マレフィ・ノーレッジには家族が一人いる。
魔法の名門ノーレッジ家の長女で、魔法の才能はそれほどでも無いがマレフィと真逆で社交的な性格をしている美人な姉。誰からも好かれ、多才で、歴代党首が研究にばかりのめり込んだためピサの斜塔ばりに微妙な角度で傾いていたノーレッジ家の財政を立て直した立役者でもある。
マレフィは自分よりも遥かに魔法の面で劣る姉を表面上は小馬鹿にしていたが、内心では尊敬していたし慕っていた。しかし表立って好きなどと言うのは恥ずかし過ぎるからしない。
姉はすらりとしたスレンダーな長身で、胸はとても残念。いつも誰もが安らぐ柔らかな微笑を浮かべ、人当たりが良く、褒め上手で、金回しも上手い。
対してマレフィは元来小柄な上に早々に捨虫捨食の魔法を修めてしまったため少女体型のまま成長の見込みも無い。胸は一見大したことが無いように見えるが実は着痩せするタイプなので以下略。いつも不機嫌そうな仏頂面を浮かべ、人当たりが悪く、毒舌で、金銭感覚が壊れている。
紫の髪だけが共通点の正反対な姉妹はしかし仲が良かった。
マレフィは毎年姉の誕生日に寝室に忍び込み枕元に手作りプレゼントをこっそり置いている。本人はバレていないと思い込んでいるが、実のところ姉の方は毎回狸寝入りで枕に顔をうずめてニヨニヨしていた。
姉は魔女集会や表社会のパーティーに出席する機会が多い。その集会やパーティーでマレフィの陰口を叩いた者は、不思議な事に近い将来必ず何らかの不幸にみまわれ社会的に破滅する。
マレフィは興味の無い相手は完璧に無視するため、毒舌は一種の親愛表現であるのだが、マレフィがまともに会話をする相手と言えば両手で数えられる程度しか存在せず、更にその中でマレフィに好意を抱いているのは姉のみ。ずっと研究室に引きこもり大鍋をかき混ぜているマレフィは屋敷の使用人達にも煙たがられていた。
そもそも本人が人嫌いであり、嫌われやすい性格でもあった。話し掛けても無視するか毒を吐くかしかしない者を好くのは難しい。マレフィは不器用で恥ずかしがり屋だ。誰かと手を繋ぐだけでも崖から飛び降りるぐらいの勇気が必要で、キスなんてしたらきっと死んでしまう。
好意を示すのが恥ずかしいから自然に照れ隠しの罵倒ばかりが表に出るのだ。更に言えば、好意を示すのは恥ずかしいのだが、恥ずかしがっていると知られるのはもっと恥ずかしいので好きな人の前でも全力で不機嫌を装う。勿論興味が無い相手に対しては素で仏頂面である。結果的にマレフィは傍目からするといつも不機嫌そうだった。
マレフィは大鍋をかき混ぜる手を止め、額の汗を拭った。ゆらゆらと薄い湯気を立ち上らせる真緑の液体は呪いの解除薬……の試作品だ。
ノーレッジ家の者は子々孫々に受け継がれる呪いを受けており、皆病弱だった。マレフィはリュウマチを患っているし、姉は白血病。普通の病なら魔法で容易く治せるが呪いが付加された病はそうもいかない。
故にマレフィは呪いの解除する魔法薬を研究していた。幼くして種族魔法使いとなったその才能は伊達ではなく、研究十数年目にしてぼんやりとだが完成型が見えていた。
「……遠い……」
マレフィは鍋の中で風も無いのに不気味に揺れる魔法薬を見下ろし、小さな声で呟いた。唇を噛み、内心の苛立ちを蹴りに変えて大鍋にぶつけ、しかしぽこんと軽い音を立てて跳ね返される。マレフィは涙目になってつま先を押さえうずくまった。引きこもりもやし魔女の貧弱さをナメてはいけない。
……まあそれはともかくとして、解除薬完成への道のりははあまりにも遠すぎたのだ。
完成形の魔法薬の材料を作るための材料を精製するための器具の材料を構成する部品を保護する膜の材料を得るのにすら恐らく八方手を尽くしても数十年単位でかかる。
マレフィはころんと仰向けに床に転がり、魔法薬の煙で変色しオレンジの斑点模様を浮かべている天井を見上げた。
薬が完成する頃には魔法が使えるとは言え肉体的には人間である姉は寿命で死んでしまっているだろう。なんとかして工程を短縮しなければ。いや、全てが奇跡的に上手く進んだとしても二百年は確実にかかる。呪いの完全解除は無理でも緩和程度なら……そちらの方が現実的か? 短期的には緩和を目指して、姉の子孫に受け継がれるであろう呪いを解くために長期的には完全解呪を。魔法使いの性として完璧な解除薬一本に絞って徹底的に探求してみたくもあるけれど……だ、だだだだだ大、大好きな、あ、姉のためでもあるのだし……
病が治り、自分を抱き締めて頭を撫でてくれる姉の姿を想像し、マレフィは口元を緩めた。いい。凄くいい。あわよくば経過観察の名目で一緒のベッドで寝たりなんかしちゃって。
マレフィは茹だる様に熱くなった顔を両手で隠し、床をゴロゴロ転がった。恥ずかしい! 恥ずかしい! 私はもう子供じゃないの! 姉のベッドに潜り込む年齢じゃ――――
そこまで考えたマレフィは廊下から微かに聞こえる足音を捉えピタリとローリングを止めた。
四元素の精霊使いであるマレフィは素早く呪文を唱えて風の精霊を使役し、足音が誰の物か探る。……姉のものだった。しかもこの部屋に近づいてきている。
マレフィは俊敏な動作で立ち上がった。ローブについた埃を払い、緩んでいた頬をぐにぐに引っ張って引き締める。眉根に力を入れて若干眉間に皺を寄せ、素早く大鍋に駆け寄り、へらを手にとって攪拌を再開する。
丁度その瞬間、部屋の戸がノックされた。ドキッとしたが、そこでマレフィは戸に鍵をかけていた事を思い出す。取り繕う意味が無かった。
「マレフィ、いるかしら?」
「私がこの部屋以外に居る訳無いでしょう」
「ホラ、衣装部屋とか」
「あんな下らない部屋行かないわ。それで何の用?」
マレフィはことあるごとに姉から流行りの服を山ほど贈られていたが、自分のスタイルに自信が持てず着こなす自信も無かったため全てクローゼットの肥やしにしていた。
しかし折角の贈り物、姉の外出中に衣装部屋に忍び込んでは贈られた服を必ず一回は試着している。そしてその様子が使用人伝で姉に知られている事をマレフィは知らない。
姉はマレフィの返事におかしそうにクスクス笑い、夕食よ、とだけ告げて戸の前から立ち去った。
なぜ笑われたか分からないマレフィは首を傾げたが、結局分からず、大鍋の中の魔法薬を小瓶にすくって袖に滑り込ませてから蓋をして、焚いていた火を消し部屋を出た。
マレフィは捨食の魔法を修得しており食事をとる必要は無いのだが、姉の強い要望で(表向きは)渋々テーブルにつく事にしている。
マレフィが部屋に入ると丁度姉が席につく所だった。部屋のドアの脇に立ちマレフィのためにドアを開けた使用人が丁寧にお辞儀するがスルーする。マレフィの目には姉しか映っていない。
人形操りの魔法の応用で足を動かしている姉は車椅子や杖を必要とせず、一見何気なく日常動作をこなしているように見えるが、その実魔法の助けを借り続けている。その気苦労は推して知るべし、だ。
姉が微笑んで自分のすぐ隣の椅子を軽く叩く。マレフィは一瞬硬直したが、そもそも椅子は二脚しかなく、そこに座るしかない。
マレフィが椅子に腰掛けると肩が少し姉の腕に触れた。モジモジするマレフィに気付かないフリをして、しかし微笑みを強めながら姉は食事を始める。マレフィもほんの少し身体を姉の方に傾けながらナイフとフォークを手にとった。
マレフィも姉も女性である事を差し引いても小食だ。テーブルに乗っている料理は野菜中心な軽めのもので、量も少ない。が、品数が多く何皿にも分けられているためかなり場所をとっていた。自然、手の届かない料理も出てくる。
本来ならばそういった料理を取り分け、給仕するために使用人が控えているのだが、彼等は皆壁を背に直立不動で沈黙している。
しばらくカチャカチャとナイフとフォークが食器にぶつかる音がするのみだったが、姉がワインに手を伸ばしているのに気付き、マレフィは黙って念動魔法でボトルを姉の前に移動させた。
姉はボトルを受け取り、逆の手で一つの繋がった動作であるかのようにマレフィの頭を撫でた。マレフィの口の端がほんのわずかに下がり、すぐに不機嫌そうに引き結ばれる。
これがやりたいがためにマレフィの姉は使用人達に下がらせているのだ。
「ありがとう。マレフィは良い子ね。最近は呪いの解除薬を作ってくれているのでしょう?」
「……別に姉さんのためじゃないわ。単なる学術的興味で作ってるだけ。何? 私が姉さんのために薬を作ってるとでも思った? 自意識過剰よ馬鹿じゃないの?」
「あらごめんなさい。自惚れていたみたいね」
実のところ、姉はマレフィが半分以上自分の病を治すもしくは軽減するために魔法薬を作っていることを知っていた。情報を握る者は全てを握る。観察力と推察力に優れた姉は、妹が袖の中に魔法薬の試作品を忍ばせている事にも気づいていた。マレフィの事ならなんでもお見通しなのだ。
姉は先程からマレフィが自分の様子をチラチラ伺っている事に気付き、その意図を読んで内心苦笑する。さり気なく手をテーブルの下に入れ、壁際に控えた使用人に合図を出す。勿論マレフィから見えない角度でだ。
「あら、流れ星」
姉はいかにも偶然視界に入りました、という風な自然な仕草で窓の外に目を向けた。釣られて使用人達も―――こちらは多少わざとらしかったが―――窓の外に注目する。
マレフィはテーブルから全員の注意が逸れた事を察知し、素早く袖から小瓶を取り出し中身を姉のスープに垂らす。緑色の液体は一瞬でスープに溶けて分からなくなった。
小瓶を袖にしまい、何食わぬ顔でマレフィが食事を再開すると、妙に長い間窓の外に気を取られていた姉がテーブルに目線を戻した。
姉が警戒する様子も無くスープに口をつけるのを横目で確認し、マレフィは小さく満足気に頷く。まだ試作品もいいところだが、数日の間身体の調子を整える程度の効果はある。
窓ガラスに映っていた自身の犯行をいつもの五割増し柔らかい微笑を浮かべた姉がしっかり見ていた事を、やはりマレフィは気付かなかった。
次の日の朝食でテーブルにズラリと並んだ自分の好物を見たマレフィは、訳が分からず首を傾げた。
数年後、マレフィは魔法薬の材料を求めて東の島国に渡り奇妙な神と出会う事になるのだが、そこからは本編参照という事で割愛させて頂く。
あ、ありのまま(中略)マナの話を書いていたと思ったらマレフィの話が(後略)
マナの話はこの次の次か次の次の次