戦争はなくならない、どれだけ愚かなことを知っていても、それは時代と共に激化する。
古来から、いや人類は誕生してからいつの時も戦いに明け暮れてきた。
人類の歴史とは、戦いの歴史そのもの、歴史が血であふれない時はない、戦いで血が流れないことなど無い。
そしてその理由に、何一つ綺麗な物は存在しない。
戦争の理由など昔から変わらない、利権のため、命のため、覇権のため、理想のため、正義のため、
昔から変わらずどれもこれも呆れることすら馬鹿らしくなるほどの理由だが、それだけあれば事足りる。
古代、中世、近世、歴史の中に戦いのない時代は存在しない、存在すれば、それは人間の歴史ではない。
戦争は続いている。近代兵器を手にし、海も空も手に入れた人間たちの手によって。
いつから人間は争うようになったのか、そんなもの例え原始人に聞いたって解るまい。
戦争はなくならない、無くなることなどあり得ない。それが解った時には、もう遅かった。何もかもが遅すぎた。
1941年、大日本帝国はアメリカ合衆国に対して宣戦布告、真珠湾を奇襲し火の海に変えた。
その後半年にわたり日本軍は破竹の勢いで進撃、太平洋を制圧していった。
誰もが『戦勝』という言葉に浮かれ、冷静さを保つ人間の注意も聞かずに浮かれ上がっていた。
だが1942年6月5日午前7時23分、その怒涛の進撃も終わりを告げる。
南雲忠一中将率いる第一航空艦隊は、ミッドウェー近辺において発生した戦闘『ミッドウェー海戦』にて、
主力空母であった赤城、加賀、蒼龍、飛龍、および多くの航空機を喪失、
対してアメリカ海軍の喪失は空母ヨークタウンのみ、致命的な大敗北を喫した。
それ以降、戦況は逆転する。
元々日本陸海軍には余力は無い、中国との戦争で疲弊し、物量や国力もアメリカと比べれば蟻と象だ。
1941年から開戦して半年、破竹の勢いで戦勝できたのは僥倖だろう。だがそれまでだ。
無理に無理を重ね、兵士の熟練性で物量を埋めていたに過ぎない。計画されていた戦略も短期決戦を目標としていた。
その前提が崩れた、主力空母を失った以上戦略を根本から見直さなければならないはずだった。
しかし、軍部はそれを怠った。それが全てを左右したのだ。
それに拍車をかけるように陸海軍ともに付きまわる将校の年功序列主義、
おかげで山本五十六海軍大将の戦死した後は古賀峰一が指揮権を持つ。地獄の門が開かれたのだ。
米軍の反撃が始まって、最新兵器の自動小銃やVT信管付き対空射撃の弾幕が前線にこれでもかとばかりに出現した。
まさに技術力と国力のあるアメリカだからこそできる技、最新の兵器とそれを湯水のように兵士に与えられる国力があってこそのモノだ。
比べてこちらは諸外国と同じボルトアクション式小銃に対空砲は時限信管。加えて補給線の脆弱さが仇になった。
アメリカ軍潜水艦の妨害で補給を乗せた輸送艦はことごとく撃沈され、前線ではすべての物資が不足した。
武器弾薬や車両の部品に燃料は当然、医療品や食料も全て。
人員の補給も悪癖をさらけ出した、ガタルカナルでは一木支隊、川口支隊、熊大隊を個別に逐次投入し壊滅させた。
戦力を過小評価し、情報収集を怠って、あげく自軍を過大評価し過ぎた。
大戦力の目の前に戦力を小出しし、すりつぶしてしまったのだ。軍に垣間見える悪癖の一つだ。
そこにも拍車をかけたのが我が海軍の良いのか悪いのか解らない習性だ。
日本の潜水艦は輸送船を狙いたがらない、戦闘艦艇にはすぐ食いつくが輸送船には見向きもしない。
輸送船の護衛も二級線の旧式駆逐艦を配備しただけの脆弱な代物、どこから見ても叩き放題だ。
補給もままならず装備が不足した各地守備隊を、アメリカは潤沢な補給に人員を動員して文字通り押しつぶした。
多くの空母、多くの戦艦、多くの巡洋艦、多くの駆逐艦、多くの潜水艦、そして無尽蔵の航空機に人員、敵はまさに無限のように戦力を持っていた。
それらが最新の兵器で武装してこちらに上陸を掛けてきた。
ガタルカナル、クェゼリン、パラオ、フィリピンは言うに及ばず、善戦したペリュリュー島や硫黄島も最終的には落ちた。
アメリカの物量は凄まじかった、だが同時に『予想通り』と納得できる光景だった。
前提は破綻した、だがそれでも戦うしか道はなかった。
どれだけ負けが濃くなろうとも、どれだけ戦友を失っても、『勝利』を信じる以外道がなかった。
戦争とは残酷だ、戦争は負ければ『悪』勝てば『正義』だ。どれだけ理由が『正論』でも、負ければそれは『間違い』となる。
結局は勝てば何もかもが許される。論理的な人間はそれを暴論だと言うが、それは世界を見ていない。
世界は『弱肉強食』時代のままなのだ。時代によって姿を変えてもそれは変わらない、弱いモノは死ぬしかない。
弱いモノがどれだけ吠えても、強いモノはそれを力で全て押しつぶしてしまうのだから。
正義は勝つ、否、勝った方が正義、元よりこの世に正義は無いのだ。無いモノを求めても手に入る訳がない。
やがて各地の戦線との海路も、機雷と機動艦隊に封鎖され、ついに武器を作る資材さえもなくなった。
同盟国もドイツは降伏し、イタリアは降伏した後こともあろうか連合軍に寝返った。
日本は多くの兵士を失い、艦船を失い、領地を失い、今まさに全てを失う寸前だった。
度重なる空襲、工場を焼かれ、畑を焼かれ、家が焼かれ、人が焼かれて行く。
誰もが『何故戦争なんか始めた?』と叫ぶ、『もう止めてくれ』と叫ぶ、だが戦争は終わらない。
戦争の狂気は軍と政府を一種の狂気に誘う、戦争とは勝った方が正義の旗を掲げられる事など承知の上だからだ。
日本も敵国であるアメリカも同じ、『勝てる』と思い戦争、『負けるものか』と思い戦争、それが逆転しても戦争。
誰もが正義となり、誰もが悪となる、それが戦争。
戦争は終わらない、無くなることはない、ここに人間という存在がある限り。
プロローグ
1945年太平洋戦争末期・沖縄
はっきりしない意識の中、『大日本帝国海軍陸戦隊』沖縄根拠地隊所属、斎賀洞爺中尉はゆっくりと目を覚ました。
見慣れない洞窟の天井と、遠くから聞こえる砲声に僅かに首をかしげる。
{ここは・・・どこだ・・・・?俺は・・・格納庫に追い詰められていたはずだが・・・}
格納庫に追い詰められた所から記憶が消えている、もしかしたらあのあとどうにかして切り抜けたのかもしれない。
肝心のその記憶がまったくないのだが、生きてる以上何とか切り抜けたのだろう。
{この砲声、九六式か。それに、塩の匂いが強い、となると・・・ここは・・・}
「ぐぅっ・・・・・」
右肩に走った激痛に思考が途切れる。目をやると、真新しい銃創から血が滲み出始めている。
{とにかく、傷の手当てせねば・・・}
血まみれの体を見降ろし、手元に落ちていた雑納を緩慢な手つきで漁る。
しかし、出てきたのは空の消毒薬の瓶だけだった。他には何もない。包帯すらない。
「死ぬのかな、俺は・・・」
空の瓶を投げ捨て、洞爺は嗤った。力無く洞窟の壁に背を預け、右手に握る九九式短小銃のボルトを引く。
固定式弾倉に残っている弾薬は二発だった、撃ち合える量ではない。
拳銃もあるが、すでに弾倉は空だ。まるで自分の装備が国を表しているようだ、まどろみから覚めた思考がふと思う。
{・・・・砲声が、止んだ?}
壁に寄りかかり外の音に耳を澄ませる、するとさっきまでの轟音が一つ消えていた。
撃ち尽くしたか?それとも・・・・
「いや・・・・弾切れだな。」
もしやられたのなら今頃自分も敵に囲まれているだろう。
それがない以上砲弾を撃ち尽くして撤退したと考えるのが妥当だ。
ボロボロの榴弾砲は全てを撃ち尽くし、味方は撤退したのだ。
「奴らも良くやる、敵がもう目の前まで――――っ!」
体中の銃創や裂傷が激痛を発し、洞爺は苦悶の表情を浮かべた。
歪む視界の中で、右肩の物だけでなく体中の傷から血が流れて行くのが見える。
「いてぇな。」
実際は口に出すほど痛くは無い。もはや痛覚は麻痺してしまっている。それでも口にするのは、傷を自覚するためだ。
胴体に開いた無数の銃創から血がチロチロと流れ出るようすを見て、自嘲気味に笑う。
{よくもまぁ、ここまでやられて生きてるもんだ。}
中国で戦い、ミッドウェーでガタルカナルで戦い、今までずっと戦いに明け暮れていた。
ここでもそうだ、敵を撃ち、斬り、燃やし、殴り、噛み殺した。
戦車を壊し、戦闘機を落とし、爆撃機を落とし、野戦砲陣地を襲撃し、敵の部隊を撃滅し、
銃器を奪い、弾薬を奪い、砲を奪い、車両を奪い、食糧を奪い、命を奪ってきた。
その過程でどれだけ多くの傷を負った事か。
「ほんと、俺なんでまだ生きてられるんだろうなぁ?」
体中に銃創を穿たれて、左腕は皮膚が焼け爛れ、左目は潰れて血の涙を流す。
これではまるで化け物だ、撃たれて死なないなどそれ以外なんと言えよう。
体中の傷から血液が流れて血だまりを形成していく、体中から自分の命が失われて行く。
まだ死ねない、まだやることが残っている、そう心が叫んでいる。だが、その叫びに体が答える事は無い。
「これからの未来は、平和になるんだろうか・・・・?」
痛覚が鈍り、鈍痛となった痛みが消えることのない意識の中で洞爺は思った。
「見たかったな。」
ただ純粋に見たかった。どんな平和になるのか?それは俺たちが望んだ平和になるのか?ただ知りたかった、見たかった。
「くくっ、ははは・・・」
口元に嗤いを浮かべ、自嘲しながら冷たい洞窟の天井を見上げる。
この溢れそうな想いがなんなのか、どんなに問いかけても誰も答えてはくれないだろう。
「平和、か・・・」
もはや無くなった夢が蘇る。もう潰えてしまった、あの夢がまた脳裏によぎる。
馬鹿馬鹿しいまでに純粋で、哀れに思うほど世間知らずで、眩しい位にまっすぐな夢。
若い世代のみに許された、自分のような汚れきった人間には届かない理想。
そもそもそんなものは最初から存在しなかった。最初からないモノに手を伸ばして、掴めるはずがないのは道理だ。
だがそれでも見たかった。バカなことだとは解っている。だが見たかった。
夢見ていた戦争の無い世界が、平和になった祖国が。人種の壁を乗り越え、共に笑い合える世界を。
だが、そんなものはただの理想論にすぎない。ただの甘い夢なのだ。
人間とは、結局そういう生き物でしかないのだから。虚しい響きだ、この戦いの向こうにあるのは仮初めの平和だ。
ここで戦い、散って逝った者達が守った大切な存在達が造るであろう一時の平穏。自分達の手が届く事のない、とても大切な時間。
けれど、そんな平和がこの世界ではとても貴重で大切な物。誰もが普通だといい、不足だと言う。だが、それが『平和』なのだ。
自分は、それを見たかった。もう見れなくなったヤツらの代わりに見たかったのだ。
「見たいか?」
「誰だ?」
洞穴の中に響く声、けれども聞いたことのある声のする洞窟の奥に洞爺は鋭い視線を向けた。
だが、その目とは裏腹にもはや九九式を構える力さえあるか微妙な所だ。
それを知っているかのように、声の主は悠然と洞窟の闇から姿を現した。
「また会ったの、若いの。」
「ああ、居酒屋のあんたか・・・」
「居酒屋の、で固定かい。」
そこに居たのは沖縄での戦いの前に入った居酒屋で一緒に酒を飲んだドイツ系の爺さんだった。
実際にドイツ風居酒屋の経営者でもある。バーでいいはずだが、煩い奴がいるのでそうなったのだ。忌々しい。
「まだ逃げてなかったのか?」
「生憎、便を逃してしまってな。まだ予定はあるかい?」
「最後の便は行ったよ。もう離着陸の予定はないな。」
「それは残念だな。」
老人はこともなげに言う、全く動揺していない。逃げ遅れたのなら錯乱して殴りかかってきてもおかしくないのだが。
もしかしたら、もはや逃げ切れない事を悟ってしまったのかもしれない。
いやそうではないな、洞爺は彼の背中に感じる不釣り合いなオーラを見て思った。この爺はいつものことだ。
「今ならまだ間に合う、首里城まで行くといい。市民が避難しているはずだ。
もしくは米軍に投降しろ、いくら米軍でも一般市民には何もしない。俺としては、後者をお勧めするね。」
「おや、ずいぶんな物言いじゃな。」
「今の沖縄に、勝ち目はないからな。何かとんでもない作戦や、新兵器があれば別だが。
爆撃される方と爆撃する方なら、後者の方がいいに決まっている。」
「おや、さっきまではする方じゃったじゃろ?」
洞爺の諦めと希望的観測に、爺さんはやや苦笑いで答えた。
「勝てる自信はないのかい?」
「勝ちに行こうとは今でも思っているがね。生憎、俺は――――」
洞爺は途中で言葉を詰まらせ、ゴホゴホと何度も咳を繰り返した。
咳のたびに口の中から血が噴き出し、地面を汚した。
「『大和魂があれば勝てる』なんてふざけた将校様とは違ってね。だから、こうして今でも中尉止まりだ・・・・
さっさと行くといい。首里城か米軍、どっちに行くかは自由だ。」
「行っても良いがの。中尉、あんたも一緒じゃ。」
爺さんは洞爺の傍で片膝をつくと右手を差し出す。それを見て洞爺は小さく微笑むと、手を払いのけた。
「俺はここに残る。」
「こんなところで死ぬ気か?死ぬならこんな固い洞窟じゃなくてもよかろうに。
それとも何かの?まさかわしがあんた程度をおぶれないとでもおもっとるのか?」
「俺には、寝心地のいい布団の上で死ぬ資格など、ありはしない。あんたに運ばれる、権利もな。
意外と気持ちいいもんだぞ、地面に大の字になるのはな。」
「そんなのは平和な時にやってこそじゃろが。なぜ、そこまでして戦う?」
何故だと?爺さんの問いに洞爺は笑って答えた。
「あんたたちのような高尚な理由などないさ。戦わなければいけないから、だから戦うんだ。」
「何故戦う、戦いの向こうに何がある?」
「別の戦いだ、その向こうも、その先も、終わりはないだろうな。」
「そこまで悟っておいてどうして?もうあんたに戦わなければならない義務なんて無い、それでは死ぬだけじゃ。」
洞爺は爺さんに目を向けた。やはりというべきか、爺さんの目はとても澄み切っていてとても輝いていた。
それこそ、本当に忌々しい位に。
「犬死と言いたいか?」
「他になんの言い方がある。」
「俺は自ら望んで軍人になった。」
「だからなんじゃ?」
「俺は、自分の意志で戦う道を選んだ。俺は、いつも自分の意志で戦ってきた。
だから最後まで、自分の意志を貫いて戦い続けなければならない。
戦いを捨てる事も、逃げる事もしてはいけないんだ。逃げたら、俺はあいつらを裏切ることになる。
それだけはしたくない、だから俺の居場所は『ここ』だ、生きている限りな。」
「だが、あんたが欲しかった居場所はここじゃないはずじゃぞ。
戦い、血に染まり続ける事、それが贖罪にでもなると言うのか?もう良いじゃろう、もうそんなものは握らんでよいのじゃ。」
爺さんは九九式短小銃に手を伸ばして掴む。
「・・・・あんたには解らんよ。それにこれは贖罪じゃない、これは俺の意志だ、我儘だ。」
洞爺はその手を払い九九式を抱き寄せた。銃身の冷たさを頬に感じ、ムスリと爺さんを見上げる。
ふざけるな、優しい光に満ちた爺さんの両目はそう語っていた。
「愚かだと思うか?そうだな、あんたから見れば滑稽に見えるだろう。」
「だが――――」
「俺はもう決めたんだ、この国の平和を守るってな。」
爺さんの言葉に被せ洞爺は言い切る。最後は自分に対して言っているようなものだった。
脳裏に懐かしい思い出が次々とよぎり、洞爺の胸の奥に熱い物が沸き上がってきた。
泣く事は出来なかった、ここで泣く意味など無い、泣くことは許されない。
いや、そもそもこの感情は悲しみなのだろうか?洞爺にはもう解らなかった。
「なに、自分から死ぬ気などさらさらないから安心しろ。運が良ければまた会えるさ。」
「・・・・もう戦争は終わるのじゃぞ。」
なぜだ?爺さんの視線が語る。その視線に、洞爺は苦笑した。
「何か勘違いしているな。確かにもうすぐここの戦いは終わるだろう。
海軍の艦は沈むか陸に乗り上げ、陸軍は戦車はブリキで砲は豆鉄砲、武器弾薬は作れず、石油も底をつき、まともな兵隊も雀の涙だ。」
「じゃから―――」
「だがな。」
爺さんの言葉に大きく言葉をかぶせる。
「停戦協定は結ばれたか?終戦は?降伏は?どれでもいい、一つでも行われたのか?いや、まだ行われていない。
まだ終わっちゃいない、終わってない、終わらないんだよ、戦争はまだ終わってないんだ。」
「だから殺し合うというのか?親友と殺し合うのか?」
「奴も軍人だ、覚悟は出来てるさ。」
洞爺は微笑んだが、体中から悲鳴と激痛が走り、笑みは苦痛に変わる。
「俺と一緒に居たら、殺されるかもしれん。早く行け。俺が派手に暴れりゃ、そこから逃げてきたって名目も立つだろうしな。」
「じゃが、それでは未来は見れんぞ。」
爺さんの言葉に洞爺は首を横に振った。俺にはもう無縁だ、と洞爺は嗤った。
すると、爺さんはなにやら策ありげな表情をした。どこかで見たような、懐かしい表情だ。
「とっておきを教えようぞ、わしは魔術使い、つまり魔術師じゃ。
わしの力を使えば、あんたを未来に飛ばしてやることもできる。飛ばすだけじゃがの。」
「魔術師か・・・お目にかかりたいものだ。」
「あんた・・・まだ信じとらんな?」
「ああ、信じとらんな。」
「遊んどるじゃろ。」
「何のことやら?」
爺さんの疑問に洞爺はわざとらしく返す。懐かしいやり取りに、洞爺はふと感慨深げに首を横に振った。
「今だから白状するが、苦手なんだ。その手のものは。」
「ほほぅ、それまたなぜ?真似事でもして笑われたか?」
「合わんのさ、俺はその手の話とは相性が悪いんだ。」
とげのある洞爺の言葉に、なるほど、爺さんは頷く。
「懐かしいな・・・・爺さんと一緒に飲んだ酒・・・もうずっと昔に思える。
覚えてるか?あの時、部下の穴山が飲み過ぎてな。あの騒いでた若造さ。
帰った後ケツバットだったんだ。まったく、あれほど飲み過ぎるなと注意しておいたんだがなぁ。
本当に、元気で明るくて前ばっか見てた若造だったよ。本当に・・・・」
「・・・あんたは死ねんよ。」
「なに?」
過去を懐かしんでいるときに爺さんが何かつぶやいた気がした。
洞爺が振り返ると、そこには爺さんはいつも通りの自信ありげな笑顔をしていた。
「死なせんと言ったんじゃ。残念じゃが魔術師は貪欲でな、あんたが嫌がっても未来に飛ばさせてもらうぞ。」
「はは、それはまた自己中心的な考えだ。」
「結構じゃ、出来ない善よりやる偽善じゃよ。なによりあんたには大きな恩がある。」
この爺さんは何を言っているのか分からなかったが洞爺はあまりいい予感はしなかった。
「爺さん、俺はもう良いんだ。俺はここで戦い、これからも戦い続ける。
早く行くといい、ここらの海兵隊は全部壊滅させたからな。今なら近道できるぞ。」
「やらかしたな、またあんたは。」
「あんたらは、だろ?部下を忘れないでほしいね。」
「あんた一人でも余裕じゃないかい?嘉数じゃ相当暴れとったじゃろう?」
「阿呆が・・・数は偉大だぞ?」
洞爺はどこか吹っ切れたようにケタケタ笑う。生き残りを引きつれて、最後の抵抗に出たのがとても懐かしい。
歩兵、砲兵、戦車兵、工兵、憲兵、飛行兵、整備兵・・・・
負傷者や市民、負傷者を介護するひめゆり隊の生存者を逃がすため、それだけのために集まったたった359人。
自分を含めて360人の混成部隊、たった360人の精鋭部隊。戦いが終わったのはほんの数時間前の事だ。
2週間、長くも短くも感じた2週間、考えてみれば、最初は鹵獲M4と整備不足で不調な三式砲戦車と何とか復元した3機の戦闘機だけだった、それだけで良くここまで戦ったものだ。
「もういいんだよ。さっさと行け、ここは俺達の戦場だ。あんたが死ぬべき場所がなかろう。」
「・・・変わったな、お前さんは。」
「変わるさ、この世に変わらないものはない。」
洞爺はそう爺さんに言い捨てる。すると、肩に鈍い感触を感じた。爺さんが洞爺の肩を掴んでいた。
爺さんは首を横に振る。行くな、と彼の目は告げていた。
「生憎じゃが、あんたにおごってもらった酒の借りは、無理やりにでもここで返そうぞ。
未練がないならいいじゃろう?どうせならば、人生をやり直したらどうじゃ?」
「俺は戻れんと言ったはずだが?」
「ああ、だからあんたは向こうで新しい人生を送るんじゃよ。戦いなんぞ無い、人並みの平和な人生をな。」
平和、か・・・・爺さんの言葉に洞爺は頭の中の何かが落ちたような感覚がした。
そして、なぜかおかしくなってきた。爺さんは洞爺の姿勢をただすと、小さな杖のようなものを取り出し何やら呪文を唱え始める。
すると洞爺の包むように三角形の魔術術式が現れ、淡い緑の光を放ち始めた。
淡い光は粒子のようになり洞爺の体を癒すように覆い、洞爺の体に触れる。
しかし、彼の体に触れた途端光の粒子は弾け、術式は不安定に点滅して消えた。
「むぅ・・・・」
爺さんはやはりとでも言うように唸り、また新しい呪文を唱え始める。
まるで小説のような光景に洞爺はまた笑いがこみ上げてきてむせる。
海兵隊相手に暴れるのもいいがおかしなことにまた足を突っ込むのも悪くないかもしれない、そんな気がしてきた。
「新手の漫才か?これは。」
「魔術じゃ。」
「手品だろうが。相変わらず、シレッと冗談を言いやがる。しかし、良くもまぁ手の込んだ仕掛けをしたもんだ。」
貧血で正常な思考ができなくなってきた洞爺は笑う。
「悪いが、あんたはまだ平穏に生きて『幸せ』になる権利がある。
なに、気負いせず気楽に行ってこい青年よ。向こうにはワシが話を通そう。
今は解らずとも、じきに答えは見えてくるじゃろうて。」
「ははは・・・絶対に嫌だ。そういうのは近所の子供たちにやってやりな。」
洞爺はいつも通りの微笑みを浮かべ、全力の否定を爺さんに言い放った。
馬鹿馬鹿しかった、馬鹿馬鹿しくて懐かしくて涙が出る。
「さっさとどっちに行くか決めろ。
長いことここに居ると、そのうち火炎放射器を突っ込まれるか手榴弾を投げ込まれるぞ。それとも・・・」
洞爺は爺さんに小銃の銃口を突き付けた。腰だめに構えた銃口が爺さんの額をぶれる事無く捉える。
「ここで俺に殺されるか?変な真似はしないでくれ、あんたを殺したくない。」
「撃てるのか?」
撃ってみろとばかりに爺さんは両手を広げる。
「撃つさ。」
躊躇い無く言い切る。実際撃つことに躊躇いはない、誰が誰であろうと殺せる。
殺しは嫌いだが、やらなければならないのならやる。
「悲しい事じゃな、あんたともあろうものが。」
「あんたは過大に評価し過ぎる、俺はあんたの考えているような人間じゃないという事だ。」
爺さんは哀しげに言うと両手を上げた。
「それでいい、あんたは速くここから逃げろ。いくら魔術師でも物量の差は埋められんだろう・・・」
茶化すように言い洞爺は銃を下ろした。途端、意識と視界がぐらりと揺れた。
失血がとうとう危険な域まで達したらしい、意識が遠のくのが手に取るように分かる。
「―――――・・・・?」
声が出ない、ただ空気が漏れる音だけが聞こえる。首を触る、なんともない、胸を触る、穴があいている。
アメリカ兵のM1カービンに開けられた銃創だ。もっと小さかったはずだが、触れている穴は少々大きい。
銃創など大小かまわず体中に開いているが、その中でも一番大きいのではないか?
「・・・・ぁぁ。」
唯一無事な右手で穴を抑えるとようやく声が出た。どうやら本格的に肺に穴が開いたらしい。
どれだけ息を吸っても吸った気がしない。ただでさえ肺の機能が低下しているのに、空気が穴から抜けてまともに溜まらないのだ。
軽い衝撃を感じた時には、仰向けに倒れてしまっていた。
暗くなる視界の中、爺さんは困ったように微笑んだような気がした。
「眠るといい、そのほうが楽じゃしの。」
「はぁ・・・相変わらずだ、あんた。すまんが、火をくれないか?マッチが全部湿ってるんだ。」
絞り出すように言うと、洞爺は胸ポケットから最後の煙草を取り出して口に咥えた。
爺さんがその煙草に杖先に火を灯して煙草に火とつける。
火のついた煙草を大きく吸い、最後の煙草を咥えたまま煙を吐き出した。
紫煙で肺が焼けるように痛む、それがなぜか気持ち良かった。
「すまないな。」
洞爺は微笑み、重たくなった瞼を閉じた。
体の力が抜けていく、体がどこかに堕ちていく、空中を落下するのとは違う、体が動かない、堕ちて、堕ちて堕ちて堕ちて・・・
{確かにこれでは無理だな。もう少し、休もう・・・・}
そして、斎賀洞爺は眠気に身を任せた。