マレフィの病気は彼女の祖母が悪魔と契約した事に起因する。若かりし頃の祖母が契約したのはパチュリーが契約している小悪魔の様な弱い者では無く、しばしば伝説に顔を出す高位の悪魔だった。
祖母は悪魔と契約し、莫大な知識と魔力を得る代償に子子孫孫永劫に受け継がれる血の呪いを受けた。その影響でノーレッジ家の者は皆例外無く何らかの病や身体的欠陥を抱えている。
一方でノーレッジ家の者は優秀な能力持ちの割合が非常に高い。能力を抜きに考えても魔力量に優れる。悪魔の契約は魂の契約。能力が魂に由来するものである以上このような現象も起こり得るのだ。
そんなメリットとデメリットを代々抱えていたノーレッジ家だが、マレフィは生まれつき背負わされた病に不満を抱いていた。しかもそれが通常の治療法で解決できない魂に刻まれた病となれば尚更我慢出来ない。
悪魔との契約は呪われた時点で既に完結しており、呪いを解いた所でメリットが消える事は無い。呪いさえ解ければメリットだけが残る。
マレフィは自分の得意分野である魔法薬精製を活かして呪い解除の研究を始めた。
魔法薬の中には魂に作用する物がある。蓬莱の薬も魔法薬の一種だ。
しかし魂に影響する魔法薬の作製は材料集めも調合も並の難度では無く、北欧で手に入る知識と材料だけでは完成は不可能と判断したマレフィは姉の制止を振り切って日本へ渡った。
そして日本へ来て約千年。未だマレフィの病気は治っていない。
「で、どこまで進んだの?」
私は口から涎を撒き散らせて飛び掛かってきたマンドラゴラの根(足)を掴んで引き千切りながら小屋の傍の切り株に腰掛けているマレフィに聞いた。飛び掛かってきたのは一匹だが木々の間から幾つもじっとりした視線を感じる。
「全体的な進捗は85%って所ね。あの子が賢者の石の研究を進めてたから予定よりかなり早まったわ」
マレフィが目指しているのは万病に効くとされる霊薬、エリクシールだ。
マレフィ自身の病のみを治す魔法薬ならすぐに完成するが、一族全員に効かなければ意味が無いらしい。全く身内と友人にだけは優しい魔女である。
マレフィは私が放り渡したマンドラゴラの根をキャッチすると脇の籠に入れた。羽根ペンでメモ用紙に一本横線を引く。ペンの先で頬を掻きながらマレフィは難しい顔をしている。
「後何が残ってる?」
「食人木の雌花、受粉を終えたアルラウネの花冠、満月草の花の蜜」
「全部魔法の森で採れるね」
「森の外の採取はアリスが終わらせたから」
「そりゃ良かった」
「じゃ、よろしく」
私に向けて手をひらひらと振った。
確かにマレフィを連れ歩くより私一人で行った方が早い。かと言ってそれは人に物を頼む態度じゃないと思うんだけどなぁ……
まあいいか。頼めば大体何でもやってくれる便利な奴だと思われてる気がするけど間違ってない。
私は肩を竦め、マレフィに背を向けて木立ちへ分けいった。
食人木の触手を掻い潜って花を分捕り、アルラウネを締め上げて花冠をもぎ取り、探索力を上げて満月草を探し当てた私は戦利品を手にマレフィの元に帰還した。
切り株に座ってうつらうつらしていたマレフィは顔を上げ、私を睨む。
「遅い」
「途中魔理沙に会ってさ、キノコ狩りを手伝ったから」
「……魔理沙?」
マレフィは誰それ、という顔をした。
「あれだよ、古典的魔女ルックの職業魔法使い」
「知らないわ」
「あ、そう」
マレフィは興味が無い奴の記憶は頭から消去するからなぁ……
魔理沙は箒に乗って空からキノコの群を狙い撃ちにしていた。キノコも花も空は飛べないのである。ある程度の高度を保っていれば一方的に攻撃できる。
しかし倒した後は死骸を拾いに地上に降りなくてはならない訳で、魔理沙は倒しても倒しても沸いてくるキノコのせいで地上に降りられず辟易していた。
そこにノコノコ通り掛かる無双神様。
頼まれる、手伝う、解決。
お人好しだと言われたが褒め言葉と受け取っておいた。
戦利品を手渡すと、マレフィは一つ頷いて当然の様な顔で私の袖を引っ張り小屋へ連行しようとする。試しに踏ん張ってみるとあからさまに舌打ちされた。
「こんな薄汚いボロ小屋には入りたくないって訳ね……」
「いや入るよ。確かにボロいけど」
私は肩を竦めて足を動かし、立て付けの悪い戸を潜った。やれやれ、まあ特にやる事も無いからいいんだけどさ。
小屋の中は相変わらず雑然としていた。天井には真新しい焦げ跡、床には薬品の染みで変色した羊皮紙な束。壁際の棚には所狭しと並ぶガラスの小瓶。部屋の中央の大鍋を覗き込むと珍しく空だった。綺麗に磨かれ匂いも残っていない。
「じゃ、よろしく」
「またぁ?」
「手順はあなたの頭でも分かる様に書いてあげるわ」
マレフィは部屋の隅に埋もれていた椅子を発掘してそこに座り、早口で詠唱した。羊皮紙が一枚宙に浮き羽根ペンが紙面を高速で往復する。
自動筆記魔法かな? 昔開発しようか、みたいな事を言っていた記憶がある。
私は書き上がってふよふよ飛んで来た羊皮紙をキャッチした。裏表にびっしりと隙間無く文字が書き込まれている。ざっと流し読みしたが全工程で三年はかかりそうだった。
……三年も拘束する気ですか。
「上二行の工程だけやっとくよ。それなら一時間ぐらいで終わるし」
「……まあいいわ」
マレフィは不承不承といった風だったが頷いた。私は早速調合に取り掛かる。
まずは籠の中から紐でがんじがらめに縛った触手の塊……手乗りサイズのモルボルっぽい植物を鍋に放り込み、杵で押し潰す。ブギュエッと聞き苦しい悲鳴が聞こえたが無視した。
次に棚に並んだ小瓶から何かの緑色の貝殻を投入する。貝殻はモルボル汁に触れるとじゅわっと煙を上げて溶解し、太陽の様な微かに発光するオレンジ色になった。緑に緑を入れてどうしてオレンジになるのか分からん。
異臭を放ち始めた液体にマレフィが魔法で精製した純水を入れて薄め、鍋の下に魔法火を熾す。
後は温度を一定に保ちながらひたすら撹拌だ。掻き混ぜて掻き混ぜて掻き混ぜ続ける。
雑な造りの小屋は隙間風が入るので火を使っていても熱は篭らない。かと言って涼しくも無く、延々同じ動作をしていると眠気が襲って来る。
私は頭を振って睡魔を祓い、暇つぶしにマレフィに話し掛けた。
「いい御身分だねマレフィ。自分は座ってるだけで良いんだからさ」
「…………」
「マレフィ?」
鍋を掻き混ぜる手を止めて振り返るとマレフィは私の頭……正確には髪を凝視していた。
私の輝く美髪に見とれた、とは考え難いからこれはあれだな。青薔薇だ。いつもと違うのはそれしかない。
マレフィは私の視線に気が付くと目を逸した。
「欲しいの?」
「そんな事一言も言って無いわ」
「でも欲しいんでしょ?」
「決め付けないで」
「いや決め付けじゃなくてさ、単なる確認。それで?欲しいの?」
「…………」
沈黙。チラッと私を横目で見る。優しい笑顔を返してあげた。
「……ほ、しい」
「よく言えました」
憮然としながらも頬を赤らめるマレフィの髪に青薔薇をさしてあげた。髪が紫だから青薔薇もあまり目立たない。でも似合っている。
可愛い可愛いと髪を撫でてあげると手を噛まれた。しかし顎の力が弱いのでまるで痛く無い。甘噛みか。
ニヨニヨしながら噛まれていると背後で爆音が上がった。振り返ると鍋から黒い煙が上がっている。
「…………」
恐る恐る目を戻すとマレフィの冷徹な瞳がやり直し、と語っていた。
「無縁塚で紫の桜が咲いたらしいわ」
合計二時間近く掻き混ぜ続けるハメになり、次は絶対に全自動攪拌機か撹拌魔法を開発しようと思いながらぐったりしているとマレフィが呟いた。
薄目を開けて見るとマレフィの周囲に蜂サイズの風の精霊が回っている。風魔法か。こうやって情報を集めているらしい。
「あ、そう」
「何かに使えそうね」
「…………」
「何かに使えそうね」
二度言わなくても分かるわ。ただ二度手間を踏んで気力が減衰して返事をするのがダルいだけ。
「代わりにさぁ……私の血液あげるから止めない? それも使えそうだと思うけど」
「千年ぐらい前に使えないって分かったでしょう。痴呆?」
「そうだった……」
私の血は魔力が濃過ぎて他の材料の魔法的性質を打ち消してしまうらしい。使えねぇ。
「ほら立って。いつまで寝てるの?」
「えー……」
映姫の所にはあんまり行きたく無いんだけどなぁ……説教長いし逃げると神社まで追って来るし。紫も幽々子も映姫は苦手だと聞いている。
「つべこべ言わない。あんた一体今まで何回私の薬台無しにしたと思ってるのよ」
「その分色々手伝ってるでしょー」
「失敗分と合わせて差し引きゼロね」
それを言われると痛いな。しゃーない、今日はこき使われてあげよう。
私は肩を鳴らし、気力を強化して無理矢理やる気を起こして小屋を出る。神社に居るより疲れるかも知れないとため息を吐きながら空に舞った。