白玉楼にはよく遊びに行くのだが、大抵居間か庭でぐーたらするだけなので実は内部構造をよく知らない。当然台所もどこにあるか分からないので廊下に面した扉を片端から開いていった。
客間……物置……多分妖夢の部屋……刀部屋? ……幽々子の部屋……
次々と扉を開いていると何か家捜ししてる気分になってきた。妖夢に台所の場所ぐらい聞いておけば良かったと後悔する。
脱衣所に首を突っ込んだ後七つ目の扉の前に立つ。扉には「幽々子様立入禁止」と大きく赤字で書かれたプレートがかけられていた。何度か消されて書き直した跡がある。妖夢の涙ぐましい努力が偲ばれた。
ビンゴ。絶対ここだ。
私がゆっくり扉を開くと、果たしてそこには台所が広がっていた。
……やっぱ訂正。台所の規模じゃない。こりゃ厨房だ。
広々とした部屋にあるのは蛇口付きの流し台が三つ、コンロ、広い作業台、収納庫、明らかに業務用な巨大冷蔵庫、炊飯器に電子レンジ、オーブン。部屋に一歩足を踏み入れると自動で電灯が点いた。白いタイルの床には埃一つ落ちていない。
おかしくね? 他の部屋は全部古式ゆかしい純和風なのになんでここだけ近代? 首を傾げてつつ作業台の上に置きっ放しになっていた中華鍋を手に取った。でかい。直径六十センチくらいある。
使い込まれた感のある鍋を軽く振り、どこのメーカーかと取手を見てみると「有限会社スキマ商事」と刻まれていた。
あー……なるほど。この近代厨房は紫の仕業か。なんと言うか、よくやるよホント。
予測の斜め上を行く立派な厨房に勝手に調理して良いものかどうか悩んだが、まずは幽々子を再起動させなければ始まらない。簡単な料理を作って持って行こう。まあ事後承諾で大丈夫だろ。
壁に掛けてあった妖夢のものらしいエプロンを着て手を洗う。妖夢はそんなに背が高くないのにエプロンはブカブカだった。消沈しながら流し台の下を探る。
そこにはインディカ米とジャポニカ米が三種類づつ大量に保管されていた。
うわぁ……これは引くわ。米櫃に「一日二十合まで!」というメモが張ってあるあたり哀愁を誘う。幽々子、普段どんだけ喰ってんだ。
あまり凝った料理にすると時間がかかるので手軽にチャーハンを作る事にした。
まずは必要な食材と調理器具を作業台に並べる。幽々子を五人分とカウントして八人前ぐらい作れば皆食べれるだろ。
生意気にも無洗米だったインディカ米を炊飯器に放り込み、水を少なめに入れて蓋を閉めスイッチを入れる。タイマー表示が「残り40」と出た。
ご飯が炊けるまでの間にやけに鋭く研がれた包丁で種をとったピーマンを切り、コンロの火を点け中華鍋を温めておく。三分クッキングの曲を吹きながら冷蔵庫を開けて具材を漁っていると背後から短い電子音が聞こえた。
「おん?」
振り返ると炊飯器から湯気がもうもうと上がっている。換気扇をつけてから炊飯器の表示を見ると「タキアガリマシタ」という文字が点滅していた。
……え、故障? まだスイッチ入れてから一分経って無いぞ。
何かミスがあったかといぶかしみながら蓋を開けるとしっかり炊き上がったご飯が顔を覗かせた。
「は?」
目を擦ってもう一度見る。……目に映る白い輝きは変わらない。菜箸でご飯を少しとって口に運んでみたが中までしっかり火が通っていた。
「…………」
炊飯器の側面を調べる。左側面には案の定簡単な注意書きとスキマ商事のロゴが書かれていた。
そうだね、メイドイン紫だね。なんでもアリだね。40分じゃなくて40秒でご飯を炊くなんて朝飯前だよね。
物理的には有り得ない現象だが幻想郷なら有り得る。ここは魔法みたいな、なんて比喩表現が比喩じゃなくなる場所なのだ。
熱した中華鍋に油をしき、微塵切りにしたベーコンとピーマンを放り込む。じゅわっと音がして煙が上がり、厨房に香ばしい匂いが広がった。
腹へってきた。
炒めた具材は一度別の皿に移し、ボウルに卵を四つ割って入れる。それを適当に溶いたら油をしきなおした中華鍋に投入。そして卵が固まりきらない内にご飯をほぐしながら入れていく。ここで中華鍋の三分の二ほどの量だ。
そこにネギとコーンを追加し、鍋を揺すってご飯を宙に巻き上げ受け止める。この混ぜ方なんて言うんだっけ? チャーハンつくるよ?
……なんか零しそうだ。縁起でもない。
大火力で炒めていると背後に誰かの気配がした。あれ、厨房の扉が開く音は聞こえ無かったのに……そう言えば開きっぱにしてたか。
「勝手に使わせて貰ってるよー」
霊夢なら黙って後ろに立ったりしない。妖夢だろうと当たりをつけて振り返ると、そこには不気味に目を光らせた幽々子がレンゲを両手に構えて亡霊のように立
っていた。
「ぎゃー!」
死んでいる癖に普段下手な生者よりも生き生きしている分、こういう事をされるとドッキリする。
私は悲鳴をあげてのけ反り、バランスを崩してしまった。手元が狂い幽々子目掛けて零れるチャーハン!
その瞬間幽々子の目がキラリと煌めき、両手のレンゲが神速で動いた。飛び散るチャーハンをすくっては食べ地面に落ちかけたチャーハンを救っては食べ水を張ったボウルに着水しかけたチャーハンを掬っては食べ、気がつけば幽々子はリスの様に頬を膨らませてモゴモゴしていた。中華鍋を見てみると米粒一つついていない。 この間、実に三秒弱。
( ゜д゜ )
唖然とした。
幽々子は喉を大きく膨らませて口の中のチャーハンを一気に飲み込むと不満そうに、
「胡椒が入って無いわ、作り直し。失敗しても全部食べてあげるから安心してね」
てめーが完成前に喰ったんだろが! 三秒で八人前喰いきってんじゃねぇ。……いや、だから素早く調理できるように厨房が充実してるのか。
まあどうせ人の家の食材なんだから次行ってみよう。家主の許可も得た事だしここらで料理の勘を取り戻しておくのも悪く無い。
醤油とみりん、豚肉を取り出して次の料理に取り掛かりながらレンゲを箸に切り替え床で正座待機している幽々子と話した。
「西行妖の根元に封印されてるのが誰か知って解こうとしてたの?」
「もぐらじゃ無いのは分かってたわ。私の予想だと神か神霊か人間か霊か妖怪か魔法使いか半妖か現人神か半霊ね」
「……まあいいけど。もうこんな異変起こさないでね」
「人間も亡霊もお腹一杯になると平和な気分になるらしいわ」
「はいはい」
その後、調子に乗って知ってる料理を片端から作っていたら復活した妖夢に食材を使いすぎだと怒られた。
散々白玉楼のお茶っ葉を浪費した霊夢と共に神社へ帰る頃には昼になっていた。
暖い春風に張り詰めた空気は緩み、雪解けが始まった雪原は日の光を反射してキラキラと輝いている。
リリーホワイトらしき白い妖精が遠くに見えて春を感じた。春告精って春の季語になってるんだよね。字数多いからほとんど使われないけど。
「あー……眠いわ……あんたがちんたらしてるから結局徹夜じゃないの」
私の隣を飛ぶ霊夢が眠そうに目を擦りながらブツブツ文句を言っていた。いや申し訳無い。自分が二徹ぐらいなんともないもんだから失念していた。それに霊夢は弱冠14歳にして歴代のどの巫女より強いチートさんなので時々人間だという事を忘れる。
とにかく色々解決の手際が悪い異変だったが、これで春雪異変も終わ……終わ……り?
「霊夢、先に帰ってて。私は寄るとこあるから」
私は霊夢に声をかけて停止した。霊夢も一拍遅れて止まる。不審そうに私の顔を見た。
「……異変の続き?」
「と、言えなくも無いかな。余震みたいなもんだから私一人で行くよ。神社に着いてフランが起きてたら寝かしつけといて」
「流石にもう寝てるでしょ。なんだか知らないけどあんたも早く帰って来なさいよ」
肩をすくめ、手を振って霊夢と別れた。向きを変えて進路を若干変更する。
行き先はマヨイガである。冬眠している紫を叩き起こして結界の補修をやってもらわなければならない。
紫は冬になると必ず冬眠し、春になるまで起きてこない。冬の間はただでさえ過剰気味な藍の負担が更に増えて博麗大結界の補修が追い着かなくなるのである。
過酷な労働環境をなんとかしようと二、三年前に橙を式にしたが、未だ研修中でむしろ足を引っ張っている。猫の手も借りたいのに猫の手も借りられないとはこれいかに。
通年は春になって目を覚ました紫が冬眠中の穴埋めをするのだが、今年は冬が長引いた上に幽明結界もガタが来ているため藍の仕事量は過労死レベルまで積もっているだろう。
主に頭が上がらない藍の代わりに私が一言物申してやらなければ。
八雲家の外観や内装や所在地は気紛れに様変わりするがここ二百年ほどはマヨヒガの森にある。というより紫の屋敷=迷い家であり、森の名前の由来となっている。
ふと稀に迷い込む人間や妖怪達が段々場所を特定し始めたのでそろそろ場所を変えるつもりだと紫が冬眠前に言っていたのを思い出した。まだあるか?外界に移転していたりしたら探すのが面倒だ。
私は懐から通信符を二枚取り出した。紫にかけてみるがスキマの中にいるのだろう、案の定繋がらない。予想はついていたのでもう一方の通信符で藍に繋いだ。
「あ、私私」
「その声は白雪様。申し訳ありませんが今立て込んでおりまして……」
藍は応答したものの忙しそうな、切羽詰まった声音だった。通信符の向こうから慌ただしくバタバタと廊下を走り障子を開ける音が聞こえる。
「悪いけど割と緊急。結界がガタガタだから早いとこ紫に直してもらいたくてさ。私がやってもいいんだけど結界は紫の専門分野だから。まだ冬眠中?」
「え? あ、はい。まだお休みです」
やけに上の空だな、と眉を顰めていると通信符を手で押さえたらしくくぐもった音で「ちぇえええええええん! 良い子だから出ておいで!」とかなんとか悲壮な叫び声が聞こえてきた。何? 立て込んでるってそういう意味?
「藍、橙に嫌われたの?」
「嫌われていません!」
通信符越しでも耳鳴りがするぐらいの大声で断言された。いつも冷静な藍が油揚げ以外の事でムキになるなんてよほど私の言葉が癪に障ったと見える。
藍が紫にぞんざいに扱われるのと反比例するように橙への藍の愛情は強い。文字通り猫可愛がりしている。
「狐は猫を千尋の谷に突き落とすっていうでしょ。何があったか知らないけど放っときなよ、その内帰ってくるだろうし。黙って見守るのも愛なんだからさ」
「そんな事できません!」
「いやだから……ん?」
マヨヒガの森の木立ちの間に小さな影が見えた。視力を上げてよく見てみると二尻尾に黒い猫耳の少女が魚を加えて走っていた。
「橙発見」
「え!? どどどどどどどこですかっ!」
私は答えず高度を下げ、橙の後ろ数メートルの地面に降り立った。橙がびくっと肩をはね上げて振り返り、私だと知るとほっとした顔をする。
「白雪さま、おはようござ」
「ちぇえええええええん! もう怒って無いから戻っておいで!」
警戒を解いて橙は通信符から響き渡った藍の声を聞くやいなや尻尾と耳をぴんと立てて逃げ出した。
「らぁん! お前もう黙ってろ!」
「えぇ!?」
折角穏便に連れ帰られそうだったのにこの駄狐が!
「ごめんなさいごめんなさい!」
必死に謝りながら逃げていく橙。私は仕方無く後を追った。
「橙! もう藍怒って無いって!」
「ごめんなさいごめんなさい!」
「大丈夫だから! 魚くすねたみたいだけどなんなら私が擁護してあげるから一旦止まろう! ね!?」
「ごめんなさいごめんなさい!」
駄目だ、パニクってる。
お魚くわえた黒猫追いかけて草鞋で駆けてく特に陽気でもなんでもない私。藍が叫んでいる。お日様は笑っている気がしなくもなかった。
もっとも式になりたての小妖怪が最上級の大妖怪から逃げ切れるはずもなく、私は脚力強化で一気に距離を詰め橙を捕獲した。襟を掴んで猫のようにぶら下げる。
「フーッ!」
錯乱して毛を逆立て私に爪を立てようとするが、刃物も跳ね返す私の肌を空しくするだけだった。
そのまましばらくすると借りて来た猫のように大人しくなったので地面に降ろすとメソメソ泣き始める。
「白雪様っ! 橙を泣かさないで下さい!」
橙を追っている間放置していた藍が難癖をつけてくる。喚くな喧しい。
「今からそっちに連れてくから大人しく待ってて」
それだけ言って何か抗議が来る前に霊源を切って懐にしまう。ぐすぐす泣きながらもしっかり魚を囓っている橙をひとしきりあやしてから背負い、私は八雲家へと飛んだ。
幸い転居はしておらず、一時間もかからずに八雲家に着いた。白玉楼に似た作りだが玄関にはチャイムがあり、さり気なく防犯カメラまでついていた。私は背負っていた橙を降ろす。
「お、おこられませんよね?」
「大丈夫大丈夫」
橙の猫っ毛を撫でて安心させる。私は猫のように目を細めた橙を玄関の正面に置いた。チャイムにそっと手を伸ばす。
すると案の定指がチャイムに触れるか触れないかのタイミングで藍が玄関の戸をスパーンと開けて飛び出してきた。正面からがっしり抱き合う式二人。
「ちぇえええええええん!」
「らんさまーっ! 夕飯のお魚とったりしてごめんなさい!」
「いいんだ! 私も仕事が溜まって気が立っていたんだ。キツい言い方をしてしまった。橙は私が嫌いになったかい?」
「そんなことありません。私はやさしいらんさまが大好きです!」
「ちぇん! なんていじらしい!」
「らんさま!」
私はストロベリっている二人の横をすり抜けさっさと中に入った。甘すぎる。ここにいたら空気を吸うだけで胸焼けしそうだ。感きわまってにゃーにゃーこんこん鳴き始めた二匹の鳴き声をBGMに奥の部屋へ向かった。
白玉楼と同じく八雲家の屋敷の構造もよく知らないが、紫の部屋への道順は分かる。何度も寝込みをスキマに落とされ部屋に連れ込まれりゃ嫌でも覚えるというものだ。あんにゃろ毎回取るに足りない用で連行しおって……そろそろ囲碁や将棋で私をふるぼっこにするのは止めて欲しい。切実に。
ウグイス張りの廊下を渡って紫の部屋の障子を遠慮無く開く。家具が全く無い殺風景な畳部屋には予想通り誰もいなかった。
私は春から秋にかけて布団が敷いてある位置に立つ。
紫は冬眠時に誰にも邪魔されないようにスキマの中に入る。私の能力ではスキマを閉じる事は出来てもこじ開ける事はできない。だから普通に行けば紫が自発的に出て来るまで手を出せないのだが……今回は切り札があった。
私は懐を探り、小さな鍵を出した。徊子から貰ったマスターキーである。これで多分いけるはず。
「開け」
鍵を指で摘み、意思を込めて言うと目の前の空間にリボンで端を留められた裂け目があっさり開いた。
「……おお」
自分でやっといてなんだけど本当に開いたよこれ。徊子すげえ。開けても閉じれないけどそれでも凄い。
以前私の心を開け無いとか言ってたけどアレは鍵穴が見えないだけで見えれば開けるらしいし、`開ける´という概念の下にあれば何でもありなんじゃあなかろうか。
徊子が大人しい性格で良かったとしみじみ思いながらスキマに飛び込む。
抵抗力を上げてスキマに圧されないようにしつつ犬小屋や電柱や電車の吊り革を避けて紫を探す。スキマ内部では探索魔法が使えないのが厄介だ。
そして小一時間彷徨ってそろそろ方向感覚が狂って迷いかけて来た頃、ようやく見覚えのある金髪を見つけた。
ああ、ようやく本当に異変終了だ。紅霧異変よりも(精神的に)疲れた気がする。次の異変は絶対に根回し万全で回避してやる。
私は特に誓うものが無かったのでじっちゃんの名にかけて次の異変阻止を誓い、肩を鳴らして優雅さをどこかに置き忘れてきた様に鼻提灯を膨らませている紫にアイアンクローをかけた。