか~~」
{斎賀君も大変だなぁ。}
何日か前に、知り合いから増員を受けて困った表情で謝る洞爺を思い出し内心苦笑する。彼もまた苦労しているのだ。
バックアップしてくれている『知り合い』には情報を渡すことで話は付いているらしいが、とんでもなく乗り気なのだという。
ユーノも限界だと感じていたのか、その増援を了承した。本格的にまずいと感じているらしい。
良い奴なのだがかなり不安だと、いつかの彼はぼやいていた。その姿が酷くおっさんぽかったのは触れないでおこう。
そんなおっさん臭い彼の横で、久遠も買い物かごを引きずりながらあちこち動き回ってはきょろきょろ見回している。
「な~い。ここにもな~い・・・・どこだろう?」
「こら、やめなさい。」
挙句には植え込みを覗き込んで久遠は探している。それを見た洞爺は苦笑して久遠を植え込みから連れ戻す。
まさに草の根かき分けて、を地で実践する久遠に周りの大人たちも微笑ましげに笑い、ふとサラリーマンらしい男性が腕時計に目をやって慌てて走って去っていく。
それを見たなのははビルに映し出されるテレビの時計を見て、門限が近いことを知り悔しそうにうなった。
「う~ん、タイムアップ。そろそろ帰らないと・・・」
「大丈夫だよ、僕が残って探してみるから。なのはとサイガ達は先に帰っててよ。」
なのはは頷きながらも心配そうにユーノに問いかける。
「うん、でもユーノ君平気?」
「平気、だから晩御飯取っといてね?」
「もし晩飯がとれなかった時は家に来ると良い。夜食程度は用意してやろう。」
意外な申し出に、ユーノは洞爺を見て首を傾げる。
「料理できるの?」
「これでも俺は自炊派なのだ。食材だって買い込んでいる。」
そう言って久遠から買い物籠を受け取って蓋をあけると、中には食材が入っていた。
ジャガイモやニンジンを始めとして野菜と、牛肉のパックが詰め込まれている。
「もっとも、今日はどこかで外食だがね。」
「君は真面目の探していたのか?」
「言われるまでもない。もしかしたら外ではなく屋内に紛れたかもしれないであろう?その探索中に丁度タイムセールがあったのでな。ついでに買っただけさ。
衣類も食料も安い時に買い込むのは常套手段、大安売りの叩き売りなら値切りもできたが商店街じゃないとうまくは行かんな。」
「頑張りましたよね~~久遠ちゃん。」
「がんばったよね~~さーしゃおねーちゃん。」
何をがんばったのかは言うまでもない。タイムセールの厳しさはなのはもよく知っている、昔からセールの時間は飢えた狼と家族を養う者達がしのぎを削る戦場なのだ。
二人仲良く頷き合うサーシャと久遠をバックに、洞爺は蓋を閉めて表情を引き締める。
「ユーノ・スクライア、俺がしとめそこなったあいつらも動いているであろう。十分気をつけたまえ。
ついでに保健所にもな。ここ一帯には『野良お喋り卑猥型フェレットもどき』なぞ繁殖していないのだからな。」
「いい加減それ言うな!!」
「現実であろう?」
洞爺の含み笑いにユーノは怒りを覚えながらもこの頃毎日のことなのでため息をつく。
なぜか彼と言い合いをすると、いつも簡単に踊らされて遊ばれてしまうのだ。
そんなこいつらは相当仲が良いと思っているなのはである。
ユーノはなのはの肩から降りると手を振ってから、路地裏へと走り去る。
「高町、友人からの『メール』とやらを見てみた方がいい。きっと吉報が待っているだろう。」
洞爺はなのはとの別れ際にそう言うと久遠を連れて近くの横断歩道を渡り、道路の向こうのファミレスの扉をくぐった。
なのははその言葉に疑問を抱き、携帯電話を開いてメール欄を開いた。2通のメールが届いていた。
「アリサちゃん、すずかちゃん!?」
メールは紛れもない友人のものだった。あわててそのメールを開く。
そこに書かれている内容を見て、なのはは読むたびに心が晴れていくのが解った。
今日の二人の謝罪から始まる励ましのメール。それを読み終え、なのはは目にたまった涙を拭いて心の中で感謝した。
{ありがとう、アリサちゃん。ありがとう、すずかちゃん。}
そして、ふたつのメールにあった同一の名前が入った追伸文、彼女たちを説得した張本人。
{ありがとう、斎賀君。}
ファミレスの窓から見える洞爺に向けて感謝をこめて頭を下げた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「仲直りできたみたいですね。」
「そのようだ。」
「なにがそのようだ、ですか。」
ニヤニヤとと生温かい視線を向けてくるサーシャに背を向けて、ウェイトレスに案内された窓際のボックスにドカリと座る。
走って家に向かっていくなのはの後ろ姿を、見送りながらメニューを手に取った。久遠とサーシャも各々座りながら同じようにメニューを手に取り、速攻で久遠が注文ブザーを押した。
この間約3秒、あまりの速さに厨房に戻ろうとしていたさっきのウェイトレスが踵を返して戻ってきた。
「ご注文は?」
「ひがわりおこさませっととおこさまドリンクバー。」
「新鮮山菜サラダとヒレステーキのライスセット、ご飯の大盛りで。」
「とんかつ定食。」
長方形の電卓のようなモノを取り出して入力していくウェイトレス。内心あまりの速さに驚いていたが、鍛え上げた営業スタイルは一ミリたりとも崩れない。
「はい、ご注文をご確認させていただきます。日替わりお子様セットをお一つ、お子様ドリンクバーがお一つ。
新鮮山菜サラダがお一つ、ヒレステーキAセットライス大盛りがお一つ、とんかつ定食がお一つ。以上でよろしいでしょうか?」
「はい。」
「かしこまりました、少々お待ち下さい。」
一礼して去っていくウェイトレスに手を振り、久遠は立ち上がってトテトテとドリンクバーに向かう。
台座を使って子供用のプラスティックコップにコーラを注ぐ姿を見ながら、サーシャはにへら~と表情を崩した。
「かわいいですね~~~」
「うちの自慢の子だよ、久遠は。」
「まだ妹にして1月ちょっとくらいしか経ってませんけどね。」
「戸籍でも時間的にもな。俺がしてやりたくてやったことだ、後悔はせんよ。」
「クールに決めてますけど、にやけてて台無しですね。」
ほっとけ、と頬を赤くする洞爺にサーシャは楽しそうに笑う。
「人間の兄に妖怪の妹、仲が良ければいいじゃないですか。」
「くくくっ、そうだな。いつかヨボヨボの俺が車いすで若々しいこいつに押される日が来るかもしれんな。」
「そうなってほしいものですね。」
妖怪と人間の寿命は違う、人間は長生きしても妖怪のそれには及ばない。洞爺が言った未来図もあながち嘘ではないのだ。それまで生きていればの話だが。
妖怪は寿命という面では確かに人を凌駕しているが、平均寿命と言えば人より多少長い位でしかない。近年の場合何らかの要因で200歳になる前に死ぬ。
大抵は事故だが、反政府側組織に分類される退魔組織や魔女狩り一派などの差別組織による殺害されるケースもある。
妖怪などの種族は年を重ねるごとに力が増すタイプが多く、それ故に何もしていないのに退魔組織などに勝手に眼の敵にされたりすることも多いのだ。
政府が介入を始めて早60年ほど、政府側では法秩序の整備でそういった事例は少なくなったがそれでも反政府側組織は今でも執拗に行う。
そういった事例の際は政府も警察が張り切るが、その奮闘虚しく保護対象を殺されてしまうこともあるのだ。
そして政府側でも防げないのが事故死である、実験の失敗や魔力暴走を始め、交通事故や列車事故など科学の発達により威力を増し始めた事故は年を重ねた妖怪でも軽く殺す。
特に夜行性で、まだうつらうつらしている中どこかに行こうとして道路を横断しようとした途端車に跳ねられるケースが多い。
最近ではちょっとした旅行に行こうとした土地神様が最寄りの駅で偶然駅を通過する最新型新幹線に気を取られ身を線路に乗り出して足を踏み外し転落、
そして速度を落とさず通過する新幹線に真正面から跳ねられ文字通り四散し挽肉と化して死亡した例もあったりするのだ。
それだけ不意の事故というのは妖怪にも人間にも恐ろしい存在なのである。
通説では160歳前後が寿命と言うのが通例で、それを乗り超えても、そこからさらに歳を重ねていける妖怪はほんの一握りだ。
小説やライトノベルでざらに登場する400や500と言った年齢の妖怪は数多く生活しているが成れるのはそこまで多くない、それだけ生きる世界は厳しいのだ。
「とうや、なんのはなししてたの?」
「お前は将来別嬪さんになるだろうな、とな。」
コップにコーラをなみなみと注いで戻ってきた久遠に、洞爺は何気なしに頭を撫でる。
「うん!くおん、おっきくなったらとうやみたいにむきむきになるの!!」
ワシャワシャと頭を撫でていた彼の手がビデオの一時停止のごとくピタリと止まる。空気が凍るとはこのことか、二人は改めて子供の純粋さを思い知った。何せムキムキである。
子供は身近なモノに憧れると言うが、だからと言ってこのムキムキ野郎に憧れるとはいかがなものか?
「久遠ちゃん、久遠ちゃんはきっと綺麗な女の人になると思うわよ?」
「そうだな、きっと桃子さんやこいつみたいな綺麗な人になると思うぞ。」
「へ!?いや、そんな、綺麗なんてそんな・・・えへへ。」
「ぶ~~、ふたりまでせんせーみたいなこという~~」
「先生、まさか、近所の幼稚園の先生にまで?お前また一人で行ってたのか。」
「うん!くおんはおおきくなったらとうやみたいなむきむきでつよいおとなになるの!そしてね、こまってるひとをたくさんたすけるの!!」
保護者の洞爺が額を押さえて問うと、久遠は元気良く頷く。夢としては悪くない、むしろとてもいい夢だろう。
「でもそのためにはまずはからだをきたえなきゃだめなの。だからむきむきになるの。おなかもむきむきになって、おっぱいもむっきむきのそーこーばんみたいにするの!
うでもおっきなきみたいになって、あしもだいこんもにんじんにみえちゃうくらいきんにくもりもりになるの。」
幼女心純度100%の女を捨てる発言を除けばだが。未来予想図が完全にプロレスラー顔負けのマッチョマンである。
「・・・・どこで教育を間違った。」
現実を直視しつつそれに愕然とする洞爺は完全な父親の風貌であるが、子供がそれをやっても甚だミスマッチである。
ただし彼の教育は間違ってはいない、ただ久遠の純粋なあこがれが『強くて優しい洞爺』になっただけなのだ。
どんなに怖い相手でも決してあきらめないで戦う彼の姿が、とても印象深く久遠の目に残っただけである。
そして彼はマッチョなのである、レスラーやボディビルダーのような体つきではないが、血反吐を吐くような訓練と実戦で鍛え抜かれた兵士の肉体なのだ。
生前と言うのもおかしいが、その肉体の縮小版といえる今の身体は十分筋肉モリモリである。
加えて久遠はゲームやアニメが大好きなのだ。それが『現実ではない』というのも良く解っている、伊達に深夜アニメまで網羅していない。
「む~~、しょーたのかめんらいだーとか、けーちゃんのおひめさまとかよりもずっとげんじつてきだもん。なれるもん。」
「いや現実的すぎるよ久遠ちゃん、もっと夢を見ようね。」
「うぅ、俺はどこで間違ったのだ・・・」
「ぶ~~いいも~んだ。たっちゃんもいっしょだからいいも~~ん。」
「誰だそいつは。」
「どうし!」
嘆く洞爺はただのおっさんと化していた。切実な声色だが、今の彼は子供である。ぶっちゃけ不気味すぎる、外見と表情の年季の差が甚だミスマッチだ。
そんな空気を破るかのように、ウェイトレスが頼んだ料理を乗せたカートを押してやってきた。
「お待たせしました、ごゆっくりどうぞ。」
各々の頼んだ食事がテーブルに置かれ、しばらく無言の食事の時間が過ぎる。
「しかし見つかりませんね、ジュエルシード。」
サーシャはヒレステーキのライスセットのライスをパクパクと食べながら残念そうに言った。
この頃ジュエルシードは数が少なくなった上にほとんどが休眠状態なのかなりを潜めてしまっている。
「もしかして、もうまちにないのかな?」
久遠がお子様セットのチキンライスをハムハム食べながらぽつりと答えた。
「あり得るかもしれんな。となると、あとは海か。」
洞爺はとんかつ定食のキャベツにソースをかけながら肯定する。ジュエルシードの中には海に落ちた個体も存在する。
今まで後回しにしていたが、そろそろそれにも手をつける必要がありそうだ。
「海ですか、スキューバして探すのは手間ですよ。」
「海に落とした指輪を見つけて来いと言っている物だからな。これだと、逆に発動してくれた方が楽かもしれん。
船を出すにしても、この状況下では偽装漁船は中途半端だし夜間ならば大発くらいなら動かせるがその程度だ。」
「なんですか偽装漁船って・・・まぁ発動したら十中八九、巨大化した海洋生物を戦う事になりますね。」
「ん?確か猫鮫が居たな、ここの海。」
「ジーザス、猫鮫でもジョーズになりかねない。」
案外洒落にならないことである、ジュエルシードはそれだって可能にしてしまう可能性があるのだ。
「忍ちゃんが探知機か何か作ってくれないでしょうか?」
「回収できた次元航行艦の残骸から抜いた情報の解析で手間取っている位だ。ジュエルシードの解析は、いくら彼女でもまだまだ時間がかかるだろう。できたとしても間に合わん。」
彼女のマッドサイエンティストぶりはサーシャやなのは達から良く聞いているが、その技術をもってしても苦戦しているというのが現状だ。
その上彼女には大学生という身分もある、時間も無限に取れる訳ではないし彼女自身の体力だって無限という訳ではない。
どれだけ興味が引かれようともやることはやらねばならないし、適度に息抜きしなければ大抵は潰れたり思考が完全に停止したりして悪影響が出る。そんな状態で解析などできる訳がない。
「ですが真面目にそういうのが無いと海は無理ですよ。下手すると流されてるかもしれません、そうなると太平洋まで捜査範囲を広げないとなりませんよ。」
「ならいっそのこと、海に魔力でも叩き込んで無理やり発動させるか?」
「それいいですね。」
「たわけ、そんなことして複数のジュエルシードが発動したら目も当てられん。君は一人で2個の発動したジュエルシードを相手できるのか?俺は無理だな。」
「そ、装備があれば・・・・」
とても大丈夫とは思えない表情でサーシャは唇の端を引く付かせる。
彼女は一度ジュエルシードによって強化された妖怪と戦って部隊を壊滅させられているのだ。
絶対に無理だと心に刻み込まれているに違いない。
「あまり長期戦になるのはまずいし、あまり戦闘を派手にやるわけにもいかない。俺達はともかく、現状一般人にも大きな被害を出してしまっているのは知っているだろう。
しかも現状、この町にはどれだけ反政府側組織やらゲリラやらがたむろしているか想像もつかん状況になっている。今や海鳴は現代のバルカン半島さながらだ。
ジュエルシードが発動しようものなら絶対に大乱戦になる、そうなると収集を付けるのは非常に難しいし被害は避けられない。
大人はともかく、子供たちはかなり追いつめられている。これ以上何かあれば、あの子達が耐えられない。こっちの学校も自殺未遂者が出始めた。
幸い一命は取り留めたが、学内の雰囲気は悪化する一方だ。午後から早速ふさぎ込む生徒は増えてきているし、精神不安定になりつつある子どもも見られた。
教師にも動揺が広がりつつある、対応が遅れがちだしどこにでも居る阿呆はいつものように保身に走り始めてる。
皮肉なものだが俺の中東帰りの元傭兵なんて血生臭い設定がここで役に立っている、心置きなく指揮を執れるからな。
だがそれも長くは続くまい。教頭殴っちまったし、俺は一人しかいない。
今はまだいいが、次に起きれば対処のしようが無くなるほど多くなるだろう。そうなれば次には教師陣が崩れる、芋づるだ。」
「となると、その時の要は祝融さんの部隊ってことになりますね。」
「突発的な戦闘が始まっても、組織的に行動できる部隊は彼女達位なものだろう。
今町に布陣しているのは彼女達だけだし、歴戦の元傭兵部隊だ。高町や巫女さん達には悪いが、経験と格が違うな。
巫女さん達の能力はそれなりの物だが、彼女達と比べればまだまだだ。
高町は個人では人を越えるすばらしい戦闘能力を持っているが教練など受け取らんど素人だ。
身のこなしにはアラがあり過ぎるし誰かと連携を組むと言う事も出来ない。下手に連携を組ませれば、周りが見えずに味方を巻き込むことは目に見えている。
今のあの子はそれが幸いして、大火力ながら普通は行わない様なトリッキーな動きを身につけているがそれもいずれは通用しなくなる。
それを踏まえれば、現状最も高い戦闘力を持ち合わせているのは宇都宮達だ。あの部隊ならば、どんな状況でも安定した戦闘力を期待できる。」
なのはの名前が出た時、サーシャの表情に不満と疑問が走る。それを見た洞爺は、味噌汁を一端置いてサーシャを直視した。
「彼女の行動に反対しない俺に不満が?」
「はい、無いわけがありません。出来れば私達に任せてほしいものです。あの子はまだ9歳ですよ、中尉。」
「解っている。だが、状況はそれを許さん。」
思い出されるのは今まで巡った地獄の戦場。誰もが正義となり、誰もが悪となる、表の世界の非日常。
耳に残る銃声と砲声、兵士たちの怒声と悲鳴、地面を染める赤い血と動かなくなった人だったモノ。
充満した血と硝煙の匂いと、体に纏わりつく死の感覚を思い出しながら洞爺は再び箸を手に取った。
「ジュエルシードの封印には、最終的には彼女の力が必要だ。どの道、彼女はもう深入りし過ぎている。今から戻るのは遅すぎる。」
「・・・それは、間違っているんじゃないですか?まだ9歳ですよ。それに封印の術式ならばユーノ君にだって使えます。」
「確かに、彼女はまだ子供だ。普通の世界ならそれだけで免罪符になる。それを考えれば、ユーノが復帰した後は高町ちゃんを外すのも妥当だろう。」
とんかつを頬張り、モシャモシャと咀嚼しながら頬杖をついて箸で久遠を示す。
「だが、彼女が踏み込んだのは普通の世界じゃない。ここは戦場だ、それは表も裏も変わるまい。」
「それは・・・」
「俺は君たちの目線では語れない。だから軍人として言わせてもらう。戦場では、性別も、人種も、年齢も、何もかもが免罪符になりえない。
戦わなければ死ぬ時は死ぬ、殺されるときは殺される、兵士全員が良識を持っていて国際法を守ってくれるわけじゃないんだ。
例え奇跡的に模範的な軍人ばかり名戦場だったとしても、銃弾には無関係の人間を避けるなんてすばらしい機能は付いていない。
最初は子供らしい単純な気持ちで入ったのかもしれん、だがそれが通じる時間は過ぎた。彼女達が現れてしまったからな。
彼女もまた、それを無意識に感じ取ったのだろうな。彼女には別の目的も出来ている、引く気などさらさらないだろう。」
「建前ですね、しかもダブルスタンダードです。あなた自身、彼女が戦う事を望んでなどいない。」
お見通しです、と微笑みかけてステーキを頬張るサーシャ。そんな彼女に洞爺は、唇を固く結んでじっと彼女を見据えた。
「あぁ、その通りだ。子供を戦わせるなんて、虫唾が走る。腹が立つな。あんな力なんて無ければ、俺はここに居なかった。
こんなバカげた事件が起こる筈が無かった。あの子が戦う必要もなかった。そう思うと複雑な気持ちだよ。
俺にも娘がいるんだ、もう24と18だがあいつらにも高町くらいの年のころはあったんだ。その頃の二人が前線に立つ?ふざけるな。」
初めて、洞爺はサーシャの前で感情のままに言い放つ。怒りと嫌悪も入り混じったこの言葉がなにに向けられているかなどは考えるまでもない。
「だが、これは現実だ。世界は俺の知識以上にどこまでも皮肉で馬鹿げているようだがね。
こうしなければ俺たちはあの化け物とは戦えない。あの子はこの事件における鍵であり、切り札だ。この地球に限ればユーノをしのぐな。
あの子がいなければ我々はジュエルシードと対等に渡り合うことは不可能、俺たちは何も出来ず解らぬままに全滅だっただろう。
ユーノを代わりに起用したとしてもあいつはあの子のような持久力はない、そもそもあいつは地球の環境が体に合わないデメリットがある。
無理をさせればたちまち体を壊して行動不能になるのは目に見えている、それが原因であの子が巻き込まれたようなものだ。
最低の行いなのは自負している。恨むなら恨むといい、憎むなら憎めばいい、どう非難しようが蔑もうが構わんさ。背負うべき責任は負うつもりだ。
あの子は筋金入りの頑固者の目をしていた。例えあそこで突っぱねても自分勝手に動くだろう。
危ういものだ、あの眼は子供がしていい色じゃない。放っておいたら、きっと無自覚にとんでもないことをしでかす。」
「だからあの子の傍にくっついて、危なくなったらすぐ助けに入るんですか。お人よしですね。」
サーシャはくすくす笑う、久遠もつられたのかニコニコ笑った。
「言うな、性分だ。」
苦笑して洞爺は水を飲み干すと、無意識にポケットの手を突っ込む。ポケットに手を突っ込んで静かに考え始めた彼に、サーシャは内心心が痛んだ。
現実は彼女が考えているほど甘いものではない。そうやってなのはの言葉を否定するのは簡単だ。
だが、彼女の言葉を否定することはできなかった。なぜなら、サーシャ自身も、いつの間にかそんなモノになっていたのだから。
これまで最低の行いだとおもっていた行為を、平気でこなせるように。今、彼を騙しているように。
自分が彼と共に行動しているのは、彼のサポートという意味もあると同時に監視という意味も持っている。
どんな経緯があろうとも、彼も異邦人の一人に過ぎない。そんな人間を無条件で信用することなどできないのだ。
さらに付け加えれば、月村が巻き込んだも同然の本当に無関係なイレギュラーである。
そんな彼はこの事件の中で、件の問題元とのあいだになかなかおいしい立場と関係を手に入れる。利用しない手は無かった。
今回の事件で月村家は、彼を利用している立場にある。彼のバックアップと引き換えに、彼が手に入れる情報を入手しているのだ。
何かあった場合は切り捨てろ、そう冷酷な命令すらも受けている。失っても懐が痛まないどころか逆に潤う彼はとても使い勝手の良い捨て駒なのだ。
「俺には俺のすべきことがある。あの子にも、あの子のやりたいことができている。それを邪魔する権利は、俺には無い。」
「ダメだったら?」
「その時は俺たちが拭ってやればいい。子供の尻拭いは大人がするものだ。」
「都合のいいことで。」
「人間というのはそういうものだよ、程度はあるがな。」
自信満面に洞爺はにやりと笑う。彼もそんなことは百も承知なのだろう、そのための準備も万全だ。
「月村に伝えておいてくれ。戦いの事は任せておけ、だからそっちも頼んだぞ。戦いは前線だけではないからな。」
その笑顔に、サーシャは胸に辛いものを覚えた。彼は自分を信用してくれているのに、自分はそれに背いているのだ。
彼は月村家を信用しているのに、月村家は彼を騙しているのと同意義なのだ。
無論これは必要悪だという事は解っている、元々パッと出の彼を信用するなど月村の体面的にも出来ることではない。
知らない連中から見れば怪しさ満点の元少年兵を簡単に信用してしまう異様な光景でしかないのだ。
互いに利用し合う立場で、信用など無い間だったらどれだけ楽だっただろう。もっと割り切ることができればどれだけ楽だったか。
{なぜなの?どうして、こんな扱いが出来るの?}
だが彼女は未熟だった、軍人としても、その道を生きる者としても、例えアフガニスタンという地獄を経験してもなお変わらなかった。
割り切ることは不可能だった、今、自分は彼を裏切ることなんてできない。同じ軍人として、人として、彼を尊敬してしまっている。
たった一人、特殊な力も持たないのに、この世界に生きる人間でも無いのに、ただ一つの意志を持って銃を握る。
その家の人間の定め、宿命、そんなしがらみでは無く、自分自身の強い意志を持ち、護るべきもののために命を掛けて戦う。
きっとどんな相手だろうとも自分の折り合いがつけば損得勘定などせずに銃を握り、それを構えてたち向かうだろう。
たった一人でも最善を尽くして戦いに挑む彼は、今まで逃げてきた自分にその姿がどこまでも眩しくて力強く見えた。
最善を尽くすために準備を怠らないその後ろ姿に、どこまでもついて行きたくなる。隣に立ち、共に歩みたいとすら感じる。
なのに現状がそれを許さない。ひどい世の中だ、サーシャは久しく付いていなかったロシア語の悪態を内心でつぶやいた。
「そうですねぇ。すみませ~ん、ご飯のおかわりいいですか~~?」
「畏まりました~~」
「良く食うなぁ、食いすぎると運動してても太るぞ。」
「妖怪はあまり太りません。」
「羨ましい体だな、だが食い過ぎて動けんようになるんじゃないぞ?」
食わなければやっていられないですよ、と内心で愚痴る。
そんな内心を知らない彼は穏やかにそう言うと、再び活気のある外へと目を向けた。
平和な町の交差点を見る彼の目は、とても幸せそうだ。
実際幸せなのだろう、この平和に満ちた光景が、渇望していたそれがここにはあるのだから。
そんな彼を横目に、高校生くらいのバイトらしいウェイトレスからご飯の皿を受け取る。
だが次の瞬間、焦燥と驚愕に満ちた表情で振り返った洞爺の叫びにその平穏な空気が吹き飛んだ。
「伏せろ!!」
唐突な、そして子供が出すにはあまりにも大きな声に店内に響き渡る。
ステーキを一切れ差したフォークを片手にびっくりしたサーシャは、その時初めて店内の違和感に気付いた。
店内に自分たち以外誰もいない、先ほどまで居た残り香と人気がするのにいない。
次の瞬間、一斉に割れるファミレスのウィンドウと目をくらませる黄色い閃光にサーシャの意識はぷっつりと途絶えた。
あとがき
どうも、作者です。今回はつなぎみたいなもんです、各キャラの内心や行動と周囲の状況ですね。
そこ、うちの忍ちゃんはこんなんじゃねぇとか言うな。所詮主人公的役割はぽっと出でしかないんだから。
事実上の孤立無縁は仕方ないのですよ。それを許容してしまった彼もまた問題ありな訳ですし。
町はそれなりに復興しましたが、学校がマズい。少なくない犠牲者が出た分傷跡が深いです。
今回も飛び飛び描写で済みません。何とかしなければなりませんね、今後の課題です。
これからもこの未熟で拙い作品をどうかよろしくお願いします。by作者