ある秋の日の事である。私が居間で十五個お手玉に挑戦していると、畳に寝転がって絵本を読んでいたフランが唐突にこんな事を言い出した。
「霊夢はお父さんだよね」
「……おん? 男になった覚えは無いわよ」
番茶を啜りながら卓袱台に文々。新聞を広げていた霊夢が上の空で答える。無闇やたらと老成した雰囲気を滲ませている巫女は確かにどことなく一家の大黒柱に見えた。しかし、
「なんでいきなりお父さん?」
「これ読んでて思ったの」
お手玉を脇に片付けてフランが差し出した絵本を受け取った。そこにはファンシーな絵柄の人間の親子が描かれていて、「外界の社会問題・核家族編」というポップ体文字が踊っている。ひっくり返して裏を見ると隅に小さくパチュリー・ノーレッジ著、とあった。
なにやってんのあの魔女。
「私達は皆血繋ってないけどまあ核家族って言えなくも無いかな。何? おままごとでもやるの?」
「あ、いいね。しばらくやってなかったもの。えーとねー、私が寺子屋に通うお父さんと洗濯物を一緒にするのを嫌がり始めた娘役でー、霊夢が最近歳とって仕事で疲れるようになったから家ではそっとしておいて欲しいお父さん役でー」
フランが楽しそうに自分を指し、霊夢を指した。妙に具体的だと思って手元の絵本を捲ってみると案の定そういう家庭問題が可愛らしい挿絵付きで山ほど載っていた。
パチュリー……暇なのか?
しかしおままごとねぇ。おままごとと言えば砂場が定番だけどそんな所に連れてったら砂食わされそうだから止めておこう。わざわざ砂場に行かなくともここに本物の風呂も包丁も野菜もあるんだから余計な口出しは無用だ。おままごとというより家族ごっこになりそうだった。
フランが白雪はー、と私に指を向けた所で突然目の前にスキマが開いた。
「面白そうな話じゃない。私も混ぜてくれないかしら」
うさん臭い金髪がにゅっと顔を出した。ほんと急に現れるなこいつは。
紫はスキマに肘をついて手のひらに顎を乗せ、我関せずと新聞を捲っている霊夢に流し目を送った。スキマの中の目玉もギョロりと視線を動かす。
「あの子が父役なら、私は当然母―――」
「紫も入りたいの? じゃあ、孫の世話を焼くんだけど反抗期で鬱陶しそうに追い払われるおばあちゃん役!」
霊夢との擬似夫婦を狙って来たらしいスキマ妖怪はフランの無邪気で残酷な宣告に凍り付いた。
ひでぇ、何その聞いてるだけで切なくなってくる役。
注目すべきはババアとは言われていないという事である。あくまでもおばあちゃん「役」。面と向かって罵倒された訳では無く単なる配役なのだから怒れもしない。
春雪異変以降何かと霊夢に構いたがっている紫はステーキを注文したらイナゴのつくだ煮を出された、みたいな顔をしてフリーズしていた。しかしすぐに我に帰る。いつもより優しさを数割増した笑みでフランに抗議した。
「うーん、おばあちゃんは白雪の方が適任じゃないかしら? 年齢的に。ここは私を母役にして……」
「駄目だよ、白雪はお母さんになるの。紫はおばあちゃん」
「…………ぐ」
「たかがおままごとの配役、あまりムキになるのもみっともない。しかしこのままでは自虐のために首を突っ込んだようなもの。さてどう言いくるめてやろうか……」
「ちょっと、心を読まないで頂戴」
「顔に書いてあるから」
「…………」
紫は沈黙した。顔に書いてあると言っても読み取れるのは異様に勘が鋭い霊夢か付き合いが長い私と幽々子ぐらいなものだろう。常人には分かるまい。
「白雪はギクシャクし始めた夫と娘を見て自分の若い頃を思い出す事が多くなったお母さん役ー」
そしてまた楽しそうに微妙なチョイスをするフラン。霊夢や紫と比べれば随分マシな設定なので安心した。私の若い頃ってどんなだったかな……もう遠すぎてはっきり覚えて無い。
そしてご機嫌で羽根をパタパタさせるフランが嬉しそうに開始を告げる直前、居間に大声が響き渡った。
「話は聞かせてもらったわ!」
「あ、お姉様! ……と咲夜!」
スパーンと勢い良く障子を開けて咲夜を従えたレミリアが乱入した。咲夜が瞬きする間に散らばっていた座布団を積み上げて作った台に乗り、腰に手を当て薄い胸を張り高い位置から高圧的に要求する。
「フラン、私も入れなさい!」
言いながら私に傘の先を向けて牙をむき出し威嚇した。いや母役になったからといっても妹さんを取ったりはしないよ。ただのままごとなんだから。
そうアイコンタクトを送ったのだがどうも挑発している様に見えたらしく、ますます目付きを鋭くした。おお怖い怖い。
幸いレミリアの熱視線で私に風穴が開く前にフランが役をふってくれた。
「お姉様は妹が可愛くて仕方無いんだけど気恥ずかしくてなかなか表に出せずつい素っ気無い態度をとってしまうお姉さん役ー」
……そのまんまじゃねぇか。
レミリアはほにゃっと笑う妹の顔を驚いて見ていたが、
「そ、そう。そういう役なら仕方無いわね」
と言いながら座布団タワーから降りてモジモジし始めた。これは素直に可愛がっても良いのかしら、とかなんとかブツブツ言っている。
そんな主人を斜め後ろに立ってニヨニヨ眺めていた咲夜は何かを期待するようなキラキラした視線を向けてくるフランと目が合うと諦めた顔をして聞いた。
「妹様、私は」
「犬!」
「わん」
咲夜は真顔で鳴くとその場でお座りをする。私の後ろで霊夢がお茶を吹き出す音がした。
咲夜の役はシンプルだ。シンプル過ぎて逆に傷つく様な気もするが。
犬小屋作らないとね! などと恐ろしい事を言うフランに大人しく撫でられる咲夜、まだブツブツ言っているレミリア、ズルリとスキマから這い出て霊夢の後ろに落着する紫、陰陽術で濡れた新聞と巫女服を乾かしていた霊夢。カオスだ。
でもまあ吸血鬼姉妹と私(零)、霊夢(小)、咲夜(中)、紫(大)。そういう観点で見ればなかなかバランスのとれたメンバーだった。
んで、
「紫、七時の方向520メートル先に烏天狗」
「天狗は好奇心旺盛で困るわね」
こんなオイシイ場面をあいつが盗撮しない訳が無いと探索魔法を使うと案の定反応があった。紫はノーモーションで開いたスキマに手を突っ込み、カメラを構えた文を引き摺り出す。
私は目を白黒させる文の胸を揉みしだいた。
「文(中)追加ー」
「あ、ちょ、やめ、あっ」
「フラン、文も参加したいってさ」
「えぇ!? 私そんな事言ってな、あうぅ」
「んー、文はねー、入歯をふがふが言わせながら盆栽の蘊蓄を孫に語るんだけど無視されるおじいさん役ー」
「なんですかそれ! 絶対嫌ですよ!」
文は服の下に入れようとした私の手を振りほどき縁側から逃げようとした。ところがそこには両手を広げて立ち塞がるレミリアがいた。額に青筋を浮かべて鋭い爪を見せつけている。
「私の妹を盗撮しようなんて良い度胸じゃない」
「くっ!」
反転して逃げようとすると前方にスキマが開いて紫が顔を出し、文は急ブレーキをかけた。
「この際道連れは多い方が良いわ」
「……うぅ」
前門のスキマ、後門の吸血鬼。私は進退窮まった文の背中に手を置いた。
「諦めな、どうせ今日の事を記事にしたらスキマ送りにされるんだからさ」
文はがっくりと膝をついた。墜ちたな……
はぁあああ、と深いため息を吐く文を尻目にフランが手を高々と挙げておままごと開始を宣言し、波瀾万丈の一日家族ごっこが始まった。
一方霊夢は素知らぬ顔で急須のお茶っ葉を換えていた。
「ばーさん、飯はまだかいのぅ」
「三日前に食べたでしょう」
ポジションにかこつけてばあさん呼ばわりする文と黒い台詞で切り返す紫。いざ始まってみると文は上手く溶け込んでいた。お前それ今はいいけどさ、明日あたり強烈かつ陰湿な報復受けるぞ……とは言ってあげない。痛い目見て盗撮を止めてくれれば色々楽になる。どうせどれだけ痛め付けられてもめげないんだろうけど。
「お姉様、宿題教えてー!」
「はいはい、フェルマーの最終定理でも双子素数の問題でもどんと来なさい」
吸血鬼姉妹は卓袱台を囲んで仲良く絵本を広げて宿題ごっこをしている。レミリアは結局甘やかす事にしたらしい。
というか寺子屋の宿題でそんな難問出ねーよ。しかもそれ片方証明されて無いだろうが。
「それにしても面倒臭い事になったわねぇ」
「わん」
「あんたそんな真似して恥ずかしくないの?」
「くぅーん……」
「そう、妹の方の命令にも逆らえないのね。立派な狗だわ」
「わん!」
一番シュールな会話をしているのは霊夢と咲夜である。紫につけられた鎖で柱に繋れ(犬小屋は止めたらしい)、犬耳まで装備した咲夜にすれた雰囲気を漂わせる(つまりいつも通り)霊夢が話しかけていた。会話が成り立っているのが地味に凄い。
そして私は台所で料理をしていた。おままごとだからと言ってそのへんの雑草を抜いてサラダです、なんて言えない。何をしていても腹は減るのだからと私はいつもより重い中華鍋を振るった。白玉楼で料理の復習しておいて良かった。
豆腐と挽き肉がたっぷり入った中華鍋にスープを注いで塩で味を整え、溶いた片栗粉を投入してとろみをつける。
麻婆豆腐だ。大勢で食べるなら中華だよね。
ニンニクが思いっきり入っているが多分大丈夫だろう。レミリアがニンニクを嫌がったらお姉さんでしょ、妹の前で好き嫌いしないの、と言ってやる予定である。
フランが嫌がったらお残しは許しまへんでー、で行こうと考えつつ中華鍋と皿を持って居間へ行くと、縁側から侵入したらしい魔理沙と一同の間に気まずい沈黙が流れていた。
Oh……お客が来た時の事考えて無かった。
魔理沙は犬耳咲夜を凝視して、傍目には仲睦まじく寄り添って座布団に座る紫と文を見て目を擦り、吸血鬼姉妹をスルーして花柄エプロンを着た私に目を留めた。
客観的に考えると平均年齢余裕で千歳超えのメンバーがおままごとって……は、恥ずかしい。
「すまん、間違えた」
ピッと片手を挙げ、空気を読んだ魔理沙は箒に乗って去っていった。その気遣いが痛い。
「やめよっか……」
「そうね……」
「一生の不覚です……」
「始めっから気付きなさいよ」
げんなりする私と紫と文に霊夢は呆れて言う。そして何が不味かったか分からないという顔をしている吸血鬼姉妹と終止真顔だった咲夜の同意を得て、それほど波瀾万丈でもなかったままごとはあまり無事じゃない感じで終了した。
ああ恥ずかしい……