幻想郷にはリアルメイドが存在する。見えそうで見えないミニスカを履き、メイド服のそこかしこナイフを隠し持つ見た目二十歳の銀髪美人さんである。広い館の隅々までを一人で清掃し、主の添い寝から買い出し料理戦闘までそつなくこなす瀟洒な完璧超人だ。
ついでに言えば独身。その名も十六夜咲夜。
咲夜は基本スペックが高い人間だが普通にやっていては膨大な仕事は到底こなせないため、時を止めて仕事をしている。休憩も時間を止めてする。以前聞いた所によると一日三十時間ぐらい働いているらしい。ハードってレベルじゃない。
フランが私の元に来てからは二十五時間程度に一度減り、フランの帰還で二十七時間になり、フランが連れて来たルーミアの従者教育が加わり現在三十三時間。
咲夜は犬だもんね。こき使われるのは仕方無い。本人も今の職場満足してるみたいだし。
そしてここからが本題。
一日三十三時間も働いていれば三食では足りない訳で、仕事の合間にちょっとした間食をとる。パフェ作ってみたりドーナツ食べたりクレープ食べたり。甘い物ばっかだけどそこはまあ女だから仕方無い。
今までは摂取した糖分は仕事でせかせか動いて消費していたが、ルーミアが来てから従者教育に時間を取られる様になったものの手分けして仕事をするようになったので実質的な仕事時間は減った。ところが勤務時間は長くなったので腹は空く様になり間食は増え……
つまりあれだ。
「太ったんだね」
「無駄な脂肪がついただけよ」
ズバリ言うと咲夜は無表情で答えた。
紅魔館の大図書館。紅茶カップを片手にパチュリーと賢者の石の純度を上げる魔法理論の構築について話していると咲夜が相談に来た。メイド服で誤魔化されているのかも知れないが、腰回りは言うほど太く見えない。とすると……
「胸を見ないで」
「あ、ごめん。その中には脂肪じゃなくて夢が詰まってるんだったね。と言うかそもそもなんで私に聞くの?他に居るでしょ、知識人が目の前に」
「いえ、パチュリー様に尋ねたら、」
「痩せ方より太り方を知りたいわ」
「……とおっしゃったので」
パチュリーは羊皮紙を片手に指で羽根ペンを弄びながら言った。病弱で食が細いパチュリーは体も細い。魔法使いは捨食と捨虫の魔法が完成した時点で原則体型が固定されるから、ふとましいパチュリーを見る日は来ないだろう。
「なら永琳の痩せ薬とか」
「一日一粒で見る見る痩せるっていう、あの?」
「そう。……改めて聞くと怪しいキャッチコピーだよね。効果は本来にあるらしいけど」
「それなら売り切れてたわ」
「あ、そう」
買いに行きはしたのか。
永琳は花の異変で薬の材料はわんさと溜め込んだはずだけど、慈善事業じゃないから余計な薬はあまり作らない。風邪薬や傷薬だけ売っていれば充分収入は確保できるのである。幻想郷に薬屋は一件だけだから競争相手を警戒する必要も無い。
「じゃ、普通に運動すりゃいいんじゃないの?食事減らすとリバウンド怖いし」
「仕事以外の運動すると甘い物が食べたくなるから、無限ループになりそうなのよ」
面倒臭っ!
「我儘だな……ああそうだ。イチジク、人参、サンマの尻尾、ゴリラの肋骨、菜っ葉、葉っぱ、腐った豆腐を煮込んで食べれば痩せるらしいよ」
「本当に?」
「いや嘘」
冗談のつもりで言ったのに信じられかけたので否定した。裏切られた!という顔をする咲夜になんとも言えない気分になる。このメイド、普段パーフェクトなくせにたまに惚けた反応をするから困る。
実際下痢で痩せるかも知れないけど下痢メイドとか無いわ。瀟洒の気配が欠片もしない。サル目ヒト科ヒト属メイド、兼犬。常に完璧な体型を保つのも咲夜の宿命……なのか?
ううむ。マレフィに聞くのもパチュリーと同じ理由で無駄だろうなぁ。この前、前を横切った小悪魔を突き飛ばして歩こうとして逆に突き飛ばされ尻餅をついていた。貧弱だ。
マレフィ、パチュリー、永琳×。私も痩せさせる能力は無い。残る便利な奴と言えば……紫か? いや、無いな。ゆかりん、私痩せたいの!なんて咲夜は言えないだろう。仮に頼んでも紫の事だ、からかうだけからかって結局何もしない気がする。
そもそも幻想郷の住民で太ってる奴なんて見た記憶が無い。基本的に妖の類は太らないから……あ、そうだ。
「早苗に相談してみたら? 外の世界の無理の無いダイエット法色々知ってると思うよ」
年頃の娘さんだし。
「早苗?」
「新しい神社の風祝の名前」
咲夜はふむ、と頬に手を当てて思案し、音も無くその場から消失した。大図書館は途端に静かになる。パチュリーが羽根ペンを走らせる音だけが聞こえていた。
言葉からして咲夜はあんまり太ったって知られたくないみたいだけど、ダイエット法を尋ねる時点で贅肉つきましたと喧伝するようなものだという事を分かっているのだろうか?
「レミィはね、」
咲夜は何を考えいるんだろうと考えているとパチュリーがぽつりと言った。
「咲夜をメイドにする時、『常に完璧であれ、瀟洒であれ、忠実であれ。さもなくば消え失せろ』と言ったのよ。咲夜はそれを気にしているのね」
「太ってるメイドは完璧じゃないから?」
「そう」
なるほど。紅魔館を追い出される、と怯えている訳か。しかし言われ観察しても太ってるかどうか分からない程度の肉付きまで気にするか?
「……レミリアはそれ本気で言ったの? 咲夜を手放す光景が想像できないんだけど。いないと紅魔館回らなくなるし」
「昔の話よ。本人も言った事忘れてるんじゃない?」
「レミリアはもう手放す気無いのに咲夜はずっと覚えてて気にしてるのか。少しぐらい肩の力抜いても大丈夫だって教えてあげたら?」
「嫌よ。放置した方が面白いじゃない。白雪、月光に当てる周期は長くした方が良いかしら?」
「面白いってお前……いや、確かに面白いな、うん。月光に当ててる間は作業が滞るから、それをするよりも他の工程に力を入れた方が――」
数時間パチュリーと額を突き合わせていたが、昼頃お暇した。今日は白玉楼にお呼ばれしている。入手経路は知らないが新鮮な鯛が手に入ったらしい。
相変わらず無駄に長い階段を上り白玉楼に着いた。門を潜り砂利道を歩いて勝手に屋敷に向かう。妖夢の出迎えは無かった。料理中か?
玄関でおじゃまします、と一応声を放ってから草鞋を脱ぎ、ひんやりとした廊下を渡って居間の障子を開ける。
中では幽々子が座布団を枕にして仰向けにくうくう寝ていた。腹はぐうぐう鳴っている。傍らに置かれた盆には空の湯飲みと菓子の包み紙が乗っていた。
……ふむ。
腕をとって脈を見る。冷えきった手首は全く脈動しない。着物を押し上げている胸はしかし上下せず、静止している。瞼をそっと開け、手で光を遮ってみたが瞳孔は拡大したままだった。
「綺麗な顔してるだろ。死んでるんだぜ、これ……」
「うらめしやー」
幽々子は私の手を退けてむくっと起き上がった。
「ぎゃあ甦った!」
「わざとらしく驚かないの。いらっしゃい、白雪。でもごめんなさい。あなたの分は無いかも知れないわ」
幽々子のお腹がキュウと鳴る。自分から呼んでおいてそれは無いわ。
「私の分も少しは残してよ。最近鮮魚食べて無いんだからさ」
「……そういえば白雪って美味しそうな名前してるわよね。白餡と雪見大福でしょう?」
「ちょっ」
妖夢早く! 私食べられそう!
幽々子は優雅な仕草で扇子を広げて口許を隠したが、隠す寸前に涎が出ているのを見てしまい何とも言えない気分になる。幽々子は食べるために生きてると言うか食べるために死んでるよね。亡霊なのに喰うわ喰うわ、死んでから健啖になるってどうなの。
「世の中にはほんの少しの体重を気にして甘い物の誘惑と葛藤する奴もいるのにさ。ほんと幽々子は遠慮容赦無く食べるよねぇ」
「死ぬと太らなくなるのよ」
「知ってる。でも体重のために死ぬ奴は居ないよ」
ダイエットの必要があるってのも生きた人間である証拠なのかね。頑張れ咲夜。