微グロ注意
「白雪、見て! カブトムシ!」
ある秋の終わりの日の夕方、私が居間で霊夢に九子置きで囲碁勝負をしているとフランが勢い良く障子を開けて飛び込んできた。私は一瞬ちらりとフランを見てまた碁盤に目を戻す。
「居間に入る時は靴を脱ぐ」
「あ、ごめんなさい」
フランは素直に謝り、縁側に戻って靴を脱いだ。手編みマフラーをとって部屋の隅に置き、私の背中に張り付く。そのまま髪に顔を埋めて何やらもぞもぞしはじめた。背中がくすぐったかったが対局の最中という事もあり好きにさせておく。
「もうそろそろ冬なのにカブトムシって珍しいねぇ。弱った奴かな」
ノビ……ハネて……切る……つぐ……あれ、この石なんかもう死んでる気がする……
「元気一杯だよ!今も逃げようとしてる」
……一間飛び……桂馬……ああ駄目だこれ、死んだ。
碁盤から目を上げると霊夢は退屈そうに碁石を指で弄んでいた。
「往生際悪いわね。もう投了したら?」
「諦めたらそこで試合終了ですよ」
「諦めなくても終わってるわよ。ざっと百五十目は差がついてるじゃない」
……ちっくしょう!囲碁覚えて二週間の癖に余裕ぶりやがって!
歯がみして逆転の一手を探していると霊夢が私の背後を見て変な顔をした。
「ちょっと」
「何?まだ投了しないよ」
「そうじゃなくて。フランドールがあんたの髪に虫結んでるんだけど」
「それはいつもの事でしょ」
何故か知らないがフランは戦利品を私の髪の中に隠す。私の髪は長いし量は多いし頑丈で傷まない癖はつかないという反則仕様なので物を隠すには向いて……いる気がしないでもない雰囲気が漂っていなくもない。私の髪は四次元空間ではないので隠された物はそれとなく床下に移しておいている。
「いやその虫が」
「んー?」
「油虫に見えるんだけど」
「…………」
油虫。あぶらむし。ゴキブリの旧名。熱帯を中心に生息し、平たい体型は狭い場所に潜むのに都合が良い。頻繁に比喩表現に使われる程の自慢の生命力と適応力で遥か昔からしぶとく生き残り、生意気にも生きている化石と呼ばれている。
そして地底の妖怪よりも激しく忌み嫌われる存在。
そっと振り返るときょとんとしたフランと目が合った。
「フラン」
「何?」
「結んだ?」
「うん」
フランは眩い笑顔で白い髪で胴を結んだ黒光りする長い触覚のあんちくしょうを私の眼前に突き付けた。
「っぁあああぁああああああ!」
「なにあんた、大妖怪片手で捻る癖に油虫が怖いの?」
生涯で上位三位に入りそうな凄まじい絶叫を上げた後、私は手刀で髪を切断した。驚いたフランは畳に落ちてカサカサ逃げる奴を素手で飛び付いて捕まえようとしたが取り逃がした。
霊夢は自分の膝元に逃げてきた奴を碁盤で叩き潰そうとしたが、畳と碁盤が悲惨な事になるので突き飛ばして止めた。そうして三人でゴタゴタしている内に見失い、現状に至る。今は居間の中央で身を寄せ合っている。
「無理。あれは無理。生理的に無理」
屋外で遭遇したら跡形もなく消し飛ばしてやるのだが、屋内に出現されるとそうもいかない。弾幕系を使うと家具を巻込んでしまうのだ。お陰で凶悪度三倍増。
奴がなぜ幻想郷に居るのか疑問だが、嫌な意味で世界的知名度を誇る存在が幻想側に来る訳が無い。大方幻想入りした物品にくっついてきたのだろう。幻想郷の冬は凍える寒さなので来年まで生き残る事は無いだろうが、放置する訳にもいかない。
あんなおぞましい昆虫に神社に居座られてたまるか。被害を抑え素早く確実な殺らなければ。
「白雪、カブトムシ嫌いなの?」
フランは悲しそうに言った。どうやら何も分かっていないらしい。つーかお前素手で奴を鷲掴みにしてただろ。早く手を洗って……いや、私の髪にも奴の油ぎった羽と手足が……
そこまで想像して体ががくがく震えた。今、猛烈に風呂に入りたい。さっさと片付けてしまおう。
リグルになんとかしてもらおうとも思ったが第一居場所知らないし事情を話しても奴の味方をしそうで嫌だ。発見、体液が飛び散らないように半殺し、外に放り出す、滅殺。これでいこう。
私は二人に方針を告げ、ひとまず自分の髪を鬼火で一瞬炙って殺菌してから探索魔法を使った。探索対象と探索範囲を絞る間に霊夢にフランへの説明をさせておく。しばらく話を聞いたフランは納得した顔で炎の魔剣を出し、刀身に手のひらを押し当てて殺菌していた。
「むむ……発見。敵は台所にあり」
「そういえば流しに野菜出しっ放しだったわ。這い回られたら厄介ね」
「白雪ごめんね。変なの持って来ちゃって」
三人でぞろぞろと台所に向かう。私は引き戸を細く開けて中を覗いた。フランも私の頭に顎を乗せて覗き込む。
台所は板の間と土間に分かれている。土間の竈の脇には薪が積まれ、流しには夕食用の大根と人参とネギとジャガイモが小さな山を作っている。板の間の隅には血液保存用簡易魔術式冷蔵庫が置いてあった。他にも食器棚やら水瓶やら、要するに隠れる場所は幾らでもある。
「……いないね」
「絶対いるよ。対象が小さ過ぎて場所を絞りきれなかったけど、ここにいるのは間違い無い」
百年単位の永い間使っているので部屋全体に煙の匂いと色が強く染み付き、奴のカモフラージュにはもってこいだ。どこかに隠れているに違いない。
「びくびくしてないで中に入ればいいじゃない」
「……それもそうか」
後ろから霊夢に言われて戸を開けて中に入り、逃げられない様にすぐ閉める。竈の火を熾すために置かれていた文々。新聞を丸めて構えながらおっかなびっくり家捜しした。もっとも緊張していたのは私だけで、フランは宝探し気分なのか楽しそうにしていたし、霊夢は淡々と次々に薪の山を崩していた。
食器棚の裏を覗き、流しの下を探り、水瓶の陰に目を凝らしたが見つからない。
「いないねー」
「逃げたんじゃないの?」
「そんなはずは……」
おかしいな。隠れられる場所は全部探したはずなんだけど……
首を捻って再度探索魔法を使う。すぐ隣の霊夢とフランが強い反応を返したが、やはりもう一つ弱い反応があった。
その反応は上からだった。
はっとして天井を見上げると、そこには二十センチ強に巨大化した悪魔の姿が!
「う、あ、え……」
ガタガタ震える手で梁に張り付いて微動だにしない奴を指差すと、霊夢は黙って肩を竦め、フランは凄い凄いとはしゃいだ。お前らその気楽さを半分でいいから分けてくれ。切実に。
「でかいわねぇ」
「ななななな……」
「狙いやすくなったね!」
フラン、超前向き。私は失神しそう。何が悲しくてSSS級のグロ昆虫を拡大で見なけりゃならんのだ。てめ、呑気に触覚動かしてんじゃねぇ。
「どうして巨大化したのかしら」
「魔法!」
「油虫は魔法も妖術も使えないわよ」
「じゃあなんで?」
「さあ」
「むー……白雪、なんで?」
「え?」
あれはただの虫、ただの虫と自己暗示をかけていた私は我に帰った。見たくは無いが嫌々よく見てみると、奴の胴に巻き付いた私の髪から力が放出され、それを奴が浴びていた。観察している間にもまた微妙に大きくなる。
……自分の記憶と奴の存在を消してしまいたい。私の髪のせいで拳銃をロケットランチャーに進化させてしまった。数時間放置すれば核爆弾になるだろう。
あの髪は意図せず体から離れてしまったので発信機代わりにしたり術の起点にして奴を拘束したりは出来ない。ただ巨大化のエネルギー源にされるだけだ。虫酸が走る。
「私の髪が原因で成長したみたいだね。霊夢」
「はいはい」
新聞紙ブレードを渡すと霊夢はふわりと浮かんだ。私とフランが固唾を飲んで見守る中、霊夢はしきりに触覚を動かす奴にそろそろと背後から近付き、新聞紙を振りかぶった。奴は動かない。
殺った!
……と、思ったがすんでの所で避けられた。羽を広げて飛び立ち、こちらに突っ込んでくる。あわわばばば!
「こっちくんなあ!」
気持ち悪い気色悪いおぞましい! 私は反射的に横に転がったが、フランは手近な薪を掴んで奴目掛けて振り抜いた。勇者だ!
ところが奴はそれを嫌らしさ迸る軌道で回避し、壁にびたっと着地。カサカサと巨体に見合わない速度で壁を這い回り始めた。その動き止めろ!
フランは高速で壁走りする標的を喜々として追い回し、霊夢は台所の食材を結界で堅守している。私? 普通の感性であんなもん追い回せるか馬鹿。鼠よりでかいんだぜ。
「あははははっ! 待てー!」
戦闘員は狩人の目をしたフランだけ。弾幕こそ使っていないが吸血鬼の力で振り回された薪は壁にひびを入れ床を割る。仮にも神力で建築・強化されている神社なので大破はしない。が、見る間に台所はボロボロになっていった。しかし奴は野生の勘を働かせているのかすんでの所で全て回避していやがる。じわじわと肥大していき的は大きくなるのだが、その分スピードも上がるのでなかなか仕留められない。髪は既に体に同化して白い模様を作っている。あれが元私の髪だと思うと……うぇふ……吐きそう。
「フランッ!」
木端が飛ぶばかりのイタチごっこを見ていられなくなり呼び止めた。フランが止まると同時に奴の動きもぴたりと止まった。盛んに蠢く触覚がこちらを馬鹿にしている様でムカつく。節足動物の分際で舐め腐りおって。
「何?」
「フラン、このままだと被害が広がるだけだから、落ち着いて、冷静に、狙いをつけて、次の一撃で確実に沈めて。あとこんな物で叩き潰したら体液が飛び散るから没収」
「んー、分かった」
フランの手からかなり磨り減った薪を取り上げた。ん? あれ、伝統と格式の対漆黒の悪魔用兵器(新聞紙)はどこにやったかな……
「あんたが殺ればいいじゃないの」
霊夢が竈の縁に腰掛けて言った。奴から目を離さず、かつ顔色一つ変えていない。肝太過ぎだろ。
「武器越しでも叩く感触が残るからやだ。霊夢やってよ」
「野菜に強力な結界張っちゃったからその維持で手が離せないわ」
「あーまあそれなら仕方無い……か? お、あったあった。フラン、これで……」
新聞紙片手に振り返った私の目にスローモーションで映ったのは、手のひらの髑髏をしっかり握り締めたフランと体液と体のパーツをまき散らしながら粉々に爆砕された巨大ゴキブリの姿だった。
「ら、らぐなろく……」
……当然気絶した。
「確かに一撃でとは言ったけどさぁ……これじゃ何の為に慎重に半殺しにしようとしたか分からん」
神様スペックのお陰か数秒で現実に復帰した私は即座にその場から避難してフランに後始末を命じた。幸い肌にはかからなかったが衣には言葉では言い表せない液体がこびりついている。
フランはてへっ☆ と可愛らしく舌を出して誤魔化そうとしたが赦さない。可愛いかったけど赦さない。
「霊夢、洗濯よろしく」
「手洗いは私でも気が引けるわ……」
私は衣を脱ぎ、霊夢に放って下着姿になった。霊夢は奴が砕け散った瞬間自分の周囲に薄い結界を張って無事だった。流石稀代の巫女、狡猾である。
対して一番酷かったのは奴の正面に居たフランだ。色々大惨事になっていたが自分で自分に火を付けて全身大火傷から再生したら元通り。こんな無茶苦茶な浄化法がまかり通る吸血鬼の再生能力って凄い。
弱点無視すればほとんど蓬莱人だよなぁと思っていると衣を嫌そうに持っていた霊夢がはっとして顔を上げ言った。
「ん? ……これって白雪の能力でアレの生命力とか速力下げれば楽だったんじゃない?」
…………
…………
「しまったぁあああ! 先にそれ言ってよ!」
「無茶言わないで、私も今気付いたんだから」
畜生。奴が気持ち悪過ぎるせいで思い付かなかった。もっと早く思考が自分の能力に及んでいれば……いや、もう後の祭りか。
私は深々とため息を吐いて肩を落とし、台所から聞こえる嫌そうな声をスルーして風呂場に向かった。まずは物理的&精神的汚れを落とさなければ。
余談だが翌日から一週間ほど自分の髪が黒く染まって足が生え触覚が伸びて以下略な夢を見た。